卒業生 米良はるか君(経済学部卒)
2017/05/09
米良はるか(めら はるか)/READYFOR株式会社 代表取締役
2010年経済学部卒業。2012年大学院メディアデザイン研究科修士課程修了。大学院在学中、プログラミングなどを学ぶためスタンフォード大学に短期留学。帰国後の2011年3月、日本初のクラウドファンディングサービス「Readyfor」を立ち上げる。2011年、世界経済フォーラムのグローバル・シェイパーズに選ばれ、翌年のダボス会議に最年少日本人として参加。2014年、READYFOR株式会社設立。
※所属・職名等は取材時のものです。
「誰もがやりたいことを実現できる世の中をつくる」
- 米良はるか君は、メディアデザイン研究科在学中に、日本初のクラウドファンディングサービス「Readyfor」を立ち上げ、現在はREADYFOR株式会社 代表取締役として、事業をさらに発展させています。まず、クラウドファンディングについて簡単に教えてください。
米良君:クラウド(Crowd群衆)とファンディング(Funding資金調達)を組み合わせた言葉で、インターネットを通じて不特定多数の人から資金を集める仕組みのことです。事業を始める、拡張するといった場合、通常は金融機関から融資を受けようとするのですが、担保や実績がない場合は、なかなかうまくいきません。法人格がない場合も難しい。ましてや収益を主目的としない、夢の実現を目指すためとなると、資金集めはさらに難航します。Readyforは「誰もがやりたいことを実現できる世の中をつくる」をキーワードに、小さな夢から、大きな目標まで、そのプロジェクトへの思いをインターネット上で広く伝え、共感する支援者を募り、支援者から資金提供を受ける仕組みです。目標金額達成後、支援者はリターン(商品など)を受け取ります。Readyforのスタート時、プロジェクトは6件、1件ごとの目標金額は20万円でした。その後、これまでに約5500件の実績を積み重ね、現在は毎月約200件の新規プロジェクトを展開しています。規模の大きなものでは、目標額6000万円というプロジェクトもあります。一般的にクラウドファンディングの目標達成率は約30%と言われていますが、Readyforでの達成率は65%で、かなり高いと思います。
- どんなプロジェクト例がありますか。
米良君:大小さまざまなプロジェクトがありますが、例えば、義塾の先輩で若くして乳がんを患ったテレビ局報道記者、鈴木美穂さんが共同代表者として取り組んだ、がん患者の相談支援施設「マギーズ東京」設立のためのプロジェクトでは、目標額の700万円を大きく上回り、2200万円余りが集まりました。現在、豊洲の海沿いに素敵な施設が建っています。このプロジェクトを支援者とともにサポートできたことを、とてもうれしく思っています。
- Readyforのウェブサイトにはさまざまなプロジェクトが掲載されています。プロジェクトを始めるにはどうすればいいのですか。
米良君:プロジェクトを立ち上げようと思った人には、キュレーターというサポート役が付きます。自分の考えを主張することに慣れていない場合が多いのが日本人。自分の夢を語ることが恥ずかしかったり、うまくいかなかったらどうしようと思ったりしてしまいがちです。日本には、現実的な視点に立つあまり夢にストップをかける文化があるのでしょうか。起業文化が育ちにくい要因のひとつだと思います。私自身のケースでも、起業に際しては心配する声や反対する声がありましたが、一方であきらめるなと励まし、応援してくれる人もいました。キュレーターは、思いを伝えるための専門知識とノウハウを持っており、クラウドファンディングが初めての人にもしっかり寄り添って夢の実現を応援します。
- キュレーターという仕事に興味を持つ人もいそうです。
米良君:成し遂げたいことがある人に真摯に向き合い、その思いをじっくりと聞き、プロジェクトのポイントを明確にして表現方法をアドバイスする仕事です。プロモーションもサポートします。キュレーターは編集者のような存在だと、私は思っています。とても優秀な書籍編集者の方と話をしたとき、仕事で最も心掛けていることは、作家がつらいときに駆けつけてそばにいること、と聞きました。キュレーターの仕事においても、相手に寄り添う気持ちがいちばん大切です。プロジェクトには地域の活性化に関係するものが多いですから、地域創生に興味がある人にとっては面白い仕事かもしれません。また海外の途上国の支援を経験した人、ソーシャルビジネスに関心がある人も、キュレーターに向いていると思います。
働き方さえ変化する時代重要なのはサバイバル能力
- メディアデザイン研究科在学中にReadyforを立ち上げています。そのあたりの経緯を教えてください。
米良君:学部生の頃のゼミはミクロ経済学の藤田康範研究会でした。藤田ゼミを選んだ理由を話すと笑われそうですが、中学生の頃の女性の家庭教師の先生がきっかけなのです。その家庭教師が当時経済学部の塾生で、藤田ゼミの1期生。中学生の私に義塾の楽しさ、藤田ゼミの素晴らしさを教えてくれました。経済学が何かさえよくわからないのに、いつしか私は義塾へ行ってぜひ藤田ゼミに入りたいと思うようになったのです(笑)。受験を経て、その後入った藤田ゼミは、他の研究室や企業とコラボレーションしていろいろなことに取り組んでいました。その一つが東京大学大学院工学系研究科の松尾豊研究室との共同研究です。そこでは人物検索サービスSPYSEEの開発が行われていて、藤田ゼミのメンバーがいくつかのチームに分かれて事業展開に取り組みました。私たちのチームがプレゼンした提案が採用され、それを松尾研究室のエンジニアたちが実現し、SPYSEEは松尾先生を通じてオーマ株式会社で運営されることになりました。このときの経験で、プランを練る楽しさ、提案が実現することの面白さを実感しました。またアイデアがスピーディにどんどん実現するインターネットの世界を知ったことが、クラウドファンディング立ち上げのきっかけになりました。
もう一つ、SPYSEEがネット上の情報を通じて、企業名ではなく個人の名前を 検索するシステムだったことで、これからの時代は〝個人〞が際立っていく社会になるのでは、と感じました。さらにサーバーがクラウド化され始めたことで、ウェブサイトは簡単に作れるし、コストも下がり、誰もがいろいろなことにチャレンジできる環境になりつつあることを実感し、個人の思いが世の中を動かしていく時代がくると考えたことも、クラウドファンディングサービスの事業化という、私個人の夢を膨らませることになりました。
SPYSEEに関わる前の学部3年生のとき、藤田ゼミの関係でパラリンピックスキーチームの荒井秀樹監督とお会いしました。そして選手の強化費不足に悩んでいることを知り、なんとかサポートしたいと考え、インターネットを通じてワックス代100万円を集めたこともありました。
- 大学院在学中に、スタンフォード大学に留学していますが、その目的は?
米良君:インターネットを使って仕事をしようと思っていたので、一度プログラミングをきちんと学ぼうと、スタンフォードに約半年間留学しました。知識だけでなく、すでにクラウドファンディングビジネスが始まっていたアメリカの現状を知ることもでき、大いに勉強になりました。
- さらに、院生時代にダボス会議(世界経済フォーラム)にも参加しています。
米良君:世界の経済界のトップ層が集結する大規模な会議ですから、参加者の年齢は高くなります。そこで、上層部や運営側の意向により、若い人たちの参加も必要だということになり、世界各国から30歳以下のグローバル・シェイパーズ(ポテンシャルのある若手のビジネス・リーダー)が70名選ばれました。そのうち日本人は5名で、私は日本人では最年少でした。
ダボスでは会場の建物内だけでなく、屋外でも多くのセッションが開かれます。そのなかの一つにおいて、グーグル会長のエリック・シュミットやフェイスブック初代CEOのショーン・パーカーら錚々たるメンバーが、「これからはクラウドファンディングの時代がやってくるよね」と話しているのを聞きました。自分の進むべき道などについてもやもやと悩んでいた時期でもあり、「これってまるで私のための会議みたい!」とうれしくなり、私のチャレンジの方向性は間違っていないという思いを強くして、前向きになりました。
またアジア関連のセッションでは、中国、フィリピンなど東南アジアの若い人たちとディスカッションしました。その頃は日本と中国は政治的に良好とは言えない時期だったのですが、話が弾みました。国どうしではいろいろあるけれど私たちは友達になったし、今後の世界はフラットで流動的な社会になっていくに違いない。いまの国の概念がどこまで残るのかわからないよね、という未来志向の共通意識が持てました。いまも彼らとはつながっていて、この人脈は大きな財産だと思います。
- そのほかの学生時代の思い出を教えてください。
米良君:いま思えば、寝る間を惜しむように動き回っていました。もちろんゼミがらみの活動がいちばん多いのですが、三田祭実行委員として田原総一朗さんの講演をセッティングしたこともあります。三田祭実行委員会は、私にはそれまで経験のなかった上下関係が明確な組織で、そこで初めて縦社会を知り、勉強になりました。おそらく私は慶應義塾をある種のプラットフォームとして使っていたのだと思います。多様性を持つ多くの人たちと出会い、その出会いから何かが生まれることを楽しんでいました。義塾には、そんな塾生の行動を応援してくれ、押し上げてくれる空気があります。例えば、ダボス会議参加の時期が修士論文の提出と重なりとても大変だったのですが、周囲の先生や友人たちに支えられ、乗り切ることができました。学生の思いを尊重してくれるところも義塾の良さだと思います。
- 最後に、塾生へのメッセージをお願いします。
米良君:現代社会はテクノロジーだけでなく、働き方を含めてあらゆることの変化が速く、同じ状況が10年、20年続くと約束される社会ではなくなっています。それゆえに、個人の適応力、サバイバル能力が求められます。塾生の皆さんには、こんなに多様な出会いがあり、先輩の塾員も含めて大学として最高のネットワークを持っている義塾の価値を存分に活用してほしい。授業で学ぶことはもちろん大切ですが、自分で生きていくための能力や社会に貢献するための仕事力は、教室にいるだけでは養えません。常にアンテナを立てて、自分が何をしたいのか、それにはどんな能力が必要でどうすれば獲得できるのかを考え、キャンパスの至るところに転がっているチャンスの芽を、積極的につかみにいってほしいと思います。
- ありがとうございました。
撮影:日詰 眞治(3・4枚目を除く)
この記事は、『塾』2017 SPRING(No.294)の「塾員山脈」に掲載したものです。