執筆者プロフィール

竹内 純子(たけうち すみこ)
その他 : NPO法人国際環境経済研究所理事塾員

竹内 純子(たけうち すみこ)
その他 : NPO法人国際環境経済研究所理事塾員
2021/05/19
「電力はアボカドではない」。これはノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマン氏がNYタイムズに寄せた論説の一節である。本年2月、記録的な寒波に襲われた米国テキサス州では、400万世帯以上が数日にわたり停電した上、5日間の電気代が170万円に上った消費者も出たという。クルーグマン氏は、これまで電力自由化の先進地との評価を受けてきたテキサス州のエネルギーシステムは「電力とアボカドを同列に扱う考えに基づくものであった」と批判したのである。電力とアボカドを同列に扱うべきでないのは当然ではないかと思った方も多いだろう。しかし、テキサス州で起きたことは決して対岸の火事ではない。停電には至らなかったもののわが国でも本年1月、需給ひっ迫と電力価格の高騰に見舞われた。わが国の電力システムが直面する課題を考えてみたい。
電気という財の特殊性
電力システム改革は、効率性の向上により電力コストを引き下げることを主たる目的とする。電気事業には大きく分けて発電・送配電・小売りの3つの事業分野が存在し、発電事業の効率化が進めば安価な電力供給が期待できる。小売り事業の自由化は、効率性の向上というより、消費者に多様な選択肢を提供する意義が大きい。
電力システムは、その国や地域の資源の賦存(ふぞん)量、地形、気象や産業構造などの諸条件に応じて制度設計をアレンジせねばならず、「自由化された電力市場の中には、2つとデザインが同じものはない。大規模な実験が進行中であり、比較研究から学ぶことができる」(ロバート・ウィルソン)とも言われている。しかし「実験」の対象が究極の生活財・生産財である電気であるため、失敗の痛みはあまりに大きい。アボカドと異なり、安定供給を確保する制度設計が必要である理由を、電気固有の商品特性を見ることで整理したい。
まず、電気は大量に貯められない。そのため、必要とされる時に必要な量を生み出す生産能力(発電能力)を確保しておく必要がある。電気事業者にとっての金科玉条である「同時同量」という言葉は、まさに需要と供給を同じタイミングでぴったりと合致させなければならないことを表したものだ。在庫を持つこともできず、さりとて欠品も許されない。
通常の商品やサービスであれば、需要が供給を上回った時、増分需要に対する供給ができなくなるだけだ。年末年始などで通信量が急増すれば、一部のユーザーは携帯がつながりにくくなったりするが、ユーザー全部が使えなくなるわけではない。しかし、電気の場合には、システム全体が崩壊してしまう。2017年に北海道で起きた全道停電がそれだ。
その上、水道や交通、通信など他のあらゆる社会インフラを支える「インフラ中のインフラ」であるため、途絶すれば社会が甚大な影響を受ける。実際に停電が起きた時の社会的費用は非常に大きく、安定供給に必要な発電設備を一定水準以上保つことが必要になる。電気とは非常に面倒な財なのだ。
そうした電気という財を生み出す発電設備は実は3つの価値を提供している。最終商品であるエネルギー(kWh価値)、必要な時に必要な量を発電できるというコールオプションの価値(kW価値)、需給の変動を柔軟にフォローし、kWhの品質(周波数・電圧等)を維持する価値(ΔkW価値)だ。自由化した現在、電力の市場は、kWhと呼ばれるエネルギーを主にトレードする場になっているが、他の2つの価値をどう維持するかが安定供給にとってきわめて重要になる。
安定供給に必要な設備は誰が確保するのか
電力を自由化した場合に懸念されるのは、安定供給のための供給能力を誰がどう確保するのかということだ。電気の安定供給には、前述のように必要とされる時に必要とされる量を発電する能力を確保しておかねばならない。需給がひっ迫した「いざという時」に稼働させるだけでは、設備の固定費が回収できなくなる可能性が高い。自由化市場において、発電設備の固定費の回収不足が生じることは、先行して自由化した諸外国において明らかだったので、わが国では長年かけて将来の設備量(kW)に対する対価を支払う制度(容量市場)の創設が議論され、昨年9月に初めての入札が行われた。2024年に発電設備1kWを確保しておくことに対して一定の対価が支払われることとなる。
じつは、kW価値に対価を提供する仕組みは容量市場の他にもある。米国テキサス州はkWh市場(卸電力市場)でたまに起こる大幅な価格スパイクに固定費回収を委ねることとした。その結果として1kWhの電気の価格が約1,000円に高騰し、それでも需給がバランスせず輪番停電が発動されたわけだが、滅多に稼ぐ機会がない「いざという時の設備」が固定費を回収するにはこうした価格高騰を許容する必要があるというのは1つの考え方だ。冒頭に紹介したクルーグマン氏の論考にはテキサス州の電力システム構築に深く関わったハーバード大学のウィリアム・ホーガン教授の「急激な価格上昇は『便利ではない』が、システムとしては当然のことだ」という発言が引用されている。
しかしわが国でこれほどの電気代高騰が受容されるとは考えづらい。また、数年から数十年の間に起きるかどうかという不透明な価格スパイクに期待して事業者が発電所を新設はおろか維持することは期待できないので、容量市場創設に落ち着いたのである。しかし全面自由化から丸4年以上こうしたコスト負担をしてこなかった小売事業者から大きな反発が出て、石炭や原子力に対する支援制度だといった風説が流され、根本的に見直すべきといった意見まで出されている。しかしそれは、電力とアボカドを同列に語ったテキサス州に追随するということになる。
電気代の価格の「上下」はどこまで許容されるのか
自由化の本質とは、料金が上下に変動することで需給調整が行われることにある。しかし、逆進性が高い電気料金が高騰すれば政治問題化し、市場に委ねたはずの需給調整システムに政治・行政が再び介入することとなる。わが国でも1月の価格高騰によって、変動する市場価格に連動した小売り料金メニューを選択していた消費者の電気料金が急騰し、国会での質疑でも取り上げられた。しかし価格上下による需給調整は市場原理の根本だ。
本来小売事業者がリスクを十分説明した上で消費者がそのメニューを選択したのであれば、政治が介入すべき理由はない。市場価格が安価な時にはメリットも十分にあったはずだ。一部小売事業者への支援の必要性も議論されているが、リスク管理によりダメージを回避できている事業者も多い。仮にも市場原理を導入した市場に政治・行政が介入するのであれば相当の大義が必要だろう。
なお、大手発電事業者の売り惜しみや発販分離が不十分な市場構造を指摘する声も聞かれる。しかしそれは問題の本質ではない。そもそも発電会社は自社の契約する顧客への供給義務は負うが、契約関係のない消費者の使用分を発電する義務はない。高騰しているスポットの液化天然ガス(LNG)を調達してまで追加的に市場に投入する義務はない。発販分離を徹底したとしても、発電会社と小売り会社が相対で契約すれば結果は同じである。むしろ、電力という途絶すればクリティカルな事態に陥る財を、1日前に市場で買えば必ず調達できるというビジネスモデルを認めることの方がリスクを高めている。
そうしたビジネスモデルに立つ新規参入者を増やすことが真に消費者に利益をもたらすものなのかの検討が必要であり、陰謀論は本質的議論をゆがめるだけだろう。
資源に乏しいわが国の電力システム改革に欠けていたもの
年初に起きた電力需給ひっ迫と卸市場価格の高騰は、これまでのわが国の電力システム改革の議論に大きな欠陥があったことを露呈した。需給ひっ迫の原因は複合的ではあるものの、原子力発電所の停止に伴い、わが国の電力供給がLNGという貯蔵に適さない燃料に過度に依存していたことが主因であることは間違いない。これまでのシステム改革の議論では、欧米の先行事例に学び、発電設備が提供する3つの価値をどう確保するかという議論は行われていたが、燃料調達が十分でなくなった時の制約についてはほとんど議論されてこなかった。これほど化石燃料資源に乏しく、「油に始まり油に終わった」と評される太平洋戦争やオイルショックも経験したわが国において、燃料制約に対する備えが電力システム改革に組み込まれていなかったというのは、驚愕すべき危機感の欠如だ。エネルギー安定供給・安全保障の観点から、改めて現在の電力システム改革の総点検が必要だろう。
わが国の電力システム改革にプリンシプルを
震災前に慎重に進めてきた電力自由化を、震災後に一気に全面自由化したのは、何を目的にしていたのだろうか? 自由化を否定するわけではない。総括原価方式という形で投資の回収が確保されたスキームでは、設備投資が過剰になりがちだ。社会が右肩上がりでどんどん設備を作らなければならない時代ならいざ知らず、停滞期に入った社会においては効率化を促す仕組みを入れることは合理的だ。しかし、市場原理のメリットを求めるなら、リスクも許容せねばならない。わが国のシステム改革にそうしたプリンシプルはあったのだろうか。
加えて、わが国は原子力政策の大幅な見直しというもう1つのチャレンジも同時に進行させた。米国や英国などが最も頭を悩ませたのは、自由化市場に原子力発電という巨額の投資を必要とする超長期の事業をどうソフトランディングさせるかということであったが、わが国では無邪気にも原子力政策を放置して自由化を進めた。莫大な安全対策コストをかけても稼働しない原子力発電を抱え、同時に自由化への対応に追われた大手電力会社の体力低下は著しく、一部の地方電力会社の格付けはBBBにまで低下している。この状況でわが国の電力事業は気候変動、災害の激甚化、人口減少・過疎化の進展といった大きな社会の変化トレンドに対処せねばならない。
こうしたメガトレンドを乗り越え、より良い電力システムを将来の日本に遺すためには、改めて改革のプリンシプルを定義することが求められるのではないだろうか。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。