登場者プロフィール

樋口 広芳(ひぐち ひろよし)
その他 : 東京大学名誉教授研究所・センター 自然科学研究教育センター訪問教授
樋口 広芳(ひぐち ひろよし)
その他 : 東京大学名誉教授研究所・センター 自然科学研究教育センター訪問教授
2022/02/16
生態系を成り立たせる3つのグループ
鳥の渡りについてお話する前段として、1つの地域の自然、生態系は大きな3つのグループによって成り立っている、ということをお話しします。養分となる有機物を作り出す植物、それを直接・間接に食物として取り入れる動物、植物や動物の遺骸を土の中で分解して無機物に戻す役割をもつ、分解者としての菌類やバクテリアです。
植物は、太陽の光エネルギーを利用して、水と二酸化炭素から養分、有機物を作り出す光合成を行います。植物による光合成がなければ、動物は生きていけません。植物は有機物を作り出すという意味で、「生産者」とみなすことができます。それを直接・間接的に食物として利用する動物は、「消費者」とみなすことができるわけですね。その死骸を菌類・バクテリアが土の中で分解し有機物を無機物に戻すことで、無機物の一部が栄養塩類などになって、植物の根から吸収され、植物の成長と繁殖に使われることになります。
地域の自然は、これら生産者としての植物、消費者としての動物、分解者としての菌類・バクテリアがうまく循環することによって成り立っています。繰り返しになりますが、光合成によって有機物を作り出す、生きものの命の源として植物の存在がなければ、動物は生きてはいけません。生命とくらしにとって不可欠であると言えます。
私たち人間も、消費者である動物の一種として、この自然の仕組みの中のどこかに位置するわけです。この自然の仕組みの中で生き、くらしを成り立たせている。自然が作り出した、たいへんすぐれた仕組みですが、でも、この仕組みは、いろいろな生物の間の微妙な関係の中で成り立っているものでもあります。
1つの地域の自然、生態系はそれだけで独立して存在しているわけではありません。遠く離れた国や地域の自然とさまざまな形で繫がっています。それによって地域および地球全体の自然、生態系が機能しているのです。
人間は、地域と地球全体の自然の仕組みの中でくらし、命を繫いでいるのですが、しかし近年、私たちは自然をさまざまな形で破壊し、変質させています。その結果、自然の様相は大きく変貌し、それが負の影響として人間の世界にはね返ってきています。大型化する台風や竜巻、温暖化といった影響は皆さんもご承知のとおりです。私たちは、私たちを取り巻く自然の成り立ち、ともにくらす生きものの世界をきちんと理解する必要があります。また、私たちの活動が自然にどう影響し、それを変えてしまっているのかを知り、理解する必要があります。
遠く離れた国や地域の自然と自然を繫ぐ上で、渡り鳥が果たす役割は非常に大きいものです。また同時に、渡り鳥は遠く離れた国や地域の人と人を繫ぎ、「心の交流」の担い手にもなっています。地球規模で移動する渡り鳥の状況を知ることで、自然と生きもの、人との繫がりへの理解を深めることができます。
以下では、まず、鳥の渡りの実態についてくわしく紹介したのち、渡り鳥が地球規模で減少している原因について考察し、最後に、人と人とを繫ぐ渡り鳥の役割に関する話で締めくくりたいと思います。
渡り鳥の減少
鳥の多くは、毎年秋と春、繁殖地と越冬地の間を長距離移動します。この季節的な往復移動を「渡り」と呼んでいます。鳥たちは渡りの過程で、各地の自然環境から水や食物を得ると同時に、遠く離れた国や地域の自然と自然を繫ぎ、その健全な維持に貢献しています。
一方、鳥たちは渡りの過程でさまざまな環境問題に遭遇し、その数が急激に減少しています。ロシアのアムール地方を流れるアムール川はロシアと中国を隔てる大河で、流域ではコウノトリが繁殖していますが、その繁殖つがい数が年々減少しています。
そう言うと、アムール地方でさぞかし環境破壊が行われているのではないかと思われるかもしれませんが、そうではありません。繁殖地は素晴らしい自然が広がる人跡未踏の地です。私たち研究者はそこをヘリコプターで朝から夕方までずっと地表をなめるように飛び、自然環境の変化や鳥たちの様子を調べていきます。
そのような素晴らしい自然環境の中で繁殖しているにもかかわらず、コウノトリの個体数は急激に減少しているのです。おそらく渡りの途中の中継地や、越冬地に大きな問題があるのではないかと予想されます。
日本に渡来する夏鳥も減少しています。春に南方から渡ってきて日本で繁殖し、秋になると南へと渡るヨタカやアカショウビン、サンショウクイ、ヒクイナ、アオバズク、サンコウチョウといった鳥たちです。聞きなれない名前かと思いますが、年を追うごとに、確認されている生息地数がどんどん減少しています。
サンコウチョウは「三光鳥」と書くのですが、「ツキ、ヒ、ホシ、ホイホイホイ」と鳴くのですね。月と日(太陽)、星。3つの光をさえずりに採り入れていることからその名前が付いています。
1970年代には、東京や神奈川、埼玉などをふくめて、日本の里山や中山間地域のどこでも、サンコウチョウはごく普通に繁殖していました。特徴的なさえずりが、5月、6月には私たちの耳によく入ってきたんですね。私はまさか、サンコウチョウがやがて姿を消すなんて当時思ってもみませんでした。
ところが1980年代に入ると、あちこちで急激に減少していきます。埼玉県東松山市に住む内田博さんの記録によると、サンコウチョウの個体数は80年代を境に急減し、やがてゼロになってしまいます。一体、どうなってしまったのか、それは後ほど紹介します。
黄色っぽい色が特徴のホオジロの仲間で、シマアオジという鳥がいます。1970年代には北海道の草原で最も数の多い鳥の1つでした。ところが、その後やはり急激に減少し、現在では北部のサロベツ湿原などで、わずか数つがいの繁殖が確認できる程度になってしまいました。
シマアオジのこうした減少傾向は、北海道だけではなく大陸でも同じです。ヨーロッパでは最盛時の2割以下にまで個体数が減少し、一部の国では消滅してしまっています。
タカの仲間のサシバも同様です。サシバはヘビやカエルなどを主食にしている両生爬虫類食のタカです。サシバの個体数は渡りの途中の沖縄県宮古島(厳密には伊良部島)で、学校の生徒たちが中心になって毎年数えています。その結果は年ごとにぶれがあるのですが、やはり個体数が急激に減ってきています。
渡り鳥のように地球規模で移動する動物の保全のためには、移動の経路全体を正確に調べ、越冬地、中継地、繁殖地の位置と、そこでの保全上の問題点を明らかにする必要があります。
鳥の渡りを追う
渡り鳥は数百キロ、数千キロ、場合によると万を超す距離を移動します。私たちは鳥のあとをついていくことはできないので、渡りの様子をある特定の場所で見ることになります。1990年代の初めくらいまでは、鳥たちの姿を見ながらどこに行くのだろうと想像を働かせることしかできなかったのですが、その後、科学技術の発達とともに、衛星を利用して追跡できるようになりました。
「衛星追跡」と呼んでいる仕組みです。鳥の背中や首、尾の付け根あたりに小さな送信機を付けます。その送信機から電波が発信され、衛星のアルゴシステムというシステムに到達し、データが地上の基地に転送されて時間と緯度と経度が割り出される。そうした数値情報を、インターネットを使って研究者が入手するというものです。この仕組みを使うと、対象となる生きものが地球上のどこをどのように移動しても、その位置や動きを追跡できます。一度対象物に送信機を装着してしまえば、あとはコンピュータ上の作業で渡りを追うことができる、たいへん素晴らしい仕組みです。
この仕組みが生まれたのは、1990年代の初めでした。2010年代に入ると、「ジオロケータ」という、さらに小さな機器が発達します。ジオロケータは小指の先くらいの、1グラムにも満たない、一番小さいものでは0.3グラムほどの軽いものです。1円玉1枚で1グラム、その3分の1くらいの大きさなので、小鳥にも付けられます。ジオロケータは光センサーを利用して日出・日没の時刻を継続的に記録します。日出・日没の時刻は地域によって異なるので、それにもとづいて移動地点の緯度と経度の推移を調べることができるのです。
衛星追跡は位置の測定に、大体1キロぐらいの誤差があります。でも、数千キロを移動する鳥たちの渡りの様子を追跡するにはそれでも十分です。ジオロケータはもっと精度が悪く、誤差は100キロ以上、場合によると200キロぐらいのずれが生じてしまいます。でも、何もわからない小鳥の渡りを知るには、そのくらいの誤差でもとりあえず十分です。どこにどのように飛んでいくのかを大体知ることができるので、研究者の間では使われることが多くなっています。
衛星を使った地球規模の追跡
日本にはオオハクチョウとコハクチョウという鳥がおり、私たちはどちらも追跡しています。今日紹介するのはオオハクチョウのほうです。日本にはハクチョウが訪れる湖が500以上あり、たいへん身近な存在ですが、衛星追跡を始めるまでは、どこから来てどこに行くのか、まったくわかっていませんでした。
衛星追跡した結果、春の渡りは、宮城県の伊豆沼から3月、4月に北上していくことがわかりました。北海道の東部、あるいは中央部でしばらく滞在したのち、サハリンを北上し、アムール川の河口付近で10日から1カ月ほど滞在します。そして、オホーツク海を通って再び大陸へと渡り、北上を続けてコリマ川やインディギルカ川といったロシアの大河方面で繁殖することがわかりました。秋も、春の渡り経路をほぼ逆に戻ってくるという南北の単純な渡りをします。
空中を飛ぶ鳥の中で最速として知られるハリオアマツバメには、ジオロケータとともにGPS(全地球測位システム)の小さな機器を付けて正確に測定しています。ハリオアマツバメは通常の水平飛行でも大体時速120キロから150キロ前後のものすごいスピードで飛ぶことがわかっています。
ハリオアマツバメが秋にどこをどのように通り、また春にはどのような渡りをするのか、ジオロケータを付けた3個体を追跡しました。多少の個体差はあるのですが、8月から翌5月にかけての通年の渡りでは、繁殖地となっている帯広から出発して大陸に行き、フィリピン海からパプアニューギニアを通ってオーストラリア南東部のあたりまで行って「越冬」します(南半球なので実際には夏)。その後、春には、インドネシア方面に行って北上しつつ、南西諸島経由で帯広に戻ってきます。大雑把に言うと、1年を通じて太平洋を8の字を描くように渡ることがわかりました。
安住の地となった非武装地帯
九州の出水(いずみ)には、マナヅルとナベヅルが、合わせて千羽鶴ならぬ万羽鶴で大陸から渡来します。最近では、1万6千羽ぐらいが毎年やってきます。数年前に鳥インフルエンザが発生し、感染拡大が心配されましたが、ツルの中に抗体が存在するのか、今のところ、おそれていたような事態には発展していません。ツルは保全の対象でありながら、感染症拡大のリスクも負っています。日本は世界の8割ものマナヅル・ナベヅルを、冬の間お預かりしているようなものなのですが、その保全・管理のため、ツルの分散計画といったことも議論されています。
マナヅルの春の渡りを追跡すると、出水を2月から3月に飛び立ち、九州西端の九十九島(くじゅうくしま)というたいへん景色の美しい島沿いに移動します。マナヅルはそこから興味深いことに、韓国と北朝鮮との間の「DMZ(非武装地帯)」を目指して飛んでいきます。そこで1週間から1カ月ほど滞在し、2つの経路に分かれて渡りをします。1つは北朝鮮の東海岸沿いを北上していき、中国東北部の三江平原までいきます。三江平原はアムール川とウスリー川、スンガリ川の3つに囲まれた一大湿地です。もう1つの経路は、朝鮮半島の西側を北上していき、中国東北部のハルビンやチチハルに近いザーロンという地域まで行くことがわかりました。
この追跡で、9羽のマナヅルが、渡りの過程でどこでどれほどの期間滞在するのかを調べました(図1)。それによると、4つの場所を主要な中継地として利用しています。北朝鮮と韓国を隔てる非武装地帯沿いにある板門店(パンムンチョム)、同じく非武装地帯沿いの鉄原(チョロン)、北朝鮮の東海岸沿いにある金野(クミヤ)、ロシアと中国の国境沿いにあるハンカ湖です。とくに非武装地帯沿いの鉄原と板門店では、多くの個体が長期にわたって滞在します。
非武装地帯の幅は4キロあります。その南の韓国側には「CCZ(人民統制区域)」と呼ばれる緩衝地帯があります。CCZでは一部農耕が許可され、観光にも開かれていますが、DMZとの境界には規制線が張られており、その中は全面立ち入り禁止です。人が立ち入れないような地域の中に、ツルの滞在地点があるということです。DMZの北側の北朝鮮にはCCZがなく、したがって、ぎりぎりまで人間が利用している地域になるわけですが、マナヅルはそちら側に滞在しないことがわかりました。
タンチョウの例を見ると、北海道のタンチョウは長距離の移動をしませんが、中露国境となるアムール川沿いで繁殖するタンチョウは、北朝鮮のアンビョンで一時滞在したのち南下し、DMZで越冬します。DMZには温泉が湧き出ており、河川も不凍河川です。一方、南のCCZは採食場所として利用されています。ですので、タンチョウは昼にCCZで採食し、夜になるとDMZで温泉に足を浸けて過ごす、そういう越冬生活をしています。国境地帯は渡り鳥の重要な渡来地になっており、立ち入りが禁止されている非武装地帯は、経済開発が行われないため、鳥たちにとって楽園となっているのです。
研究上、私は何度もCCZに入っていますが、その入り口には厳しい検問があります。そこを通過して入っていった先の韓国と北朝鮮に挟まれた地域が、ツルたちの安住の地になっているのです。現在でも北朝鮮と韓国の兵士が、自動小銃を持って対峙しており、その真ん中でツルが平和そうにくらしている。たいへん皮肉というか、注目すべき現象です。DMZには朝鮮戦争時代の地雷が無数に埋まっており、ツルくらいならば踏んでも爆発しないようですが、人が踏めば爆発します。
渡り鳥に国境はありません。人はDMZを越えて行き来することはできませんが、ツルたちは自由に行き来しています。
少し補足しますと、最近はこうした状況が変化し、鉄原のほうにツルが集中して集まるようになっています。というのも、九州の出水同様、鉄原で人工給餌が盛んに行われるようになったからです。
人の想像をはるかに超える鳥たちの長旅
図2は、九州北部で繁殖するサシバの秋の渡りを追跡した結果です。一枚の地図にすると、九州南端を出発し、南西諸島からフィリピンまで南下する様子がわかります。私たちはこれを見るまで、日本のサシバはみんな台湾を経由して南下すると思っていました。ところが、10月半ばごろから南西諸島をずっと南下していき、台湾には立ち寄らずに、フィリピンのルソン島などまで行って越冬することがわかりました。
最後まで移動し続ける鳥は、11月5日にルソン島に入り、その後もずっと南下を続け、1月初めになってようやくミンダナオ島の南で渡りを終える、ということがわかりました。
同じタカの仲間で、ハチを主食にしているハチクマという鳥がいます。親鳥がハチのサナギや幼虫を捕え、ヒナに与えたり、自分でも食べたりします。こうした食物資源が秋冬の間は日本の温帯地域から姿を消してしまいますので南に行くのですが、同じタカ類でもサシバとは違い、ハチクマは大陸を経由して非常に長い距離の渡りをします。おそらく、大陸には多くのハチ資源が存在しているからです。中継地や越冬地でハチクマはオオミツバチなどのハチをたくさん食べますので、ハチが集まる場所を把握している可能性があります。また、養蜂場を訪れているのかもしれません。サシバのように南西諸島を南下しないのは、この地域のハチ資源が貧弱であるからとも推測できます。
2万キロを超えるハチクマの渡り
ここまでいろいろな鳥の渡りを紹介しましたが、ハチクマの渡りはそのハイライトです。青森や山形で繁殖するハチクマは、秋の渡りでは島影のない東シナ海700キロを越えます。大陸に入ると、中国の東海岸から少し内陸に入った地域を南下していきます。追跡している時は、どこまでいくのだろうと、毎日コンピュータの画面を見て胸をときめかせながら様子を追っていました。ハチクマは、どんどん南下を続け、インドシナ半島からマレー半島へ入る。そこからさらに南下を続けるのです。やがて、シンガポールを経由してスマトラ島に入ります。ここで一部のグループはボルネオ島に移動し、さらに北上してフィリピンのパラワン島あたりまで行きます。もう1つのグループは、スマトラ島から東に向かい、ジャワ島、小スンダ列島を経て、ティモール島あたりまで行くことがわかりました。まるで空に道があるかのように、定まったルートを飛んでいきます(図3)。
2月になると、日本に向けて春の渡りが始まります。途中までは秋の渡りの経路をほぼ正確に逆戻りしていきます。ボルネオ島のほうで越冬したグループも、ティモール島のほうで越冬したグループも、スマトラ島に戻ってきます。おもしろいことに、春は秋と違って、必ず全ての個体が東南アジアのどこか、あるいは中国南部のどこかで長期滞在します。
これらの中継地で1週間から1カ月を過ごすと、再び北上を続けます。秋の渡りでは、中国の東海岸近くを南下しましたが、春はそれよりずっと内陸部を通っていきます。この様子だと、日本には戻ってきそうにないようなのですが、ちゃんと戻ってくるんです。朝鮮半島の北まで北上すると、なんとそこから半島を南下し、九州に入って東の繁殖地に向かうのです。中には遅れる鳥もいますが、それでもみんな、同じような経路をとります。たくさんの個体を追跡しても同様の結果になりました。
注目されることがいくつかあります。1つは、ハチクマは春と秋の渡りを通じて東アジアのすべての国を1つずつ巡ること。ちょっと信じられないことです。もう1つ、これも驚きですが、戻る先が山形県や青森県などの特定の場所と、多くの個体で正確に決まっています。人間世界の言葉で言えば、何丁目何番地何号ぐらいの精度で決まっているのです。
片道1万キロ以上、春秋合わせて2万数千キロ、しかも春と秋で渡りの経路は大きく違う。にもかかわらず、何番地何号へと正確に戻ってくるというのは、私たち人間にはとても理解しがたいことです。たとえば私がここから「横浜の住まいまで歩いて戻れ」と言われても、おそらくちゃんと戻れないでしょう(笑)。
鳥たちは、地図も方位磁石も、もちろんGPSなんて持たずに、しかも春・秋で異なる、総延長移動距離2万数千キロの経路を辿り、自力で日本の特定地域に戻ってくる。驚くべきことです。
渡りと気象
なぜハチクマは、秋と春で渡りの経路が違うのか。この違いを生み出す鍵になるのは東シナ海です。秋には東シナ海に東からの安定した追い風が吹いています。ハチクマはこの追い風を利用して、700キロの海を渡っています。春の渡りをする5月は初夏とも言えるかもしれませんが、東シナ海とその周辺海域の気候は不安定です。そのような中で海上を西から東に渡るのはたいへん危険です。朝鮮半島から対馬経由で200キロ弱の海を渡るほうが安全です。
図4は最近、天気図でよく見るものですが、矢印の先は風向きを、矢印の長さは風の強さを示しています。図中の小さな○や□が、ハチクマ1個体の移動中の位置を示しています。グレーになっている部分は低気圧、つまり大きな雲のかたまりです。秋は東シナ海に南への追い風が吹いています。ハチクマはこの追い風を利用しながら700キロの海を越えていくのです。低気圧が発達すると、風向きが逆になったりするので留まらざるを得ず、福江島という日本の西の端の島に一旦留まりますが、追い風になると、またみんなで渡っていきます。
春は東シナ海をめぐる風況が不安定になり、そこを横切って九州に入るのは危険なので、朝鮮半島を経由して、九州に入ります。鳥たちは好適な気象条件、とくに風の強さや向きといった風況に応じて渡っていると言えます。
渡り鳥の減少原因を探る
渡り鳥が減少している原因を探ってみると、環境改変がその最も重要な要因です。繁殖地や中継地となる森林、湿原、沿岸の環境改変があちこちで起きています。例えば、北海道の大雪山域や、ツルが渡っていく中国の黒竜江省三江平原。東京と千葉の境にある谷津干潟はもう水質が汚染され、東京湾岸地域はビルで囲まれてしまっています。こうした非常に大きな環境改変が各地で行われており、鳥たちの行き場がなくなっていることが減少の1つの大きな原因です。
それほど大規模な環境破壊ではなくとも、環境の改変は里山地域でも行われています。宅地造成などによる山林の伐採、近代化に伴う水田構造の変化、高齢化に伴う稲作・水田放棄といったようなことが、生息地や食物の減少を通じて個体数を減少に導いています。
例えば、昔ながらの田んぼは水路が田んぼ沿いにあり、そこから水を出し入れしながら稲作を行っていました。水路と田んぼとの間には水の行き来があり、水生の生き物がくらしを成り立たせることができていました。ところが最近の圃場(ほじょう)整備や農地構造の改革によって、水路がコンクリートの三面護岸にされてしまうと、カエルなどが水路から出られなくなってしまいます。
越冬地や中継地でも問題が起きています。先ほどサンコウチョウが急激に減少していることを話しました。サンコウチョウにとって重要な越冬地であるスマトラ島では、熱帯雨林が次々に伐採されてしまっています。のどかな田園風景が広がっていた場所がアブラヤシなどの大規模農園へと変わっている例もあります。
風力発電の問題もあります。風力発電はクリーンエネルギーとしてたいへん注目され、重要であることに間違いはありませんが、風力発電の風車が不用意に建設されると、多くの鳥たちが衝突してしまうという問題が生じます。中国黄河河口では数多くの風車が立ち並び、シギやチドリをはじめとした多くの渡り鳥が影響を受けている可能性があります。
それから密猟の問題があります。サシバが越冬するフィリピンのルソン島では毎年、少なくとも3000羽から5000羽のサシバが密猟されていることがわかっています。保護団体や研究者、地元行政などが連携し、保全に向けていろいろな活動を展開した結果、この場所では密猟を根絶することに成功しました。しかし、ほかの地域では、まだ十分な対策はとられていません。香港では、まとまった数のシマアオジが渡ってくることから密猟の対象となり、多くの個体がなんと炙り焼きにされてしまっています。
温暖化によって生じる生物間相互作用のずれ
温暖化による影響も少し紹介します。コムクドリなどの小鳥の繁殖時期などが、年々早くなってきていることがわかっています。繁殖時期や渡来時期が早くなるということは、それだけが問題ではありません。温暖化によって生物の出現や行動の時期が、同じ地域にいる種や分類群ごとにずれながら早まる現象が起こっているのです。
具体的には、温暖化に対する植物の応答は動物に比べると遅いのです。北半球の200種以上の動植物を対象にして解析された結果では、チョウの出現時期や渡り鳥の渡来時期の早まりは、植物の開花時期の早まりよりも3倍も早く進行していることがわかっています。それが何をもたらすかというと、生物の間の相互作用にずれや狂い(ミスマッチ)を生じさせるのです。
つまり、コムクドリの繁殖時期が早くなり、桜の開花時期も早くなる。しかし、同じ28年間で鳥のほうは2週間以上早くなっているのに、桜は8.5日しか早くなっていません。また、昆虫のモンシロチョウには、そういった顕著な傾向は見られません。すると、三者の間で変化のスピードが異なるのでミスマッチが生じます。例えば、桜の実がコムクドリのヒナの食物中に含まれる割合は年々少なくなっており、最近ではほとんどなくなってきています。こうした状況は、近い将来、コムクドリの繁殖をむずかしくする可能性があります。
将来のハチクマの渡り経路をコンピュータによるシミュレーションで表した研究があります(図5)。IPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)では、温暖化の進行についていくつか異なるシナリオが描かれています。中でも比較的影響が大きいとされるのがRCP8.5というシナリオです。このシナリオのもとでは、図中に濃い色で示された渡りの好適地が今世紀末には消滅してしまう状況が予測されています。その時、ハチクマはどうするか、ということまでは今のところわかりません。
重要なのは、同じ地域、同じ鳥や自然に対していくつもの脅威が同時に生じているということです。例えば森林破壊、風車との衝突、化学汚染、あるいは温暖化が同時に襲いかかることはめずらしくありません。渡り鳥の場合には、渡りの経路上でいくつもの問題が折り重なってきます。日本だけでも生息地の破壊、化学汚染、風車との衝突などの問題があるのに、渡る先々でも同様の、あるいは別の脅威にさらされているのです。1つの国や地域だけで対策を講じても、ほかの地域で問題が継続していれば、渡り鳥は減少することになります。
人と人を繋ぐ渡り鳥
「鳥たちに国境はない」ということは、これまでの話でよくおわかりいただけたかと思います。鳥はビザもパスポートも持たずに、いくつもの国を越えて渡っていきます。渡り鳥は、遠く離れた国や地域の自然と自然を繫いでいるのですが、同時に、人と人も繫いでいます。
世界の各地で、渡り鳥を介した人と人との交流、保全に向けたさまざまな国際協力が行われています。渡り経路沿いのいろいろな地域で、同じ鳥の群れ、同じタカの群れを見ている人々がいます。例えば、長野県の白樺峠、あるいは愛知県の伊良湖岬、マレーシアのタイピン、タイのチュンホーン、マレーシアのタンジュン・トゥアンなどでです。
こうした人たちの多くは、鳥の研究者ではありません。一般の市民です。そういった人たちが、秋の1日、鳥の渡りを見て楽しむ。季節感を味わうために何千人も集まって、ともに時を過ごしているのです。
保全を巡っては、国内外の各地で熱い議論が交わされています。愛知県伊良湖岬、マレーシアのタイピン、バリ島などで保全のための国際会議が開かれています。いくつかの国と国の間には渡り鳥等保護条約というものがあり、政府間で、また民間団体でも、いろいろなことがらが協議されています。
こうした会議のあとには、参加者間の交流が続きます。NPOの若い人たちの間では懇親会が開かれ、堅苦しい会議のあとの集まりを皆よい笑顔で過ごし、保全をめぐるいろいろなことが語られ、友情を深めるといったようなことが行われています(図6)。
慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスでも、2012年秋から13年夏にかけて、「鳥の渡り衛星追跡公開プロジェクト」という活動を展開しました。ハチクマの渡りの様子を皆さんも興味深く思われたと思いますが、研究者の間だけにとどめておくのはもったいないということで、一般に公開しようというプロジェクトを立ち上げたのです(図7)。
このプロジェクトでは、4羽のハチクマを衛星追跡しました。4羽に名前を付けて、今、○○がどこに行っているとか、△△はどこを飛んでいると実況中継できるようにして、リアルタイムで一般公開したのです。渡りの様子は地図上で示すだけでなく、その情報を日本語、英語、中国語、韓国語、インドネシア語で発信し、参加者と意見交換もしました。
東アジアを中心に、世界中からアクセスがあり、推定で、のべ10万人くらいの人が参加しました。アジアだけではなく、イギリスの大きな自然保護団体の職員の方なども情報交換に加わりました。まさに、遠く離れた国や地域の人と人が、鳥の渡りを通して繫がったのです。私にとってもたいへん意義深いプロジェクトでした。
離散家族を繫いだ幸福の青い鳥
渡り鳥が遠く離れた地域の人と人を繫ぐという点で、1つの際立った例があります。遠藤公男さんの『アリランの青い鳥』に出てくる「幸福の青い鳥」です。
この本のあらすじをお話しします。北朝鮮の著名な鳥類学者、元洪九(ウォン・ホング)の末っ子の炳旿(ピョンオー)は、子どもの頃からお父さんに付いて鳥の観察を行っていました。炳旿は1930年生まれ。日本の占領下、苦しい時代でしたが、親子水入らずで楽しい日々を過ごしていました。
しかし、やがて朝鮮戦争が始まると家族はばらばらになります。両親は北に、炳旿ら兄弟は南に引き裂かれます。引き裂かれた家族は、その後、会うことも手紙や電話で連絡することもかないませんでした。
月日が経ち、炳旿は南(韓国)で鳥類学者に成長します。私立の名門、慶煕(キョンヒ)大学の助教授、のちに教授になります。
1964年5月、北朝鮮からモスクワ経由で一通の封書が日本に届きます。北朝鮮の科学院生物学研究所からの封書で、平壌(ピョンヤン)のモランボン公園で、日本の足環を付けたシベリアムクドリが見つかったとのこと。日本の足環を付けているが、どこで放したものか教えてほしい、という依頼でした。足環には番号とともに「農林省JAPAN」と印字されていました。
調べた結果、足環はソウルで付けられたものとわかりました。足環を付けたのは元炳旿さん、息子さんですね。そして北朝鮮から問い合わせてきたのは、科学院生物学研究所の所長を務めていた元洪九さん。炳旿のお父さんだったのです。
洪九さんはシベリアムクドリの足環を通じて、片時も忘れたことのない我が子が、鳥類学者に成長していることを知ります。炳旿も日々安否を気遣っていた父が、元気で鳥類研究を続けていることを知ります。鳥に付けられた足環は、会うことのかなわない父と子が、ともに触れたものだったのです。
たいへんに心が揺れ動く出来事があったわけです。朝鮮戦争は、いまだに終結していません。南北朝鮮を隔てる非武装地帯、ツルやハチクマといった鳥たちは、その境界を軽々と越えて行き来します。鳥たちに、まさに国境はありません。
親子を結びつけたシベリアムクドリは、ささやかであったかもしれないけれど、「幸せを運ぶ青い鳥」だったと言えます。この出来事は、韓国でも、北朝鮮でも、中国、ロシア、日本、アメリカでも、当時大きな話題になりました。北朝鮮では記念切手が発行されました。切手にはシベリアムクドリや元洪九さん、足環のプレートが描かれています(図8)。映画にもなりました。
しかし、依然続く南北の分断によって親子が直接会う機会は訪れず、元洪九さんは1970年に、元炳旿さんは2020年に亡くなりました。
このシベリアムクドリが私たちに伝えるメッセージ、そこから私たちが汲みとるべきこと、それは、単に鳥たちが人と人を繫いでいる、ということだけにとどまりません。戦争は、だれをも幸福にしない、ということではないかと思います。
生息地の繋がりから自然環境の保全を考える
異なる国や地域の自然は、鳥の渡りによって、さまざまなかたちで繫がっています。各地の自然あるいは生態系は、渡り鳥によって、網目状のネットワークを構成していると言えます。
1つの地域の自然の破壊は、渡り鳥の減少を通じて、遠く離れた国や地域の自然の変質をもたらします。東南アジアの熱帯雨林の破壊は、そこで越冬し、日本で繁殖する渡り鳥の減少を通じて、日本の里山やブナ林の自然を変質させます。日本の干潟の破壊は、そこで休息し採食するシギやチドリの減少を通じて、東南アジアの干潟やロシアのツンドラの自然を変質させる可能性があります。
生息地の具体的な繫がりを明らかにすることは、対象種の保全や温暖化の影響などを考える上で、大変重要です。個々の自然は、それぞれ孤立して存在しているわけではありません。自然環境を保全する上では、地域の視点と地球規模の視点の両方をもつ必要があります。
渡り鳥に国境はありません。鳥は、渡りを通じて遠く離れた国や地域の人と人をも繫いでいます。人と人の心を繫いでいるとも言えます。渡り鳥とその生息環境の保全には、国際協力が不可欠です。
私はこれまで30年ほどの間、研究を進めるにあたって国内外の多くの研究者の協力を得ました。今日お話しした内容は、そうした方々との共同研究の成果です。たくさんの研究費用を国や民間からいただきました。そうした協力や支援がなければ、これまで鳥の渡り研究を続けることはできませんでした。厚く御礼申し上げたいと思います。
ご清聴、ありがとうございました。
(本稿は、2021年12月14日に三田キャンパス北館ホールで行われた第710回三田演説会での講演をもとに構成したものです。講演中のスライドは適宜精選して掲載しました。)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。