慶應義塾

最先端のバイオサイエンス研究の環境で 人類の平和に貢献できる研究を追い求めていたら、 「タンパク質素材」にたどり着く

卒業生 関山和秀君(環境情報学部卒)

2021/09/21

関山和秀(せきやまかずひで)/Spiber株式会社取締役兼代表執行役

2005年環境情報学部卒業。2007年政策・メディア研究科修士課程修了。在学中は冨田勝教授に師事。学部1年生から開設したばかりの「慶應義塾大学鶴岡タウンキャンパス(TTCK)」で、冨田教授が所長を務める先端生命科学研究所(IAB)にて学ぶ。大学院生時代に「人工タンパク質」の製品化・量産化を目的にスパイバー株式会社(現・Spiber 株式会社)を起業。2019年には、人工タンパク質素材を使った世界初のアウトドアジャケットを発売し、世界的な注目を浴びる。現在はアパレル向け繊維素材だけではなく、さまざまな分野の素材開発・製造を手がけている。

高校時代から人類の危機を回避する方法を考えていた

-関山さんは幼稚舎から慶應義塾で学ばれてきました。10代の頃からサイエンスや起業への関心はあったのですか?

関山:いえ、小・中学生時代は将来の目標は特にありませんでした。学校ではあまり目立たない子どもで、いつも「なぜ勉強しなくてはいけないのだろう?」とモヤモヤした気持ちで日々を過ごしていたような気がします。

今に至る自分の転機は、高校1年生のときでした。授業でアフリカ・ルワンダでのジェノサイド(民族浄化)をテーマにしたドキュメンタリーを見たのです。それまで感じたことがない衝撃を覚えました。同じ地球上に不条理な死と直面している人々がたくさんいる。いや、もしかしたら数十年後の自分が紛争や戦争に巻き込まれていないという確証などどこにもない。そう思った私は戦争・紛争について調べ始めました。「なぜ人は、国は争うのか?」。その背景をたどると食べ物や水をはじめとした資源の奪い合いがあることがわかりました。そして、今後も地球上の人口が増えていく中で、人は資源を奪い合い、先進国と開発途上国の間で生活水準の格差はますます広がっていく。今度は人類の未来に対する危機感を覚えるようになり、自分の手でこの人類の危機を回避するための貢献ができないだろうかと、さまざまな事業のアイデアを模索し始めたのです。でも、当時の私にはピンとくるアイデアは思い浮かびませんでした。

-そんな関山さんが自分の道を発見したきっかけはなんだったのでしょうか?

関山:環境情報学部・冨田勝教授との出会いです。高校3年生になった頃、冨田先生は義塾高等学校にSFCの魅力をプレゼンしに来校されました。その際、バイオテクノロジーと情報技術を融合させたご自身の研究分野についても、実に熱っぽく語ってくださいました。私はそれを聞きながら、冨田先生が取り組まれている研究こそが地球規模のさまざまな課題を解決するキーテクノロジーになると直感し、先生の情熱あふれる人柄にも惹かれて「大学では冨田研究室で勉強する!」と決めました。しかし当時の成績では環境情報学部への進学は難しく、そこから猛勉強。なんとか希望がかないました。おそらく人生で初めて自発的に勉強した体験でした。

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-SFC・冨田研究室ではどのような学生でしたか?

関山:高校は文系クラスでしたので、理系の基本知識のなさに先生方がびっくりされるような学生でした。自分でも研究者にはなれないと自覚していましたが、一方でやる気だけは誰にも負けないという自負もありました。私が入学した2001年は「慶應義塾大学鶴岡タウンキャンパス(TTCK)」が誕生した年で、冨田先生は先端生命科学研究所(IAB)の所長に就任されました。どうしても冨田先生の下で最先端の研究に携わりたかった私は、本来なら学部生が派遣されるのは2年生からでしたが、冨田先生に頼み込み1年生の秋から鶴岡に行くことができました。

-念願のIABでの研究はいかがでしたか?

関山:IABでの私はちょっと毛色の異なる学生だったかもしれません。起業に結びつく自分なりのシーズを生み出そうと思っていました。しかし目標である「人類の平和に貢献できる研究」のテーマはなかなか見つからず、3年生になる頃には、また中学生の頃みたいなモヤモヤした気持ちを味わうことになったのです。

-そのモヤモヤからどのように脱したのですか?

関山:当初は学部卒業後に米国に渡り、世界的にトップクラスのハーバードビジネススクールで学ぼうと思っていました。起業のためにはビジネスを本格的に学ぶことは有益ですし、ビジネススクールの近くには有名なバイオ分野のラボもありました。米国の研究者と仲良くなって起業するのもいいかもしれない……。そんな思惑もあって冨田先生に推薦状を書いていただこうと相談に訪れたところ、私の話を聞いた先生は「関山がそんなに器が小さいやつだとは思わなかった。残念だ」と、真っ向から否定されたのです。IABは世界最先端のバイオサイエンスの研究所であり、そこに居ながら自分の研究テーマが見つからないなら、どこに行ってもダメだと。最初は予想外の先生の言葉にあっけにとられ、ムッとしながら反論しました。しかし冷静になってよくよく考えてみると、先生の言うことが全く正しい。私は米国の一流ビジネススクールや著名なラボという「他人のフンドシ」で相撲を取ろうとしていたのです。世界にインパクトを与え、世界を変えるような研究は、やはり自分で作り出さなければなりません。今では「器が小さい」と言われた冨田先生の言葉の重みがとてもよくわかります。

「ダメもと」でスタートした人工タンパク質素材への挑戦

-その後、「クモの糸に着目した研究」に取り組まれるようになりました。

関山:さまざまなテーマの研究を手がけた末に着目したのが「クモの糸」。自然界に存在する繊維として最も強靱で柔軟といわれるクモの糸を人工的に作り出すことができれば、石油などの化石資源に頼らない画期的な素材ができるかもしれない。それこそ私が高校時代から求めていた「人類の平和に貢献できる研究」だと思いました。当時、誰も成功していなかった研究領域であることも、裏を返せばビジネス的には大きなチャンスです。まさに自分がやるべき研究だと考え、学部生の頃から本腰を入れて研究を始め、博士後期課程1年目の2007年に塾高時代からの友人、冨田研究室の後輩の3人で「スパイバー」を立ち上げました。当時の技術ではクモの糸を人工的に作り出すことは難しいとされていましたし、米国の国防総省やNASAでさえ開発に成功していなかった。それを自分たちでやってしまおうというのですから、正直言って「ダメもと」での起業です。

2007年、創業メンバーと冨田先生

-なぜクモの糸にそこまで熱中したのでしょうか?

関山:クモの糸そのものに関心があったわけではなく、人の皮膚や髪と同じタンパク質からできていることが重要でした。タンパク質は20種類のアミノ酸からできています。DNAはそのアミノ酸配列の設計図で、それを微生物に組み込んで発酵培養させることで理論的には人工タンパク質を作ることができます。その主原料には石油などの化石資源は不要ですから、この繊維が広く使われるようになれば地球温暖化の進行を遅らせることができるかもしれません。しかも生分解性の素材なので既存素材と比較して土壌や海洋環境へ与える影響も軽減できると考えています。さらにDNAに書き込む設計図を変えると機能が異なる素材を作ることができる。一つの工場で多種多様な素材を製造できるわけで、製品ごとに工場やラインを新たに設ける必要があった従来の素材製造に比べて飛躍的なコストダウンが可能になり、環境負荷も大幅に低減することができます。

-理論的には可能な「人工タンパク質」も、実際に実用化できるほど作り出すまでにはご苦労があったとか。

関山:はい、最初はほんの少量しかできなくて周りにはそれを笑う人もいました。でも私はできたこと自体に感動がありましたから、諦めずに意欲的に研究を進めていると、徐々に生産量が増えていきました。2009年には私たちの研究に期待して出資してくれるベンチャーキャピタルも現れ、2013年にようやく人工タンパク質繊維で作った1着の青いドレスを発表することができました。2015年にはゴールドウイン社との業務提携が始まり、2019年にはTHE NORTH FACEから人工タンパク質素材を使った世界で初めてのアウトドアジャケット「ムーン・パーカ」を発売しました。現在アパレル領域での開発が進んでいますが、その開発の中でクモの糸の特性だけを追求していては、ニーズに合った素材、ひいては製品を作れないことに思い至りました。課題を克服する中で、用途や目的に応じてさまざまなタンパク質素材を生み出す技術を確立し、その生産方法になぞらえて訴求すべく、新たに開発素材の総称として「ブリュード・プロテイン™」と名付けました。いま、バイオサイエンスの世界はそれこそ指数関数的な進歩を遂げています。ダメもとでスタートした「スパイバー」の成功は、そうしたバイオテクノロジーの急速な進展というタイミングにも助けられてきました。現在、数社の海外企業も我々と同様の開発に取り組んでいますが、世界に先駆けて実現することが私たちにとって重要だったのです。

株式会社ゴールドウインとの共同研究開発による商品

産業のエコシステム・デザインを世の中に広めていくことが目標

-現在は、さまざまな用途の素材開発を手がけていますね?

関山:はい、タンパク質を素材として使いこなせるようになれば他にもさまざまなものに活用できるため、実際の製品の発売をきっかけに多くの企業や研究所とのアライアンスが進み、企業としてできることが大きく広がってきています。現在はクルマのドア素材やメディカル分野の素材、また人工肉などフード分野での研究開発も進めています。まずはアパレル・輸送機器分野での開発が主軸となりますが、長期的には人の生命と健康に関わるメディカルとフード分野での素材・製品開発にも力を入れていきたいと考えています。さらに、サステナブルな社会と人間のウェルビーイングを目指すビジネスを、他の企業との連携によって生産からリサイクルまで一貫した新しい産業のエコシステム・デザインとして世の中に広めていきたいという夢があります。

-関山さんにとって鶴岡とはどのような土地ですか?

関山:気がつけば人生の半分以上を鶴岡で過ごしています。大人になってからの人間関係はほとんどこちらに来てから築かれたものですし、こちらで家庭も持ちました。とても住み心地の良い土地で、海も山も近く、お米、野菜、魚など地元の食材はみんなおいしい。こうした環境は子育てにも最高だと思っています。

現在も公私ともにお世話になっている冨田先生率いるIABからは、この20年の間に「スパイバー」をはじめ多くのシーズが育ちました。次の20年はそうしたシーズを大樹、すなわち大きな新産業として育てていくフェーズではないかと考えています。今や世界のバイオサイエンスを先導する存在であるIABには、そのための環境が十分整っています。

-最後に塾生へのメッセージをお願いします。

関山:私が冨田先生にお世話になったように、先生やご両親は皆さんのことを親身に考えてくれるでしょう。しかし、最終的に幸せをつかみ取るのは自分自身です。周囲の声にあまり振り回されず、自分がどのような人生を送りたいか、自分にとっての幸せとは何かをとことん考えてほしいです。大学時代はそういうことを考える時間がたっぷりあるのですから。

-本日はありがとうございました。

この記事は、『塾』SPRING 2021(No.310)の「塾員山脈」に掲載したものです。