執筆者プロフィール

関根 政美(せきね まさみ)
その他 : 名誉教授
関根 政美(せきね まさみ)
その他 : 名誉教授
2016/12/12
トルドー首相が義塾を訪れた日
昨年、第29代カナダ首相となったジャスティン・トルドー氏の父親であるピエール・トルドー第20・22代カナダ首相が塾を訪れたのは1976年10月22日。当日の『産経新聞』夕刊の記事「トルドー首相、慶大へ、名誉博士号受ける、講義風景などを見学」は、以下のように報じている。
「三木首相の公賓として来日しているカナダのトルドー首相は22日午前10時すぎ、東京・港区の慶応義塾大学を訪れ、名誉博士号を受けるとともに、慶大のシンボルである図書館やカナダ講座の授業風景を見学した。(中略)そして、三田記念演説館での学位授与式に臨んだ。これは、トルドー首相の34年間にわたる政治・社会への貢献の業績に対し名誉博士号が贈られたもの。学位と同時に創立者・福沢諭吉翁の書『福翁自伝』なども贈呈された。トルドー首相は終始笑顔で「光栄です」とお礼の言葉を述べた。そのあと、第1校舎107番教室での「カナダ講座」を見学。ヘンリー・V・ネルス氏(慶大講師)の講義するカナダ史に熱心に耳を傾ける塾生の姿に満足そうだった。」
ネルス講師は、その当時はヨーク大学の準教授である。そして、『毎日新聞』の夕刊は次のように報じる。
「来日中のトリュドー・カナダ首相は、22日朝、東京三田の慶応大学を訪れ名誉学位を受けた。カナダ政府が同大学にカナダ講座を寄贈したことに応え、同大学がこの日招いたもの。紺のスーツに真っ赤なバラを付けたトリュドー首相は、午前11時、同大学に到着し久野洋・同大塾長らの出迎えを受けた。久野塾長は『トリュドー首相の歩まれて来た道はわが大学の教育方針と一致する。今後の首相の一層のご活躍を祈って学位を贈る』とあいさつした。これに答えて同首相は『皆さんが学問の発展に努力することを期待します』と励ました。」
2つの記事では、「トルドー」と「トリュドー」という具合に表記が異なっているが、本稿ではトルドーに統一したい。午前10時10分から予定されていた式典は無事に始まった。2つの記事では言及していないが、式典ではトルドー首相は簡単な答礼の挨拶をしている。三田評論に残るトルドー首相のスピーチは短いもので『所感』とのみ題されている。
ところで、なぜトルドー首相に慶應義塾大学は名誉学位を授与したのであろうか。気になるが、2つの記事からはよくわからない。今となっては曖昧である。
なぜトルドー首相に名誉博士号?
当時の久野塾長による三田演説館における授与式の式次で明らかにされた授与の理由は以下の通り。
久野塾長は、まず、1919年生まれのトルドー首相の略歴に言及し、同首相がモントリオール大学法学部を卒業後、米国ハーバード大学、フランスのパリ政治学院、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)において法律学、経済学、政治学を学び、ハーバード大学院博士課程を中退後、ケベック州にて法律家として活動し、自ら雑誌(『シテ・リーブル』)を発行して論陣を張るとともにモントリオール法学部の助教授となり、講義・研究の傍ら労働組合活動や政治活動(連邦政治家の顧問など)へ関与し、そして46歳で連邦議員となり、院内総務や法務大臣を経験して、49歳の若さで首相になったことに注目している。
次に、法律家・政治家としてのトルドー首相の研究・教育活動と政治活動の理念となった学問的・政治的信条に共感し、「トルドー首相のこれらのご経歴、その歩まれた道を辿りますと、私はそこに、実証主義に裏打ちされた理想主義と、深切に国を思う独立の気概を感ずるのであります。そしてここに、慶應義塾の学風と相似たところを強く感じ、親近の念を禁じ得ないのであります。我が慶應義塾の創始者福澤諭吉がその教育の方針としたのも、1つは実学、即ち経験的な事実に基礎をおき、あくまで実証的な精神によって貫かれた学問であり、いま1つは独立自尊の精神であります。この意味において、慶應義塾がトルドー首相に名誉博士の称号をお贈りすることは、非常に意義深いものがある」と述べている。
しかし、引き続き久野塾長は、「なお、カナダ政府は、先般慶應義塾に対しカナダ講座をご寄贈下さいました。この10月から、新進気鋭のネルス博士を迎えてこの講座が開講されたのは、皆様もよくご承知のことと思います。この講座がやがて大きな実を結び、慶應義塾並びに我が国の学問文化の向上に大きく貢献するばかりでなく、日加両国の学術の交流、相互理解を促進する大きな架け橋になることであろうと、私は確信するものであります。ここに改めて、カナダ政府並びにトルドー首相に対し、深甚な謝意を表する次第であります」と述べている。
先の理由が第1の理由であり、これは名誉博士授与の第2の理由ではないかと思われる。
国の宰相に義塾が名誉学位を授与したのは、インドのネルー首相、西ドイツのアデナウアー首相に次いで3人目である。その後にコール・ドイツ首相やシラク・フランス首相(後に大統領)などにも授与している。こうした政治家に比べ、また他の受賞者である大学者や高名な文学者に比べ、学者としての経験も短く連邦政治家として経験も浅いトルドー首相への授与は異例である。
むしろ、授与の主たる理由はカナダ講座寄贈への御礼だったのではないか。当時、米国経済に大きく依存していたカナダ経済を改革し、対米依存度を下げたいと思っていたトルドー首相の意を受けて、カナダ政府が日本との関係強化のための第一歩として塾にカナダ講座寄贈し、返礼としてトルドー首相への名誉博士号授与となったのかもしれない。
カナダ講座寄贈と塾の地域研究
どうして、カナダ講座の寄贈が名誉博士号授与の理由になるのかどうか気になる。当時は、そのくらい重要なことだと考えられていたのだろう。とくに、学者としてのトルドー氏を正しく評価できた憲法学者の平良先生がこの話の切掛けをつくり、当時法学部長であった石川忠雄先生が学部を代表して、名誉博士号授与を塾当局に推薦している点が重要である。石川忠雄先生といえば法学部長の後に塾長を長く務め、慶應義塾の戦後のさらなる発展を促しただけでなく、新学部の創設と同時に、法学部政治学科の地域研究や国際政治研究を発展させて、政治学科の存在価値を高めることに成功した人物である。
当時は、地域研究の充実の他に、政治・社会学分野における米山桂三・堀江湛教授を中心とした、規範的政治学から実証主義的政治学への転換が行われた上に、十時厳周先生を中心とした入試改革が政治学科カリキュラム改変と同時に進行する大いなる革新の時代だった。
石川先生ご自身も中国の地域研究において大きな業績を残されているが、トルドー首相が来日された頃には石川門下の逸材を有効活用して、戦前より存在する欧州諸国研究に加えて、中国、朝鮮半島、東南アジア、北米(米国)・中南米、ソ連、アフリカの地域研究を既に確立していた状況にあり、残されている大きな地域はオセアニア、インド大陸、そして北米のカナダのみであった。
このような地域研究拡張期にカナダ政府から講座寄付の話が来たのだから、石川教授は大いに喜ばれたと思われる。いずれカナダ研究者を養成する上でも、講座の存在はよい土台になると思われたかもしれない。カナダ講座開始時期とトルドー首相の来日に合わせて、同氏の連邦政治家になる以前の業績も評価した上で、トルドー首相への名誉博士号授与となったのであろう。
トルドー首相の業績
それでは、名誉博士授与に相当するトルドー首相に大いなる業績はなかったのか。当時、トルドー首相の大いなる業績が日本で十分理解されていたようには思えない。
今から回顧すると、学者としての業績はともかくとして、首相としては偉大な業績を残している。それは、「多文化主義(multiculturalism)」の導入という大きな政治的革新を導いたことにある。仏語系カナダ人の多いケベック州では、戦前・戦後、英国の影響の大きかったカナダのなかで長い間窮屈な思いをしていたことから、1960年代より分離・独立の機運が高まり、独立を進める過激主義も登場し、1970年には連邦・州政府の大臣の誘拐や殺傷事件も生じていた(10月危機)。カナダ分裂の危機が叫ばれた時代に首相となったトルドー氏は、ケベック出身者でありながらケベック独立に反対し、その代わりに2言語主義に基づく多文化主義を1971年に導入して、仏語系ケベック人の文化・言語維持を保証する。10月危機に代表されるカナダ分裂の危機を乗り切ったのだ。さらに、その後の国際移民の時代の多文化社会化する国民国家の、新しい社会統合原理としての多文化主義を世界に広めたという点で、特筆すべき人物である。その直後の来日と名誉博士号授与だったのだが、そのことが十分意識された上での授与ではなかったようだ。しかし、顧みると素晴らしい名誉博士号授与だったといえる。
カナダ講座寄贈とカナダ首相への名誉博士号授与に刺激されたのか、オーストラリア政府が、国際センターにオーストラリア講座と図書を寄贈し、同時に、筆者に対して法学部に豪州講座を設置するよう働きかけてきたのは、このすぐ後のことであった。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。