慶應義塾

【特集:循環する経済と社会へ】細田衛士:SDGs時代に循環経済を実現するための課題

執筆者プロフィール

  • 細田 衛士(ほそだ えいじ)

    その他 : 名誉教授経済学部 教授その他 : 東海大学副学長

    細田 衛士(ほそだ えいじ)

    その他 : 名誉教授経済学部 教授その他 : 東海大学副学長

2022/12/05

はじめに

現在、経済・社会・自然環境などのさまざまな問題に直面して、従来の資本主義は見直しを迫られている。私が学生の頃ならば、資本主義対社会主義という議論の立て方も可能だったのだろうが、今やそのような問いの立て方はあまり意味をなさない。だとすると、別の視点から新しい資本主義経済、あるいは近未来の新しい経済について、方向性を真剣に探らなければならないだろう。その時、ヒントになるのが、循環経済という概念である。ここでは、資源と環境という観点から従来の経済の問題点を洗い出し、循環経済の考え方が新しい経済構築の方向性を示す重要要素となることを明らかにしたいと思う。

廃棄とリサイクルの歴史

アメリカの哲学者であり詩人でもあるジョージ・サンタヤーナは「歴史から学べない者は、過ちを繰り返す」と述べたという。本稿でも、新しい経済構築に向けて、廃棄とリサイクルに関する歴史に少しだけ触れておきたい。廃棄とリサイクルに関する歴史は、人類が文明の恩恵に浴するようになった時まで遡るのだが、流石にそれはあまりに迂遠に過ぎる。そこで本稿に直接関わりのある戦後の事象に限って触れることにしよう。

太平洋戦争で灰燼に帰した日本がいわゆる先進国の仲間入りをする契機となったのが高度経済成長(1955~1970年頃)である。戦争で資本ストックの4分の1以上が消失した状況からの経済復興は、日本人の心を躍らせ、消費意欲をかき立てた。モノが付加価値そのものであり、三種の神器(白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫)や3C(自動車、エアコン、カラーテレビ)といった言葉に代表されるようなものが爆発的に売れた時代だ。

消費量が増加すると、それにつれて廃棄物の量も増加した。高度経済成長の時代は、廃棄物の高度成長の時代でもある。「ごみは豊かさのバロメーター」などという言葉が現れたのもこの頃である。今から考えると驚くべきことなのだが、捨てることが美徳でさえあったのだ。

そのような経済が早晩立ちゆかなくなることは目に見えている。問題は、高度経済成長晩期に「ごみ戦争」という形で現れる。1971年、杉並区高井戸の清掃工場の建設反対運動を巡って、当時の美濃部亮吉東京都知事が「ごみ戦争宣言」を出したのである。この問題は、とうとう、最終処分場(埋立処分場)のある江東区が杉並区のごみ搬入を阻止する事態にまで至った。杉並の清掃工場は1978年着工し、問題は一応の解決を見るが、このような問題は日本全国で起きていた。

「ごみは出すけれど処理施設が自分の家の近隣にできるのは困る」。これはいわば人情であって、その気持ちをあながち否定することはできない。だが、ごみ処理施設なしに生活することが不可能なのも事実だ。この問題をどう解くのか、これが循環経済構築の鍵となるが、そのヒントが「分ければ資源、混ぜればごみ」という標語にある。当時どの市町村もごみ問題に頭を悩ませていた。特に、最終処分場のない市町村にとっては喫緊の課題であった。

そこで出てきたのが、「分ければ資源、混ぜればごみ」という標語のもと、生活の残余物を分別によってリサイクルしようという考え方である。そうすれば焼却量も埋立量も削減できる。これは、後に広まる3R(リデュース、リユース、リサイクル)につながるアイデアである。但し、塵芥類や厨芥類は焼却処理しないと衛生的でないという見方もあり、清掃工場(焼却施設)の建設は続いた。一般廃棄物(家庭系のごみと一部事業所などから排出されるごみ)の焼却率が80%という世界的にも高い水準なのは、当時のごみ処理政策の結果とも言える。高い焼却率はごみ問題の解決の一助にはなったものの、これが循環経済作りの足かせの1つになっている。それについては後で述べる。

残余物の分別によるリサイクルの推進と焼却施設の整備が重なって、高度経済成長期のごみ問題は収束していった。ところが、問題が違った形で現れるのが平成景気、すなわちバブル期(1986~1991年頃)である。実体経済から乖離した資産価格の上昇に酔いしれた日本人は、消費の多様化の道を歩み始める。問題は、酒類や果汁・清涼飲料類の容器、そして食品の包装類までもが多様化したことだ。

昔は、日本酒は一升瓶、720㎖瓶、ビールならば大・中・小の瓶などというように標準化された容器があり、容易に再使用(リユース)ができた。かつてはコーラの瓶なども繰り返し使われていたものだ。しかし、バブル期、容器や包装類を多様化することによる消費の差別化を図る動きが起き、これが再使用や再生利用(リサイクル)を難しくした。分別に手間がかかり、ロットが小さいとリユースやリサイクルしても採算がとれないからである。これでは、使用済みの容器包装類はごみになるばかりだ。

それに加えて、自動車や家電製品の廃棄が問題になった。自動車や家電製品が使用済になった時、効率的に処理・リサイクルするシステムがなかった、あるいは不十分だったのである。その結果、不適正処理や不法投棄が蔓延した。生産者が製品を作りっぱなしで、使用済になっても処理・リサイクルに対して何の責務・責任がなければ、適正な処理・リサイクルは覚束ない。これは、容器包装類についても言えることである。そこで考えられたのが、使用後の製品の処理・リサイクルについて当該生産者が一定の責任を負うべきだとする拡大生産者責任(Extended Producer Responsibility: 略してEPR)という考え方だ。実際、EPRを具現化した個別製品のリサイクル法が次々と成立・施行することになる。こうした努力もあり、バブル期に端を発したごみ問題も収束の様相を見せた。

3Rから循環経済へ

それならば、なぜ今「循環経済」が世界的な潮流になっているのだろうか。「3Rでこと足れり」とできないのはなぜなのか。それを説明する前にまず循環経済とは何かについて述べなければならない。論者によって定義に多少の相違はあるものの、概ね、次のようにまとめられるだろう。すなわち、資源の経済系への投入量をできるだけ抑制し、経済系における資源の節約利用・循環利用の度合いを高めることによって資源一単位当たりの付加価値を向上させ、あわせて自然系への残余物の排出を極力抑制する経済、それが循環経済である。注目すべきなのは、「分ければ資源、混ぜればごみ」や「3R」などに代表される概念にはなかった「経済」の概念が入り込んでいるということだ。循環経済という言葉を使うのだから当たり前だと思う向きもあるかもしれないが、そうでもない。

それを説明しよう。投入資源一単位あたりの付加価値を高めるということは経済システムの根本を変えるということを意味している。もちろん市場原理に基づいた資本主義経済にも、資源効率性を高めるメカニズムが備わっている。しかし、SDGsが提示しているような持続的な経済社会の実現に向けての推進力が従来型の資本主義経済にあるかというとそれは違う。市場原理主義者の想定とは異なり、市場経済は将来世代の生活の豊かさを実現するような資源利用を保証しないからである。それに、現在世代の豊かさという側面でも、公平性を考えると資源のフェアな利用という点で市場経済には不備がある。そうだとしたら、新しい持続可能な経済社会像を描こうとする時、資源の高度な循環利用を実現する経済、すなわち循環経済は欠かせない概念ということになる。

循環経済なる概念が世界に広まったのは、2015年、EUの「循環経済パッケージ」の提示によるところが大きいが、EUのドキュメントを読んでみると、経済と環境・資源のウィンウィンの姿勢が明確に見てとれる。経済社会の持続可能性を担保する不可欠な要素として循環経済が捉えられているのだ。少し虫が良いという印象も否めないが、この方向で進むしかないというのが大方の見方で、循環経済への道筋の模索が各国で始まっている。

そこで、循環経済の要点をまとめてみると次のようになる。まず、製品・部品・素材などを使い終わった時、廃棄物処理の優先順位(Waste Hierarchy)、すなわち(1)発生回避、(2)再使用(リユース)、(3)再生利用(リサイクル)、(4)焼却・エネルギー回収、(5)適正処理処分、に従って処理することである。発生回避とは、設計・生産段階からも廃棄物にならない、あるいはなりにくいように製品作りをするということであるが、これを担保する1つの方法が先ほど述べたEPRである。またEPRが生産者に課されることによって、リユースやリサイクルしやすいような製品作りの誘因も与えられる。

次に、使用済になった製品・部品・素材などの分別回収そして収集運搬に関わる物流、すなわち静脈物流を適正化、効率化することである。適正な分別は効率的なリユース・リサイクルを実現するカギである。既に述べた「分ければ資源、混ぜればごみ」の考え方も、静脈物流システムの中に発展的に生かされることによって大きな意味を持ってくる。すなわち、効率的な静脈物流システムの中に組み込まれてこそ、分別は本来の役割を果たすのである。使用済製品・部品・素材は疎らに発生するので、ICTやAI等を駆使して情報を集め、効率的でシステマティックな物流を作り上げることが喫緊の課題だ。

そして以上のことを実現するために、市場メカニズムを有効に利用しつつも、市場の機能不全を補うべく制度的インフラストラクチャーを整備することが循環経済作りの大きなポイントとなる。ここで制度的インフラストラクチャーとはハードロー(通常の法律・条例などで、国や自治体によって強制執行力が担保されている法規範)とソフトロー(国や自治体の強制的執行力が担保されていないが、主体の行動を一定の方向に制約する非法規範)の組み合わさった規範体系のことである。このソフトローが循環経済構築で今後大きな役割を果たすと筆者は見ている。

新しい経済の形:循環経済

以上述べてきたように、資源の循環利用を促進するための個別製品のリサイクル法などの整備や、EPRによる生産者責任の遂行、廃棄物処理の優先順位の徹底、さらにICTやAI活用による静脈物流の適正化、効率化によって循環経済の基礎ができあがる。市場と制度的インフラストラクチャーの同期が循環経済作りには不可欠なことは先に説明した通りだ。将来の人々も現在を生きる人々も、等しく豊かな環境と資源の恩恵に与るには、こうした方向での経済の改革が必要だ。しかしこれだけでは十分ではない。

何が不足しているのか。それは、ここまで述べてきた循環経済構築の要素が生産面あるいは供給面のみについてであるということだ。つまり、消費者の支払意思に基づいた需要、あるいはよりマクロ経済に則して言えば有効需要について何も触れてこなかった。周知の通り、経済は需要と供給が釣り合うことによって成り立つ。需要を考えない循環経済は、絵に描いた餅に過ぎない。特に、マクロ経済について考える時、有効需要の概念を抜きにして、雇用や成長を考えることはできない。

ところが、驚くべきことに筆者の知る限り、EUの発表するドキュメントにはこの視点が欠けているのだ。生産構造を資源循環型に転換すれば、雇用は増加し、経済成長率もこれまでより上昇するという。有効需要の増加を抜きにしてそのような主張をすることはできないはずだ。確かに、「供給が需要を生み出す」という古典的概念に頼ればそのような主張も可能かもしれないが、経済はそのように動いていない。実際、EUの失業率は改善傾向にあるものの、若年層の失業率はまだ高いままである。

生産構造または供給構造を資源循環型に転換するのと同時に、需要構造を資源循環型に転換する必要がある。実は、これが容易ならざることであり、循環経済への道が「狭き門」を通り抜けて初めて可能になることを示しているのだ。

少し経済学的に見てみよう。循環経済が実現するためにはまず、消費者が低環境負荷型・資源循環型の財に支払意思を示す必要がある。支払意思のないところに需要は生み出されない。しかしこれはミクロの話である。あるところに需要が生まれても、それが他の需要を減殺してしまうようではマクロでの有効需要の増加にならない。つまり、ミクロレベルでの低環境負荷型・資源循環型の財への支払意思の増加がマクロレベルでの有効需要の増加にならないと、経済を循環型にしたからといって雇用が増えるわけでも成長率が上昇するわけでもないということなのである。

しかし、悲観的になる必要はない。なぜなら、今、消費スタイルが物質的なものから非物質的なものに変化する兆候が見えているからだ。耐久消費財などを始めとする物質的なものが各家庭に普及するにつれて、消費者の嗜好は非物質的なものに変わりつつある。

さらに、モノではなくモノが運ぶサービスや機能、すなわちコトを売りにするサービスPaaS(Product as a Service)や、自動車等の乗り物自体ではなく移動を売りにするサービスMaaS(Mobility as a Service)が特に若者の間でうけており、ビジネススタイルもそれに合わせて変わりつつある。また、ネットニュースなどを見ると、衣料品などの売れ筋は、ストーリー性のあるもの、すなわち手に取ることのできない非物質的なものであるということだ。

こうした消費スタイルの変化がマクロの需要として顕在化するまでには時間がかかるかもしれないが、SDGs教育が初等中等教育から行われている現在、やがて1つの潮流となる可能性は十分ある。SDGsには少なからず批判があることも承知しているが、17の目標それ自体を否定する人は少ないだろう。多様な主体が多様な形で持続可能な経済社会を実現しようとする限り、SDGsの目標を自分の行動に紐付けして行動することまで否定することはできないはずだ。SDGs教育が低環境負荷型・資源循環型の製品やサービスの需要創出に貢献する可能性は十分ある。

また、仮に新たなる需要が市場による価値評価になじまず、GDPの増加につながらないとしても、人々の心の豊かさにはつながるはずだ。マクロ経済的にはモノが十分満ち足りた現在、これから人を真に幸福にするのは心の豊かさであると考えるべきではないか。

おわりに:循環経済とカーボンニュートラル

最後に、循環経済とカーボンニュートラル(温室効果ガスの排出量と吸収量を均衡させること)の両立の可能性について述べたい。リユースやリサイクルを行うにしても何らかのエネルギー源が必要であることは言を俟たない。また、バイオ由来のもの以外は焼却処理すると二酸化炭素を排出することになるということも理解しておく必要がある。

まず前者について述べると、静脈物流システムの徹底的な効率化、脱炭素化が必要である。初めは物流のハイブリッド化、そして電気自動車化、水素化などへの移行のロードマップを作らねばならないだろう。もちろん、リユース・リサイクルのエネルギー源の転換についても、初めは低炭素化、次には脱炭素化という道筋を準備しなければならない。

問題は廃棄物の焼却処理である。初めに述べた通り、日本はごみ(一般廃棄物)の処理を焼却に頼ってきた。EU諸国と比較してリサイクル率が低いのもそれが一因となっている。焼却は必ず二酸化炭素を排出するから、原油由来のプラスチックなどを焼却するとカーボンニュートラルにはならない。また、焼却すれば良いという発想がこれまで日本のリユースやリサイクルの促進を妨げてきた可能性を考慮すると、ごみの焼却主義の発想から抜け出す必要がある。ごみ処理を焼却に頼ってきた市町村にとっては難しいことだが、避けられない選択だ。焼却を一挙になくすことは不可能だし、無意味でもある。時間をかけた焼却のフェードアウトと資源の循環利用促進のための具体的なロードマップ作り、これが今求められていることである。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。