慶應義塾

石川幹子:近代日本の名作・神宮外苑の危機

執筆者プロフィール

  • 石川 幹子(いしかわ みきこ)

    中央大学研究開発機構教授・東京大学名誉教授

    元慶應義塾大学環境情報学部教授

    石川 幹子(いしかわ みきこ)

    中央大学研究開発機構教授・東京大学名誉教授

    元慶應義塾大学環境情報学部教授

2022/06/09

風前の灯・神宮外苑

東京の都心に、オオタカの住む豊穣の森である神宮内苑と、絵画館を中心とし、神宮球場や美しい銀杏並木を有する神宮外苑があります。総面積は、131ヘクタール、日比谷公園の約8倍、上野公園の約2.5倍の広大なエリアです。この地は、100年前は代々木練兵場と青山練兵場で、樹木はほとんどない荒野でしたが、綿密な計画により、1世紀の歳月をかけ創り出された近代日本を代表する「名作」です(図1)。

図1 神宮外苑(1926年) / 出典:『明治神宮外苑志』(明治神宮奉賛会、昭和12年8月)

内苑は、明治神宮の聖域として手厚い保護の下にありますが、いま、外苑が存亡の危機にあります。超高層ビルの林立する再開発計画が、令和4年2月9日に開催された第236回東京都都市計画審議会において可決され、3月10日に、東京都公報において、告示されたのです。

これに伴い、都市計画明治公園は、3.4ヘクタールが削除され、そのエリアに3棟の超高層ビルが建設可能となりました(図2)。

図2 神宮外苑再開発案(2022年)

秩父宮ラグビー場は、現在の銀杏並木に隣接する伝統と格式のある立地を捨て、建国記念文庫のある森に移転する計画となっています。完成までには、11年を要するとされており、高さ55メートルの屋根付き屋内ラグビー場となります。これに伴い、静謐な森は、その大半が伐採されることになります。

数々の歴史を刻んできた神宮球場は解体され、銀杏並木に隣接するホテル付の大型球場となります。銀杏並木の背後には、外野スタンドがそびえることとなり、美しい木漏れ日の降り注ぐ銀杏並木は、失われます。スタンドの建設に伴う掘削により、地下水の循環が損われ、長期的には銀杏の生育に大きな影響を及ぼすものと想定されます。4列の銀杏並木から分岐し、元女子学習院のエントランスであった2列の銀杏並木は、伐採もしくは移植が検討されています。これらの銀杏は、1908(明治41)年に新宿御苑の銀杏樹より銀杏を採取し、これを種子として代々木の宮内省豊島御料地の苗圃(びょうほ)で育成したと記録されており、樹齢は114年を数えます。

絵画館前の芝生広場は、外苑の主景です。広い芝生地に国民からの献木を募り、疎林として植栽されたもので、戦災をくぐり抜けて継承されてきた歴史的樹木です。このエリアは、会員制テニスクラブとなるため、これらの樹木は、外周道路沿いの1列を残して、ことごとく伐採されることになります。

ひた隠しにされた大量の樹木伐採

これらの再開発により、大量の樹木が伐採されることは、市民には、最近まで、まったく知らされてきませんでした。令和3年12月14日、都市計画図書の縦覧が開示され、意見書の提出は2週間の猶予しかありませんでした。納得がいかず、自分で調査をして明らかにするしかないと判断し、令和4年1月2日より、2週間をかけて単独で毎木調査を行い、伐採される樹木が約1,000本にのぼることを明らかにし、日本イコモスより公表致しました。広範な署名運動が起こりましたが、再開発計画は原案通り可決され今日に至ります。多くの市民の要請により、伐採・移植する樹木総数(1,052本)が公表されたのは、令和4年4月26日のことでした。

社会的共通資本としての緑地

経済学者の宇沢弘文は、社会的共通資本の概念を次のように述べています。

「社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する」

稠密な都市における神宮外苑のような緑地は、社会的共通資本の典型です。ここで、神宮外苑は、いかにして誕生したのか、歴史を紐解いてみましょう。

明治神宮の造営は、「森厳荘重」を旨とする「内苑」と、「公衆の優遊」を旨とする「外苑」を、前者は国費をもって、後者は献費により行うことが、大正2年2月27日、貴族院議長・徳川家達より、建議され、実現に移されたものです。「外苑」の整備にあたっては、明治神宮奉賛会が組織され、全国および海外からの献金と献木により、大正15年10月に竣工をみました。国民からの献金の総額は7,033,640円、献木は54種3,190本、内外苑造営に奉仕した青年団は、延べ102,792人にのぼったと記録されています。神宮外苑は造営後、明治神宮に奉献され、その美観を永久に保存することが明治神宮奉賛会より要請されました。大正15年9月14日には、東京都市計画・明治神宮風致地区が、日本における最初の風致地区として指定されました。この風致地区は、度重なる変更がありながらも基本的骨格は世紀を超えて継承されている「珠玉の歴史的資産」です。

なかでも、今回の都市計画の対象区域は、現在の風致地区地域区分におけるA地域、B地域に指定されています。A地域は、「風致地区の核として位置づけられ、優良な風致を特に保全すべき地域」であり、絵画館前から芝生広場を経て銀杏並木までが指定されています。B地域は、「核としての地域をとりまく等風致地区の美観、雰囲気を守る役割を果たすべき地域」です。

このように、神宮外苑は、現在は明治神宮の所有地となっていますが、前述したように国民の献金と奉仕活動により創り出されたもので、明治神宮奉賛会(現在のNPOに相当)が、その永続的運営を、明治神宮を信頼し、奉献したものでした。この意味で、単なる私有地とは異なる社会的共通資本です。

原点への回帰

それでは、「近代日本の名作」である神宮外苑を守るには、どのようにしたらよいのでしょうか。都市計画決定は行われてしまいましたので、覆すことは至難の業です。時間との闘いとなり、樹木の伐採は進んでいきます。困った時は、原点回帰が原則です。社会的共通資本としての都市の緑地の原点は、「人と生き物のための空間」です。

1858年にオープンした近代公園の曙であるニューヨークのセントラルパークは、歩道、乗馬道、馬車道、都市間横断道路を立体交差させ、安全で快適な公園を創り出してきました。

日本イコモスはこの原則にしたがい、すでにオリンピックで都市幹線道路は整備済みのため、外苑内の特別都道四谷角筈線(銀杏並木の中央の車道等)を、緊急時等を除いて歩道にすることを考えてみました。その結果が、4月26日に都に提出した図3の「近代日本の名作・神宮外苑」再生案です。

図3 日本イコモス案(「近代日本の名 作・神宮外苑」再生案、2022年)

外苑内を安全な歩行者空間にすることにより、ゆったりとしたスポーツ施設の配置が可能となりました。神宮球場は、車道の位置まで内部に移設することにより、杜の神宮球場として再生が可能となります。高層ビルに囲まれた神宮球場よりも、遥かに魅力的な球場となります。秩父宮ラグビー場は、現地再建を行えば、最高の立地の伝統と格式を継承することができます。この計画では樹木の伐採は、奇跡的ですが、2本で可能となります。

神宮外苑の意匠は、「近代都市美・風景式庭園」で、ヴィスタ(通景線)を通していることに特色があります。現在の青山口から絵画館に至る主軸となるヴィスタに、スタジアム通りから芝生広場に抜ける、新しいヴィスタを導入することにより、さらに懐の深い都市の緑地へと、展開していくことが可能となります。

歴史の重層する空間を破壊することは、開発優先の社会にあっては、容易に行われてきました。過ちを繰り返さないことが、私たちの時代に、課せられた最小限の義務であると考えます。

慶應義塾の貢献

神宮外苑の1世紀の歴史において、慶應義塾は大きな役割を果たしてきました。東京6大学野球の本拠地として、神宮球場の建設・拡張にあたっては、多大な寄与をしてこられました。また、外苑に隣接する慶應義塾大学病院は、勤労奉仕を行った青年団の疾病者治療に多大の便宜を与えたと、記録されています。

小泉信三は、最晩年まで熱心に神宮球場に通い、シーズンが終わり「ではまた秋に」と別れる時、「健闘した青年等に幸い多かれと思う心を切ならしめるひと時であるが、そのひと時を実に愛する」と記しています。

歴史ある神宮外苑が、このような危機的事態に直面しているのは、広大な内苑の杜の維持に要するコストを、神宮球場の収入から捻出していることに起因します。老朽化した神宮球場の建て替えが喫緊の課題となっているのです。都市の緑地に係わる費用を、誰が、どのようにして支払うのか、という根源的な問いが投げかけられています。1世紀前に荒野の中から先人たちが創り出してきた「社会的共通資本」を継承していくための叡智を、再び塾員の皆様に期待したく存じます。

〈参考資料〉

内務省神社局『明治神宮内苑誌』(昭和5年)、明治神宮奉賛会『明治神宮外苑志』(昭和12年)、神宮外苑地区のまちづくり(東京都都市整備局)、小泉信三「大学野球」(『練習は不可能を可能にす』所収、慶應義塾大学出版会、2004年)、山内慶太「神宮球場」(加藤三明・山内慶太・大澤輝嘉編著『慶應義塾歴史散歩(全国編)』所収、慶應義塾大学出版会、2017年)。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。