慶應義塾

友成 晋也:アフリカで野球を通じての人材育成に尽力

公開日:2025.11.07

登場者プロフィール

  • 友成 晋也(ともなり しんや)

    その他 : 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構(J-ABS)代表理事経済学部 卒業

    塾員(1988経)。1996年JICA職員としてガーナに赴任以降、アフリカ各地で野球を指導。2020年JICAを早期退職し、J-ABS に専念。

    友成 晋也(ともなり しんや)

    その他 : 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構(J-ABS)代表理事経済学部 卒業

    塾員(1988経)。1996年JICA職員としてガーナに赴任以降、アフリカ各地で野球を指導。2020年JICAを早期退職し、J-ABS に専念。

  • インタビュアー 加藤 貴昭(かとう たかあき)

    環境情報学部 教授その他 : 体育会野球部部長

    インタビュアー 加藤 貴昭(かとう たかあき)

    環境情報学部 教授その他 : 体育会野球部部長

JICAに入職して

──友成さんは、30年間アフリカで野球の普及に取り組んで来られました。まず、塾高・大学の野球部時代はいかがでしたか。

友成

当時の慶應義塾高校は20年程甲子園から遠ざかっていて甲子園なんて夢のまた夢。僕はもう高校で野球は終わりだと思っていたんですが、最後の夏の県予選の強豪武相高校戦でなぜか活躍し、先輩から誘われて悩んだ末に大学でも野球部に入ったんです。

大学に入ると、ショートは4年生に上田和明さん(後に巨人)、3年生に奈良暢泰さん、2年生に布施努さんがいる。バッティング練習で三遊間にボールが飛んで来ると、上田さんが軽快なステップで回り込み、ワンステップでヒュッとファーストにボールを投げる。

次に奈良さんが、もっと深いボールに素早く入り、そこからノーステップでものすごいボールを投げる。それを見て、「ベンチ入りも無理だな」と。

──同期だと誰がいましたか?

友成

猿田和三、鈴木哲、加藤健、加藤豊など、リーグ戦で活躍する選手がいて、このメンバーが全日本に選出され、日米大学野球選手権に行きました。先輩、後輩にも優秀な選手が多く、在籍中に全国優勝を2回経験させてもらいました。

──卒業後、リクルートコスモスを経てJICAに入られたのですね。

友成

国際的な仕事がしたくて、この時代は国際不動産が流行り始めた頃なので、かっこいいなと思い、コスモスに入ったのです。でも、入ったらいきなりリクルート事件は起きるわ、バブルは崩壊するわで、国際不動産どころではなくなってしまった。どうしようかと思った時に、JICAが中途採用の募集をしていて転職しました。

JICAに入ると仕事が面白くてしょうがない。途上国でいろいろなプロジェクトをやるのですが、JICAは外部の様々な専門家の方を連れてきてチームをつくり協議します。皆でコミュニケーションを取りながら合意形成して相手側に交渉する。そのプロジェクトが成立するまでの過程で野球部の経験がすごく生きて、楽しかったのです。大学野球部ではベンチにも入れませんでしたが、JICA職員としての自分の役割は、メインプレーヤーでチームを率いていくような形でした。

JICAで最初に配属されたのは広報課でした。広報はいろいろな情報収集をする必要がありますが、自分は中途採用だから同期がいないのでJICAの中でネットワークをつくるために三田会をつくりました。もう30年の歴史がありますが私が創設者です。

アフリカに野球を広げる

──それからガーナに赴任されるわけですが、そこで野球を始められたきっかけは何だったのでしょう。

友成

ガーナに赴任が決まる直前まで真剣に草野球をやっており、最後の試合の後、監督に「ガーナでも子どもたちにキャッチボールぐらい教えたい」と言ったら、「じゃあ、友成君のために皆で野球道具を集めよう」と、段ボール2箱分くらいグローブが集まりました。その話がガーナ事務所に伝わり、赴任早々、「今度、ガーナチームと在留邦人との試合があるんです。出ませんか」と誘われました。

全日本チームvsガーナナショナルチームという立て付けで、4番ショートで出ました。相手はナショナルチームとは言いながら、せいぜい110キロぐらいの速球の選手。僕はタイムリーヒットを打ったり、三遊間のゴロを、わざとダイビングキャッチしたりして盛り上げました。終わった後に「ぜひナショナルチームの監督をやってください」と言われ、驚きましたが、「やりましょう」と言ったんです。

それから3年の間に日本のTV番組「奇跡体験 アンビリバボー」がやってきて、「奇跡を目指す野球チーム」と言われて日本で放映されました。そこが、まず1つの出発点でした。

──それからガーナ以外のアフリカ各国でも野球の指導をされるようになりますね。

友成

今につながる大きな経験があります。1999年9月、オリンピックの予選でもある、オールアフリカゲームズというものにガーナのチームを連れていきました。

その開会式で南アフリカのムベキ大統領がスピーチをしました。「皆さん、ようこそ南アフリカへ。アフリカがここに集まった。アフリカは1つだ。"Africa is gathered. Africa is one!"」と言ったんです。その瞬間、スタジアムだけではなく、グラウンド上の53カ国の選手団がブワーッと盛り上がった。その渦中に僕もいて鳥肌が立ちました。僕のアフリカ観を変えた瞬間でした。

ご存じの通り、アフリカはイギリス、フランス、ベルギー、イタリアなどの植民地で、国境線が勝手に引かれ、同じ民族でもバラバラになってしまったところもある。でも、例えば南スーダンの難民をウガンダが「"Africa is one" だから」と受け入れるように、日本人には見えないフィロソフィーのようなものがあるようです。

それを僕は肌で感じ、ガーナ1国を支援するという話ではないと思った。だからJICA在職時代につくったNPOは、ガーナ野球友の会ではなく「アフリカ野球友の会」なのです。アフリカが一つになるような手助けができたらなという志です。そうやってウガンダ、ザンビアやケニアなどで野球を広め始め、タンザニアでも、南スーダンでも野球をゼロから立ち上げ、代表監督を務めてきました。

アフリカで学んだ野球の3つのチカラ

──アフリカで学んだ「野球の3つのチカラ」ということで、「民主主義を広めるチカラ」「人を育てるチカラ」「平和を創るチカラ」を言われていますね。

友成

ちょうどガーナに行き3年ほど経った頃、少年野球大会が行われました。その時、楽しそうにやっている12歳ぐらいの子に「君、野球のどんなところが好きなの?」と聞きました。

すると「僕はバッターボックスが楽しいんだ。バッターボックスに立つと、皆が自分だけを応援してくれる。ヒットを打ったらヒーローになれる。そのバッターボックスは、皆に平等に順番が回ってきて野球は民主的だから、僕は好きなんだ」と言われた。民主的だから野球が好きという子どもが、果たして日本にいますか。初めて聞いた言葉でした。この話は私のアフリカ野球30年の原点です。

私はそれまでにガーナの貧困の現場をたくさん見ていました。その中で子どもたちは、平等にチャンスを与えられない社会にいるのです。金持ちの子は病院に行けるし、学校教育を受けられる。でも貧乏な子は学校もドロップアウトし、親を助けて仕事をしなければいけない子がたくさんいる。でも金持ちの子でも貧乏な子でもグラウンドに来たら、皆平等に順番でヒーローになれるチャンスが与えられる。

実はそれまでガーナで野球を教えているのは自分がたまたま大学まで野球をやっていて、好きだから教えている、自分のエゴではないかと、少し引け目に感じていたところがあったのです。それがその少年の言葉で僕は報われた。いや、報われたどころか、この厳しい環境に生きる子どもたちにこそ、野球というスポーツが必要ではないかと思わせてくれました。

──なるほどいいお話ですね。

友成

JICAでの最後の赴任地、南スーダンは半世紀にわたり人類史上最長の内戦が続いた国です。64の民族がいて、ヌエル族、ディンカ族という2大勢力が争っています。

南スーダンで野球道具を持って地元ジュバ大学の学生に「キャッチボールをやろうぜ」と言いました。これが南スーダンでの野球の始まりです。「また来週やろう」と言って、毎週日曜日に来るようになると、壁の割れ目から覗いていた子どもたちが、壁をよじ登って入ってきて、30人、40人になってくる。「じゃあ、野球教室をやろうか」と、野球教室が始まります。

それを知った学校の先生たちが見に来ます。「これは規律・尊重・正義を学べるスポーツです」と言うと、「それは素晴らしい。うちの学校に野球クラブをつくってくれ」と、野球クラブチームが広がっていきました。

するとその評判が教育関係者に広がり「規律・尊重・正義の価値を育んだ若者たちが南スーダンの未来を平和にするに違いない。このベースボールというスポーツをナショナルスポーツにしよう」と言い始め、南スーダン野球連盟が立ち上がります。その時の会長は第二勢力のヌエル族で事務局長は第一勢力のディンカ族でした。野球を通じて、いがみ合っている民族が手を組み、未来の平和を創るために野球連盟を立ち上げた。その経験に感動し、野球には「平和を創るチカラ」がある、と実感しました。

南スーダン野球教室 (J-ABS提供)

人材育成のツールとしての野球

──そして、J-ABS(アフリカ野球・ソフト振興機構)を立ち上げられるわけですが、JICAを退職されるきっかけは何かあるのですか。

友成

J-ABSを立ち上げるにあたり、その理念に共感してもらえるインフルエンサー的な人が必要なのではないかと考え、それは松井秀喜さんしかいない、と思ったんです。

それで、彼の側近だった広岡勲さんにアプローチをしようと思いました。広岡さんは報知新聞の記者でしたが、松井さんが大リーグに挑戦する際、頼まれて一緒にアメリカに行った方です。その時、広岡さんは某大手新聞に栄転することが決まっていたのを辞退し、給料が激減するにもかかわらず、ニューヨーク・ヤンキースの広報課に転職します。こんな覚悟のある人には、JICAを辞めるぐらいの覚悟を見せなければと思いました。

その思いが伝わり、「そこまでの覚悟があるなら松井に伝えます」と。すると松井さんもとても関心を示してくれて「何か自分にふさわしいポジションをつくってください」と言われ、「エグゼクティブ・ドリームパートナー」に就任していただきました。

──J-ABSの活動の特色はどういったところでしょうか。

友成

J-ABSの活動は、それまでの野球の普及活動と違い、野球を人材育成のツールと位置づけていることです。野球は目的ではなく、手段とし、その活動を、「アフリカ55甲子園プロジェクト」と称しています。55は、アフリカの54の国と1つの地域の総数を指し、甲子園は人材育成を大切にする日本の野球文化の象徴で、日本の人づくり野球文化をアフリカ中に伝えていくプロジェクトです。

では、それをどう伝えていくか。それが「ベースボーラーシップⓇ教育」というスキームです。テキストブックをつくり、55のテーマと指導方法が英文と仏文で書かれています。日本式の野球のあり方、「規律・尊重・正義」、礼儀正しく、チームワーク、思いやり、リスペクトの精神を野球の指導を通じてどのように育むかなど、私のアフリカでの指導経験をまとめたものです。

そして、アフリカ各国で「甲子園大会」を行い、皆が真剣に取り組む環境をつくった上でベースボーラーシップを発揮する場をつくっていきます。

慶應野球部との交流の成果

──昨年、今年と、慶應の大学野球部がガーナに行かせていただきました。

友成

大変意義深い交流になりましたね。ガーナ人でベースボーラーシップを学んでいる指導者10人と慶應の野球部員が一緒になって5つのチームをつくり、5つの地域で子どもたちにゼロからベースボーラーシップ、「規律・尊重・正義」の心をどうやって育むかの実践をしました。

今年は成果がとても出たと思います。例えばガーナ甲子園大会初日、8時集合だったのに、各チームは7時半に来て自発的にウォーミングアップをしていました。日本だったら当たり前かもしれませんが、アフリカでは奇跡に近いことです。

ベースボーラーシップとは「規律・尊重・正義」などのスポーツマンシップを示す姿勢のことを言いますが、その1丁目1番地は、「なぜ時間を守らなければいけないのか」から始まります。日本人は何も考えずに時間を守りますよね。集合時間3時だったら5分前には全員集合している。

でも、アフリカでは時間の概念が違うのです。アフリカでは3時0分から3時59分が3時なのです。だから約1時間遅れてやってきても遅れていることにならない。でも、それでは3時間練習できるところが2時間しかできない。「それでいいのですか?」ということから、「やはり時間を守るべきだ」となります。

野球のエッセンスは、Anticipation(予測)、Preparation(準備)、Confirmation(確認)です。野球というスポーツは、常に今どういう状況であり、次に何が起きるかを予測し、そのためにどのように準備をして、その結果を皆で確認することが重要です。実際の試合でも、投げて、打って、走る時間はわずかで、予測、準備、確認の繰り返しです。

ですので最初の課題は、時間どおりにグラウンドに来るために、その阻害要件は何かを分析する。例えば渋滞に遭うとか、お母さんに仕事を言いつけられる可能性などをピックアップして、その準備をする。それを考えて実行できるのがいい野球選手なのだ、と。

慶應の野球部員もガーナでの交流を通じてとても成長したように感じています。

ガーナ甲子園2024表彰式 (J-ABS提供)

──今後の活動はどのように考えられていますか。

友成

多くの国で野球を通じた人材育成が定着し、「規律・尊重・正義」の育まれたコミュニティ、地域や社会のリーダーになれる人材が野球を通じて輩出されていくようにしたい。このことがアフリカの未来を変えるのかと思っています。

僕がいなくなっても、広がっていくような仕組み、つまりベースボーラーシップ教育のスクール化ができればと思っています。スクールですから、2カ月に1回評価をして、それを親御さんに返していく。その価値にお金を払うシステムです。お金が集まれば、コーチたちはそれで生活できるし、野球連盟にもお金が入る。そういうことを将来的には考えていて、今着手し始めています。

アフリカに根付くエンジョイ・ベースボール

──ベースボーラーシップ教育の教本の最後にエンジョイ・ベースボールが書かれていますね。

友成

「なぜベースボールはエンジョイしなければいけないのか(Why should we enjoy baseball?)」です。私が塾高2年生の時に、前田祐吉監督が大学の野球部の監督に返り咲き、その時からエンジョイ・ベースボールと言い始めました。

前田監督の言われていることで本当にそうだなと思ったのは、言われてやるのではない、主体的に楽しめ。つまり自分たちで考えろ、自らクリエイティブにやっていくことが大切だということです。

前田さんとは大学時代はあまり話す機会はなかったのですが、社会人になってからは「友成、ガーナで頑張っているな、応援するぞ」と言っていただき、アフリカ野球友の会の会員にもなっていただきました。

第55条「なぜエンジョイしなければならないのか」で私が言っていることは、前田さんとは微妙に違っています。私は、ベースボーラーシップの目指すものは2つの勝利だと言っています。1つの勝利は相手に勝つこと。そしてもう1つの勝利は、昨日の自分に勝つことです。つまり「成長しろ」ということです。目的は勝利と自分の成長。この2つを楽しむことがエンジョイ・ベースボールだぞと、これがアフリカの人には響いています。

日本の野球を通じてアフリカの子どもたちは確実に育っています。エンジョイ・ベースボールも、今アフリカで根付きつつあります。

──これからアフリカでますます野球が盛んになることを願っています。本日は有り難うございました。

(2025年9月10日、日吉キャンパス内にて収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。