慶應義塾

❝この人民ありてこの政治あるなり❞の今日的な意味合いを語って、10年

公開日:2021.08.23

執筆者プロフィール

  • 権丈 善一(けんじょう よしかず)

    商学部 教授

    権丈 善一(けんじょう よしかず)

    商学部 教授

2021/08/23

今年の記念講演会は、コロナ禍の緊急事態宣言の最中であった。ゆえに、YouTubeによる5月15日午前10時からのオンデマンド配信となった。動画及び講演時のスライドは今も、YouTubeにある。

おはようございます。今年も5月15日となりました。

官軍と彰義隊が戦っていた1868年から今年は153年目、当日の5月15日の時間割を調べてもらうと、福澤先生によるウェーランド経済書の講述は朝の10時からでした。開戦は朝8時頃ですから、10時からの先生の授業は、銃声、砲声が聞こえる中で行われていたようです。

政府軍のトップは大村益次郎。彼は福澤先生よりも11歳年上で、1849年に適塾塾長。福澤先生は6年後、1855年に塾長。そして上野戦争を迎え、そのトップが大村益次郎。江戸中が大騒ぎしていた中、戦争の当日に2里離れた新銭座、今の浜松町あたりで福澤先生はウェーランドの経済学を講義する。この翌年、大村益次郎は暗殺されます。享年45。

『学問のすゝめ』と「学問に凝る勿れ」

さて、本日の演題は、「“この人民ありてこの政治あるなり”の今日的な意味合いを語って、10年」です。演題に「10年」とあるのは、実は、2010年の春、通信教育部の入学式で講演をするように依頼された時、「“この人民ありてこの政治あるなり”の今日的な意味合い」という話をしているからです。早いもので、あれから11年が経ちました。

2010年は、民主党政権でした。政権交代は、前年の2009年8月の選挙で行われています。そうした政治状況のなかで、通信教育部の入学式で話をしてくれとの依頼がきて、講演を引き受けた時、「演題はどうしますか」と問われ、ふと思いついたのが、「この人民ありてこの政治あるなり」でした。

この言葉は、『学問のすゝめ』の初編にあります。『学問のすゝめ』は、はじめは初編のみを出すつもりで書かれていました。

初編に続く第2編は、初編から1年9カ月後に書かれ、その後、書き続けられていったわけですが、物書きの1人として言いますと、そうした事情の下で書く文章は、これ1つを読めば全体像がわかるようにすべてのメッセージを最初の文章に書きたくなるものです。福澤先生もそのように考えていたようで、初編には、先生の思想のエッセンスのすべてが書き込まれています。その初編に、次の文章があります。

「愚民の上に苛(から)き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。故に今、我日本国においてもこの人民ありてこの政治あるなり」

民主党政権下の2010年頃、当時の政治は酷いものでした。2009年の総選挙の随分と前から、彼ら民主党のマニフェストに書かれていることが実現できるはずがないことは明らかでした。

福澤先生は、国民に学問をすすめました。そして、21世紀に入って10年近く経っていた当時は、『学問のすゝめ』で説かれていたくらいの学問は、みな修めているはずでした。しかし、日本の政治は世界に先駆けてポピュリズムに走っていった。あれから10年、この国から与党を牽制する力を持った野党がなくなってしまいました。あのころのポピュリズムの弊害は今も尾を引いています。

福澤先生は、学問が進んだ国においても、いわゆるポピュリズムという問題が起こって社会がおかしくなるということを、どこまで考えていたのか。

丸山眞男さんも『文明論之概略』を評して、福澤先生が「啓蒙主義的な進歩」を信じていたことを指摘しています。18、19世紀の進歩観というものが無残に崩れ落ちていくのは、福澤先生が生きた時代のずっと後でした。20世紀に入ると、かたちの上では民主主義は実現されていたのですが、その中で民主主義が壊れていく話が登場するのは、ウォルター・リップマンの『世論』が1922年、オルテガの『大衆の反逆』が1929年、ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』にいたっては1951年ですから、福澤先生の生きた時代にはまだ楽観がありました。

ところで、慶應は、1890年に大学部が設置され、開校式、つまり入学式が開かれました。その大学部の入学式の日に、日本中から集まってきた学生を前に、先生は「学問に凝(こ)る勿(なか)れ」という講演を行っています。およそ20年前には『学問のすゝめ』を書いていた先生が、今度は、学問ばかりに凝り固まってはダメだよという話をする。しかも、大学部が創設され、日本中から集まってきた血気盛んな若者たち60人が、「さあ、今から学問をするぞ」と構えているところで、「学を学んで人事を知らないのは碁打ち、詩人と変わらないぞ。それでは、人生は完全なものではなく、物に触れ事に当たっては、いつも極端なことばかりをいう人間になってしまうぞ」と話をするわけです。

福澤先生は、バランスが悪く何事も極端に走る人を、「バカ」と定義しているようなところがありまして、そういうスマートさに欠ける人になってはいけないと言う。慶應には、そういう福澤先生のスピリッツみたいなものがずっと継承されてきたと思います。

私が出席した入学式や卒業式に関する数少ない記憶の中で1つ明確に覚えているのは、大学院の入学式で、当時塾長だった石川忠雄先生が、「専門バカになるな」という話をされたことです。私をよく知る人たちは、慶應義塾から、私が「学問に凝る勿れ」(勿凝学問)の精神を大いに学んできたということを分かってもらえるかと思います。今でも、この、遊び心というかユーモアも兼ね備えた学問に凝る勿れ(勿凝学問)の精神は大好きです。

今日は私が社会保障や財政の研究をしていく上で、その1点だけに凝り固まった視点からは少し距離を置いた話題にも触れていきたいと思います。

年金破綻キャンペーンで動いた世論

私の専門は社会保障政策です。本日はまず、政策論の世界ではめずらしく、すでに決着がついた話、誰がどのように間違えていたのかがはっきりしている話、しかし、みなさんの心の奥には、年金が政争の具とされていた時代の傷が深く残っている話をしたいと思います。

10年前、この国の年金は破綻していたらしいです。だから、日本の年金には抜本改革が必要であるという話が多くの人たちに信じられていました。年金はたしかに政治的に盛り上がっていました。しかしあれはタダの空騒ぎであって、実際に世間で言われているような問題があったわけではありません。

世間では、私は年金の専門家と目されているようでもあり、今年1月に出た『日本年金学会創立40周年記念論文集』でも、第一章の総論を書かされています。ですけど、私は年金の研究者と思われるのが昔から嫌なんですね。私のゼミは今年で23期目になりますけど、1人も年金をテーマに卒論を書いた学生はいません。理由は、年金は、正確な知識を得ることは大切ですが、学生が「考える」訓練をするような対象ではないからです。

しかし、年金は、民主主義の問題を考えるのにいい題材ではあります。公的年金の歴史も制度も知らない者たちが大挙して参入してきて、政策論を大混乱させたわけですが、いつの頃から経済学という学問は、制度や歴史を知らなくても政策論に参加できるという蛮勇を経済学者に持たせるようになったのか、そして政策、制度の細部を知らない政治学者も然り、等々、年金の世界は、いろいろなことを考えさせる材料にはなってくれます。

私の社会保障の授業では、民主主義と情報問題というような話をしますし、メディアとは何なのかという話もよくしますが、それは年金騒動から学んだ面が多くあります。

2013年に鳩山由紀夫元首相が「年金がボロボロになって、歳をとってももらえなくなるという語りかけは、非常に政権交代に貢献してくれた」と論じているように、2009年の政権交代選挙での民主党の圧勝には、彼らの年金破綻キャンペーンが大きく貢献していました。

日本の公的年金は、2004年に大きな改革が行われ、強行採決で法案が成立し、今のかたちができあがりますが、世論調査では7割の人たちが改革に反対でした。そのころ、在野では私1人だけが、「この改革は別にみんなが言うほど悪くはないんだけどね」と言っていたわけです。しかし、世論というものは、キャンペーン次第で動いていく。

抜本改革への妄信

その改革案が国会で議論されている時、まだ若かった枝野幸男氏は、「(現行制度は)間違いなく破綻して、5年以内にまた変えなければならない」などと発言し、党内での地位をあげていく。

当時民主党が言っていた「最低保障年金」というものを実行するためには、数兆円の国庫負担が必要になるわけで、その財源をどのようにして調達するのかと国会で問われた枝野氏は、「〔財源のことは〕難しいことではありません。政権を代えていただければ、やる気があるかどうかという問題であって……一度任せていただければ実現をいたします」と答える。同じ頃、岡田克也氏は、「国民年金制度は壊れている」と発言する。

私は人生で一度だけテレビに出たことがあります。それは、2009年5月31日、日曜朝の「新報道2001」です。8月30日の総選挙のちょうど3カ月前になります。岡田さんが民主党の幹事長になって初めてのテレビ出演の日で、年金が破綻していると言うから、私が、「どこが破綻しているんですか? 政策はよく勉強して論じた方がいいですよ」と話したら、彼のこめかみに青筋が立っていくのが分かりました。あの日の様子は、YouTubeかニコニコ動画かにアップされているそうで、よほどおもしろかったのかもしれません。

こうした年金破綻キャンペーンが功を奏して、つまり、皆さんが彼らのキャンペーンを信じる状況ができあがったおかげで、2009年8月の総選挙で圧倒的な勝利を得ます。この国の政治があまりにもバカバカしく、彼らが早晩行き詰まることは分かっているし、彼らと関わることなどあり得なかったから、私は、総選挙の夜に、政府の仕事を辞めると連絡しています。その後、民主党政権下で、いくつかの仕事の依頼がありましたが、断っていました。

政権交代後、彼らの論は一転していくことになります。2009年10月には、厚生労働大臣となった長妻昭氏は「年金は破綻しません、国が続く限り必ず支える」と、当たり前の話をするようになる。

破綻している年金を抜本改革して、最低保障年金をつくるということが彼らの公約だったから、さすがに、その必要財源がどのくらいになるのかの試算をする必要がでてきた。なにより、そうした試算を行うこともなく最低保障年金を何年間も言い続けていたこと、そして、それを支持していた学者がいたということが不思議でした。ちなみに私たちは、どの程度の規模の財源が必要になるかを随分と前から分かっていましたが、彼らはそれは自分達のとは違うと言い続けていた。

政権交代の後、追い込まれた民主党の幹部は、年金局に試算を行わせ、その結果が、あまりにも非現実的なもので、実行可能性はまったくなかったので、数人の民主党幹部は、その試算を隠すことにします。しかし試算はリークされて、国会で、当時の野党自民党から質問攻めにあって国会が大混乱になる。

2012年頃になると、岡田副総理は、国民年金は破綻しているとの野党時代の発言を撤回して、「年金制度破綻というのは私もそれに近いことをかつて申し上げたことがあり、それはたいへん申し訳ない」と国会で詫びる。当時の野田佳彦首相も、「(現行の年金)制度が破綻しているとは言えない、破綻するということはない」と国会で発言することになる。

しかし、彼らは下野すると、再び年金を政争の具として用いていくことになる。

野党の主張を鵜呑みにしなくなったメディア

ここで年金制度を少し説明しておきます。まず年金は保険であるということを確認しておきます。長生きというリスクに対する保険でして貯金なんかではない。終身、つまり亡くなるまで一定額の給付がなされる終身の保険です。

そうしたこの国の年金保険は、2004年の大きな改革の中で、保険料率を2017年まで上げて、そこで保険料水準を固定し、年金財政のバランスがとれるまで、人口や経済の動向に合わせて自動的に給付を調整していく方式が採られました。この方式は、2019年に開かれた年金のシンポジウムで、IMFのガスパー財政局長から「日本の年金制度は、過去20年にわたり、データを開示しながら改革されてきた。年金額はマクロ経済指標などに連動する仕組みとし、制度の持続可能性を高めた上で、世代間分配構造にもメスを入れている。日本の年金制度は評価でき、年金のベストプラクティスの1つと言える」と高く評価されています。他国では、できそうにないことをやっているのですから、当たり前の評価です。

保険料水準を固定する日本の仕組みの下では、年金制度に入ってくる収入は、長期的には固定されます。そうなると、今の高齢者がたくさんの年金を受け取ると将来の給付水準が低くなる。逆も成り立つわけでして、今の高齢者の給付が抑えられると将来の給付が多くなります。そこで、2016年の年金改革法案は、少子高齢化の影響で将来の給付水準があまり下がることがないように、今の年金受給者の給付を少し減らしてもらって、その分を彼らの孫、曾孫世代に回すのに協力してもらうというものでした。

その法案が議論されている時も、長妻元厚労大臣は、「旧民主党の新年金制度のポイントは『最低保障年金』という最低保障機能があるということだ」、「今すぐ〝抜本改革〟に取り組む必要がある」と言う。当時、山井和則民進党国対委員長は、今の高齢者から将来世代への仕送りの法案を、「年金カット法案」と呼んで批判していました。

しかしながら、さすがに長年年金騒動の渦中にあって、公的年金保険制度というものがどのように設計されているかを理解するようになったメディアから、山井国対委員長は、一斉に批判されるという新鮮な状況となりました。

年金騒動がある程度鎮まるようになった理由は明確です。記者たちが、自分たちの方が野党の政治家よりも年金を分かっていると考えることができるようになり、さらに、メディアや、社会保険労務士やファイナンシャルプランナーたちが、「学者、研究者というのはその程度のものなのか!?」という域に達して、彼らの言うことを鵜呑みにしなくなったからです。最近は、昔ながらの年金学者が相変わらずの文章を書いていたりすると、FPや社労士は、フェイスブックなどで、反論をしてつぶしてくれています。なかでもおもしろいのは、今なら誰もが間違いを指摘できる、典型的なトンデモ論が、億単位の科研費を何年間ももらい続けていたということですかね。年金というのは、ほんとうに、笑いがでるようなおもしろいことが起こる世界でした。

民主主義、メディアと政策論

ここで、民主主義、および世論というものを少し考えたいと思います。

世界中で大ベストセラーとなっている『ファクトフルネス』の中で著者のハンス・ロスリングは、人間が世の中を事実とは異なる「ドラマチックな世界」に見ようとする性向を持つ理由として、人には10の本能があるからとしました。同書は、「ネガティブ本能──世界がどんどん悪くなっている」や「犯人捜し本能──だれかを責めれば物事は解決する」などの10の本能を抑制することで、人類が、世の中を正確に理解し、その正確な理解の上に物事を判断し、ビジョンを描き、社会を改善していく必要性とその可能性を説いた本です。

しかし、長年メディア界を眺めてきた身としては、人が持つこれらの本能に沿って、ドラマチックな世界を求める大衆向けのセンセーショナルな記事を量産できる記者たちが、メディア界では偉くなっていったように見えます。よく考えてみると、人が間違えるのは、何も年金だけに限りません。人というのは、歴史上、集団でも、繰り返し大きく間違えてきたし、1人1人も頻繁に騙されて、時には簡単に詐欺に遭ったりもする。

ハンス・ロスリングが挙げた認知上のバイアスは、人間に間違いをもたらす本質的性質とも言えます。スティーブン・ピンカーなどは、そうした人間の本質的欠陥は、進化が人間にはめた足枷であって、「わたしたちが頼りにしている認知能力は、従来の伝統的社会ではうまく機能したかもしれないが、今ではもうバグだらけと思ったほうがいい」(『21世紀の啓蒙』)と論じています。20万年前に誕生したホモサピエンスが生き延びるために築きあげてきた人間の脳の進化は、1万年ほど前に止まっているようです。

人間は経済学が想定するような合理的でしっかり予測して自信を持って生きている強い生き物ではなく、間違えるのが普通で、不確実な未来に対する将来不安に脅えながら生きている弱い生き物のようです。だから、古代アテネでペリクレスの後に出てくるクレオンのようなデマゴーグが不安を煽ると、いとも簡単に扇動されて国の滅亡を招く。そうした事態は歴史上、繰り返し起こってきた。

公的年金保険は、将来不安という人間の本質的恐怖が醸成する政治不安と政治的不安定を制御する過程で生まれてきた社会制度です。それゆえに、衆愚政のリーダーの資質を備えた人たちが、政治的安定の支柱となっている公的年金保険の破綻論を唱えない理由はありません。

塩野七生さんの言葉を借りれば、衆愚政のリーダーたちは「(将来への)不安から発した指導者たちへの不信、その不信がエスカレートした挙げ句の、自分よりは恵まれている人々に対する恨みや怒りをあおり立てるのが実に巧み」です。だから、年金を政争の具とすると狙いが定められてきたこの20年近く、国民の間に意識された年金不安は社会全般に広がり、じつに厄介でした。

オルテガは、当時エリート層として台頭し始めた専門家層、とくに「科学者」に対して、自分の専門外のことについてあたかも分かっているかのごとく振る舞う「近代の野蛮人」と呼んで批判していました。そうした野蛮な科学者層、エリート層が、簡単に年金批判の世界に入ってきていた。

そしてこの間、経済学者と同じくらいに、政治学者というのもひどかった。政策というのは、細部に神が宿ったり悪魔が宿ったりしているものですから、政策の細部を知らない政治学者が参入してくると話がおかしくなるわけです。2011年に、当時北海道大学にいた政治学者たちが主催したシンポジウムに、濱口桂一郎さんという労働法の研究者と一緒に私も招待された時、濱口さんは、政治学者を前にして、「一部の政治学者と、多くの政治評論家と、大部分の政治部記者が諸悪の根源」と話し、私も深く同意しました。政治主導などをひたすら唱えて日本の政治をおかしくしてきた根源に関するこの命題は、10年経った今も変える必要がないものだと思います。

「投票者の合理的無知」と資本主義的民主主義

ここで「通信教育、テキスト科目レポート課題」として私がこの春に出題した問題を紹介しておきます。昨年の2020年5月に年金改革法が成立しました。年金改革は、2004年と2016年の2回は与党の強行採決であったのが、今回は「与野党共同提出の修正案は全会一致で賛成」でした。この間の歴史的推移を視野に入れ、政治過程においていったい何が起こっていたのか、さらに、現実には「民主主義」は一体どのように機能しているのかについて論じてもらう、という問題でした。

学生たちは、かなりできます。私は、この間につくられた、2008年の社会保障国民会議と2013年の社会保障制度改革国民会議という2つの国民会議に参加していました。その仕事の中の年金に関するほとんどは、政治家がしかけてくるポピュリズムとの戦いでした。

こうして、ようやく、無意味な年金騒動はある程度終息に向かったのですが、この騒動が極めて残念なかたちで犠牲を出してきたことも話しておきたいと思います。資本主義の下で政策というのはどのようにして形成されるのか。「合理的無知」という言葉について若干の説明をしておきます。

投票者は、当然ですが、投票するためだけに生きているわけではありません。毎日の生活の中でやることがあり、概してかなり忙しい。だから1日の24時間を自由に使っていいと言われても、公共政策の勉強に時間を費やす人がどれほどいるのか。選挙当日においても、1人1人の票は全投票者数の中の1人分のウェイトしかもっていない。自分1人の選挙結果への影響は無視できるような話です。

こうした状況の下、投票者が真面目に公共政策を勉強する理由はあるのか? 投票者が合理的に行動すれば、公共政策を勉強することはほとんどないのではないか? というのが、経済学の1分野である公共選択論における「投票者の合理的無知」という考え方です。

投票者が合理的に行動をすれば、公共政策に関しては無知になる。こういう考え方に触れたのは30年以上前、修士1年の学生の頃、古田精司先生とカトカン(加藤寛)先生のジョイントセミナーに出席している時でした。確かにそうだろうと納得し、私の思考のスタート地点に「投票者の合理的無知」が据えられたようです。

そうなると、国民のほとんどが、およそ何も知らない状況の下で、何事も選挙で決める民主主義が運営されているということになる。

そうした合理的に無知な投票者にも、彼らの耳や目まで情報を届けることはできる。しかしそのためにはまとまったコストがかかり、それを賄う資金が必要になる。その資金を持っているのは、多くは経済界であるために、資本主義の下での民主主義は、どうしても世論、および政策に関してバイアスがかかる。これを「資本主義的民主主義」と呼んできました。

年金に関して言えば、この20年間、本当にやらなければならなかったことは、短時間労働者に厚生年金を適用することでした。非正規である彼らに、厚生年金という所得の再分配が組み込まれた制度を適用することでした。それが、格差、貧困問題に相当に有効な政策でした。

しかしこれが経済界に頑強に抵抗されてきた。彼らが頑強に抵抗する話は、資本主義的民主主義の中では、国民の耳目にも届かなくなる。この問題を解決するために社会全体のエネルギーを注ぎ込む必要があったのに、野党の政治家、そして研究者たちは、関係のない話で社会のエネルギーを浪費させていた。

ただ、ここに民主主義の難しさがあります。野党による政局づくりの過程では、年金受給者当人たちの将来の年金不安が煽られます。それは国民の圧倒的多数の人たちを対象としているためにとても反応がいい。しかし、適用拡大の問題は、すでに厚生年金に入っている多くの人たちにはあまり関係のない話です。この問題の意味を知り、それを今の日本で大きな課題として意識してもらうためには、人々には「公」への関心を持ってもらわなければなりません。果たしてそれをどのようにすればできるのか。

公共選択論が教えるように、政治家は次の選挙で勝利するためには何でもするという、得票率極大化行動をとると理解しておいた方が予測を誤らない。しかし本当の問題は、彼らにお墨付きを与える学者たちの存在だったりもします。こうした政策論議の場では、学者はお葬式の時のお坊さんのようなもので、お坊さんがいないとお葬式はできません。それと同じように、学者がお墨付きを与えなければ政治家はなかなか動けません。そしてあの年金騒動の時代、学者たちは、政局づくりをねらう政治家好みのことを言い続けていました。その意図が、いまだに分からない。

2011年に慶應の広報誌『塾』でゼミを紹介する「半学半教」に登場してくれと頼まれた時、次のように書いていたのは、こうした事情があったためです。

「よくよく考えないとあぶない──それが、4半世紀ほど、経済学をツールとして社会保障を分析し、論じてきた実感である。

これまで私は、研究者そのものが、問題の解決者というよりは問題の原因である事例を数多く目の当たりにしてきた。むしろ、あなたが居なかった方が世のため人のためであったはずと言いたくなる研究者、とくに経済学者や政治学者がいかに多いことか。(中略)

かつて、福澤諭吉が、是非判断の分別がつかない者が政治経済を学ぶことを、「その危険は、子どもが切れ味の鋭い刃物をもって遊んでいるのと同じだ」と論じていた意味が、年を経るほどに分かってきているのかもしれない」

年金と関わっていると腹が立ってくるので、このあたりで話題を変えたいと思います。

医療・介護の一体改革、そしてパンデミック

社会保障は、今では、GDP、国内総生産の2割を占める規模になり、公共政策としては圧倒的に最大の規模に達しています。国内総生産が、およそ550兆円のところ、年金は60兆円ほど。そして医療費は40兆円にのぼり、介護は10兆円規模になっています。このうちの医療と介護については、新型コロナ以前から、大きな改革が進められていました。

今進められている改革は、2013年に報告書がまとめられた「社会保障制度改革国民会議」の青写真に基づいています。その内容を簡潔に理解してもらうために、いくつかのキーワードを紹介しておきます。

まず、医療と介護は一体的に改革を進めていくということです。その際の考え方は、医療も介護もQuality of Life、すなわち生活の質を高めるという次元では同じであるという論に基づきます。日本の医療は、かつては患者が病院を退院したら、はい終わりという「病院完結型」でした。それを、手術をした病院や、地域の在宅医療、介護関係者たちが顔の見える関係を築いて連携し、最後の看取りまでをしっかりとやっていくという方向で改革を進めてきました。それは、旧来の「治す医療」から、「治し・支える医療」へという、大きな転換を求めることです。

そして、保険証1枚で「いつでも、どこでも」という従来のフリーアクセスから、必要な時に必要な医療をという「緩やかなゲートキーパー(相談・紹介者)」をもった医療システムに大転換していく途中にあります。

さらに、これが、今の新型コロナの下で問われているのですが、日本の病院の多くは民間が所有し、民間病院が競争しながら規模を拡張してきた歴史があります。しかしこれからは、これまで競争し合ってきた病院が協調し合いながら、役割分担と連携をしっかりとやっていくことが必要です。それが地域医療構想の実現であり、さらには、地域医療連携推進法人という名前になっている複数の医療機関が、統合に近い密な連携を図りながら、地域全体の医療介護関係者で地域医療をしっかりと守るという方向への改革が目指されてきました。

そして、2013年の「社会保障制度改革国民会議」という公式の文書に、初めて、QODという死に向かう医療の質を高めようという記載がなされ、これが今では、ACP、すなわちAdvance Care Planning という活動に進化してきています。

これらの改革を進めるために、必須となる「かかりつけ医」の普及が目指されてきました。「かかりつけ医」については、しっかりとした定義があります。2013年に、日本医師会と4病院団体協議会という、医療界全体がかかりつけ医を定義しています。

その定義は、「自己の専門性を超えて診療や指導を行えない場合には、地域の医師、医療機関等と協力して解決策を提供する」。「自己の診療時間外も患者にとって最善の医療が継続されるよう、地域の医師、医療機関等と必要な情報を共有し、お互いに協力して休日や夜間も患者に対応できる体制を構築する」。「地域住民との信頼関係を構築し、地域の高齢者が少しでも長く地域で生活できるよう在宅医療を推進する」。

なかなか想像できないかもしれないですけど、日本の医療は、こういうかかりつけ医が、高齢者だけでなく、若い人たちにも身近にいる制度を目指しています。

医療介護の一体改革は、国民の医療ニーズの変化に見合ったものに医療提供体制をマッチングさせるために必要と考えられ、進められていました。そこにパンデミックが襲ってきた。今回のことはこれまでの改革の方向性、すなわち、医療機関の役割分担と連携を加速させる必要を痛感させました。

子育て支援連帯基金──少子化時代の社会保障

今の社会保障には、もう1つ大きな領域があります。それは、少子化に関する重要な政策です。出生数は2016年にはじめて100万人を切って、その後も減少し続け、昨年の出生数は約84万人で過去最低でした。

深刻さを痛感した政治は、今、子どもに関する行政を統一する「こども庁」の創設を考えているようです。そうなると、その施策の財源をどのようにして確保するかという話がどうしても出てくる。

そうした状況下で、私がここ数年言っている、「子育て支援連帯基金」に関する問い合わせが増えてきています。この話は、複数の社会保険制度が子育て支援制度を支えるというもので、理解しておいてもらいたいので紹介します。

雇用保険からの育児休業給付などはすでに行われていますが、それに加えて、年金保険、医療保険、介護保険という、主に人の生涯の高齢期の支出を社会保険の手段で賄っている制度が、自らの制度における持続可能性、将来の社会保険の給付水準を高めるために、子育て支援連帯基金に拠出し、この基金がこども子育て制度を支えるという仕組みです。なぜ、こうした子育て支援連帯基金が考えられるのか?

まず、この制度ができれば、未婚であろうが既婚であろうが、子育てを終えていようが、その人たちの将来の給付水準は少子化対策をしっかりとやっていれば高くなります。そのように年金、医療、介護保険が少子化対策を支援できるようになります。

1934年、スウェーデンのグンナー・ミュルダールとアルバ・ミュルダールのミュルダール夫妻、夫のグンナーはノーベル経済学賞、奥さんのアルバはノーベル平和賞を受賞している夫妻が、『人口問題の危機』という本を出して、「子育て費用の社会化」を唱えました。

彼らは「出産と育児の消費の社会化」という言葉を使います。その理由は、年金などの社会保障が充実してくると、個人が子どもを持つことの便益が減ってくる。結果、出生率低下、人口減少が起こるわけですが、それは、社会的利益と衝突する。この問題を解決するためには、子育て費用の社会化しかないと論じるわけです。

高齢期の支出が社会化された制度、今の日本では年金、医療、介護保険などが、子育てを支援できるようになるというのは、高齢期向けの社会保障が抱える矛盾の解決にもなります。

また、社会保険というのは高い財源調達力を持っている。この国では1998年から、社会保険料収入が国税収入を抜いています。財源が安定しなければ給付は安定しません。社会保険料は、税と比べて圧倒的な財源調達力を持っています。この社会保険料が子育て支援を支えることができれば、極めて安定した財源を確保することができる。

さらに、資本主義の動揺の補正を経営サイドから協力できる機会も生まれます。日本の資本主義は、少子化から予測される今後の労働力不足、および多くの人たちの消費が、飽和してきているための需要不足や社会保障の持続可能性に関する将来不安ゆえの消費不足のために、順調な発展を期待することが難しい状況に陥っています。

個々の経営者の立場から言えば、労務費は安ければ安いほど良く、労働力の再生産や消費者の育成など考えないでいる方が利潤は極大化できます。しかし、そのように経営者たちがミクロ的観点から合理的行動をとると、マクロの側面、さらには長期的観点からはどうしても問題が生じるという、「合成の誤謬」という問題が生じます。

古くは大河内一男先生の労働力保全という、個別資本と総資本の間の矛盾を解決するために、総資本の立場から個別資本に拠出を求めて社会政策を展開すべしということが言われていました。こうした論点は、古くは社会保険創設期のビスマルクの時代、そして大河内先生の時代、さらに、少子化のもとで労働力不足と需要不足に悩む今の時代にも成立します。したがって、子育て支援連帯基金に、経営者たちは積極的に協力する方が、長期的には自分たちのためになる。

このように、子どもの育成に関する政策、財源をどうするかという話が、これからこの国で出てきます。それは、こうした文脈の中でなされている話であることを理解してもらえればと思います。

社会保障は中間層の生活を守るためにある

いま、財源調達という話をしましたけど、先月、アメリカのバイデン大統領は、これまで長らく続いてきた、法人税や富裕層への減税という流れを反転させ、法人税の増税、富裕層の増税を行い、その財源で仕事を増やし、そして子育て支援政策を軸とした家族のための計画を行うと宣言しました。彼の演説の中では、一国の政治面、そして経済面における中間層の重要性が謳われていました。

ようやく、アメリカも分かってきたかな、というのが私の実感でした、というのは冗談ですが、バイデン大統領の議会でのスピーチに出てきた、「中間層」を重視し、「トリクルダウン」を否定する話は、私は、もう、疲れるほど長く言い続けてきました。一国の経済が順調に成長し、政治が安定するためには、分厚い中間層が必須であること、市場に任せ、いわゆるトリクルダウンという、富裕層を豊かにすれば、そのしずくを低所得者も受け取ることができるという政策は、歴史上実現したことがないことなどです。

社会保障給付費の9割は社会保険が占めています。年金、医療、介護などです。みなさんの全員が人生のどこかで関わる制度だと思います。生活保護は3%程度です。その半分は医療扶助ですので、皆さんが想像する現金給付の生活扶助は社会保障給付の1%程度になります。

社会保障はおもに中間層の生活を守るためにあるわけで、これは多くの国で同様の傾向です。そして、日本では、ジニ係数という所得の不平等指標は、社会保障と税制により改善されますが、その改善の9割ほどは社会保障が果たしています。そして社会保障は、高所得の地域から低所得の地域に所得を再分配しています。

私は、高齢者は経済の宝だ、高齢者を積極的に地方に誘致することは、地方創生の有効な手段であると論じてきました。彼ら高齢者がいてくれることで、その地方に所得が高い関東地方や東海地方から所得が流れてくるわけです。その意味で、私は社会保障を所得の高いところから低いところに恒常的に所得を流す灌漑施設と呼んできました。

2019年に亡くなられた中村哲先生が、アフガニスタンでつくった灌漑施設。中村先生は私の高校の大先輩でして、中村先生の大きな仕事を紹介させてもらいますと、ペシャワール会にも連絡して話をしていまして、あの灌漑施設をつくることによって、砂漠が青々とした田畑に変わっていくわけですね。灌漑施設としての社会保障の役割とは、あの中村哲先生の偉業をイメージしてもらえればと思います。

全く違う2つの経済学の系譜

市場というのは所得の分配を苦手としています。市場に多くを頼ると、格差を生み、不平等が大きくなるのは仕方ありません。その市場を民主主義が牽制して、格差を縮小する政策を展開する。その1つの手段が社会保障です。

そして、ここで1つの問いについて考えてもらいたいと思います。経済の成長は、所得の分配が平等である方が望ましいのか、それとも、市場に任せる方が望ましいのか。

ここで私がずっと言い続けていることは、「手にする学問が変われば、答えが変わる」という話です。これが学問の怖いところで、人が、手にする学問によって、望ましいと考える政策解がまったく異なってきます。そういう話をまったく知らない社会的弱者は、経済学の中での思想の闘いに翻弄されて、貧困に突き落とされたりします。

ここに、「社会保障と関わる経済学の系譜」としてまとめた図があります。アダム・スミスに始まってフリードマンに繋がる系譜を右側の経済学、ケインズを通っていく系譜を左側の経済学と呼んでいます。

図:社会保障と関わる経済学の系譜(手にする学問が変われば、答えが変わる)出典:権丈善一『ちょっと気になる政策思想』(勁草書房、2018)

右側の経済学に基づけば、経済は市場に任せると上手くいくと考えられ、社会保障は、経済の足を引っ張る余計なものだから小さいほど望ましいということになります。ところが左側に基づくと、所得の分配は平等であるほうが経済はうまくいくと結論づけられます。したがって、所得分配の平等化を実現する社会保障という制度が、経済政策として積極的に評価されることになります。

私が大学生だった1980年代は、経済学が、大きく右側に旋回していく時期でした。政治面では、イギリスで1979年にサッチャー首相が登場し、1981年にレーガン大統領が誕生します。ノーベル経済学賞では1976年にフリードマンが受賞して、1982年にスティグラー、いずれもシカゴ学派ですね。そして1986年にブキャナン、1992年にベッカー、1995年にルーカスという人たちが受賞していく。

この5人の中の比較的若いルーカスを除いた4人は、1947年に、ハイエクをリーダーとしてスイスに集まり、モンペルラン・ソサイアティというものを組織します。この組織の目的は、両大戦間期に進んだ政府の拡大を反転させて、市場経済を両大戦前のように復活させ再び自由主義の時代を目指すことでした。これが、彼らリバタリアンがしかけた新自由主義ですね。『ショック・ドクトリン』のナオミ・クラインの言葉を借りれば、「彼らが希求したのは、汚染されていない純粋な資本主義への回帰」でした。

私が学生のころ、辻村江太郞先生は、ルーカスたちの合理的期待形成学派を授業で批判されていました。ところが、彼らは、ノーベル経済学賞という威信の力もあって、とんでもない影響力を持つようになっていき、市場への介入のほとんどを否定する時代を迎えることになっていきました。

そうした時代では、社会保障は、資本主義における異物と位置づけられます。サッチャーのイギリス、レーガンのアメリカだけでなく、日本でもそうみなされ、民主主義が市場を牽制するために設けていったいくつもの制度も悪しき規制とみなされて、これを緩和すること、改革すること、そして政府、特に霞が関を悪く言うことが絶対正義のような時代となり、その方面で多くの人たちがもてはやされることになりました。

右側と左側の経済学は全く違うものです。そうであるのにずっと2つが存在し続けている。自然科学の人たちからみれば実に奇妙に見えるかもしれません。経済学を社会科学の女王と呼んだノーベル経済学受賞者もいましたが、科学におけるパラダイムシフトを言ったトマス・クーンは、経済学を科学に入れていませんでした。卓見だと思います。

渋沢栄一とアダム・スミスに通じるもの

このあたりの考え方は、私は、福澤先生が『文明論之概略』で展開した「本意論」というものを明確に意識していました。これらの学問はいったいどこで別れ、異なったものになってしまうのかを考えていくことになります。

根源的には、これら2つの学問は、スタート地点での議論の前提がまったく異なります。右側は、「供給はそれ自らの需要をつくる」、つくったものは全部売れるというセイの法則を前提として、経済を供給サイドからみる経済学であることは確かです。

対して左側は、セイの法則を否定して経済を需要サイドから見る経済学であることも確かです。しかしさらに考えていくと、右側は将来を予測できると考えるのに対し、左側は、将来は何が起こるか分からないという、経済学者フランク・ナイトの言う意味で不確実なのだから、将来の予測など不可能だと考えます。両者には根本的な相違があります。

私がつくった年金論などは、将来の予測などあり得ない不確実な世界を大前提としてスタートします。この講演のはじめに話した『日本年金学会創立40周年記念論文集』の第1章に書いた論文は、「不確実性と公的年金保険の過去、現在、未来」と言うように、不確実性の話が大前提としてでてきます。

たとえば、1966年に厚生年金基金ができた時、予定利回り5.5%に基づいて制度が設計されていました。当時はその制度設計に疑問を感じる人がいなかったくらいに、人間の予測力というのは危ういものです。現実に存在する制度としての公的年金保険は、将来は不確実であり、しかしその不確実な世界においても、人々の高齢期の生活を守る方法を考えるという方針で制度を運営していかざるを得ません。ことほどさように、将来を予測可能とするか予測不可能とみなすかで、経済学、さらには制度設計のあり方が変わってくることになります。

そして右側の経済学と左側の経済学は、互いが、1つのパーツでも取り替えたら、体系のすべてが崩れてしまう前提、つまりクーンの言う「通約不可能な仮説群」に基づいて論理的に正しく議論を展開しているのですから、永遠にかみ合うはずもありません。では、両者のいずれが真であるのかを明らかにするエビデンスがあるのかというと、そう簡単な話ではない。

明らかに、1980年代に経済学の流れは、右側に大きく傾いていき、しばらくすると、右側の世界が主流派、正統派の経済学と呼ばれる時代になっていきました。リーマンショックあたりから正統派経済学に若干の動揺が起こり始めたのですが、今後、どちらの方に向かうのかは分かりません。しかし、経済学をベースとする政策思想が、世の中のあり方、その国のかたちに決定的な影響を与え、人々の生活を翻弄してきたことは、経済学が誕生して250年ほどの歴史を考えれば明らかです。

私は、今、世界の政治に少しばかり出始めている兆しを大切に育てていった方が、世の中はうまくいくし、経済もうまくいくようになると考えています。今年の渋沢栄一ブームにも乗って、以前から学生に薦めたかった『論語と算盤』をゼミの学生の課題としてもいます。渋沢栄一の考えは、実は、他者との共感、利他心が説かれた『道徳感情論』と経済学の原点となる『国富論』の両方を1人で書いたアダム・スミスの思想に通じるところがあります。

バイデンの法人税の引き上げによる社会政策が、成功するかどうかは、法人税引き下げ競争をストップする国際的な協調が可能かどうかにもかかっています。そしてそれは、市場メカニズム、資本主義に対して民主主義がどの程度作用する力を持ちうるかにもかかっています。そうは言っても、民主主義は、本日も話したように、かなり心許ないものであり、危ういものでもある。

福澤先生の言う「学者の職分」とは

最後に、小泉信三先生による『福澤諭吉』の書評を私が「三田評論」(2006年5月号)に書いた文章を紹介しておきます。小泉先生からみると、福澤先生は「求めて当たり障りの強いことを言い、いわば曲がった弓を矯めるため、常にこれを反対の方向に曲げることを厭わぬ」性質をも持たれているように見えたようです。今の時代も曲がった弓となっているように見受けられますが、この弓を矯めるために、我々はどうすればいいか。

福澤先生は、歴史を動かした要因として、時勢という言葉を使います。「歴史を動かしてきたのは英雄や豪傑などではない。時勢なるものがあって、その時勢が世の中を動かし、ひいては歴史を動かしてきたんだ」と言うわけです。そしてその時勢とは、その時代を生きる人たちの気風、すなわち「その時代の人民の分布せる智徳の有様」だと、社会を見ていました。そうした歴史観は、古くから支配的だった、英雄、豪傑など、政治の表舞台にいる人たちが歴史を動かし、政治の良きも悪しきも政府にありという考え方とは、対極にある歴史観です。

対して先生は、「政府は固(もと)より衆論に従て方向を改るものなり。故に云く、今の学者は政府を咎めずして衆論の非を憂うべきなり」(『文明論之概略』巻之二 第四章)と論じ、「人民の気風、人民の分布する智徳の有様」を変えることこそが「学者の職分」なんだと論じていた。その目的は、「全国の大平を護らんとする」ことにある。これが『学問のすゝめ』の初編の最後の文章になります。本日の演題「この人民ありてこの政治あるなり」は、先生の歴史観そのものであるわけです。

政策論の世界に身を置くということは、よほど気をつけてかからないと、どこで自分も間違いを犯してしまうかもしれず、今を生きる人たちや将来の人たちに大変な迷惑をかけるおそれがある。それが政策論の世界の怖さです。

この国の衆論がどの方向に進み、それに従う政府の政策がどのような展開をみせていくのか、それは本当のところは分かりません。そうした不確実な世の中ではありますが、定年まで後6年ほど、「勿凝学問」の演説の中で、物事のバランスの重要性を説いていた福澤先生の言う学者の職分、「学者は前後に注意して未来を謀り、政治を現今たらしめている衆論の非を憂い、衆論を変革するのが学者の職分」という考え方を時々は思い出しながら、『文明論之概略』にあるように、「異端妄説の誹りを恐るることなく、我が思うところの説を吐き」続けていこうかと思っております。本日は、ご静聴、ありがとうございました。

(本稿は、2021年5月15日にオンラインで行われた福澤先生ウェーランド経済書講述記念講演会での講演をもとに構成したものである。なお引用文献について、読みやすさを考慮し、一部表記を改めたところもあります。)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。