卒業生 海老澤美幸君(法学部卒)
2019/03/29
海老澤美幸(えびさわ みゆき)/弁護士・ファッションエディター
1998 年法学部法律学科卒業。同年、自治省(現総務省)に入省。1999年株式会社宝島社に転職し、雑誌『SPRiNG』編集部所属。2003 年渡英し、ロンドンでスタイリストのマルコ・マティシック氏に師事。帰国後の2004 年よりフリーランスのファッションエディターとして活動。2012 年一橋大学法科大学院入学。2016 年最高裁判所司法研修所を修了(第69 期)し、弁護士登録(第二東京弁護士会)。ココネ株式会社を経て、2017 年林総合法律事務所入所。2018 年、ファッション関係者のための法律相談窓口「fashionlaw.tokyo」(fashionlaw.tokyo | ファッション関係者の法律相談窓口)を開設。
自由な学生生活から中央官僚、そしてファッション誌編集者に
- 海老澤さんは 法学部を卒業後、国家公務員からファッション誌編集者、そして現在はファッション関係の法律問題を扱う弁護士と異色のキャリアを築かれてきました。学生時代にはどのような生活を過ごし、どのような将来を思い描かれていたのですか?
海老澤:中学までは地元の公立校に通い、慶應義塾の一員となったのは女子高等学校(以下、女子高)からです。父親が公務員の、いわゆる「堅い家」で育ったせいか、当時から漠然と自立した女性になりたいという意識はありました。そんな思いで入学したところ、実に個性的な友達に囲まれ、自由な校風で過ごす高校生活は毎日がひたすら楽しくて(笑)。女子高では6月の演劇会や十月(かんな)祭のほか、ハロウィンやクリスマスパーティーなどイベントも盛りだくさんで、時には生徒が教室で先生のお誕生日パーティーを開いたこともありました。
その頃からおしゃれが好きで、当時はいわゆる“Olive少女”でした。ファッション誌では、『Olive』のほか、後に自分が編集に関わることになる『CUTiE』も愛読していましたね。女子高の演劇会では衣装担当を務めて、徹夜で主人公の服を作ったりもしていました。進学の際も大学ではなくファッション系の専門学校に行こうかと考えたこともあったのですが、両親に説得されてあきらめました。
- 大学では法学部法律学科で学ばれています。
海老澤:やはり女性として自立するためには父と同じく公務員の道が一番かと思い直し、法学部法律学科に進みました。ゼミは刑法の加藤久雄先生でしたが、法曹はあまり意識していませんでした。それより入学後は女子高時代から憧れていたダンスサークルに入って、朝から晩までダンスに明け暮れていました。そんなわけで(笑)、民間企業の就職活動には完全に出遅れてしまい、3年生のときにようやく国家公務員Ⅰ種(現総合職)試験の勉強を始めた感じです。
- 自治省(現総務省)を選ばれたのはなぜですか?
海老澤:父の転勤で地方生活の経験があり、もともと地方行政への興味がありましたし、官庁訪問で出会った自治省の方々が素晴らしい方ばかりで「こういう人たちのようになりたい、一緒に働きたい」という気持ちが強くなったからです。入省後は半年の人事院研修を経て、岐阜県庁に赴任しました。県庁では職員の皆さんにとても大事にしていただきました。私が見聞を広められるように市町村の首長の方々に直接お話を伺う機会もつくっていただき、1年ほどの期間でしたが地方自治の仕事とシステムを一通り知ることができました。
- ところがそこからいきなりファッション誌の編集者に転身されてしまう。
海老澤:岐阜はもともと繊維産業が盛んな土地。仕事を通してかつて華やかだった商店街がシャッター街になっているのを見るにつけ、自分の中で「やっぱりファッション業界に関わりたい」という気持ちが強くなってしまって・・・。宝島社がファッション誌の編集者を募集しているのを知り、すぐに応募しました。自治省の上司からは強く引き留められましたが、私の気持ちはもう決まっていました。「今の仕事を続けながら、趣味でファッションに関わることもできる」と諭されましたが、どうせやるならファッションの世界にどっぷりつかりたかったのです。今思い返しても、自治省の先輩方や岐阜県庁の方々には申し訳ないことをしたと思っています。
両親にも報告せず、転職後に電話で事後報告をしただけです。しばらくして父からかなり長文のFAXが送られてきました。実はその中身は恐くて未だに読んでいないのです。読んだら泣いてしまいそうで。
仕事の中で生じた疑問が新しい道を切り開くきっかけ
- まったく畑違いの編集者としての再出発はいかがでしたか。
海老澤:新人編集者として無我夢中で働きました。自分が愛読者だった『CUTiE』編集部で見習い期間を過ごし、その後『SPRiNG』編集部に配属されました。当時『SPRiNG』は隔週発行の雑誌だったので、2週間に1回、校了の修羅場を迎えます。仕事はハードでしたが、毎日が文化祭の直前みたいで刺激的でした。最初の頃はモデル、フォトグラファー、スタイリストとの撮影現場は新鮮でしたが、時代に「ファッション写真にとって一番重要な要素である服を自分で選んでみたい」という思いが強くなりました。調べてみると、パリやロンドンなどのファッションエディターは、ディレクター的な立場で服選びまでをトータルに手がけていることがわかり、私もそういうふうに仕事をしたかった。そこで渡英してスタイリスト修業をしようと思い立ちました。
- ずいぶん思い切った決断ですね。
海老澤:そうですね。でも「これをやりたい!」と思うとそちらの方しか見えなくなってしまうタチ(笑)なので、自分自身としてはわくわくしていました。ロンドンは女子高時代に短期留学で訪れてなじみがありましたし、英語もそのときに集中して勉強しましたので、特に不安はなかったです。ロンドンでは在籍したファッション系カレッジの知人の紹介でスタイリストのマルコ・マティシックのアシスタントになることができ、高級百貨店「ハロッズ」の広告制作などを手がけました。
- 1年後に帰国されてフリーのファッションエディターとしての活動を開始されました。
海老澤:フリーとしては7~8年仕事をしました。女性ファッション誌や広告のディレクション、スタイリングなども手がけました。そうした仕事をする中で、撮影された写真の著作権問題やファッション業界の長時間労働、ハラスメントなど労働環境問題について考えることが多くなりました。
写真の著作権の問題とは、雑誌のために撮影した写真作品をポスターや広告に流用する場合、撮影したフォトグラファーに許諾を得て2次使用料が支払われます。でも、写真はフォトグラファーのほか、編集者、スタイリスト、メイクなど多くのスタッフが関わって生み出されるもの。現状では原則としてフォトグラファー以外は著作権者として認められていません。私は編集者としてこのことに疑問を抱いていました。私のような編集者やスタイリストが主導する撮影現場もあるからです。また、しばしば2次使用料そのものが支払われないケースもあります。ファッション業界では正式に文書を交わさない口約束の文化が続いていましたから、2次使用料以外でもギャラなど仕事の契約内容が曖昧にされるケースが少なくありませんでした。
そこでふと自分が「法学部法律学科」出身であることを思い出しました(笑)。それが弁護士に転身するきっかけです。
- ご自身が弁護士になって、そうした法的問題に取り組もうと考えられたのですね?
海老澤:はい。2011年3月まで、企画提案から編集ディレクションまでを担当する『エル・ジャポン』のコントリビューティング・エディターとして働き、4月からロースクールに入るための勉強を始め、翌年4月に一橋大学法科大学院に入学しました。働きながらロースクールで学ぶ学生もいますが、私は司法試験の勉強に集中して取り組むために仕事はきっぱりと辞めました。それでも久しぶりに取り組む勉強はずいぶんと苦労しました。1回目の司法試験は不合格。2回目でなんとか合格することができました。2016年に弁護士登録をして、最初は着せ替えアプリなどを企画制作しているココネ株式会社にインハウスロイヤー(社内弁護士)として就職しました。IT系企業ですが自社を「アパレル」と位置づけている面白い会社で、私は広報の仕事も任せてもらいました。仕事自体は面白かったのですが、弁護士としてのキャリアを積むためには、やはり弁護士事務所に入るのが得策と考え、現在の事務所に入りました。企業法務の案件を中心に、弁護士として幅広い経験を積ませてもらっています。
出会いと直感を大切にやりたいことを追及してください
- ファッションに関わる法律問題ファッションローを専門とする弁護士を目指されているとか。
海老澤:ファッションエディター時代に、ファッション業界の人々がさまざまな法的問題を気軽に相談できる駆け込み寺みたいな場所があればと思っていました。事務所の上長にそのことを話したところ「今すぐ作ってみたら?」と言われまして、今年1月に事務所の協力を得て「fashionlaw.tokyo」を立ち上げました。すでに未払いやコピー商品など多くの相談に応じており、日本ではまだ定着していないファッションローという分野を広めていく拠点になればと思っています。また、少しずつですがファッションエディターとしての仕事も再開させています。クリエーターとしてファッションの現場に関わることは、私にとってやはり魅力的ですし、法律家としていま現在の現場を実際に知ることは大いにメリットがあると思うのです。
- 最後に塾生へのメッセージをお願いします。
海老澤:私にとって「慶應義塾=自由」。女子高から大学を通して、一人ひとりの個性を大切に自由な環境ですくすくと育てていただいたという思いがあります。そして私の最大の幸運は多くの出会いに恵まれたことでした。女子高の友人たちは現在も一緒に食事に行く仲です。各界で活躍する大学のゼミ仲間たちも会えば学生時代と同じノリでつきあえます。旧自治省や1年お世話になった岐阜県庁の方、さらに司法修習時代の仲間など、数々の出会いがあったからこそ今の私があります。塾生の方は、自分の直感を信じて自由に自分のやりたいことを追求されるといいと思います。直感って意外と間違わないものです。直感に従って無我夢中で取り組めば、いい出会いがあるし、きっといい結果がついてくると思います。
- 本日はありがとうございました。
撮影:日詰 眞治
この記事は、『塾』2018 AUTUMN(No.300)の「塾員山脈」に掲載したものです。
※所属・職名等は取材時のものです。