慶應義塾

ボノ(U2):義塾を訪れた外国人

執筆者プロフィール

  • 国分 良成(こくぶん りょうせい)

    その他 : 防衛大学校長その他 : 客員教授

    国分 良成(こくぶん りょうせい)

    その他 : 防衛大学校長その他 : 客員教授

2018/05/01

記念講演にて

ロック・スターに名誉博士号!?

2007年10月から2011年9月まで、私は塾の法学部長を務めた。この間、学部から3人の名誉博士を推挙させていただいた。実はそれまでの名誉博士号の授与に関して、私は少しばかり不満を抱いていた。それは従来のパターンとして、まず政府や外務省などから授与を打診され、それを受け入れる受動的なケースが多かったということである。教授会で承認を得るところまで行ったにもかかわらず、その後本人が辞退するなどという事態が発生したこともあった。こうした経験から、私は、我々の側が主体的に相応しい人物を発掘し発案するという本来の形をとれないものかと考えていた。

私が学部長の時代に名誉博士号を授与させていただいたのは、1人はドイツのクラウス・シュテルン(Klaus Stern)ケルン大学教授である。シュテルン教授はドイツ憲法学・国法学の大家であり、義塾の何人かの法学者が教授に指導を受けるなど、法学部としても大変にお世話になった経緯があった。

もう1人は、ハーバード大学ケネディ・スクールのジョセフ・ナイ(Joseph Nye)特別功労教授である。ナイ教授の名前を知らぬ人はいない。ソフトパワー論など、国際政治学の分野で我々の時代を代表するトップの学者であり、時には政府の要職にあって、実際の東アジア政策を担当した経験も有していた。ナイ教授は日本にも知己が多く、その中に義塾関係者も多くいた。私自身も数年間、準政府間の日米中関係プロジェクトでご一緒させていただいたことがあった。

そして3人目が、世界的ロック・ミュージシャン、U2のボノ(BONO)である。ボノの本名はPaul David Hewson、1960年にアイルランドのダブリンに生まれ、高校時代にロック・バンドを結成し、79年にはU2と命名、そのリード・ボーカルとなった。ボノ(BONO)はニックネームである。その後、U2は22度のグラミー賞受賞。これは世界のロック・バンド史上最多の記録であり、それ以外にも、世界各国のさまざまな音楽賞を総なめにしている。つまりU2は、我々の時代のロック・ミュージックの最高峰に位置するグループであり、ボノはその頂点に今なお君臨している。

なぜ、慶應義塾大学がそのような世界的なロック・スターに名誉博士号を授与することになったのか。正直に言えば、私個人はボノのことをそれまであまり知らず、U2の音楽は聞いたことはあるが、熱狂的なファンでもなかった。そこにいたる経緯を説明するには、その仲介者を忘れてはならない。

ボノと慶應を繋いだのは、今は亡き山本正・財団法人日本国際交流センター(JCIE)理事長である。山本氏は、日本よりもむしろ世界にその名を知られた日本と世界を繋ぐ民間国際交流の仕掛け人であり、「市民外交の伝道師」と呼ばれるに相応しい魅力を備えた人格者であった。私自身も1990年代以降、山本氏に何度も国際会議のお誘いを受けた経験があり、私にとっても国際交流の師である。

2004年から2008年までの丸5年間、法学部は財団法人渋沢栄一記念財団の資金援助により、山本氏のJCIEと法学部教員がともに企画・運営する「渋沢栄一記念財団寄附講座」を設置させていただいた。それにより法学部では2004年から5年間、学生向けの本講座が始まり、「新しい国づくりを目指して」(2004年度)、「日本の行政改革─政府とシヴィル・ソサエティの役割分担の調整」(2005年度)、「東アジアにおけるシヴィル・ソサエティの役割」(2006年度)、「世界に貢献する日本を創るシヴィル・ソサエティ」(2007年度)と続き、最終年度は総括テーマとして「地球的課題と個人の役割」と決まった。

2008年度のテーマは決まったが、企画と講師陣をどうするか、山本氏とJCIE常務理事の勝又英子氏と綿密な打ち合わせが行われた。この年は慶應義塾の創立150年であり、その点でも特別な意味があった。その際、突然にJCIE側から名前が出たのがボノである。ボノは世界的ミュージシャンではあったが、同時に人道支援の慈善活動家としても世界的に知られていた。特にアフリカのエイズや貧困問題に対する支援では、注目すべき活動を次々と展開していた。

慈善活動家としてのボノ

ボノがアフリカ問題に関心を持ち始めたのは、1985年のエチオピアの飢餓問題に対するライヴ・エイドのコンサートに参加してからであり、その後も、アフリカの最貧国の債務を2000年までに帳消しにする目的で始まったジュビリー2000の運動にも加わっている。そして2002年にはDATA(Debt、AIDS、Trade、Africa)を設立、アフリカに特有の債務、エイズ、不公正貿易などの問題に積極的に関与し、2004年には、「貧困を歴史の彼方に」をキャッチフレーズに、それを1つの声にするONEキャンペーンを開始した。また2005年の先進国首脳会議(G8)に合わせて、アフリカ支援を目的に世界で同時開催されたチャリティ・コンサート、ライヴ8(エイト)の中心人物の1人でもあった。

ボノはさらにアップルやマイクロソフトなどの大企業と組んでその収益の一部をエイズ撲滅のための資金にあてる仕組みを作り、それ以外にも世界の政治家、財界人、知識人に直接間接に働きかけ、世界各国の首脳たちとの会見も繰り返し行っていた。このような諸活動の結果、ボノは2007年にイギリスからはナイトの称号を、2013年にはフランスからレジオン・ドヌール勲章を授与されたのをはじめ、ノーベル平和賞の候補に何度もノミネートされたと言われる。

JCIEの山本正・勝又英子両氏はボノとの直接の知己はなかった。しかし関連の活動には一部参加しており、日本政府が中心となって開催するアフリカ支援のためのTICAD(アフリカ開発会議)に合わせてボノが来日するとの情報を得て、直接にDATAに連絡を取り、本講座での講演の可能性を打診したのであった。その間、法学部長であった私は学部の執行部で綿密な打ち合わせを行い、名誉博士号の授与を決意し、当時の安西祐一郎塾長と西村太良常任理事と相談したところ、塾当局もそれを快諾してくださったのであった。

これを踏まえてJCIEを通じてボノに名誉学位についても打診したところ、喜んで受け入れてくださるとの返答を受けたのであった。ボノの名誉学位が決まる前後から、私は時間があるときはいつでもU2の曲を聞き、時にはロックのリズムにスウィングしながら、自分自身の中で意識を高めていった。そうこうしているうちに、私は弱者や傷ついた人々に寄り添う内容の多い歌詞に引き込まれ、いつのまにか大ファンになっていった。

ボノ、三田山上で聴衆を魅了

三田山上のボノ(左端)、右端は筆者

2008年5月27日火曜、晴天のもと、三田キャンパスの演説館において法学博士の名誉学位授与式が挙行された。演説館へとつながる中庭には、ボノを一目見ようとする学生たちとマスコミでごった返していた。彼は学生たちに語りかけながら演説館へと向かった。式典においては、推薦人であった私がまず推薦理由を読み上げた。

「慶應義塾は150年前に、『独立自尊』の精神をもって市民が社会においてよりいっそう大きな役割を担いえることを1つの理念に掲げて創立されました。ヒューソン氏は、グローバル化の進む国際社会において、シヴィル・ソサエティの立場から困難な問題を解決すべく、積極的で献身的な活動を行ってきました」。

これを受けて塾長がボノに学位記を授与し、式典は終了した。この式典には、元国連難民高等弁務官でボノとも親しい緒方貞子先生、それにボノの友人で開発経済学の世界的権威でハーバード大学教授のジェフリー・サックス氏なども参列されていた。

ボノの講演は、三田で最大席数を誇る西校舎ホールが満杯になる中で行われた。聴講できたのは、寄附講座を履修した法学部政治学科の学生がほとんどであった。山本信人法学部教授が司会進行を担当し、まず私が講演のいきさつについて説明を行い、続いて「ドクター・ボノ」の登壇となった。彼の講演は内容・パフォーマンスともに迫力があり、ロック・スターだけにノリが良く、その雰囲気に聴衆は飲み込まれた。私自身もあの時の高揚感は今でも忘れない。講演の一部から、その時の高揚感を感じていただければと思う。

「慶應の精神に、そしてフクザワ先生の伝統にのっとって、私はこのことを申し上げたい……。私は本からだけではなく、人生から学んできたということを。知恵と知識はかなり違う……。私はそのどちらも持っているとは言えないかもしれないけど、私が確実に持っているのは知的好奇心です」。

「アイルランドと同様、日本は廃墟から立ち上がり、活気ある魅力的な社会を造り上げてきました。過去が現在をかたちづくることもあるが、過去に未来を支配させてはいけない。過去の歴史からあなたがた日本人が控えめであることは理解できるが、それではいけないと思う。日本には世界の舞台に堂々と出てきてほしい。日本から学ぶことはたくさんあります」。

「若くて、慶應義塾大学に学び、そしてこの新しい世代の最先端にあるとは何という特権だろう。あなたがたは世界を善へとすっかり変えてしまうチャンスを手にしています。私1人ではできないけれど、『私たち』ならできる。一緒ならできます」。

この講演に際して、ボノは聴講者全員にONEのロゴマークの付いたTシャツをプレゼントしてくれた。防衛大学校に移った今も、イベントの際にこのTシャツを着ることがある。そして、私の携帯には今もU2のアルバムがいくつか入っていて、たまにスウィングしている。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。