慶應義塾

座談会:「働き方改革」以降の日本の働き方を問う

公開日:2026.04.06

登場者プロフィール

  • 小室 淑恵(こむろ よしえ)

    株式会社ワーク・ライフバランス代表取締役社長

    日本女子大学卒業後、資生堂勤務を経て、2006年株式会社ワーク・ライフバランスを設立。3,600社以上の企業・自治体に働き方改革コンサルティングを提供。「産業競争力会議」民間議員など複数の公務を歴任。オンワードホールディングス社外取締役。

    小室 淑恵(こむろ よしえ)

    株式会社ワーク・ライフバランス代表取締役社長

    日本女子大学卒業後、資生堂勤務を経て、2006年株式会社ワーク・ライフバランスを設立。3,600社以上の企業・自治体に働き方改革コンサルティングを提供。「産業競争力会議」民間議員など複数の公務を歴任。オンワードホールディングス社外取締役。

  • 池田 大介(いけだ だいすけ)

    株式会社オンワードホールディングス常務取締役[人財・総務担当]

    1991年文教大学卒業後、株式会社オンワード樫山入社。2018年株式会社オンワードホールディングス執行役員経営企画・法務担当。2020年同取締役経営企画・人財・総務担当等を経て23年より現職。

    池田 大介(いけだ だいすけ)

    株式会社オンワードホールディングス常務取締役[人財・総務担当]

    1991年文教大学卒業後、株式会社オンワード樫山入社。2018年株式会社オンワードホールディングス執行役員経営企画・法務担当。2020年同取締役経営企画・人財・総務担当等を経て23年より現職。

  • 佐藤 豪竜(さとう こうりゅう)

    総合政策学部 専任講師

    2009年東京大学経済学部卒業後、厚生労働省入省。同省にて労働政策・社会保障政策の企画立案に携わる。18年ハーバード大学公衆衛生大学院修了。24年早稲田大学大学院経済学研究科修了。経済学博士。京都大学助教を経て、24年より現職。専門は医療経済学、社会疫学。

    佐藤 豪竜(さとう こうりゅう)

    総合政策学部 専任講師

    2009年東京大学経済学部卒業後、厚生労働省入省。同省にて労働政策・社会保障政策の企画立案に携わる。18年ハーバード大学公衆衛生大学院修了。24年早稲田大学大学院経済学研究科修了。経済学博士。京都大学助教を経て、24年より現職。専門は医療経済学、社会疫学。

  • 山本 勲(司会)(やまもと いさむ)

    商学部 教授

    塾員(1993商、95商修)。2003年ブラウン大学経済学部大学院博士課程修了。経済学博士。日本銀行金融研究所企画役等を経て14年より現職。同大学経済学部附属経済研究所パネルデータ設計・解析センター長。専門は応用ミクロ経済学、労働経済学。

    山本 勲(司会)(やまもと いさむ)

    商学部 教授

    塾員(1993商、95商修)。2003年ブラウン大学経済学部大学院博士課程修了。経済学博士。日本銀行金融研究所企画役等を経て14年より現職。同大学経済学部附属経済研究所パネルデータ設計・解析センター長。専門は応用ミクロ経済学、労働経済学。

労働時間は減少している

山本

本日は皆様と、また最近様々な形で話題になっている「働き方」について討議していきたいと思います。

最初に、「働き方改革の総点検」ということで討議してみたいと思います。2019年の働き方改革関連法の施行から7年が経ちます。もちろんそれ以前から働き方改革は進められてきましたが、公的統計などからどういう実態がわかるかを、簡単に私のほうから説明したいと思います。

まず、厚生労働省の『毎月勤労統計調査』によれば一般(フルタイム)労働者の総実労働時間は、2012年を100とした場合、18年から20年にかけて減少し、その後はそれを大体維持し、直近では94.6となります。つまり、2012年と比べて5.4%減少している。恐らく19年が働き方改革関連法施行の影響、20年はコロナの影響もあったと考えられます。学術研究でも、働き方改革関連法によって労働時間が一定程度減少したことが示されています。

さらに、総務省の『労働力調査』で企業の規模別に長時間労働者比率の推移を見ると、2019年以降、どの規模の企業でも長時間労働をする人は減ってきています。しかし、まだ中小企業のほうが大企業に比べると長く働いている人が多いほか、官公庁でもまだまだ多いのが問題だと思います。

それから、日本経済新聞社の『日経サステナブル総合調査 スマートワーク経営編』という主に上場企業向けの調査で管理職層と非管理職層の労働時間の推移を見ると、マクロの動きと同じように減少傾向にあります。ただ、管理職層は19年に減ったのですが、20年、21年と増えていて、その後も高い水準が維持されてしまっている。管理職層にしわ寄せがいっているのでは、という見方もできるかと思います。

次に厚生労働省の『就労条件総合調査』で有給休暇の取得率と取得日数の推移を見ると、これも、働き方改革関連法で5日間の取得が事実上、義務づけられたこともあり、確実に取得日数は増えている。そのこともあって年間の労働時間が減少しているということがあると思います。

このように数字で見ると、労働時間あるいは労働日数というのは、2019年以降、着実に短くなっているのがわかると思います。それを前提に、生産性はどうなったのか、さらに今注目されているウェルビーイング、心身の幸福度、健康、またワークエンゲージメントなどがどうなったのかを考えていきたいと思っています。

「働き方改革」で営業利益が倍増

山本

まず池田さん、この7年ぐらいを振り返ってみて、御社では働き方はどのように変わり、それに伴って生産性やウェルビーイングがどう変わってきましたでしょうか。

池田

弊社は1927年に創業し、ちょうど来年で100周年になります。中核事業会社のオンワード樫山では「23区」「五大陸」「J.PRESS」などのアパレルブランドを展開しています。グループ会社ではバレエ・ダンス用品のチャコットや、カタログギフトの大和などの会社があります。また、昨年若年層に人気のあるWEGOも弊社グループに仲間入りしました。ファッションを中心としながらウェルネス、生活全体に取り組んでいる会社です。

歴史が長い分、組織や仕組みができ上がっていたものですから、世の中のライフスタイルの変化と弊社の働き方の仕組みとの間のズレみたいなものを感じ、2019年より小室さんのご指導をいただきながら働き方改革に取り組み、「働き方デザイン」というプロジェクトを推進しています。

具体的なファクトで言うと年間平均休日取得日数は、取り組み前の2018年度は119.0日でしたが、2024年度の数値は129.7日と伸びており、月の平均残業時間は2018年度は17.7時間でしたが、24年度の数値は10.0時間という形で減少しています。先ほど示していただいたデータにも共通すると思いますが、弊社も取り組みの成果がここに出ているかと思います。

生産性とどのようにリンクしているかですが、グループ連結の営業利益は2018年度では51億6700万円でしたが、2024年度は101億5300万円で倍増しています。働き方改革は進み、残業時間は半減したけれど、会社の業績は倍増しているという形で両立できており、成果を実感しています。

山本

すごいですね。営業利益倍増なんですね。社員の方からも、実感しているという声は出ていますか。

池田

そうですね。シフト選択制(後述)を導入した際の現場のアンケートを取ると、「働きやすくなった」と「変化なし」が98%、「働きにくくなった」は2%程度ですので、全般的には実際、働きやすくなったのだと思います。

「働き方デザイン」と呼ぶ取り組みの中では、「マイゴールデンウィーク」ということで、暦の上でのゴールデンウィークとは別に、10連休を積極的に取得することを推進しています。家族と過ごす時間や自分のプライベートも充実することで、結果、仕事にもいわゆるウェルビーイング的な向き合い方ができているのかなと思います。

2024年度のオンワード樫山の離職率は5.7%となり、、定着率が高くなってきています。こういったところにも働き方改革の取り組みの成果が出ているのかなと感じています。

山本

まさに働き方改革の理想形というか、非常に上手くいっている企業なのだなと思いました。

「働き方改革」の最大の意義

山本

小室さんは企業のサポートをされていますが、オンワードさんのように上手くいっている会社もあれば、そもそも取り組みをしていないとか、取り組みが上手くいかないところなどもあると思います。たくさんの企業を見て来られて、この6年程度を振り返ってどう感じられますか。

小室

まず、この働き方改革で日本社会にとって一番よかったと思っているのが、労働力人口が2025年、過去最多となり、速報値で7000万人を超えたことです。2019年の働き方改革関連法の年に特に跳ね上がり、今、過去最多です。

私は㈱ワーク・ライフバランスを立ち上げて20年で、3,600にのぼる企業のコンサルタントをしてきました。すでに働き方改革に取り組んだ企業に、「労働力人口が過去最多という数字をどうイメージしますか」と聞くと、大体「うちでも確かに実感しています」とおっしゃいます。

というのも、かつての働き方であれば、辞めていたような育児・介護を抱えていらっしゃる方が、今は当たり前に勤務していますし、一旦辞めて復職してきた人もたくさんいます。それから高齢の方で、以前だったら60歳でスパッと辞めた方が、柔軟な働き方ができるのであれば、無収入になったり、新たな仕事で再雇用されるより、同じ会社で力を発揮したい、という人も非常に増えています。このように社員の働き方が変わったことで、多くの企業では新たな労働力を確保している。

一方、それを全く感じていない企業もあるのです。ものすごい人手不足で、この世の中に労働力がなくなってしまったのではないか、くらいに思っている企業・業界もあり、その方たちが昨今、労働時間の上限緩和を叫んでいます。

そういった企業は、2024年に5年遅れで法適用になった建設・運輸業界、そして中小企業に非常に多い。働き方改革関連法が適用されるまで猶予があり、そこで準備するはずだったのが、準備が進まずに非常に困っている。同時に、5年繰り延べたことによって、すっかり働きづらい業界だというブランディングがされてしまった。このように増えているはずの労働力から選ばれていない業界と、選ばれている業界とに二極化している。

働き方改革に取り組めなかった企業・業界には、人材が集まらないので、実際の人手不足以上に人手不足を感じている状態にあります。やはり人口減の国になった時には、働き方改革にどれだけ早く着手するかが、ビジネスの競争において重要な要素なのです。このような状況を読み切れずに、「今までと違う働き方は嫌だ」と抵抗してきたことが裏目に出ている業界があると思います。

しかし、建設業界の中でも一部は変化をしています。建設業だから人が採れないわけではなく、働き方改革をした企業は、以前の2倍ぐらいの人が採れるようになっています。

また、働き方改革をしたように見えた企業も、よく見ると2種類に分かれています。仕事そのものを精査したり、社内調整のこだわりをやめるところまで踏み込んだ企業と、先ほどお示しくださったように「管理職が巻き取れ」という感じで、マネジメントに労働時間を付け替えて「見せかけの働き方改革」をしたところです。

後者の組織では時間が経つとウェルビーイングの数字がすごく悪くなっている。とても真面目で、どこまでも仕事を引き取るタイプの管理職の方たちが、睡眠を削って過重労働になり、メンタル状態の悪化から部下を怒鳴りつけたりする。職場の見かけ上の労働時間は減っても部下のエンゲージメントは悪化して離職が増え、その分の仕事がまた管理職にくるような負のスパイラルに陥っているところもあります。

そういった企業は働き方改革にとても強いトラウマがあり、国が急に決めた働き方改革で余計ひどい状況になった、と悪印象を持っています。

日本は働き方改革をより進めなければ、グローバルなスタンダードからかけ離れてしまうにもかかわらず、拒否感を持ってしまっている。真の働き方改革をした企業では、以前より短い時間で高い成果が出ており、かつ人材の採用も大変好調であるにもかかわらず、一部の企業・業界にこのような難しい問題を残していると思います。

まだ残るウェルビーイングの課題

山本

とても重要なご指摘をいただきました。働き方改革を議論していた6、7年ぐらい前には、「労働時間を減らしたら稼げない」という多くの声があったのですが、改革を推し進めたことで成果が出た企業も多数あるということですね。

いろいろな理由で働き方改革が行われたと思いますが、やはり小室さんが言われたように、結果的に多様な人が働けるようになったことは意義深いと思います。かつての「男性・長時間労働」が前提で、それ以外は正社員では受け付けないという構図がかなり変わったことは、大きな効果だったと思いますし、実際にやってみたらむしろ生産性が上がるということも、先ほどの池田さんが示された通りです。

ただ、一方で改革を本格的にしてこなかった企業にはまだ課題があるのだと思います。今までの議論を踏まえて佐藤さんはいかがですか。

佐藤

私は今、慶應で教員をやっていますが、その前は厚生労働省で12年間働いていました。小室さんから、今、選ばれる業界と選ばれない業界に二極化しているというお話がありました。まさに霞が関は「ブラック霞が関」という言葉があるように、長時間労働で有名になってしまい、今どんどん人気が下がっています。

私は父親を1歳の時に亡くしていて、その原因が過労死でした。しかし、当時の労働省が労災認定をしなかったため、そこから17年間、裁判をやってきました。そういう両親の姿を見てきたので、労働と健康に関心があり、大学卒業後は厚生労働省に入省しました。

2019年の働き方改革は、私も厚労省の中にいたものの留学中で、直接かかわることはできなかったのですが、行政としてできることはかなりやったかなという印象でした。今後はエビデンスを基に労働と健康の関係を考えていきたいと思い、研究者になりました。

今までの話の中で、総実労働時間は減っているというのは確かにその通りなのですが、実際には二極化していると思われます。週49時間以上働いている労働者の割合は、日本で15.2%。アメリカで11.8%、イギリスで8.9%、ドイツで4.6%です。日本国内での取り組みがかなり進んできたのは事実ですが、国際比較で見れば、まだ日本でもやるべきことは残っているという現状認識です。

山本

平均で見れば長時間労働は少なくなってきてはいるものの、ウェルビーイングと健康の観点で見るとどういうふうに評価できますか。

佐藤

今、精神障害による労災認定が年々増加しているのが気がかりです。2024年度は1055件で過去最多です。長時間労働が減り、心筋梗塞や脳卒中などの脳血管疾患による労災は減ってきましたが、一方でウェルビーイングという観点についてはまだ課題が残っているという認識です。

健康経営・人的資本経営の重要性

山本

ウェルビーイングという意味では、ワークエンゲージメントや従業員エンゲージメントなど、どの指標を取っても国際比較すると日本が最下位です。ただ、裏返せば、日本ではウェルビーイングを高くできる余地があるとも言えます。

今、ウェルビーイングを高める企業経営として、人的資本経営やあるいは健康経営に取り組む動きもかなり出てきていると思います。オンワードさんはこのような取り組みもされているのでしょうか。

池田

そうですね。健康経営は非常に意識をしておりまして、働き方改革の次のフェーズということで言うと、従業員満足、ウェルビーイングが成り立つことが会社にとっても成果として出てくるものだと認識し、そこを実感できるかどうかだと思っています。

小室

オンワードさんは2024年に11時間の勤務間インターバルを就業規則に入れています。勤務間インターバルはまだ日本社会においては6%の企業にしか導入されていない中で、かなり早いタイミングです。また、2021年度には男性育休が平均4カ月取れています。5000人規模の企業で男性育休が平均4カ月というのはそうそうない数字ですので、取得率も大事ですが、期間の長さがすごいと思います。誰が休んでも回る職場づくりができています。

山本

素晴らしいですね。働き方改革の次のフェーズに入られている。

一方で、働き方改革すらできていなくてウェルビーイングがおろそかになってしまっている企業もある。結構な格差が生まれてきている恐れがありますね。

小室

本当は今年度の国会に勤務間インターバルに関する法案が審議されるはずでしたが、流されてしまいました。今、非常に重要な議論のはずでした。

在宅勤務は、働き方の柔軟さという意味では重要なのですが、そこに勤務間インターバルの概念がないと、本人の好きな時間に起きて働くことを繰り返し、本人も知らない間に精神状態を崩していることがあります。

それから、副業も、本人が学びにつながるからやりたいという動機や、転職機会が増え、雇用流動化につながるという意味ではよいのですが、勤務間インターバルを維持せずに二毛作のような副業をすると、本人がすり減ってしまう恐れがあります。本当はよいはずの柔軟な取り組みが、睡眠とセットになっていないと崩れていってしまいます。

企業の施策と、従業員満足度と離職率低下の関連を取った調査では、「給与・賞与アップ」という施策に対する従業員満足度は非常に高いのですが、離職率低下にはほとんど効いていない。また、従業員満足度の高さも、勤務間インターバルを導入した企業には及ばないのです。

つまり給与・賞与の上昇は確かに一瞬、嬉しいけれど長続きしない。一方で、毎日の睡眠が確保されることは、その人の毎日の満足感が継続されるという点と、チームメンバーに睡眠不足の人が減ることで不機嫌やいじめ等の人間関係上の問題で離職する人が減るようです。

やはり睡眠にはしっかりと国として取り組み、勤務間インターバルをルール化して国民の睡眠を守り、日中の集中力を高め、過労死を減らしていくような、国家全体のデザインが必要だと思っています。

佐藤

大賛成です。高市総理が昨秋の自民党総裁就任時に「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」と言って賛否両論が起きました。働きたい人はいくらでも働けばいいじゃないかと言う人もいれば、リーダーがそんなことを言うのはいかがなものかという意見もありました。私も働きたい人は働けばいいと思うのですが、一方で、健康をきちんと守ることの線引きはしておかないといけないと感じています。

睡眠時間について言えば、筑波大学の柳沢正史教授らが、「ポケモンスリープ」というスマホの睡眠アプリのデータを使って、日本人約7万9000人を対象にした研究を昨年発表しています。論文では、睡眠時間7~8時間の時に最も生産性が高いということが示されています。これまで睡眠時間は7時間の時に最も死亡率が低いという研究はかなり知られていましたが、生産性についてもきちんと結果が出ました。

このように、社員の健康を守ったほうが生産性は高まり、企業経営にもポジティブな側面があるということが、もっと知られていくといいと思います。

山本

日本人は他の国と比べてまだまだ長く働き過ぎなので、それが理由で睡眠時間が短くなってしまっています。私もそういう分析はしているのですが、だからこそ、少し睡眠時間を確保するだけで、かなり生産性に影響があると思うのです。その部分はもっと企業としても、あるいは国としても取り組んでいく必要がありますね。

裁量労働制をどう考えるか

山本

今、佐藤さんから高市総理の発言についてありましたけれど、所信表明演説では、裁量労働制を見直したいという話が注目されました。

そこで次に裁量労働制について考えてみたいのですが、裁量労働制についてはいろいろなことが言われています。裁量労働については、実は、2024年により慎重な運用を促す制度改正があり、労働者の権利を強める方向に変更されました。しかし、今度は逆方向で、裁量労働の適用範囲を広げるような改革を政府は検討しているといった話が聞こえています。

例えば、オンワードさんは裁量労働についてはどれくらい適用者がいらっしゃいますか。

池田

会社全体の制度としては、現在、裁量労働制は仕組みとしては入れていません。当社はファッションをクリエイティブにデザインして作るメーカー機能と、お客様に届ける小売機能までを一貫して行っています。

お客様を中心として、小売の現場、店舗、販売員さんと一緒にものづくりを考えていく仕組みですので、店舗の営業時間は決まっていて、マネジメントはお客様を第一に店舗中心で運営していくことを本社も尊重しています。ですので、本社がそれとは関係なく裁量労働制をやるのは難しいところがあります。

ただ一方で、デザイナーとかパタンナーなどに関して言えば、最高のクリエイティブを発揮していただきたい。そういう意味から裁量権を与えたいという思いもあるのですが、店舗とのリンクを今後、どうしていったらいいのかが課題になります。

本筋の裁量労働制とは若干違うかもしれませんが、例えばパタンナーなどは、どれだけ多くのパターンを引けるかというのが成果になります。ハードウェアを含めて、在宅勤務は向いていないのではないかと当初は思ったのですが、逆に、女性が多いので、ライフスタイルに合わせてお子様を送り届けたり、面倒を見たり、お迎えに行ったり、在宅も向いているということがわかりました。

自分がやっている成果が、「私は今日の目標である2つのパターンで、最高のパターンが生まれました、しかもヒット商品になりました」みたいに非常にわかりやすくアピールができる。裁量権に近いとは思うのですが、お子様との向き合い方、家族との向き合い方といった意味でも、クリエイティブ職などには裁量権を与えた働き方は向いているのかなと思います。

山本

成果を時間で測ることが難しい仕事には、裁量労働は向いている可能性があるということですね。

池田

実際、在宅勤務を可能にしたことで「子供が小さくて通勤もきついので会社を辞めて家の近くで働きます」ということもなくなりました。

山本

佐藤さんは裁量労働制についてはいかがですか。

佐藤

裁量労働制は、労働者からすると、残業代なしで働かされ放題になるのではないかという懸念が聞かれます。一方で今、池田さんがおっしゃったようにポジティブに捉えるならば、より柔軟な働き方ができるようになるのではないかと思っています。

むしろ大変なのは、労働者よりも、それをマネジメントする経営側ではないかという気がします。裁量労働制は、労働時間と賃金を切り離すというのが制度の本質です。労働時間は一番測りやすいインプットの指標ですが、それがなくなるとほかの基準で測らないといけない。

では、マネジメント側はそれをどうやって測っていくのか。しかも日本のようなメンバーシップ型の雇用でジョブが明確に切り出されていないところにおいて、どのように個人の職務に対する成果を測っていくのかは、実はマネジメント側の課題がかなり大きいのではないかと感じています。

山本

まさにそうですね。成果をどう測るかをマネジメント側ができない状態で裁量労働の枠を広げてしまうと、おかしなことが起きそうです。

経営側の思惑は?

山本

小室さん、いかがでしょうか。

小室

私は今、経済同友会にも経団連にも所属しているのですが、中から裁量労働制を求める議論を見ていると、一体何の課題を解決するためのご希望なのかがわからないのです。

というのも、その議論の前振りにいつも「人手不足なので」と付くのです。裁量労働制だと人手不足が解決するというロジックには、「今以上の時間を同じ賃金で働いてくれる」という希望をすごく感じるのです。でも、裁量労働制でも残業代は支払うのですから、何かすごく不思議な、暗に働かせ放題的なことを期待しているかのようなものが滲み出ています。

さらに、労働力人口が減少する中で今までどおり提供していた基本的なサービスを提供しようとすると、Aさんはこの時間帯に来て、Bさんはこの時間帯に来てと、パッチワークみたいに皆でバトンをつなぐシチュエーションがより増えます。人がたくさんいれば、細かい管理をしなくてもサービスを切れ目なく提供することができましたが、少ない人数でそれを実現するには、「○○さんは何時から何時は絶対にいてね」と、指示しなければいけない。

それは裁量労働制とは程遠い現場ですので、果たしてそこで時間も含めた裁量を持てる人というのは現実的なのだろうかと思います。

もう1つ、先ほど「マネジメントに寄せてしまった問題」がありましたが、裁量労働制を希望した従業員は、そんなつもりはなくても、急にマネジメント側と同じ扱いになって、そこに仕事を寄せやすい存在になってしまう恐れがあります。

集中している時に高い生産性を発揮する、才能豊かで、しかしながら働き方にムラがあるタイプの方は裁量権がほしい場合が多いと思います。確かにそういう天才的なタイプの人には向いてはいるのですが、裁量労働制だからと職場の仕事量の調整はけ口になってしまい、自分ではこなし切れないような量が降ってくる状態に追い込まれてしまう傾向があります。結果としてその才能を潰してしまう恐れもあるところが、裁量労働制の危なさではないかと感じています。

多様な「裁量」と「時間」の工夫

山本

まだまだ日本は、人手不足ということもありますし、メンバーシップ型が残っている状況では、時間の裁量をつけて働ける人というのはそんなに多くないだろうと。一方で、そういうことができるような仕事の特性を持っている人に裁量労働を適用しても、しわ寄せの対象にされる危険性があるということですね。

管理監督者は自律的に働けて、経営側に近い立場なので労働時間規制の適用除外になっているわけですが、裁量労働の人はそうではないので、立場としてはやはり弱いわけですよね。

最近、東大の川口大司先生や早稲田大の黒田祥子先生たちの研究グループが行った分析でも、裁量が実質的にない人に裁量労働を適用すると、かなりウェルビーイングが下がってしまうという結果が出てきています。

小室さんがおっしゃった、経営者側の目的に、今以上に働かせたいというものがもしあるのだとしたら、やはりこれは間口を広げるのはかなり慎重にしていかなければいけないですね。

小室

本当に本人の裁量、本人の集中する時間帯で仕事ができるように配慮するということであれば、フレックス勤務で十分ではないかと思うのです。

山本

先ほど池田さんが言われた、パターンを作られる方々は、フレックスも使って働いていらっしゃるのですか。

池田

仕事の入りと出口の時間のパターンがいくつかある働き方にしています。フレックスとそうでないもののいいとこ取りのような感じのオリジナルなシフト選択制です。インとアウトの時間がセットで決まっていて13パターンあり、それが日ごとに変えられます。

働き方改革前は、画一的に「朝9時から夜5時40分まででやりなさい」ということだったのですが、そうではなく、ライフステージや、その職種により独自に合わせていくということです。勤務間インターバルを取ることとセットにしています。

山本

店舗で働く方は、始業は9時が多いと思いますが、夜に働いた場合は勤務間インターバルで、10時とか11時の出社にもできるのでしょうか。

池田

そうです。店舗に関しては完全にシフト制になりますので、わかりやすい言葉で言うと、早番で早く上がって、次の日はまた朝早くということができたり、5時に子供のお迎えに行かなければいけないので毎日4時に完全に上がります、という時短制度もシフト制に加えて組み合わせられます。

ワークライフバランスの目的とは

山本

素晴らしい働き方だと思います。人手不足という環境だからこそ、旧態依然の昔の働き方をしている企業は勝てない。むしろ人手不足だから、きちんと改革しているところが正解だという時代になってきているということですね。

小室

まさにそうなのですが、ワークライフバランスというのは「ビジネスには勝てないけれど従業員に優しい話だね」と誤解している人が多いのが一番もったいないと私は思っています。

高市さんが「働いて、働いて」と言った瞬間から、私のところにメディアからすごい量の取材が続いているのですが、発見があったのは、皆さんワークライフバランスをすごくお花畑の話だと思っているということです。お優しい話をしている人だと思われていたようで、「実際にお話を聞くと、随分シビアな話ですね」と言われるのです。

ワークライフバランスは、イギリスのブレア政権も、フランスも、男女両方に教育したのに片方しか労働力にならないということでは、もう国は立ち行かないということから始まっている。男女とも働ける労働市場にするから、その代わり税負担をして、経済に寄与してくれというシビアな話なのだということがわかっていなかったようなのです。

週35時間労働制にフランスが切り替えたのは、別に従業員に優しくということではなく、そうすれば、今までは労働市場から転がり落ちて支えられる側に乗っていた人が、支える側に戻ってくるからです。どんな働き方でもいいから1分1秒でも長く支える側にいてくれという話で、教育された人は全員働けという、シビアな人口減少の国の勝ち残り策だということです。

高市さんの発言をきっかけに増えた取材でしたが、この機会に日本にとってこれが大変重要な問題だということが、あらためてわかっていただけたのはよかったなと思っています。ワークライフバランスをビジネス、経済成長のためという文脈で語る人が本当に少な過ぎるのです。

女性側の視点から見ると「日本はこんな働き方で今後も経済成長できると思っているんだろうか。甘いのでは」という考え方から20年前に㈱ワーク・ライフバランスを起業しました。女性からしてみると、「こんなに税金をかけて私に教育してくれておいて、この労働環境では私はやる気を失って、支えられる側に転落してしまうけど、それでいいんですか」というような社会でした。

女性が仕事を辞めてパートで復帰して生涯を終えるのか、3回育休を取ってでも戻って正社員で働き続けるのかで、生涯賃金が2億円違うという試算が出ています。日本社会は「2億円×女性の数の分のGDPを失っていていいんですか、そこに税金をかけられますよ」ということです。私が国のリーダーだったら、あまりにもったいないと考えて真っ先に対策するのに、という感覚で20年前からこの分野の取り組みを推進しているのですが、長らく福祉だと誤解されてきました。

そこはバックラッシュが起こってきているこの機会にその認識を払拭するようでないと、本当にこのまま日本は沈んでしまうという気持ちがあります。

山本

バックラッシュを上手く使えるのではないかということですね。

働き方改革以前に「ワーク・ライフ・バランス憲章」(2007年)が出され、行動計画があったにもかかわらず、本当の意味でのワークライフバランスの必要性が浸透していなかった。今回の議論をきっかけに、あらためて正しい理解が浸透していくようになればと思います。

在宅勤務と生産性

佐藤

小室さんがおっしゃったように、ワークライフバランスと生産性とは決して相反するものではなくて、むしろワークライフバランスが生産性を高めることが、エビデンスからもわかってきています。

在宅勤務に関しては、スタンフォード大学のニコラス・ブルーム教授らがさまざまな研究を発表しています。例えばコールセンターで、無作為に選んだ半数の方を週4日在宅勤務、残りの半数の方を週5日出社勤務とした。すると、9カ月後に在宅勤務をした群の生産性は、出社勤務群に対して13%高まることがわかっています。さらに、在宅勤務をした群は仕事の満足度が大幅に上がり、離職率が半減しているのです。

経営側も、出社の人が減るわけですからオフィス賃料が削減できて、大きなメリットがあります。結局、従業員1人当たり年間2000ドルもの利益が出たと報告されています。

その後、ブルーム教授らは、ホワイトカラーの大卒労働者に対してもランダム化比較試験を行っています。そこでもやはり、週2日在宅勤務ができた群では、生産性も上がったし、離職率も下がるという結果が出ています。

さらに、今年ブルーム教授らが発表した論文では、在宅勤務が出生率をかなり引き上げるのではないかという研究結果が出てきました。週1日以上在宅勤務を行う人は、そうでない世帯に比べて出生率が高い。夫婦やパートナーの両方が在宅勤務を行っている場合は、さらに高まり、女性1人当たりの合計出生数が平均で0.32人多いことが示されています。

ちなみに、日本で週1日以上在宅勤務を行う方の割合は、コロナ禍でだいぶ増えましたが、まだ21%で、調査対象の38カ国中最下位です。仮に日本で在宅勤務が英米並みの45%ぐらいまで増えれば、出生率が約4.6%上昇し、年間の出生数が3万1800人増えると試算されています。

在宅勤務の普及は、企業の生産性を高めるだけではなく、少子化対策にもなる可能性があるのです。

山本

在宅勤務でウェルビーイングを高めることが生産性の向上にもつながるということですね。ただ私の研究だと、在宅勤務を日本の企業に無理やり導入したり、適用率を高めたりすると、かえって生産性が落ちてしまうこともあります。結局、大事なのは、強固なメンバーシップ型を修正したり、業務内容を整理したり、テクノロジーを効果的に使えるようにしたりするなど、在宅勤務をしやすくする環境整備を進めることだと思っています。

池田

在宅勤務の良い点として、途中で不意に上司に声を掛けられたりすることがなく、自分の空間でクリエイティブなことに集中して仕事ができることで生産性が上がることもあります。

ギャップ解消への取り組み

山本

今後を見据えると、やはり地方や中小企業の働き方に課題が残っています。特に人手不足で大変なのは地方の中小企業です。また、地方や中小企業では年齢層の高い経営者や従業員も多く、働き方に対する世代間のギャップもあると思います。この点について、池田さんはどう思われますか。

池田

グループ間ギャップや、異世代間ギャップのようなものが、世の中で一般的に言われていると思います。そういう課題があるという前提で、弊社の場合は、働き方改革に取り組むに当たって、心理的安全性研修というものを役員から始め、次に管理職の部長、課長、従業員という順番でやりました。

加えて、管理職や役員は業績のウエイトが評価に対して大きいですから、行動の評価に部下からの360度評価を同時に取り入れました。

成果を出せばいいわけではなく、あなたは部下から、働き方も含めてこう見られていますよ、というものを取り入れました。減点というより、「あなたはこういうふうに見られているから、ここを改善したほうがいいよ」という評価です。このようなことを試みて、業種間、世代間、役職間ギャップを解消しようと取り組んでいます。

また、在宅勤務の取り組みの中で明快に浮き彫りになったことがあります。先ほどものづくりのチームの生産性向上の話はしましたが、家でそれができる状況をつくってあげなければいけない、という会社としての投資の必要性が見えてきて、DX投資と言いますか、CADシステムを全部入れて、家で業務ができる仕組みをつくりました。

投資はもちろんお金がかかりますが、いい循環の中で投資をすると、生産性が上がります。その中で、やはりDXは欠かせない。そういった向き合い方で解決できる課題も非常に多く、ギャップも解消されていくようになりますし、それによって対価も満足度もお互いに上がっていくのではないかと考えています。

山本

本格的に取り組まれている企業は、テクノロジーの面でもかなり投資をして、それを働き方の改革につなげていき、だからこそ在宅勤務も上手くいくという、いい循環があるということですね。

時間外割増という課題

小室

地方の話でご紹介したいのですが、昨年から私たちは高知県庁と大きな取り組みをしています。

きっかけになったのが、昨年2月に私が朝日新聞に時間外割増についての考察を書いたことです。日本だけ時間外割増率が1.25倍ですが、日本以外の先進国はほぼ全て1.5倍です。まず、経営者を含めて、時間外割増率の均衡割増賃金率という概念を誰も知らないことに衝撃を受けています。

新たな仕事が発生した時に、今いる人に残業させたほうが安くなるのか、短い時間でも人を新たに雇用したほうがいいのかが均衡するところが均衡割増賃金率で、それは大体どの国でも1.5です。すると、1.5よりも低い割増賃金率にしているということは、本来必要な人数よりも少なめに雇用をして、残業でバッファーを取れば経営は儲かると、経営者に示唆しているのと一緒です。経営者が1.25倍という時間外割増率で経営をすると、株主に最大の利益を配分することができてしまい、ブラックな経営の企業を作ってしまう。

なぜ日本だけがずっとこのままにしているのか。本当に法改正が一番必要で、男性にものすごく長時間労働が乗ってしまうこの構造が、一つの大きな少子化の要因にもなっている。またいろいろな事情を抱えながら働きたいという人たちは労働者として一人前と見なされなくなってしまう。

このようなことを書きましたら、高知県の濵田知事から連絡をいただきました。高知県は少子化ワーストで、男性育休や女性に対しての支援を散々やってきても、出生率は上がってこない。むしろ女性や子ども支援ではなくて、職場で長時間労働している人たちの労働時間を短くすることが、本当は必要だった、それには割増賃金率が重要な鍵なのだと記事を読んでわかったということで、時間外割増率を高知県庁は1.5倍にすることを議会で決定し、この春から施行することになりました。

そうすると、県民の血税が以前より多くかかることになってしまうので、そうならないように現状の残業時間を6分の5に圧縮することになりまして、昨年からわが社と協定を結んで取り組んでいます。

さらにこれからは短い時間でも働ける新しい雇用枠を作ることになりました。これも知事の強いこだわりで、ボーナスの対象にもなる正職員として採用し、週に10時間、本人が希望すれば無給休暇が取れるという仕組みです。

これは非常に秀逸な制度で、週によって、30時間労働もできるし、フルタイム労働もできます。そしていざ、募集を開始してみると、たった5人の採用枠に100人の応募が来たのです。しかもそれが、今まで来なかったような優秀な人で、ほぼ全員女性でした。最初から必ずフルタイムと言われると手が挙げられないけれど、優秀な人たちを惹きつけられた要素は、やはり「週10時間分が柔軟だ」という要素だったのですね。

こういうやり方をすれば希望者が100人来る。これは中小企業でも同じだと思います。人手が減っている地方ほど働き方を魅力にして、より採用の力を上げていくことが必要だと思います。

山本

なかなか素晴らしい事例ですね。

働き方改革で生産性が上がる理由

小室

働き方改革で生産性が上がるというと、1人の人がより集中力が高まって生産性が上がるという話に帰着しがちですが、実際の生産性向上効果はチームで起きていると思います。

今までは誰かの労働時間が欠けると、その仕事を残業ができる誰かに乗せていました。上司は時間外労働がたくさんできる人たちだけを頼りにし、この人たちだけが高い評価で、他の人たちは不満に思うという構図でした。

一方で、勤務間インターバルを入れたり、時間外割増率を1.5倍にすると、今まで育児時短勤務などで、雑用だけを投げつけられていた人たちに、本格的な仕事を渡していこうとなる。

そうすると、今まで残業をしていた人たちの仕事のやり方を変えてもらわなければいけない。いつも1人でやることが前提でブラックボックス化していた仕事をきちんと見える化、共有化してクラウドにアップしてもらい、誰もが在宅からでもパスを受け取れるようになると、チームの生産性が飛躍的に上がるのです。

オンワードさんも、業績がV字回復していますが、この連携がよくなっているからです。

もう1つ、デジタル化も非常に進みます。というのも、経営者はAI並みに深夜まで優秀に働く従業員がいると、「まだいいかな」と、いつまでもDX投資をしないのですが、時間外割増率が高くなると、「もう潮時だ」とデジタル投資が進むのです。このような連鎖が実は生産性向上につながっています。

そして最後に起きることが、ベースアップです。毎月の残業代が月を締めてみないとわからないような企業が多く、キャッシュが切れたらいけないと思うからベースを抑えておくようになり、長年ベースアップできないようになるのです。

でも、残業ほぼゼロというところまで本気で下げていくと、毎月出ていくキャッシュが読める。するとベースにいくらまで乗せられるかという試算が容易にできるようになり、ベースアップができるようになるのです。

今、オンワードさんも10~16%のベースアップができて、給与がすごく増えていますね。一時金としての賞与ではなく、今は基本給を上げないと新人が採れないのですが、採用も順調になりました。

男女の賃金格差が埋まること、デジタル化と、ベースアップ向上。これが好循環でぐるぐる回り始めるので業績が上がってくる。生産性向上というのはそういう仕組みだと分析しています。

山本

そういうことが、大企業だけでなく、中小企業や地方でもできたらいいと強く思います。その1つのきっかけとして、割増賃金率を上げることは、経済理論からしても、残業時間を減らして新しい人を増やす可能性があることが示されています。 

小室

まず均衡割増賃金率を知らないということは、本当によくないと思うので、この概念だけでも繰り返し言っていただきたいです。

賃上げの文脈で言えば、時間外割増率を1.5倍にすると、月間30時間残業していた人が、月間26時間の残業で、今までより手取りが増えて、4時間が育児に回るようになり、少子化対策の効果も出てくるわけです。

長時間労働前提の社会から脱却を

山本

日本は長時間労働を前提に成長してきた面があり、その中で割増賃金率も低めに維持されてきました。今後は、労働時間の規制だけでなく、割増賃金率の引上げによって企業の行動変容を促すことも大事だと感じました。

小室

育児中の女性たちにしてみると、時間内でこれだけ立派な成果を出して評価されないのは本当に不当です。経営者が時間内だけの勤務に対して不満に思うのは、時間外労働が安過ぎるからなのです。時間外があたかも時間内かのように、1つの仕事のパッケージになっていて、10時間ぐらいが一人前の仕事量に見込まれているから、8時間しか働けない人が見劣りするかのような評価になる。

しかし、今後、時間内しか働けない人のほうが増える社会においては、これはむしろ国民のためによくない制度なのだという認識が必要だと思います。

また、これは世代感での認識のズレとも関係すると思います。なぜ1.25に据え置いてきたかというと、人口増の国においてはそれが強みだったからです。だから、1.25に据え置いた意味は、少なくとも90年代半ばまではすごくあった。

しかし、その環境がなくなった時には速やかに変えなければいけないのに、そうしなかったのが最大の問題かなと思います。人口減のフェーズに入ったら速やかに時間外を高くして、多様な人を戦力にして、男女で、短時間で、高付加価値型ビジネスに切り替える。人口構造の変化とビジネスで勝つロジックはセットになっているのです。

メンバーシップ型の効用

山本

まさにオンワードさんのように360度評価して、いろいろな階層ごとに改革をしていくと、世代間のズレがなくなるように思いますが、地方の中小企業などだとなかなかそういうことができない。やはり日本全体でそういう議論が起きなければいけないですね。

小室

私は、中小企業が変わるには法改正と優遇のセットが有効だと思います。大企業は研修で変われますが、中小企業は「時間外割増率を1.5倍にする」法改正と同時に、労働時間を短くした企業には税制優遇をするような組み合わせでの誘導がよいのではと思います。

佐藤

小室さんから、経営者が均衡割増賃金率を知らないというお話がありました。また、日本では在宅勤務をやると生産性が落ちると思われている。だから、出社勤務の企業が多いわけですが、それは思い込みであって、エビデンスに基づいていないのだということを、私たち研究者はもっと伝えていかないといけないと感じます。高知県やオンワードさんのような好事例があるということを、もっとマネジメント層に知っていただきたいです。

また、日本型のメンバーシップ型雇用は、悪いことばかり言われることが多いですが、一方で、仕事の属人化を防ぐという意味ではポジティブな側面もあると思っています。自分が困った時にチームで助け合いができることで、いろいろな事情を抱えて長時間働けない人も労働力として参入できることもあるでしょう。

無理やりジョブ型を導入しても上手くいかないということは、だいぶわかってきました。メンバーシップ型雇用の下でいかに上手くやっていくかを考えていくべきではないでしょうか。

小室

確かに意外とメンバーシップ型は悪くないですよね。日本人はバトンをつなぐことが上手なので、そこを高めていくことで、少ない人数で驚異的な生産性を発揮するような新しいモデルがあり得ると思っています。

山本

私もメンバーシップ型を否定するわけではありません。例えば、AIの影響などを考えた時、特に日本の大企業では研修や配置転換がうまく機能しやすいので、新しいスキルの習得が進んだり、AIとの業務の棲み分けが進んだりすることが期待できます。働き方改革についても、企業内でうまく体制を変えて、いい働き方にしていくという、日本ならではのモデルがきっとできるだろうと思っています。

今、バックラッシュが来ているからこそ、地道に訴えていく必要があるし、むしろチャンスなのだというご指摘は、すごく大きな気付きになりました。

また、割増賃金率を高めることは、特に中小企業に対して有効な策と、私も感じた次第です。今後の日本の働き方はまだまだ変えていく必要があると思いますが、悲観せずに上手くやっていけば、いい労働市場ができていくように思いました。

小室

いくつか地方の中小企業のコンサルをしていると、50人から100人ぐらいの規模の地方の中小企業で働き方を見直すと、出生率がすごく上がると感じます。中小企業はオーナー次第で変化が速いので、大体8カ月くらいですごく変わります。中小企業こそがもっと出生率を高めるような働き方に変わっていくと、日本は人口の面でも再浮上できるかなと思います。

山本

働き方を変えることは、働く人のウェルビーイングと企業の生産性を同時に高めるだけでなく、出生率を高めるという日本が直面する本質的な課題の解決にもつながる可能性があるということですね。2019年以降の働き方改革の流れを絶やさず、労働時間の削減にとどまらず、睡眠や健康、柔軟な働き方、勤務間インターバル、さらには中小企業や地方も含めた実装へと議論を一段と深めていくことが重要だと、あらためて感じました。

本日の議論を通じて、働き方改革は、単に「働く人に優しい」だけの話ではなく、日本の企業が人材を確保し、付加価値を高め、持続的に成長していくための経営戦略そのものでもあることが、より明確になったように思います。長時間労働を前提とした社会から少しずつ脱却し、多様な人がそれぞれの力を発揮できる働き方へと転換していくことが、日本経済と社会のこれからを考えるうえで、ますます重要になっていくのではないでしょうか。

本日はどうも有り難うございました。

(2026年3月3日、三田キャンパスにて収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。