慶應義塾

世界農業遺産阿蘇の景観を守る若い世代の農家 -二人三脚で目指す「食べ物も、エネルギーも生み出す」農業-

卒業生 大津耕太君・愛梨君(環境情報学部卒)

2018/10/04

大津耕太・愛梨(おおつ こうた・えり)/農業(「O2 Farm」経営)

1998年環境情報学部卒業。大学卒業後に結婚し、ドイツのミュンヘン工科大学大学院にそろって留学。景観計画による持続可能な農村づくりを学ぶ。帰国後、耕太君の故郷である熊本・南阿蘇で農家として無農薬の稲作とあか牛の繁殖を手がける。子どもは中1の双子の男の子と小4の男の子、2歳の女の子の4人。愛梨君は阿蘇地域の世界農業遺産認定に尽力したほか、女性農家の全国組織理事長就任や再生可能なエネルギーの事業会社設立など多岐にわたって活躍している。

SFC発、ドイツ経由南阿蘇持続可能な農村づくり

- お二人が出会い、現在のお仕事につながる”景観“について学ばれたSFCへの進学の経緯について教えてください。

耕太:父は熊本でサラリーマンをしていましたが、実家は阿蘇の農家。私は夏休みのたびに祖父母の家で過ごし、近くの川で泥んこになって遊んでいました。ところが大好きな自然の遊び場である川が、あるときコンクリートで護岸されてしまったのです。ショックでした。そんなこともあり、小学生の頃から環境問題を意識するようになって、やがて大学で景観について学ぶことにつながっていきました。

愛梨:私も子どもの頃の体験がベースです。建築士だった母が障がい者のための住居づくりを手がけていて、子どもの頃から多くの障がい者の方々にかわいがってもらいました。母の設計した家では居心地が良さそうでも、一歩街中に踏み出すと、何かと不自由さを抱えている彼らの姿を見ているうちに、「障がいを抱える人々の役に立ちたい」と漠然と思うようになり、「誰もが住みやすい環境」をつくりたいという思いと、自然が大好きだったこともあって環境情報学部を選びました。

耕太:景観や環境を学ぶといっても、土木工学や生態学はちょっと違う、ちょうどその中間にあるような分野を学びたいと思っていたのですが、当時の大学ではSFCぐらいしかそういう場がなかった。つまり慶應義塾に入りたかったというより、環境情報学部で学びたかったのです。

愛梨:私も同じような考え。でも、4年生になるまでお互いに存在すら知らなかったんですよ。

耕太:同じSFC生でも、高校まで熊本で育った僕とドイツ生まれで東京育ちの彼女とでは、まるでカラーが違います。実は最初に会ったとき、友達になれるとは思えなかった(笑)。

愛梨:彼の第一印象は「カッコいい!」。友達になろうと努力したのは私の方でした。あるとき風邪をひいたと聞き、「しめしめ」と(笑)おかゆを作ってアパートまで差し入れに行きました。

耕太:いやもう「なんて良い人なんだろう」って素直に感動しましたよ(笑)。

画像

- 卒業して1年後に結婚され、お二人そろってドイツのミュンヘン工科大学大学院に留学されています。

耕太:実は、留学先が同じになったのは全くの偶然でした。それぞれが自分の学びたいことが学べる環境を探した結果、同じ大学にたどり着いたのです。

私は留学前に環境アセスメントの会社でアルバイトをしながら、1年間東京農工大学の大学院で農村環境計画の専門家に師事し、ドイツでも持続可能な農業について多くのことを学びました。

愛梨:私はこの留学をきっかけに、農業と再生可能エネルギーへの関心を深めていきました。チェルノブイリ原発事故を契機に、留学当時のドイツの農家では、太陽光発電やバイオマス発電など再生可能エネルギーを増やすことが当たり前になりつつありました。人が生きていく上で欠かせない食べ物とエネルギーの両方を生み出すことができる農業の素晴らしさを再認識したのです。

画像

- 南阿蘇の農家としてのスタートはいつからですか?

耕太:15年前の2003年からです。祖父の家を叔父が継ぎ、ゆくゆくは私がこの土地をどうにかしなくてはならないとは考えていましたが、正直言って自分が農家を継ぐという意識はそれほど強くなかった。

愛梨:彼が農業を始める時期を早めたのは私。農業がやりたいということもありましたが、何より子育てに良い環境だと思ったのです。都心で一人っ子として育った私は、子どもがたくさんいる家庭をつくりたかった。そう考えると、理想の生活の場は東京ではなくやはり「田舎」でした。

耕太:彼女を南阿蘇に連れてきたら、すっかり気に入ってくれたようでした。

愛梨:素晴らしい環境だと思いました。ちなみに私たちが大学を卒業したのは、あの「山一證券」が経営破綻した年。大企業に就職しても明日は不透明なのだから、たとえ苦労してもこのすてきな土地で農業を始めてもいいじゃないかと思えました。それで「田舎で農業をやるなら早い方がいい!」と言ったのです。

耕太:彼女の田舎暮らしへの熱意を聞いて、私も南阿蘇で農業をやる気持ちが固まってきました。祖父母と叔父が守ってきたこの土地を受け継ぎ、景観を守ることができるのは自分しかいないのですから。 そして、叔父が手がけていた合鴨や鯉を使った無農薬の米作りを引き継ぎ、夫婦で「O2 Farm」という農園を立ち上げました。叔父を通じて地域や組合に溶け込んでいくことができましたし、土地と家があり、販路もあって恵まれたスタートだったと言えます。当初、祖父は私が農業をやることに反対で、「大学出なんかに農業ができるか!」と怒鳴られました。

愛梨:でも、本心では孫が農業を継いでくれて嬉しかったんですよ。

耕太:私がコンバインで作業していると、遠くの方で帽子を目深に被ってじっとこちらを眺めている祖父の姿が……。隠れて見守っているつもりだったかもしれないけれど、バレバレでした(笑)。

画像

農業こそ「総合政策」「環境情報」というコンセプトが生きる分野

- 現在は4人のお子さんを育てながら農業をされています。しかも愛梨さんは、女性農家によるNPO法人「田舎のヒロインズ」理事長に就任されたり、阿蘇の世界農業遺産認定のために尽力されたり、農業に関わる多くの対外活動を通してメディアにもたびたび登場されていますね。

愛梨:私がメディアに出るのは、彼のアイディアでもあります。いわば私が客寄せパンダの役割を担い、生活実感に裏付けられた説得力を持つ言葉で発信することで、持続可能な農業を志向する「O2Farm」の主張を社会に届けているのです。

耕太:阿蘇の景観を守るためには、多くの方々の理解と共感が必要です。愛梨のメディア活動もその一環ですが、農家が社会に向けて情報発信していくことはこれからますます大切になるでしょう。その点、ネット社会の先駈けとなったSFCで学んだ私たちには強みがあります。ブログがそれほど普及していなかった頃から、農業は生産性だけを追求するものではなく、失ってはいけない価値があるということをインターネットで地道に訴えていました。

愛梨:阿蘇が「世界農業遺産」に名乗りを上げたとき、私たちに声がかかったのも、そうした情報発信を積極的に行っていたからかもしれません。

耕太:熊本県からの依頼で、英語が堪能な愛梨がプレゼンテーターとしてイタリアにある国連食糧農業機関(FAO)本部に派遣されました。農業者自身のプレゼンは大好評で、無事に阿蘇は世界農業遺産に認定されました。

画像

- 世界からも注目されているそんなお二人のところへ、全国から就農志望の若い人たちが訪ねて来るそうですね。

愛梨:「田舎で農業をやりたい」というSFCの後輩たちも私たちを頼って何人も来てくれて嬉しかったですね。先日はSFCから就活セミナーの一環として農業の話をしてほしいと依頼があり、喜んで引き受けました。SFCが学生の進路の一つとして農業を意識していることは素晴らしいと思います。

耕太:農業とSFCって、ミスマッチのように思われるかもしれませんが、実は、多様な領域への広がりと奥深さがある農業こそ、「総合政策」や「環境情報」というコンセプトが生きる分野だと思います。私自身も農業を始めてみて気付きました。

画像

- 2年前の熊本地震以降、愛梨さんは地域活性化のさまざまな取り組みや再生可能エネルギー事業などを加速させている印象があります。

愛梨:幸いわが家は地震による被害は少なく、地震直後に集落全体が停電してもわが家だけは太陽光発電の蓄電によって夜も明かりがついていました。そんな私たちが、多大な被害に遭った地域のために一役買わねばと考え、農業と観光をつなげるプロジェクトなどに取り組みました。2階建てバスで阿蘇の観光名所を巡りながら地元の農産物を使った料理を味わうことのできる「レストランバスツアー」や、子どもたちが農業と食について体験を通して考える「リトルファーマーズ養成塾」などです。そして、災害時には避難所にもなるカフェを集落にオープンさせました。

耕太:昨年は、愛梨の一連の地域活性化活動などが評価されて、FAOの「模範農業者賞」にも選ばれました。なんと日本で2人目だそうです。

愛梨:ありがたいですね。この2年間、被災地の支援につながるプロジェクトがたくさんできて、地域にも少しは恩返しができたと思い、今後は農業と再生可能エネルギーにより集中して取り組んでいきたいと、「里山エナジー株式会社」を設立しました。ドイツのような、食べ物もエネルギーも生み出す農業の実現を目指しています。

そして、農村での子育てをより充実させていくために、「教育」にも力を入れていきたい。田舎暮らしではのびのび子育てができますが、実は学齢期になると選択肢が少ないのが現実。地域の学校自体はのどかで、優しい先生が多いのですが、選択肢がそれしかない。もっと多様な学びの場が必要じゃないかと思うのです。農村での教育の選択肢を増やして、いろいろな個性に応じて選べる未来をつくりたいですね。それがいわゆる学校なのか、IT時代の寺子屋のようなものなのか、まだ模索中です。

画像

- 最後に塾生へのメッセージをお願いします。

耕太:20歳前後の若い人のポテンシャルはすごいと思う。慶應義塾の恵まれた環境の中で、それぞれがやりたいことに自信を持って取り組んでほしいです。

愛梨:私は学生だった頃の自分への自戒も込めて、恵まれた環境に「甘えるな!」と言いたい。そして、都会にいてはなかなか実感できない「食」と「農」の重要性にもっともっと目を向け、自分のこととして考えてほしいと思っています。

- 本日はありがとうございました。

撮影:日詰 眞治

この記事は、『塾』2018 SUMMER(No.299)の「塾員山脈」に掲載したものです。

※所属・職名等は取材時のものです。