執筆者プロフィール

紀田 順一郎(きだ じゅんいちろう)
その他 : 評論家その他 : 作家塾員

紀田 順一郎(きだ じゅんいちろう)
その他 : 評論家その他 : 作家塾員
2018/01/01
三万冊の蔵書を処分
バラの栽培をしながら、夜は暖炉の傍らでシャーロック・ホームズを読むのが、イギリスの読書家の楽園であると、かつてシャーロッキアンの長沼弘毅の著書で読んだ記憶があるが、残念ながら現在における私の境涯たるや、これとは千里を隔つところにある。
私は先ごろ手狭な住まいに移るために、約三万冊の蔵書を処分し、その経緯を『蔵書一代』(松籟社)という著書に記した。82歳を超えた私のような者が、綿々と書物への執着を語るということ自体、読者からどう受け取られるか懸念がなくもなかったが、私ばかりでなく、近年多くの研究者の旧蔵書が公共機関に受け入れられず、二束三文で処分されているということへの憤りに、執筆意欲をかきたてられた。
私は主に近代史や出版文化史を中心に、近年はメディア関連の評論や、たまには小説などを通じて、ちょうど半世紀にわたる著述活動を行ってきた。いずれも大量の文献を必要とするジャンルである。戦時中に生まれたせいで、本に対する飢餓状態の中で育った私は、文筆家を目指すにあたって、まず辞書や便覧などの参考図書を可能な限り備えることにつとめた。図書館は利用せざるを得ないが、あまり頼らないようにという方針で、自分の蔵書の基礎をつくった。戦前から戦後にかけての学者、研究者は、自分の蔵書を背景に研究活動を行うのが常識だったので、吉田東伍や森銑三のように、ほとんど図書館だけをベースに研究を行った人々はまず例外といえる。
私は著述家で、日常的に〆切りに追われるため、身近に文献資料を置かなくては仕事にならない。いま振り返ると最多忙期は40歳前後だったが、新聞のコラム4本、週刊誌の連載を3本のほかに、単行本の書き下ろしをかかえこんでいた。眠らないように、立って書いていたこともある。こんなとき、大衆文学の評論家としてスポットを浴びていたO氏に、いつ原稿を書くのか尋ねてみたところ、「ぼくは毎朝4時に起きて、12時まで机に向かう。正午まで仕事をすれば、いちおう8時間労働をしたことになるでしょう。午後は人に会ったり、古書を漁りに出かけたりという、気持ちの余裕ができる」という答えだった。私は、この4時起きというのを早速実行してみた。最初の2週間ぐらいまではよかったが、冬に入ると体が冷えて能率が上がらず、長続きしなかった。書庫と書斎を主とした住居では、十分に暖房がきかない。O氏はマンションを2つ購入し、その1つを書庫にあてていた。蔵書維持に多額の間接費用がかかることを意識しはじめたのはこのころである。
O氏はさらに「蔵書の価値は、珍しい本があるか否かによってきまる」というのが持論だったが、私は逆に稀覯本については禁欲を貫いた。趣味道楽のための本を追っている余裕はない。
ただ、書物の世界は多様で、趣味本といえども視野に入れておかないと、蔵書が味気ないものとなる。たとえば長野県出身の教育家・鉱物学者の保科百助(1868~1911)は、全集などのほかに、趣味の狂歌に因む『よいかかを欲しな百首け』という私家版がある。「よき妻を得たいと思う保科の百首」という意味で、これを奇書として称揚したのは自身奇書の製作者でもある斎藤昌三だった。
私はこの本を展示即売会(いわゆる展覧会)で見つけた。古雅な装丁の小冊子で、全ページ挿絵入りである。巻頭に「年取って 見れば無暗に 思ふかな 此世でどうか かゝをほしなと」とあって、まずジーンとくる。「傾城を 買ふたびことに 思ふかな ホンノリとやく かゝをほしなと」などと奇抜な戯れ歌を展開、百首目に「どうしても 無いと言ふなら 思ふかな森羅万象 かゝにほしなと」でヤケ半分の打ち止めとしている。
百助に関する文献は、いまでこそ枚挙にいとまないほどだが、高度成長のころ企画された『ドキュメント日本人』というシリーズ中の一篇として、百助伝の執筆を依頼されたころには知る人ぞ知るという存在で、本書は国会図書館にもなかった。私がためらうことなく通常の資料代の数倍を投じて、入手したのはいうまでもない。
蔵書の価値は雑本にあり
同じようなケースは無限にある。私が三万冊の蔵書整理にあたって書棚を見回した際、最も多かったのは基本書ではなく、このような2次的な資料であった。これは私だけではないであろう。かりに新築の書庫へ、従来からの蔵書を運びこむ場合を考えてみると、まず上段から『古事類苑』や『国史大系』のような大部の資料本を乗せ、中程からは回想録や評伝、下の段には外見上あまり見栄えのしない野史や読みものを押し込むという順序になる。この中段から最下段にかけての棚を充実させることこそ、著述家や研究的蔵書家にとっての最大の関心事で、古書店はこの種の本を「雑本」と呼ぶが、著述家の労苦を喜びに変え、新たなアイディアを生み出す源泉となってくれる。最初から雑本のつもりで出版される本はあるまいが、時代の推移によって忘却の淵に沈む本があるのは当然で、それに息を吹き込むのが読書人や蔵書家、著述家の甲斐性というものであろう。しかし、これらの雑本は基準があるわけではなく、人によっては貴重書であるが、また別の人にとってはゴミ同然のしろものでしかない。
私は自分の蔵書が二万数千冊を超えたころ、というのは60歳台の末ごろであったろうか、大病のあとに体力の限界を覚え、自分の将来とともに蔵書の行く末を考えはじめた。蔵書は継承され得るものだろうか。基本書は普遍的な用途が目に見える。たとえば百科事典は自分の専門外の知識を、広範に入門的に知るための万人向けのツールである。しかし、雑本という名の書物群には、そのような普遍性はないので、用途が限られてくる。これらを公共機関が引き取って、閲覧者の注目を引くためには、「桑原武夫の旧蔵書」「三島由紀夫の旧蔵書」などという括りを用意しなければなるまい。
しかし、それでは広範な読者を有する著名人の蔵書しか対象にならない。ちょうどそのころ、私はある文学館の運営に関わっていて、正直なところ自分の蔵書を受け入れてもらえないものかと、淡い期待を抱いていたのだが、それは望み薄のようだった。書庫の中を見渡すたびに、すでに著名な作家・評論家の旧蔵書・資料で満パイ状態であることを知った。開館30年に近く、図書や肉筆などの資料を合わせると百十万点という規模に達していたし、その上、建物は堅牢で資料保管の技術は優秀とあって、寄贈の申し込みが跡を絶たないという状態だった。
継承されにくい個人蔵書
あるとき、故人で文藝評論家の遺族により、没後20年ほど処分せずにおいた相当量の旧蔵書を、将来を考えて寄贈したいという申し込みがあったが、「重複本が多い」という理由で謝絶せざるを得なかった。故人は大学の教員でもあったので、関連施設への寄贈も打診したと思われるが、没後の年数が経過しているのを理由に、受け入れを断られたのだろう。改めて見渡すと、高度成長期に雨後の筍のように生まれた公共文化施設は、バブル崩壊後はいずこも劇的な予算削減に見舞われ、息も絶え絶えとなり、篤学の蔵書など、見向きもされない情勢となっていた。この蔵書は、さいわいにも故人が短期間に出講した大学へと引き取られることとなったが、一時は海外流出も懸念される状況だった。
この1件以来、私は自分の蔵書の将来に不安を感じるようになった。築後40年以上の自宅は老朽化が目立ち、妻は病に悩まされるようになり、私自身も急速に体力が衰えてきたので、このさい思い切って地方移転を検討することにした。途中の経過は省略するが、阪神大震災の直後に岡山県下のニュータウン造成地に広々とした書庫と書斎付きの住居を設け、一時は大変幸せな気分を味わったのであるが、好事魔多し、バブル崩壊でニュータウン造成が中絶し、日常生活も不自由になると予測されるようになったため、尻尾を巻いて逃げ帰るという始末。しばらくは落ち込んだ。
このとき、新居には一万冊の本を運び込み、それをまた運び出すというムダな作業を繰り返したことになるが、その戻す段階で当惑したのはスペースの問題である。もはや鉄筋の家に一万冊もの本を戻し入れる余裕はないので、若いときから懇意の古書店に頼み込み、都内の倉庫に一時保管してもらうことにしたのだが、大混乱の中、あらかじめ処分してもよい書目と、そうでない書目とに分別するという基本的な方針が徹底できず、書店側に迷惑をかけるという結果となってしまった。
もう1つ、大量の書物の移動にあたり、棚からおろして2、30冊ずつを1箱に梱包し、さらにはそれを開披するという作業が、高齢者にとっていかに重労働であるか。経験しないとわからない。人に任せるのはいいが、箱の中身をわかるように記録するのは、結局本人以外にはないので、全体の作業量はほとんど減らない。体力の衰えで、自分の本の整理ができなくなったときが、いわゆる一巻の終わりなのである。
私の蔵書が、万策尽きて断捨離を余儀なくされ、手許の600冊をのこして散逸させてしまったのは、それから4年後で、私は80歳に達していた。世間からは「もういいでしょう。あきらめなさい」といわれそうな年齢であるし、事実あきらめたのであるが、未だに脳裏を去来するのは、果たして散逸以外の選択肢はなかったのかということだ。いうまでもなく、心当たりの施設や出版社、それに知友の意向なども探ってみたが、「スペースの確保ができない」「手が足りない」といった理由で、埒があかなかった。本のトランクルームに預けることも考えたが、経費の点で不可能と知った。日本の狭隘な住宅事情のもとでは、蔵書家の苦しみといえば最終的にはスペース確保の困難性に帰着するといってよい。
ともあれ、蔵書とは、1冊ごとに所蔵者の思いを刻んできたものの蓄積であるから、愛着を抱くのが当然であり、自らの没後の継承性を願わない者があるとは思えない。それに継承性こそが書籍に備わった本質的な性格であることは、奈良時代の芸亭(うんてい)のように、個人蔵書が発展して図書館や文庫に育ったという、歴史に照らしても明らかであろう。このような他の媒体に例を見ない書籍文化の維持は、現代の社会に課せられた責務ではないだろうか。活字文化の衰退と関わり、懸念されることだ。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。