卒業生 北川烈君(商学部卒)
2022/10/28
北川 烈(きたがわ れつ)/株式会社スマートドライブ 代表取締役CEO
普通部、湘南藤沢高等部を経て、2013年商学部卒業。大学在学中からITベンチャーで複数の事業を立ち上げる。3年次から1年間、ボストンでコンピュータ・サイエンス、エンジニアリングを学ぶ。学部卒業後は東京大学大学院で「移動体」のデータ分析に取り組みながら、2013年に株式会社スマートドライブを設立。現在、世界中で注目されている「移動」の進化を後押しする、データプラットフォームやサービスに関わる多彩な事業を展開している。
原点となったのは世の中の仕組みへの興味
-経営、ビジネスに取り組むようになった原点はいつ頃のことですか。
北川:物心ついた頃から私は世の中の仕組みというものへの興味が強かったと思います。経営ということで言えば、父がデザイン会社を経営していたという家庭環境もあったかもしれません。小学生になって、新聞を読むようになると会社の株価や銀行などの金利が日々変動するのが不思議でしょうがなかった。なぜ変わらなくてはいけないのか? そうした疑問から世の中のお金の動きへの関心が育まれていきました。家庭で電気代を節約する方法を親に提案し、その月に下がった金額の半分をお小遣いとしてもらったこともあります。小学生のときには両親に住宅ローンの借り換えを提案しました。家に郵送されてくるローン返済通知に記されている金利より、駅前の銀行のポスターに書かれている住宅ローン金利が低いことに気が付き、さっそく借り換えのメリットを自分で計算して両親に提示。母と一緒に銀行に相談に行き、最終的には借り換えをすることになりました。自分の進路に関しても、自分で考えて決めたかった。受験を何度もしたくなかったので、私立の中学に入ってそのまま大学まで行こうと、親に頼んで塾に通わせてもらいました。
-中学は普通部に進学されました。
北川:普通部の魅力は、何より自分が好きなことに取り組み、それを発表できる「労作展」でした。見学に行くと、驚くほど完成度が高いアートや長編小説、また株を分析している研究論文もあり、「ここがいい!」と思いました。サッカーをやっていたので、遠泳などスポーツを重視している文武両道のスクールカラーも気に入りました。実際、普通部の3年間は楽しかったですよ。ただし学業成績は良くなかった。数学や理科は好きでしたが、国語や社会には全く興味を持てなくて。当時は「昔の出来事(歴史)や文章(古文)を勉強して何の意味があるのだろう?」と思っていましたから。成績最下位だと留年してしまうので、常に下から2番目の成績を狙っていました。全く誇らしいことではありませんが、「最小限の努力でみんなと同じ卒業をつかむ」ことが目標だったのです。
-その後同じ日吉の塾高ではなく、湘南藤沢(SFC)高等部を選ばれた理由は。
北川:普通部の3年間はとても楽しく、成績以外は充実していましたが、このまま同じ場所で高校生活を過ごしていいものだろうかという疑問が芽生えたのです。とにかく「変化」が欲しかった。結局、普通部からSFC高等部に進学したのは私の他に、もう一人だけだったと思います。ところがSFC高等部は成績優秀で真面目な女子生徒が多くて、普通部ほど自由ではありませんでした。そんなわけで所属していたテニス部の活動以外はあまり力が入りませんでしたが、後半になってSFCという場の多様性に気付いて徐々に楽しくなっていきました。今から思うとあの時代にもっと英語を勉強していれば良かったと思います。その後の米国留学でとても苦労しましたから。
学費のために企業でインターン3年生からは海外で学ぶ
-大学は商学部に進学されました。
北川:世の中の仕組みへの興味ということで、理論から実践まで幅広く学べそうで、カリキュラムの自由度も高かった商学部は魅力的でした。大学の勉強だけでなく、好きなことにチャレンジする時間も欲しかった。ただ、これも今から振り返るとですけれど、学際的な環境のSFCに進学しても面白かったかもしれませんね。
-1年生からインターンシップとしてIT系ベンチャーで働かれていたとか。
北川:両親は大学入学時にまとまったお金をくれて、「あとは4年間、自分でなんとかしなさい」という方針でした。私は貯金を増やそうと、FX(外国為替証拠金取引)を始めたのですが、取引に失敗し、300万円ぐらいのお金をたちまち全て失ってしまったのです。あらためて学費を稼ぐためにIT系ベンチャー企業でインターンシップを始めました。約2年間、ほぼ毎日出社して、最終的に福祉系の新事業を立ち上げ、報酬とともに自分がやっていることが世の中の役に立っているという実感を得ることができました。このときの経験が後に起業する際に大変生かされたと思います。
-大学時代の後半は海外で過ごされることが多かったとか。
北川:はい、ほとんど海外にいましたね。まず労働経済学のゼミの研究対象でもあった中国・深圳で、工場労働者の労働環境を自ら体験するために2カ月にわたって金属加工工場で働きました。想像以上の過酷な環境でしたが、ここでも工場内のムダ解消のプランを提案したりしました。その次に米国に1年間の留学に出かけました。IT系ベンチャー企業でのインターン経験を通して、コンピュータ・サイエンスやエンジニアリング分野を学びたいと思うようになったのです。もともと理数系は得意でした。ただ、英語はずっと苦手で、それでも「なんとかなる!」と思って、ボストン郊外のマサチューセッツ工科大学(MIT)に向かいました。つくづく「もっと英語を勉強しておけば良かった」と後悔しました。しかし、悪戦苦闘しながら半年もたつと周囲の学生とコミュニケーションを図ることができるようになり、講義だけでなく学生行事などにも積極的に参加するようになりました。そこで感じたのはMITの学生たちは誰もがやりたいことが明確で、しかも「世の中の課題解決を通して社会に貢献したい」という気持ちが強かったことです。自分が恥ずかしくなるほど優秀な学生が多く、現在はGoogle、Meta、TESLAの他、ヘッジファンドの世界で活躍している人もいます。こうした素晴らしい仲間に刺激されながら、自分でも社会的な課題を解決して世の中の役に立てるビジネスを手がけてみたいといっそう強く思うようになりました。
-商学部卒業後は東京大学大学院に進学されますが、その前になぜか「サハラレース」に参加されました。
北川:知人からサハラ砂漠を走るマラソンの話を聞いて、「出てみたい!」と単純に思ったのです。それまでマラソンの経験はありませんでしたが、このときも「なんとかなる!」という見切り発車で参加を決めました。灼熱の砂漠を7日間かけて250㎞の距離を走るわけですから、それこそ命がけ。本番と同じ15㎏分の水を入れたペットボトルをバックパックに詰めて、真夏の炎天下、トレーニングのため自宅から三田キャンパスまで走って往復する生活が始まりました。どう見ても怪しいですから、警察官に職務質問されたこともあります。理由を話してバックパックの中身を見せたら、励ましていただきましたけど(笑)。マラソン本番では脱落者も多く出ました。私も足の爪が7枚もはがれるキツい思いをしましたが、中高時代の成績と同じ「ビリから2番目」(笑)でなんとか完走することができました。これでまた私の「なんとかなる!」精神が大いに触発され、帰国後に受験した東京大学大学院の試験も気軽な気持ちで受けることができ、無事パスすることができました。
自分のビジネスが移動の未来をつくる自負と確信
-大学院ではどのような研究をされたのですか。
北川:防犯カメラの映像から人の流れを分析するなど「移動体」のデータ分析に取り組みました。ちょうどその頃、MIT留学時代の仲間がGoogleやTESLAで自動運転や電気自動車に関わっており、米国では車両にデバイスを取り付けて情報収集し、事故防止、渋滞緩和、自動運転支援などに活用するビジネスが登場していました。米国では主に一般消費者をターゲットにしたビジネスでしたが、これをBtoB向けに日本で始めることに可能性を感じたのです。クルマの走行データを集めたプラットフォームを構築すれば、交通分野だけでなく、保険や都市計画、各種マーケティングなど多様な分野でビジネスの可能性がどんどん広がる……これはもう自分で起業するしかないと、大学院在学中の2013年に株式会社スマートドライブを創業しました。
-起業当時のことを教えてください。
北川:米国留学時代から「移動」の世界に革命が起きるということはリアルに感じていましたし、自分が目指す移動体データ分析と走行データのプラットフォームづくりが、その革命のスピードを加速するという確信もありました。ようやく自分が本当にやりたいことができるという喜びの下での起業でした。もちろん当初は苦しかったです。プラットフォームどころか、データを集めるデバイスも一から開発しなければならない。そのためには多くの優秀なスタッフ、技術者も必要です。デバイスの開発には億単位のお金が必要でしたから資金調達にはずっと苦労がありました。私個人で数千万円借金して、会社に貸すこともやっていました。でも、「なんとかなる!」。諦めようとは全く思いませんでした。自分のビジネスは社会的に大きな意義を持つという自負がありましたし、何より心からやりたいことをやっているのですから。逆に諦めずに粘り強く続けることで必ず未来が開けると信じていました。
-現在は100名近い社員を抱え、大手自動車メーカーや物流、損保など多種多様な業種の企業と取引されています。
北川:はい。とはいえまだまだやるべき課題は多いのです。2019年にはタイ、マレーシアにオフィスを設立し、渋滞や事故頻発など交通課題が多い東南アジアに向けたビジネスも展開しています。私たちが目指すのはグローバルなプラットフォームですから、当然、世界を視野に入れなければなりません。コンピュータの「Windows」、通信の世界の「iPhone」と同じく、移動の世界に「スマートドライブ」が欠かせない……そんな未来を目指しています。また、最近ではテニスやバスケットボールといったプロスポーツ選手のサポートも始めました。これはスポーツ支援を通した社会貢献であるとともに、世界レベルのアスリートのメンタリティーから私たちも学びたいという思いもあります。私たちスマートドライブはまだまだ成長しなくてはなりません。
-最後に塾生へのメッセージをお願いします。
北川:私は自分が好きなこと、心から面白いと思ったことしかできない人間です。そんな私に慶應義塾という環境は最適だったと、今振り返ってつくづく思います。後輩の皆さんには心置きなく、好きなことに取り組んでほしい。また、慶應義塾は個性にあふれた人間が集う刺激的かつ多様性に富んだ場です。まさに独立自尊。そうした環境を存分に生かして、とことん自分の関心を突き詰めてください。きっと「なんとかなる!」はずです。
-本日はありがとうございました。
この記事は、『塾』SUMMER 2022(No.315)の「塾員山脈」に掲載したものです。