卒業生 金子玲介君(商学部卒)
2025/07/10
小説『死んだ山田と教室』の舞台となった慶應義塾志木高等学校の教室にて
金子玲介(かねこ れいすけ)/作家
2016年商学部卒業。在学中に公認会計士試験に合格し、卒業後は監査法人に勤務。慶應義塾志木高等学校在学中から小説の執筆を始め、就職後も数々の文学賞に作品を応募する。2023年、母校がモデルの“啓栄大学附属穂木高等学校”を舞台にした『死んだ山田と教室』で第65回メフィスト賞を受賞し、プロ作家としてデビュー。同作は改稿を加えた上で、翌年講談社より単行本として刊行された。同年には「デスゲーム」を取り入れた『死んだ石井の大群』、慶應義塾大学演劇研究会をモデルにした『死んだ木村を上演』も立て続けに刊行され、期待の新人作家として注目を集めている。
授業で「太宰治」に出会うまで小説にはそれほど興味がなかった
-金子さんは子どもの頃から読書好きだったのですか。
金子 まったくそんなことはなくて、小学生のときでしたら『週刊少年サンデー』や『週刊少年ジャンプ』などマンガばかりを読んでいました。文字で書かれた小説はあまり読んだ記憶がないです。覚えているのは、今回私の本を出版してくださっている講談社の児童向け小説叢書「青い鳥文庫」に入っていて学校の友達にも人気があった、はやみねかおるさんの作品ぐらいでしょうか。あとは虫が好きだったので『ファーブル昆虫記』とか。ゲームは大好きで、友達との話題もマンガやゲームのことばかりだったように思います。中学生になったら友人の勧めで東野圭吾さんや伊坂幸太郎さんのミステリー作品を面白く読むようになったのですが、国語にはむしろ苦手意識がありましたね。ずっと作文や小論文は不得意だと思い込んでいて、まさか自分が小説を書くようになるなんて思いもしませんでした。
-金子さんは小学校から高校までの一貫教育校に通われていたそうですが、進路変更して志木高校に進学されたのはなぜですか。
金子 簡単に言えば大学受験をしたくなかったからです。中学生になって学校のカリキュラムが大学受験本位のものになって、勉強自体は嫌いではなかったのですが、学校の勉強が楽しくなくなりました。このまま高校でも受験本位の勉強をするのは嫌だと考え、大学にそのまま進める高校を目指すことにしました。そうすれば高校生活を楽しく過ごせると思ったんです。そこで中学2年から高校受験のための塾に通い始めました。並行して早慶の高校を中心に学校説明会に足を運ぶ中、志木高校に心引かれました。もともと農業高校だっただけあって、自然の豊かさを感じられる広々とした環境に「ここなら伸び伸びと3年間を過ごせそうだ」と直感したのです。秋の学校説明会では校庭の柿の木にたくさんの実がなっていたのですが、当時の校長先生が私たちに「落ちている柿の実はどうぞお持ち帰りください」とおっしゃって、そのことが強く印象に残り「志木高校を第一志望にしよう!」と決めました。入学してみると私と同じく外部の中学から進学してきた生徒が多く、環境は緑豊かだし、都会的だと思っていた慶應のイメージがずいぶん変わりましたね(笑)。
-入学された志木高校の国語の授業で「文学」と出会うのでしたね。
金子 はい、2年の国語の授業で太宰治にはまりました。その前年がちょうど太宰の生誕100年だったからでしょうか、近代文学に造詣が深い国語の小澤純先生は、その1年間をかけて太宰の第一創作集でもある短編集『晩年』の各編を読み解く授業を展開されました。それと並行して藤子・F・不二雄『ドラえもん』も扱うというとても不思議で画期的な授業でした。本当に楽しかったです。志木高校の先生方はそれぞれの専門分野を生かしたユニークな授業をされていて、入学してからしみじみ「この学校に来て良かった」と思いました。
小説を書く勉強をしながら公認会計士の勉強にも取り組んだ
金子 小澤先生の授業を受けるまで、太宰は教科書に載っていた『走れメロス』などのイメージしかありませんでした。しかし先生の授業を通して太宰という作家が、いかに実験的かつ前衛的な姿勢で作品を書いていたかがわかって驚きの連続でした。『晩年』の冒頭に置かれた「葉」という短編は36の断章で構成された作品で、これはいわば現代のSNSにも通じる作品だと感じました。その他の作品でも語りや人称の工夫、作品のメタ構造など現代の感覚でも斬新に感じられる技法が満載で、作品を読むたびに大きな衝撃を覚えました。そして自分の中で小説というものの価値が一気に大きくなっていき、いつの間にか「自分でも小説を書いてみたい」と思うようになったんです。
-それまで書いたことがなかった小説をいきなり書き始めたのですか。
金子 気付いたら書き始めていました。実験的・前衛的な作品に憧れましたが、まずはベーシックな小説の「型」を身に付けようと好きな作家やマンガ家の作品のテイストを取り入れて物語を作っていきました。私は音楽も好きで、志木高校ではワグネル・ソサィエティー男声合唱団で歌っていました。私の在籍時、志木高校の現在までの歴史で唯一、全国大会まで出場できたことがちょっと自慢です(笑)。ワグネルでの活動にも力を入れていたのですが、次第に小説を書くことの比重が大きくなり、原稿用紙10~50枚ほどの作品を2、3カ月に一本ぐらい書いていました。高校卒業までに掌編・短編が7、8作品、100~250枚の長めの小説を3作品書きました。それらの作品をさまざまな文学賞に応募したのですが、一つも予選を通過しませんでした。大学進学にあたって、小説家として生活していくことは無理だと思い、公認会計士の資格取得を目指すことにしました。
-なぜ公認会計士だったのですか。
金子 父が税理士法人勤務の公認会計士だったので、資格があれば就職活動をしなくて済むと考えたのです。私たちの世代は就職氷河期を見ていましたので、私のような面接での自己アピールが苦手なタイプの人間が就活競争を勝ち抜けるとは思えませんでした。でも資格は勉強を頑張ればとれる、と。公認会計士として安定した生活を営みながら小説を執筆する……そんな将来像を思い描いていました。
-大学入学後も商学部の授業や会計士の勉強をしながら小説を書き続けたわけですね。
金子 はい。文学部の授業に潜り込んだり、文化団体連盟所属の公認サークル「三田文學塾生会」を拠点に創作活動を続けたりしながら、公認会計士の勉強にも取り組んでいました。私のような一貫教育校からの進学者は大学受験をしなかった分、余力がある。なんとか大学3年生のときに公認会計士試験に合格することができて、ホッとしました。
-文学賞への応募も続けていたのですか。
金子 もちろんです。でも地方文学賞や文芸誌の新人賞など予選落ちが続いて「この先、文学はあくまで趣味としてやることになるのかな」という諦めの気持ちもありました。でも後悔しないように全力を出し尽くした作品を作り上げようと頑張って、大学1年のときに純文学の「群像新人文学賞」に応募したところ、初めて1次、2次予選を通過して最終選考の一つ前の段階まで進みました。結局、新人賞には選ばれませんでしたが、その時期にSNSを通した文学仲間が増えました。彼らから私の作品が「面白い」とほめられたり、作家になるのを諦めかけていたときに「書き続けてほしい」と言われたこともありました。そういえば文学部の授業で知り合った友人にも「いつか金子は作家になると思う」と言われたことがあります。ただ現実ではその後も、文芸誌の新人賞で予選は通過しても受賞には至らないということが続きました。
自由に、楽しんで書くことにこれからもずっとこだわっていく
-大学卒業後は、監査法人で働きながら書き続けていたのですね。
金子 はい。『文藝』『新潮』『すばる』などの文芸誌に応募を続けたのですが、受賞には至らず、心がポッキリ折れたような状態になりました。SNSで知り合った文学仲間の何人かは作家デビューしていて、彼らから「金子君、待ってるよ」と言われていたのですが、失意の中にあった私は「もう小説をやめます」とメッセージを返してしまったんです。すると仲間の一人が「純文学じゃなくエンタメに転向してみては?」とアドバイスしてくれました。初めて予選を通過したのが純文学系の雑誌の新人賞だったので、自分は純文学向きだと思い込んでいたのですが、仲間たちから見ると必ずしもそうではないらしい。だったら思い切ってエンタメに転向して、それでも駄目だったら諦めればいいと思い直しました。そしてあらためてミステリーの技法を勉強し直し、志木高校時代のことを思い出しながら書き上げたのが、2023年にメフィスト賞を受賞した『死んだ山田と教室』です。
-舞台となる2年E組の教室は金子さんが志木高校時代に学んだ場所ですね。
金子 はい、主人公「山田」は自分自身を投影したキャラクターで、他の登場人物についても自分や当時のクラスメートの要素を反映させています。小説を書くこと自体は、悩んだり苦しんだりすることもありますが、「絶対的な楽しさ」があるから続けてこられた。それが初めて報われた作品でした。志木高校で3年間を過ごし、多くの友人と出会い、文学と出会ったからこそ書くことができたと思っています。
-すでに次に出版される本も準備しているとか。
金子 2025年の前半に『死んだ』3部作とは作風が異なる恋愛モノの連作短編集を出す予定です。それからまだ構想段階なのですがアガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』のような“孤島ミステリ”を書きたいと思っています。さらにその次の作品についても頭の中で考えていますし、書きたい題材は山ほどあります。ジャンルにとらわれず、今後もさまざまなタイプの小説を書いていきたいと思っています。
-金子さんが目指す作家像とはどのようなものですか。
金子 私は監査法人を退所して現在は職業作家となりましたが、書くことへの楽しさは変わらず感じています。ですから、「食べていく」手段ではなく、自分が書きたいことを自由に楽しく書くことにこだわっていきたいです。もし作家として食べていけなくなったら、再び公認会計士との兼業に戻ればいい。作家像と言えば、志木高校で出会った太宰治は今も私にとって大きな存在です。現代の作家もたくさん読んで影響を受けてきましたが、たまに太宰作品を読み返すと、今でもその語りや小説構造に新しさを感じます。太宰は私にとって永遠の憧れであり続けるでしょう。
-最後に塾生へのメッセージをお願いします。
金子 一言で言えば、「学ぶ」ことを楽しんでほしいです。大学時代は私も文学賞に落ち続け苦しい時期でもありましたが、でも「学ぶ」ことはずっと楽しかった。私にそうした「学ぶ」楽しさを教えてくれたのは志木高校であり、慶應義塾大学という環境でした。勉強に限らず、芸術やスポーツなど打ち込むものはさまざまかと思いますが、どのような道を志すにせよ、他者からの評価や結果とは別に「自分自身が好きなことを好きでい続ける」ために何ができるかを考えて本気で取り組んでみてほしいと思います。後輩の皆さんが楽しく学んでそれぞれの夢に向き合ってくれることを期待しています。
-本日はありがとうございました。
この記事は、『塾』SPRING 2025(No.326)の「塾員山脈」に掲載したものです。