登場者プロフィール
安藤 徳隆(あんどう のりたか)
その他 : 日清食品株式会社代表取締役社長理工学部 卒業理工学研究科 卒業塾員(2000理工、02理工修)。2007年に日清食品入社。マーケティング本部や経営戦略本部を経て、15年より現職。16年より日清食品ホールディングス代表取締役副社長・COO。
安藤 徳隆(あんどう のりたか)
その他 : 日清食品株式会社代表取締役社長理工学部 卒業理工学研究科 卒業塾員(2000理工、02理工修)。2007年に日清食品入社。マーケティング本部や経営戦略本部を経て、15年より現職。16年より日清食品ホールディングス代表取締役副社長・COO。
小熊 祐子(おぐま ゆうこ)
研究所・センター スポーツ医学研究センター准教授塾員(1991医)。博士(医学)。専門は内科(内分泌代謝)・スポーツ医学・予防医学。2002年ハーバード大学公衆衛生大学院にて修士。慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科准教授を兼担。
小熊 祐子(おぐま ゆうこ)
研究所・センター スポーツ医学研究センター准教授塾員(1991医)。博士(医学)。専門は内科(内分泌代謝)・スポーツ医学・予防医学。2002年ハーバード大学公衆衛生大学院にて修士。慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科准教授を兼担。
高石 官均(たかいし ひろまさ)
研究所・センター 予防医療センター長・教授塾員(1990医、96医博)。博士(医学)。専門は消化器内科学、臨床腫瘍学、予防医学。慶應義塾大学医学部包括医療先進センター専任講師、同医学部腫瘍センター長などを経て2020年より現職。
高石 官均(たかいし ひろまさ)
研究所・センター 予防医療センター長・教授塾員(1990医、96医博)。博士(医学)。専門は消化器内科学、臨床腫瘍学、予防医学。慶應義塾大学医学部包括医療先進センター専任講師、同医学部腫瘍センター長などを経て2020年より現職。
岸本 泰士郎(きしもと たいしろう)
研究所・センター ヒルズ未来予防医療・ウェルネス共同研究講座特任教授塾員(2000医)。専門は精神医学。情報通信機器や機械学習の医学領域への応用研究を手掛ける。米国ニューヨーク州The Zucker Hillside Hospital、慶應義塾大学医学部精神・神経科専任講師等を経て21年より現職。
岸本 泰士郎(きしもと たいしろう)
研究所・センター ヒルズ未来予防医療・ウェルネス共同研究講座特任教授塾員(2000医)。専門は精神医学。情報通信機器や機械学習の医学領域への応用研究を手掛ける。米国ニューヨーク州The Zucker Hillside Hospital、慶應義塾大学医学部精神・神経科専任講師等を経て21年より現職。
北川 雄光(司会)(きたがわ ゆうこう)
その他 : 常任理事(医療全般・塾員担当)塾員(1986医)。博士(医学)。専門は消化器外科学。2007年より慶應義塾大学医学部外科学(一般・消化器)教室教授。09年慶應義塾大学病院腫瘍センター長、17年同病院長を経て21年より現職。
北川 雄光(司会)(きたがわ ゆうこう)
その他 : 常任理事(医療全般・塾員担当)塾員(1986医)。博士(医学)。専門は消化器外科学。2007年より慶應義塾大学医学部外科学(一般・消化器)教室教授。09年慶應義塾大学病院腫瘍センター長、17年同病院長を経て21年より現職。
2023/11/06
「超高齢社会」とフレイル
慶應義塾大学予防医療センターが2023年11月より信濃町から麻布台ヒルズに移転してオープン致します。この機会に予防医療にスポットを当てて、様々な分野の皆さまにその未来像について語っていただきたいと思います。
11年前の2012年に予防医療センターはオープンし、その際にも「三田評論」にて特集が組まれています(2012年12月号 特集「予防医療最前線」)。あれから11年たち、高精度な人間ドックとしての予防医療センターは一定の評価をいただいてきたと思いますが、こらからの時代に求められる未来型予防医療を構築するためにどのような方向に進んでいくのかが大きな課題となっています。
さて、新しい時代の予防医療の方向性を考える上で、人生100年時代、超高齢社会を迎えた日本が、これからどういう問題を抱えるのか、どういう社会になっていくのかが重要です。そういう観点から小熊さんに口火を切っていただければと思います。
ご存知のように、人口の高齢化は、2025年問題と言われているように、いわゆる「団塊の世代」が皆、75歳以上の後期高齢者となる時代になってきます。2025年には75歳以上の人口が3.3人に1人、65歳以上が2.6人に1人という形になり、医療費も高騰し、後期高齢者の医療費は65歳未満の5倍ぐらいになるという予測もあり、大きな課題となっています。
私は塾医学部の百寿総合研究センターの新井康通先生らと、超高齢者(ここでは、85歳以上の高齢者を指す)の研究もしていますが、超高齢者が非常に稀とは言えない時代になり、健康な高齢者も増えてきている一方、そうではない「フレイル」(加齢で筋力や心身の活力が低下し、介護が必要になりやすい状態)の方も非常に増えてきています。
フレイルというのは可逆的、つまりまた元に戻れる状態でもあるので、早めにその兆候に気付いて、その人への介入をしっかり行っていく必要があります。
コロナ禍では、外出を控え、普段行っていた運動も制限され、フレイルが進んだ方が増えていることが、文献的にも多く示されています。私は藤沢市で高齢者の運動や身体活動の測定を定期的に数年来しているのですが、コロナ後しばらくぶりに測定すると、全般的には体力が低下していることを実感しています。
ただ、意識の高い高齢者の方々は知恵を使って、何とか行動制限下でも運動不足・コミュニケーション不足等を解決する策を見出そうとしていて、それができている高齢者は、元気でいます。そこで健康格差が生じていることを地域では実感しています。運動機能の面から言えば、フレイルが進行しているような人をすくい上げていかなければいけないという問題意識があります。
超高齢社会では、健康をしっかりと自分で守っていける人と、そうでない人の差が顕著になる、ということでしょうか。
はい、論文でもそういう結果が出てきています。
岸本さんは人生100年時代というキーワードで何が今一番、課題になるだろうと思われますか。
フレイルにも関連しますが、認知症も非常に大きな問題になることは間違いありません。2025年には高齢者の5人に1人、国民の17人に1人が認知症という時代が来ます。レカネマブ(アルツハイマー病の原因物質に直接働きかける新薬。9月に承認)の登場で今後の認知症治療は大きく変わるでしょうが、薬も万能ではありませんし、治療を受けられる人も限られます。治療費が社会を圧迫することも懸念されています。
実は、生活習慣病等の認知症リスクを全て取り除くと、認知症の発症を4割程度抑えられるというデータもあります。医療費の上昇を抑えながら認知症の発症リスクを減らす、すなわち高齢者の生活習慣をいかに健康な方向に持っていけるかは、非常に大きなポイントです。
また、認知症高齢者を多く抱える中で、認知症に優しい社会がつくれるのか、高齢化率でトップを走る日本を世界が注目しています。そのような中、社会を支える労働年齢の人たちの健康も重要です。今までの社会構造は御神輿型(多数で1人の高齢者を支える)だったのが、2020年には騎馬戦型(3人で1人を支える)に、そして2060年には肩車型(1人が1人を支える)になります。
1人の若者が1人の高齢者を支える社会で、若者が身体的にも精神的にも、より元気に活躍できる社会もつくっていかなければなりません。
高齢者を支える世代が、むしろメンタル的にダメージを受ける可能性があるということですか。
そうですね。今、産業保健分野におけるうつ病などのメンタルヘルスの問題は、他を圧倒しています。例えば労災請求件数では、精神障害は脳・心臓疾患のだいたい3倍ぐらいです。
それは驚きですね。
そういった意味で、働く世代のウェルビーイングや会社に勤める人たちのエンゲージメントという概念が注目されるようになってきていると思います。
最適化栄養食の開発
安藤さんは、食を支えているお立場から、この超高齢社会をどう見ていらっしゃるでしょうか。
最近、当社では最適化栄養食の開発を行っていて、塾医学部の伊藤裕先生、金井隆典先生と一緒に共同研究講座も設けさせていただいています。
シニアのフレイルがどういう仕組みで起こるかというと、食が細くなって食事量が減り、栄養摂取量が減ることによって、必要な栄養素が取れなくなり、結果、筋肉量、活動量が減る。そのような状況をどう解決していくのか、われわれは食品メーカーの立場で取り組みを進めています。
これまでも栄養バランスを謳った食品はありましたが、必要とされる栄養素を1つの食事の中に閉じ込めようとすると、ビタミンやミネラルが持つ苦味やえぐ味が原因となって、おいしく感じられないものが多かったのです。昔から完全栄養食という考え方はあるのですが、世界を見回しても、これといったブランドがないのはそれが理由です。
しかし、われわれはインスタントラーメンを65年間開発し続ける中で、カロリーオフの技術や減塩技術、糖質・脂質オフの技術を磨いてきました。それらの技術を応用することで、苦味、えぐ味をマスキングできるようになり、最適化栄養食として主要な栄養素をバランスよく適切に調整し、かつ、普段の食事と変わらないおいしさを実現することができたのです。
最適化栄養食では、小さなポーションの中に、栄養素がバランスよく詰め込まれています。例えば、食が細くなってくるシニア向けにたっぷりのカロリーと、不足しがちな栄養素を詰め込む技術を最近確立しました。
シニアの方はメニューも偏食気味になり、唐揚げとビールだけでいいという方もいらっしゃる(笑)。極端な話、その唐揚げとビールに、必要なカロリーと栄養素を詰め込むことができたら、この方はフレイルにならないのではないか。われわれのフードテックでそういうシニア向けの食事がつくれるのではないかと考えています。
われわれ食品メーカー側は、フレイルを防ぐコンセプトで、皆さんの食行動、メニューの選択にはなんの行動変容もなく、好きなものを食べてくださっていいという形にしたい。偏っているように見えるメニューでも、フードテックによって、必要な栄養素をバランスよく調整していく。健康寿命を延ばすことができれば、それが人生100年時代の介護費や医療費の削減につながるのではと思っています。
高齢者の方々だけではなくて、若い世代へのアプローチも必要になりますね。
それがまさに伊藤先生と一緒に研究しているところです。若い人でも30代、40代になると、メタボや生活習慣病の予備軍になる健康リスクが急に高まってくる。
そういった方に向けては、シニアの方とは逆のアプローチで、十分なボリュームがありながら、例えばカロリーは50%オフにするなど極力抑え、主要な栄養素をバランスよく詰め込んだ食を様々なメニューで展開する。これが生活習慣病、成人病の予防にもつながるのではないかと思っています。
まさに予防医療、未病対策としての食ということです。伊藤先生のメタボリックドミノの考え方によると、様々な成人病はすべて最初の1枚のドミノから始まり、食事や運動不足から内臓脂肪が増え、インスリン抵抗性が出てくる。その先は高血糖だ、高脂血症だ、高血圧だとなっていく。
最適化栄養食によってドミノの最初の1枚が倒れるのを止めることができれば、成人病のリスクを減らすことができるのではないか。いろいろなカテゴリーの方と協業して、最適化栄養食を普及させることができたら、社会全体で未病対策ができるのではないか、という思いでやっています。
個別化される予防医療
高石さん、新しい予防医療センター構想の中で、人生100年時代に向けてどのような試みをなさっていますか。
これまでの日本における疾病構造は、感染症、栄養障害から生活習慣病、悪性腫瘍でした。診断・治療の進歩で、戦前は男女共に50歳未満だった平均寿命は、現在は男性81歳、女性87歳に延伸しました。人生100年時代に向けてのキーワードは予防医療の多様化です。予防医療は今後より個別化され、未病や健康状態での予防に、そして個人がヘルスケアに主体的に関与していくと予測されています。このため予防医療センターとしては、医療は病院で行うという考えから踏み出し、ウェアラブルデバイスや遠隔診療システムを用いて、検診を日常化し、異常が生じたら直ちに指導や、治療に介入できるシステムの構築を目指します。
また、生活習慣病や悪性腫瘍の診断、治療そして予防医療をさらに精密に行うことに加えて、健康寿命の延伸のために、身体や心/認知のフレイル対策を行うことが肝要です。フレイル防止のためには特に一次予防、つまり“健康な時期に、栄養・運動・休養など生活習慣の改善、生活環境の改善、健康教育等による健康増進を行うこと”が大切です。
「ウェルビーイング」という視点
皆さん、それぞれの観点から人生100年時代を語っていただきましたが、今、病気でないというだけでなく、心も体も、社会的にも健康で幸福である「ウェルビーイング」という概念への注目が集まっていますね。われわれはどのようにウェルビーイングを追求していけばいいのでしょうか。
ウェルビーイングの定義は、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも健康であるということです。つまり、身体だけが健康で病気にならなければいいということではなく、社会の中で満足した生活を送ることができている状態、幸福な状態、充実した状態というように多面的な幸福の状態を意味しています。
小熊さんが考えられるウェルビーイング社会というのは、どういう社会でしょうか。
運動や身体活動の視点からいっても、身体への効果だけでなく、うつをはじめとしたメンタル面への効果だったり、その先の社会的なウェルビーイングという部分も非常に重要だといます。
今、私はKEIO SPORTS SDGsという、スポーツなどで体を動かすことがSDGsにつながるような取り組みを、慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート慶應スポーツSDGsセンター(https://sportssdgs.keio.ac.jp/)というスタートアップを設け、進めています。世界保健機関(WHO)が2018年に言っています(Global Action Plan on Physical Activity 2018-2030)が、身体活動不足が世界中に蔓延していて、本気で取り組まないとさらに悪くなる。身体活動に関しては行動を変えれば効果があるというエビデンスが揃っているので、そこを変えていく必要があります。
健康分野、スポーツ分野の専門家だけではなく、様々な分野の方と関わることで、社会のウェルビーイングを変え、1人1人のウェルビーイングも向上できるのです。SDGsの考え方で、環境と社会のことも考えつつ、ウェルビーイングを達成していく視点も大事だと思っています。
企業としても、2030年以降は、社会のウェルビーイングを本当に向上させることができているかどうかが、その会社の評価を左右します。企業の格付けに直接ウェルビーイングポイントが関わってくるのです。
どの企業も社会的にも肉体的にも精神的にも社員のウェルビーイングを向上させる施策を実施しているかが問われることになるので、今まさに各企業が様々な取り組みを始めたところです。しかし、どの企業もこれという答えを見つけられておらず、今は試行錯誤しながら、ウェルビーイングにつながる要因を探っているところだと思います。
当然、食とウェルビーイングの関わりは深いのですが、実は、まだ世界的に食とウェルビーイングの関係性を明らかにできていない。そのことに気付き、昨年世界で初めて、142の国と地域で食とウェルビーイングの関係性を調査しました。
1つ目の質問は「食を楽しめていますか?」。2つ目が「自分が食べたものは健康的だったと捉えていますか?」。最後に「食事の種類に幅広い選択肢があると感じていますか?」と、この3つの質問をしたところ、面白い結果が出ました。
当然、この3つが満たされている人は、ウェルビーイングが高い。ではどれくらい高いのかというと、自分が納得いく所得がもらえているということと同じ水準なのです。食がウェルビーイングを向上させる上でとても大切な要素であることが初めてわかりました。
先ほど岸本さんからウェルビーイングの定義についてのお話がありましたけれど、それぞれの要素をどう評価してウェルビーイングの状態と言えるのかを伺えますか。
はい、ウェルビーイングがどんな要素で構成されるのかということについてもいくつかの考え方がありますが、私たちがよく活用するのは、自分の生活をどのように評価しているか(人生満足度)、その中でどのような感情を抱き(正や負の感情)、自分の人生にどのような意義や目的意識を持っているか、という3軸による評価です。それぞれに対して自己評価式の質問紙が開発されています。
睡眠の重要性
身体的な機能維持には運動、食生活ももちろんですが、もう1つ睡眠も重要ですよね。睡眠の質や量は様々な疾患に関わってきますよね。
はい、死亡率を含めて様々な疾患との関連が示されています。さらに、ウェルビーイングの高い人は良い睡眠を取っているというエビデンスもあります。
日本人が認識しておくべきことは、日本人は、世界的にみて、極端に睡眠時間が短い国民だということです。ただ、周囲の睡眠時間が短いがために、自分の睡眠時間が短いと認識している人は少ないのです。会社に8時、9時まで残っていれば当然、睡眠時間は短くなりますし、実際そういうデータもあります。日本は睡眠不足についての問題意識が希薄と言わざるを得ないでしょう。社会全体が睡眠の大切さを理解して、啓蒙していくことは必要だと思います。
弊社でもセミナーを開催するなど、2030年以降に備えて、睡眠の教育を始めています。どれだけ眠ったかを見える化して部署ごとに競わせるゲーミフィケーションのような施策を実施することで、睡眠に対する従業員の意識は変わってくるのではないでしょうか。
運動不足とは別に、24時間の中で、睡眠でもなく、活動もしていない、じっとしている時間を「セデンタリー」とか「座位時間」と言うんですが、この「じっとしている時間」がよくないというエビデンスが蓄積されてきています。
世界的にみて、日本人は座位時間がもっとも長いそうですね。
はい、1日24時間の中で、睡眠時間を確保し、体を動かす時間を確保し、座りっぱなしの時間はなるべく減らす。30分に1回は2分間体を動かしましょうとか。そのような観点も大事だと言われています。
こういった要素について、新しい予防医療センターでは、積極的に介入していくというコンセプトですね。
はい、経済協力開発機構(OECD)の2021年版調査では、日本は睡眠時間が7.33時間と最小でした。睡眠障害は、作業効率を低下させ、生活習慣病のリスクを増加させます。
予防医療センターは、睡眠研究の第一人者である筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構の柳沢正史機構長が開発したウェアラブルデバイスを用いて、睡眠障害の予防・解消に取り組みます。睡眠時の脳波を測定し、AIで睡眠の質を解析するだけではなく、血中酸素濃度を測定し、睡眠時無呼吸症候群(SAS)も検出できます。柳沢教授と連携し、塾医学部精神・神経科の三村將名誉教授や岸本さんと共に睡眠研究を進めます。
会議中に寝る人がいるのは日本だけ、と言われていますよね。
欧米の人からは異常に見えるようですね。欧米では会議中の居眠りは失礼だし、恥ずかしいことだという考え方も強い。ただ、あんなに寝ていると何かの病気ではないかという認識をも、持たれるようです。
企業としては会議のあり方に課題を感じています。高位の出席者が多いゆえに、発言する機会が限られてしまうと、ただ出席しているだけで、ディスカッションに参加しているとは言えません。
そうした会議のあり方、もしくはもっと踏み込んで組織のあり方を変えていかないといけない。
睡眠と認知症
睡眠と認知症のリスクについても最近注目されるようになりました。睡眠にはまだまだ謎が多いのですが、睡眠中に脳の老廃物が排出されるという考え方があります。Glymphatic system と言いますが、睡眠中にそのシステムが活発化するというエビデンスが蓄積されています。
睡眠不足は睡眠負債という形で蓄積していきます。老廃物が脳にたまっていくわけですね。
はい、だからこそ柳沢先生は、自分の睡眠を可視化すべきではないかとおっしゃっていますね。
認知症は、今まではわかってもなかなか介入できないので、当事者は知りたくないというメンタリティーがあったと思いますが、今はそうではないですよね。
はい、冒頭でも申しましたが、レカネマブは認知症治療のあり方を大きく変えるでしょうし、それに伴って当事者のメンタリティーも変わるでしょうね。ただ、レカネマブを使用できる人は限られるので、介入可能なリスクを減らしていくことも大事です。運動する、糖尿病を予防する、良い睡眠を取る、社交場面を増やすなど。ただ、一時的には頑張れても、こうした行動変容を長期的にもたらすのは案外難しい。どうすれば維持されるのか、私たちの研究テーマの1つです。
認知症には予防医療センターとしてどうやって取り組むのですか。
様々な方法を検討しています。レカネマブによる治療対象は、アルツハイマー病によるMCIと言われる軽度認知障害、または軽度認知症の患者です。“軽度”が付くのは、病気が進行して、脳の神経細胞が機能を喪失する前に治療する必要があるためです。
私たちは、塾医学部生理学の伊東大介教授と精神・神経科の文鐘玉特任准教授と共に、血液中のアミロイドβと、タウたんぱく質などを測定して、アルツハイマー病疑いの方を早期にスクリーニングする方法を開発しました。そして疑いのある方には、メモリークリニックで三村特任教授が認知症テストを行い、PETや脳脊髄液検査を用いて確定診断します。またMRI画像を用いた独自の高精度の脳年齢予測モデルの開発も岸本さんや精神・神経科の平野仁一講師と進めています。このような検査も導入しながら、早期に正確な診断をしたいと思っています。
積極的に対処する手段が少ないためにあまり光が当たらなかった分野に、精密な診断手段ができ、いろいろな行動変容や一部の状況では有効な薬剤も使用可能な時代になったわけですね。
スリープテックによる介入
睡眠の質を外部からコントロールする研究は進んでいるんでしょうか。
パラマウントベッドの木村友彦社長が幼稚舎からの同級生なのですが、彼との議論の中で、ウェルビーイングポイントを向上させるために、ベッド側のテクノロジーで睡眠姿勢をコントロールし、社員の毎日の睡眠の質を改善できないか、というような話も出ています。おそらく医療現場では呼吸姿勢とか、角度をセンサーが感知し、自動的に角度を変えたりして、睡眠時無呼吸症候群とか、呼吸姿勢が悪い人を強制的に矯正していくことは進んでいるのではと思うのですが。
重症のSASは難しいかもしれませんが、舌根の沈下は体を横向きにすると改善しますから、一定の効果はあるでしょうね。
スリープテックは今、非常に注目されていますね。スマートフォン、衣服に装着するセンサー、リストバンドのようなウェアラブルデバイスなど、様々なもので睡眠の状態を推定するものも出ています。
ただ、音や加速度、荷重、脈拍等のデータでどこまで睡眠のステージが推定できるのか、一定の限界はあると思います。やはり脳波の測定がないと厳密には難しいとは思います。
しかし、脳波なしのデータでも大まかな睡眠時間やそのリズム、あるいは睡眠がどの程度中断されているのかといったことは、わかるでしょうし、それだけでも非常に有用だと思います。
なるほど。でも睡眠と栄養は、今のデータだとあまり関与していないようなんですね。
夜遅い時間の大きな食事が消化管に負担をかける、睡眠中の血糖値の変動をもたらす、あるいはカフェインやアルコールが睡眠に悪影響をもたらすといったことは知られています。
最近は、「睡眠の質向上」の機能を謳う、乳酸菌飲料などが爆発的に売れていますね。腸内細菌と睡眠との接点もあるかもしれません。しかし、まだしっかりとしたエビデンスはないと思います。
われわれのグループ会社、日清ヨークでも、睡眠の質を改善し、日常生活の疲労感を軽減する乳酸菌飲料が、今、飛ぶように売れています。
そういう健康志向、良い睡眠をとりたいというニーズは大きいですよね。でも本当に健康に効果があるのか、医学的な検証を行っていく仕事は必要です。
健康志向に応えるデータ蓄積とエビデンス構築はわれわれの使命ですよね。
予防医療の課題は
では予防医療の未来という大きなテーマを考えていきましょう。高石さん、予防医療センターが慶應病院にできて11年がたちましたが、この間の歩みを少しご紹介いただけますか。
予防医療センターは2012年に開設されました。幸い受診者から大変高い評価をいただいております。現在、予防医療センターのドックに年間約6000人が受診し、生活歴や家族歴、嗜好、血液データ、画像データなどたくさんの質の高いデータが蓄積されています。
しかし開院から10年が経ち、課題が出てきました。受診者数が増加し過ぎて予約枠が埋まってしまい、年に1回のドックが受けられなくなってきたのです。また、慶應義塾は予防医療を慶應医学の原点とし、臨床・研究を積み重ねてきましたので、研究面からも、予防医療センターのスタッフも、アカデミアとしてデータを積極的に活用しエビデンスを創出し、予防医学に貢献したいという気持ちが強くなっていました。
次の予防医療センターのあり方を模索していたところ、森ビル株式会社から、麻布台ヒルズの居住者、ワーカーに対して、住む・働くことを通じて、健康で生き生きと暮らせる街づくりを慶應義塾と共に実現できないかというご提案があり、予防医療センターは麻布台ヒルズに移転することになりました。研究を行うための共同研究講座である「ヒルズ未来予防医療・ウェルネス共同研究講座」は、先行して2021年に開始しています。
今までの予防医療センターは、質の高い検診をやってきました。これからの予防医療の方向性をどのように考えていますか。
これまで以上に、病気を早期に発見してほしいという受診者の気持ちに応えたいと思います。加えて、これからの予防医療センターでは、受診者との健康増進のための会話を重視していきます。予防医療には、受診者からの様々な要望があります。
例えば、価値の多様化という面では、膵臓がんが心配なので、1年に2回以上膵臓の検診を受けたい。認知症の家族歴があり、会社経営者として認知症になったことを気付かずに経営したくはないので、超早期に認知症を診断できる検査を受けられないか。このようにエビデンスに基づく医療より、自分の目標達成のための健康増進プログラムを希望される方も多いのです。安心を得たいという気持ちにも応えたいので、そういった要望を持つ方々ともしっかりと話し合い、可能なものには応えたいと思います。
われわれのコンセプトは「一人ひとりの人生と共に歩む医療を」です。個人のニーズに合わせて、高度にパーソナライズされた検診を行っていきます。
基軸となるエビデンスを踏まえた上で、それぞれの人が望んでいる人生、大切にしている価値観に寄り添った予防医療であるべきだというお考えですね。
はい、個人のウェルビーイングにつながっていくことが重要だと思っています。
様々なリスクへの対応
身体のフレイルのうち、特にサルコペニアと呼ばれる老化に伴う筋力減退などが原因の、65歳以上の方の不慮の転倒・転落による死亡数が、年間9000人を超えています。交通事故死亡者が現在2000人程度ですから、その4倍以上になります。
つまずかないように脚を上げるのは大腰筋の役割です。つまずいても転倒せずに踏みとどまるには大腿四頭筋という太ももの筋肉が大切です。新しい予防医療センターでは、放射線科の陣崎雅広教授がキヤノンメディカルと共に開発した、受診者を立った状態で撮像する、世界初の立位CTを用いて、転倒防止に関連する筋肉や関節の状態を評価します(※移転を期に新しく提供するメンバーシップ制度の「慶應大学病院予防医療メンバーシップ」において実施)。立位CTは、重力下での人体の構造を可視化できます。立位・座位での呼吸機能や循環動態の評価や、歩行機能など多くの機能・病態の評価が可能となりますので、健康長寿に貢献できると考えています。
また従来の検診施設では重要視されていなかった、眼の検診と口の中の検診にもこだわりました。眼の病気は疾患自体がQOLに直結するだけでなく、認知症や転倒・骨折などに深く関連し、要介護の原因にもなります。健康寿命を延伸し、豊かで健やかな人生を送るためには、眼疾患の早期発見と早期対応はとても重要です。
予防医療センターでは、一部オプションになりますが、最新の眼科医療機器を用いて精密な診断を行い、眼疾患を早期に診断します(※同上)。手術が必要な場合には、連携している塾大学病院眼科がそのデータに基づき最善の医療を行います。
歯科、口腔外科につきましても、コーンビームCTなどの精密機器を用いた、オーラルフレイル(口腔機能低下症)検査に基づき、噛む・飲み込む・誤嚥防止の指導、予防歯科による歯や歯周病の定期健診、そして口腔がん検診も行います。
オーラルフレイルはいろいろな疾患の併発や、身体全体の機能に影響しますね。まさに食に関してもオーラルフレイルの予防が非常に大事です。安藤さん、最適化栄養食は、例えば食物の堅さなどにも介入できるんですか。
嚥下のコントロールはできます。ただ、嚥下食までいくと食感と味に影響が出てくる。そこのブレイクスルーは必要だと思います。
栄養素だけでなく食感そのものも個別化できるわけですよね。その人のオーラルファンクションに応じた、あるいは嗜好に応じたものというのができるわけですね。
できればそこの手前の段階をもっと開発したいところです。
確かに、いくら栄養満点でもドロドロのゼリーを毎日食べるのは少し抵抗がありますね。
嚥下が上手くできなくて、窒息して亡くなる65歳以上の方が年間約6000人以上いらっしゃる。嚥下機能に関して何かトレーニング用の食べ物みたいなものを開発できないでしょうか。
正直、介護が必要になった方々に向けた食の開発にはまだ取り組めていません。今は、要介護の状態になるのをいかに遅らせるかをメインに研究開発を進めています。
ただ、開発しようと思えばできると思います。品質から食感、材質のコントロールというのはわれわれが最も得意な分野ですので。
日常の身体情報と検査データをつなぐ
予防医療という概念が大きく変わっていく中、小熊さん、予防医療を展開する「場」のあり方についてどうお考えでしょうか。
今、よりパーソナライズされ、かつ、様々なデータを取得できる時代になり、身体に関する情報は受診した時だけでなく、スマホやウォッチなどのデバイスからも継続的に取得できます。そしてそれも含めてプレシジョン(精密)というか、個々の希望に的確に対応し、早め早めに次の手を相談できることが求められていると思います。
日常での運動もそうですが、生活の部分と、受診時の検査データや病院での医療をつなげることで、よりよいサービスができるのではないか。そこをつなぐ必要があると思っています。
コロナ禍の間に遠隔診療も急激に進歩しましたし、いわゆるウェアラブルデバイスによっていろいろな生活の中のデータが取れるようになりましたね。まさにそこが予防医療にも生かされていく時代になるだろうと思います。このあたりは岸本さんがご専門ですね。
はい、IoT(Internet of Things)の言葉にも象徴されるように、様々なものがインターネットにつながる時代です。IoTを通じて、われわれの生活の様子が非侵襲に観察できるようになり、それを病気の早期発見や健康増進に役立てようという研究開発が活発になってきています。
今までは、病院で定点観測しかできなかったのに対して、日常のあらゆる生活場面の連続的なデータが取得できるようになったことは大きいです。今後は、病院でしか取れない高度医療情報と、日常のウェアラブルデバイス等から得られる情報を上手くリンクさせることが重要だと思います。その意味では予防医療センターには大きなチャンスがあると思います。
それから、通常、病院では病気に関連のある部分しか検査をしませんが、予防医療センターでは複数の臓器を対象に縦断的にデータを取っていく。こうしたデータには病院とは別の価値があります。これらと日常生活の連続的なデータを上手くつなぐことで、なんらかの関係性が見出されれば、その価値は非常に大きいと思っています。
麻布台ヒルズには、新しい街づくりを担ってくださっている森ビルとの共同研究講座が既に設置されて、岸本さんもそこですでに研究されていますね。
はい、まさにウェアラブルデバイスを活用した研究も複数行っています。例えば、リストバンド型の活動計および24時間血糖計を同時に着用いただいて、血糖変動と睡眠、日中の活動、眠気やバイタリティなどとの関係をみる研究も行いました。
また、ヒルズに勤める会社の社員の皆さんから健診データをいただき、それを蓄積することで、どんな仕事の仕方や休み方が、身体的な健康やウェルビーイングにつながるのかをみています。そうして得られた知見を予防医療センターや、街を利用する多くの人に還元したいと思っています。
食事指導のあり方
まさに未来の予防医療をつくるためのいろいろな研究が、多角的に進んでいるということでしょうか。
医療者ではない立場から安藤さん、食を支える領域で、予防医療に対する期待がありましたらお願いします。
人間ドックとセットになるのが食事指導ですね。しかし食事指導の効果が非常に限定的だというデータもあります。やはり、健康的とはいえ海藻やキノコばかりの食事だと長くは続けられません。
食事指導の有効性を高めるためには、遠隔指導を充実させる必要があると思っています。一般のクリニックでは管理栄養士さんを雇う負担が大きいと思いますので、どう遠隔医療の中で共有化し、低コスト化して、食事指導を有効なものに変えていくか。
そして続けられるためのメニューも重要です。一般的に健康的な食というのは、味も薄く、野菜中心になることが多いので、すべての人にはフィットしないと思います。
食べたいものを好きなだけ食べていた人が、生活習慣病になってしまい、人間ドックでひっかかることは多々あると思います。そうした人たちの食欲を満たしながら、栄養問題をどう解決していくか。これは最適化栄養食のテクノロジーでクリアしていきたい。
栄養指導、食事指導は私たち医師ももちろん行うのですが、おっしゃるとおり、何度も指導するうちにあまり聞き入れてくれなくなる。いつも同じ話をしては、単調になるのでダメで、いろいろ工夫しても、何かデータがないとなかなか耳を貸してくれない。こういう生活を続けていたら10年後はどうなるか、という明らかなデータがあればと思います。
例えば、お酒をこれだけ飲んでいたら、10年後のあなたの肝臓はこうなっている、このまま喫煙を続けたら肺はこうなっているということでしょうか。
はい、そうです。
未来を変えるためのドライブ
今、まさに人間ドックのデータや健診データ、さらにはコホート研究のデータなど、長期間のフォローアップデータが蓄積され、活用できるようになってきています。そうすると、こういうタイプの人がこんな生活習慣を継続すると将来どうなる、ということが予測できるようになります。このようなシミュレーションは今後の予防医療では有用だと思います。特に糖尿病リスクに関しては、すでにそうしたサービスもできているようですね。
すると、未来を変えるためのドライブになりますよね。
はい、糖代謝だけでなく、様々な健康状態の予測にも応用可能だと思っています。
例えばこのまま運動不足で、座った時間が長ければ、あなたは65歳になったら今のようにはテニスできませんよ、ということも予測できる時代になると。
はい、将来の疾患の予測だけではなく、その予測を覆すために、何をすると一番良いのかをAIで推定することも可能です。自分が望む将来に向けて、何をすればいいか。その人その人にとってのヒントを与えることが今後可能になると思います。
より個別的に、あなたはこういう運動をしたら、今よりずっと健康状態が良くなりますよという、テーラーメイドのサジェスチョンもできるのでしょうか。
より精度高くできるようになると思います。そのためには良質なデータの蓄積が必要です。
今、予防医療センターは、人間ドックにひっかかってしまった場合、何カ月で再検査になるのですか。
3カ月後が多いです。疾患によっては半年後ということもあります。
糖の代謝や脂質の代謝などの、データがしっかりとエビデンスとしてあるのだったら、パーソナライズされた食を、その3カ月間に提供していけば良いと思うのです。われわれの臨床試験の結果では、3カ月もあれば改善効果が十分期待できます。慶應の予防医療センターの提案通りに3カ月間食べ続けたら、本当に改善したとなれば、患者さんの信用はものすごく上がると思います。
行動科学の応用
先ほども申し上げましたが、行動変容を持続的に起こすのは非常に大変です。一時的に頑張れても、3カ月、6カ月で元に戻ってしまう。そこをいかに上手く持続的なものにするかは、行動科学が力を発揮する部分ではないかと思います。
行動科学は重要なキーワードですよね。行動科学をどう予防医療に応用していくかですよね。
そうですね。一律に「これが健康によいですよ」と言っても、響く人と響かない人がいます。響かない理由も様々です。科学的、論理的な説明を行っても、かえって疑心暗鬼になってしまう人もいる。
ターゲットにする人たちをある程度層別化するとよいことも知られています。例えば何らかの検診に際して、その検査の必要性を理解していない人もいれば、検査を受けたいと思っていても大変そうだからと二の足を踏んでいる人もいる。それぞれに合わせた伝え方、支援の仕方が重要です。健康を推進するための指導には、まだまだ改善の余地があると思います。
行動科学をしっかりと構築するような学問の場として、予防医療センターの麻布台ヒルズの共同研究講座もプラットフォームにしていきたいですね。
そうですね。医学、心理学、社会学、経済学といった様々な先生方の知見を集合させる必要があると思います。
すると、予防医療センターの移転は、いろいろな社会科学、人文学系の方々も集結して、新しい学問をつくっていくという方向に発展していくのでしょうか。
はい、総合大学の慶應の強みを生かすべきフィールドだと思います。
行動変容させない「食」の提供
慶應病院は5年間、内閣府からAIホスピタルモデル病院として認定していただき、いろいろな活動をしていましたけれど、やはり病院の建物の中だけで展開する医療は限界があります。これからは様々な遠隔医療の技術を使って、生活自体、地域自体を見守る医療に変わっていくのだという印象を非常に強く持っています。実際そういうことを支える技術もどんどん出てきている。
そのような中、これから健康にかかわる部分で生活をどう変えていくのか。この観点で、お話しいただけたらなと思います。
あくまでも、食カテゴリーにおいてのわれわれの考え方ですが、世界的にみて、食による革新的な健康促進を実現させるためには、むしろ行動変容させないほうがいいんです。そのほうが結果は変わりやすい。
もし健康のために人類が自制できるのであれば、世界中がこんなに肥満にならないはずです。それほど3大欲求の1つの食欲は自制することが難しい。ものすごく自制心の強い方、もしくは所得の高い方ならできるかもしれませんが、世界全体で食による健康改善を図るのであれば、食品メーカーや医療側が、行動変容をしなくてもいいように、好きなものを好きなだけ、好きな時に食べていいものを提供していくべきです。
先ほどから申し上げている最適化栄養食のテクノロジーを使って、いつも食べている食事の成分を未病対策になるようなものに変えていく。そうすることで食と健康の関係性は劇的に変わると思います。
そのほうが精神のウェルビーイングも保たれるでしょうね。先ほどおっしゃったように、食というのはウェルビーイングと強い相関関係がある。そこを制限せずに、食生活を改善していくわけですね。
伊藤先生と、日本最適化栄養食協会をこの7月に発足させていただきました。この協会に登録された栄養設計基準を満たす商品には認証マークが付与されます。主要な栄養素がバランスよく適切に調整されていますよという保証のマークです。こういった普通に食べたいものを食べていても大丈夫な環境を人知れずつくっていくことが1つの解決策です。
われわれメーカーだけではなく、外食産業やスーパー、コンビニなど、食品が手に入るあらゆるタッチポイントで、そういったシステムを普及させて実現したい。
健康のために無理はしない
この発想はすごいですね。行動変容しないほうがよいと。
はい、そこまでは考えていませんでした。我慢は長続きしないので、我慢しないで済む行動変容がよいだろうくらいは考えていましたが。共同研究中の東京大学大学院情報理工学研究科谷川智洋特任教授に、食べているクッキーを大きく見せることで、満腹になりやすくするという実験結果を見せてもらったことがあります。行動変容を無理に生じさせないという意味では、これも近いのかと思います。
運動も、最近は一生懸命汗をかいてやる運動ではなくて、いわゆる筋肉を電気刺激する方法もありますね。身体的な機能についても、努力・苦痛を伴わずに維持できる時代になるんですかね。
そういう方法もあると思いますし、健康だけが目的ではなくてむしろ手段です。スポーツは楽しいことでもあるので、健康のために無理して行うのではない方法はあるかと思います。
運動こそ、個人差が大きく、個人の能力や思考など多様ですよね。これにはどう対応していったらいいんでしょうか。
絶対にここまでやらなければいけないというよりは、現状レベルから少しでも増やしていくことも大事なので、やはりパーソナライズして、皆が同じゴールを目指さなくていい、ということをちゃんと理解することかなと思います。現在取り組んでいる、健康づくりのための身体活動基準2013、指針の改訂版(本年度厚生労働省から発信予定)では、このあたりのメッセージも含まれる予定です。
その人にとって最適なゴールというのは、医学的には示唆できるものなのでしょうか。
はい、そうですね。医学だけでなく行動科学的な評価も含める必要があると思っています。スモールステップで進めつつ、中・長期的なゴールを立てる、という視点もあります。多くの疾患を抱えるなど運動を行うにあたってハイリスクな方の場合、安全域が狭いので、より精緻に設定する必要が生じます。
モチベーションの維持も大切ですよね。ゲーミフィケーションと呼ばれますが、ゲームの要素を取り入れて、利用者間で競わせたり、リワードを付与したり。もっと直接的に、ゲームを楽しむこと自体で健康を促進するというのもあり得るでしょう。実際、テレビゲームをさせることでADHD(注意欠如・多動症)のお子さんの注意機能を改善させるというものが、アメリカでプログラム医療機器として認可されています。ゲーム中に2つのタスクをさせることで、注意を上手く両方に払わせるよう訓練するのです。
ですので、疾患を予防する、健康を促進する、という目標に対して様々なアプローチが開発され、活用可能になってきているのだと思います。
職場で健康を維持するために
岸本さんは産業医という立場で、職場環境をこれからどう変えていこうと思われていますか。
先に申し上げたメンタルヘルスの問題は、なかなか難しい課題だと思っていますが、単純な啓蒙活動が有効な部分もあると感じています。
私が産業医としてかかわらせていただいているある企業では、人間関係が必ずしも良好な会社ではありませんでした。うつ病等による休職が後を絶たず、大きな問題になっていました。そこで、トップダウンでウェルビーイングを推進するんだというメッセージを発したり、人事の企画で私との対談を企画したりしたことで、少しずつ意識が変わってきました。復職された社員さんも、最近少し会社が変わったみたいだ、とおっしゃって、うれしかったです。
とはいえ、ストレスチェック等の自己申告も完全には当てにならないので、そこをデジタル化して社員さんたちのストレスを定量化できないか、というプロジェクトも進めています。
ストレスを定量化することはどのくらい進んでいるのでしょうか。精神科領域は利用できるバイオマーカーが必ずしも多い領域ではない印象ですが。
精神的な状態の定量が困難なのはご指摘の通りです。定量が難しいことは病気の予防や治療すべてにおいて足かせになりますので、私どもはうつ病の症状定量化を可能にする医療機器を開発中です。基本的にはAI技術を使うのですが、入力情報は、リストバンド型デバイスによる日常の活動や睡眠、脈拍などです。
ご質問のストレスの程度についても、心拍変動や唾液コルチゾール、皮膚電位などが客観的な指標として使われています。実際に、質問紙で聞き取るストレスの程度と、そういったバイオマーカーには一定の関係が見出されます。特に心拍変動は最近のデジタル技術で以前に比してずっと簡単に取得できるようになりましたので、今後の活用が期待されます。
職場環境を様々な角度からもう少し細かく評価できる時代が来るということですか。
来るでしょうね。ストレスチェック制度の導入でストレスの「見える化」はある程度図られていますが、1年に1度の施行では適切なタイミングで問題に対処しにくかったり、隠匿したりすることがどうしても起きてしまいます。デジタルツールでストレス状況をリアルタイムに定量化することも今後は可能だと思います。
小熊先生の領域ではどの程度パーソナルな評価というのは確立されてきているのでしょうか。
確立という意味ではまだ実際につながっていない部分が多いかと思います。運動は医療とは別のところで動いていることが多いので、医学的なアセスメントがあった上で、安全・安心な運動を行っていくということを一般の方にも啓発することが大事で、日本医師会はそこに力を入れています。
スポーツ庁と日本医師会で手を組んで、地域でもそういった仕組みがつくれるように、一昨年ぐらいから力を入れています(運動・スポーツ関連資源マップ構築)。まだこれからだと思います。民間の運動施設でも、パーソナルな評価ができること、医療機関と連携していることなどが今後ますます売りになると思います。
海外では仕組みづくりが進んでいるところもあります。日本では、診療報酬など、医師側のメリットが明確化していないこともあり、かかりつけ医など地域でしっかり医師がかかわって、運動施設などと連携している例は、まだ少ないです。
普段の診療の中では、評価がされていないということですね。
そうですね。診療の中で完結させる運動指導、運動処方ではなかなか時間もかかりますので。これからは健診と結び付けて、定期的な評価の場とし、コメディカルや運動施設等とも連携して、日常の運動の提案をする、といった一連の流れをつくるのも大事なのかなと思っています。
予防医療の次へ
移転後の予防医療センターでは、未来型予防医療の実現のため、「予防医療メンバーシップ」というメンバーシップ制の医療サービスを始めます。「予防医療メンバーシップ」では、プライマリードクターを中心としたパーソナルサポートチームが健康づくりをしていくわけですよね。プライマリードクターというのは、相当多岐にわたる知識が必要で、これをどうやって1人の患者さんに対して最適化・個別化していくのかが重要だと思います。
難しい課題ですが、将来的にはデジタル技術、AIの活用がカギだと思っています。知識レベルではAIは人間の医師を超えますし、日常の行動や睡眠が可視化され、疾患との関連が見出されれば、オーダーメイドのリコメンデーションがしやすくなると思います。人間の医師はこうした技術を上手く活用しながら、それぞれの利用者さんの目線で支援していくといったように。
予防医療センターでプライマリードクターがチームをつくって、その人たちが同じレベルで、どんな人にも対応できるようになっていくのですか。
専門以外の分野についても正確な知識が必要になります。このため受診者との面談前に、プライマリードクターを中心とした医師、看護師から構成されるコーディネーター等のメディカルスタッフが集まりチームをつくり、しっかりとしたカンファレンスを行います。
予防医療センターのデータだけではなく、必要であれば慶應義塾大学病院や他の施設での受診者のデータも可能な限り収集して、併せて総合的に判断したいと思います。総合的にチーム医療を行っているということを示すことにより、受診者との信頼関係を築いていきたいと思います。
それは大事ですね。個人の方のデータをきちんと把握しているかということですね。
今後、診断方法や治療方法はどんどん進歩していきます。自分の専門分野以外のことに関しては、他のプライマリードクターが診るのがベターだと思ったら、「この部分に関してはこちらのドクターがいいと思いますから一度相談して下さい」と言える環境づくりも大切だと思っています。沢山の専門家が揃っているということも、予防医療センターの強みになると思います。
また、予防医療センターは、病気の予防ももちろんですが、事故の予防にも力を入れたいです。転倒防止だけではなく、例えばお風呂での溺水で亡くなる高齢者が年間6000人近くいらして、こうした事態に対しても対策を考えていかなくてはいけない。心筋梗塞や脳卒中の6、7割は家で起きています。この対策は予防医療センターだけではできませんので、優れたセンサリング技術を持つ企業とタッグを組み、夜間就寝時や入浴時などに何かあった時にすぐにアラートが出て、救急対応ができる体制の構築を、塾医学部救急科と目指しています。
患者さん、受診者の立場から言うと、これは安心材料ですね。それには、日常生活の見守りのデバイスが生かされていくのでしょうね。
はい。身に着けるのではなく、装着しなくても見守りができる技術も次々に開発されています。私どもも家に設置するタイプのセンサーを活用した研究も行っていますが、精度を向上させるだけでなく、プライバシーの問題など難しい面もあります。社会実装を進めていくうえで、倫理的、法的、社会的な課題の議論も必要です。
慶應義塾としては、未来型予防医療のあり方を模索していく。それによって、ウェルビーイング社会を先導していきたいと考えています。今日はそれぞれのご専門の立場から、非常に興味深いお話を伺えました。これからも皆さんと力を合わせて、幸福な未来社会を先導していきたいと思います。本日は有り難うございました。
(2023年9月19日、信濃町キャンパスにて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。