慶應義塾

【特集:SFC創設30年】SFCの情報技術教育

執筆者プロフィール

  • 中澤 仁(なかざわ じん)

    環境情報学部 教授

    中澤 仁(なかざわ じん)

    環境情報学部 教授
  • 安宅 和人(あたか かずと)

    環境情報学部 教授

    安宅 和人(あたか かずと)

    環境情報学部 教授
  • 植原 啓介(うえはら けいすけ)

    環境情報学部 准教授

    植原 啓介(うえはら けいすけ)

    環境情報学部 准教授
  • 萩野 達也(はぎの たつや)

    環境情報学部 教授

    萩野 達也(はぎの たつや)

    環境情報学部 教授
  • 服部 隆志(はっとり たかし)

    環境情報学部 教授

    服部 隆志(はっとり たかし)

    環境情報学部 教授

2020/10/06

SFC開設と情報技術教育

筆者の中澤が1994年に総合政策学部5期生として入学したとき、SFCの特別教室(いわゆるコンピュータ教室)やメディアセンターには、OMRON Lunaや高岳製作所のXMiNTというワークステーション(XMiNT は正確にはX端末)が設置されていた。私を含む学生は、夜遅くまで、場合によっては翌朝まで、ワークステーションのキーボードを叩き、LaTeX を使ってレポートを書いたり、C言語のプログラムを書いたり、あるいは電子メールの読み書きをしたりしていた。

SFCはインターネット前提で構築されたキャンパスだから、情報技術や情報リテラシーは全学生の身だしなみである。ということで、総合政策・環境情報の別を問わず、学部1年生から上記のようなワークステーションを使ったプログラミングやデータサイエンスの授業があり、これは今でも変わらない。

プログラミング教育を両学部全学生に対して行う目的はいろいろあるものの、主なそれはメタレベルの思考能力を養うとともに、身の回りの成り立ちを理解することにある。インターネット前提の社会では、そこで生じる様々な問題を発見するために、インターネットそのものはもちろん、その上で動作するプログラムの作り、プログラムの動作など、身の回りの成り立ちを理解していなければならない。その上で、社会で見られる事象を抽象的に捉え、それを自分の頭で考えて解決を図るというメタレベルの思考能力が大変重要である。

学生が「プログラムを書けるようになる」ということは素晴らしいことではあるものの、仮にそこまでいかなくても、プログラミング教育を通じて得られるこの力は、実世界の問題発見、解決のプロセスにおいて極めて大切である。

データサイエンス教育も、SFCは開設当初より重視している。今世紀に入って特に近年「エビデンスベイスド」がよく聞かれる言葉となったが、SFCでは前世紀より、問題を正しく捉え、解決策の効果を客観的に評価する際の手法として、やはり総合政策・環境情報の別を問わず、学部1年生からデータサイエンス教育を実施している。科目の選択肢は幅広く、手法としては基本的な統計解析から深層学習を含むデータマイニング技術まで、また応用との関係では国際社会、スポーツ、生命動態、環境ガバナンス、ビジネスなどを対象としたそれらまで、様々に存在する。

これらの授業を通じて、社会問題を分析する実証的な研究を行うための基礎的な知識を習得できる。学生は、これらを必要に応じて履修し、自らの研究に活用することができる。

情報技術教育の新たな課題

このようなSFCの根本的な考え方は現在まで受け継がれており、プログラミング教育もデータサイエンス教育も学部を問わず行われている。一方で、社会の変遷や技術の進歩によって、徐々に変化している部分もある。SFC開設時に「パソコン」ではなくワークステーションを活用した理由は、分散システムを用いて教育環境を革新的に向上させたかったからである。マサチューセッツ工科大学(MIT)のProject Athenaから多くの示唆を得たこの考えを実現するには、ネットワークに繋がるコンピュータが必要であった。

SFCが開設された1990年はWindows 3.0やMacintosh Classicが発売された年で、いわゆるパソコンがネットワークに繋がる状況ではなかった。従って、UNIXサーバとX Window System、NFSをベースとしたCampus Network System(CNS)を構築し、そこにワークステーションを繋げたのである。

SFC開設当時は学生の誰も、また教員もごく一部を除いて、X Window System はもちろん、電子メールも、LaTeX も使ったことがない。その意味で、学生も教員も同じスタート地点に立てたのが特徴だった。しかし現在は、情報教育が小学生から始まり、日常生活にインターネットが浸透したことから、学生も教員も多様化した。新入生も、プログラミングを得意とする学生から、「無理」と言って最初から匙を投げる学生まで様々である。

そうした中で、情報技術に関する教育の革新が必要となってきている。特にプログラミング教育に関しては、例えば英語の語学教育がレベル別であるように、学生の熟度に合わせた新たなカリキュラムが必要となってきている。また、データサイエンス科目とプログラミング科目との接合、一般科目とそれらとの接合もまた、重要となってきている。

機械の観点では、当初SFCが目指したインターネット前提キャンパスは、UNIXでなくとも実現可能となった。このため2000年ごろよりUNIXワークステーションに代わってWindowsやMacintoshのパソコンが特別教室に導入され、SFCはかなり普通の大学キャンパスになってしまった。インターネットに繋がったスマートフォンを持っている学生にとって、そのようなSFCは真新しいものではない。

この状態で、いわゆる普通のパソコンをインターネットにつなげて教室に置いておくことには、ほとんど意味がなくなっている。これはたとえれば、小学生が使う鉛筆を、先生が買ってあげて毎日削ってあげて、机の上に消しゴム付きで並べてあげるという状態に他ならない。従って、もはや文房具並みに一般化したコンピュータを、文房具として自ら自由に使いこなせる力が学生には重要となっている。

現在のSFCの情報技術教育 ──カリキュラム改定

そこで今年度よりSFCでは、新入生を対象とした情報基礎科目で、これまでのJavascriptとHTMLを題材としたものに代わって、Python(パイソン)を主体としたものを導入している。Pythonは、データサイエンスでよく使われるプログラミング言語であるとともに、もちろんそれ以外のあらゆる分野で活用できる。ただしプログラミング言語の中では易しめの部類に入るスクリプト言語であることから、もともとプログラミングが得意な学生にはよりチャレンジングな選択肢を用意しておく必要がありそうだ。

またデータサイエンス科目と同様に、様々な応用分野に特化したプログラミング科目を設けて、学生が自らの研究に役立てられるようにすることも検討されている。例えば街とプログラミング、アートとプログラミング、あるいは経済とプログラミングなど、機械による計測や処理、可視化などを特定の領域に特化して取り上げることは、複数の学問分野をまたがるSFCでの学びに適している。

データサイエンス分野においても、これまで実施してきた応用領域ごとの授業を継続するとともに、手法とデータの双方にフォーカスした教育を推進していく。統計解析やデータマイニングの手法を授業で取り上げることは当然として、今後はそれが対象とするデータの独自性が重要となる。公的な研究機関等が整えた一般的なデータセット群に加えて、SFC独自のデータセット群を構築することが、特色ある研究・教育を推進する上で極めて重要である。

レアアースから特色ある物質が生まれるのと同様に、レアデータからは唯一無二の研究成果が生まれる。そこで現在、SFCが独自につながる様々な企業や自治体等と協力して、人や地域、社会に関するデータを網羅的に収集・整備する計画が始まっている。結果として構築される大規模データ基盤と、プログラミング科目、データサイエンス科目、および様々な一般科目とが相互に連携することで、SFCの教育・研究はより豊かになっていく。

同じく今年度、SFCでは一部を除く特別教室から全てのパソコンを撤去して、いわゆるBYOD(Bring Your Own Devices)をさらに推進した。もともとSFCでは学生が自分のノートパソコンを教室に持ち込んでノートを取ることが一般的だったが、新入生の情報技術科目は特別教室に設置したパソコンを用いて実施されていた。

しかしこのことは、前述のように、学生が自らのコンピュータを電子文房具として使いこなす力をスポイルする。そこでプログラミングを含む情報技術の授業においても、自らのパソコンに自ら環境を構築し、ウイルス等へのセキュリティ対策も自ら行うということを徹底することにした。学生はWindows でもMacでも、自分の好きなパソコンを入手すれば良いことになっている。このため情報技術の授業では、環境を統一できない分、授業の実施が複雑になる。今年度のオンライン授業では、それぞれ環境の異なる学生のパソコンで、教員やTA・SAが遠隔からプログラムの不具合に対応することは容易ではなかった。けれども、大学のパソコンに依存せずに情報技術科目の授業を実施可能としておいたことが、大きな問題なくオンライン授業を実施できたことの1つの要因だったと言える。

これからの30年

SFCが開設されて30年が経ち、その間に様々な技術が進歩した結果、これまでにないプログラミング教育やデータサイエンス教育が可能となっている。その一方でキャンパスの設備、特にキャンパス・ネットワークの設備は、開設当初と比較して機能的にはさほど変わっていない。これからの30年で、SFCにはまず大規模データ処理を可能とするクラウドシステム基盤が必要である。これを用いてものを定量的に考える力を高めることは、社会における問題発見・解決の能力に直結する。また、仮想化されたコンピュータや、その上で動くAIを自らのプロジェクトに役立てる力は、今後の社会で重要となるだろう。

次に、全く新しいコンピュータ・アーキテクチャに関する素養が必要となる。量子コンピュータのような革新的なアーキテクチャが可能とする新しい常識を学ぶことが、やはり問題発見・解決の能力に直結する。このような、総合政策学部、環境情報学部、政策・メディア研究科の卒業生に新しい力を生み出す教育とその基盤を見極めて、着実に実装していくことが、これからのSFCにおけるプログラミング教育とデータサイエンス教育で極めて重要となる。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。