慶應義塾

カズオ・イシグロ:義塾を訪れた外国人

執筆者プロフィール

  • 河内 恵子(かわち けいこ)

    文学部 教授

    河内 恵子(かわち けいこ)

    文学部 教授

2018/01/01

2015年、慶應義塾大学文学部創設125年を記念してさまざまなプログラムが開催されたが、その最初が日本生まれのイギリス作家カズオ・イシグロのオープン・インタビューだった。

その年の6月5日、三田キャンパス西校舎ホールは義塾の関係者、放送局や出版社の関係者、文芸批評家や研究者、事前に申し込みをした人たちの熱気で満ちていた。インタビューの時間は90分で、通訳を介せず私と話すということになっていた。大体の方向性についてはそれまでにメールで相談していたし、当日事前に打ち合わせもしていたが、話がどういう方向に進行するかはイシグロにも私にもよくわかっていなかった。あまり細かいところまで打ち合わせをすると「現場での愉しみ」が失われるからだ。この点については2人とも同じ意見だった。多くの人の心に強く刻まれたインタビューの内容については、その日本語訳が『三田文學』第123号(2015年秋号)に掲載されているので、是非読んでいただきたい。

2015年三田キャンパス西校舎ホールにて。左は筆者。

記憶の人

打ち合わせの際、印象深いことがあった。イシグロは2001年にも来塾し、北館ホールで「自分史」を披瀝している。「今、直面している問題や書きたいこと」について語り、来場者からの質問に丁寧に答えるという、誠実さと温かさが伝わる時間を私たちに提供してくれたのだが、14年前のこの時のことを彼は驚くほどよく覚えていたのだ。再度の来塾の前に、準備の一環として、前回の経験を辿ってきたということはあるだろう。しかし、そのようなレベルを超える記憶だったのだ。つまりこういうことだ。その時も、事前の準備や当日の打ち合わせは私が担当していたのだが、本番の時の司会は、他の方にお願いした。イシグロは「ところで14年前、ホールの何処にいらしたのですか? その前の打ち合わせやその後の懇親会ではご一緒でしたが」と訊ねたのだ。何のことか咄嗟には思い出せなかった私が、暫くして(漠然とだが)当日のことを思い出した。

私は14年前の三田キャンパスでの半日を細部に至るまで覚えているイシグロに驚いた。彼のすべての作品はさまざまなかたちの記憶のあり方を描いているが、彼はまさしく記憶の人だったのだ。数多くのパズルピースが綿密に組み合わされたきわめて複雑な構成の絵画のような、記憶の図象が私の脳裏に浮かんできた。2001年当時の北館ホールでの私の居場所はその記憶というパズル絵の完成度を損なう一片のパズルピースだったのかもしれない。そしてそれから行われたオープン・インタビューは、彼の記憶力そのものと、記憶についての考えが軸となって展開していった。

カズオ・イシグロの世界

それではここで2017年度のノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの作品世界を共有しておきたい。1982年に出版された『遠い山なみの光』と86年の『浮世の画家』には第2次世界大戦前後の日本を舞台に、価値観の激しい揺れ動きの中で自らの立ち位置を、生きてきた過去を媒介にして見つめようとする人たちが描かれている。これらの初期の作品は、文法にしっかりと基づいた正確な英語で書かれており、その技巧的な語りに大きな驚きを覚えた。

イギリス小説を読むことを仕事にしている私にとって、それまで接したことがないような独創的な英語だったのだ。イギリス人の批評家や読者のなかにはこの英語と日本という舞台にエキゾティシズムを見出した者もいた。イギリス小説に与えられる最高の賞であるブッカー賞を受賞した『日の名残り』(1989)は前2作品とは打って変わってこなれた英語で書かれている。ここでは、イギリスの大きな屋敷を舞台に、執事として働き続ける男の語りをとおして、第1次世界大戦後から第2次世界大戦後の、政治に関わる上流階級の人びとや彼らに仕える人たちが織りなす生が映し出されている。この作品は前2作品と共通したテーマを扱っている。すなわち、戦争という外的圧力や階級制度が強いる仕事という他者に背負わされた歴史を生きざるをえなかった人たちの記憶と、その記憶を表現しようとする努力の軌跡が語られているのだ。

1995年に発表された『充たされざる者』は奇妙な魅力に満ちた作品だ。旅の目的を明確に把握できない世界的ピアニスト、ライダーの記憶と忘却と覚醒についてのこの物語は、作品の中に散在する断片を集めてひとつの世界を創ることを読者に求める。きわめて実験的なこの作品に対して、次作『わたしたちが孤児だったころ』(2000)は、記憶の断片を集めるという前作と共通のテーマを内包しながらも、自らの過去と行方不明になった母を捜す探偵の歴史が明確に描かれていて物語世界に入りやすい。第2次世界大戦前後の上海の魅力も活写されている。

『日の名残り』同様に映画化され、世界各地で大きな関心を呼び評判となった『わたしを離さないで』(2005)は、他者への臓器移植という明確な目的のために製造され、移植可能な時期まで生かされるクローン人間たちの生と死を1990年代後半のイギリスを舞台に描いている。クローンの若者たちの短い生命の在りようは、静寂だが非常に強靭な作品世界を創り上げている。これから10年後に発表された『忘れられた巨人』(2015)はアーサー王伝説を背景に、行方不明になった息子を捜す老夫婦が強いられる過酷な旅を語る。たちこめる霧のため人びとの記憶は失われていくのだが、旅の過程で徐々に記憶が戻ってくる。この忘却からの回帰は、実は、夫婦の絆の亀裂を明らかにしていく装置でもある。

静かに語る人

これらの7作の長編小説が背景とする空間と時代はそれぞれ異なっているが、すべての作品は人間の記憶と忘却とをテーマとしている。三田でのオープン・インタビューにおいても、さまざまな方向に向かって話は広がったが、イシグロが一貫して語ったのは記憶と忘却についてだった。強く印象に残ったのは、戦争や災害を同時に体験したとしても、国や社会という集合体の記憶と個人の記憶は必ずしも同じではないという考えだった。公的領域の記憶を意識しながらも私的領域の記憶を忘却の彼方へと押しやってはいけないというその考えは、すぐれた共感力を持つ作家に備わっている認識だろう。

好きな作家や影響を受けた芸術家たち、音楽や映画の世界への深い関心。小説家として出発した時のエピソード。丁寧に語るその姿勢は魅力的だった。その場にいた多くの人たちが後に、心に残るメッセージを伝えてくれたが、なかでも「このインタビューをいつまでも聞いていたいと願った」という言葉は、静かに、しかし、力強く語るイシグロの語り手としての深さに触れた人が共通して抱く思いだろう。イギリス小説のセミナーでケンブリッジ大学を訪れた時、ヨーロッパ各地のジャーナリストと話す機会があったが、彼/彼女らの多くがインタビュー対象としてもっとも素晴らしい作家はカズオ・イシグロだと述べていたことを具(つぶさ)に思い出した。

作家が創る風景(ランドスケイプ)

インタビューにおいてではないが、イシグロが話してくれたことで面白く思ったことがあった。「『忘れられた巨人』を『わたしを離さないで』以来の10年ぶりの作品、つまり、久しぶりの作品だということが世間では強調されているが、自分としてはそれほど長い時間を空けたとは思っていない」と、(実際の言葉は少し違うかもしれないが)語ったのだ。新しい神話とでもいうべきあの小説が完成されるまでに10年という時間が必要だったのだ。しかも、作家はこの間に、世界の多くの地域でインタビューに応じ、音楽を軸とした短篇集『夜想曲集――音楽と夕暮れをめぐる5つの物語』を書きあげた。10年は重く、深く、創造的に流れていたのだ。

イギリスの各地、長崎や鎌倉といった日本の場所、イタリアの都市、そして上海。中世の時代、第2次世界大戦前後、現代。これらは、実際に存在する地域と時代だが、作家は、リアリスティックにそれらを作品のなかに再現するわけではない。カズオ・イシグロはさまざまな空間とさまざまな時間を媒体に、それぞれの作品において彼独自の風景(ランドスケイプ)を創り出し、そこに人間のあらゆる営みの根幹となる記憶と忘却というテーマを描出してきたのだ。2度訪れた三田キャンパスが、小説家の脳髄で熟成し、新たな風景(ランドスケイプ)として次の作品に出現するかもしれない。その可能性を否定することはできない。豊穣な言葉を持つ記憶の人の世界は深く、広く、存在しているのだから。

最後に、「母校慶應義塾でのインタビューを実現させたい」と、イシグロと義塾との幸福な出会いを可能にしてくださった早川書房の早川浩氏に感謝したい。そして、生動感を放散する作品世界の創造者、カズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞を心から祝したい。

南校舎でのレセプションにて(2015年)。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。