慶應かるた会
2016/12/08
競技かるたのサークル、慶應義塾大学の公認学生団体「かるた会」は、現在、会員は約50人。近年、競技かるたを題材にした漫画や映画の影響か、入会する学生が増えているそうです。練習場所である日吉キャンパスの和室を訪ねると、読み手の声が響き、札が勢いよく飛んでいます。
競技かるたは小倉百人一首を用いて一対一で戦う競技です。ランダムに選ばれた50枚の下の句が書かれた取り札をそれぞれ25枚ずつ並べ、自分の陣地にある札が先になくなった方が勝ちとなります。取り札50枚に、読まれる上の句は100首、空札(からふだ)があるため、お手付きにならないように気を付けなければなりません。
覚える時間は札を並べ終わってから15分。この間に並んだ札とその位置を頭に叩き込み、作戦を練ります。敵陣の札を取ると自陣の札を一枚相手方に送ることができますが、このとき重要なのは何を送るかです。相手が狙っている札を送るなどして、試合運びに先手をとることができます。
「慶應かるた会」の歴史は長く、昭和30年代にはその名が大学の公認学生団体として刻まれています。全国職域学生かるた大会(団体戦)A級では18回の優勝経験があり、 多くのA級選手を輩出してきました。昭和51年には女性最高位のクイーン、昭和60年には男性最高位の名人が誕生、競技かるたの名門としてその名を轟かせています。
現代の「慶應かるた会」を牽引するのは、総合政策学部3年の浜野希望(のぞみ)君(A級六段)と、商学部2年の鈴木裕加里君(A級四段)。浜野君は2015年8月に行われた第22回全日本大学かるた選手権大会(大学代表の部)で慶應義塾初となる優勝を果たしました。今年8月に行われた第23回全日本大学かるた選手権大会では団体戦に参戦、準優勝という成績を残しています。
お互いに切磋琢磨するのが慶應義塾
京都府出身の浜野君は、小学生時代に体験した「競技かるたにふれよう!」というイベントをきっかけに、かるたに興味を持ちました。中学生になると地域のかるた会に参加、練習場所は正月にクイーン戦・名人戦が行われる、競技かるたの聖地と言われる近江神宮でした。中学2年の12月にはA級に昇級しました。
一方の鈴木君は、かるた王国と言われる福井県で育ちます。地区対抗のかるた大会も毎年あり、鈴木君にとって競技かるたは身近なものでした。中学生になると地域のかるた会に週に3日は通うようになり、3年の6月にA級に昇級、高校時代に参加した第45回全国競技かるた女流選手権大会A級の部にて3位の成績を残しました。
「実は私、大学では競技かるたをやめようと思っていたんです」と鈴木君。しかし、大会などでも顔見知りだった先輩の浜野君に誘われて、かるたを続けることにしました。
「競技かるたは優雅な和歌のイメージとは違い、スポーツの要素が強いです。札をとるためには全身を使わなければいけません。集中力と瞬発力もいります」(浜野君)
「畳との摩擦で、膝や足の甲が擦れて黒く、硬くなることもあります(笑)」(鈴木君)
「慶應かるた会」のメンバーは7、8割が未経験からのスタートです。団体戦を勝ち抜くには個々の実力を高める必要があります。
百人一首には、上の句のある文字までが読まれれば取り札を確定できる「決まり字」が存在します。たとえば「あまのはら・・・」「あまつかぜ・・・」の決まり字はそれぞれ「あまの」「あまつ」ですが、どちらかが出てしまえば、「あま」が決まり字となります。「あ」で始まる札は16枚あるので、16枚目は「あ」で取ることができます。競技中も出た札を覚え続け、相手の狙いも読みながら試合を運ぶことが必要です。また、読み手が発する声の響きの機微や、音に対する身体の反応を自分自身に染み込ませることで強くなっていきます。普段の練習では戦うための知恵やテクニックも教え合っていきます。
「練習においても、ある程度緊張感を持って対戦していくのが大事です。次にどの札がくるか、先読みも必要です。集中力を養うためには練習が欠かせません」(浜野君)
この集中力が学業でも役立つことがあるようです。
「1試合はだいたい1時間半、不思議と勉強をするときも1時間半単位で区切ると、すごく集中でき、覚えも良い気がします。かるたの練習が脳を鍛えているのかもしれません」(鈴木君)
札に触れる、または陣の外に押し出せば札を取ったことになります。むやみに札を飛ばしているように見えるかもしれませんが、スピードを落とさずに最速で札を取るために、突き手、払い手などで札を飛ばし、あるいは決まり字の長い札は囲み手なども駆使します。
もめたら譲り、次を取れこれが慶應義塾の“かるた道”
競技かるたの頂点、名人戦とクイーン戦。学生時代に名人位についた伝説の人、種村貴史君(1985年理工学部卒業)は85年に名人となり、通算9期在位し永世名人となりました。名人は全国の予選を勝ち抜いて前年の名人に挑戦し、勝った者に与えられる称号です。種村君は「慶應かるた会」で受け継がれてきたモットーを今も大切にしています。
「競技かるたでは、真剣勝負ゆえに、“自分の方が早く札に触った”と「もめる」(主張し合う)こともあります。先輩から教わったのは“もめたら譲れ。次を確実に取ればいいのだから”ということでした。確実な速さで取れなかった自らの落ち度があるからもめるのです。そこにこだわるよりも、明らかな速さで確実に札を取りにいくことが大切だということでしょうか」(種村君)
高校まではバスケットボール部に所属、厳しい練習に毎日汗を流していた種村君。大学に入り、目に留まった「慶應かるた会」の文字に興味をそそられて練習を覗いてみると、そこでは想像を超えた戦いが繰り広げられていたのです。
「小学生の頃から百人一首には興味がありました。高校になると学校で百人一首大会みたいなものがあり、優勝すると成績が上がるなどと言われたのでそれを目当てに一生懸命札を覚えた記憶があります。『慶應かるた会』の練習を見たときはその激しさに驚きましたが、やってみたくなりました」(種村君)
「OGには女性の名人にあたるクイーンの吉田真樹子(現:金山真樹子)さんがいて、平日の練習日以外、土曜日は練習をみてもらうことができました。強くなれたのはあの練習のおかげだったと思います。また、音のとらえ方が優れていると言われることがあったのですが、次の音との“間の音”を聞くことのできる耳の良さも大きかったですね」(種村君)。
神経がとぎすまされると、読み手のSやMの子音も聞きわけることができるといわれています。
社会人になってからの名人戦では、OB・OGや大学の後輩たちが力を貸してくれました。その一人が望月仁弘君でした。望月君は種村君との名勝負が語り継がれている後輩です。
第33期名人戦。社会人となった名人、種村君に対して挑戦者は塾生の望月君。慶應OB 対 現役生の戦いは当時、話題となりました。結果は、種村君の圧勝。その後、種村君は永世名人に、9年後の96年には再び望月君が勝ちあがって挑戦者となり、今度は望月君が名人位を奪取しました。
「卒業して10年経っていましたが、先輩や後輩など慶應義塾の人たちが稽古相手になってくれて、しっかり練習することができました」(種村君)
望月君をはじめとする名選手たちとの稽古の甲斐もあり、2度目の名人位奪取を果たすことができたと言います。
現在は日本経済新聞社デジタルビジネス局上席担当部長として活躍する種村君。「かるた会」にいたことがビジネスの相手との話題づくりに役立つこともあるそうです。
「ビジネスのシーンでは、場を和ませるための雑談が必要になることがあります。面談相手との会話がつまり、場の空気が重くなりそうときなど、競技かるたをしていたことが一つのネタになったりします。競技かるたが今ほどメジャーではなかった頃、まずは競技方法の説明から入ったりして、その場の緊張感がやわらぐこともありました。また、ある物事に対して全力で取り組んだという経験も、今の自分につながっていると感じます」(種村君)
熱い闘志と冷静な判断力が「慶應かるた会」の伝統。この系譜を守る後輩たちの活躍を、OBたちが卒業後も見守っています。