慶應義塾
Keio FUTURE

〈持続可能性と経済〉

「正論」で動かぬ世界を変える 「ガバナンス」の視点から地球環境問題に挑む

公開日:2026.04.06

金星という「地球になり損ねた星」の鏡を通して、【前編】では物理学の視点から気候変動の本質に迫りました。「気候変動は地球規模の最重要課題だ」――。今や世界中の多くの人々が危機感を募らせていますが、現実は国際会議では議論が空回りし、各国の対策は遅々として進まないように見えます。これほど危機が明らかなのに、なぜ世界は動けないのか?この根源的な問いに対し、慶應義塾大学経済学部の森田香菜子教授は、冷静かつ多角的な視点から、社会の「目詰まり」の正体を解き明かそうとしています。

プロフィール

森田香菜子(もりた・かなこ)

教員・研究者/慶應義塾大学経済学部 教授

2004年3月慶應義塾大学総合政策学部卒業後、東京工業大学大学院社会理工学研究科博士前期・後期課程修了。博士(学術)。国立環境研究所特別研究員、慶應義塾大学大学院特任講師、森林総合研究所主任研究員、国連大学サステイナビリティ高等研究所非常勤リサーチフェローなどを経て、2024年に慶應義塾大学経済学部准教授に着任し、2026年4月から同学部教授。持続可能な発展や環境に関する様々な国連のプロセスに参画。国連気候変動枠組条約、生物多様性条約の国際交渉の担当や、国際的な科学的アセスメント組織であるIPCCやIPBESの報告書の主執筆者を経験。現在は、慶應義塾大学経済研究所サステナブルファイナンス研究センター長と、国立環境研究所の客員研究員も務める。

Keio FUTURE

〈持続可能性と経済〉

「正論」で動かぬ世界を変える 「ガバナンス」の視点から地球環境問題に挑む

公開日:2026.04.06

金星という「地球になり損ねた星」の鏡を通して、【前編】では物理学の視点から気候変動の本質に迫りました。「気候変動は地球規模の最重要課題だ」――。今や世界中の多くの人々が危機感を募らせていますが、現実は国際会議では議論が空回りし、各国の対策は遅々として進まないように見えます。これほど危機が明らかなのに、なぜ世界は動けないのか?この根源的な問いに対し、慶應義塾大学経済学部の森田香菜子教授は、冷静かつ多角的な視点から、社会の「目詰まり」の正体を解き明かそうとしています。

プロフィール

森田香菜子(もりた・かなこ)

教員・研究者/慶應義塾大学経済学部 教授

2004年3月慶應義塾大学総合政策学部卒業後、東京工業大学大学院社会理工学研究科博士前期・後期課程修了。博士(学術)。国立環境研究所特別研究員、慶應義塾大学大学院特任講師、森林総合研究所主任研究員、国連大学サステイナビリティ高等研究所非常勤リサーチフェローなどを経て、2024年に慶應義塾大学経済学部准教授に着任し、2026年4月から同学部教授。持続可能な発展や環境に関する様々な国連のプロセスに参画。国連気候変動枠組条約、生物多様性条約の国際交渉の担当や、国際的な科学的アセスメント組織であるIPCCやIPBESの報告書の主執筆者を経験。現在は、慶應義塾大学経済研究所サステナブルファイナンス研究センター長と、国立環境研究所の客員研究員も務める。

■「小手先の対策」ではなく抜本的な変革へ踏み込む

森田教授の専門は、国際関係論をベースにした「環境ガバナンス」と「環境ファイナンス」。単なる法律や規制の枠組みを超えた学問領域だ。関係する様々な主体の利害を理解しながら、地球環境を壊さない仕組みをどのようにしたら作れるのかを考える。その核心は「バラバラな方向を向いているプレーヤーを、同じ目標に向かせ、いかに行動させるか」という、極めて実学的な研究である。

気候変動の問題が解決しない最大の理由は、関わる主体があまりに多く、それぞれの「正解」や利害が異なっているからだ、と森田教授は指摘する。

たとえば、ある企業が商品をつくるために多くの化石燃料を消費したり、森林などの生態系を破壊したりすれば、環境に負荷をかけてしまう。でも、準備なしにいきなり規制するとその企業の経営が傾き、失業者が生まれるかもしれない。その影響で国や自治体の税収が減る可能性もある。かといって、企業の経済活動を優先させ続ければ、気候変動や生態系破壊が進み続け、結果的には環境悪化が企業の経済活動にも悪影響を及ぼす――。

異なる主体が全て同じ方向を向くにはどうしたらいいか。国や自治体、大企業、国際機関といった多様なプレーヤーが、それぞれの利益を超えて連携する仕組み(プラットフォーム)づくりが重要になる。

そのためには、少し木を植えるといった「小手先の対策」に満足していてはいけない。植民地時代から続く搾取の構造や、資源を浪費する資本主義そのもののモデルをどう変革するか。そんな抜本的な議論に踏み込まなくてはならない。森田教授はそう力説する。

いまの世界では、上位10%の富裕層が出すCO2が排出量全体のおよそ半分を占めているという調査結果がある。排出量が少ない途上国の立場に立てば、富裕層の排出量を制限しないまま、これから経済発展したいと考えている国の経済活動を制限しようとしても、理解は得にくいだろう。

「どこの国の人も豊かで便利になる権利はあります。その一方で、このまま環境破壊を続けていると資源がなくなってしまうし、環境問題が人々の健康や経済活動などにも悪影響を及ぼしてしまう。世界全体で持続可能な社会を実現するためにお金をまわしていく方法を考えなければいけません」

そこで、森田教授が特に重視するのが「民間資金」だ。「公的な資金には限界があります。莫大(ばくだい)な民間資金をいかに環境や持続可能な発展のために誘導するか、その仕組みづくりが鍵を握っています」

■「現場を見る」ことの大切さ

森田教授がこの道を選んだ背景には、忘れられない光景がある。学生時代に訪れた南太平洋の島国・ツバルだ。

南太平洋に位置し九つのサンゴ礁の島々から成るツバルは、気候変動の影響による海面上昇で「世界で最初に沈む国」と言われている。国土は東京都品川区とほぼ同じ約26平方キロメートル。ここで暮らす人々は、自然の恵みを大切にし、取った魚をみんなで共有するような素朴な暮らしを営んできた。

大学院生の時、この国を訪れたことが、森田教授の決定的な転機となった。

ツバルでは、土壌に海水が入って作物が育たなくなることが問題になっていた。先進国や国際機関の資金援助によって生活は成り立っていたものの、そのことで文化や価値観が変化しつつあった。

地元の人たちにはもうけようという感覚がほとんどなく、キリスト教徒が多いためか海面上昇など気候変動の影響についても旧約聖書の記述から「洪水は来ないから大丈夫」と信じている人もいた。自分が持っている価値観は日本独自の感覚でしかない。そう気づかされた。

CO2を排出しているのは先進国なのに、影響を受けているのは質素な生活をしているツバルの人々。そんな理不尽さを垣間見た経験から、「現場を見ないことには、気候変動によってどんな影響があるのかをイメージできない」と痛感した。

大学院生でツバルを訪れた際に、現地の人からプレゼントされた貝殻の首飾り

森田教授の父・恒幸氏は気候変動の著名な研究者で、自身も小学生時代からなんとなく「研究者になりたい」と思っていたという。机上で資料やデータとにらめっこするだけでなく、積極的に途上国へ足を運ぶという研究スタイルも父の影響だ。「本を読むだけではなく、若いうちに実際に途上国を見なさい」という教えを受け、成人式の着物代を渡航費に充て、各地に足を運んだ。

進学した慶應義塾大学の総合政策学部では経済学を中心に学んだものの、経済学や金融論の数式と向き合う世界に苦労した。

それでも学ぶことへの意欲は増すばかりで、国際関係論や国際開発学など幅広く学んだ。

そして、大学院時代にツバルを訪れたことで、人生をかけて目指すべき目標が定まった。

「現地で、支援に頼らざるを得ない経済社会を目の当たりにしました。その時、お金の流れ(ファイナンス)が環境問題を解決する鍵になると確信したのです」

子どもたちに気候変動や脱炭素に向けた社会づくりを解説する絵本の監修も担当した

■逃げ切れない世代のために

1988年に設立された「国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」には、200近い国と地域が参加している。IPCCが5~7年おきに発表する評価報告書は、世界中の科学的な知見を集約し、政策中立の立場で、気候変動に関する各国政府の政策に科学的な根拠を提供することが主な目的だ。

1988年に設立された「国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」には、200近い国と地域が参加している。IPCCが5~7年おきに発表する評価報告書は、世界中の科学的な知見を集約し、政策中立の立場で、気候変動に関する各国政府の政策に科学的な根拠を提供することが主な目的だ。

2022年に公表された第3作業部会の報告書では、「世界全体の平均気温の上昇を産業革命以前と比べて2℃より十分低く保ち、1.5℃に抑える努力をする」という目標に対し、早期の大幅な温室効果ガス排出削減が必要であり、そのために社会システム変革が求められていることが示されている。比較的安価な気候変動の緩和のオプションはあり、それを大規模に展開するための重要な要素の一つがファイナンスである。しかし、気候変動対策のために必要な資金が十分流れておらず、報告書では民間資金を含めて資金の流れを気候変動対策に向けるための方法なども示された。

主執筆者を務めたIPCC第6次評価報告書 第3作業部会報告書。2022年4月に公表された

森田教授は各国の利害など一筋縄でいかないジレンマを感じながらも、「時間がありません。国を超えていろいろな分野と情報交換しながら一緒にできることを考えたい。問題を解決できる方法がまだ存在するのだから」と話す。

生物多様性の国際的な科学的アセスメント組織であるIPBES(生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学―政策プラットフォーム)の社会変革アセスメントの主執筆者も務めた後、現在はIPCC第7次評価報告書第3作業部会のファイナンス章の主執筆者として新たな報告書の執筆にも取り組む。2025年12月には森田教授も出席して最初の執筆者会合が開かれ、第7次評価報告に向けて議論が始まった。

気候変動と生物多様性の両分野で政策と科学の架け橋となる世界的にも希少な研究者として、国際的な議論をリードする。

そんな森田教授が国際会議や共同研究の場で痛感しているのは、日本と欧米における「問題の捉え方」の差だ。

日本の研究者や企業は、個別の技術開発や特定の事例(各論)において非常に優れた成果を上げる傾向にある。例えば、省エネ技術などの個別事例は世界に誇れるものだ。しかし欧米の研究者は、持続可能な社会作りに必要な個別の要素をつなぎ合わせ、「社会システム全体をどう変えていくか」という巨大なグランドデザインを描くことから始める、と森田教授は言う。

「環境研究の各分野が発展していく一方で、日本も昔のほうが、もっといろいろな人を交えて社会全体について議論していたのでは、と感じます。『そもそもサステイナビリティとは何だったのか』という原点の理念に立ち返り、システム全体を俯瞰(ふかん)する視点が今の日本の学生や研究者に求められているのではないでしょうか」

森田教授が大切にしているのは、現代の大人の意思決定が、20年後の若者の選択肢を奪いかねないことへの危機感だ。

自分が子どもの頃は様々なことにチャレンジできる環境があったが、今は夏が暑すぎて小学校でプールの授業ができない日もある。

「気候変動など環境問題が深刻化する中、年配の人は逃げ切れるかもしれないけれど、若い世代はやりたい仕事ができなくなったり、世界が混乱して自由に海外に行けなくなったりするかもしれない。これから生まれてくる人たちがやりたいことを選べるように、上の世代が社会の仕組み自体を抜本的に変えなければいけないと思います」



構成:朝日新聞GLOBE+編集長 玉川透

取材・文:山本奈朱香

写真:山田英博

教員・研究者プロフィール