慶應義塾

慶應ミュージアムコモンズ(KeMCo)建設地内における発掘調査について

執筆者プロフィール

  • 安藤 広道(あんどう ひろみち)

    文学部 民族学考古学専攻教授

    安藤 広道(あんどう ひろみち)

    文学部 民族学考古学専攻教授

2019/11/23

画像:江戸時代の土蔵跡

現在、三田キャンパスの東側、幻の門の眼下で、慶應ミュージアムコモンズ(KeMCo)の建設工事が進められている。実はこの工事が始まる前の2018年12月~2019年3月の4カ月間、ここで遺跡の発掘調査が行われていた。幻の門から一望できたこともあり、お気づきになった方も多いと思う。

あの場所に遺跡が? なぜ発掘を? と不思議に思われる方も少なくないだろう。ただ、かつて江戸市中とされた地域の地中には、巨大都市江戸における人々の活動の痕跡が随所に残されている。近代以降の開発で壊されてさえいなければ、ある意味どこでも江戸時代の遺跡ということになる。

また、日本では、こうした遺跡の多くが、文化財保護法を軸とした法制度に基づき、地中に文化財が存在する場所(埋蔵文化財包蔵地)として保護の対象になっている。東京都では、江戸時代以前の遺跡を保護対象としており、工事などで遺跡を壊さざるを得ない場合には、工事側の費用負担で事前に発掘調査をすることが求められる。遺跡が失われる代わりに、記録と遺物を保存するわけである。

まずKeMCo 建設の決定を受け、2017年12月、港区教育委員会が、当地が保護対象となる遺跡か否かを確認するための小規模な発掘を行った。結果、江戸時代の遺物を含む地層が良好に残っていることが判明し、建設工事前に本格的な発掘調査をすることになった。なお、教育委員会は、この場所が江戸時代の絵図で町屋となっていることから、遺跡名を三田2丁目町屋跡遺跡とした。

その後、2018年9月に発掘の期間と費用を見積もるための試掘を実施し、その結果を踏まえ、12月3日から約4カ月間の予定で本格的な発掘調査を行うことになった。調査は、港区教育委員会と民族学考古学研究室の指導のもと、共和開発株式会社に委託して実施した。

発掘調査は、遺跡名のとおり、まず江戸時代の町屋跡を対象として進められた。調査開始後すぐに江戸時代の地層が想定以上に重なっていることがわかり、予想の倍近い遺構を調査することになった。さらに調査期間の中盤ころから、江戸時代の地層下より想定外の平安時代以前の遺構群が次々と発見され始めた。度重なる予期せぬ事態に、期間内での調査完了が危ぶまれたが、関係者の努力と連携により何とか工事着工前までに終了させることができた。

発掘の成果については、今後1年余をかけて出土遺物と調査記録を整理することになっているため、本来はその後で言及すべきものである。とはいえ、この発掘では、予期できなかった遺構・遺物が次々と見つかり、その都度、塾内外の多くの研究者から注目を集めることになった。そこで、あくまで現時点での知見とお断りしたうえで、概要を述べておきたい。

まず、江戸時代では、建物跡や穴倉、ゴミ穴などの300を超える遺構が検出され、コンテナ百箱以上の遺物が出土した。出土遺物からは17世紀後半から町屋が形成されていたことが推測でき、18世紀以降は複数の土蔵の存在から比較的裕福な町民が暮らしていたと想定される。焼けた瓦が廃棄されたゴミ穴が目立ち、一帯で火災が頻発していた様子も垣間見えた。土蔵以外の建物跡はなく、それらは現在より幅が狭かった三田通りに面していたものと思われる。いずれにせよ今後の整理作業を通して三田界隈における町屋の暮らしの一端が明らかになると期待している。

この発掘でとりわけ注目を集めたのは、平安時代以前の遺構・遺物であった。現状では遺構の時期や相互の関係等の分析が未了なため、ここでは便宜的に古代の溝(みぞ)と弥生~古墳時代の竪穴住居跡に分けて紹介しておく。

溝は、幅3m以上の比較的大きなもので、三田通りに向かって直線的に伸びていた。何らかの施設の区画溝あるいは道と考えられる。この溝が注目を集めたのは、溝内外から円面硯(えんめんけん)と呼ばれる硯や緑釉(りょくゆう)陶器など、一般的な集落遺跡では稀な遺物が複数出土したことである。これらは、官衙(かんが)や寺院などで出土することが多く、港区内では初の発見となった。この溝を備えた施設の性格については、今後慎重に検討していくことになるが、今回の成果が、これまであまり進んでいなかった古代武蔵国荏原郡一帯の地方官制、交通制度の研究に一石を投じるものになることは間違いない。

古代(奈良・平安時代)の溝

一方、竪穴住居跡は、遺存状態が悪かったものの調査区内に5基以上存在していたと考えられる。一部が弥生時代終末期(3世紀)に遡る可能性があり、以後、古墳時代前期(4世紀)、古墳時代終末期(7世紀)のものなどが含まれているようである。南関東では低地における弥生~古墳時代の集落遺跡の調査例が少なく、該期の集落の立地や構造の解明につながる貴重な事例の1つになった。

なお、調査では、以上のような人間の活動の痕跡とは別に、数万年間の地形・環境の変遷を解明する手がかりとなる地層の堆積が確認され、その分析用サンプルの採取なども行った。

以上、KeMCo 建設地内の発掘調査について簡単に紹介してみた。長い歴史をもつ塾の考古学や日本史研究の先達たちも、足元にこのような遺跡が眠っていたことを夢にも思っていなかっただろう。先述のとおり具体的な調査成果は、整理作業後、2020年に報告する予定になっている。乞うご期待。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。