卒業生 廣瀬俊朗君(理工学部卒)
2021/01/26
廣瀬俊朗(ひろせ としあき)/株式会社HiRAKU代表取締役
2005年理工学部機械工学科卒業。5歳でラグビーを始め、大阪の名門北野高等学校を経て慶應義塾大学に入学。蹴球部ではキャプテンとしてチームをまとめた。大学卒業後は、株式会社東芝に就職。ラグビートップリーグの東芝ブレイブルーパスの選手・キャプテンとして活躍し、日本代表にも選出される。選手引退後にビジネス・ブレークスルー大学大学院経営学研究科でMBAを取得。2019年3月、株式会社HiRAKUを設立。日本で開催されたラグビーワールドカップ2019では解説者やアンバサダーとして大会の成功に貢献した。2019年放送のドラマ「ノーサイド・ゲーム」に出演したことでも話題に。
監督の熱意に心を打たれ慶應義塾に進学
-廣瀬さんがラグビーを始めたきっかけは5歳で「吹田ラグビースクール」に入ったことだとか。
廣瀬:私が生まれ育った大阪はラグビーが盛んな土地で、その年齢から始める人は決して少なくないです。始めたのは、チームスポーツを経験させたいという親の勧めでした。当時、実はそれほどラグビーが好きではなく、しかも年度途中の秋にチームに入ったこともあり、すでに出来上がっていたコミュニティに入りにくい雰囲気も感じていました。でも、チームの仲間がやさしい人たちばかりで、「エンジョイ・ラグビー」というチーム方針もあり、次第にラグビーの面白さが分かるようになっていきました。とはいえ小学生になってもラグビーをするのはスクールがある日曜日だけで、平日は学校の友達とサッカーばかりしていましたね。でも、中学校進学のとき、なぜかサッカー部ではなくラグビー部を選びました。多くの友達がサッカーを選んでいたにもかかわらず、です。その頃にはすっかりラグビーの魅力に気付いていたのでしょう。スクールも続けていましたから、週に7日ラグビー三昧の生活になりました。
-学校の勉強との両立はいかがでしたか?
廣瀬:中学1年生の頃は「最低限の勉強だけやればいい」と思っていたのですが、いつの頃からか腰を据えて勉強に取り組む意識が生まれました。それというのも文武両道のラグビー強豪校、大阪府立北野高等学校への進学という目標が定まったからです。祖父の母校でもあり、次第に憧れの存在になっていきました。高校でのラグビーは楽しかったですね。「自分で考えて、動こう」という校風が合っていたのかもしれません。チームのキャプテンを経験しましたし、高校日本代表として戦う経験もできました。
-慶應義塾大学に進学され、蹴球部でキャプテンを務められました。
廣瀬:実はもともとラグビーのスタイルが好きで強かった早稲田大学への進学を希望していたのです。ところがある日、蹴球部の上田昭夫監督ご本人から直接電話をいただきました。まったく突然の電話で驚きましたね。その後も上田監督からは「一緒に強くしよう」などとのお誘いがあり、その熱意に心を打たれました。創部100周年を迎え、これからどんどん強くなるチームだと感じて、一気に慶應義塾大学への進学に心が傾いていきました。実際、私が高校3年生だったその年(1999年度)は3度目の大学選手権優勝を成し遂げ、翌年は優勝こそ逃しましたが関東大学ラグビー対抗戦のタイトルを獲得しています。
-理工学部の学生として学ばれています。理系科目が得意だったのですか。
廣瀬:子どもの頃から算数は得意でした。正しいプロセスで計算すれば、きっちり解答が出るところが好きでしたね。理工学部のキャンパスも練習場も日吉にあったので、勉強とラグビーのバランスがとりやすかったです。またラグビー以外の友人がたくさんでき、"大学生"としての生活も楽しむことができました。所属研究室は震動工学という分野を扱っており、私が手がけたのは電車の架線とパンタグラフの接触に関する研究でした。実はもう少し研究を続けるために大学院進学を考えたこともあります。
監督の思いを選手に伝えるキャプテンの役割
-最終的にはトップリーグの強豪である株式会社東芝に就職されました。
廣瀬:東芝のラグビーチームには、大学時代の出稽古でよくお世話になっていました。チームの雰囲気がとても良くて「この人たちとラグビーができたら楽しいだろうな」とずっと思っていました。慶應のスタイルとは違った個々が動くラグビーにも共感していました。しかし、チームに加入した当初はなかなか自分のプレーが通用しなくて焦りました。今思い返すと、まだまだトップリーグで戦うためのスキルとマインドを持つことができていなかったのだと思います。
-それでもやがてキャプテンとしてチームを率いることになりました。
廣瀬:最初のシーズンは前任の名キャプテン、冨岡鉄平さんのスタイルを引き継ごうとして空回りし、チームがぎくしゃくしてしまいました。そこで2年目には自分らしさを前面に出すことに。チームみんなの話を聞きながらチームづくりに取り組んだところ、自分も、みんなも、ずっと楽しくラグビーに取り組めるようになり、その年のトップリーグ優勝につながったと思います。学生時代と違ってトップリーグでは自分よりキャリアがある選手、技術の高い選手、海外から来た選手などがいます。ただチームを引っ張るのではなく、選手一人ひとりをよく知り、言葉で相手を納得させる能力がキャプテンに求められています。監督もそうした周囲への配慮ができる人間として私をキャプテンに選んだのではないかと気付きました。
-東芝ではベテランと若い選手をペアにする「メンター制」や、トップリーグで「キャプテン会議(現・リーダー会議)」を主催するなど、チームづくりやキャプテンのあり方などについて意識的に考えられていました。
廣瀬:「メンター制」というのはメンターとなるベテラン選手が若手に寄り添うことで、なかなか自分から発言できない若手選手の声を引き出すための方策でした。これによりチームの風通しが良くなったと思います。前任キャプテンの冨岡さんが「キャプテン会議」を設立されました。トップリーグ全14チーム(当時)のキャプテンが集い、チーム間のコミュニケーションと情報共有を図るとともに、日本ラグビー発展のための方策などを話し合いました。
-東芝時代は日本代表にも選出されました。
廣瀬:やはり代表というのは特別な経験です。なにしろ日本国民の期待を背負って戦うのですから、他ではなかなか味わえない思いを抱くことになりました。
-2012年に代表監督(ヘッドコーチ)に就任したエディー・ジョーンズ氏が5年の代表ブランクがあった廣瀬さんを「これまで出会った中でナンバーワンのキャプテン」と抜擢したことも大きな話題となりました。
廣瀬:実は私自身がいちばん驚きました(笑)。監督はこれまでの日本代表の戦い方を繰り返していては世界で勝てないという認識のもと「JAPAN WAY」、自分たちのスタイルを作り上げようとチームを鼓舞しました。確かにその通りで、それまでの日本代表は強豪に負けて当たり前という甘えがあったことも事実です。私はキャプテンとして、どのように監督の強い思いを選手につなぐかという課題に向きあうことになりました。エディーさんは私が出会った監督の中で最も厳しい人で、当時はつらい思いもしました。でも、思い返すとラグビーについてほんとうに多くのことを学ぶことができたと思います。やはり偉大な監督でした。
-代表キャプテンとして臨んだ強豪ウェールズとのテストマッチで見事な勝利を飾ったことは日本のラグビーファンを大いに沸かせました。その勝利は2年後の、ラグビーワールドカップ2015南アフリカ戦での感動的な勝利につながったのではないかと思います。
廣瀬:私自身もそう思っています。キャプテンがリーチマイケル選手に代わった後も、日本代表は確実に強くなっていきました。ワールドカップ2015で、私はベンチ入りできませんでしたが、応援ビデオを上映するなど選手たちのモチベーションアップのために何ができるかを常に考えていました。
ビジネスフィールドからスポーツを盛り上げたい
-選手としても、キャプテンとしても実績を残した廣瀬さんですが、選手引退後は指導者ではなくビジネスの世界を志向され、MBAを取得されました。
廣瀬:選手時代から経営者の方とお話をする機会が多く、これから何をやるにしても社会の仕組みを知らないといけないと思いました。なにより、また違った場所で、プレッシャーを受けてもがきたいという気持ちもあった。自分でもビジネスに取り組みたいという思いが強くなっていたのです。そこで選手引退後の2016年より通信教育で学べるビジネス・ブレークスルー大学大学院で学び、MBAを取得。2019年春に主にスポーツの普及を中心とした事業を展開する株式会社HiRAKUを設立しました。その年はラグビーワールドカップが日本で開催されたので、試合解説やアンバサダー活動、メディア事業をメインに取り組みました。
-ワールドカップでの廣瀬さんの解説はラグビー初心者にもわかりやすいと好評でした。
廣瀬:ありがとうございます。私自身も従来のラグビーファンだけでなく、ワールドカップを機会にラグビーを見るようになった方にもわかりやすく話すことを心がけていました。また、私の発案で世界中からやってくるラグビーファンを国歌やラグビーアンセムでおもてなしする「スクラムユニゾン(ScrumUnison)」というプロジェクトにも取り組みました。これはみんながハッピーな気持ちになれる活動で、私自身もとても楽しんで取り組むことができました。
-今後、株式会社HiRAKUではどのような事業を展開されるのですか。
廣瀬:まずキャプテンのあり方からリーダーシップ教育のコンテンツやプラットフォームを構築し、ビジネスのリーダー教育にもつなげていきたいと思っています。そのほか子どもたちにさまざまなスポーツ体験をさせてあげる場を提供する事業や健康・予防医学のビジネスの構想もあります。今後はこれらの事業構想を具体化させていくつもりです。
-最後に塾生へのメッセージをお願いします。
廣瀬:大学に入学した当初、周囲のスマートな塾生たちが今まで自分が育ってきた環境と違いすぎて戸惑うことがありました。でも、大学という場はバックグラウンドが異なる人たちがそれぞれの個性を発揮しながら、融合していく面白さがあるということに気付き、福澤先生の「独立自尊」に思い至りました。塾生の皆さんにはそうした環境の中で、小さくまとまることなく自分の夢や理想への挑戦を最後まで貫いてほしいです。私も春から慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(SDM)でアスリートのリーダーシップについてあらためて学んでいます。一緒に理想に向かって挑戦を続けていきましょう。
-本日はありがとうございました。
この記事は、『塾』2020 SUMMER(No.307)の「塾員山脈」に掲載したものです。
※所属・職名等は取材時のものです。