慶應義塾

【特集:SFC創設30年】はじまりの終わり、終わりのはじまり

執筆者プロフィール

  • 脇田 玲(わきた あきら)

    環境情報学部 学部長

    脇田 玲(わきた あきら)

    環境情報学部 学部長

2020/10/05

画像:2019年ドローンによる撮影(武田圭史研究室提供)

SFC開設30周年を迎えるにあたり、「SFCのこれまで、SFCのこれから」をテーマに執筆のご依頼をいただいた。このテーマを私なりに咀嚼していく中で「はじまりの終わり、終わりのはじまり」という言葉がでてきた。私は学者としては半人前、美術家としても半人前という立場で、首尾一貫とした論考を到底書き得ない存在なのだが、せっかくいただいた機会でもあるので、恥を承知で思うところを文章にしてみた。

はじまりの終わり

SFCは「はじまりの終わり」を迎えようとしている。1990年に開設されたSFCは怒濤の勢いで日本の教育と研究を変えていった。インターネット文明とグローバル化を前提とした情報環境と多言語教育、24時間キャンパス、分野横断型の研究、授業評価システム、教員と学生の共創による授業運営、AO入試。現在は当たり前となった多くの試みがSFCから生まれ、日本全体に普及していった。

その中で、もっとも大きな貢献は未来をつくる人材の育成だった。残念なことに卒業生が社会に出はじめた1994年からしばらくの間は「すぐに会社をやめる」「組織に順応しない」「使いづらい」との評判を耳にすることが多かった。しかし、それから25年ほど経ち、多くのSFCの卒業生が社会の重要なポジションを占めていることは世間の知るところだ。今になって思えば、古色蒼然とした企業が新しいビジョンと能力をもった若者をうまく使いきれなかったのであり、卒業生がそのような化石のような組織(失礼)をすぐに退職しようと思ったのも当然のことである。飛び出した若者たちは様々な場所で新しい会社をつくった。クックパッド、楽天、Spiber、Sansan、Takram、コロプラ、GREE、カヤックなどなど枚挙にいとまがない。今や、情報通信、デザイン、バイオなどの領域で、SFCの卒業生の存在感は圧倒的である。

これは一例に過ぎないが、多くの卒業生の活躍により、SFCが掲げたビジョンは社会に普及し、慶應義塾の内部にも浸透し、様々なシステムは情報化・グローバル化を成し遂げようとしている。情報政策、新規産業育成、国防、教育政策などを進める中枢にも多くのSFCの研究者やOB・OGが関わっており、かつて藤沢市の片田舎で始まった挑戦は、いまや国家を動かすまでに至った。

ここまでが「はじまりの終わり」。1つの物語はハッピーエンドを迎えようとしている。日本のインターネットの父と呼ばれる村井純教授が昨年度をもって環境情報学部を定年退職されたことは象徴的だ(現在は慶應義塾所属の教授)。石川忠雄元塾長が音頭をとってはじまった大学改革は、SFCの開設30年を経てその目的をほぼ達成し、終わりを迎えようとしている。

これは多くのSFC関連書籍にも書かれている内容なので、世間に共有されているSFCの物語といってよいだろう。SFC関係者も自らの存在をそう認識している、いわばSFCのアイデンティティだろう。しかし、現状認識をする際には、自ら認識している部分だけをとりあげても、それは不十分であり、不誠実であり、全体像は浮かび上がらない。自らが認めたくない面、さらに無意識的に認めることを避けて識閾(しきいき)の奥底に押し込めていることにも光をあてなければならない。

終わりのはじまり

そこで出てくるのが「終わりのはじまり」という認識である。この言葉はとても曖昧で解釈に多様性がある。その曖昧さや多義性にのって、今後のSFCのシナリオはいくつも生まれる。

すぐに浮かぶのは、これから30年かけてゆっくりと終わっていくという解釈だ。これまでの30年間でSFCは安定化した。自然物も人工物もあらゆる系は安定に向かう傾向がある。SFCも例外ではない。この状態を維持することを目的化すること、つまりシステムの安定を目的とすることが、もっとも楽な方法だ。

これはSFCの精神にとっては死を意味する。社会の先導者たるを欲するSFCは、常に挑戦してきた。挑戦には失敗がつきもので、程度の差はあるが、それは安定した運営と矛盾する。小さなリスクを早期に発見して潰す。大きな意思決定は安定した方向に振る。データ、経験、理性に基づいて、安定重視の意思決定をし続けると、いつの間にか社会の水位がSFCを追い越し、他大学との差別化ができなくなり、普通の大学になっていく(現在の我が国の状況はこのような意思決定の積み重ねの結果なのだとも思う)。

SFCのスピリットが死ぬとは、普通の学部になるということだ。慶應義塾の学部の1つとして延命を図り、情報化した社会の中で自らをスタンダードとしてポジショニングすることだ。教員でも学生でも職員でも、SFCのメンバーは常に独立自尊、自我作古の精神で、アウェーの道を歩んできた。世の中のスタンダードとして生きることは、この精神を置き去りにして、先人の業績の上にあぐらをかいて、余生を生きることである。

先輩方がこれまでなし遂げてきたことがあまりにも大きく、その上、安定してイノベーティブな人材を生み出すシステムも作り出したので、それを守ることに躍起になる。保守的になる。レピュテーションリスクといった言葉を気にしはじめる。学部長として運営に携わることで、この傾向がとても強いことに気がついた。

繰り返しになるが、安定化の流れが生まれるのは当然のことなので、SFCとてその流れを避けることはできないし、そのような志向をもった個人が悪いのではない。だが、その流れをよしとしない人、SFCスピリッツに満ちた教職員や学生もまだまだ多い。安定化の大きな流れに全力で抗うことはできる。どこまで抗うのか、どのように抗うのか。

ちょっと過激なことを言えば、30年も生き残らずに、20数年で終わりになっていれば、SFCは伝説になっていたのかもしれない。たとえが少々偏っているかもしれないが、伝説に残るミュージシャンの多くは27歳で人生の幕を閉じている。ジミ・ヘンドリクス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン、カート・コバーン、等々。ヘルシーになってミネラル・ウォーター片手に還暦や古希を祝うロック・ミュージシャンが増えているが、そんなもの全然魅力がないではないか。

卒業生もそんなSFCは見たくないだろうし、魂が死ぬくらいなら、破滅するくらいにラディカルに活動して、伝説になればよかったのかもしれない。少々過激な話になったので、ここで一呼吸して、「終わりのはじまり」を別の角度からの解釈を考えてみたい。

第2創業としての「はじまり」

2つ目の解釈は、微分値を短くとることで見えてくる。これから30年かけてゆっくりと終わっていくという解釈ではなく、過去30年の流れはロケットと一緒で急に止めることはできないので、あと数年かけてそれを終わりにして、新しいことを始める。そのための撤収作業が始まったという解釈だ。SFCの第2創業である。

環境情報学部の場合、これまではテクノロジー、サイエンス、デザインをカバーしてきたが、アートはぽっかりと抜け落ちていた(才能あふれるアーティストが教鞭をとる時期も一時はあったが、皆他大学に移動していった)。ここで議論したいアートとはもちろん広義のアートのことであり、単なる作品そのものを超えて、その思想や態度、研究者個人の洞察力や特異性といったものを重視した社会へのアプローチを意味する。

ヨーゼフ・ボイスは社会彫刻という概念を生み出したが、彼のいう芸術家とは、自ら考え、自ら決定し、自ら行動する人々のことであった。ボイスは芸術概念を拡張しようとした。社会と関わる全ての活動を社会彫刻と呼んだのだ。誰でも未来に向けて社会を彫刻しうるという視点は希望に満ちている。社会彫刻集団としてSFCを捉え直すことはどこまで可能であろうか。

この考え方は決して突飛なものではなく、過去30年のSFCの在り方を引継ぎ、さらに発展させるものでもある。これまでのSFCは「問題発見、問題解決」を重視していたが、どちらかというとテクノロジー、デザイン、ポリシーといったものをツールとしてソリューションを提供することに重きが置かれていたように思う。問題解決を重視してきたのだ。その中で、問題発見はちょっとした気づきという位置づけに過ぎず、その意味や可能性が深く追求されてきたとは言い難い。

「問題発見」に向き合う

これからのSFCはアートでいくというシナリオは、閑却されてきた「問題発見」と丁寧に向き合うことでもある。個人の特異性から世界を眺めるとき、そこにはユニークな視野が生まれる。そのユニークさをプロジェクト化して社会に投げ込むとき、そこに新しい可能性が生まれる。それは成熟した今のSFCにもっとも必要なものかもしれない。

先の見えない社会にあって、アーティスト的な思考を用いてあらたな方向性を指し示す人、国家が決めた未来ではなく自ら主体的に未来を作り出せる人、そのような人材を育成する場所としてSFCは適しているように感じる。ボイス的な意味で社会をシェイプする芸術家集団として、SFCを捉え直していくと、いろいろと可能性が生まれるだろう。

ブラック・マウンテン・カレッジという学校が1933年から25年間だけアメリカのノースカロライナに存在した。ジョン・デューイの理論を下敷きとして、バックミンスター・フラーやジョン・ケージらが実験的な芸術教育を行ったことで知られている。フラーの最初のジオデシックドームはここで作られたものだし、ケージの最初のハプニング・パフォーマンスもここで開催された。異なる領域を積極的に認めあい、分野横断を推奨する文化、ホリスティックなリベラルアーツ教育、教育と実験的活動の両立など、SFCと類似する点も多い。1957年に資金難により惜しまれながら閉校するが、伝説として今でも語り継がれている。

あと5年で「これまで」の状態を撤収し、残りの25年をブラック・マウンテン・カレッジのように実験的に生きるのも悪くない気がする。福澤先生は「一身にして二生を経る」と仰ったが、大学にもそのような在り方があってよいのではなかろうか。

精神を解放せよ

3つ目の解釈は少し煙に巻く所があるのだが、ご容赦いただきたい。例えば、こういう解釈も可能であろう。「はじまりの終わり」と「終わりのはじまり」は連続するものではない。それらは分け難く存在しているかもしれない。「はじまりの終わり」なのか「終わりのはじまり」なのか曖昧とした感覚の中に身を置くのだ。

巻き戻される未来。リワインドするシステム。そのような在り方を生み出すことができれば、SFCは引き続きSFCらしく生きていくことができるだろう。折しも現在は、新型コロナウイルス感染症のために、未来が見えなくなった時代である。未来が過去に消えていった時代である。未来を巻き戻すシステムを自己生成することは可能か? もしくは、過去と未来が複雑に分岐・結合を繰り返している時空間をSFCの中に作り出すことは可能か?

我々はどの程度まで精神を解放し、フローの存在として自分を見つめられるか?

「この世界を変貌させるものは認識だと。いいかね、他のものは何一つ世界を変えないのだ。認識だけが、世界を不変のまま、そのままの状態で、変貌させるんだ。認識の目から見れば、世界は永久に不変であり、そうして永久に変貌するんだ」(三島由紀夫『金閣寺』)

認識こそが世界を普遍のまま、世界を永遠に変え続けることができる。

過去の文脈に囚われず、即物的な時間や空間の概念から自由になれるか。精神を解放し、自分の専門から自由になれるか。学者という概念、大学という概念から自由になれるか。

わかる人にはわかるだろうが、わからない人には全くわからない話である。しかし、SFCを開設したメンバーはそんなことを考えていたように思うのだ。

以上、1990年代に学生としてSFCに学び、2020年代には環境情報学部長としてSFCで大学運営をしている立場から、「SFCのこれまで、SFCのこれから」というテーマで私見を述べた。40代の若造が上から目線で批評しているように捉えうる部分もあるが、その点はこの場でお詫びするとともに、読者の皆様には著者の未熟さをご容赦いただければ幸いである。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。