慶應義塾
Keio FUTURE

〈持続可能性と経済〉

過酷な姉妹星の謎に迫る 気象メカニズムの解明から探る私たちの足元

公開日:2026.04.06

地球規模で深刻化する気候変動。その行く末を予見するための「鏡」が、空に輝く金星にあります。地球と似た大きさを持ちながら、極端な温暖化が進んだ金星の気象メカニズムを解明することは、私たちの足元を守ることに直結しています。この分野で世界をリードするのが、慶應義塾大学法学部(日吉物理学教室)・自然科学研究教育センターの杉本憲彦教授です。日本の探査機「あかつき」のデータと数理モデルを融合させ、世界で初めて金星大気の3次元構造の再現に成功した杉本教授に問いました。先生、地球は将来、金星のようになってしまうのでしょうか?

プロフィール

杉本 憲彦(すぎもと・のりひこ)

教員・研究者/慶應義塾大学 法学部(日吉物理学教室)・自然科学研究教育センター教授

2005年3月に京都大学大学院理学研究科博士課程修了(理学博士)。名古屋大学大学院工学研究科計算理工学専攻COE研究員、慶應義塾大学法学部日吉物理学教室専任講師、同准教授などを経て、2020年4月から慶應義塾大学法学部同教室教授。2014年からフランス、エコールポリテクニークに2年間留学、2017年日本流体力学会竜門賞受賞。慶應義塾大学自然科学研究教育センターの副所長も務めた。アメリカ地球物理学連合のアソシエイトエディター、岡山大学工学部や東京都市大学環境学部の非常勤講師も務める。2026年6月に日本気象学会理事に就任予定。気象予報士。日本ソムリエ協会認定のワインエキスパートでもある。

Keio FUTURE

〈持続可能性と経済〉

過酷な姉妹星の謎に迫る 気象メカニズムの解明から探る私たちの足元

公開日:2026.04.06

地球規模で深刻化する気候変動。その行く末を予見するための「鏡」が、空に輝く金星にあります。地球と似た大きさを持ちながら、極端な温暖化が進んだ金星の気象メカニズムを解明することは、私たちの足元を守ることに直結しています。この分野で世界をリードするのが、慶應義塾大学法学部(日吉物理学教室)・自然科学研究教育センターの杉本憲彦教授です。日本の探査機「あかつき」のデータと数理モデルを融合させ、世界で初めて金星大気の3次元構造の再現に成功した杉本教授に問いました。先生、地球は将来、金星のようになってしまうのでしょうか?

プロフィール

杉本 憲彦(すぎもと・のりひこ)

教員・研究者/慶應義塾大学 法学部(日吉物理学教室)・自然科学研究教育センター教授

2005年3月に京都大学大学院理学研究科博士課程修了(理学博士)。名古屋大学大学院工学研究科計算理工学専攻COE研究員、慶應義塾大学法学部日吉物理学教室専任講師、同准教授などを経て、2020年4月から慶應義塾大学法学部同教室教授。2014年からフランス、エコールポリテクニークに2年間留学、2017年日本流体力学会竜門賞受賞。慶應義塾大学自然科学研究教育センターの副所長も務めた。アメリカ地球物理学連合のアソシエイトエディター、岡山大学工学部や東京都市大学環境学部の非常勤講師も務める。2026年6月に日本気象学会理事に就任予定。気象予報士。日本ソムリエ協会認定のワインエキスパートでもある。

■「未知のベールに包まれていた」金星

科学者としての冷静な視点で杉本教授はこう答える。

「金星は、地球になり損ねているんです。かつては海があったという説もあり、大きさも地球とほぼ同じ。それなのに、一方は生命を育む星になり、もう一方は地表での気温が460度にも達する過酷な星になった。この違いがどこで生まれたのか、その『境目』をはっきりさせたいと考えています」

杉本教授が研究対象とする金星は「姉妹星」と呼ばれるが、その正体は地球とは似ても似つかない。

大気の95%以上は二酸化炭素。分厚い硫酸の雲が金星全体を完全に覆っているため、外部から大気や地表面を観察するのは困難だ。研究のハードルが高そうだが、杉本教授は逆にそこに惹(ひ)かれたという。

「そもそも『わからないものを知りたい』が研究者の道に進んだきっかけでした。火星はすでにかなり探査されていましたが、未知のベールに包まれている金星なら、ブレークスルーを作れると思いました」

金星の最大の特徴は、自転速度をはるかに上回るスピードで大気が循環する「スーパーローテーション(超回転)」。金星は自転周期が243日と非常に遅いのに、上層の大気は秒速100メートル(約4日周期)。地面はゆっくり動くのに、なぜ大気は地面の60倍もの速さで回転しているのか。この大気の謎は、惑星科学における最大級のミステリーの一つだった。

杉本教授は、この難問を解くために、世界で初めての「武器」を開発した。それが日本の金星探査機「あかつき」の観測データと、地球シミュレータを駆使した大気循環モデルを融合させる独自のシステムだ。

通常、シミュレーションはコンピューター上の理論計算だけで完結しがちだが、金星の大気はあまりに複雑で、理論だけでは現実の動きを再現できない。そこで杉本教授はシミュレーションの計算中に、探査機あかつきが実際に捉えた観測データをリアルタイムで流し込み、より「現実」に近いほうへ修正する「アンサンブルデータ同化」という手法を金星で初めて適用した。これにより、金星大気を3次元的に再現することに成功した。

さらに、このシステムを用いて、杉本教授は大発見を成し遂げる。杉本教授らの解析は、太陽の光で暖められた大気が引き起こす巨大な波「熱潮汐(ちょうせき)波」が、大気を加速させるエネルギーに変換される際の変換効率を明らかにした。この「熱潮汐波」は、スーパーローテーションを加速・維持させるエネルギーに関係するとみられている。

杉本教授の視線は、単に今の金星を眺めるだけにとどまらない。地球シミュレータを用い、コンピューターの中に「数百個の金星」を走らせるという壮大な実験を行っている。

「太陽からの距離を少しずつ変えたり、大気の成分を入れ替えたりして、シミュレーションの中で様々なパターンの惑星を作ってみるんです。すると、ある条件を境に、星の環境がドラスティックに変わる瞬間が見えてくる。ここまでは地球のように維持できるけれど、ここを越えると金星のように暴走してしまう……という科学的な境界線です」

杉本教授は「地球を特別視しない」という独自の哲学を持っている。宇宙に存在するあまたの惑星のサンプルの一つとして地球や金星を捉えることで、初めて客観的な姿が見えてくると言う。

「地球がどうして今の状態になったのか、将来どうなるか、他にも似た星が存在するのか、実はまだ誰にもわかっていません。だからこそ、シミュレーションを通じて、生命が存続できる『ハビタブル(居住可能)』な環境がどこで決まるのかを探る。その境界線を物理の言葉で定義することが、地球という星の現在地を知ることにつながるのです」

地球や火星の大気データ同化においても独自の応用研究を進め、太陽系規模での気象学もリードしている。

「エネルギー変換の方法自体は金星で発見しましたが、地球にも使えます。ある地域に高低気圧の渦が何日もとどまりつづけるブロッキングという現象がありますが、この手法を使えば、ブロッキングが起きている理由や解消時期の予想も可能だと考えています」

金星探査機「あかつき」のデータ分析プロジェクトメンバーとして着用していたTシャツ。これを着て多くのメンバーと議論を重ねた

■原点は「カオス」 そして、気象学から金星へ

そんな杉本教授の原点は京都大学理学部に在籍していた時、気象学者エドワード・ローレンツの「カオス理論」を知ったことがすべての始まりだ。

かつて、物理学では量子力学など細かいものを突き詰めていく研究が進んでいたが、いくらミクロな要素を突き詰めても、それが大量に集まった世界では「カオス」が生じ、正確に未来を予測することは困難だった。

「カオスに立ち向かわないと物理の根源には行き着けない、と感じました」

ブラジルでの1匹の蝶の羽ばたきが、米国テキサスでトルネードを引き起こす――。人が気づきさえしないような小さな変化によって、未来の天気などが大きく変わりうるという「バタフライ・エフェクト」という言葉を耳にしたことがある人は多いだろう。ローレンツが、この「蝶の羽ばたき」を例に出した有名な講演を行ったのは1972年のこと。彼自身、気象学者として「カオスがあるから天気予報は当たらない」という問題に直面していた。

「カオスの研究ができる分野だったら、どこでもいい」。そんな思いから、杉本教授も「気象学」の道を歩み始めた。そして、30歳で教職に就いた慶應義塾大学で金星研究に魅せられた。

■「おもしろい地球」を改変したくない

金星の観測データと数値シミュレーションを融合させる「データ同化」に成功したのは世界で唯一、杉本教授らのチームだけだ。地球シミュレータを駆使して「数百個の金星」を走らせるような大規模計算が、この成果を支えている。

「水平面の画像観測だけでは得られなかった情報が入ったデータセットができたことで、従来は見えなかった垂直方向の風の動きや温度の分布まで再現できます。金星の様々な現象を調べるデータベースができあがったことになります」

NASA(米国航空宇宙局)やESA(欧州宇宙機関)が進める金星探査のミッションへの活用も期待されている。

天気予報が100%の確率にならないのはカオスのためだ。こうした予測と現実の誤差の広がり方の違いについても、杉本教授らの金星研究が実を結びつつある。

「地球での予測可能性は1、2週間で、それ以降は天気予報ができなくなりますが、金星ではもう少し長く1カ月予報ができるかもしれない。地球と金星の違いがわかった瞬間はうれしいし、惑星大気を比較して調べる醍醐(だいご)味ですね」

金星の極端な気象メカニズムを解明することは、将来の地球環境を予測するシミュレーションの精度向上に直結する。 金星や地球の大気について解明が進めば、それらを人為的に変えることが可能になるかもしれない。金星をテラフォーミング(惑星の地球化)することも、将来的には不可能ではないと杉本教授は話す。

しかし、テラフォーミングや地球の環境を人為的に改変する「ジオエンジニアリング(気候工学)」の実装について、杉本教授は懐疑的だ。

「成層圏に火山灰をまいて太陽光を減らせば地球の気温は下がるでしょうが、いつまで灰を入れ続けたらいいのでしょうか。さらに、灰の影響で植物の成長が遅くなるかもしれないし、寒冷化を起こすかもしれません」

「自然への畏敬(いけい)の念」を持ち続けることが、杉本教授にとっての科学者の誇りだ。

「生き物がたくさんいる状況を守りたいし、おもしろいフィールドを潰したくない。だから地球を改変したいとは思いません」

多くの人に気象、地球物理学に関心を持ってもらおうと、著書も執筆

■未来のリーダーに「科学のリテラシー」を託す

杉本教授の現在の主な教育の場は、日吉キャンパスにある。文系の学部生たちに物理を教え始めて20年近く。慶應義塾大学では、実証に基づき論理的に思考し、その結果を論述する能力を身につけるため、文系4学部(文学部、経済学部、法学部、商学部)の学生向けに実験を通じてサイエンスのプロセスを伝えている。

電子のビームを磁力で曲げる実験器具。学生に実験を通して物理の面白さを伝えている

これからの時代、気候変動やエネルギー問題など、一つの国だけでは解決できない課題が山積みだ。

「科学は、知識の使い方を間違えると環境破壊も引き起こします。自然現象の複雑さを知り、科学技術の限界を理解すること。科学者の倫理はもちろん、テクノロジーを正しく制御できる社会をつくれるリーダーが育ってほしいですね」

遠い宇宙の過酷な姉妹星を見つめる科学者の視線は、地球の未来の担い手たちへと、真っすぐに向けられている。



構成:朝日新聞GLOBE+編集長 玉川透

取材・文:山本奈朱香

写真:山田英博

教員・研究者プロフィール