2025/06/11
2025年は、太平洋戦争終結から80年となる節目の年。慶應義塾のキャンパスはこの戦争において全国の大学の中でも最大の空襲被害に遭った。また、約3500名もの塾生を学徒出陣で戦地に送り出し、2200名以上の慶應義塾関係者が戦没している。今号では三田・信濃町両キャンパスにおける戦争による被害と戦後の復興の痕跡をたどりたい。
空襲で焼け落ちた図書館旧館 (東方社撮影 東京大空襲・戦災資料センター蔵)
三田キャンパスの復興は義塾のシンボル図書館旧館から
1945(昭和20)年5月24日未明〜25日、そして26日の2回にわたる米軍爆撃機による空襲で、三田キャンパスでは木造校舎のほとんどが焼失。塾監局や三田演説館などは焼け残ったが、慶應義塾のシンボルである煉瓦造りの図書館旧館は本館部分の閲覧室と事務室、そしてステンドグラスなどが失われた。被災に備え周囲の木造建築物を撤去していたことや、教職員や学生による懸命の消火活動により書庫は延焼を免れ、多くの貴重文献も疎開させており無事であったが、空襲の爪痕は大きかった。
戦後、1947(昭和22)年の創立90年記念式典において、創立100年に向け10年間を期した復興への決意が掲げられると、まず着手されたのは図書館旧館の修復だった。1949(昭和24)年5月に工事は完了。この時点では透明なガラスが入っている状態だったステンドグラスも、1974(昭和49)年に復元された。
慶應義塾の戦後復興の象徴ともなった図書館旧館は、その後も増改築や改修工事を重ね、重要文化財としてその姿を今に伝えている。
塾内の美術品が伝える戦災の記憶と復興への意志
三田キャンパスには、戦争の記録を歴史的事実として後世に伝え、戦没者への鎮魂や平和への思いを込めた数々の美術品が建立されている。図書館旧館1階に置かれた「手古奈」は『万葉集』で詠まれた悲劇の女性をモチーフに彫刻家・北村四海(しかい)が手掛けた大理石彫刻(1909年頃)。空襲によって両腕部分を失うなど大きく破損したが、2009(平成21)年、60余年ぶりに公開された。事前の修復作業にあたっては、戦争という歴史的事実を風化させないよう、焼夷弾の煤をあえて完全に洗浄しない方法がとられた。
塾監局前庭園に建立された「平和来(へいわきたる)」(1952年・朝倉文夫)は、慶應義塾関係の戦没者追悼のため、「昭和7年三田会」の卒業25年記念として寄贈されたもの。台座には、戦時中の塾長だった小泉信三による碑文「丘の上の平和なる日々に 征きて還らぬ人々を思ふ」が刻まれている。1998(平成10)年には、「還らざる学友(とも)の碑」を建立。台座には、2014(平成26)年に慶應義塾関係戦没者名簿が納められた。また、メディアセンター地下1階には、戦没学生慰霊像「わだつみのこえ」(1950年・本郷新)がある。
1949(昭和24)年に完成した「学生ホール」。その中に設けられた学生食堂の東西両壁面には、戦後民主主義の到来で伸びやかに歌い語らう青年男女たちを描いた猪熊弦一郎の壁画「デモクラシー」が飾られた。本作はホール取り壊し後は西校舎内生協食堂に移設され、現在も学生たちを見守っている。上部が三角形となっているのは学生ホール時代の屋根の形の名残である。
信濃町キャンパスの戦災と関係者たちの奮闘の痕跡
信濃町キャンパスは1945(昭和20)年5月24日未明からの空襲で罹災し、全体の約6割を焼失するという甚大な損害を受けた。焼け残った予防医学校舎敷地内には今も六角形の焼夷弾の痕が残っている。
焼夷弾が降り注ぐ中、教職員と学生による特設防護団の懸命の努力もあって、鉄筋コンクリートの建造物は罹災を免れ、入院患者約180名を一人の負傷者も出さず無事退避させることができた。その奮闘ぶりは翌25日付の朝日新聞で「挺身隊八十名、看護婦二百七十名は屋上の焼夷弾を手づかみで投げ捨てるもの、あらゆる容器を利用して水をかけるもの、若い人達は懸命に消した」と報道された。そしてこれほどの被害を受けながらも、被災後間もなく臨床部門を残存建物に移して診療が再開されたのである。
大学病院敷地内の一角にある「食研跡地記念の碑」。空襲に耐えた食養研究所(食研)には臨床の各教室が移転し、研究室として利用された。戦後の厳しい条件の中で各科が共に研究した場として長く医学部関係者に親しまれていたが、1990(平成2)年に建物が解体されるにあたって、外壁の一部が残されるとともに記念碑が建立された。
また、かつて大学病院には病棟間をつなぐ「西病舎在来病棟連絡用地下道」という長さ23メートルの地下通路があった。空襲時に患者を本館から別館へ避難させる際には、この地下道が使われた。現在この地下通路は病院内の電気配管を通すパイプスペースとして利用されている。
多くのものが失われた戦争の終結から80年。キャンパスに刻まれた教育と研究、医療の灯を守り抜こうとした人々の努力、そして戦争の記憶と平和への祈りに目を向け、希望と平和に満ちた未来を切り開いていってもらいたい。
◆参考映像◆
【あの日、あの時、映像でよみがえる慶應義塾】~「VIRIBUS UNITIS 力を合せて-慶應義塾復興記録1947~1949-」(10分44秒)
この記事は、『塾』 SPRING 2025(No.326)の「ステンドグラス」に掲載したものです。