慶應義塾

【特集:裁判員制度10年】座談会: 「国民の司法参加」は何を変えたか──その先の10年を見据えて

登場者プロフィール

  • 澤田 敦子(さわだ あつこ)

    主婦、裁判員経験者

    白百合女子大学文学部卒業。カンタス航空フライトアテンダントを経て現在は主婦。2018年東京地裁にて強制性交等致傷罪の事件の裁判員を担当。

    澤田 敦子(さわだ あつこ)

    主婦、裁判員経験者

    白百合女子大学文学部卒業。カンタス航空フライトアテンダントを経て現在は主婦。2018年東京地裁にて強制性交等致傷罪の事件の裁判員を担当。

  • 牧野 茂(まきの しげる)

    その他 : 弁護士その他 : 裁判員経験者ネットワーク共同代表世話人法学部 卒業

    塾員(1973法)。弁護士(フェアネス法律事務所)。日本弁護士連合会刑事弁護センター幹事。第二東京弁護士会裁判員センター委員。著書に『裁判員裁判のいま』(共著)など。

    牧野 茂(まきの しげる)

    その他 : 弁護士その他 : 裁判員経験者ネットワーク共同代表世話人法学部 卒業

    塾員(1973法)。弁護士(フェアネス法律事務所)。日本弁護士連合会刑事弁護センター幹事。第二東京弁護士会裁判員センター委員。著書に『裁判員裁判のいま』(共著)など。

  • 鈴木(宮﨑)朋子(すずき (みやざき) ともこ)

    その他 : 東京高等検察庁検事法務研究科(法科大学院) 教授

    塾員(1997法)。1999年検事任官。東京地検、福岡地検等を経て、2005年イリノイ大学ロー・スクール修士課程修了。08年法務省刑事局付検事、東京地検社会復帰支援室長検事等を経て、17年より現職。

    鈴木(宮﨑)朋子(すずき (みやざき) ともこ)

    その他 : 東京高等検察庁検事法務研究科(法科大学院) 教授

    塾員(1997法)。1999年検事任官。東京地検、福岡地検等を経て、2005年イリノイ大学ロー・スクール修士課程修了。08年法務省刑事局付検事、東京地検社会復帰支援室長検事等を経て、17年より現職。

  • 石田 寿一(いしだ としかず)

    その他 : 東京地方裁判所判事法学部 卒業

    塾員(1998法)。2000年判事補任官。秋田地裁、千葉地裁、広島高裁岡山支部等を経る。2010年判事任官。12年最高裁調査官、17年より現職。18年より慶應義塾大学大学院法務研究科派遣教員を兼任。

    石田 寿一(いしだ としかず)

    その他 : 東京地方裁判所判事法学部 卒業

    塾員(1998法)。2000年判事補任官。秋田地裁、千葉地裁、広島高裁岡山支部等を経る。2010年判事任官。12年最高裁調査官、17年より現職。18年より慶應義塾大学大学院法務研究科派遣教員を兼任。

  • 小池 信太郎(司会)(こいけ しんたろう)

    法務研究科(法科大学院) 教授

    塾員(1999法、2004法修)。2007年慶應義塾大学大学院法務研究科専任講師、11年同准教授を経て、16年より現職。専門は刑法。09年~11年ドイツ・ケルン大学客員研究員。

    小池 信太郎(司会)(こいけ しんたろう)

    法務研究科(法科大学院) 教授

    塾員(1999法、2004法修)。2007年慶應義塾大学大学院法務研究科専任講師、11年同准教授を経て、16年より現職。専門は刑法。09年~11年ドイツ・ケルン大学客員研究員。

2019/10/05

裁判員制度10年を振り返って

小池

裁判員制度は本年5月で施行10年を迎えました。その間、全国の裁判所で12,000件を超える判決が出ており、裁判員等として刑事裁判に参加した方の数は9万人を超えています。

この制度は殺人、傷害致死、強盗致死傷といった重大事件の裁判の審理と評議を、一般の方から選ばれた裁判員6名がプロの裁判官3名とともに行うものです。導入の趣旨は、裁判の進め方や内容に法律家以外の国民の方々の視点、感覚が反映されることで、裁判に対する国民の理解と信頼を高めることにあるとされています。この座談会では、果たしてこの狙いは実現されているか、制度の運用上の課題は何かといったことについて、皆様のお話を伺っていきたいと思います。

まず、施行から10年を経て、それぞれのお立場で裁判員制度について率直に思われていることをお願いできればと思います。

石田

私は裁判官になって20年目です。東京地裁で刑事部に所属し、裁判員裁判の合議体に加わっています。

この10年間、高裁や最高裁にいた期間があるため、地裁で実際に裁判員裁判を担当した期間は最近の2年あまりです。担当件数も多くはありませんが、いずれも、評議をさせていただいた裁判員の方々は本当に熱心に、かつ真面目に証拠に向き合って議論をしてくださいました。

今まで顔を合わせたこともないメンバーの中でご自分の感覚に基づいて意見を言うこと自体、日常さほど経験することではなく、戸惑われる方もいらっしゃるかと思います。しかし、「多面的に検討して生き残った意見こそが、われわれのチームの最善の結論になるので、ぜひともおっしゃってください」と申し上げながら意見交換を重ねますと、本当にハッとさせられる発言が随所にされている、と感じています。

そうした意見交換が判決の理由付けに厚みを持たせる確かな原動力になっており、まさに様々な視点と感覚が反映された判断をしているという実感を持っています。

運用上の課題はまだまだありますが、これまでのところは国民の理解と協力の下に、裁判員制度はおおむね順調に運営されてきたという評価は、現場の一裁判官としても違和感がないと思っています。これは裁判員等を務めてくださった方のほか、こうした方々を送り出してくださった職場や家族の方のご協力があってのことと思います。本当に有り難いことであり、御礼を申し上げたいと思います。

鈴木

私は平成11(1999)年に検事に任官していますので、ちょうど裁判員裁判が始まる前の10年間と、裁判員裁判が始まってからの10年間を経験してきたことになります。

施行前には法務省の刑事局で裁判員制度を国民の皆様に理解いただくための広報に関わっていました。そのときは、正直申し上げて、「この制度は本当に上手くいくのだろうか」という不安も感じていました。

ただ初めて自分が裁判員裁判の法廷に立ったときに、「これはすごい制度だな」と、身震いするような衝撃を受けたのを覚えています。この制度で、司法も、司法と国民との関係も大きく変わっていくのだろうと、大きな可能性のようなものを感じました。

裁判員裁判は国民と司法の協働作業で作り上げていく制度だと思っています。そして、この10年間、制度をこんなにもドラスティックに変えていながら、大きな混乱もなく、堅実に運用されていると思います。司法の側の努力もありますが、なにより、裁判員の方々が使命感と責任感をもって真摯に取り組んでおられるからこそだと思います。裁判員の皆さんは、本当に真剣に臨まれていて、証人や被告人への質問内容も、ときには裁判官より鋭い質問をされ、それで法廷の雰囲気がガラッと変わることもあり、本当にすごいなと感じます。この制度を通じて、日本の底力のようなものも感じています。

牧野

私は裁判員制度が始まる前年の2008年頃から日弁連の中の裁判員本部(当時は裁判員制度実施本部)に入っていました。そして制度施行の翌2010年に裁判員経験者ネットワークという経験者の交流団体を有志とつくり、経験者の心のケアと体験からの社会への発信活動をしてきています。

私も施行前は期待と不安がともに非常に強かったです。もともと職業裁判官だけの閉ざされた評議室で判決が書かれることに対しては不満があり、市民が司法に参加するということには、とても期待していました。

しかし同時に、果たして国民が受け入れられるような仕組みを作れるのか。また、市民は本当に参加してくれるのか。犯罪を扱うところにいきなり飛び込むことを嫌がってしまうのではないか。裁判所の中でしっかりと意見も言い、裁判官と対等に協働できるのだろうか、という不安もありました。

そこで、裁判所、検察庁、弁護士会、で、制度が始まる前に予行演習として模擬裁判を全国各地でやった際に私は積極的に加わりました。始まってみたら予想を上回る素晴らしい運用実態で、非常に喜んでいます。やはり法曹三者がきちんと準備したのも大きかったし、啓蒙活動をする市民団体の準備もよかったのだと思いますが、日本人の真面目な国民性が支えていると思います。

判決の内容についても、市民の素朴な常識が生かされることが、裁判官にも刺激を与えたようで、私は、この制度により、無罪推定の原則が実現したのではないかと思っています。

小池

澤田さんには、今日は裁判員経験者として参加いただいています。

澤田

私は昨年、裁判員を務めました。事件は強制性交等致傷罪でした。

最初は普通の傷害事件だろうと思っていたのですが、選任の日に行ってみたら性犯罪で、これは思ってもみなかったことでした。事件の概要を見て、急に緊張してすごく不安になってしまいました。

選任された後、裁判官と裁判員同士で自己紹介をするのですが、「とても深刻な事件で、やっていけるか心配です」と言ったことを覚えています。不安をしずめるために、性犯罪の素人向けの本を2冊買って帰りました。

小池

裁判員を経験されてから、刑事司法や裁判に対する見方が変わってきた面などありますか。

澤田

はい。裁判員を務めてから意識的に社会を見るようになって、以前は無関心でいられたことも無関心ではいられなくなりました。

皆さんそうだと思うのですが、特に自分が担当した事件と類似の事件は自然と目が向くのです。今年3月に性犯罪で無罪判決が続いた時は、いてもたってもいられなくなって、性犯罪のシンポジウムに行ったり、フラワーデモにも参加しました。以前の自分だったら考えられないことで、行動に一歩踏み出すことができる自分にも感動するし、これは裁判員を経験していろいろなことを考えた結果なのかなと思います。

先ほど石田さんがおっしゃっていたように、裁判員は真面目で、過去の裁判員の方々が誠心誠意取り組んでこられたということは、評議の時の裁判官の私たちに対する態度でわかりました。私たちのことを信頼してくれて、評議室に入った時から、ウェルカムという雰囲気がありましたから。

精密司法から核心司法へ

小池

それでは、刑事裁判が裁判員の参加を得てどう変わってきているかを見ていきたいと思います。まず、裁判のやり方、進め方がどう変わったのでしょうか。

よく言われるのは、「精密司法・調書裁判から核心司法・公判中心主義へ」といったキャッチフレーズです。従来の裁判官だけの刑事裁判は、被告人や被害者、目撃者などが述べたことを捜査官が供述調書にまとめ、その書面が証拠として大量に出てくる。裁判官はそれを持ち帰って読み、細かい事実まで緻密に認定していくものと言われていました。

それに対して裁判員裁判では、その事件で本当に判断しなければならない核心はどこなのかということに絞り込み、その点を基本的には調書ではなく、関係者に法廷で話してもらい、その内容を裁判官と裁判員が、法廷で見聞きしたことから有罪・無罪の判断をするやり方に変化してきています。

牧野

もともと「書面に偏りすぎている」という批判があり、「法廷で丁々発止、生の言葉でやり合ってほしい」ということは以前から言われていました。これがなかなか実現しなかったのが裁判員制度になり劇的に変わった。これは驚くべきことです。市民を裁判員として参加させ、法廷で見て聞いて分かるようにするため、その場で口頭で直接やり合うことが、実現されるようになったわけです。

それからもう1つ、市民は長い期間は法廷に来られないため、集中して法廷を開く必要がある。集中的な審理のために争点をあらかじめ全部整理して、弁護人も最初から主張と立証をしなければいけなくなった。私はここが一番重要な変更点だと思っています。

そして、今までは検察官が法廷に提出する証拠を自分たちで決めて、それ以外のものはなかなか見られなかったのが、ある一定の証拠は事前に見せないと弁護人も準備ができないので、長年の望みだった「事前の証拠開示」が実現したのです。

これは裁判員制度の重大な副産物で、前から「実現するべきである」と言っていたことが、市民が入ることによって一挙に実現したことは素晴らしいと思います。

石田

私が20年前に任官した頃の刑事裁判というのは起訴された公訴事実の書いてあるその事実のみならず、その事案の詳細をできる限り解明することがよしとされていました。「真相解明」と表現され、それが大事だということでした。

それ自体は間違っていないとは思いますが、そこで言われる「真相」とは、捜査の段階で事情聴取をして作成された、被疑者・被告人供述調書あるいは関係者の調書を、しっかりと裁判所に引き継ぐ、という点に重点が置かれていたと思います。

また証人尋問なども、供述調書の内容をすべて再現したもの、という感じの問答がずっと続いていました。一方、これを弾劾しようとする側は、「供述調書にはこう書いてあったけど、今証言でしゃべっていることは少し違うではないか」というような細かい点を突いて攻め込むような傾向があったと思います。

その結果、証人尋問、被告人質問も、長時間にわたり、法廷ではなかなか追い切れなくなってしまいます。そうすると、尋問していたものを後で公判調書という書類にし、期日が終わった後にそれをじっくり読み込むことで心証形成をしてきたと言われています。

小池

そのようなやり方には問題があったということですね。

石田

刑事裁判で真に明らかにされるべきは、犯罪事実があったのか、なかったのか、それが被告人の手によるものなのかどうか、を決めるということでしょう。もしそうではないのであれば無罪になり、有罪だということであれば量刑判断に必要な事情が明らかにされなければいけません。

また、裁判では法廷で的確に心証形成できる審理が行われるべきであるという公判中心主義の理念からすれば、従前のやり方はやはり理想像ではなかったと思います。だからこそ司法制度改革の中で刑事訴訟法改正の動き自体、裁判員制度と同時並行で議論されていたのだと認識しています。

裁判員制度の導入は、刑事訴訟制度の運用をより良くする推進力というような効果を持っていたのではないでしょうか。

牧野

その通りですね。刑事裁判の理念からいけば、今までのように捜査の段階で真相解明をほとんどやってしまい、公判ではそれを引き継いで、その復習みたいな手続きになっているのはおかしい、ということに気付いていたはずなのです。でも、それを直そうとしても、どこから直したらいいのか、あまりに問題が大きすぎて手が付けられなかった。

それが、市民参加があったからこそ、本来あるべき刑事裁判が実現したのだと私は思っています。

小池

そういった核心司法・公判中心主義でやっていく場合、事実を立証していく検察官は、今までのやり方を変えていかなければならない面もあったでしょうか。

鈴木

検察官は公判だけでなく、捜査も行います。起訴権限を持つ検察官は、無実の人を起訴するなど、誤った起訴は決して許されませんから、捜査段階で徹底して証拠を収集し、被疑者や被害者の話を丁寧に聞き慎重に判断しなくてはなりません。徹底して真相解明に努め、誤りのない判断をする、このことは裁判員裁判前後で変わりません。

ただ、裁判員裁判では、初めて裁判に臨む裁判員の方に理解していただく必要があります。そのため、裁判員の方に事件の全体像を正確で的確に理解していただくために、様々な工夫をしています。まずは、捜査の経過を全て法廷に出そうとするのではなく、捜査の結果判明した真相を、どのようにしたら裁判員に分かりやすく伝わるかという観点で、再構築するようになりました。

そして、法廷で、目で見て耳で聞いて分かっていただくため、パワーポイントを利用したり、専門用語を使わず、分かりやすい言葉を用いるようにしています。お蔭様で裁判員経験者へのアンケートでも、検察官の立証は、とても分かりやすかったという評価を多くいただいています。

ただ、裁判員裁判の限られた日数の中でどういう証拠をどこまで立証していくのか、その判断はすごく難しいのです。屋上屋を重ねるような立証は許されない。ただそれが屋上屋なのか、必要な証拠なのかという判断は、ある意味ふたを開けてみないと分からないところもあります。立証責任を負う検察官としてギリギリの判断を迫られることもあり、そういう点に難しさも感じています。

公判は分かりやすくなったか

小池

分かりやすさという面では、経験された裁判員の方に伺ってみるのがいいですね。いかがでしたか。

澤田

検察の方も弁護人の方も、資料のプレゼンなど含めて、とても分かりやすかったですね。私が担当した事件に限って言えばですが、どちらか選んでくださいと言われれば、弁護人の方がよかったです。

牧野

それは珍しいですね(笑)。

澤田

非常に優秀で、裁判官の方も絶賛していました。勘どころをつかんで裁判員の心理も考えておられました。性犯罪でしたので被害者を非難しているような感じに取られて裁判員を敵に回したら裁判には勝てませんよね。そういった裁判員の心理も考慮し、被害者への配慮もされていました。

弁護人は男性と女性、2人だったのですが、質問によっては女性の弁護人から質問をさせるような配慮がありました。

裁判というのは「分かりにくいもの」という印象があったのですが、検察官もそうでしたが、弁護人の質問は、その意図も分かりやすく、あらゆる質問が必要不可欠なものだと感じました。

被告人のためにできる最大限のことをなさっていたと思います。性犯罪だし被告人の心証は不利なのに、被告人のために力を尽くしているのを見て、被告人にも人権があり、黙秘権があり、われわれと同じ社会の一員なのだから、排除して刑務所に入れればいいということではない、ということを実感させられました。

弁護人ばかりほめていますが、もちろん検察官もよかったんですよ。事件の様子を詳細まで頭の中に描くことができましたし、立証も的確で理解しやすかったです。

石田

私は制度開始当初の8年間、第一審の裁判の外側から裁判手続きを見ていましたが、あらかじめ整理しておいた争点に光を当てて、その判断に必要な情報が人証を通じて公判で明らかにされる様子がだんだんと増えていくのを目にしてきました。

そのような審理を経て言い渡される第一審判決は、やはりいろいろな視点からの検証を経た深みのある理由付けが書いてあると感じていました。

地裁に戻って、その実感は確かなものになっています。例えば、弁護人の方も日々研鑽をしている方ですと、攻防がきちんと嚙み合う。そうするとわれわれも評議のときに双方の攻防を指摘しつつ、きちんと裁判員に振れるのです。そうすると、やるべきことをきちんとやっているという実感を持ちながら評議を進められます。

澤田

検察官も弁護人も準備万端整えて公判に臨んでいると思いました。また、検察官も弁護人も、裁判官も、手探り状態から試行錯誤を積み重ね、ノウハウを蓄積してきたように感じました。

評議の時に私が、執行猶予とか保護観察がどうのという話をしたら、裁判官の方に「澤田さん、法学部出身なんですか」と言われたのです。

執行猶予なんて日常会話で使うじゃないですか。その程度のことで「法学部ですか」と聞くということは、自分たち裁判官と一般の市民とは前提条件が全然違う、ということを身にしみて感じてきたからではないかと思いました。

小池

澤田さんの事件では検察官の立証も分かりやすく、弁護人のスキルも高く、裁判官の十分な配慮もあり、充実感を持って参加された様子が伝わってきます。

裁判員裁判になって公判での活動がどう変わったかという点については、弁護人、検察官それぞれのお立場でいかがでしょうか。

牧野

弁護人というのはボクシングにたとえれば以前は受け身で、とにかく検察官が攻撃してきて、弁護人はそれをブロックして、どうやって切り抜けるかということだったのですが、最初から殴り合いができるということで弁護人は張り切ったんです。

それと同時に、やらなくてはならないこともすごく多くなってきて、弁護人もケースセオリーというものを考えないと裁判員や裁判官を納得させることができません。最初から検察官もある程度手持ち証拠をこちらに開示することが義務付けられていますので、証拠開示でかなりの部分の証拠をあらかじめ得て、公判が始まるまでにそれを読み込んで戦略を立てるようになりました。

お互いの手の内は見せ合っているから、公判前整理で争点整理もやりながら、戦い方を考えるのですね。これはやりがいもあると同時に、やらなくてはならない作業が増えたので苦労と言えば苦労でしょう。

また、ある程度裁判員、裁判官にアピールしなくてはいけないので、法廷弁護技術というのが1つのスキルとして必要になってきます。アメリカは陪審員裁判の国ですから、アピールする法廷技術が上手か下手かで勝ち負けが決まる部分が、ある程度あります。弁護士会でもNITA(全米法廷技術研修)のスキルを勉強しています。

鈴木

先ほど申し上げた通り、裁判員裁判が導入されて検察官も様々な工夫をし、裁判は格段に分かりやすくなったと感じています。分かりやすい裁判は、裁判官や裁判員にとって重要なのはもちろんですが、被告人・被害者やご遺族、社会にとっても重要だと思っています。

被告人には、自分が起こした事件がどのような被害をもたらしたのかを理解し、罪と向き合う機会になるでしょうし、被害者やご遺族にとっても、自分たちが巻き込まれた事件がどういうものなのかということを知っていただくことにつながると思っています。そして、傍聴席、つまり社会に対しても事件の全容をお伝えすることで、同様の事件の再発防止にもつながると思っています。検察官としては、分かりやすい裁判は、こういう面からもとても重要だと思って取り組んでいます。

証拠開示による変化

澤田

「裁判員裁判になって証拠開示がされるようになった」というのはどういう意味でしょうか。証拠は当然開示されているものではないのですか。

牧野

捜査当局、検察官はもちろん捜査で証拠を握っているわけです。ところが、以前は弁護人には、公判前はそれは一切見せてもらえなくて、検察官が刑事裁判で取り調べ請求した証拠以外は原則、手持ち証拠は見ることができなかったのです。

それが裁判員裁判になって、例外はありますが、事前にある一定の証拠は「類型」と「予定」と呼ばれる2つの段階で出さなくてはいけなくなった。これを証拠開示と言い、それが認められるようになったんです。

小池

裁判員裁判の導入を契機に、公判の前にその事件の争点と証拠を整理する手続(公判前整理手続)が導入されて、それに伴ってどういう証拠を開示しなければならないか、というルールが法律上はっきりすることになったわけですね。

検察としても、早い段階でかなり柔軟に開示に応じていると伺っています。

鈴木

そうですね。もともと証拠開示が一定程度制限されていたことには理由がありました。捜査の過程で得られた証拠は捜査上の秘密に関わることや、個人のプライバシーに関わること、最終的に犯人でなかった人について捜査をした情報なども含まれているわけですから、そういったものをどこまで開示していいのか、なかなかセンシティブな問題がありました。

また、以前は、弁護人は検察官と違って、その主張を明らかにする義務はありませんでした。弁護人は、検察官の証拠と立証をすべて見た後に、反証することができました。そうすると、すべての証拠を事前に開示してしまうと、弁護側が、その間隙を縫うような主張・立証をしてくるのでは、という懸念もありました。

しかし、法改正によって、弁護人にも公判前の段階でその主張を明示する義務が課されたので、検察官も安心して開示できるようになったということもあります。今は、弁護人に開示請求される前に開示するなど、積極的に対応しています。

牧野

弁護人からすると、まだまだ証拠開示は不十分だと思っていますが、ゼロだったときから比べると大進歩だと思っています。

量刑はどう変わったか

小池

それでは刑事裁判の内容がどう変わってきたのかという点に移りたいと思います。

裁判員制度は、国民の視点、感覚が裁判における判断の内容に反映していくことを予定する制度です。当然事件によっては、従来とは異なるような判断がなされることがあるわけですが、変化が統計で把握できる形で生じているのが、量刑です。

刑法が犯罪に対して予定している刑の幅は非常に広く、例えば強盗致傷の罪ですと、最も重くて無期懲役、軽いと執行猶予にもできます。しかし、具体的な判断をどう行うのかは法律では決まっていません。これでは裁判員の方が刑法の条文だけ見せられ、「さあ考えてください」と言われたら、おそらく困ってしまうでしょう。裁判所としては量刑の評議、判断、どのような形で進められているのでしょうか。

石田

量刑の判断についての本質は、犯罪行為にふさわしい刑事責任を明らかにすることです。要するに悪い性格の人だから処罰するということではなくて、「悪いことをしたから処罰します」という発想です。

例えば、私たちが子供のいたずらを叱るときに、ペットをちょっと追い回したぐらいだと軽い注意で済ますはずですが、これを箱に閉じ込めて押し入れに入れたとなると、叱り方が違ってきます。それは、後者のほうがやったことがひどいと感じるからでしょう。

量刑の本質を「行為責任」という言葉を使って説明していますが、要するに、これが意図するところは、このように常識的な感覚に沿った量刑判断をしましょう、ということです。

ただ、「犯罪行為の重さを量ってください」と言われても、なかなか難しいので、まずは犯罪行為それ自体に関する事実に着目して、ある程度社会的な類型として捉えられないかと検討していくわけです。

小池

同じ罪名でも、いろいろな類型があって、それによって量刑が変わってくるのですね。

石田

例えば強盗致傷罪という犯罪がありますが、これはタクシー強盗、銀行強盗、ひったくり強盗と、類型ごとにおのずと量刑の判断はまとまってくるところがある。それを量刑傾向と呼んでいますが、これをまず見るところからスタートしましょう、と進めていきます。

この量刑傾向を前提に、今回の事件の犯罪行為に関する事情を踏まえて、被告人の犯罪行為がこの量刑傾向の中だとどのあたりに位置付けられるのかを議論していくのです。

「大体このあたりの幅ですね」ということが評議の中でおおむね合意できれば、最終的に何年何カ月にしましょうか、ということを考えるステップに入ってきます。その時点で、今度は被告人の犯行後の反省状況など、要するに更生の可能性をうかがわせる事情、一般情状を考慮して最終的な量刑を決めている。これが量刑評議の一般的な姿ではないかと思います。

小池

そのようなやり方で評議を進められた結果、裁判員裁判の実際の量刑がどうなっているのか。最高裁が公表している資料を見ると、全体としては、裁判官裁判時代とおよそ連続性がないような量刑にはなっていませんが、犯罪の種類によっては変化が見られます。

例えば、殺人では、最も割合が大きいゾーンが、従来よりは少し重めになっている一方、執行猶予付きの判決も増えていて、量刑の幅が広くなっている傾向があります。それに対して、傷害致死罪や性犯罪などは、はっきりと重くなっているようです。

石田

傾向としてはその通りだろうと思います。これらは、まさに裁判員と裁判官が協働することで、裁判員として関与していただいた国民の皆さんのいろいろな視点や感覚が反映された結果ではないかと受け止めています。

牧野

量刑に関しては、裁判員は一生に一度のことなので、その事件に関して相当集中して考えるのです。同じ市民が被告人であり被害者なので、判決を言い渡した後の更生とか、刑務所に行ったらどうなるのだろうという処遇まで考える。それが量刑にも反映してくるということは非常に大きなことだと思っています。

鈴木

最近、検察庁でも被疑者・被告人の再犯防止や更生に取り組んでいて、私も地検で社会復帰支援室の室長検事をしていましたので、裁判員の方もそういう点にも関心を持ってくださっているのは、嬉しく感じます。

澤田

裁判員は生活に根ざした判決を出す傾向があるような気がします。強烈な体験なので、いい意味で感情移入もしますし、「自分だったら、自分の家族だったら」ということも考えますので、性犯罪などが重罰化の傾向にある、ということは納得できます。

刑法の性犯罪規定は2017年に改正されましたが(強姦罪から強制性交等罪に改正)、評議のときに、以前は強姦罪の下限が懲役3年だったと聞いて、「それは軽すぎないか」という感想が出ました。裁判員が加わったことによって、そういう部分は変わったのかなと思います。

牧野

たぶん量刑の傾向が職業裁判官だけのときと違う理由は、2つの原因があるような気がします。

1つは、量刑傾向というのは、例えば性犯罪の場合に何年くらいという幅に収まるのは、正解があったわけではなく、職業裁判官のみの時代に判決を言い渡していくうちに、「大体このぐらい」というのができていったわけです。すると、この「性犯罪が強盗より軽い」というのは、一般人の感覚ではおかしいと感じるわけです。

つまり保護法益の感覚が職業裁判官とは「ずれて」いて、一般市民の感覚からするとおかしい、ということで少しずつ刑が重くなり、一昨年の法改正にまで至ったという面があると思います。

それからもう1つは、やはり行為責任だけではなく、一般情状として更生可能性とか反省などの処遇を考えたときに、行為責任の大きな枠の中でギリギリどちらに行くのかがかなり揺れる。それが大きな枠の変化にまでつながっていった、ということもあるような気がするのです。

最高裁平成26年判決をめぐって

小池

量刑傾向の変化を考える際、幼児虐待による傷害致死の事案で求刑の1.5倍の判決が出て、それを最高裁が破棄した事例(最高裁平成26年7月24日判決)がありますね。この判決をどのようにお感じでしょうか。

鈴木

最近はマスコミの論調などを見ると、裁判員が決めた量刑を高裁、最高裁でひっくり返すと、裁判員が量刑判断に加わる意味がないのではないか、という指摘をされることもありますが、そうではないと感じています。

牧野

これは「重すぎるから駄目だ」と言っているわけではないのです。ただ、例えば検察官の求刑の1.5倍のように大きく枠を飛び出る場合には説得的な具体的な理由を言え、と言っているだけだと思います。

石田

平成26年の判例の背景には、要するに刑事裁判に客観性、処罰の公平性という要請があることと、国民の健全な感覚、視点を反映させるという裁判員裁判導入の趣旨を何とか調和させないといけないという問題があったのだろうと思います。

最高裁は、これに1つの回答を示したと捉えていいのかなと思いますが、平成26年判例の補足意見を併せて読むと、この判例は裁判員に対するメッセージというよりは、身内の裁判官に対して、ある意味激励というかお叱りという面があるのではないかと思います。

例えば補足意見の中で、裁判官としては重要な事柄は十分に説明し、裁判員の正しい理解を得た上で評議を進めるべきだ。そうすることが裁判員と裁判官の実質的な協働につながると言い、評議を適切に運営することは裁判官の重要な職責だという指摘をしているので、この判例は裁判員制度の趣旨と対立的に読む必要はないのではないかと感じます。

牧野

同感ですね。

鈴木

よく、検察官は、刑は重ければ重いほどいいと思っていると誤解されがちなのですが、もちろんそんなことはなく、「公益の代表者」ですから行為に見合った、いわば「いい塩梅」の処罰を受けるべきだという観点から求刑を決めています。ですので、裁判官・裁判員の方には、検察官の求刑を参考にしていただきたいとは思っています。ただ、検察官としても裁判員裁判の判断は尊重していて、控訴の判断も相当慎重にしていると思います。

辞退率はなぜ上がっているのか

小池

それでは次に、参加する裁判員、その候補者である一般の方々の側に議論を移していきます。裁判員は20歳以上で選挙権のある方の中から、前年の秋頃に翌年の裁判員候補者がまずクジで選出されます。翌年になりますと、今度は事件ごとに、またクジで裁判員候補者を選び、ここまでに辞退が認められなかった方は選任手続期日に裁判所に来ていただいて、最終的に残った方の中から裁判員6名と、普通は補充裁判員も1〜2名併せて選ばれているようです。

澤田さん、選任されたときはどのように感じましたか。

澤田

何か予感はあったのですが、実際選任されたときは、びっくりして自分の番号を穴が空くほど見つめました。そのときに、後ろのほうでため息をついていた方がいて、その方は自己紹介のとき「選ばれたくなかった。やりたくない」とおっしゃっていました。でも、裁判が始まると、だれよりも真面目に最後まで務められていたので、何か心境の変化があったと思うのです。

私もそうでしたが、初公判で被害者と被告人の姿を目の当たりにしたとき、「この人たちのために全身全霊かけてやらなければ」という使命感を感じました。

小池

澤田さんのように選ばれたからには使命感を持って参加してくださるという方が多くいらして、最高裁が出している「裁判員制度10年の総括報告書」によると、今までのところ、裁判員のなり手がいなくて裁判が成り立たないという状況は一度も生じていないようです。ただ、憂慮されるのは、辞退される方、あるいは辞退されていないのに欠席される方の割合が上昇していることです。

辞退された方の割合が平成21年は58%だったのが、24年に62%、29年に66%と、上昇している。あるいは選任手続期日への出席を求められた候補者のうち、実際に出席した人の割合は平成21年が88%、24年が76%、29年が64%と下降しているんですね。

牧野

最高裁の「総括報告書」は、実は非常に甘い判断で、今、直ちに困らないと言っていますが、はやく手を打つべき事態なのです。候補者として通知したうち、辞退と欠席を入れると78%が来ていない。何とか人数を賄っているから、今のところ平気だ、と言っているけれど、そんなことを言っているうちに90%が来なくなってしまったらどうするんだ、と思います。

なぜこんなことになっているか。関心の低さが原因だというのは正しい認識だとして、われわれが行っている裁判員経験者からの聞き取りから考えると、ある程度有効な対策があると思っています。

最高裁での裁判員経験者についてのアンケート結果では、最初は半数近くが「やりたくなかった」と答えているのに、経験した後は96%以上が「やってよかった」と言っている。これは大変重要なことで、つまり、「やりたくなかったのが、なぜ変わったのか」というところにヒントがあります。

「候補通知が来たときに辞退を考えた」という人の1つの大きな理由は情報がまず足りないということです。裁判員というのがどんなことなのか分からない。無人島に行かされるように感じて、着ていく服も分からないし、不安でしょうがない。この対策は情報を与えればいいわけです。

2番目はもっと実質的なことで、「私は裁判員として務まるのだろうか」という不安です。素人の私に審理が理解できるのか。理解できたとして、自分のような素人が裁判官に意見を言えるのだろうかということです。

そして最後に、人の運命を決めてしまうということに対するためらいです。なぜ私が人の運命を決められるのか。実刑か執行猶予か、有罪か無罪かなんて判断はできないんじゃないかと思う。

小池

その不安はよくわかりますね。

牧野

では、終わった後に、なぜ「96%がよかった」ということになるのかと言えば、全部その裏返しで、審理が思いのほか理解できた。検察も弁護人も分かりやすく説明してくれているし、分からないときには、評議室に戻った後、裁判官に質問すると教えてくれる。また、思っていたよりも自由に意見が言えた。

内容が理解できて意見が言えると、それが充実感に変わってくるのです。人の運命を決める重さは消えませんが、1人で決めるのではなくて、裁判官、裁判員全員で徹底的に議論した後で決めることができたということは、やりがいに変わるのです。

このようなことを、皆にもっと知ってもらうべきです。内面のモチベーションというのは最も大事だと私は思っています。それがもっと伝われば、辞退率はかなり好転すると思います。

もう1つ言わせてもらえれば、守秘義務の問題も大きいと思います。

96%の満足度を共有するために

小池

今おっしゃった意味では広報活動というのが非常に重要になってくると思うのです。これは法務省、裁判所も一定の努力をされているとは思うのですが。

鈴木

牧野さんがおっしゃった通りで、法曹界って広報が下手だなと思います(笑)。マスコミと緊密に連携を取って、まさに今言われたような、裁判員を経験された方がその経験をどう思われ、今後の人生にどう活かされているのか、ということを伝えていくことはすごく重要だと思っています。

私が施行前に広報に携わったときは法曹三者一丸となってやっていたのですが、いざ施行されると、制度を運用することで手一杯で、広報まで手が回りきれていない面もあると思います。

また、今の高校生や大学生に裁判員制度をしっかり伝え、裁判員として裁判に参加するのは国民としてとても大事な義務なんだということを子供の頃から自然に感じていってくれれば、制度に対する不安感などもなくなっていくのかなと思います。そういう意味では広報も大事だし、法教育というか、若い世代へのアプローチも重要だと思っています。

検察庁では出前教室なども積極的に取り組んでいて、先日は、慶應女子高の「法律」の授業で、検察について話をしてきました。皆さんとても熱心に聞いてくださって、頼もしく感じましたね。

石田

経験者の96%がいい経験だと言ってくれているというのは、手応えは間違いなくあるということですから、これをなんとか共有していきたいですね。

裁判所の『司法の窓』という広報誌(裁判所ホームページから入手可能)に載った裁判員経験者の方からのお手紙に、「証拠を見聞きし、疑問や考えをちゃんと自分の頭で抱き、それで発言する。かといって自分の意見に固執するわけではないし、人の考えに耳を傾けて、ときには自分の考えを手放す。こういう経験をこの裁判員裁判に参加して得られたが、それはそもそも裁判員裁判を待つまでもなく、人として身に付けたい素養だ」とあり、正直感動を覚えました。

東京地裁でも一般的な広報活動に加えて、今のようなことがお伝えできるように、企業などに裁判官が直接お邪魔して制度の意義をお話しし、制度へのご協力をお願いするとともに、未経験の方が持つ不安や疑問を伺って運用改善につなげるというような地道な活動を行っています。

また、教育の面の指摘がありましたが、社会科見学などでよく法廷傍聴に来る学生さんがいらっしゃるので、そういう方にも、事前に申し込んでもらえれば、裁判官から制度説明をさせていただいています。

大学や高校等の要請があれば裁判官を派遣することもしています。実は、慶應普通部の労作展で、裁判員裁判傍聴記録というのをつくって出してくれた生徒さんがいるのですが、中学生のころから関心を持ってくれる子がいるわけですから、裁判官の派遣企画は慶應義塾でも利用してもらえるといいなと思っています。

鈴木

私は、その傍聴記録を書かれた普通部の生徒さんからインタビューを受けたので、完成したものを拝見しました。驚くほど素晴らしい内容で、賞をとって特別展示作品になったと思います。

牧野

民間団体である裁判員経験者の交流団体も、裁判員体験を広げる試みとして、もう少し社会に活用してもらいたいと思っています。個々の裁判員が体験を社会に伝えるのはなかなか大変です。現在、裁判員経験者が交流する団体が8つぐらいあります。そういう団体がなぜいいかというと、経験者仲間と憩いの場が持てるということがまずつある。もともと心のケアのためにつくった団体なので、経験者が大変だったよね、と和むようなところです。澤田さんとも経験者ネットワークで知り合いました。

裁判所の方から「ネットで『裁判員経験者』と検索すると交流団体があるから気が向いたところに行ってみたら?」と言ってもらえると、もっと多くの方が交流団体に入ってきて、そうするとそこの体験がまた周りに広がっていくので、ぜひ言ってもらいたいですね。

守秘義務緩和をどう考えるか

小池

牧野さんは守秘義務緩和のご主張、提言をかねてからされていますね。

牧野

裁判員制度では評議はブラックボックスになっていて、現在は評議の具体的内容は全く話すことができません。私は原則は評議内容は話すことができるようにして、弊害があるときだけ禁止にすべきだと考えています。

なぜ現在の守秘義務規制が良くないかというと、1つは貴重な市民の意見が共有されないからです。裁判官も「おおっ」と思うような意見も出ているわけですが、それが具体的に伝わってこない。それは社会的損失だということが1つ。

もう1つはしゃべらないことによって裁判員の心の緊張がそのままになってしまっている。人はしゃべることで緊張が解けて楽になるのに、その自然な道がふさがれているので、心のケアの面でもマイナスです。

評議には市民による社会の常識が詰っています。多様な意見を反映させるために市民を評議に呼んだのに、それを社会に反映させないのは矛盾です。例えば議論の自由が保障されないと困るから、誰が発言したかということを言うのは禁止して、他は原則自由にすることがよいのではと思っています。

石田

守秘義務は、裁判の公正さや信頼を確保するためにありますが、何といっても評議で自由な意見を言ってもらうためのものだと考えられています。後から評議で述べた誰かの意見のために判決が変わった、といったことが明らかになる可能性があると、「後で何か言われるのでは」と恐れて、率直な意見が評議で述べられなくなるということは、真剣に心配するところです。

また、公開法廷では秘匿した形で情報を出していても、裁判員の方に見ていただいているモニターにはプライバシーにかかわる情報がダイレクトに入っている形で伝えられていることもあります。

あるいは評議の中で、裁判員同士が名前なども明らかにしている場合もあって、それもやはりプライバシーにかかわる情報だろうと思います。そういうものはやはり人に知られたくないものである可能性が大いにあるので、不必要に明らかにされないようにしなければならない。

そういった理由から、今、原則としては守秘義務をかけており、それを前提に運用していくしかないと思っています。

小池

ただ、「どういうことが守秘義務の範囲になるのか分からない」という指摘もありますね。

石田

この指摘は確かに真摯に受け止めるべきです。守秘義務がかかるのは、例えば、どのような議論の過程で結論に達したか、裁判員や裁判官がどんな意見を述べたか、その意見を支持した数や反対した数、評決の人数構成です。その他に裁判員として職務を行うに際して知った秘密です。

ですから例えば、証人尋問や被告人質問で、口頭でやりとりされている内容は、公開法廷で見聞きしたことですから、いくらお話ししていただいても大丈夫です。それ以外にも、評議で自分の意見が言えたかどうか、評議の雰囲気はどうだったか、裁判官がどんな自己紹介をしたか、などもそのまましゃべってもらってかまいません。

また、裁判員に選任されたときに、選任されたことを公にしてはいけないことになっています。これは、なぜそうしているかというと、裁判員をやっている最中に不特定多数の人にむやみに接触されるリスクをできるだけ下げたいということからです。

ただ、ご家族、あるいは仕事の調整をするために職場の上司とか、同僚に裁判員になったことをお話しすることは何も禁止されてはいないのです。

そういうこともよく分からない、という感想もいただきますので、私の所属している部では、選任手続のその日のうちに、選任されたことをこういう範囲で言ってもらっても大丈夫ですよ、と説明するようにしています。このようにして、守秘義務の範囲が明確になるよう丁寧に何度でも疑問をいただく都度説明していくことが必要であると思います。

牧野

前の年の秋に最高裁から通知が行った際に、「裁判員の候補者になった」ことも、罰則はないですが公表禁止になっていますね。最初の時点で候補者になるというのは、まだ裁判員になる確率が低い大きな網掛けなのに、それさえ言ってはいけないというのは、立法としても即刻やめてほしいと思っています。

なぜかというと、「裁判員になったらどうしたらいいのか」という相談を誰かにしたくても、公に相談できないので弊害が大きいのです。また、そのときに「候補者であることを言ってはいけない」と頭に刷り込まれているから、裁判が終わった後に、裁判員だったことも言ってはいけない、という誤解が生まれている。せめてそこからまず改正をしてほしいと思っています。

石田

立法のところはコメントできませんが、確かにそういう誤解をしておられる方がいるのは私も感じていますので、ここはまさに運用で手当てしています。今は裁判員経験者には、「どんどん経験したことは周りに言ってくださいね」と、むしろこちらからお願いしている状況です。

澤田

私も判決の日に「周囲の人にお話ししてくださいね」と言われました。

牧野

それはいいことですね。運用でかなりそこはフォローしてくれているんですね。

今後の10年に向けて

小池

最後に本日の議論も踏まえ、それぞれのお立場で、今後の10年に何を望むかをお願いできればと思います。

澤田

「裁判って怖い」というのはよく聞く話です。確かに私も有罪かどうかを決めるときは、その人の人生を決めるということですので、間違いが絶対あってはならないというプレッシャーがありました。また、量刑を決めるときもまるで神の領域に足を踏み入れるような怖さがあり、前の日の晩の深夜に目が覚めて、朝まで眠れなかったのです。ただ裁判員裁判は1人ではなく、皆で決めていくものなので、仲間がいるということを知ってほしいなと思います。

裁判員裁判は一般の市民の人たちが、犯罪や被害者、加害者について考え、被害も加害も生まない社会をつくっていくためにはどうしたらいいかを考える重要な場になっていると思いました。裁判員制度は、選挙と同じく一人一人が社会を変える力を持っているものだと思いますので、選ばれたら辞退しないで、ぜひやってみてください、と言いたいです。

牧野

やはり裁判員の体験は素晴らしいものであることが伝わっていないので、次の10年をぜひ裁判員体験がもっと広く伝わり、これから裁判員になる方も、なる前からどういうものかが分かり、皆がやりたがるような時代に、していきたいと思います。

刑事裁判で一番気を付けなくてはいけないのは冤罪を防止することだと思います。その意味では、裁判員裁判が始まり、証拠開示もある程度できてきて、捜査から公判中心になってきたということで、大きな流れは1つできたと思うのです。

しかし、公判と公判の直前はかなり改革されても、捜査、逮捕された後の身柄とその後の取り調べについては、まだ文明以前の段階にあるので、身柄拘束が20日原則ということを改め、弁護人の立会権は認めるような時代にして、裁判員も、きちんとした資料で安心して裁判ができるようにしたいと思っています。

鈴木

裁判って、ある意味「人ごと」ですよね。裁判員は、人ごとであるにも拘らず、自分の仕事や日常生活を調整してまで、見知らぬ誰かの事件に真剣に向き合い、1つの結論を導いていただくというものです。そういう経験を通して、裁判員制度が、ともすれば「自分さえよければいい」という風潮の中で、自分のことだけではなく、社会の一員として社会全体を考えていく機会になればと思っています。

牧野さんの言われた捜査についての問題提起ですが、逃亡や証拠隠滅のおそれがあるものは、身柄拘束せざるを得ませんが、個々の事件に応じて慎重に判断していますし、取調べの録音録画も広く行っています。弁護人の立会権のある国もありますが、他方、無令状の逮捕や捜索が緩やかに可能であるなど、日本では許されていない捜査手法が認められているといった面もありますから、一部の制度だけを取り上げて議論するのは危険かなと思っています。

石田

裁判員の皆さんが、一生に一度の出来事の中で審理中にいろいろなストレスを感じるのは当然のことです。そうであるからこそ審理中あるいは評議中も、私たちは、裁判員の方の様子なども伺いながら、ご不調そうであれば声を掛けさせてもらうことも意識するようにしています。審理では、もちろん必要な証拠調べはするわけですが、無用にストレスをかけないよう意識しています。

制度的にはメンタルヘルスサポート窓口というものを用意しています。評議に参加してくださった裁判員、補充裁判員の方に対しては最後まで責任を持つつもりでやっていますので、裁判員の方にはぜひ安心して来ていただきたいと思います。

制度が本当の意味で根づいたといえるには、私ども法律家が様々な運用上の課題にしっかり取り組まねばならず、それこそが、良い経験だと言ってくださった多くの経験者の方への法律家の責任だと思います。今後とも裁判員制度をどうぞよろしくお願いします。

牧野

今、非常に重要な心のケアということを言ってくださいました。臨床心理士で裁判員経験者という方も裁判員経験者ネットワークに2名いらっしゃるんですが、2人とも、やはり審理中が一番緊張と心の負担が大きいと言います。そのときに臨床心理士かカウンセラーが裁判所のどこかに待機し、問診して「平気ですか」と1日1回聞いてあげたりすると、だいぶ安心するのではないかと思います。

小池

本日は、皆様のご議論により潜在的な裁判員である読者の皆様がこの制度について考える、いいきっかけになったのではないかと考えております。長い間、有り難うございました。

(2019年8月7日収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。