慶應義塾

インターネット文明論之概略

公開日:2019.04.09

登場者プロフィール

  • 村井 純(むらい じゅん)

    政策・メディア研究科 委員長環境情報学部 教授

    村井 純(むらい じゅん)

    政策・メディア研究科 委員長環境情報学部 教授

2019/04/09

ご紹介いただきました環境情報学部の村井です。歴史ある三田演説会での講演の機会を賜り、大変光栄に存じます。この厳かな雰囲気の中で、本日のテーマは「インターネット文明」なのですが、タイトルの末尾に「論之概略」と付けてしまったことを少し反省しつつ(笑)、お話しさせていただきます。

私は昭和30(1955)年、信濃町は慶應病院で生まれました。父も文学部の教育哲学の教授でしたので、慶應義塾には人生のスタートから大変お世話になっています。そして大学は工学部(現・理工学部)に進み、オペレーティングシステムというソフトウェアの研究をしました。それがきっかけでコンピューターネットワーク、これからお話しするインターネットの研究に取り組んできました。

インターネットは「文明」か?

平成はインターネットの時代であった

ご存じのように、2019年は平成最後の年となります。多くのメディアで平成を総括する企画が持ち上がっているそうですが、平成の30年間を総括するキーワードの1つとして「インターネット」が挙げられることが多く、私にもあちこちからお声がかかります。平成という時代を振り返ったとき、最も大きな社会的出来事の1つとして、インターネットの普及を考える人が多いということでしょう。

事実、日本でのインターネット普及率は90%近くになり、もはや私たちの生活はインターネットと切り離せません。このような状況をもって、私は昨今、「インターネット文明」という言葉を使うようにしております。

慶應義塾はKGRI(慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート)の下部組織として2018年にCCRC(サイバー文明研究センター)を立ち上げ、デイビッド・ファーバー教授をお招きして、私とともに共同センター長を務めていただいています。ファーバー教授は84歳になりますが、彼の弟子の多くがコンピューターサイエンスやコンピューターネットワークの分野でリーダーとして活躍しているという、IT(情報技術)分野の世界的な権威です。先ごろ、三田でシンポジウムを行い、インターネットというテクノロジーを「文明」ととらえる視点、つまりインターネットによって築かれた私たちの社会と生活の特徴や変化をどう理解すべきかといった問題を議論しました。現在は、インターネットによって更に大きく社会が変革されようとしている、大変重要な時期なのではないかと思います。

今日は皆さんと一緒に、インターネットはどうしてできたのか、インターネットを「文明」という観点でとらえたときに何が見えてくるのかということをお話しし、皆さんのお知恵をいただきたいと考えております。

デジタルテクノロジーに囲まれた生活

まず、文明とは何でしょうか。

第1に、文明には基礎となる科学があります。数学や天文学といった知識の蓄積が基礎になって文明が発生し、そこから人間は道具を作り、技術を発明し、さまざまなものを創造していきます。例えば、スフィンクスであったり、ギリシャ建築であったり、いずれもその文明を象徴するものが存在します。こうして人間が作り上げたものの中で社会ができ、ときには2つの文明が対立したり、あるいは伝承があったり、それらが文化や社会を生む基盤となる。このようなものが文明ではないかと思います。

第2に、文明には地理的な地点と範囲があります。中東、アフリカ、あるいはアジアという場所です。そして2つ以上の文明が同時に成立しているときに対立や摩擦、あるいは融合が生じます。文明とは、そのように性格づけることができるだろうと思います。

そこで考えてみると、今日、デジタルテクノロジーが身の周りに溢れ、私たちの90%以上がデジタルデータ(数値化されたデータ)を使える社会が誕生しました。パソコンはもちろん、皆さんがお持ちのスマートフォンやテレビ、さらに電気炊飯器も素晴らしいコンピューターです。「はじめチョロチョロ、中パッパ」をコンピューター制御で実現しているのです。その意味で、炊飯器はロボットだと言ってもよいくらいです。こうして、デジタルテクノロジーを使って営まれる生活が社会全体にほぼ行きわたったのが、現代という時代だと言えます。

私たちはデジタルテクノロジーに囲まれて生活を送り、社会を作り、その中で時に対立が起こり、あるいは犯罪など技術の悪用・濫用も生じてきます。実は、これまで人類が生み出してきた道具や技術も同じ道をたどってきました。そして、デジタルテクノロジーやコンピューターがもたらした生活・社会環境の特徴をとらえたとき、まさに現在、「インターネット文明」と呼ぶにふさわしい状況が生まれていると考えられるのです。

インターネットの仕組み

すべての情報は「計算」される

ところで、インターネットとは、いったいどんな仕組みになっているのでしょうか。インターネットの開発に携わってきた私にとっては、最初からある仕組みが出来上がっていたのではなく、「今日より明日はよりいいものを」「明日の問題は明後日に解決してみせる」と少しずつ改善を重ねながら作り上げてきたわけです。しかし、ふと振り返ってみると、これが本質的にどういうものであったのか、どういう理念をもって設計されるべきものなのかということが、だんだん分かってきます。

その中で一番大事なのは「デジタル」という考え方であろうと思います。例えば、カメラを考えてみましょう。昔はフィルムに焼き付けていたものが、今日ではプロの方々もデジタルカメラを使っています。ビデオも8ミリフィルムからデジタルに変わりました。また、それ以前に、私たちはLPがCDに取って替わられるという音楽のデジタル化にも遭遇しました。

しかし、もっと早くから私たちが恩恵を受けたのは、ワープロではないでしょうか。ちょうど、私が博士論文を書いている頃でした。ワープロは、文字を数字にして、数字になった文字をコンピューターの力を借りて清書をする道具です。私は字がとても汚いので、きれいな字に憧れ、小学校のときからタイプライターが大好きでしたが、残念ながら日本語は打てません。ワープロが売り出されたときは、私でもきれいな漢字が印刷できるので、嬉しくて相当な無理をして買ったのを覚えています。当時はまだ、工学部でも手書きで論文を書く人が多かった時代でした。

つまり、文字を数字(digit)で表現する。画像を数字で表現する。温度も、感情も、すべて数字で表現する。つまり、数字を使ったデータに変換するという意味で、デジタル(digital)技術となります。デジタル技術はすべて数字ですので、匂いも味も、映像も、そして文字も一緒くたにまとめて並べることができます(もっとも、味や匂いはまだまだ難しいところもありますが)。

一方、生命科学の分野を見ても、私たちの神経がどういう信号を出しているのか、DNAがどのような構造でできているのかを解明していくと、やはり、すべて数字で表現できるということが分かってきました。すると、それらのデータもデジタルデータに変換できますので、計算する(compute)ことによってさまざまな処理ができます。ここでコンピューターが登場するわけです。もともとコンピューターは字義どおり「計算」をするものでしたが、あらゆるデータが数字で表現されるようになったとき、コンピューターの役割もがらりと変わったのです。

私が工学部の学生だった頃は、難しい演算を素早く計算する機械が計算機(computer)でした。ところが今日では、私たちの身の周りのあらゆる情報が数値化され、それを処理するための道具がコンピューター(computer)です。この変化こそが、おそらく現在のインターネット文明に至る一番大きな変革だったのではないかと思います。まさしく、「パラダイムシフト」と呼ぶにふさわしいでしょう。

なぜ、これが大変革なのか。デジタルデータの重要な長所は「一緒くた」、つまり本来は性質の異なる情報を共有して計算できるということで、それは1つの計算機上で映像や音楽、文章を同時に扱えることを意味します。これを「コンピューターが汎用性を持つ」と表現します。この汎用性が、文明へとつながる共通基盤を生み出すのです。

すべての情報は「接続」される

そして、情報のデジタル化は、もう1つ「ネットワーク」という重要な考え方をもたらします。1つのコンピューターに皆が集まるのではなく、私たちの身の周りにあるたくさんのコンピューターが相互につながって、私たちの生活・社会の環境を作っていく。これがコンピューターネットワークの考え方です。

コンピューターネットワークの技術は、簡単に言えば、数字のデータをコンピューター間で伝達するための技術です。例えばハガキは、私たちが紙の上に字をしたため、ポストに投函し、郵便物として物理的に配達されて、相手がハガキを読むことでメッセージが届くわけです。これをデジタル世界で再現すると、まず文字情報を数字に変換し、数字をコンピューターで処理をして、次のコンピューターに渡し、その次のコンピューターに渡し、やがて相手に届くということになります。

この仕組みをいかにシンプルに作るかがインターネットの設計理念でした。それが実現すると、私たちはデジタル情報を自由に交換できるようになります。これが「デジタル情報のやりとり」という意味でのインターネットの基盤技術なのです。

いつか、どこかで通じればいい?

ところで、「数字にしてよかったな」ということが2つあります。例えば、年賀状を郵便局から送るとします。毛筆で書く人、版画を掘る人、パソコンを駆使する人、皆さん一生懸命に書くわけです。すると、郵便局員が正月に届けてくれるのですが、もしも届かなかったら大変です。「途中で失くしました」「どこかに落としてしまいました」となったら、もう取り返しがつかない。ですから、郵便物の配達には、確実で安全な仕組みが必要になります。

ところが、デジタル情報はそうでもありません。なにしろ、美しい年賀状の中身も結局は数字の羅列です。これをインターネットで送って、もし届かなかったら、もう一度送り直せばよいのです。元のデータはあるのですから。送り直し、また送り直し、そのうち届けばいいだろう。しかも、これで情報がまったく劣化せずに届くのです。書き直して下手になることも、刷り直して絵がかすれることもありません。デジタル情報が数字の並びである以上、何度でも劣化することなく「再送」することができるのです。

実は、このことがインターネットシステムの設計上、とても重要な意味を持ちます。もう一度、ハガキの例で考えてみましょう。ハガキの場合、投函するところから相手が受け取るまでの間を運搬するシステムの精度が非常に高くないと、正しいコミュニケーションができません。そのようなシステムを作るには、とても費用がかかります。郵便は非常に高価なインフラストラクチャーであり、システムを構築するのに長い年月がかかりました。

一方、インターネットの場合は、「一応、なんとか届くようにしようね」と言いながら、相手まで辿り着く道を探していくイメージでしょうか。これを私はよく鉄道になぞらえます。例えば、小田急線の成城学園前駅から三田キャンパスへ来るには、以前なら下北沢経由で渋谷駅に来てバスに乗って通いました。近頃は下北沢駅も渋谷駅も大変な構造変化が起こっていて、絶対にここで乗り換えたくない(笑)。「じゃあ、新宿に出て田町へ行こう」とか、いろいろな道がありますね。日吉からも「東横線で渋谷に出ると混雑するので、三田線を使おう」とか、ある路線が止まったら、私たちは別の経路の判断をしながら駅を乗り継いでいます。

鉄道は、小田急線も井の頭線もJRも違う会社が運営しています。まったく独立したネットワークが相互に接続していて、私たちはそれに乗っていくのですが、「最近の東急の経営は……」なんて気にしながら電車に乗る人はあまりいなくて、「着けばいいや」と思っているだけです。これがまさに、インターネットなのです。

インターネットは、デジタルデータを次の乗換駅まで送ろう、そして、その次の乗換駅まで……ということを組み合わせてできています。どこで乗り換えればよいかを考えながら、パケットというデータの塊がバケツリレー式に伝搬される仕組みです。ですから、ときには「データがうまく届かなったらしい」「途中で壊れちゃった」ということも起こります。しかし、それが分かれば、「いいよ、いいよ」と送信元から送り直しているうちに正しい道で届くようになる。

原理は単純ですが、社会システムとしては郵便とはまったく違う作り方です。私たちがハガキを送って届かなかったら怒ります。しかし、デジタルデータは、「そういう原理なのだから、心配するなよ」と中継点に言えるのです。先ほどの鉄道で言えば、混雑する路線に事故の多い路線、本数や車両数の少ない路線など、あちこちに問題があったとしても、連結すればどこかの道の一部を担って、結局は到着するのです。郵便のようにすべてが正確で安全で頑強な仕組みがなくても、システム全体として機能する。だから、インターネットはわずか30年で世界中を網羅してしまったのです。

インターネット創世記

自律分散思想と慶應義塾

さて、日本でインターネットが普及する過程で、慶應義塾大学はとても大きな役割を果たしました。当時、私たちは手づくりでネットワークの研究をしていました。工学部ではいつも怒られていました。「おまえら、電話会社がやるようなことを研究でやるのか」と(笑)。しかし、研究者が手づくりで作ったものが国のインフラを担う、これもまたインターネットの設計理念を象徴しているのです。つまり、設計の考え方の1つに、インフラに膨大なコストをかける必要がない、自律分散的にそれぞれが役割を果たし、それらが連結することでインフラができる。社会システムを中央集権的に動かそうという発想と、自律分散的に動かそうという発想と、システムの設計理念の根本的な違いがここから生まれてきます。

私が「文明」という言葉を使いたい理由の1つも、ここにあります。一人一人の参加や役割分担の集合によって、人類は何を作り出せるのか、私たちはどのように力を合わせられるのか。こういう思考にまで結び付くところが、インターネットの設計理念と文明の関係として、大変重要な意味を持っていると思います。

その後、私は慶應から東工大に移りました。しかし、まだ学生たちが慶應にいましたので、慶應のデータを取りに行かねばならないのですが、東工大のある大岡山と矢上の研究室を往復するにはずいぶん時間がかかります。その面倒を省きたくて2つのコンピューターをつないだのが、JUNET(ジャパン・ユニバーシティ・ネットワーク、あるいはジャパン・ユニックス・ネットワーク)です。これが私にとってのインターネット誕生の歴史です。

「RFC」の名付け親

インターネットの歴史をもう少し遡ってお話ししましょう。その出発点は1969年で、2つのルーツがあります。このことは、私の著書以外にあまり書いていないので、他の本は信用しないほうがいいと思います(笑)。ひどい記事や教科書になると、「インターネットは軍事産業から生まれた軍のネットワークである」などと書いてありますが、これは嘘です。

まず1つ目のルーツは、ARPANETと呼ばれるコンピューターネットワークです。ARPA(高等研究計画局)というのは、高度で挑戦的な先端技術に対して研究資金援助を行うアメリカの組織で、現在はDARPA(国防高等研究計画局)という名称になっています。

「DARPAは国防総省の機関だから、やはり軍事ではないか」と思われるかもしれませんが、アメリカでは、軍事産業に直結しない先端技術研究がDARPAから数多く生まれています。このDARPAからの資金援助で始まったのがパケット交換ネットワークに関する研究で、その中から生まれたのがARPANETです。ただし、これは国防関係の目的で作られた技術ではありません。私はリーダー格の1人だったヴィントン・サーフ氏をはじめ開発メンバーをよく知っていますが、彼らはむしろ、どうやって国防総省に関わらないようにインターネットの研究成果を広げていくかという努力をしたのです。

そのことを裏付ける1つのエピソードをご紹介しましょう。インターネットの技術標準は、「RFC何番」という形で決まっています。RFC799番とかRFC822番とか、各技術の標準ごとに番号が与えられているのです。そして「RFC」というのは、「リクエスト・フォー・コメント」の略です。不思議でしょう。技術の標準化のドキュメント名が、「コメントを求める」なのです。

この名付け親は、ジョン・ポステル氏です。彼がUCLAで働いていたとき、研究成果のドキュメントをまとめる担当でした。彼はこの研究成果を出す際に、「完全にオープンにしたい。世界中、お金持ちでなくても誰でも、すべての内容を読めるようにしよう」と考えます。文章の書き方にもルールを作り、また誰でも印刷できるようにする。それこそ、すべての人が参加できるという、標準化のドキュメントのルールなのです。ところが、研究資金の出どころは国の機関です。研究成果も国に納めなければいけません。そこで、彼はある方便を考えるのです。

すなわち、納品した研究成果にもしも欠陥があれば、それを公表した際に批判を受けるかもしれない。そうした事態を避けるために、まずは研究成果を広く公開して評価を受ける。その結果、優れた成果と認められたら納品しましょうと。だから、RFC(皆さん、コメントをください)という名称にしたのです。こうして、DARPAはこの研究成果を確かに受け取りましたが、納品前に公開されていますから、世界中の人々の目にさらされ、誰でもアクセスできる人類の共有財産になりました。それがARPANETです。

UNIXという思想

実は、ここから先があまり本に書いていないインターネットの起源なのですが、もう1つ、これも私が、そして慶應義塾が大きく影響を受けている事実があります。それは、UNIXというオペレーティングシステム(OS)です。私は、UNIXのルーツからこの研究に関わってきました。

OSというのは、コンピューターを動かすための基本ソフトです。従来は、まずメインフレームと呼ばれる汎用大型コンピューターがあって、それを皆が使えるように、またその機能を最大限に発揮できるようにOSが開発されてきました。ところが、このOSを「人間のために作れないか」、つまり人間の側から開発しようと考えた人たちが現れました。

アメリカにベル研究所という、基礎研究で有名な研究所があります。ノーベル賞受賞者を数多く輩出していることでも知られます。このベル研究所で、ケン・トンプソンとデニス・リッチーという2人の研究者が、Multicsという大きくて複雑なOSから、よりシンプルなOSを開発しました。「multi(多くの)」に対する「uni(単一の)」、だからUNIX。1969年のことでした。皆さんがよく使っている「フォルダ」「ディレクトリ」「ファイル」といった概念はUNIXから生まれたものです。コンピューター会社が提供するコンピューターではなく、使う側のロジックから考えた使いやすいコンピューター、つまり人間側の要求で発展するコンピューターがこのUNIXによって誕生したのです。

これが、なぜ重要なのか? 少し脱線しますが、学生の頃、私は計算機が大嫌いでした。なにしろ、高いし、偉そうなのです(笑)。慶應義塾も非常に高価なコンピューターを買いまして、皆で行列して順番を待ち、データを入力すると、次の日に計算結果が出てくる。この様子を見ていると、なんだか計算機という怪物がいて、その周りに人間が群がっているようなイメージを思い浮かべてしまうのです。人間が偉いはずなのに、どうしてコンピューターがこんなに威張っているのだ。だから、コンピューターが嫌いだったのです。

ですから、私は工学部に入ってもコンピューターの研究をするとは思っていませんでした。数学も物理学も好きでしたが、計算機に取り組むのは、矢上に進んで中西正和先生に出会ってからです。そのときにUNIXの概念を知り、そこから私はこの世界に入っていきました。

ネットワーク + オペレーティングシステム

さて、当時ベル研究所では、「ライターズワークベンチ」というソフトウェアの研究をしていました。これは、コンピューター上でよい文章を書くためのツールで、同じ語尾が繰り返されている文章は読みにくいから変えようとか、1つのパラグラフが長いと読みにくいから改行しようとか、語尾だけを抽出して他は全部ピリオドで表現するとか、こういうものを誰でも作れるようになってきたのです。そうすると、よい文章を書くためにコンピューターをどう使おうかとか、テキストから何かを探すときにコンピューターをどう使おうかとか、まったく人間の思うままに、コンピューターを道具として使えるようになってきます。これがUNIXから生まれてきた流れです。

このUNIXの流れと、ARPANETというパケット通信の流れが、1970年代はそれぞれ独立していました。この頃、学部から修士課程に進んでいた私は、相磯秀夫先生、所眞理雄先生のもとでネットワークを研究し、一方のOSは斎藤信男先生に師事していたのですが、そろそろこの2つをくっつけたい、つまり、コンピューターをつなぎたくなりました。これが私たちにとっての、いわばコンピューターと、通信技術の結婚です。80年代初頭、矢上キャンパスでの出来事です。

ところが、同時期に似たようなことを考えた人がいました。カリフォルニア大学バークレー校のビル・ジョイという人物です。私とは学年も一緒、修士時代からの友人で、どちらもOS研究から入りました。私は矢上で行っていたこの研究について、バークレーでビルと議論しました。

バークレーは、70年代の終わりからOSを改造して、BSD(バークレー・ソフトウェア・ディストリビューション)として世界の大学に配っていました。研究成果を世界に広げるのが非常に上手なのです。これも歴史の本にはあまり書いていませんが、本当は慶應のほうが先にこのUNIXのネットワークを大学の中で作りました。このときビルは、私に「やがてジュンの研究を追い抜いて、バークレーで配っているOSの中に組み込むぞ」と言いまして、その研究計画書をDARPAに提出しました。

すると、巨額の研究資金がつきました。彼らは、配布していた4.1BSDというヴァージョンにTCP/IPのネットワークプロトコルを組み込みます。私たちは独自にそれを作っていましたが、世界で共有されていませんでした。そして1982年、4.2BSDが配布され、それによって世界中の大学・研究機関のコンピューターが1つにつながったのです。

これを「インターネットの誕生」と書いている本はあまりないのですが、しかし、これが真実です。ARPANETからの流れだけを見ると、軍事技術から生まれたように誤解してしまうのですが、本当はBSD、つまりカリフォルニア大学バークレー校の研究チームが配ったソフトウェアが世界をつないだのです。これはオープンソースの原点でもありますし、また大事なことは最初につながったのが大学だった(・・・・・・・・・・・・・・・)ということです。

インターネット、社会へ

知識・情報の世界共有基盤

「世界の大学が情報ネットワークでつながる」。このことは、大学に大きな変化をもたらしました。大学の第一の仕事は研究です。研究者が論文を書いて、学会が運営する学術雑誌に投稿します。すると、例えば「条件付き採択」といって査読者が注文を付けてくるので、書き直して、また送ります。これを繰り返して論文が何本か掲載されると、やがて博士号を取得できます。ただし、論文が採択されてから雑誌として出版されるまで、私たちの分野ですと、ゆうに半年はかかります。そうすると、何本かの論文を書かなければいけないので、博士号を取得するまでに少なくとも3年〜5年もかかることになります。

この他、アカデミズムが知識を共有する場として、国際学会があります。慶應でも多くの国際学会をホストしていますが、世界中の研究者が飛行機に乗って集まり、ホテルに泊まり、学会に参加するわけです。大変に費用がかかります。しかし、大学がインターネットでつながれば、このコストが格段に下がります。

現在では、インターネット上で論文を共有し、会議を行うこともできます。国際会議も論文誌もどんどんオンライン化されています。最新の研究成果が世界中で瞬時に共有できて、コストもかからない。大学こそがインターネットの最大の恩恵を受けたのですが、これはインターネットの特性を考えれば、当然のこととも言えます。なぜなら、インターネットは人間の知識と情報の共有基盤だからです。この「知識・情報の世界共有基盤」が大学から生まれ、大学が活用し、世界に提供してきたという歴史は、インターネットの役割を考える上でも、とても重要だと思います。

産業・生活の技術へ

そして、こうしたインターネットの恩恵は、産業分野にも生活分野にも、速やかに伝播していきました。

例えば1990年、ティム・バーナーズ=リーという人がWWW(ワールド・ワイド・ウェブ)を発明しました。これはインターネット上に散らばる文書を結び付けて相互に参照できるようにするためのプラットフォームです。バーナーズ=リー氏はスイスのセルン(CERN:欧州原子核研究機構)という研究所で研究者間の情報共有システムを開発していたのですが、それが後の「ウェブ」に発展し、そこから今日のグーグル(Google)など検索エンジンの誕生につながっています。

また、WWWはAIの進歩にも大きな影響を与えます。WWWは、インターネット上にある大量の論文にいくらでもアクセスできるようになっていきます。ある事柄に関する論文をソフトウェアがロボットのように集めてきて、分析することができるのです。これを利用すれば、膨大な情報を分析して、多くの知性や情報を生み出すことができます。これがAIの開発を大きく後押ししました。

ビッグデータ、ディープラーニングと呼ばれているものも、その基盤にはインターネットの整備と検索機能の進歩があります。今日ではツイッター(Twitter)上の情報を分析して、マーケット予測をする研究も生まれています。

ユニークな例としては、高校生による花粉症のつぶやき研究などというのもあります。私たちが用意したデータを使って、ツイッター上で「花粉症」「鼻水」「涙」といったキーワードを集めて分析してくれたのです。気象庁が花粉の位置情報の予報を出していますが、その予報とツイッターでのキーワードの使用頻度やその移動が見事に一致しました。のみならず、その高校生は男と女で反応に差があることを発見します。この知見が、やがて医学的な研究成果につながる可能性もあります。

インターネット上では、圧倒的に低いコストで膨大なデータを収集・処理することができます。このことは、学問のみならず、社会のどの分野にも大きなインパクトと、そして恩恵を与えています。

ちなみに、慶應義塾でSFCが開設されたのも、まさに1990年でした。インターネットの基盤技術は、おおむね90年頃までに完成の域に達し、その後、急速に進歩しながら社会へ広がっていったということが分かります。

日本はネット開発で負け続けている?

私はときどき「インターネットはGAFA(Google, Apple, Facebook, Amazon)のようなプラットフォーマーに牛耳られて、日本は連敗じゃないか」といったお叱りを受けることがあります。いちいち反論しませんが、これも事実ではありません。GAFAにも、日本の知恵がたくさん生かされています。

そこで、インターネットの開発における日本の貢献について、少しご紹介しておきたいと思います。この90年代、日本は非常に大きな貢献をしているのです。

例えば、ブラウザで何かのドキュメントを見るとき、中国語のドキュメントは中国語で、英語は英語で、フランス語はフランス語で見られます。実は、このインターネットにおける多言語環境は、日本が先導して作ってきたものです。

それと言うのも、2000年頃まで、インターネットのユーザー数が多かったのはアメリカと日本でしたが、アメリカのコンピューターサイエンスの専門家たちは、英語を話さない人が地球上に住んでいるなんて気付きもしないような人ばかりだったのです(笑)。

たしかに、計算をするときの「go to」とか「if」といった指示はアルファベットで構いませんし、研究者は論文程度の英語が読めればよかったので、あまり気にする必要がありませんでした。ところが、コンピューターが人間の生活や知恵を支える道具として使われるようになると、言語は重要な問題になります。

英語を日本語にするということは、大変な仕事なのです。かつて、先述のデニス・リッチー氏と「C言語」というプログラム言語について議論したことがあります。C言語には文字を取り扱う「char型」という変数あって、8ビット、つまり256通りの表現ができます。私はデニスに言いました。「デニス、charってどういう意味だよ」「おまえ、そんなことも知らないのか。character(文字)に決まっているだろう」「そこは分かっているよ。characterがどうして256通りしかないと思うんだ」。すると彼は「256もあれば十分じゃないか」と言うのです。しかし、日本語では漢字・仮名を合わせて少なくとも6千字は必要なのだから、8ビットでは収まりません。

「じゃあ、どう作り直せばいいのか、考えよう」ということで、ソフトウェアの国際化の技術を研究する分野が誕生しました。これを「INTERNATIONALIZATION」というのですが、20文字もあって長いので「I18N」と書いて、「インターナショナライゼーション」と読みます。この研究は日本語をいかにしてコンピューターの中に表現するかということから生まれています。

当初は、ソフトウェアができるたびに日本語化しなければならなかったので、非常にコストがかかりました。ですから、国際標準を作る舞台に行って、「世界にはこれで困る人もいるのだから、標準の元を直せ」と言わなければいけません。私はいわば、その切り込み隊長役でして(笑)、中国や韓国、アラブ諸国を口説いて「日本だけが我がままを言っているわけじゃない、世界を見ろ」と言って、国際標準を変えるための仕事をしてきました。ですから、日本の功績は大きいのです。

ただし、出来上がったソフトを配信する段になると、ビルに頼んでバークレーから送ったり、MITのⅩ Windowプロジェクトで配ったりするのが、一番簡単で世界に貢献できます。そうすれば、世界中どこででもインターネットで日本語が読めるようになるのです。どんな言語も画面に映るのです。私は大喜びしていました。

すると、あるとき通産省に呼ばれて「何をやっているのだ」と叱られました。日本がこれだけ貢献しているのに、どうしてMITやバークレーに配らせるのだと。たしかに、私たちは「日本の功績」をアピールしてきませんでした。それが必要だとも思っていなかったのです。

皆さんの中には「どうせなら、慶應義塾の名前を広げてこいよ」と言われる方もいらっしゃるでしょう。もちろん、私もそう思いますので、どこで話をするときも、私は慶應義塾の肩書きで話します。しかし、ナショナリスティックに競争するということは、過去40年、あまり考えてきませんでした。

慶應義塾の貢献

せっかくですから、このインターネット文明に対する慶應義塾の貢献についてもお話ししておきましょう。

最近では、私は出版業界と組んで、HTMLファイルというウェブの標準に縦書きとルビを入れまして、これが2017年に完成しました。これは大変でしたね。先ほどの多言語対応より、縦書きのほうが苦労しました。

なぜなら、中国が公式文書や学校の教育書から縦書きを廃止してしまったからです。現在、日本の他に新聞で縦書きを使っているのは香港の一部と台湾だけです。ですから、孤軍奮闘だったのです。GAFAのブラウザを作っているエンジニアに、「縦書きを入れろ」と言います。「なんだそれは」。「ほら、日本語では献立が縦だときれいじゃないか」。「俺たちは、そんなものは使わないんだ」。「ちょっと待て」と、ここからが戦いです。私たちは、縦書きの文化を捨てられませんから、これが標準化に入っていないと、いちいち全部作り直さなければなりません。大変なコストがかかります。標準化で戦うとは、かくも大事で、ここでも慶應義塾はウェブの標準化の組織W3C(World Wide Web Consortium)を運営し、大きな貢献をしています。

さらに、アップルのネットワークに使われているソフトウェアは、もともとの開発コードを「KAME」と言います。これは、SFCのすぐ脇に「刈込(かりごめ)」という交差点があって、「カリゴメ」のカとメを使ってKAMEという開発コードにした成果が世界標準になり、アップルがそれを採用したのです。GAFAの中にも慶應がある。インターネット開発のコミュニティの中では、慶應は非常に認知され、リスペクトされている大学だと思います。そのような関係もあって、慶應義塾は前出のヴィントン・サーフ氏、ティム・バーナーズ=リー氏に名誉博士号を授与しています。

私たち慶應義塾は今日のインターネット文明の形成に対して大きな役割を果たしてきたのです。とくにSFCはこのインターネット文明を牽引する働きもしてきましたので、慶應のみならずSFCの名前も国際的に知られていて、鼻高々になることもあります。

インターネット文明と2つの世界

福澤諭吉の描く文明世界

そんな私ですが、1枚の絵を見て啞然とし、打ちひしがれたことがあります。図は、福澤先生の『西洋事情』の扉絵です。

ここでは、まず、人類はすべて兄弟・家族であるという図があります(右図)。その隣に人類の文明が生み出した4つの科学や社会、そして技術が描かれています(左図)。蒸気機関、済人(法律や経済制度など社会を整える仕組み)、電気、そして電信です。福澤先生は、ワシントンで2本の電柱の間で信号を送る実験を見られたようです。

私を打ちのめしたのは、左図の中央にある丸い絵です。地球全体に電柱が立っていて、その間を電線がつなぎ、その上を飛脚が走っている。これは、まさにインターネットのコンセプトそのものですね。地球が1つにつながり、メッセージを運ぶ飛脚はインターネットプロトコルのパケットです。私たちは国境という概念を意識せず、アカデミズムのネットワークからこのインターネット文明の基盤を作ってきました。それは、デジタルテクノロジーによって、世界の人々が、誰でも、瞬時に、しかも安価につながることのできる世界です。福澤先生は150年も前にそのコンセプトを見事に可視化していたのだと思うと、本当に驚嘆させられます。

併存する2つの世界

いずれにせよ、私たちは世界が1つにつながった環境を作り出し、その上で人類が生きていくことは、もはや当たり前になりました。これが「文明」と呼ぶ所以です。

ここで私たちは、2つの世界が併存している地球というものを考えています。1つは現実の社会、もう1つがインターネット上のサイバー空間です。

まず、現実の世界では、国ごとに法律も制度も異なります。国境という枠によって仕切られ、その中で私たちは社会を作っています。つまり、そこは「国際」社会であって、ロシアと日本の領土問題も、アメリカと中国の貿易問題も、国と国との間で交渉したり調整したりするのです。

貨幣はどうでしょう。現実の世界では、国ごとに中央銀行があり、その国ごとに通貨を発行しています。半面、ビットコインのようにインターネット空間で流通する仮想通貨が登場し、国家に支えられることも遮られることもなく、世界中に広がっています。

私たち大学人は、サイバー空間で活動することがますます多くなっています。国境に遮られることなく、世界中の研究者とインターネット上で知識を共有し、議論もします。また遠隔教育も普及しつつあります。

今後、私たちは生活のより多くの部分を、このグローバルなインターネット空間で過ごすようになるでしょう。また、現実社会で発生している問題のより多くを、このグローバルなインターネット空間で処理するようになるでしょう。例えば地球温暖化など気候変動は現実の国際社会で生じている現象ですが、この問題を解決するには、地球全体を包むインターネット空間で調査したり議論したりしなければならないでしょう。また、飢饉や疾病など人々の命や健康に関わる問題も、一方でインターネット文明の恩恵を利用しながら医学研究をグローバルに展開させ、他方で国際的な協調を図ることが重要になります。

先ごろ、私が始めた研究の中には、小児がんに関する保険商品の開発があります。小児がんの治療には5千万円から1億円という高額な費用がかかるため、誰しも十分な治療を受けられるわけではありません。しかし、もし生き延びれば、例えば百歳まで生きて、その間に働いて収入を得ることもできます。そこから新しい保険システムを作れないだろうか。ブロックチェーンのような新しい技術やインターネット空間での新しい金融システムを活用しながら、金融・保険の専門家や、医学の専門家と協力して、従来とは異なるグローバルなアプローチで問題解決に取り組んでいます。

境界を飛び越える

慶應大学は総合大学ですから、多様な分野の知恵が集まっています。これが縦割りであっては、インターネット文明の未来を創造していくことはできません。逆に言えば、インターネット文明の時代には、私たちは多様な知恵を結び付けることで大きな力を発揮することができます。

1990年に開設されたSFCは、インターディシプリナリー(学際)型のキャンパスを目指しました。私はその開設時からSFCに勤め、同時にインターネットの開発を進めてきたのですが、まさにいろいろな分野の人たちが力を合わせることで、今まで解けなかった問題が解けました。今まで届かなかった目標に届くことができました。今まで叶わなかった夢を実現することができました。

これこそが、インターネット文明の本質的な特徴であり、本当の役割になるのではないでしょうか。大きなコストを割かずに、誰もが参加をして、一人一人の力で未来を築いていける。この文明を作っていくのは、私たち一人一人の参加、それから社会の力でもあります。

これからたくさんの課題が出てきます。慶應義塾はもちろんその中心となって、先導していかなければいけません。皆さん一人一人が参加して、力を合わせ、新しいインターネット文明が生み出されることを強く期待する次第です。

私からのお話は以上です。本日は、誠にありがとうございました。

(本稿は、2018年12月13日に行われた第707回三田演説会での講演をもとに一部を加筆修正したものである。)

出所:『西洋事情』初版本、巻之一、扉絵、1866(慶應2)年

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。