卒業生 橋本美穂君(総合政策学部卒)
2020/05/14
橋本美穂(はしもと みほ)/通訳者
1997年総合政策学部卒業。米国・ヒューストン生まれ。小学生時代をサンフランシスコで送り、帰国後は神戸市で過ごす。大学卒業後、キヤノン株式会社に勤務。事業企画の仕事などに携わる。その後日本コカ・コーラ株式会社の社内通訳を経て、フリーランスの通訳者に。金融、製薬、広告・マーケティング、ITなどビジネス分野の通訳をメインフィールドに、各種学会やエンターテインメント分野まで、これまで5000件以上の逐次通訳・同時通訳を担当した。各種講演会や通訳者養成機関の講師としても活躍中。
良い通訳をするために入念な準備を行う
-ビジネス交渉や国際会議、さらにはふなっしーやピコ太郎の記者会見まで、橋本さんは幅広い領域で通訳者として活躍されています。現在は月に30~40件の仕事をされているとか?
橋本:基本的に365日24時間いつでもご依頼をお受けしているからでしょうか。専門外の分野もありますが、案件を選り好みせず、ビジネス界を中心にさまざまな場面で通訳をお届けしています。新たな領域について学び、視野を広げることができるのは、この仕事の大きな魅力だと感じています。これまで眼科の世界について深く勉強をしてきた時期もありましたし、現代美術のテーマを扱い、足繁く美術館に通った時期もありました。ここ数年は、新たなテーマとして畜産分野に取り組んでいます。最初は全く縁のない世界だったので、お引き受けすべきかどうか迷いもありましたが、牛や豚の病気について専門書を読み込んでいくうちに知識が身につき、専門用語も自分の中で定着してきました。
-さまざまな専門分野を扱うとなると、入念な準備が必要ですね。
橋本:本番当日までに資料をできる限り読み込み、知識をインプットしておきます。スピーカーについても可能な限り情報を集め、主にインターネットの動画を使って、その方のパーソナリティー、話すスピードやアクセント、考え方や論点などを把握します。こういった入念な下調べを進めることによって、話し手と通訳者との距離が縮まり、最終的にはまるでその人が話しているような通訳が可能になります。
-言葉を変換するだけではないのですね。話し手の心まで代弁するということでしょうか。
橋本:そうですね。通訳者の言葉が聞く人の心に響いてこそ、メッセージが伝わり、記憶に残るのではないでしょうか。
AI技術の進展とともにますます重要になる「表現力」
-通訳をする際に心がけているポイントやこだわりを教えてください。
橋本:私が目指している通訳のスタイルは、ひとことで言えば「当意即妙」です。これには3つのポイントがあって、まずは「正確性」。これは当然のことですね。次に「スピード」。通訳者の言いよどみや回りくどい話し方のせいで皆様の時間を無駄にすることがないよう、テンポ良く言葉を繰り出します。3つ目は、私が最もこだわっている「表現力」です。ただ日本語を英語に置き換えるだけなら機械が十分こなせる時代になりました。それでもわざわざ人間を雇って通訳を入れる理由はどこにあるのかを常に考えています。会議の目的が果たされ、ビジネスが成功することが最も重要ですから、通訳者として「次はどうすべきか、何を言うべきか」の判断を下しながら話しています。そうすると、話し手が言い間違ったときは訳文の中で補正をしたり、行間を読んで足りない言葉を補ったり、時には大胆に別の表現を使って工夫をしたりと、いろいろな手法を使うことになります。“It's not just what you say, but also how you say it” つまり、何を伝えるかだけでなく、どのようにそれを伝えるかが大切なんですよね。
-“how”の部分へのこだわりは、どこに表れていますか?
橋本:これはもうニュアンスの世界ですので、こだわりはじめたらキリがないです。言葉の選び方、間の取り方、心地よい音量、声のトーン、滑舌、ペース、抑揚、明るい調子かシリアスかといったテンションの調整、服装のチョイスまで……。ボディランゲージなどの非言語の部分も計算して、身体の動きを意識的にコントロールすることもあります。
-頭の中で実にたくさんのことを同時に考えているのですね。
橋本:そうですね。「通訳とは、A言語で聞いた話をB言語で伝える作業です」と言ってしまえば単純な作業に聞こえるのですが、実際のところ、通訳者本人は聞きながら話したりしていますので、かなりのマルチタスクになります。つまり、注意力が100あるとすると「聞く」に30、「メモを取り、それを読む」に20、「訳を考える」に20、「話す」に20、「聞き手の反応を確かめる」に10、といった配分で振り分けて、並行処理しているのです。頭の中はこのような状態ですので、それなりに情報処理のパワーが要るというか……少なくとも一気にアドレナリンが出ていることは確かです。
-自動翻訳など、テクノロジーの進化とともに通訳のあり方も変わってきたと思います。
橋本:以前、レイ・カーツワイル博士の通訳を務めた際、「AIに仕事を奪われることを恐れなくていい。機械にできることは機械に任せて、人間はクリエイティブなことをする時間が増える。シンギュラリティによって生活が豊かになる」と伺いましたが、その通りだと思います。私は日本語と英語しかできませんが、AIは多言語をこなします。AIが通訳者を超えたその先に生き残る余地があるのか、あるとすればどのような形なのか。そうしたことを考えるたびに、唯一対抗できるポイントは「表現力」にあると気づかされます。人間ならではの創意工夫を、通訳という仕事の中でも追求していきたいと思うのです。
それに、20世紀と21世紀では通訳者の置かれる環境もずいぶん変わりました。昔は英語が話せるだけで特別な存在になれたのかもしれません。しかし、今や外国語を話せる日本人はたくさんいるわけで、大多数がバイリンガルの方々に囲まれながら通訳を入れる場面も増えました。通訳のクオリティに対する期待値は高まる一方ですが、だからこそやりがいがあると感じています。
-そうした橋本さんの「表現力」へのこだわりが、多くの顧客から支持されています。
橋本:うまくいかないときもありますが、自分自身に対して設定している及第点としては、「また橋本さんにお願いしたい」とリピートして頂けるレベルです。決して低いハードルではないのですが、ご指名を頂いたり、他のお客様をご紹介して頂いたりと、お客様に支えられています。忙しさの中でも技術を磨き続ける真面目さは、常に持っていたいと思います。
最近、通訳の音声や動画がインターネットに上げられる案件が増えましたが、そのときは必ず出来をチェックしています。悲しいことに、自分の通訳というのは本当に聞き苦しいものですね。あとから聞けば、いくらでも改善点は見つかるのです。「あぁ、もっとこう言えばよかった」と悔やみますが、そのときの自分のキャパシティを考えるとこれが精一杯だったのだと思い知ったり。そんなジレンマに苛まれながら、ひとり反省会をしています。
コミュニケーションを究めるにはまず「人」への関心を深めること
-橋本さんは6歳から11歳まで米国で暮らしていますが、そのことが通訳者という職業を選んだことに関係しているのでしょうか?
橋本:実は、この職業は主体的に選んだわけではなく、お世話になった方々との出会いを通して導かれました。学生時代は、帰国子女で英語ができるのは当たり前とされ、むしろ英語以外の特技を見つけることが課題でした。世界を飛び回っていた商社マンの父への憧れもあり、ビジネスの世界で力を発揮したかったのです。大学卒業後、大手メーカーに就職しましたが、転機は入社6年目に訪れました。上司から社内の国際会議の通訳を頼まれ、安易にその役目を引き受けたのです。ところがいざやってみるとなじみのない単語ばかりで記憶は吹っ飛び、変な汗ばかりかいて、役立たずで終わりました。英語力と通訳力は全く別の技能であることを感じた瞬間です。あまりに悔しかったのと、なぜできなかったのだろうと好奇心みたいなものも湧いてきて、通訳者養成学校に通い始めました。そして、気がついたらプロの同時通訳に必要なスキルが身についていました。
-通訳者になるためではなく、悔しかったから学校に通ったのですか?
橋本:はい(笑)、そういう悔しさをスルーできない性格なのですね。さらにその後、翻訳コンテストに応募し、優勝するという出来事もありました。賞金は5万円。会社の給料とは違って、自分ひとりの力で手に入れた報酬です。もっとやってみたいと翻訳エージェンシーに登録。すると私を面接したそこの社長が「あなたは絶対、通訳者に向いている」と言い出したのです。会社を辞めるつもりはなかったのでお断りしたのですが、「もう派遣先も決めてあるよ」と説得してくださり、不安はありましたが、9年間勤めた会社を辞めることを決断しました。今の私があるのはこの社長のおかげです。
-SFC時代はどのように過ごされましたか?
橋本:開発経済学を専攻し、バドミントンサークルや家庭教師のアルバイトなど、大学生活を楽しみました。SFCの学生は既存の常識を超えようとするヘンな人が多かったですから(笑)、刺激的な友人が多かったですね。今、私が通訳者として型破りなところがあるとすれば、それはもしかしたらSFCのカルチャーが影響しているのかもしれません。通訳の現場で同級生と偶然再会することも少なくないです。それぞれの分野で活躍している姿を見かけると、本当に嬉しいですね。
-最後に塾生へのメッセージをお願いします。
橋本:どのような分野を専攻し、どのような目標を持つにせよ、コミュニケーション力の重要性は同じです。先ほど申し上げた“It's not just what you say, but also how you say it”――人はどうしてもまず「何を」言うかにとらわれがちですが、言葉を選んで、タイミングを見て、それを「どのように」伝えるかによって、人間関係でも、ビジネスの現場でも、結果に大きな差が出てくるはずです。コミュニケーションのhow の部分を究めるためには、まず人に関心を持つこと。他人の話に興味を持って耳を傾け、話し手の意図や心の動きを推し量る……お互いの思いを響き合わせるコミュニケーション力を身につけて、パワフルに未来を切り拓いてください。
-本日はありがとうございました。
撮影:日詰 眞治
この記事は、『塾』2020 WINTER(No.305)の「塾員山脈」に掲載したものです。
※所属・職名等は取材時のものです。