登場者プロフィール
吉田 文(よしだ あや)
早稲田大学教育・総合科学学術院教授1981年東京大学文学部国史学科卒業。89年同大学院教育学研究科単位取得退学。博士(教育学)。2008年より現職。専門は教育社会学、高等教育論。著書に『文系大学院をめぐるトリレンマ』(編著)等。
吉田 文(よしだ あや)
早稲田大学教育・総合科学学術院教授1981年東京大学文学部国史学科卒業。89年同大学院教育学研究科単位取得退学。博士(教育学)。2008年より現職。専門は教育社会学、高等教育論。著書に『文系大学院をめぐるトリレンマ』(編著)等。
有沢 正人(ありさわ まさと)
その他 : カゴメ株式会社CHO〔最高人事責任者〕、常務執行役員商学部 卒業塾員(1984商)。大学卒業後、協和銀行(現りそな銀行)入行。銀行派遣にて米国でMBAを取得。HOYA、AIU保険等を経て2012年、カゴメ入社。人事面におけるグローバル化の統括責任者として活躍。
有沢 正人(ありさわ まさと)
その他 : カゴメ株式会社CHO〔最高人事責任者〕、常務執行役員商学部 卒業塾員(1984商)。大学卒業後、協和銀行(現りそな銀行)入行。銀行派遣にて米国でMBAを取得。HOYA、AIU保険等を経て2012年、カゴメ入社。人事面におけるグローバル化の統括責任者として活躍。
稲蔭 正彦(いなかげ まさひこ)
メディアデザイン研究科 委員長メディアデザイン研究科 教授1982年オベルリン大学卒業。83年カリフォルニア芸術工芸大学大学院ビデオアート芸術修士課程修了。99年慶應義塾大学環境情報学部教授を経て2008年より現職。専門はエンタテイメントデザイン等。
稲蔭 正彦(いなかげ まさひこ)
メディアデザイン研究科 委員長メディアデザイン研究科 教授1982年オベルリン大学卒業。83年カリフォルニア芸術工芸大学大学院ビデオアート芸術修士課程修了。99年慶應義塾大学環境情報学部教授を経て2008年より現職。専門はエンタテイメントデザイン等。
神成 文彦(かんなり ふみひこ)
理工学部 教授塾員(1980工、85工博)。工学博士。2000年より現職。専門は量子エレクトロニクス、レーザ工学。博士課程教育リーディングプログラム オールラウンド型・プログラムコーディネーター。
神成 文彦(かんなり ふみひこ)
理工学部 教授塾員(1980工、85工博)。工学博士。2000年より現職。専門は量子エレクトロニクス、レーザ工学。博士課程教育リーディングプログラム オールラウンド型・プログラムコーディネーター。
松浦 良充(司会)(まつうら よしみつ)
その他 : 常任理事【教育担当】文学部 教授1982年同志社大学文学部卒業。87年国際基督教大学大学院教育学研究科博士後期課程在学要件満了後退学。2002年慶應義塾大学文学部教授。15年同学部長。21年常任理事。専門は教育学、比較大学史・大学論。
松浦 良充(司会)(まつうら よしみつ)
その他 : 常任理事【教育担当】文学部 教授1982年同志社大学文学部卒業。87年国際基督教大学大学院教育学研究科博士後期課程在学要件満了後退学。2002年慶應義塾大学文学部教授。15年同学部長。21年常任理事。専門は教育学、比較大学史・大学論。
2022/10/05
大学院教育の役割の多様化
今日は日本の大学院のあり方について、皆さんと様々な意見交換ができればと思っています。
文科省の政策としても今、大学院改革は非常に大きなポイントになっています。これは「知識基盤社会」「Society5.0」「データ駆動型社会」など、いろいろな言い方をされますが、社会の急激な変化の中で、高度な知的能力を持ち、それを操作できる人材を育成していく。あるいはイノベーションを担っていける人材を育成するために大学院に対する期待が非常に高まっているのだと思います。
慶應のことを申し上げれば、慶應は10学部の枠組みが強く、ここまで来ているかと思います。そして大学院に関しては、伝統的な学部の上にある大学院だけではなくて、稲蔭さんが委員長を務める日吉のメディアデザイン研究科を始めとする社会課題系の独立大学院も創られてきた。現在14の研究科を擁し、バリエーションが豊富にはなっています。また神成さんにご尽力いただいている「博士課程リーディング大学院」のプログラムという研究科横断の試みも行われています。
しかし、慶應全体で大学院のことを考える機会はなかなかない。これから研究の振興や、また逆に学部を充実させるためには、大学院もより魅力的なものにしていかなければいけない、と考えています。
慶應は学生数では、学部生の割合が非常に多く、85%を占めます。早稲田も82%ぐらいです。国立は比べるのが難しい部分もありますが、東大などはほぼ半分ずつということで、慶應のほうがずっと学部の比重が大きい。教授会組織は独立研究科以外は学部が主流となっていますが、変えていかなければいけないところも当然あると思います。大学院をさらに充実していくのであれば、どういう道があるのか。ご意見をいただければと思います。
国際的に見ても、日本は学士課程の修了者に比べて修士・博士の数が少ないことも指摘されていますが、皆さん、それぞれどういった関心があるのかというところからお話しいただければと思います。稲蔭さんいかがでしょうか。
大学院メディアデザイン研究科(KMD)というのは、ご案内いただいた通り、学部がなく大学院しかないところです。そういう意味では、塾内ではマイナーな存在ですが、逆に、学部がないことでできることや、メリットも立ち上げの段階でいろいろ検討しました。
私自身はアメリカで学部、大学院を過ごしていますが、学部の時はリベラルアーツと呼ばれる、4年間、自分探しをするような時間で、幅広く、経済学や演劇、作曲やコンピューターのプログラミングを学び、自分の関心のあるところを履修しました。その中で自分の適性を見つけ、それを大学院で深掘りをするというのが、米国の大学・大学院のあり方でした。
私の場合、経済学というメジャー(専攻)で学部は卒業しましたが、大学院では様々な技術を使った表現の可能性に興味を持ち、新しい技術を開発しながら、それによる新しい表現を研究してきました。
このように大学院での学びというのは、深掘りをして自分の専門性を高めていくことでしたが、だからといってアカデミアに残ることは最初から想定外でした。映画の世界などクリエイティブな表現ができる場所で就職をする、様々なビジネス界で自分が仕事をできるための準備を大学院でしていました。
幸運なことにMITのメディアラボという、最先端のデジタル研究所の開設に立ち会うことができました。その経験が、現在、メディアデザイン研究科という大学院をつくる時に役に立っています。
KMDも学術界に残る人も育てますが、一番は社会に出て、自分の専門性を生かし、社会を変えていくことができる新しいタイプの人材を育てていきたいと考えています。理論的な部分も教えますが、実践的なことに重きを置き、社会にどのぐらい自分のアイデアが活用されるかというインパクトを証明することで学位を出してきました。
大学院はアカデミアのエキスパートを育てるという側面もありますが、片やグローバルの世界ではある一定の社会的なステータスとして教養を高め、専門性を高め、実践力を高めるために大学院で学ぶということが常識になっています。日本はある意味特殊な事情に止まっているので、これから変わっていくのだと思います。
私は文科省が2011年から開始した、リーディングプログラムという博士課程の5年間一貫のプログラムに関わっており、中でも「オールラウンド型」という文系・理系を超えて総合的に大学全体で教育するというプログラムのコーディネーターを、10年近くやっています。
リーディングプログラムというのは、かなり特殊なもので、産業界、そしてグローバルな舞台で活躍できるリーダー、本当のエリートを育てるという目的でやっているものです。
慶應の場合、文理融合ということで、修士課程を3年と捉え、3年の間に大きな意味での文系と理系で2つの修士を取る、ダブルメジャーをして、残り2年間で博士を取らせるというプログラムにしています。社会課題解決のためのプロジェクトベースドラーニングには産業界からメンターの方に参加していただいています。そういう特別な人材を育てるための1つの方法かと思います。
一方、大学院全体の問題としては、文科省などは研究力向上のため、理系にしても文系にしても、他のOECD諸国に比べたら学生数が少ないことに大きな問題意識を持っているようです。日本の場合、理系は修士課程まではかなりの人が行きますが、その先は企業でのOJTがしっかりしているので、あえて自分で学費を出して学位を取らなくても、会社で最先端のことを学ぶことができるという、ある意味安定解に陥っているのだと思います。
文系の場合も学部卒で産業界に入ると、よく商社の方などが言う修羅場体験と呼ぶような、人を育てるメカニズムがあるので、あえて大学院に行かなくてもOJTで仕事を身に付けることができるのが日本の特徴でした。
この安定解をどこかで変えないと、大学院に行って産業界に活かすスキルを学ぼうという方向にはなかなか行きません。では、どこがトリガーとなるのか。なかなか難しい問題です。
文科省も今回、JSTのSPRING(JST「次世代研究者挑戦的研究プログラム」)というもので、博士課程6千人に毎月20万円くらいの奨学金を与えるという形で、かなり経済的支援が進むようになりましたが、それで本当に回るのか均衡点ができ上がってしまっているので、なかなか動かしにくいところもあると思います。
苦戦する文系大学院
稲蔭さんと神成さんの話は「慶應の大学院は新しいところに進んでいるぞ」という一側面ですが、私は社会学研究科の委員でもありますが、三田の大学院は現在、学生募集でもかなり苦戦しています。今、中央教育審議会の大学院部会でも「人文学社会科学系の大学院を何とかしなければいけないのでは」という議論が進んでいます。
吉田さんは、まさに『文系大学院をめぐるトリレンマ』という編著書を出されました。三重のいろいろな困難に人文学社会科学系が直面している。文理融合や研究科横断といっても、元気がいいのは社会課題系や理工系だけだと、人文学、社会科学がどんどん落ち込んで、総合知や文理融合に進んでいかないのではないか。それではせっかくの総合大学の強みも生かせない。
伝統的にディシプリン中心で、研究者養成などを担ってきた文系の大学院をそこにどう組み込んでいくのかが、まさに安定解や均衡点を崩していくカギなのではないかと思います。吉田さんいかがでしょうか。
今ご紹介いただいた本では、まさしく「いったい日本はなぜ、大学院を拡大しないのか。そこを明らかにしよう」という研究をしてきました。
誰がトリレンマのアクターかと言いますと、1つは大学そのものですし、もう1つは学生、そしてもう1つは労働市場ということで、やはりそれらが循環しないのが日本の特徴で、そこをどのような形で明らかにするかということを実証してきました。
日本が大学院の拡充政策を始めたのは1990年代で、そのときの論理は「諸外国のエグゼクティブは大学院の学位を持っている人が多いのに、なんで日本だけ少ないんだ。これでは後れをとる」ということ。大学院を拡大すれば必然的に社会が受け入れ、労働市場は大学院卒を雇用するだろうと、ある意味、楽観的に拡大してきました。
そして1960年代の景気が良かった時代と同じ論理で進んでしまった。これは間違いでした。60年代は理工系が大学院化を進めますが、この時代は高度経済成長期で非常に余裕があったのです。企業の方も、できる学生が大学院に行くので、「修士卒はできるじゃないか」と、非常に上手く循環が進んでいきました。理工系ではドクターまで行かなくとも、修士までは行くのが当たり前という構造が、慶應でも早稲田でもでき上がっています。
それを90年代に文系大学院に当はめようと思った時、一番の問題は90年代の経済状況でした。バブルが弾けて非正規雇用が増えてくる時に、なぜ大学院を拡充したか。理工系と違い、文系の場合は積み上げてきたものを見せにくい部分があるので、修士を取っても変わらないではないか、と労働市場が興味を示さなくなってしまった。
でも、政策的に拡大しなければいけなかったので、どこの大学も拡大する。定員未充足だと問題になるので何とか定員を埋めなければと、ある意味、不幸な時代につくってしまったということがあります。結果的に大学院進学率が高まらず、労働市場での採用が進まなかった。
日本は世界の中でたぶん唯一と言っていいくらいドクターの学生数が減少している国です。2019年にドイツで日本の状況をお話ししたら、世界の主な国から「ドクターの学生が減っているというのは、いったいどういう国なんだ」と、非常に驚かれた。ドクターに行ってもキャリアがないと話をしたら「不思議な国だね」と言われる。
じゃあ、他の国は上手くやっているのかというと必ずしもそうでもなくて、やはりいろいろな試みをして、大学院生がきちんと社会に受け入れられる人材になっていることを証明する努力をしてきているんですね。そういう努力が今後、日本の大学に求められるのかなと考えています。
企業が期待するもの
ちょうど吉田さんが上手くつないでくださいましたが、われわれが送り出す人材を採っていただく立場の有沢さん、お願いします。
私は商学部卒業後、当時の協和銀行、今のりそな銀行に入り、国有化も経験しました。その時にアメリカのワシントン大学というところにMBAを取りに行かせていただきました。
その後、HOYAという精密機器工業の会社、そして世界最大の保険グループであるAIGグループのAIU保険という外資の保険会社で人事担当役員に就任しました。そのあと2012年にカゴメに入り、現在CHOとして経営戦略と人事戦略を結び付ける仕事をしております。
正直、企業の中で大学院教育の重要性を本当にわかっている人は、昔も今も少ないのが現実ではないか思います。つまり「世の中に貢献する専門性を高めるのが大学院の大きな機能の1つである」ということへの企業側の理解が、まだ足りていないと思います。
ただ、やはり人事として思うのは、まず大学生にはリベラルアーツをきちんと学んでもらいたいということです。そして大学院に進むからには、「なぜ、自分は大学院に進んだのか」、必ずWhatとWhy、「何をやるのか」「なぜ進むのか」をきっちりと説明できるようにしてほしいと思います。
新卒採用の面接をしていて大学生と大学院生はレベル感が全然違うと感じています。うちは理系の大学院生を塾からも、何人か採用させていただいていますが、非常に専門性が高く、特に研究職という即戦力としてご活躍いただいております。
そして神成さんがおっしゃったような「企業にはいったらOJTでやってくれるはず」というのは、現実には企業にはその余裕はなくなってきていると思います。ある意味「OJT」に頼った人材育成は幻想だと思っていただいてもよいのではないかとさえ感じています。そういった意味からも企業サイドとしては大学で、「リベラルアーツをしっかり学んできてほしい」と考えている会社が多いのではないかと感じています。企業はある意味社会人としての専門性を身に付ける教育をしたいと思っているので、その部分については大学側に強く要望したいところです。
また修羅場体験という話がありましたが、特に慶應ビジネススクールは、ケース・スタディーがすごく充実していますね。昔からハーバードビジネススクールと提携されていて、そこでの疑似修羅場体験と、実際の企業での修羅場体験の両方をコンビネーションさせることによって、ものすごく人は企業の中で成長する機会をいただいていると実感しています。
そういった意味で大学院を出ていることの1つ大きなことは、一般的に高い専門性があること、もう1つは今言った疑似修羅場体験をされていること。さらにロジカルとプラクティカルのバランスをきちんと取っていること、であると思います。われわれとしてはこの部分を非常に期待しておりますし、実際にそういう大学院卒の方が多いので、有り難いと思っています。
しかし、誤解を恐れず申せばアメリカのMBAなどに比べると、まだまだ弱いと感じることも多いです。例えばハーバードビジネススクールのようなMBAプログラムでは、そのような体験を大学院教育で徹底的に行い、社会に出たら、すぐさまマネージャーができる点がすごいと思います。
大学側も、高等教育のさらに上のところの教育機会をより提供しやすい環境をつくっていただきたいとお願いしたいです。「学びたい」という気持ちを持っている学生さんにとって、それが自分の価値を最高に高める場であってほしいと思っています。
「専門性」をどう捉えるか
有沢さんのお話を伺って感じるのは、大学が思っていることと企業が思っていることが、なかなか上手くコミュニケーションできずにずっと来てしまっているのだろうということです。「企業はこうだろう」と大学は勝手に思い込み、企業の方でも「大学はこうだろう」と思っていて、お互い10年も20年もタイムラグがあるような状況認識なのかなと思いました。
新卒については結局、キャリアパスの問題になっていくと思うのですが、これまでの大学院修了者のキャリアパスをどう変えていけばいいのか。あるいはどうやったら変わっていけるのか。これは大学院を考える1つの大きなポイントになると思います。
理系のキャリアパスは慶應の場合、大学の先生になろうと思って博士に行っている学生は少なく、ほとんど産業界に入っています。数が増えないことを除いては、あまりそこに問題はないと思います。
問題は文系の場合です。リーディング大学院で文系の学生を見ていると、確かに経済とか商学部、法学部の学生さんは、特に商社などは非常に好待遇で採ってくれるのですが、人文系の文学、社会学は、学生も産業界に出るという目的で大学院を選んでいないところがあるので、そもそも博士を取ってもリクルート活動をあまりしないようなところがある。
でも、彼らは「自分は学業に身を委ねて20代を過ごしていることに満足している」と言う。その後、職を選ぶ時には結構大変だと思うけれど、夢に向かって進んでいるところがある。何とかしてあげたいなと思うのですが、企業としては今後、そのような分野で専門性を高めた学生たちを採っていく方向性はあるのでしょうか。
結論から言うと、私自身は出身学部についてはほとんど気にしていないです。慶應のようなレベルの高い大学院を出られていれば、例えば文学などを専攻されていたから「企業には馴染みがないよね」とは、全く思っていません。
むしろ、高度な専門教育を受ける人は、もともと素地があって、それだけの知性がある。だから当然、そこで学んだことは必ず社会に活かせると私は思っています。企業の人事サイドから見ると、文学や社会学をやっている方が採りにくいかというと、全然そんなことはありません。特に大学院に行かれているのであれば、そこは心配なさらないでもいいかなと思います。
ただ、そういった意味では企業の発信力もまだまだ弱いと思わざるを得ません。「うちは大学院生を採りますよ」と、宣伝している企業は私の知る限りあまり拝見しません。例えば、うちは理系の研究職は大学院生と明示していますが、文系の大学院生に「優先的に採ります」と言っている会社は、少なくともあまり見たことがないのです。
でも、何度も申し上げますが大学院卒の方は企業に入っていただくと、非常に活躍されているのをよく拝見します。このような言い方がいいのかどうかわかりませんが、大学院をご卒業された方はやはりもともと持っている地力のレベルが高いと感じることが多いです。マスターの経験はやはり「さすが大学院生だな」と、納得感があります。こういう言い方は失礼ですが、大学院の先生方には自信を持って学生を送り出していただきたいと思います。
おっしゃったように企業が自社で教育している余裕があまりないことを考えると、やはり博士でも専門性を高めることに加えて、いろいろな教育・経験をしましょう、という方向に大学院改革が動いています。
例えば、異分野融合プロジェクトの体験とか、それから社会課題を解決するための社会実装に即したインターンシップや、文系においても数値処理的な方法論を使ってデータを読めるようなスキルを大学院の学生に教えています。
一方、でもそれは専門性を極めるということからいくと、その分の時間を余計に使うので、学生にとっては負荷が非常に増えるわけです。このあたりはどう考えたらよいでしょうか。
ある意味正しく、ある意味そこまでやらなくてもいいかなと思います。データ分析でいわゆる数理的に、またロジックで検証できる方というのは、物事を極めて冷静に分析できる傾向が強いと個人的に思っています。最近の傾向としてはやはりデータ分析がきちんとできる人材を企業が求めるということはあります。そういった意味での方向性としては間違っていないと思います。
ただ、単純なデータの解析屋さんになってほしいということではありません。データ分析を行う上で例えばExcelのマクロを使うことはあくまでツールであって、そのツールを「なんのために」「どうしてそれを使うのか」が重要です。例えばツールを使うことが目的になってしまっているように感じることもあります。以前はデータ分析ができます、と言うと、「じゃあ、システム部門に配属します」とすごく短絡的に考えているようなこともありました。
そうではなく、データ分析というのはあくまでツールであり、「こういった専門性を持っている」とアピールできると、その方のマーケットバリューはすごく高まると思います。
今のお話を伺って、おそらく大学院にとっても企業にとっても、専門性の「専門」の概念が変わってきているのかなと思いました。例えばシェイクスピアについて細かい知識があるという狭い専門性よりも、シェイクスピアについての知識を社会の文脈の中でどう理解したり、活用したりできるか。大学院でも専門についての考え方をそこまで変えていかなければいけないのかなということです。
私は去年までまさに文学部長を務めていました。文学部は、大学院は文学研究科と社会学研究科があり、どちらの研究科も基本的には研究者養成ということが主眼になりますが、研究者の専門性というのも、自分の研究テーマだけを知っているのでは、研究者にもなれない状況になってきています。
例えば、教育学で大学教員になったとしても、自分の専門だけ教えるわけにはいかないので、教育学の一定程度の広がりの知識をきちんと活用できる人でないと、研究者としても通用しない。今まで大学院というのは、何となくどんどん領域を狭めれば専門性が高まるという理解があったのですが、専門性の考え方を変えていかなければいけないということはあるかと思います。
実社会に活かせる「専門性」とは
お話を伺っていて感じたことは、専門性の定義です。もちろんアカデミックな意味での深掘りもありますが、メディアデザイン研究科はディプロマポリシーと言われる、何をもって学位を出すか。あるいは何を伝えることがミッションかということで、3つのリテラシーを今、掲げています。
1つは「フューチャーズ・リテラシー」。これはUNESCOが使い始めた言葉ですが、未来を描く力と、その未来に向けて活動し、そこに歩んでいく力、スキルを「フューチャーズ・リテラシー」と呼んでいます。まさしく今、世界情勢を含めて大きな混乱期にある時に、Covid前の世界に戻るのではなく、「ニューノーマル」ということで、新しい社会を描く力が求められている。より良い社会を作るために、どういうものを目指すのかを描き、そこに向けて活動する力です。
2つ目は、デジタル技術によって、今までは対面でやらなければいけなかった様々な活動、あるいは人がやらなければいけなかった労働が、テクノロジーの恩恵によって大きく様変わりしている。われわれはそれを「メディア・リテラシー」と呼んでいますが、デジタル力を上手く味方に付けて活動を進化させていくスキルです。
3つ目は「イノベーション・リテラシー」。KMDはイノベーションできる新しいタイプのグローバルリーダーを育てるというのが唯一のミッションです。いろいろな点と点をつないで化学反応を起こし、そこにどのようなイノベーション、新しい価値を生み出していくかということです。
例えば、いろいろな分野の専門性をつなげることによって新しいものが生まれたり、違う考え方を持った人がつながることでチーム力が増して、そこで新しいものが誕生する。あるいは、いろいろな地域同士を結ぶことによってコミュニティーをつくる力。こういったものが今、世界的にすごく求められています。この3つの力を、KMDではカリキュラムの中でも、プロジェクトの研究活動の中でも学位につなげるための大事なスキルとしています。
そういう観点においての専門性というのは、いろいろな分野に適用できる少し抽象度の高いスキルセットを、大学院生自らが志向して行動できることです。それを持つことでいろいろな分野での活動に対応できる。
今、様々な分野での変化に、どうやって対応するかという柔軟性、あるいはレジリエンスと言われるような危機回復能力が非常に重要視されています。そのために様々なものを知り、いろいろな点をつなぐことができ、新しいものを発想し、未来に向けて活動できることが、メディアデザイン研究科の考える専門性です。今までの伝統的な学問体系の専門性とは、少し定義が違うかもしれませんが、そのような視点で教育活動をしています。
私は大学院でやることと、実際に労働市場で会社の中でやることは、そんなに大きく変わるものではないと思っています。研究の方法は、すごく単純化して言うと、何か関心があった時にそこに問いを立てることから始まります。その問いを解いていくためには、これまで何がやられてきたかという先行研究を見つけ、そこで自分のやり方で問いが解けるかを考える。そして仮説を立てて解いて答えを出していく。そして最初に立てた問いと結論がきちんと整合的かを確かめる。そういう単純な繰り返しをしています。
大学院教育でそれをどう表現するかというと、多くはペーパーに書くわけですが、実際に企業の中で仕事をされる場合も、表現方法は違ってもプロセスは同じなのではないかと思います。
すると、大学院での研究力というのは、そういうプロセスとしての問題解決能力を高めていくプロセスなのだと思います。であれば「どの世界でも通用することをやっているんですよ」ということを、大学がもっと外の世界にアピールすれば、より受け入れられやすくなるのではと思います。そうでないと「非常に狭い専門しかやっていないから、他のことはできません」と捉えられてしまい、非常にもったいない。
例えば、リーディング大学院等はそのようなことを考えて、1つの内容を深めるということだけではなく、どこでも通じる研究力を高めるための教育をされていると私は考えています。
企業側の理解は進むか?
全くその通りです。ただ、有沢さんぐらいの人事の上のほうの方は非常に立派なことをおっしゃられるのですが、エントリーシートを最初に見られるような方は、相変わらず「君の専門性はうちの会社には必要ないね」的な対応がほとんどです。やはり現場の最初の面接をしているところの方々と、人事の上の方の理想のギャップは大きいと、失礼ながら感じています。
うちの会社は、その点はかなり改善してきたつもりですが、その傾向はまだまだあると言わざるを得ません。今後は会社側としてもやはり「大学院生の専門性がうちの会社とはそぐわない」と一律に考えることは時代に合わなくなってきていることをきちんと理解しなければいけないと考えます。
神成さんがおっしゃったことは悲痛なご意見だと本当に思います。せっかく大学院で高度なことを学んでこられた方が、門前払いみたいな形になるのはどう考えてもおかしいと思います。何度も申し上げますが、これはやはり日本でまだ、大学院教育というものの理解がそもそも全体的に不足している証左だと思います。
例えば、いわゆるビジネススクール的なものは、比較的企業側は理解しやすいと思います。なぜならビジネススクールでは、ロジカルシンキングや、strategy formulation など、企業にすぐ役立つと考えられることを教えられているからです。しかし、それ以外の専門性は基本的にはまだまだ理解が進んでいるとはいえないのではないか、と見えることが多いです。
そういった意味では、企業の中でもやはり認識を改めなければいけない点も多々あるでしょうし、学校側からも「単に一定の専門性を学ばせるだけではなくて、すぐに社会実装ができるような学生を養成している」ということを、どんどんアピールしていただければと思います。
吉田さんがおっしゃったように、企業が求めている能力というのは、大学院の中でも方法論として訓練されていると思います。ところが社会に出ると、いきなり大学卒と大学院卒を一緒にして研修を行っている会社もあるやに聞いております。弊社は大学院卒と大学卒で研修は別にしています。明らかに専門性のレベルが違うし、それまで積み上げてきたものが違うのに、理解が不足しているケースも散見されます。それでは「私、何のために大学院に行ったんだろうね」となってしまうのではないでしょうか。
企業の中には、undergraduateとgraduateの差が何かがまだまだ完全に理解されていないケースもあります。これは、もちろんわれわれ企業側の問題もありますが、大学側もそういったことを、どんどん学生に動機付けするとともに、われわれにも伝えていっていただきたいです。大学の方から「大学生と大学院生が同じ研修? 冗談じゃない。何のために、この人たちを育てたと思っているの?」とガンガン叱っていただいていいと思います。
また欧米と比較すると日本はまだまだトップマネジメント層に大学院を出ている人が少ないからということもあるのではないでしょうか。例えば自分の経験で申せば、アメリカの場合、トップマネジメントが大学院を出ているのはある意味一般的だと感じました。個人的には日本も大学院を出た方が、もっとトップマネジメントにどんどん行けるような仕組みを企業がつくらなければいけないのではないかと思っています。
大学のほうも、自信を持って送り出せていないところが正直あります。もっと大学のほうから「この2年、3年を無駄にしないでください」と言えるような体制をつくっていかなければいけないですね。
研究科の体制や、それこそ指導教授のマインドセットが変わらないところがやっぱりあるのかなと私自身は思います。リーディングにしても、SPRINGにしても研究科横断的に経済支援をする共通のプログラムができて徐々に変わりつつあるのですが、なかなか変わり切れていないところがあるかなと思います。
「ジョブ型」で専門性が活かせるか?
今までは学部卒採用をつなぐための就活システムが存在し、エコシステムができ上がっていて学生も大学も企業もハッピーでした。これがハッピーであり続ける限りは、変える理由がないわけです。しかし、どこでゲームチェンジをするかという話になりますが、最近、安全保障的な意味も含めて人が流出してしまうということがあります。海外に行ってしまうと、少しずつ危機感が増し、人材の流動性がグローバルな視点で高まって、日本のマーケットだけでは成立しなくなってくる。よりいい人材を獲得するためには、グローバル・コンペティションのものさしでリクルーティングをしなければいけない。
ジョブ・オファーの仕方も「年俸いくらでどういう条件で、ポジションはこういうもの」というような形で採用していく形に変わっていく可能性もあると思います。そうすると、今までハッピーだったエコシステムは嫌でも崩れると私は思っています。
就活システムが変わらない元凶の1つだと思うので、そこが崩れると、いろいろなものが自ずと変わるかなと思います。企業側から見て、そのようなことは「破綻するので、やめてほしい」ということなのかもしれません。経団連などが、「いつから内定解禁」みたいなコントロールをしている限りは変わらないと思うのですが、いかがでしょうか。
素晴らしいご意見だと思いました。結論から言うと、ジョブ型のような働き方が日本にどこまで定着するのかどうかということなのだと思います。
現実的に企業サイドでは説明会の解禁だとか、面接の解禁などで新卒採用には一定の制約が存在します。その一方で、最近多くの企業が「ジョブ型」に移行しようとしています。
ジョブ型に移行すると何が発生するかというと、一般的には「ジョブディスクリプション」に基づき、より一層専門性を重視するようになります。例えば、会計学を専攻した学生さんを財務・経理で専門職として採るといったことです。
ただ、個人的に思うのは、今後2、3年ぐらいのイメージとしては、新卒者で入ってくる人よりも、今現在、会社にすでに在籍している社員をジョブ型にまず移行させて、採用はそれからというところが多いのではないかと思います。
大学院卒の方の専門性に鑑みた場合に、本来であればそこに合わせたジョブ型を考えなければいけないわけですが、そのためには2つ、必ず整理しなければいけないことがあると思います。まず1つ目は労働市場の流動性を高めることです。つまり基本的に転職が容易にできることが大事で、以前のように社員のほとんどにジェネラリスト志向を求めると、どこかで上手くいかなくなるのではないかと思います。
もう1つ「ジョブ型を入れました」と言う企業は現在も相当数いらっしゃいますが、そこで終わってしまっている場合です。つまり「ジョブ型」を導入したものの、報酬・評価の2つの制度が基本的にそれまでのメンバーシップ型と言われる職能資格制度、わかりやすく言うと年功序列と基本的に変わらないケースも見られます。厳しい言い方をすれば「ジョブ型を導入しました。ただ報酬・評価は職能のままです」では上手くいくはずがないと思います。
企業もそもそもジョブ型になると、何がいいことなのかが理解がまだ十分とは言えないと思いますので、それではジョブ型のメリットを学生に伝えることがまだ整理できていないと感じます。
でも、ジョブ型への移行が行われれば、専門性が今以上に採用の際にフューチャーされると思います。そうなると、大学院側としては逆に大きなアドバンテージになるのではないかなと思います。なので稲蔭さんの問いに対するお答えとしては「変わるはずです」ということです。万が一変わらなければ例えば外国人の方の採用は一層厳しくなるのではないでしょうか。
それは時間スケールで言ったら、どのくらいで進みそうですか。
企業人事は変革には3年ぐらいかかると思います。ですので個人的願望も入れれば2025年ぐらいまでには、変わってほしいと思っています。
必要となる「リカレント教育」
ジョブ型が本格化する時に、リカレント(社会人の学び直し)の問題がクローズアップされてくるのかなと思います。
その通り、まさにワンセットです。ジョブ型の導入と同時にミドル・シニアの方を中心としたリカレントとリスキリングを同時にやらないと、基本的に成立しません。だから、うちもリスキリングとリカレントに力を入れているのですが、その理由はジョブ型はあくまでも制度であり、何の目的でやっているかを明示し、社員全員を納得させるためにリスキリングとリカレントをやっております。
そうしますと、リカレント教育、リスキリングの場としての大学院の活用は、人生百年時代の今は絶対に必要です。つまり大学が今後どんどん学び直しをする場を提供するのは、大学側にとってもものすごくビジネスチャンスであると同時に、われわれとしてもぜひ手軽に利用させていただきたいと思います。
そうですね。それでリカレントで大学院に来られた方が企業に戻られると、大学院に対する価値意識が変わっていく。だから、良循環をつくる1つのブレークスルー・ポイントなのかなとは思います。
ただ、やはりなかなかそう簡単ではなくて、すでにもうリカレントを導入している研究科もありますが、すべての研究科が取り入れるとなると、大学の環境、習慣のようなものも変わってくるので、企業がジョブ型に向けて進む間に、大学もそのマインドセットを作っていかなければいけないのだろうと思います。大学としてはどういう戦略が考えられますか。
リカレントは、2種類あるのではないかと思います。1つは、おっしゃるようにシニアを対象にある種、次のセカンドステージみたいなところの前で強化をするというもの。またはもっとその手前、中間管理職の研修みたいな、スケールアップをしたり、グレードアップしていく時の手助けを大学院が行うものです。
もう1つ、アメリカと日本を比べて圧倒的に違うのは大学側の教授陣、教員側が流動性を持っていないこと。産学で行ったり来たりして、「産」のほうで頑張って、また「学」のほうに戻って、アカデミックなことをグレードアップしていくという行き来をする、産学の垣根を低くすることが大事だと思います。
この2つがあると、かなりグローバルな人の動き、教育のモデルに日本も追いつけるかと思うのですが、単にシニアだけをターゲットにするのでは、少し弱いかなと思っています。
大学としてはいろいろやる手はあると思っています。単純なのは履修の柔軟性をもっと用意すること。短期集中型の科目、科目ごとの授業料システム、オンラインの科目など、社会人の履修の利便性を高める方法は、まだまだあると思います。まず制度的な履修の仕組みの工夫です。
もう1つはやはり教育プログラムをどう作っていくかです。これには、企業からの要請を含んだ内容を重視するのか、いや、やはり日常の仕事とは異なり、物事の原理をきちんと学ぶ内容にするのか。いずれにせよ、従来型の研究者養成の延長ではなく、社会人にとって必要なことは何かの議論が必要です。
また、もう1つは大学で力を付けたことを、きちんと企業に説明できる必要がある。これは日本の大学は、これまでほとんどやってこなかったことです。例えば、キャリアセンターが何をしているのかというと、学部の学生に対してはいろいろなキャリアサービスをやっていますが、大学院生用のキャリアサービスはたぶん慶應もやっていないのではないかと思います。
早稲田も当然やっていません。アメリカの大学がやっているのはそこの部分で、大学院生がどういう力を付けたかということを、キャリアセンターが主になって売りに出す。会社説明会ならぬ大学院修了者説明会みたいなのをいくつかの大学が共同してやっている。このように大学側ももう少し見せる力を付けるべきかと思います。
アメリカに調査に行った時に面白いなと思ったのは、一番売れない哲学とか歴史学といったPh.Dをどうやって売るかという時、例えば哲学は最高のロジカルシンキングができる人であるわけですが、そこに「データも使えます」みたいなプラスアルファをしていることです。あるいは「歴史学というのは、実は最大のarchivistです」と、歴史学の内容とともに、情報系の学問を少し入れることによって売りやすくする工夫をしている。
それを個々の大学がやるのではなく、学会・協会がモデルプログラムを作って、大学側に提供したり、あるいは、大学院審議会などが中心になってプログラム開発を考えたりしています。このように日本の大学も、もっと売りに出す方法をいくつかの大学が協働するなり、場合によっては政府の力を借りて考えていってもよいのかなと思います。
もう1つ問題なのは、ジョブ型が上手くいく社会というのは、やはりプロフェッションが成り立っている社会です。日本の場合、実はそんなにプロフェッションに対する社会的な尊敬が高くないので、果たして本当にプロフェッション的な力を付けた者が、例えば処遇の点で厚遇されることになるのか。ジョブ型になったとしても少し疑問が残ります。
学位の通用性というのが、アメリカに比べて圧倒的に日本は貧弱ですから、そこですよね。
修士を出ても、給与は2年前に入社した者と同じという仕組みの中ですから。
「大学」にしかできないこととは
リカレントはニーズは間違いなくあると思いますが、企業から見た場合、学位まで取ってきてほしいと思うのか、それともあるカリキュラムパッケージに魅力を感じて、それを全部取ってくればいいのか。それとも、つまみ食い的にバラ売りしてもらったほうが有り難いのか。ニーズとしてはどうでしょうか。
企業から見ると学位を取られるとマーケットバリューが付くから「転職されるのではないか」という心配される方がまだまだいらっしゃるように見えます。
個人的にはせっかく大学院に行かれるなら、マスターを取ってきてほしいと思います。問題は、「何のために大学院に行って専門性を高めるのか、そしてそれをどうやって自分のキャリアに活かすか、明確なキャリアデザインがあるか」ということです。私は、それがイノベーションにつながり、新しい価値創造につながることを期待して、そういった大学院教育を受けていただきたいと思っています。
またプロフェッショナルが社会で尊重されているのか、という話はその通りです。例としては少ないですが、ジョブ型に移行する際に人件費コントロールの感覚で考えていらっしゃるところもあるのではと思います。その点の意識改革をするまでには時間がかかるケースもあるのではないでしょうか。
ただ、まずは例えば形からでも入って「ジョブ型にはこんないいこともあるじゃないか。じゃあ、とりあえずプロフェッショナリズムを追求する手段としてジョブ型を考えてみよう」となればよいのではと思っています。
今後、ジョブ型になり、リカレントあるいはリスキリングをどこも行うとなった時、ここは大学の独占市場ではないわけです。そこが儲かるとなってくると、おそらく教育産業がどんどん入ってくる。大学も競争環境に置かれ、安泰というわけではない。
リカレントは大学だけができるわけではないとすると、大学が唯一主張できるのは学位の授与権です。だから、学位にこだわっておかないと、これから大学や大学院の存在意義は危うくなってしまうのかなとも思います。今、オンラインでもどんどんいろいろな知識を得ることができ、研修もできるとなると、大学しかできないことは何かということは、考えていかなければいけないと思います。
まさにその通りで、競争という観点から見た時に、おっしゃるように、例えばいわゆる民間の社会人大学は慶應義塾のような大学院の脅威と考えられます。なぜあれだけ多くの社会人が通っているかというと、基本的にやはり受講者から見れば受けやすい、つまりアクセシビリティーがいいからということが1つの大きな要因だと思います。さらに授業などがフレキシブルに取りやすい。自分でデザインできる等は大きな魅力に感じます。
だから、それを大学院のほうでもやっぱり考えていただいて、僕が言うと失礼な言い方になってしまうかもしれませんが、やはりコンペティターを分析して、大学院教育に活かすのはすごく大事かなと思います。
専門性と総合知
先ほど専門性の話をしましたが、最近は大学院で、総合知とか文理融合ということが言われています。
専門性と文理融合や総合知というものを、どのように考えていけばいいのか。専門性と総合知、あるいは日本の伝統的な文系、理系という枠組みを、これからの社会や産業や労働の流れの中で、大学院としてどう考え、取り組んでいったらいいのか。最後にご意見をいただければと思います。「大学院だからこそ、ちゃんと専門を究めるべきだ」という意見は、特に三田の大学院では強いのですが。
専門家同士がチームを組んで大きなことを成し遂げるというのは当然必要ですし、企業はまさしく、そういった活動によってビジネスをされていると思います。チームを組むためには、お互いを理解できることが大切です。コミュニケーションし、信頼し、そして自分がそれに貢献する力が必要で、そういう観点に立った時の総合知というのは、大学院版リベラルアーツである気もします。
その根本にあるのは、たぶん好奇心だと思います。自分の専門領域の外にあるいろいろなものに興味を持ち、理解を深めようと自分で調べたり、お互いコミュニケーションをとることが大事だと思います。海外の経営者たちの多くが大学院を出ていて、日本の経営者に大学院卒があまりいないということは、懇親会などの席でそれがすごく顕著にでると思います。
食事をしている間にトピックがポンポンと移り変わっていく中で、その輪の中に入り、会話の中から信頼関係を築いてチームができるような教養力、総合知というのは、絶対にグローバルなコミュニティーの中では必要です。そこがないといくら専門性が高くても、信頼するコミュニティーメンバーにはなかなか入れてもらえないのではないかと思います。グローバルな世界の中で今、専門性の高い修士課程、博士課程の学生たちに必要な要素として、教養力があると私は思っています。
博士課程リーディング大学院で文理融合を掲げてもう10年以上やっています。プログラムとして文理にまたがるダブルメジャー修士学位を取らせようという力任せなこともやっていますが、この間、われわれがずっと使っている言葉として「俯瞰力」というものがあります。
専門性を使って社会問題を解決していこうと思うと、当然、解決のためにどういう他のステークホルダーを巻き込んでいくかといった全体像を捉えないと、自分の専門性だけでは絶対、解には届かない。自分が関わっている専門性の周りに、社会的にどういうものがつながっているかというのを俯瞰的に見られるような力。そして、全部を自分で解決するわけにはいかないのだから「どういう人を巻き込んでいこうか」という戦略を立てられるような力。そういった俯瞰力と企画力が求められている文理融合なのだろうということで、産業界からのメンターの方にも指導していただき、やってきました。
ですので、我々のプログラムで言うところの総合知、文理融合というのは、社会人の方々も含めて産業界や国際的なものの見方、違う分野の人の問題意識の捉え方を一緒に議論をしていく場です。われわれは「水飲み場」と呼んでいますが、オアシスにいろいろな動物が水を飲みに来て交配が進化に結びついたように、様々な専門性や価値観の下で議論をします。その成果は産業界で活躍している修了生を見ても満足のいく結果が得られています。それが最近の大学院改革の中の分野融合プロジェクトや、社会実装のための産業界との連携という流れと重なっているのだと思っています。
「文理」の垣根を超えて
日本では「文理の違い」がかなり強調されますが、これはもう大学、大学院の問題というより、むしろ私は高校の問題だと思っています。高校で「文系か理系か決めなさい」という分け方をされる。特に私立大学に絞ろうとすると、私立文系は数学は数Ⅰぐらいしか今はやらないです。
高校としての進学実績は上がるかもしれません。しかし、人間が何を学べばいいのかと考えた時に、もう高校1年の段階で「これしかやりませんでした」という状況の中で、大学に入って、それ以外のことに興味を持って自分で学ぶようなチャンスが果たしてできるか。大学院に行って、そこに興味関心が芽生えるかというと、かなり難しいのではないかと思います。
日本の大学は専門、一般教養という形のアメリカモデルになった時に、理念的には「大学に入った段階で、文系から理系まで広く学びましょう」と、幅を広げる目的があったわけですが、日本はずっと幅を広げることに積極的ではなかった。むしろ、早く専門をやったほうがいいとなってしまって、もう今は高校の段階でそうなってしまっている。すると先ほど稲蔭さんがおっしゃったような、食事の場でお酒を傾けながらの教養的な話なんて、できっこないという状況だと思います。
ですので、日本の教育制度として「高校の段階で最低ここまではきちんと学ぶ」みたいなものを作ったらいいのではないのか。そうしないと足場が非常に弱いので、やはりきちんとした家にはならないのではないか。高校が進学実績を上げるために、早期から文理を分けてしまうという、この問題は何とかならないでしょうか。
本当にそう思います。
高校がいけないと言うと、今度は高校から「大学入試がいけない」と言われてしまうので、それこそ高大接続のところですね。大学院の前に学部があって、学部の前に入試があって、高校があって、それを全体的に考えていかないと、上手くいかない。
高校卒業レベルのテストの話も何回も出ましたが、全部つぶれました。
そうですね。リベラルアーツということで言えば、やはり日本が圧倒的に上手くいかないのは、学部を決めてから大学に入ってしまうからでしょう。専門を決めて入ってしまうから、ジェネラル・エデュケーションや教養教育は「高校の繰り返しだ」みたいな話になってしまいます。だけど、根本的に知の今後のあり方を考えた時に、大学制度の枠組みのところまで踏み込まないと、なかなか企業側にもアピールできないところもあります。
アメリカではエンジニアリングやメディカルという言い方はあっても、文系、理系という言葉は聞いたことがありません。なぜ日本でそうなのかと言えば、私の個人的意見では1つには日本の企業組織の縦割り構造が高校や大学にも影響を与えているのではないか、と思っています。あくまで一般論ですが、例えば技術系で就職すると、技術系のキャリアを歩んでいく可能性が高いと思います。そしてその人が営業とか財務とかに行くことはまず考えにくいと感じています。
その点で、やはり総合知がないと駄目だとおっしゃるのはまさにそうで、やはりスペシャリストのキャリアを歩むためには、大もとにあるジェネラリスト的思考が大事だと思います。その上での専門性だと私は思っています。
誤解を恐れずに申せば、大学や大学院にもみられる「縦割り」の構造改革、つまり「パラダイムシフト」しないと、基本的にはそこは解決しないと思います。
リーディング大学院の文理融合人材ということについては、私は一企業人として大賛成です。これはもう、ぜひ進めていただけると有り難い。やがてそういった人たちが近い将来に今の企業の縦割りの壁を壊し、当たり前のように総合知に基づいて、グローバルで戦える土壌をつくると信じています。
先生方が前向きにお考えになられていることを今日、すごく心強く思いました。個人的には一企業人として応援できることがあれば是非お手伝いしたいと思います。
励ましの言葉を有り難うございます。
学部の理念はある程度、尊重し任せてもいいと思うのです。しかし、大学院は研究科ごとの縦割りではもうやっていけないと思います。塾も大学院については相変わらず研究科縦割りなので、やはりここは今日話されたような概念を共有して塾全体の大学院を考えて、分野融合を促進し、専門性の柱の周囲に総合的な実力を有した人材を育成すべく、産業界とも連携するような総合的な施策をできる機構をぜひともつくっていただき、私立としての大学院改革の先頭を走るような仕組みにしてほしい。
実は文科省の中教審に入ってよくわかったのは、国立の大学院は第4期中期計画という形で、否が応でも「大学院改革に取り組まなくてはいけない」と文科省に言われ、積み上げてきている。
一方、私立大学は大学院の改革が少し下火になっているので、ぜひとも慶應は再び先頭を行く形で、産業界の方々も入れて、リカレントもニーズを取り入れた形でどうしたらいいかを考えていくような、総合的な大学院のための機構をつくって議論していただきたいと思います。もちろん、その結果、大学院、とくに博士課程が魅力的な人材育成の場であると学生に認識されて進学者数が増えることを願います。
実はこの4月に教学マネジメント推進センターという組織を立ち上げています。おっしゃるように慶應に今までなかった組織です。学部研究科横断で教学のことを考える組織ということで私が今センター長をさせていただいているのですが、そこでいくつかの検討チームをつくって、そのうちの1つに大学院の共通プログラムを考えようと、14の研究科の代表に集まってもらい、まずは来年4月にいくつか共通の科目をつくりたいと思っています。リーディング大学院やSPRINGを受け継ぎながら、修士課程も含めた横断的な大学院のプログラムをつくっていこうと検討しているところです。
本日はそれぞれのお立場から、大学院のあり方について率直なご意見をいただきました。ここまで慶應は研究科横断がなかなかできずに後発ですが、後発だからこそ特色がある大学院改革を進めていきたいと思いますので、引き続きご協力をいただければ有り難く思います。本日はどうも有り難うございました。
(2022年8月16日、三田キャンパス内にて一部オンラインを交えて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。