慶應義塾

一万円札の福澤と新紙幣の顔3人

2025/01/22

キャッシュレス社会が進展したとはいえ、一万円=福澤諭吉のイメージは老若男女問わず定着している。しかし2024年7月3日より、一万円、五千円、千円各紙幣のデザインが一新。一万円札の顔として40年間親しまれてきた「福澤諭吉」はここで“引退”することになるが、新紙幣の顔となる3人にはそれぞれ同時代を生きた福澤とのさまざまな関わりがあった。

一万円札の肖像の参考にされた写真 (福澤研究センター提供)

一万円札の顔として40年なぜ「福澤諭吉」だったのか?

福澤諭吉の肖像を使った一万円札が発行されたのは1984年11月。財務省のWebサイトによると、選定理由は「最高券面額として、品格のある紙幣にふさわしい肖像であり、また、肖像の人物が一般的にも、国際的にも、知名度が高い明治以降の文化人」であると書かれている。海外では国王や政治家が紙幣に採用されることが多く、大学創立者が紙幣のデザインになることは珍しい。このとき、同時に発行された五千円札(新渡戸稲造)、千円札(夏目漱石)は2004年にそれぞれ樋口一葉、野口英世の肖像に変更されたが、一万円札はデザインのみ変更され、福澤の肖像は残った。

新千円札の肖像初代医学部長「北里柴三郎」

信濃町キャンパス北里記念医学図書館内の胸像

新千円札の顔となる北里柴三郎は、「近代日本医学の父」であり、慶應義塾大学初代医学部長である。北里はドイツ留学中に破傷風の血清療法を確立し細菌学者として世界的な名声を得た。彼の帰国後、福澤は芝公園の所有地を提供し、私財を投じて伝染病研究所の設立を支援した。そのとき、福澤57歳、北里40歳。以来、北里は福澤の恩を忘れなかった。福澤の死後、慶應義塾は北里に協力を仰ぎ大学部に医学科新設を計画。1917(大正6)年に開設された医学科の初代学科長(後の医学部長)に北里を迎えた。その創立記念パーティーで北里は「予は福澤先生の門下生ではないが、先生の恩顧をこうむったことは門下生以上である」とスピーチしている。1928(昭和3)年まで医学部長を務めた北里は、その後も顧問として、生涯、慶應義塾大学医学部を支え続けた。

新五千円札の肖像女子教育の先駆者「津田梅子」

福澤が徳川幕府の万延遣米使節団の一員として咸臨丸で渡米してから11年後の1871(明治4)年12月、新政府が欧米視察を目的に実施した「岩倉使節団」。その一行の中に日本初の女子留学生として最年少で加わった満6歳の津田梅子がいた。翌年1月、米国に到着した梅子は、以後11年間を米国文化の中でその教育を受けて育った。帰国後の梅子は日本での女性の立場にカルチャーショックを受けた。同時代の福澤も何度かの欧米での見聞を通して女性の地位向上や女子教育に対する問題意識を共有しており、「日本婦人論」(1885年)などの文章を残している。また、梅子の留学を後押しした父・津田仙と福澤には、1867(慶応3)年に幕府の訪米使節団の外国奉行支配通弁(通訳官)を共に務めた縁があった。

再度、米国に留学した梅子は帰国後の1900(明治33)年、「女子英学塾」(現在の津田塾大学)を創立。福澤が亡くなる前年のことであった。

訪米使節団の集合写真。左より4番目が津田仙、一番右が福澤 (福澤研究センター提供)

新一万円札の顔近代日本経済の父「渋沢栄一」

福澤と渋沢栄一の共通点と言えば「官尊民卑の打破」を目指していたことだろう。福澤と津田仙が幕府の訪米使節団に加わっていた同じ年、渋沢はパリ万博に出席する徳川昭武(将軍慶喜の弟)に随行して渡欧し、海外の実情を知る。明治維新後、大蔵省の役人として明治政府に仕官した渋沢だが、1873(明治6)年に大蔵省を辞め、第一国立銀行や抄紙会社(後の王子製紙)を設立、官尊民卑の打破を目指す民間経済人として歩み始める。

福澤との出会いは、渋沢の大蔵省時代の1869(明治2)年、改正掛長として西洋事情に詳しい福澤に度量衡の講釈を聞きに行ったときである。その後、大隈重信邸で2人で将棋を指したこともある(勝ったのは渋沢)そうだ。

渡欧中の渋沢栄一 ( 国立国会図書館データベースより)
「吾々学者流に於ては人権平等の論を論ずること久し。官尊民卑も亦この論旨に反するものなるが故に」と述べる (『福翁百話』より、福澤研究センター提供)

「論語」を大切にした渋沢と福澤は必ずしも思想的に一致しているわけではなかったが、官尊民卑の打破への思いとお互いの功績は認め合っていた。もしあの世の福澤が、一万円札の顔をバトンタッチする相手が渋沢だと知ったらどのような感想を抱くだろう。そんな想像をしてみるのも楽しい。

現在、福澤の故郷の大分県中津市では、一万円札の肖像交代をきっかけに「不滅の福澤プロジェクト」と題してさまざまなイベントや観光PRを展開している。慶應義塾もこのプロジェクトに参加し、福澤が一万円札の顔となっていたことを全国に、そして次世代に伝えていく協力をしている。

この記事は、『塾』 SUMMER 2024(No.323)の「ステンドグラス」に掲載したものです。