慶應義塾

【特集:科学技術と社会的課題】牧 兼充:スター・サイエンティストを核にしたサイエンスとビジネスの好循環の創出

執筆者プロフィール

  • 牧 兼充(まき かねたか)

    その他 : 早稲田大学大学ビジネススクール准教授

    塾員

    牧 兼充(まき かねたか)

    その他 : 早稲田大学大学ビジネススクール准教授

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2024/08/05

スター・サイエンティストとは?

科学・技術と社会の関係を考える上で大切な課題の1つは、知の社会実装を着実に行うことである。科学・技術に関わる知は自然と社会に普及するものではなく、適切なメカニズムが存在しなければならない。そのメカニズムを考える上で重要な概念の1つに「スター・サイエンティスト」がある。

スター・サイエンティストとは、卓越した研究業績を残す少数のサイエンティストのことを指し、通常のサイエンティストに比べて、多くの論文を発表し、多くの被引用を集め、スタートアップ設立にも積極的である。この研究領域のパイオニアであるUCロサンゼルスのZucker教授らの研究では、1980年代の米国のバイオテクノロジー分野において分析を行なってきた。その分析によると、スター・サイエンティストが関わるスタートアップは、関わらないスタートアップに比較してVC(ベンチャー・キャピタル)からの資金調達を受けやすく、エグジット(IPO/M&A)を達成しやすいという。更にスタートアップに関わるスター・サイエンティストは、その後、よりインパクトの大きい研究成果を創出する効果もある。このような現象をZuckerらは「サイエンスとビジネスの好循環」と名付けた(図1)。

図1:「サイエンスとビジネスの好循環」 / 出典: 牧兼充著『イノベーターのためのサイエンスとテクノロジーの経営学』 / (東洋経済新報社、2022年)より

では、この「サイエンスとビジネスの好循環」は現在の日本で発生しているのか。そのことを探索するために、私が研究代表者として、JSTや科研費などの資金を得て、「スター・サイエンティストと日本のイノベーション」プロジェクトを推進してきた。その分析の結果、現在の日本でも米国と同様のメカニズムが発生していることが明らかになった。

慶應義塾大学にいるスター・サイエンティストは誰か

スター・サイエンティストという概念は多義的である。ノーベル受賞者のようなごく少数のサイエンティストを指す場合もあれば、論文数の多いサイエンティスト、特許を多数申請するサイエンティストを指す場合など様々な定義がある。我々が構築した「スター・サイエンティスト・コホートデータセット」では、Clarivate Analytics社のHighly Cited Researchersと同じ選出方法をベースとしながら、基準を少し広めにしたものを用いた。具体的には、全ジャーナルを22の研究領域に分けて、それぞれの研究領域で高い被引用数を持つ論文を選出、そしてその論文の創出数のランキングの上位をスター・サイエンティストと定義している。我々のスター・サイエンティストのリストは、Clarivate Analytics社のHighly Cited Researchersの5倍程度のサイエンティストが含まれるような基準を設けている。またこのデータセットの作成にあたっては、2020年時点での論文データを活用した。

この形式でスター・サイエンティストを抽出すると、日本のスター・サイエンティストは474人であり、世界で12位となる。大学別に見ると慶應義塾大学のスター・サイエンティストは6人で、国内組織ランキングでは14位となる。表1に、慶應義塾大学のスター・サイエンティストを示す。このリストは、6人中5人が医学部、1人が理工学部所属となっている。しかしながら、この選出方法には1つの欠点がある。ジャーナルを22分野に分けたため、それぞれの分野ごとのパフォーマンスの高い研究者を選出しているが、複数分野にまたがって研究成果を創出するスター・サイエンティストを検出することができない。そこで、22分野の中で2領域(クロスセクション)を組み合わせた場合に引用数の多い論文を多数生産しているスター・サイエンティストのリストを作った(表2)。その結果、さらに6人のサイエンティストが検出された。クロスセクションのスター・サイエンティストは、医学部・理工学部に加えて、環境情報学部、薬学部に分布している。合計で12人のスター・サイエンティストが、慶應義塾大学に所属していると考えられる。

〈注〉この3つの表はいずれも2020 年時点のもの。またこのスター・サイエンティストは前述の定義により選出しているが、このリストに載っていないからといって、スター・サイエンティストではない、という意味ではない。本来であれば、いくつかの異なる指標を設けて、それぞれの指標ごとに選出されたサイエンティストをリスト化することが好ましいと考えているので、このリストはあくまで暫定版として捉えていただきたい。 / 〈編集部注〉*は現在名誉教授。**は名誉教授で慶應義塾大学教授も兼ねる。△は現在慶應義塾大学に所属していない。

次に、この12人のスター・サイエンティストがスタートアップに関わっているかを、大学発ベンチャーデータベースなどを用いてリスト化したものが表3である。12人のうちスタートアップに関わるサイエンティストは5人であり、42%である。更に、岡野栄之氏と冨田勝氏は複数のスタートアップに関わっており、シリアルアントレプレナーでもある。慶應義塾大学に所属するスター・サイエンティストが関わるスタートアップは、公開データベースから検出できる限りで、少なくとも7社は存在することとなる。更に、この分析ではサンプル数が少ないため定量分析はできないが、スタートアップに関わるスター・サイエンティストは、スタートアップ創業後も継続して高い研究パフォーマンスを達成していると考えられる。

以上から、スター・サイエンティストを中核としてスタートアップが創出されるというメカニズムは、米国の大学と同様に慶應義塾大学でも発生していることが分かる。また、シリアルアントレプレナーである冨田勝氏が慶應義塾大学先端生命科学研究所(鶴岡先端研究教育連携スクエア)の所長を長らく務めていたこと、岡野栄之氏が慶應義塾大学再生医療リサーチセンター(殿町先端研究教育連携スクエア)のセンター長を務めていることは、慶應義塾大学の地域連携・産業創出の観点からも優れた人事であると言える。

スター・サイエンティスト研究から考えるべきこと

慶應義塾大学がスター・サイエンティストを中心としたイノベーションのエコシステムを強化していくにあたって、そのエコシステムに関わる人が、その認識を改めるべきことが何点かあるように思う。

第一は、研究と社会実装の関係の再定義である。日本においては、研究と社会実装は代替的な活動である、という認識が強い。時間は有限であるため、社会実装に関わることにより、本来的な研究のパフォーマンスが下がるという懸念である。しかし実際には、研究と社会実装にはトレードオフは存在せず、むしろ相乗効果が発生する。従って、より優秀なサイエンティストには、研究パフォーマンスの低下を心配するよりも、積極的に社会実装の関与を勧めるべきである。

第二に、サイエンティストの社会実装の役割の再定義である。日本では、研究のみに関わるサイエンティストは「象牙の塔」に籠った人であり、研究パフォーマンスが下がってでも、社会実装に多くの時間を割くサイエンティストの方が、スタートアップに向いていると考えている人が少なくない。だが本当に重要なのは、サイエンティストの関与により、サイエンスとビジネスの好循環を生み出すことであり、サイエンティストがスタートアップの経営に関わることとは異なる。

第三に、スター・サイエンティストの適切な定義がエコシステム全体に浸透することの重要性である。スター・サイエンティストとは、産学連携が得意な人でも、スタートアップ経営が得意な人という意味でもなく、卓越したサイエンスを創出できる人である。この定義を歪めてしまえば、大学における「サイエンスとビジネスの好循環」は止まる。

慶應義塾大学の未来へ向けて

慶應義塾大学のスター・サイエンティストの分析を行った結果、示唆的なことがいくつかあった。

第一点は、より多様な人材に開かれた大学であることの重要性である。個別領域のスター・サイエンティストの6人中5人は、他大学で博士号を取得した後に慶應義塾大学に異動している。スター・サイエンティストの人材育成には、今まで以上に経験の多様化が重要であり、外部からの人材の呼び込みが重要である。スター・サイエンティストの育成と活躍を慶應義塾大学内のみで内製化できるとは考えない方が良い。

第二点は、異分野融合の重要性である。個別領域のスター・サイエンティストは他大学出身者が多い一方で、クロスセクションのスター・サイエンティストは慶應義塾大学出身者が多い。更には、実際にスタートアップに関わるサイエンティストも慶應義塾大学出身者の比率が高い。サンプル数が少ないために確定的な判断は避けるべきではあるが、この背景には慶應義塾の持つ異分野融合や産業界との距離に関する文化があるのかもしれない。

慶應義塾大学のスター・サイエンティストの分析から、慶應義塾大学の持つ強みと弱みが見えたようにも思う。

ところで、慶應義塾大学が世界を先導する科学・技術を引き続き創出する役割を担うために、未来のスター・サイエンティストはどの程度いるのであろうか。我々の研究グループでは、「スター・サイエンティストの卵」研究も行っており、その結果の一部をご紹介したい。スター・サイエンティストの卵を検出するにあたっては、

1. インパクトの高い研究:2008年から2016年に、ファーストオーサーとして、高被引用論文を2本以上出していること

2. キャリア初期から中期:1998年-2008年に博士号を取得していること

の2つを条件とした。その結果、日本では177人のスター・サイエンティストの卵がいる。その中で後日、実際にスター・サイエンティストになった人は31人おり、全体の17.5%であった。この177人のうち、現在慶應義塾大学に所属しているサイエンティストは7人である。この数字は日本の組織の中では6位にあたる。スター・サイエンティストの人数では14位であったことを考えると、慶應義塾大学は、現在のスター・サイエンティストよりも、未来のスター・サイエンティストをより多く抱えている大学であるのである。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。