卒業生 鳥嶋和彦君(法学部卒)
2017/07/31
鳥嶋和彦(とりしま かずひこ)/株式会社白泉社 代表取締役社長
1952年新潟県小千谷市生まれ。1976年法学部卒業、集英社入社。『週刊少年ジャンプ』編集者として『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』などを担当。1996~2001年同誌編集長時代には、『ONEPIECE』『NARUTO -ナルト-』を世に広めた。2015年に白泉社社長に就任。
※所属・職名等は取材時のものです。
漫画嫌いを改めさせたのは少女漫画『風と木の詩』『ポーの一族』
- 鳥嶋和彦さんは集英社の『週刊少年ジャンプ』ファンから“伝説の編集者”とたたえられています。鳥山明氏を発掘して、『Dr.スランプ』を共につくりあげ、さらに世界中に大勢のファンを持つ『ドラゴンボール』で大ヒットを飛ばしました。しかし意外にも、集英社に入る前はほとんど漫画を読まなかったそうです。
鳥嶋:大の読書好きでしたが、漫画には全く興味がなく、就職先の第一希望は文藝春秋社でした。就職を前にして、自分はいったい何ができるのかと自問し、人より優れている点を自己採点していくと、唯一残ったのが、人よりたくさん本を読んでいるということ。となると作家か編集者しかないと思ったものの、作家になるには致命的な欠点がありました。例えば今日嫌なことがあっても明日にはすっかり忘れてしまう性格。物事を頭で反芻しながら、じっくりと作品をつくる作家は無理とあきらめ、編集者になろうと決めたのです。ところが、義塾を卒業した1976年は、オイルショックによる不況のせいで、なんと文藝春秋社の新卒採用は中止。ショックでした。さらにその他のマスコミ、出版社も採用中止が相次ぎ、就職難の年でした。就職浪人できない事情もあり、業界かまわず48社を受けて、合格したのは集英社と、中堅の生命保険会社だけでした。
そして集英社に入社。配属されたのは予期していなかった『週刊少年ジャンプ』編集部だったので、1週間もたたずに辞めることを考えて、新聞の求人欄を真剣にチェックしていました(笑)。というのもそれまで漫画にはほとんど触れたことがなく、配属後に読んでみても全く面白く感じなかったのです。業務日誌に最新号で面白いと思った作品を順番に書けと言われて並べてみたものの、読者アンケートで集計された順位とは見事に正反対。自分には漫画はわからないと、強く思ったものです。
- 読書好きとのことですが、それまでどのような本を読んでいたのですか。
鳥嶋:本好きは筋金入りです。小学4年のある日のこと、深夜に目が覚めて、窓から月を見上げたときに、僕とは何なのだろう、月の視点で僕を見たらどう見えるのだろうと考えました。そして子どもながらに哲学書を読み始めました。パスカル、ニーチェ、論語など。その後は、翻訳物の小説を読みふけり、高校の頃にはバタイユ『眼球譚』や澁澤龍彦訳『O嬢の物語』など神秘的な作品を、大学入学後には約3カ月かけてプルーストの長大な『失われた時を求めて』を読破しました。あの複雑極まりないところがとても面白かった。
- そんな本好きの漫画嫌いが、凄腕の漫画編集者になるきっかけは何だったのですか。
鳥嶋:集英社の近くにあった別の出版社の資料室に入り浸っていろいろなものを読んでいるうちに、ふと少女漫画をめくってみました。そして竹宮惠子『風と木の詩』、萩尾望都『ポーの一族』などに、ジャンプの漫画にはない面白さを感じました。また当時の『週刊少女コミック』に連載されていた、『タッチ』を描く前のあだち充の『泣き虫甲子園』もなかなかいい。つまり、漫画という表現には多様性があり、僕にも面白いと思うものがあるとわかったのです。
とはいえ、自分の仕事はジャンプの漫画です。担当者として、読者アンケートで上位に来る作品を若い作家さんと一緒につくるのが役目です。最初に任されたのが、先輩から引き継いだ『ドーベルマン刑事(デカ)』でした。バックナンバーを読んだけれど、つまらない。いちばん気になったのは、作家さんがアクションシーンはうまいけれど、女の子の描き方がいまひとつで、みんな同じ顔になっていること。それをなかなか言い出せなかったのですが、じっくり時間をかけて関係を親密にしたのち、一対一で「新登場の女性警官の顔を変えてくれ」と切り出しました。彼は納得してくれて、一晩で描き直してくれました。その女性警官が登場した号はアンケートで一気に人気が出て、10位以下から4位になりました。原作者ものってくれて、次の回の話をそのキャラクターが活躍するストーリーに変えてくれ、なんと読者アンケート1位を獲得。
このことで、作家さんに的確なアドバイスが出せれば結果が出ることがわかり、初めて漫画を編集することの喜び、楽しみを知りました。それからは、自分が面白いと思うことを若い作家さんとやり始めました。大切なのは、さまざまな話をして、作家さんの潜在的な興味を掘り起こすこと。一緒に映画を観に行ったり、他の人の漫画やアニメの感想を聞いたりもしました。自分の作品でないと、作家さんは意外といろいろと語ってくれるものです。作家さんが他の人の作品に何を感じるのか、どういう価値観を持っているのかをストックしておくと、いつか役に立ちます。
- 鳥山明氏との仕事も、そんなふうに始まったのですか。
鳥嶋:鳥山さんの投稿作品に才能の片鱗を感じて、担当者になりました。いくつか掲載になった作品もありましたが、人気はなかなか出ない。そこで2人で議論しながら『Dr.スランプ』の企画を立て、ようやく連載のめどがつきました。その直後、鳥山さんの引っ越しのときに、押入れから僕が没にした原稿が500枚も出てきました。自分は鬼かとショックでしたね。しかし、2人で一緒に苦労したことが、『Dr.スランプ』、そしてのちの『ドラゴンボール』のヒットを生んだのです。
僕は、彼と試行錯誤する過程で、新人作家養成メソッドのようなものを見つけました。漫画には読みにくいものと、読みやすいものがあります。読みやすい漫画はページをめくる手が止まらない。あらゆる漫画を読んで、本当に読みやすいと感じたのが、ちばてつやさんの『おれは鉄兵』(『週刊少年マガジン』で連載)です。漫画の読みやすさを決めるのはコマ割りとアングル。50回読み返して、1コマごとに、それを見開きの中でどう構成すればいいかを研究・分析し、新人作家さんに理解してもらうと、メキメキうまくなりました。
新人作家さんは、誰しも“描きたいもの”を持っています。しかしそれは、突き詰めると自分が好きな漫画のコピーなのです。それでは本当のヒットは出せません。自分の中に眠っているオリジナルなものだけが“描けるもの”なのです。それにいかに気づくかは、鳥山さんの没原稿500枚のように、たくさん描いて試行錯誤するしかない。自分の中に眠っているものを探り出せれば、ヒット作につながります。
現在は出版社の若手社員を育てる
- 1993年にゲーム誌『Vジャンプ』の創刊編集長を務め、96年に編集長として少年ジャンプに復帰、新人作家の『ONE PIECE』や『NARUTO-ナルト-』をヒットさせました。さらに集英社専務を経て、2015年に白泉社の社長に就任。編集者から経営責任者になってどう感じましたか。
鳥嶋:白泉社は集英社の子会社ですが、社の空気は異なります。そこをきちんと押さえるために、まず顧問に就いたときに全社員約100人と30分ずつ面談をしました。僕は編集者だから、自分で見て聞いたことしか信頼しません。人を介して聞いた話には必ずバイアスがかかります。社員は真面目で一所懸命、ただ、アットホームでこぢんまりしている印象で、新しいことをやろう、冒険をしようというマインドは低いと感じました。そして社長に就任。初めに40歳未満の社員32人を年齢、セクションの枠をはずして4人ずつのチームに分けて、僕と2時間×3回のフリーミーティングを行いました。時間をかけて何を考えているのかを知るのは、作家さんへのアプローチと同じです。「私が社長になったら」「私が編集長になったら」の二択から選んでチームでプレゼンしてもらい、それをもとに彼らといろいろと話しました。初回は緊張していても、2回目、3回目と進むごとに、面白い発想や思いが伝わってきます。プレゼンのもう一つの狙いは、自分の言葉で説明する経験をさせること。人間は、話すことによって、初めて自分が何を考えているか、自分の中で整理されてわかるからです。彼らの中に眠っているものに気づいてもらいたかったのです。その後、社内の空気が確実に変わってきたように感じています。
よく会社の若手が育たないと言う人がいますが、そういう人は育てようとしていない、そもそも社員に興味を持っていない。編集者だった人が、作家さんには興味を持ち熱心にケアしてきたのに、なぜ社員に興味を持たないのか。出版社は人が財産だと言いながら、人を育てていないと思います。
生涯の親友を得たことが義塾での財産
- 学生時代の思い出を教えてください。まず、義塾を選んだ理由は。
鳥嶋:はじめに断っておきますが、僕は故郷の新潟への郷土愛がないのと同じく、義塾への愛校心もあまりありません(笑)。仕事で会って、まず「出身校はどこ」と聞くようなレッテル貼りには意味がないですし、そこからしか会話に入れないようではつまらないと感じます。話を戻すと、義塾を選んだのは学費が安かったからです(笑)。法学部を選んだのは、よく言われるようにつぶしが利くから。心の奥底では仏文(文学部仏文学専攻)に行きたかったけれど、法学部でないと親は学費を出してくれませんでした。プルーストを熱心に読んだのはその反動だと思います。
サークルにもゼミにも所属していませんでしたが、今に続く2人の親友と出会ったことが、義塾で得た最大の財産です。僕みたいにはっきりものを言う人間は友達ができにくいのですが、彼らは東京出身で、はっきりとものを言うと同時に社交的。皆で女性と一緒に喫茶店に入ったとき、先にメニューを開いたら「だめだよ鳥嶋、まず女の子にメニューを見せなくちゃ」とたしなめられました。なるほどそういうものか、と彼らをスマートに感じました。愛校心はないものの、キャンパスで親友ができたことで、義塾にはうっすら感謝しています(笑)。
とはいえ、入学後しばらくして『文明論之概略』を読み、福澤諭吉は大した人物だと思いました。スパッと言い切る歯切れの良さに加えて、平易な言葉遣いも素晴らしい。また福澤をはじめとして、あの時代の人たちが、「自由」「文化」「経済」などの抽象的な言葉を的確に訳してくれたことに感謝しています。それらの言葉があるからこそ、現代の我々が翻訳された世界中の本で抽象概念をきちんと理解できるのですから。
- 最後に塾生へのメッセージを。
鳥嶋:いずれ社会に出ると「しなくてはいけないこと」に追いかけられます。しかし学生時代は「したいこと」ができるかけがえのない時間です。その時間を有意義に使うためには自己プロデュースをすることが大切。一日一日が未来へつながっているのですから、いま何をしたいのかをつかみ、自分で自分をプロデュースして行動すれば、その一日が、未来へのステップとなるはずです。
- 本日はありがとうございました。
撮影:日詰 眞治
この記事は、『塾』2017 SUMMER(No.295)の「塾員山脈」に掲載したものです。