執筆者プロフィール

中山 俊宏(なかやま としひろ)
総合政策学部 教授
中山 俊宏(なかやま としひろ)
総合政策学部 教授
2018/08/06
トランプ主義の衝撃
2017年1月にトランプ政権が発足して以来、世界はトランプ大統領に振り回され続けている。たしかにトランプ大統領は、世界が慣れ親しんできたようなアメリカの大統領ではない。「大統領になれば、選挙中の言動も落ち着き、型破りかもしれないが、案外どうにかなるかもしれない」という期待も見事に裏切られた。それでも1年目は比較的落ち着いていたかもしれない。自信家であるトランプ大統領も、いざ大統領に就任すると、さすがにその責務の大きさに圧倒されたのかもしれない。ワシントン経験がまったくなかったことも、大統領を若干ではあるが抑制させることになったかもしれない。昨夏、トランプ主義の思想的支柱であったスティーブン・バノン首席戦略官が解任されると、それは選挙期間中には効いていた定型外のメッセージも、実際に大統領として統治の責任を負う段になると有効ではないと認識した証左であるとも受け止められた。
また大統領になってはじめて、大統領という職は「皇帝」ではなく、憲法に縛られる「大統領」であるということを実感したかもしれない。イスラム教徒が多数を占める一部の国からの入国制限は司法に待ったをかけられ(その後、修正を施し認められた)、公約であったオバマケアの廃案も、共和党多数派議会であったにも拘わらず実現できなかった。TPP(環太平洋パートナーシップ協定)や気候変動抑制に関するパリ協定からの離脱表明はあったものの、1年目は「トランプ主義」の方向に完全に舵を切るのではなく、その適用も選択的だったという見方もできる。同盟国との関係も、大統領の発言は信頼関係を大きく揺さぶりはしたものの、その政策は従来の路線から大きく逸れるものではなかった。年末から年始にかけて発出された外交安保関連の重要政策文書である「国家安全保障戦略」と「国家防衛戦略」は、トランプ的な言葉が散りばめられてはいたものの、想定内であった。また日米関係に焦点を絞れば、首脳間の個人的関係も作用して、選挙中に想定し得たような「最悪ケース」はどうにか回避できた。
しかし、政権2年目に入り、どうもトランプ主義への傾斜を深めているように見受けられる。1年目は助走していたが、「トランプ流」でも乗り切れると自信を深めたということかもしれない。1人でも大丈夫だと考えている兆候だろうか、2人目の首席補佐官ジョン・ケリーを解任し、後任を指名するつもりがないとの噂も聞こえてくる。比較的慎重だった対外政策についてもトランプ色が明白になってきた。外交エスタブリッシュメントのお墨付き人事だったレックス・ティラーソン国務長官、ハーバート・R・マクマスター安全保障担当大統領補佐官は、2年目に入ると解任された。また、国防政策へのトランプ主義の浸食を静かに防いできたジェームズ・マティス国防長官のポストも安泰ではないとされる。マティス国防長官の最大の任務は、アメリカをトランプ主義から守ることにあったと言ったら言い過ぎだろうか。制裁関税の導入をめぐってトランプ大統領と対立したゲーリー・コーン経済担当大統領補佐官は辞任。「トランプ化」を防ぐ砦がほぼ切り崩された形になった。
これと呼応して、政策面でもトランプ化がすすんだ。G7シャルルボワ・サミットにおけるトランプ大統領の振る舞いは、事実上、アメリカはもはや国際秩序や規範を下支えするつもりはないとの宣言だった。メルケル独首相がインスタグラムにアップロードした写真──各国首脳がトランプを囲んで必死に説得する様子──は、秩序や規範維持からアメリカが撤退しようとしていることを改めて印象づけた。マクロン仏大統領の必死の説得も虚しく、イランとの核合意であるJCPOA(包括的共同作業計画)からの離脱も表明。国連人権理事会からも離脱した。在イスラエル大使館のエルサレムへの移転、単独主義的な制裁関税の導入もそうだ。いずれも選挙の時からの公約だったが、まさかここまでやるかというのが、国際社会の反応だった。6月に実現した米朝首脳会談も、「トランプ流儀」という以外に形容しようがない。周囲の反対を押し切ってトランプ大統領が独断で決定した。それは、あたかも米朝共同制作の国際リアリティ・ショーのような様相を呈した。
なぜ、トランプ大統領はここまでやるのか。単なる思いつきなのか、それともそこに何らかの思想のようなものがあるのか。この問いに答えるには、一見直感に反するが、おそらくトランプ大統領から一旦離れ、アメリカ社会の根底で起きている変化に着目する必要があるだろう。
トランプ現象が発生した土壌
トランプ大統領の定型外の行動にばかり気をとられていると、その底流で起きている現象を見逃してしまいがちだ。トランプ大統領を異端視してしまえば、「トランプ後」に「普通の政権」が誕生しさえすれば、トランプ政権を例外的な事象としてある程度無害化できる。また、このような思考は、「トランプ以前」こそがトランプ現象を発生させた土壌であったことを封印し、「トランプ以前」を理想化してしまう。オバマ大統領が「常識的」な大統領だっただけに、とりわけそうした思考のほうに流れていってしまいがちだ。「アメリカはスイングするが、かならず揺り戻しがくる」という定型化した「アメリカ論」もこのような思考を助長する。
しかし、果たしてそうだろうか。レベッカ・リスナーとミラ・ラップ=フーパーが指摘するように「トランプ大統領は、トランプ現象のアーキテクトではなく、むしろアバターである」(Washington Quarterly, Spring 2018)という発想で読み解いていかないと、この現象の深度を見誤ってしまうだろう。トランプ後のアメリカを引き継ぐ指導者は、何事もなかったかのようにトランプ以前のアメリカに戻ることはできないだろう。トランプ大統領が何かに長けているとすれば、それは破壊者としてのそれだ。トランプ大統領は、アメリカ社会の底流にドス黒いものが渦巻いていることを白日の下にさらしてしまった(これについては『レヴァイアサン』62号の拙稿で詳しく論じている)。トランプ大統領は、アメリカをどうにか成り立たせていたタテマエを嘲笑し、人々の不安や怒りを事も無げに刺激した。そして、人々はそれに歓喜した。何と言っても、本稿執筆時点で、共和党員の間でのトランプ大統領の支持率は80パーセント台後半、6月4日から17日の間は90パーセントに達している(ギャラップ社調べ。もっとも、自党からの支持が90パーセントを超えること自体は珍しくない)。
この数字は、党派的な二極分化が極限まで進んでしまったことの帰結でもあるが、元来共和党員でさえなかったトランプ大統領を共和党が受け入れたことによって、共和党自体がトランプ主義に浸食されてしまっていることの兆候でもある。この共振現象を強みにして、トランプ大統領は次々と既定路線を覆している。
では、この共振現象の根幹にあるものは何か。それは、これまで共和党のタテマエであった保守主義を根底からひっくり返そうとする衝動だったのではないか。トランプ主義は、オバマ大統領が象徴した「変化するアメリカ」の否定である以上に、共和党が体現してきた保守主義の否定でもあった。いや、むしろ保守主義の名の下に退けられてきた、「反動思想」をトランプは呼び覚ましたとさえ言える。それは、アメリカを支えてきたタテマエを拒絶しているという意味においてはアメリカ的ではないが、そのような潮流が常にアメリカ社会の底流には存在してきたという限りにおいて典型的にアメリカ的であるという見方もできよう。トランプ大統領は、これを自覚的に実践しているというわけではないだろう。むしろ、トランプ大統領が「忘れられた人々」と呼んだ人々の間に塒(とぐろ)を巻いて存在していた不満に言葉を与え、それが誰も想像していなかったような形で共振現象を起こしている。
アメリカ的反動思想
共和党がこれまで掲げてきた保守主義は、3つの柱に支えられているというのが最も一般的な説明だ。それは3本の脚に支えられるスツールにしばしば喩えられる。保守主義が勢いづくためには、この3つの脚がしっかりと安定していなければならない。1つ目は、小さな政府(limited government)、2つ目が力に依拠した対外政策(muscular foreign policy)、3つ目が伝統的な価値(traditional values)である。若干、神話化されてしまっているきらいはあるが、ロナルド・レーガン大統領が、この「3本の脚に支えられた保守主義(three-legged conservatism)」を最もよく体現していたと言われる。偶然ではないだろう。2016年の大統領選挙ほど、レーガン大統領の名前が目立たなかった選挙は近年なかった。保守派の間で、レーガン大統領は、聖人的存在であると言っても過言ではない。しかし、トランプ現象は、レーガン大統領が体現した「3本の脚に支えられた保守主義」とは違う何ものかに突き動かされていることは明らかだった。
それは、これまでキレイにパッケージ化された保守主義に封印されてきた「政治的には正しくない(ポリティカリー・インコレクト)」、しかし、「忘れられた人々」の不満とより共鳴する反動思想だった。オバマ大統領は、「反動的なるもの」から訣別したアメリカを際立たせたが、それは逆に反動思想を呼び覚ます効果を持ってしまったことも否定できないだろう。この反動思想は、保守主義を支えてきた3本の脚をいずれも退けた。
まず「小さな政府」に関しては、これをビッグビジネスのみを利してきた考えとして退けた。企業家精神を活性化させるためには政府は小さければ小さいほどいいと言われても、自分たちの生活がままならない状況では、そんなことはどうでもよくなる。また、彼らが小さな政府を訴えたのは、政府がマイノリティを救済する政策をこれまで積極的に導入してきた(と彼らが考えた)ことへの不満からであり、その意味においては、小さな政府それ自体が純粋な目的ではなかった。ギリギリのところでミドルクラスの地位を維持し、「転落する恐怖」に日々直面している彼らからしてみると、マイノリティに対する「優遇政策」は不公平感を際立たせた。トランプ大統領は、そんな彼らに対して、行政府最高位のポジションから、「連邦政府はあなたたちのためにある」と躊躇せずメッセージを発した。それは、小さな政府とは無縁の発想だった。
次に、「力に依拠した対外政策」については、彼らは躊躇なくアメリカン・ナショナリズムを肯定はするものの、それを世界に向けて投射し、アメリカが中心になって国際秩序や規範を維持すべきだとする外交エスタブリッシュメントの発想は到底受け入れられなかった。外交エスタブリッシュメントは、「リベラル・インターナショナル・オーダー(リベラルな国際秩序)」のような、無機質(ノッペラボウ)な言葉を振りかざして、アメリカの国際的役割を唱えるが、それを現実に落とし込んでいくと、結局、それを支えるために動員され、世界の裏側に派遣されるのは、自分たちの息子や娘たちであるという感覚、そして、その結果が長期化するアフガニスタンやイラクならば、そんな役割は引き受けたくないという不満が確実に存在していた。トランプ大統領が、大統領候補としてイラクへの介入に批判的な立場を打ち出したのも偶然ではないだろう。外に出ていって怪物を退治するよりは、国を閉ざす。壁はそうした発想の物理的な表現だった。
そして、「伝統的な価値」については、従来は「キリスト者として正しく生きる」というタテマエがあり、個別の争点としては、中絶や同性婚をめぐる問題があった。しかし、トランプ大統領は、どこをどう捻っても、模範的なキリスト者とは言い難いだろう。しかし、共和党の頑強な支持基盤である宗教右派の間でトランプ大統領への支持は強固だ。それはトランプ大統領が、深い信仰の持ち主であると装おうとはせずとも、宗教右派が何を望んでいるかをわきまえていて、それに確実に応えようとしているからだ。さらに、宗教右派は、アメリカが外からの「異物」によってアメリカ的価値観が脅かされていると、とりわけ強く感じていると言われるが、トランプ大統領に対しては、ある種の「(復古的な)アメリカ的生活様式」の守護者としての期待を抱いている。その具体的な表現が、メキシコとの国境に建設されるはずの壁であり、政権が発足してすぐに導入を試みた、イスラム教徒が多数を占める一部の国からの入国制限であった。こうした、アメリカ的生活様式の護持が、「伝統的な価値」の中に今までも埋め込まれていたことは否定できないだろう。しかし、「異物」に対する違和感が大統領のレベルでここまでストレートに表明されたことは近年なかった。その意味で、昨年のシャーロッツビルの騒乱で、トランプ大統領がとった行動は、その限りにおいて一貫性を持っていたとさえ言える。それは、変化に対する違和感の表明だった。
こうしてトランプ大統領自身が自覚していたかどうかは別として、従来的な保守主義はトランプ・ワールドの中では退けられていった。
アメリカン・インターナショナリズムの行方
ここまで、トランプ大統領が呼び覚ました反動思想を否定的な文脈で論じてきたが、それが「忘れられた人々」にとっては、強いリアリティを持っていることも否定し難い。彼らの「出口なし感」に唯一応えたのがトランプ大統領だった。それは経済的な回答では決してなかったが、行き場のない彼らの不満に応えるものだった。仮にトランプ現象が、このような根深い拒否衝動によって支えられているとすると、戦後国際秩序を支えてきたアメリカは内部から大きな挑戦を受けていると考えたほうがいい。
G7シャルルボワ・サミットにおけるトランプ大統領の立ち振る舞いを見ても、自由貿易体制の守り手として、トランプのアメリカが「常道」に戻るということは期待できないだろう。何と言っても、声明作成の過程で、当のアメリカが「法に基づいた国際秩序(rules-based international order)」という表現に違和感を表明したと伝えられている(New York Times, June 6, 2018)。「アメリカ・ファースト」は、トランプ大統領その人以上に根深い。それは、強固な退行的ナショナリズムであって、攻撃的な防衛本能に依拠し、これまでアメリカン・インターナショナリズムに「タダ乗り」してきた国と同様、狭義の国益と目の前にある利益に基づいて行動させてもらうという居直りの宣言だった。トーマス・ミーニーとスティーブン・ワーサイムは、こうしたトランプ外交を異端と見なすべきではなく、むしろ誰も受け入れたくはないが、アメリカ政治の底流にある、「ラディカル・アメリカン・インペリアリズム」の系譜にあると論じている(New York Times, March 11, 2018)。そして、それはその限りにおいて、アメリカ的であるというのが彼らの主張だ。しかも、トランプ支持者たちは、そのことを感覚的にわかっていると。
さて、こういうアメリカとどうつきあうのか。その解答をいまだ世界は持ち合わせていない。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。