慶應義塾

コロナ禍で絶たれた南米渡航の夢と新しい挑戦

登場者プロフィール

  • 山﨑真敬(やまざき まさたか)

    医学部 外科学教室(心臓血管)専任講師

    IMA第43次派遣団団長として学生をサポート。

    山﨑真敬(やまざき まさたか)

    医学部 外科学教室(心臓血管)専任講師

    IMA第43次派遣団団長として学生をサポート。

  • 松島宏和(まつしま ひろかず)君

    医学部6年。IMA第43次派遣団の学生責任者。

    松島宏和(まつしま ひろかず)君

    医学部6年。IMA第43次派遣団の学生責任者。

  • 中村竜也(なかむら たつや)君

    医学部6年。IMA第43次派遣団会計担当。

    中村竜也(なかむら たつや)君

    医学部6年。IMA第43次派遣団会計担当。

  • 倉堀智一(くらほり ともかず)君

    医学部6年。IMA第43次派遣団渉外担当。

    倉堀智一(くらほり ともかず)君

    医学部6年。IMA第43次派遣団渉外担当。

医学部 国際医学研究会(IMA)

2021/03/29

慶應義塾大学医学部 国際医学研究会(International Medical Association)、通称IMA(アイマ)は6年生の夏季休暇を利用し、ブラジルなどの南米で医療活動や研究発表などに取り組み、国際交流や異文化理解を深めている学生団体です。40年以上の長い歴史がありますが、2020年度・第43次派遣団の松島宏和君(医学部6年、学生責任者)、中村竜也君(同、会計)、倉堀智一君(同、渉外)は新型コロナウイルス感染症拡大の影響により、史上初めて海外渡航が叶わない代となってしまいました。しかし3人は「国際医学生会議」として世界8カ国の医学生がオンラインでつながり、それぞれどのような思いでコロナ禍に立ち向かっているのかを語り合う機会を一から作り上げました。その奮闘と3人の思いについてご紹介します。

南米で“医の原点”に触れるIMA

IMAは1978年、当時6年生だった医学生3人が医師になる前に国際感覚を身に付け、見聞を広げる経験をしたい、と南米に渡ったことがきっかけで創設。以来、そのスピリットは脈々と受け継がれ、地球の裏側にある南米・ブラジルでの活動が伝統的に続いてきました。ブラジルは先住民が暮らす未開の地もあれば、最先端の医療が整ったサンパウロのような大都市もあり、幅広い観点から見聞を深めることができます。中でもハイライトはアマゾン川を下る巡回診療船で医療設備が整わない地域をめぐり、聴診器一つで患者さんと向き合うこと。6年生で“医の原点”とも言える体験に触れることは、将来、医師となる団員にとって唯一無二とも言える人生の糧となるのです。

団員は例年、4年生の後半に募集があり、面談などを経て3~4人が入団。毎回、医学部の職員が団長としてサポートしていて、第43次は、IMA第21次派遣団の団員としてブラジルを訪れた経験のある山﨑真敬専任講師(医学部外科学教室(心臓血管))が務めました。

IMAの渡航先や活動内容は学生が主体になって決めるのが伝統ですが、山﨑団長によると基本的に渡航先は南米が多く、中でもブラジルはIMAにとって“聖地”のような存在だと言います。

「地球の真裏にあり、日本では想像しえない世界が待っているのがブラジルです。多くを学ぶのはもちろんですが、何よりIMAの活動を現地で長年にわたってサポートしてくださっている三田会の存在がとても大きいのです。この長い歴史を持つIMAと現地・三田会との強い絆が、ブラジルを聖地と言わしめる大きな要因であると考えています」。

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IMAに憧れ、夢を追い求めて志望した

このようなIMAの活動に憧れ、門を叩いたのが第43次の3人です。

学生責任者を務めた松島君は医学部の体育会水泳部出身。1年生のころから「ワクワクする生き方をしたい」と考えていたところ、IMAの活動を終えブラジルから戻った先輩の頼もしい姿を目にし、その背中を追うようになりました。また、慶應義塾大学病院長の北川雄光教授もIMAの第8次団員であり、講演や学会などでIMAでの経験について語っていたのを聞いたことも、入団への強い意志を後押ししました。

会計担当の中村君も医学部体育会水泳部出身で、IMAに参加した先輩や過去の団員たちが多方面で活躍している様子を知り、早くからIMAに興味を持っていた一人。「幅広い価値観に触れたい、と言うのが入団を決めた大きな理由です。また、高度な医療が提供できない場所で医師としてどう行動すれば良いのか。医師としてあるべき姿を探すため、IMAに入ろうと決めました」。(中村君)

一方、渉外担当の倉堀君は医学部体育会山岳部出身。もともと医療の多国間協力や公衆衛生など国際保健に興味があり、3年時には中央アフリカにあるコンゴ民主共和国やインドを訪問するなどしてきました。これらの経験から「世界には医療が満足に受けられない地域があり、命に対する価値観にも違いがあることを知りました」と話し、さらに見聞を深めたいとIMA入団を志望しました。

倉堀智一君

新型コロナで消えた夢

すべてのスケジュールが決まり、いよいよ渡航の年となった2020年。チケットの手配も始め、夢が間もなく叶う、という段階になって、新型コロナウイルス感染症の影響が徐々に世界全体へ影を落とし始め、計画を白紙にせざるを得なくなりました。

心が折れた3人は「ブラジルに行けないなら自分たちの代はなかったこととし、第43次は一つ下の代に務めてもらいたい」という話し合いまでするようになっていました。

中村竜也君

IMAの先輩として伝えたかったこと

一方、山﨑団長は「(第43次は)空中分解寸前だった」と振り返りながらも、決して3人を叱咤せず、見守ることに徹していました。

「思い通りにできない虚しさや悔しさを多くの人が抱え、心を病んでしまう人も多い世の中にあって、渡航できなくなった彼らが思い悩み、やる気を失うのは普通のことだと思いました。だから私が最後に考えたのは、どうやって彼らを第43次の団員として残すか」。

山﨑団長がそう考えた理由には、「IMAの魅力は何と言っても人と人とのつながり」だと感じた自身の原体験があります。

「私が研修医のとき、IMAの創設メンバーである大上正裕先生がいつも新しいことに貪欲で、目をキラキラ輝かせながら仕事をしている姿を見て感銘を受けました。その出会いが外科医になることを決めたきっかけです。また、私が団員だったときの団長である上田敏彦先生は私にとって心臓外科の父とも言える存在。ほかにも多くの人との巡り合わせによって今の自分があり、IMAは私の人生で一番根っこのところにあるのは間違いありません。おそらく医師になってから10年、20年後、この団体で活動した本当の意味を知ることになるでしょう」。

山﨑真敬団長

葛藤から生まれた国際医学生会議

山﨑団長の思いを知る由もなく、3人は4~5月にかけて何も考えられず、全員、沈黙の状態でした。

緊急事態宣言の発出で大学生を取り巻く日々の教育環境も激変し、医学部でも朝から夜までずっとオンライン授業で、本来なら手術に立ち会って学ぶべきことも映像で知識を補う日々になりました。

そのようなときにふと頭に浮かんだのは「海外の医学生は今をどのように過ごしているのだろう」という疑問でした。いくつかの国では医学生でもコロナ患者の対応にあたっている、という報道もあったことから世界の状況を知り、コロナ禍のような緊急事態に医学生は何ができるのか考えることはできないか-。そう思い立って立ちあげたのが、オンラインによる「国際医学生会議」だったのです。

当然、0の状態から1つ1つ作り上げていくのは並大抵のことではありません。「一番大変だったのは海外の医学生をどう集めるか、という問題。ブラジルの大学とはもともとつながりがあったので良かったのですが、ほかの国の医学生は先生や友人のコネクションをたどり、連絡に連絡を重ねました」。(中村君)

試行錯誤の結果、日本、ブラジル、アメリカ、イタリア、スペイン、タイ、中国、韓国の計8カ国から医学生が集まり、2020年7月25・26日、2日間をかけてプレゼンテーションやディスカッションが繰り広げられました。

オンラインで開催された国際医学生会議

オンラインとは言え、やはり生の声を聴くことで初めて知ったことも多くありました。「授業や実習にも制限があり、不満が溜まっているのは自分たちと同じだな、と。その中でもタイの医学生が、実習できない分、学生ならではの広報活動などで貢献したい、といったことを話していて、そのパッションに感銘を受けました」。(倉堀君)

制限がある中でも、何とかして社会に還元できないか、考えている人が多い印象だったという海外の医学生たち。一方で日本にいる自分たちは何もやってこなかったのではないか、ということに気づかされます。

松島宏和君

若い力を使って、あきらめず挑戦を

「人生にはいくら頑張っても報われない努力もあり、良い結果が得られたり、誰かに褒められたりすることばかりでありません。でも、報われなかったことを悔しがったり、何かのせいにしたりするようでは駄目なんですよね。やはり若い人たちの特権はエネルギーが無尽蔵にあること。たとえそのとき望んだ結果が得られなくても、力の限り努力した経験は将来の糧になります。だからこそ3人が未曽有の事態にあらがって、国際医学生会議を成し遂げた姿は誇りに思います」。(山﨑団長)

その言葉の通り、中村君は「国際医学生会議を開催するまでには、途中で投げ出したくなる困難は何度もありました。しかし行動しているうちにどんどんモチベーションが上がり、絶対に成功させたいと思えるようになりました」と話し、とりあえず行動することがいかに大切かを実感したと言います。倉堀君も「困難な状況でもやれることはあるというのが分かりました。あきらめず挑戦してほしい、というのが後輩たちに一番伝えたいこと」と語りました。

1月末には第44次の後輩が2回目の国際医学生会議を開いたばかり。3人が入り口を作ったこの会議は今後も継続されて、海外渡航が自由になった暁には、対面での会議が実現するかもしれません。

IMAを「自分なりの“医の原点”というものを徹底的に追及していく団体」と表現した松島君は今回の経験を通し、「コロナだから仕方がない、といった言葉に甘んじているようでは、チャンスを無駄にしていたと思います。時代や空気に何となく流されるのではなく、自分がやりたいことやワクワクすることは何なのか。感性を研ぎ澄ませ、一歩踏み出す勇気をIMAの活動を通じて学ぶことができました。いつになるか分かりませんが、いつか必ずIMAのメンバーとしてアマゾンへ行こうと心に決めています」と力強く話してくれました。

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※記事中の所属、学年、職名等は掲載時のものです。