慶應義塾

【特集:脱オフィス時代の働き方】冗長と成長のはざまで

執筆者プロフィール

  • 瀧 俊雄(たき としお)

    その他 : 株式会社マネーフォワード取締役執行役員その他 : Fintech 研究所長

    塾員

    瀧 俊雄(たき としお)

    その他 : 株式会社マネーフォワード取締役執行役員その他 : Fintech 研究所長

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2020/12/07

「共にパンを食べる」以上の存在

会社という言葉は実に様々なニュアンスを持つ。「月曜は会社だ」という表現には気だるくも正直な響きがあるし、「会社を起こした」という表現にはリスクを取る勇猛さが秘められる。「あの人は〇〇社っぽくない人だね」といえば共通理解を得やすいし、「〇〇さん転職したんだって」は(人にもよるが)大ニュースである。

「会社(company)」は「共にパンを食べる」という語源を持つが、現代の日本では単に仕事をする場として以上に、人格陶冶や自己実現、人によっては親族以上の意味を持つ場にもなっている。それもそのはずであり、多くの日本人にとって、社内で調整される異動・転職機会や、医療・年金・福利厚生といったシステムを提供していることに鑑みれば、会社とは昨今の表現でいうところの自助・共助・公助のうち、共助の枠組みを超えて、公助の役割すら提供している。学生にとっても最初に入る会社を選ぶ・選ばれることや、就社にあたっての嫁ブロック親ブロックといった言葉は、共同体の選択と同じ重さの意思決定を物語っている。

だが、既に誰もが実感しているように、会社と個人の距離感は、コロナ禍に見舞われた2020年を通じて変わった。出社が制限され、会食も禁止となる中、会社との物理的な遮断は上記の共同体としての繋がりを薄める作用があった。筆者も、数人の知り合いが「初めて家族とこんなにも多くの時間を過ごしている」という体験をしている。もともと、大企業でも副業解禁が1つの潮流となっていた中で、私たちは会社と自分たちの間に、従来とは異なる距離や評価を見出し始めている。

コロナ禍で冗長性がプラスの評価に

今年は会社において、いざ何かが起きたときにバッファーを多く積んでいることが大きな価値を持った1年でもあった。思い起こせば、緊急事態宣言が発出されたタイミングで私たちは、様々な会社の業務が崩壊しないのだろうか、社会的にも重大な事故が起こらないのだろうか、と危惧していた。だが結果的には、サービス産業やエッセンシャルワーカーの置かれる苦境に比べて、不平等といえるほどに穏やかな状況が現時点まで続いているようにも思える。その理由としては、現代の会社が業務に比して豊富に資源を持っていたから、ともいえるのではないか。

感染症危機におけるBCP(事業継続計画)のあり方では、①必須業務を複数の人が実施できるようにし、②交代勤務ができる人員を確保し、③企業間でも相互応援を行えること、が重要とされる。それは日頃から経営資源のすべてを必須業務に費やしている場合には実現できないため、余剰に近い概念でもあるが、その機能的な重複は冗長性とも呼ばれている。

平時においては冗長性は、経営資源の余剰化を感じさせる、マイナスのニュアンスを持つ言葉であった。英語で冗長性を意味するRedundancy に関する経営コンテンツを検索すると、恐ろしいことにそのほとんどは「余剰人員の解雇」についての内容である。だが、緊急事態にあたっては、その価値は大きく反転した。企業が継続的にサービス提供を行うことは、社会における大きな信頼の拠り所でもある中で、今年は冗長性が、むしろ先見の明であったかのごとくプラスに評価された年であったといえる。

また幸いにして、ITインフラや様々なアプリケーションの進化は、従来と比べて冗長性の必要性を大幅に軽減している側面もある。様々なソフトウェアがリモート化・バーチャル化することで、家からでも疑似的な職場環境を再現できることは、リモートワークの生産性を大きく向上させ、結果として冗長化の要請を軽減することに繋がっている。これらの組み合わせが、当初想定された「オフィスワークの崩壊」を何とか食い止める結果に繋がったのではないだろうか。

リモートワークができても続く試行錯誤

筆者も共同創業者の1人であるマネーフォワードは、会計や家計管理の自動化をクラウド上で実現するサービスを提供しており、いちIT企業としてもリモートワークと相性のよい会社である。インフラ構築チームによる奮闘もあり、緊急事態宣言後には全員がリモートワークできる体制も早期に実現した。

だが、それでも様々な社員に百人百様の状況があったのも事実である。一部の社員が通勤等のストレスがなくなり生産性が上がる一方、一部の社員は体調を崩してしまったりした。そして、緊急事態宣言解除後の出社比率を巡っても社内で様々な意見が対立した。経営陣でも、答えが見えない中で様々な話し合いと、社員との会話を重ねる中で、見えてきたことがある。

1つは、リモートワークは強者に優しい制度であり、戦略的に正解し続けている状況下では正義となることである。一方で、自ら苦しいと声を上げることができなかったり、そもそも戦略上の誤りが生じたりしたときには、とても脆弱な仕組みとなる。ただでさえ社会が暗いメッセージで溢れる中である。通常であれば出社状況や顔色を通じたSOSを受け取れるが、それが得られなくなった中で、何をすれば会社としての包摂を提供できるのかは、現在進行形の悩みでもあり、筆者も独り暮らしの社員がお昼休みに寂しくならないよう社内番組を流したりと、試行錯誤を続けている(写真)。

ランチタイムの社内配信番組からの一幕

とはいえ悩ましい生産性の問題

危機下といえる現在、何とか冗長性の確保にメリットがあることを以上に見てきたが、このことが将来に向けて持つインプリケーションは、実に悩ましいのも事実である。

平時におけるRedundancyのイメージが極端に悪いこともさることながら、もともと、大企業は冗長性に関して性善説的に運用してきた過去もある。今年急逝された英国の人類学者デヴィッド・グレーバー氏による『ブルシット・ジョブ──クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店)は、「意味のない仕事」を社会課題として取り上げ、世界的に管理職の人間ほど意味の感じられない仕事をしており、一方で社会的に価値の大きい仕事を提供する人間ほど低い賃金に甘んじている状況を強烈に問い直している。冗長性を性悪説的にみれば、何1つよさそうなことはない。この感覚は、誰しも否定できない側面があるのではないだろうか。

特に、もとより日本経済は低成長からの脱却という社会課題がある中、今後アフターコロナの時代を迎え、様々な産業は否応なく戦略レベルでの転換を迫られることとなる。一方で、経営資源の冗長化は既存の戦略に基づいて行われている。この2つの要素を運用し続けられるほど、多くの企業の収益性は高くない中で、個別の社員が自ら、成長のあり方と、冗長性の確保を複眼的に行う必要がある。それは、ありふれた表現でいえば、組織のメンバーに当事者意識の高さを求めることをも意味するが、そこまでのコミットメントに耐えられる組織を作ることができるかというのは、大小様々なリーダーへの重い課題といえる。

共感の時代

個人的な話だが、経営陣の一員として「当事者意識」を口にして求めることだけはしたくない、といつも考えている。自分がそれを求められるほど心が離れる天邪鬼というのもあるが、それは戦術やコミュニケーションといったレベルで陶冶できるものではなく、戦略や組織の目的というレベルと、リーダーによる体現からしか伝えられないと考えているからである。

コロナ禍を通じては、その考えをより強固にする瞬間がいくつかあった。例えば筆者の家でも、緊急事態宣言中は2歳児という最も説得の効かない相手と対峙しての共働きという状況が発生し、体感上は生産性が半減する中で、寝かせ付けを終えた深夜のみが、仕事に集中できる状況であった。これにはさすがに参った。ベンチャー企業の経営陣にとり、ハードワークは日常的であるが、それが初めて困難となった中で、常々様々な意思決定権を手にしているからこそ享受できていた、ある種の権力に気付いたのである。それは以前に、1カ月の育休を取得したときにも感じたことでもあった。世の中では時間という平等に与えられた資源を、組織のヒエラルキーに従って不平等に奪われる状況があったりもする。その点に自覚的でありつつも、ちゃんと意思決定ができる、共感のリーダーでもありたいと感じている。

近未来の話をすれば、専門的な知識を要する業務や、正解を求める動作を繰り返す業務は、いずれコンピューター化が行われる社会がすでに始まっている。そのような時代にあっても、最後まで残り続けるとされるのが、矛盾や不安と向き合う仕事である。現在、社会が大きな矛盾や不安と向き合う中で、会社としてもそのような状況に対する課題の解決に提供価値として挑みつつ、マネジメントという側面でもより心を砕いていく必要がある。

18世紀の仏哲学者ヴォルテールは仕事の意味として、貧困のみならず悪徳や退屈などからも人間を救う側面があると述べた。それは、冒頭に述べたように、会社には単なる共助の機構としての価値だけでなく、社会としての役割も委ねられていることを意味している。成長による収益の確保と、良き意味での冗長の両方が求められる中、一個人としても新しい働き方の哲学や軸を作れるよう、この時代を生きていければと考えている。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。