卒業生 大友啓史君(法学部卒)
2022/01/31
大友啓史(おおとも けいし)/映画監督
1990年法学部法律学科卒業。同年、NHKに入局し、秋田放送局で報道、娯楽、スポーツ、ドキュメンタリーなどの番組を担当。1994 年からドラマ番組部に在籍。1997 年から2年間、ハリウッドへ留学し最新の映像制作を学んだ。帰国後は連続テレビ小説『ちゅらさん』、『ハゲタカ』、『白洲次郎』、大河ドラマ『龍馬伝』などの演出を手がけ、2011 年独立。映画監督として『るろうに剣心』シリーズ、『プラチナデータ』、『3月のライオン』、故郷の岩手を舞台とした『影裏(えいり)』など数々の話題作を世に送り出している。
野球少年から弁護士志望へ面接に大遅刻した慶應義塾に入学
-子どもの頃の大友さんは野球選手を目指していたとか?
大友:ええ、私の野球少年としての出発点はスーパースター・長嶋茂雄の引退セレモニーでした。ファンに向かって「巨人軍は永久に不滅です!」と挨拶した長嶋はかっこ良かった。「自分も野球をやらなくては!」と決意し、地元のチームに入って、毎朝5キロのランニングを欠かさないスポ根少年になりました。
でも、中学生になると、次第に自分にはプロになれるほどの才能がないことに気づくわけです(笑)。また、無茶なトレーニングがたたって膝に水がたまってしまい、高校では野球を断念。父の転勤で、高校時代は盛岡で一人暮らしを始めたこともあり、勉強にも身が入らず、暇つぶしに盛岡にある映画館街によく通い、ヨーロッパ映画などを見ていました。おかげで成績は急降下。現役で国立大学を受験しましたが、数学と古文がまるでわからずに不合格。今でも仕事で追い詰められたりすると、全く解けない数学の試験の夢でうなされることがあります(笑)。
-一浪して慶應義塾大学法学部に入学されたのですね?
大友:中学生ぐらいからさまざまな社会問題に関心を抱くようになり、社会正義を実現する弁護士になりたかったのです。バンカラなイメージに憧れて、実は第一志望は早稲田大学でした。しかしなぜ慶應義塾に入学することになったかというと、面接試験に遅刻してしまったことがきっかけでした。面接の日に寝過ごして時間ギリギリで三田キャンパスに着いたら、なんと試験会場は日吉だってことに気がついた(笑)。慌てふためいて日吉に向かいますが、大幅に遅刻。それでも面接してくださったので、「慶應、フトコロ深いな!」と(笑)。当然、落ちたと思います。ところが合格。父に相談すると「ご縁は(早稲田より)慶應だろう」と言われ、私もそう思い入学を決めました。
入学後は、司法試験の受験準備を始める一方で、バブル経済真っ盛りの頃でしたから、周囲の学生がみんなおしゃれで、「負けずにおしゃれしなきゃ!」とDCブランドの服を着て頑張っていました。そのうち司法試験の勉強が行き詰まります。勉強のために判例などを読むと事件の当事者の名前が「甲・乙・丙」という無味乾燥な記号に置き換わっている。そこに生身の人間がいないのです。例えば、「大友○○(55)」と名前や年齢などがないと、事件の中身がまるでイメージできません。そこで自分はつくづく非論理的思考の人間なのだと気づきました。どう考えても弁護士に向いていない。そこできっぱりと司法試験は諦めて、またもや映画三昧の生活に戻っていきます。ゼミは「国際法」を選びました。具体的には宇宙開発の進展とともに問題となっていた人工衛星の破片などの宇宙ゴミ=スペースデブリに関する国際的なルール「宇宙法」について考察しました。これは面白かった。なかなか結論が出せない問題であることも良かった……やはり弁護士には向いていませんね(笑)。
面接官と縁を感じてNHKに入局ハリウッドで映像制作を学ぶ
-就職活動はどのように取り組んだのですか?
大友:実は4年生になって文学研究者を目指して文学部への学士入学、さらに大学院進学を考えていたのです。ところが周囲の就職活動の勢いに押され、自分もなんとなく企業訪問を始めました。さまざまな業界で活躍されている慶應義塾の先輩方のお話を伺ってみると、これがとても面白い。結局、50社以上訪問し、その中でメディア・広告業界などに興味を抱きました。それでもまだ大学院に進むつもりでしたから、あくまでも予行演習のつもりでNHKの入社試験を受けました。面接試験では当時好きだった南方熊楠やダ・ヴィンチへの思いや、戦争で片足を失った兵士がないはずの足の指先にかゆさを感じる「幻肢」という現象を取り上げた「NHKスペシャル」を見て考えた、映像時代の「感覚」について話しました。すると面接官がとても興味深く聞いてくれてすっかり意気投合。そこでご縁を感じてNHKに就職する気持ちが固まりました。
入局後は秋田放送局に配属になりました。そこでは独自制作の番組作りに力を注いでいて、私のような新人でもいろいろな番組に関わることになりました。その経験は今でも血肉となっていると思います。ただドラマはやっていなかった。あるとき、私の仕事に興味を持ってくれていた先輩プロデューサーに「ドラマをやってみたい」と話すと、私を当時夜のドラマ枠だったドラマ新銀河のチームに引き抜いてくれました。ただそこで私はやりたいことが何もできなくて無力感とストレスがたまっていくばかり……。その後、高視聴率を得た大河ドラマ『秀吉』の制作を経て、2年間ハリウッド留学をさせてもらうことになりました。
-どのような留学生活を送られたのですか?
大友:南カリフォルニア大学(USC)などで、新しいテレビや映画制作の方法論を学び、映画の撮影現場を見聞しました。ロサンゼルスで過ごした2年間で、ハリウッドで活躍する多くの映像制作の専門家たちと知り合うことができ、香港などから学びにやって来た映画人からも刺激を得ました。また自分で脚本を書き始めたのもこの留学中のことです。そんなふうにハリウッドの映像制作の現場にどっぷり漬かった日々を送りましたから、1999年に帰国後はあまりのカルチャーギャップに出社拒否のようになっていたこともあります。しばらく自分がやりたいことができずに悩んでいましたが、土曜ドラマ『ハゲタカ』(2007年放送)でようやく手応えを感じたものです。
-『ハゲタカ』は国内外で数多くの賞を受賞し、後に大友さんが監督を務めて映画化もされるなどたいへんな話題作となりました。
大友:ずっと骨太の社会派ドラマをやりたいという気持ちがありました。それがようやく実現できたのが『ハゲタカ』。その後、自分で脚本も手がけた全3回のドラマ『白洲次郎』(2009年放送)も高く評価され、大河ドラマ『龍馬伝』(2010年放送)を手がけることになります。大河ドラマにそれほど興味はなかったのですが、坂本龍馬という幕末の人気キャラクターを自分なりに描いてみたいという気持ちが勝りました。制作にあたっては、カメラ機材や撮影のスタイルなど、従来の大河のルールを過激に変えていきました。周囲からは「大友はNHKを辞めるつもりじゃないか」という目で見られるようになり、私も自分の撮りたい作品を一から自分の手で作り上げてみたいという欲求が高まっていました。そして『龍馬伝』の撮影後半になると外部から映画のオファーが舞い込むようになり、その一つが独立後の監督第一作となった『るろうに剣心』です。
新しい映像制作への挑戦と被災した故郷への思い
-大友さんがNHKを退職され、独立した年には東日本大震災がありました。
大友:退職は2011年4月でしたから震災の日はまだNHKの職員で、被災地の惨状をニュース映像で見て大きなショックを受けました。同時にこのタイミングで組織を離れる自分は大丈夫なのかという不安もありました。幸いにも『るろうに剣心』のワーナー・ブラザースは外資系ですから、撮影は予定通り8月にクランクアップされました。この作品の大きな魅力であるアクションシーンに関してはハリウッドで学んだ方法論や知り合った専門スタッフの力を存分に生かし、それまでになかった新しいアクションのカタチを作り上げることができたと思います。
-海外でも人気作となりました。独立第一作から大きな手応えを感じたのですね。
大友:それは良かったのですが、一方で多大な被害が出た故郷・岩手県への思いが募っていました。それまであまり顧みることのなかった故郷に足を運ぶようになり、小・中・高時代の仲間と旧交を温めました。さらに映画人として何か地域のために尽力したいと、高校時代にお世話になった盛岡の映画館街のイベントや、『武士道』の著者で盛岡出身の新渡戸稲造の生誕150年記念イベントを『るろうに剣心』の公開前に開催しました。新渡戸の『武士道』は『るろうに剣心』のコンセプトに通じるところがあります。その後、2019年に、芥川賞受賞作品が原作の『影裏(えいり)』を作品の舞台となる盛岡で撮影しました。地元の方々にとても喜んでいただいて故郷への恩義を少しは果たせたかなと思っています。
-2021年の独立10年目に、『るろうに剣心』シリーズ最終章2部作が公開されました。
大友:前年公開の予定がコロナ禍で1年延期され、さらに緊急事態宣言下で大都市の映画館が閉鎖されるという事態に悔しい思いを味わいました。個人で国会議員に陳情にも行きましたよ。『るろうに剣心』シリーズは、主人公同様、まさに逆境の中を歩む作品となりました。その中で日本映画の新しいスタイルを切り開いてきた自負があります。第一作から同じスタッフで作り続けたこともあり、キャストを含めてみんなの思いが詰まった作品なのです。
-今後はどのような作品を手がけていくのでしょう?
大友:この10年間、オファーがあった仕事はできるだけ断らずに受けてきました。しかし55歳となって、あと何本映画を撮れるかと考えたとき「そろそろ仕事を選ぼうか」という気持ちになっています。現在考えているのは、日本映画の原点に戻った時代劇、そして硬派の社会派人間ドラマなどで、海外からも企画のオファーが届いています。いずれにせよ、これまでと違う大友啓史をお見せできると思います。
-最後に塾生へのメッセージをお願いします。
大友:こういうご時世だからあえて言うと「人生、思い通りにならないからこそ面白い」。若い頃は自分が思い描いた計画や理想像にどうしてもこだわりがちですが、肩の力を抜いてみると思わぬ縁や出会いがあるものです。また、孤独を楽しむことも人の成長には欠かせません。その一環として映画をたくさん見てください。映画には自分が知らない社会や人を見る窓の役割があります。その窓はアメリカでも、イタリアでも、フランスでも、どこにでも通じています。若い人は映画を通して視野を広げ、自分を深めていってほしい。私も皆さんに心から楽しんでいただける映画作りに邁進します。
-本日はありがとうございました。
この記事は、『塾』AUTUMN 2021(No.312)の「塾員山脈」に掲載したものです。