慶應義塾

自分らしく働くためにSNSを駆使しながら ノマドワーカーの道を切り開いた。 そして今、「書く」ことの原点に立ち戻る

卒業生 安藤美冬君(法学部卒)

2021/11/30

安藤美冬(あんどう みふゆ)/作家・コメンテーター

2004年法学部政治学科卒業後、株式会社集英社入社。広告部、宣伝部で勤務した後、30歳となった2011年に退職。フリーランスとなる。SNSで情報発信することで仕事をつくるスタイル、場所や専門領域にとらわれない自由な働き方が「ノマドワーカー」の先駆けとして注目され、メディアにも多数取り上げられる。今年、3年半ぶりの著書『新しい世界へ』(光文社)、『「売れる個人」のつくり方』(Clover出版)を刊行。現在は書籍やコラムの執筆活動を中心に、オンラインサロンの運営や有料書評ラジオの配信なども行う。

作家・ジャーナリストを目指して世界中を旅して歩いた

-安藤さんは大学時代に交換留学や世界各国へバックパッキングの旅をされていたとか。海外への興味はいつ頃から?

安藤:最初の海外体験は16歳のときでした。東京都の国際交流事業で高校生を中国に派遣するプログラムがあって(現在は休止)、魯迅が大好きだった私は、すぐに応募して派遣メンバーに選ばれました。初の海外はワクワクの連続で、そのときの感動が大学入学後のバックパッカー生活につながっていると思います。

英語は大好きでした。小学生で外国人の友人をつくって、中学生になるとNHKラジオの英会話講座を欠かさず聞き、高校では英語で演劇をするインカレサークルに所属。また、父が世界史などを教える社会科教師だったので、『三国志』やヨーロッパ史などについて詳しい話を聞けたことも広い世界への興味につながったと思います。10代の頃の憧れはスペインの無敵艦隊(笑)で、大学でも第二外国語としてスペイン語の授業を取りました。

-慶應義塾大学に入学されたのはなぜですか?

安藤:慶應義塾大学は作家を多く輩出しているという印象が強かったからです。当時から書くことが大好きで、小学生で詩を、中学生で小説を、高校生で脚本を書いて、友人が映像化したりしていました。子どもの真似事レベルですが、創作活動が楽しく、作家に憧れるようになりました。他大学にも合格したのですが、なぜか母から「あなたは絶対慶應に向いている」と強く勧められたんです。母のカンは鋭いので、従って良かったと思います。

-入学後の学生生活について教えてください。

安藤:大学生活が始まってみると、自分はつくづく座学に向いていないと身にしみて感じました(笑)。そこから紀行文学の金字塔である『深夜特急』の沢木耕太郎さんなどの影響で海外バックパッカー生活が始まります。バイトしてお金を貯めたら海外へ旅に出るということを繰り返していました。東南アジアの場合、10万円あれば2カ月生活できたのです。海外で見聞を広め、いろいろな人と出会うと、やはり私はフィールドワーク的な学びが合っていると実感できました。そして気がついたら世界20カ国以上に足を運んでいたのです。でも日本にいるときは学科やスペイン語のクラスなどで友達をたくさんつくりましたよ。いろいろな人とすぐに仲良くなれる性格は海外でも、大学でも大いに役立ちました。

-学部のゼミ活動はしていましたか?

安藤:ラテンアメリカ政治研究の出岡直也教授のゼミに所属していましたが、実はあまり熱心な学生ではありませんでした。ゼミに入る直前、内閣府(当時は総務省)主催の国際交流事業「世界青年の船」の参加青年として1カ月間以上日本を離れたことがあったのですが、その船で出会ったオランダ人青年たちに影響され、海外留学を志すようになりました。そこで先生に相談したところ「1年間あなたのことを見ていて、フィールドワークの人だということがよくわかりました。最後に論文を書けばいいから、行ってらっしゃい」と快く送り出していただいたんです。おかげで思う存分、留学のための勉強や準備に打ち込むことができ、寛大な出岡先生には今でも感謝しています。

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留学や就職を通して考えた自分に最適化した働き方

-4年生のときにはオランダ・アムステルダム大学への派遣交換留学をされています。

安藤:周囲が一斉に就職活動をする中、第一志望の大学に合格できたので留学しました。この留学の中で私は多くのかけがえのない体験をすることができました。

アムステルダムに向かったのは2001年の8月末。この年、オランダでは世界で初めて国家が同性婚を認める法律が施行され、同年には尊厳死を認める法律も成立していました。そしてオランダに到着して2週間もたっていない9月11日、「アメリカ同時多発テロ事件」が起きたんです。私たち世界各国から集まってきた留学生はこの事件について熱く議論を戦わせました。中東地域をはじめ、当事国の米国やイスラエルからの学生もいました。さらにオランダでは2002年から欧州通貨ユーロを完全導入することが決まっていました。2001年の大みそかの夜、留学生仲間と銀行のATMでお金を引き出してみて、自国通貨ギルダーからユーロに切り替わった瞬間を体験した思い出は忘れられません。私の留学期間はちょうどそうした世界の大きなうねりの時期だったのです。今では日本でも当たり前に使われている「ワークシェアリング」という考え方にも留学先で出会いました。オランダで学んだ働き方の多様性に関する考え方は、その後の私の人生に大きな影響を及ぼしています。

オランダ留学中の友人と

留学から帰国して秋採用の就職試験を片っ端から受けたのですが、ことごとく落ちました。もちろんそのことはつらかったのですが、就職活動を通じて新しい仲間に出会い、OB・OG訪問で義塾の先輩のお話を伺ったことはとても有意義でした。どうしてもマスコミに就職したかったので、親に頼み込んでもう1年留年させてもらい、翌年の春からの就職活動を始めました。そこで自分の意識を変えてみたのです。採用倍率などの数字に惑わされず、採用か不採用かは五分五分の確率……そう思って就職試験に臨むとなぜか連戦連勝。最終的に集英社への入社を決めました。

入社後は営業部門で広告職を担当しました。当時は雑誌の黄金時代で広告がどんどん集まる時代。本当に忙しく働きました。仕事自体は好きだったのですが、ミスをすると広告主に多大な損害を与えるストレスフルな職場です。ついに3年目に身体が言うことを聞かなくなり、半年間休職することに。それでも半年後、私が第一志望としていた宣伝部の上司が声をかけてくれ、そこで水を得た魚のように仕事に取り組むようになり、PR担当としてヒット作も出すことができました。新入社員当時に仕事を教えてくれた先輩方にも、新しい部署で仕事を任せてくれた上司たちにも、本当に感謝しています。

-ところがその後、30歳で会社を辞めてフリーランスに転身されていますね。

安藤:私は覚えていないのですが、当時の同僚の話では、入社当時から「将来は独立したい」と話していたそうです。確かに作家志望でしたから、独立は頭の片隅にはあったのかもしれません。その考えを行動に移す一つのきっかけは休職した経験でした。留学中に知った多様な働き方も頭にありましたから、将来を考えると、本当にやりたいことを「自分自身に最適化した働き方で」やりたい、という思いが強くなったのです。まず「30歳で退職」と期限を決めて、独立してもやっていけるための準備として、人と会ったり、セミナーに通ったりし始めました。集英社はとてもいい会社でしたから、辞めることはこわかったです。でもたとえ30歳で失敗したとしてもまだまだ再起の道はあるはず。とにかくやってみよう!と思い切って退職しました。

-フリーランスの活動はどのように始められましたか?

安藤:最初の半年ぐらいはまったく仕事がなく、悶々とした日々を過ごしましたが、退職前からSNSなどで自分の考えややりたいことなどを発信し続けていたことできっかけをつかみました。やがて「こういう仕事があるのですが、やってもらえますか?」といった連絡が少しずつ来るようになりました。いろいろな仕事をしていくうちに時間や場所、仕事内容にとらわれない私の働き方が世間から注目され、さまざまなメディアでも取り上げられるようになりました。

自分らしく生きたいからあえて「こわい」を選ぶ人生を

-柔軟な働き方は「職業・安藤美冬」という言葉で表現されていました。

安藤:フリーランスになったからには自分に最適化した働き方を目指そうと思っていました。仕事も限定せずに、未経験の分野でも積極的に飛び込みました。未経験であることは一つの武器になると考えていたからです。実際にその道の専門家ではなかなかできない私の発想や提案は歓迎されて、さまざまなビジネスの企画やプロデュースに関わることができました。でも実は「職業・安藤美冬」という時代は私の中ではもう終わっていて、2017年にSNSを一時休止して、今は執筆活動に力を入れているのです。

安藤さんの著書、『「売れる個人」のつくり方』(Clover出版)、『新しい世界へ』(光文社)

-今は本を「書く」ことが、情報発信のベースになっているのですね。

安藤:はい。自分の中でSNSやネット中心の時代は終わって、作家志望という原点に立ち戻った感じです。現在、ブログのアカウントはありますが、以前のような自分の考えの発信ではなく、純粋な告知やお知らせに利用しているだけです。

フリーランスになったばかりの頃は、唯一の情報発信ツールだったSNSで多くの仕事や人と出会うことができました。一方でSNSは、逆に無用な競争心や不安感をもたらすことも思い知らされました。思い悩んだ末に2017年、思い切って完全にSNSから離脱しました。2年半ほどネットにもほとんどアクセスしない生活を続けると、周囲からの情報に惑わされることのない自分軸を取り戻すことができました。本当に望むことや、今後やりたいことに向き合えたんですね。

実は先週から都内の脚本家養成スクールに通い始めたんです。10代の頃に創作経験があるとはいえ、ちゃんと書くのは初めてです。これまで書いてきた「ビジネス書」「自己啓発書」とも違うジャンルですし。10代の頃のように、純粋に作品を生み出せる自信もなかった。計算が働いて、キーボードを叩けなくなるんじゃないかって、現実を知るのがこわかったです。でも「こわい」と感じるところに、自分が本当にやりたいことがあるんじゃないかなって思い直しました。だってそのことに本気でなかったら「こわい」とさえ思わないでしょう? 今、40代の私が大学生と肩を並べて講義を受けています(笑)。脚本を書く課題にも毎週取り組んでいますが、自分が決めた道なのですごく楽しいです。

-最後に塾生へのメッセージをお願いします。

安藤:コロナ禍の中で皆さんは不安な気持ちを抱かれているかもしれません。でも、考え方を変えてみれば、今は歴史の大きな転換点に立ち会っているといえるのです。リモート化が一般的となり、今後ますます新しい学び方や働き方が生まれてくるでしょう。若い塾生の方々にはそうした変革の時代を楽しみ、面白がる心を持ってほしい。幕末の激動の中で誕生した慶應義塾はSFCの設立など変革の時代を先んじるしなやかな学び舎です。そうした慶應義塾で学んでいること自体が実は大きなチャンスでもあるのですから、前を向いて、「こわい」ことにも果敢にチャレンジしてください。

-本日はありがとうございました。

この記事は、『塾』SUMMER 2021(No.311)の「塾員山脈」に掲載したものです。