慶應義塾

【特集:がんと社会】座談会:がん医療と患者を支える社会のあり方とは

登場者プロフィール

  • 村本 高史(むらもと たかし)

    サッポロビール株式会社人事総務部プランニングディレクター

    1987年サッポロビール入社。2009年に頸部食道がんを発症。11年再発し喉頭を全摘。がん経験者の社内コミュニティ「Can Stars」を立上げる。NPO法人日本がんサバイバーシップネットワーク副代表理事。

    村本 高史(むらもと たかし)

    サッポロビール株式会社人事総務部プランニングディレクター

    1987年サッポロビール入社。2009年に頸部食道がんを発症。11年再発し喉頭を全摘。がん経験者の社内コミュニティ「Can Stars」を立上げる。NPO法人日本がんサバイバーシップネットワーク副代表理事。

  • 古元 重和(こもと しげかず)

    その他 : 北海道大学大学院医学研究院教授医学部 卒業

    塾員(1997医)。1998年厚生労働省入省。2020年~21年同省健康局がん・疾病対策課課長。老人局老人保健課課長を経て2024年より現職。博士(医学)。専門は医療政策、社会保障等。

    古元 重和(こもと しげかず)

    その他 : 北海道大学大学院医学研究院教授医学部 卒業

    塾員(1997医)。1998年厚生労働省入省。2020年~21年同省健康局がん・疾病対策課課長。老人局老人保健課課長を経て2024年より現職。博士(医学)。専門は医療政策、社会保障等。

  • 鈴木 美穂(すずき みほ)

    その他 : 認定NPO法人マギーズ東京共同代表理事法学部 卒業

    塾員(2006法)。大学卒業後、日本テレビ入社。記者として活動する2008年に乳がんを発症。株式会社Smart Opinion CCO。PMDA運営評議会委員、NHK番組放送審議会委員など兼任。

    鈴木 美穂(すずき みほ)

    その他 : 認定NPO法人マギーズ東京共同代表理事法学部 卒業

    塾員(2006法)。大学卒業後、日本テレビ入社。記者として活動する2008年に乳がんを発症。株式会社Smart Opinion CCO。PMDA運営評議会委員、NHK番組放送審議会委員など兼任。

  • 竹内 麻理(たけうち まり)

    研究所・センター 大学病院緩和ケアセンターセンター長理工学部 卒業医学研究科 卒業

    塾員(1995理工、97医修、2012医博)。2003年島根医科大学卒業。08年より緩和ケアセンター勤務。21年より現職。日本緩和医療学会専門医・指導医、日本精神神経学会精神科専門医・指導医。博士(医学)。専門は精神腫瘍学。

    竹内 麻理(たけうち まり)

    研究所・センター 大学病院緩和ケアセンターセンター長理工学部 卒業医学研究科 卒業

    塾員(1995理工、97医修、2012医博)。2003年島根医科大学卒業。08年より緩和ケアセンター勤務。21年より現職。日本緩和医療学会専門医・指導医、日本精神神経学会精神科専門医・指導医。博士(医学)。専門は精神腫瘍学。

  • 秋山 美紀(司会)(あきやま みき)

    環境情報学部 教授

    塾員(1991政、2005政・メ博)。専門は健康・医療のコミュニケーション。07年鶴岡にがん情報ステーション「からだ館」を開設。08年ステージⅣのがんを経験。NPO法人日本がんサバイバーシップネットワーク副代表理事。

    秋山 美紀(司会)(あきやま みき)

    環境情報学部 教授

    塾員(1991政、2005政・メ博)。専門は健康・医療のコミュニケーション。07年鶴岡にがん情報ステーション「からだ館」を開設。08年ステージⅣのがんを経験。NPO法人日本がんサバイバーシップネットワーク副代表理事。

2025/07/07

患者・家族から見た社会とのつながり

秋山

今日は「がんと社会」というテーマで、皆様とお話ししていきたいと思います。がんが「死と隣り合わせ」というイメージは、昔に比べてずいぶん薄れてきました。もちろん怖い病気ではあるのですが、誰でもかかる可能性があり、早期に治療したら完治して元の生活に戻れる、あるいはがんと共存しながら長く生活できる、というイメージが近年定着してきたと思います。

また、政策面で言えば、2006年にがん対策基本法が成立して以来、がん対策推進基本計画が5、6年に一度閣議決定され、重点分野が次々と国から示されてきました。それに基づいて各都道府県が施策を立案・実施することで、均てん化(全国どこでも質の高い医療を受けられること)も進んできたと思います。

その一方で、患者の視点、あるいは医療を提供する現場の視点から見ると、まだまだ足りないと思うこともあるかと思いますし、行政、政策立案の立場で課題を感じていることもあると思います。

まず最初に、自己紹介とがんに関して今抱いている問題意識を、村本さんからお話しいただければと思います。

村本

私は今60歳なのですが、2011年、今から14年前に頸部食道がんの再発手術で声帯を含めて喉頭を全摘しました。その後、食道発声法を習得して発声をしています。

サッポロビールでは、人事部門の経験がキャリアの3分の2で、再発手術をした際は人事総務部長だったのですが、今は、いわゆる専門職に転換しています。

社内では、両立支援制度の推進にも携わっており、2019年にがん経験者の社内コミュニティを「Can Stars」という名称で立ち上げて運営しています。またこれまで厚生労働省のがん対策推進協議会の委員を始めとする機会を頂戴したり、その他、国立がん研究センターを退職された高橋都先生が立ち上げた、NPO法人日本がんサバイバーシップネットワークで、秋山さんと一緒に副代表理事をしています。

問題意識ですが、がん発見から社会復帰に至るプロセスでも、まだいろいろな課題はあると思います。今回のテーマである「がんと社会」という観点では、「社会のあり方とは何なんだろう」と考えた時、社会は様々な仕組みやシステムで構成されていると見ることもできる一方で、社会というのは人との人のつながりでできている、と見ることもできると思うのです。

その際、患者・家族というものを中心に置いた時、患者・家族と医療者の間の関係がどうなのかという視点が、1つあると思います。もう1つ、患者・家族と、働く職場を含めて周囲の人との関係はどうなのか、ということが2つ目の切り口です。

医療者とがん患者・家族のコミュニケーションを考えると、患者・家族にとっては特に主治医の先生は忙しくて偉い人だという思い込みから、言いたいことを十分に言えているのか。そもそもこんなことは主治医に言うことではないのではないかと、控えてしまっていることもあるのかと思います。すると医療者側がいかに患者・家族に主体的に働きかけ、支援するかが1つの課題だと思っています。

さらに、国や行政、医療者にとっては、がん治療やがんとの共生は重要な目標ですが、患者・家族にとっては、それは実は手段に過ぎない。患者・家族にとっては、大切な人と共に生きていく、大切なことと共に生きていくことが大目的・大目標です。そのための手段が治療や、がんとの共生に過ぎないので、このあたりをどう擦り合わせていくか。そこが私は、患者側と医療者の間では重要かなと思っています。

職場を含めた周囲の人との関わりですが、やはり、人によってがんに対する認識の違いがあります。がんになったら働けないのではないか、といった思い込みがまだまだ残っていたり、無理はさせられないという雰囲気の中で、居心地が悪くなることもあるので、そのあたりは擦り合わせをしないといけない。私どもが会社でやっている、がん経験者の社内コミュニティも、自分たちの体験や思いを発信していくことで、そうした擦り合わせをできればと思っております。

正しい情報へのアクセスという課題

古元

私は、塾医学部を1997年に卒業し、研修医を経て、厚生労働省に入り、約25年間、医療行政を担当してきました。

がんに関しては2020年から21年にかけて、がん疾病対策課長をさせていただきました。当時、コロナの真っ最中で、コロナ対策本部の業務も兼ねながらという大変さもありましたが、ちょうど第3期のがん対策基本計画の評価を行っている時期で、大変やりがいのある仕事でした。そして昨年の8月から北海道大学で医学部の学生の教育に関わっております。

初めに秋山さんがおっしゃったように、政策的には、がん対策基本計画のフレームの中で、2つの大きな成果が得られていると思っています。1つは拠点病院が整備され、治療の成績が向上して、がんの死亡率や5年生存率が向上したことは明らかな成果だと思います。もう1つは、「病気の治療」に着目していたがんへの対応が、「生活を支える」という視点での進化をしてきていること。様々なステークホルダーが力をあわせることで、政策も進化してきた、と言えます。

一方、課題はいくつかありまして、私なりに3つ挙げるとすれば、1つは、がんを取り巻く正しい情報に、患者やその家族がきちんと適切にアクセスできているのかということです。

2つ目は、がんの医療提供体制です。ご多分に漏れず、医療現場は人手不足が大変なことになっていて、均てん化だけでなく集約化が必要です。私は本当に高度な医療については集約化するなど、少しメリハリをつけていく必要があるのではないかと見ています。

3つ目はがん検診の受診率の向上と精度管理です。これはやはりまだ改善の余地ありと思っています。

24歳での発症

鈴木

私は2006年に塾の法学部を卒業し、新卒で日本テレビに入社しました。そして駆け出しの記者として忙しくしていた2008年5月に、24歳でステージⅢの乳がんが見つかりました。

その時は目の前が真っ暗になりました。それまで元気が取り柄で生きていて、初めての大きな病気が乳がんでした。家族にも祖父母の代まで含めても誰一人がんになった人はおらず、家族中、大きく動揺しました。いくつかの病院を回った中で、私には言わなかったのですが家族に5年生存率が2.9%だと言ったお医者さんがいました。

家族と残された時間を大切に過ごさなくてはと、母と妹は仕事を辞め、バンコクに単身赴任中だった父は帰国して、私を皆で支えてくれました。

私も、もう死ぬのだと思ったので、がんの治療よりも精神的な混乱のほうが、闘病中大変だったのではないかと思うほどです。

とは言え、治療も大変で、8カ月休職して手術、抗がん剤、放射線、ホルモン治療、分子標的薬と、標準治療のフルコースとも言える治療をして、復帰しました。今、古元さんもおっしゃいましたが、当時は記者で、正しい情報を取材して発信する立場の私でさえ混乱する情報が溢れていたことが、とても課題に感じました。不安になる情報にばかりたどり着いて眠れなかった日もありましたし、宗教や新しい治療法を勧められて、何を信じていいかわからなくなっていたこともありました。

秋山

本当に様々な情報が溢れていますからね。

鈴木

そこで、病気が落ち着いた後、最初に立ち上げたのが若年性、AYA世代(Adolescent and Young Adult)のがん患者のための団体「STAND UP!!」です。がんと共に生きていくための希望となる情報提供に特化したものを作ろうと、最初は若くしてがんになった人向けのフリーペーパーを発行することから始めました。当時、SNSやブログでも、顔出し、実名での体験談はほとんど見つけられませんでした。テレビでも、がんになった人はモザイクをかけて声を変えて出すような時代で、病院の冊子でも体験談は「A子さん(30代)」とあって実感が湧かなかったです。

ですので、若くしてがんになっても、その後も道を一生懸命生きている人たちがいるよ、という情報だけでも伝えられたらと思い、始めたのです。そうしたら、仲間がどんどん集まってきて、2008年から毎年1号出し、今、16号目が出ています。AYA世代の団体の中では日本で一番大きな団体になったと思います。

そして次に、自分ががんになった時に、治療の選択やがんと共にどう生きていけばいいかなど悩むことが多かったので、何かあった時に相談できる仲間にいつでも会えるような場所が欲しいと思い、自分で家を買って、そういう場所をボランティアで作ろうと準備していたのです。

するとたまたま、STAND UP!!のファウンダーとして呼んでいただいた国際学会で、「あなたのやりたいことはマギーズに近いから、英国のマギーズセンターを見たほうがいい」と言われました。調べてみると、とてもおしゃれな建築が出てきて、これが全部チャリティで、利用は全部無料とあり、こんなのがあったらそれはいいなと。しかも私がやりたかったようなワークショップ的な集まりもあれば、ドロップインでいつでもがんの専門家に相談できる。これは私が思い描いていたものよりも、一歩先をいっているなと。

秋山

それが現在の「マギーズ東京」の立ち上げにつながったのですね。

鈴木

そうです。そこで帰って来てすぐに、いつかマギーズを作りたいと発信されていた看護師の秋山正子さんを訪ね、会ったその日に「一緒に作りませんか?」と言いました。運営をはじめ、今、8年目になります。私自身は医療者ではないので、「私に会いたい」と言ってくださる方がいたら同席する形なのですが、毎回、話を聞いてると、また課題が集まってくるような場所です。

様々な課題解決のための活動

鈴木

すると、今度はその課題を解決していきたいと思うようになりました。

私は2008年5月に乳がんになった直前に保険承認された分子標的薬ハーセプチンのお蔭で助けてもらいました。7つの病院に行ったのですが、7つ中3つの病院ではまだ「うちでは治せません」ということでした。

そう考えると、ドラッグ・ラグとは、患者一人で見るとゼロか100かみたいな世界で、開発されて日本で保険承認されているレベルの薬が広く行き渡るだけでも、生存率が大分変わると思いました。そこをいかに速く全国に、皆で手を携えて治療を広げていくかが、より多くの命を救っていくことにつながります。

そこで、産・官・学・民・医などの人たちが立場を超えて集まって、がんに関する課題を解決することができたらいいなと思い、次に立ち上げたのがCancerXという、学会のような組織です。年に1回、大きなサミットを2019年から始めて、例えば「がん×社会」「がん×働く」といった課題を、医療者、当事者、企業など多様な人でディスカッションして解決できる方法を探っています。

また、乳房のエコー検査をAIと人の目でダブル読影できるようにする診断支援機器を開発・普及するSmart Opinionというベンチャー企業にも、チーフ・コミュニケーション・オフィサーとして参画しています。慶應の乳腺外科の林田哲教授と共同開発を進めてきたもので、まもなくローンチする予定です。

がんになると、治療はもちろん大切ですが、その後の人生をどう周りの人と関わりながら生きていくかということが同じくらい大切です。がんと共にいかに生きていくかというところを、いろいろな面から支えていくような活動をこれからもやっていきたいと思っています。

緩和ケア医の役割

秋山

それでは竹内さんお願いします。

竹内

私はもともと医学部ではなく慶應の理工学部を出て、その後、医学研究科の医科学修士課程でがんの研究をしていました。ちょうどヒトゲノム計画などの時代で、遺伝子の研究をしてがんを解き明かしたいと思っていました。

しかし、その後いろいろな曲折を経て、実際に患者さんを診たい、がんを治せるようになりたいと思い、島根医科大学に編入学で入りました。

そこを卒業して慶應で研修医をさせていただいたのですが、いろいろな患者さんとの出会いの中で、がんは治ればいいという問題ではないんだ、と気づかされました。緩和ケアでつらさを和らげることで、こんなに患者さんが笑顔になれるんだと思った経験がいくつかあり、緩和ケアを専門にしたい、まずは心のケアを専門に学びたいと精神・神経科に転科しました。

当時、緩和ケアを専門に学べる場もほとんどなく、「緩和ケア」という言葉がようやく出てきた頃です。まだ「緩和ケア=終末期ケア」みたいな時代でしたが、ちょうど文部科学省の主導でがんプロフェッショナル養成プランが始まり、私はその1期生として、緩和ケアを専門に学ぶ機会に恵まれました。

そのようにまだ緩和ケアが一般的になじみがない時代だったところから、厚労省や学会、そして患者さんの力に後押しされ、ようやく緩和ケアが広がってきたと思います。慶應では以前から緩和ケアを行っていましたが、組織としての緩和ケアセンターはまだ新しく、ようやく12年がたったところです。日々、課題を感じながらやっています。

やはり課題として思うのは緩和ケアの専門家が不足していることです。慶應はそれでも緩和ケア医がかなり多いほうで4人の医師がおり、しかも4人全員が緩和ケアの指導医資格をもっています。でも、全国的に見るとまだまだ緩和ケア医は不足していて、緩和ケアを受けたくても、相談できる部署がないということがあります。まだまだ施設格差、地域格差があり、東京は多い方だと思いますが、それでも病院により格差があり、専門家が足りていない状況です。ですので、専門家ではない医療者が基本的な緩和ケアができるような教育をしていくことも、大学にいる私達の役割だと思っており、今日も学生に講義してきたところです。

また、私が課題として取り組んでいるのが、治療後の患者さんのフォローの問題です。がんは、鈴木さんがお話ししてくださったように、治療が終わったから終わりではなく、また病気が再発するかもしれないというご不安の中で、社会に戻っていく過程の患者さんのサポートも大切だと思いますが、それができる病院、医療機関はまだ少ない現状があります。

私の外来では、治療が終わっても患者さんのご希望があれば受診できる仕組みにしていて、1年に1回来るだけでも大丈夫とお伝えしています。

もう1つの関心は、ご家族のケアで、家族外来というのをやっています。鈴木さんのお母様と妹さんが鈴木さんのご病気がわかった時に仕事を辞められたという話を伺って、グッときたのですが、患者さんを支えているご家族のケアも大事だと思っています。ですが、それができる場所がまだまだ少ないのが現状です。

慶應病院では、がん患者さんの子どもをサポートするチームを2014年から立ち上げ、親の病気を子どもに伝えるサポートや、そして子ども自身のサポートを行っています。例えばお子さんが病院内を探検できるようなイベントをしたりしています。どんなところでお父さん、お母さんが治療しているかを実際に見て知るだけでも、お子さんにとっては安心につながる場合もあります。

それから、最近AYA世代のがん患者さんのサポートについて一般にもとても注目されていますが、それができている医療機関もまだ少ない状況です。特に思春期の子が集まれるようなところは少ないです。患者さんであっても、患者さんのお子さんであっても、いろいろな思いをぶつけたりする場も必要だと思います。特に思春期はただでさえ難しい問題を抱えている年代で、自分あるいは家族が病気という状況で我慢していることも多いと思いますので、思春期世代の方のサポートもすごく大事だと思っています。

秋山

緩和ケアというのは、一般の人にイメージしにくいところもあると思います。緩和ケアの専門家が足りないというのは、身体の痛みを取る専門家が足りないということなのか、もっと広い意味での苦痛を和らげる専門家がいないということなのでしょうか。

竹内

体のケア、心のケア、いずれも含めて緩和ケアを専門にしている医療者が足りていないのが現状かなと思います。当然がん拠点病院では緩和ケアの外来はありますが、拠点病院以外では、緩和ケアを専従にしている医師がいる病院は少ないと思います。

緩和ケア医療学会の専門医はまだ500人ぐらいしかいません。専門医でなければ緩和ケア医でないという意味ではないですが、緩和ケアをやっている医療者自体が少ないのです。

秋山

方向性としては、がんの治療にかかわるすべての医師が、ある程度の緩和ケアができるようになるのがよいということでしょうか。

竹内

そうです。基本的な緩和ケアをすべての医療者ができないと、今の専門家が不足している状況では、当然ながら早期からの緩和ケアは実現できません。そういう意味での医療者への教育は大事だと思っています。

患者としての経験を還元する

秋山

皆さんの話を伺って私が感じたのは、村本さんや鈴木さんのような患者経験者の力の大きさです。がんになり、そこからの人生を歩む中で、たくさんのことを学び取り、知識や仲間やネットワークを得て、がん患者を取り巻く環境や社会をよりよいものに変えていく活動をされている。大変な経験を糧にして、大きな役割を果たしておられると感じました。

今のがん対策基本推進計画でも患者・市民の参画の推進が1つの柱になっています。ご指摘のあった医療者不足を始め、いろいろなものが不足している現状の医療の中で、患者経験者は大きなポテンシャルを持っていると感じます。

村本

患者・市民参画にはそれほど詳しいわけではないですが、研究にとって新たな視点の獲得にもつながるし、患者経験者にとっても新しい気づきや貢献ができるので、どんどん進めていくべきだと思っています。また私や鈴木さんのような人は、思いもあり、いろいろなアクションができる機会にも恵まれているので、そういう人はどんどんアクションしていくべきだと思うのです。

一方で、忘れてはいけないのは、では誰でもそれができるかというと、決してそうではないと思うのです。やはり厳しい環境にいる方たちや、あるいは心身の状態からとてもそういう活動はできない方もいらっしゃる。何より忘れてならないのは、我々も含めて、がんになった当初は、誰でも不安や混乱を抱えた、戸惑う一人の人間に過ぎなかったということです。

よく「患者力」という言葉が言われます。もちろん、勉強していくことは素晴らしいことですが、患者力と言ってしまうと、それがあるとかないとか、上から目線になってしまうので、誰でも最初は不安や混乱を抱いている一人の人間に過ぎないというところは、決して忘れてはいけないと思います。

秋山

いろいろなフェーズの方がいらっしゃるということですね。ともすると「患者」と一くくりにされている人の中での差が大きいということは忘れてはいけませんね。

村本

そうですね。現在は、「誰一人取り残さない」ということが基本計画に掲げられていますが、誰でも最初は、不安や混乱を抱える一人に過ぎない。だからこそ寄り添っていくというところが、やはり基本かなと思いますね。

がんの経験を価値に変える

鈴木

村本さんのお話を伺って共感するところばかりです。私自身はがんになった時、もし生きることができたら、自分のように困難や苦しみと向き合っている人たちのために、自分にできることをしていくので、どうか生かしてくださいと祈りながら治療を受けていました。そういう思いもあり、自分が欲しかった居場所や施策を作っていきたいとずっと思っていたのです。

がんになって、10年間元気に生きて世界一周に行くことを目標にしていたので、新婚旅行として夫婦で世界一周に行きました。でも、世界一周をしたぐらいのタイミングから私の発信を見て傷つく人がいるんじゃないかと思い始めたんですね。

がんになってから職場復帰し、初めて作ったドキュメンタリーが、がんになった先輩方に「どうやって前向きになれたのですか?」と聞いて回るものだったんです。そこには、「どうしたらまた笑えるようになるんだろう」と思っていた自分がいました。テレビの中の人が笑っているだけでも、自分とは違う世界にいて、私はもう二度と笑えないと思ってふさぎ込んでいたんです。当時の自分のような状況の人のことを思い始めたら、SNSでも発信が怖くなり、インタビューやこういう座談会などもご遠慮していた時期もありました。

私の仲間でも、現在大変な状況の人もいるし、何人も仲間を亡くしてきたこともあって、私が生きていていいのかというふうに悩むこともありますし、発信についても、今も悩みながらやっているところはあります。

ただ、がんになっていなかったら見えなかっただろう課題が見えているのは事実で、その課題はそれぞれの立場で見え方が違うと思います。罹患したがんの種類や状況、子どもがいるか、働いているか、会社が理解があるかなど皆それぞれ違う中で、それぞれが感じた課題を集めて、それを後にがんになる人のために活かしていくことはできると信じています。

私は「がんの経験を価値に変えていく」と思っていて、そうでもしないと、やっていられないというところもありました。青春真っ只中でがんになり、長らく死の恐怖に怯え、恋愛もできないと思い、がんにならなければこんなに苦しむことはなかったのにと思うことが若い頃にはありました。それを取り返さなきゃ、と。

子どももいつか産みたいと思っていましたが、治療を開始する際にまわった7人の医師のうち6人から「難しい」と言われたので、子どもを残せない代わりに何か社会に残さなきゃというような思いも強くありました。

ところが、世界一周をして帰ってきて調べたら、妊孕性も年齢相応のレベルだと言われたのです。抗がん剤の影響もあって、難しい可能性が高いと思っていた妊娠ですが、「十分できる可能性ありますよ」と。そして自然妊娠で娘を授かることができました。

竹内

AYA世代の悩み、つらいところというのは、恋愛や結婚、そして妊孕性の話もありますし、就業の話もきっとあると思います。

鈴木

若くしてがんになると、周りは皆キラキラ恋愛をして、仕事をしているのに、でも自分は治療して髪の毛も抜けて、仕事にいつ戻れるかわからなくて、死ぬかもしれないみたいな境遇になる。恋愛、結婚、学業、仕事、家族のこと、そもそもライフステージが人生の青春時代は生きていくのが大変なのに、そこにがんが重なるというのは相当、自分でも大変だったし、見ていても大変だなと思います。

がんと就労支援

秋山

竹内さんはそういう人たちを近くで見ていらしていかがですか。

竹内

いくつになっても病気は怖いもので、高齢で病気になったから決して納得できるという問題ではないと思うのですが、やはり若くて、周りは皆元気で、がんになるなんて想像もしたこともない年齢の方が病気になるのは大変なことです。

今はがんは治る時代ですが、治った後、同じ職場や同じ学校に戻っても、決して前と同じように皆と笑えないという人たちもたくさんいらっしゃるように感じています。

私の外来にもそのような方が受診しているのですが、治療が終わると病院からはどんどん離れていく。離れていくことはいいことですが、中には医療の手が必要な人もいます。でも治療が終わったから相談できる場所がない。相談の場は医療の場でなくてもいいけれど、医療の中でもそういう場を作っていけたらいいなと思っています。

秋山

病院は様々な相談支援をしていますね。働く世代にとっては、仕事と治療の両立も大切ですが、そうした支援は医療の現場でも進んでいるのですか。

竹内

私自身がソーシャルワーカー的な仕事をしているわけではないのですが、がんと就労というのは1つの課題で、実際に患者さんとお話をすると、会社の規則では戻れる制度があっても、実際に自分の体調を自分から発信しないとわかってもらえない。でも毎回毎回、この仕事は無理です、今日は早く帰りたいですと言うこと自体もつらい。仕事をどうやって続けていけばいいのだろうかという相談で、心のケアのほうにいらっしゃる方もいます。

秋山

会社の産業医などと連絡を取ることはあるんですか。

竹内

産業医さんと連携することはありますが、こちらのマンパワーもありますし、会社側も恐らく、産業医さんが常勤している会社がどれだけあるかというと、それほどはないのではと思います。

秋山

その点、サッポロビールさんはいかがでしょうか。

村本

サッポロビールは大企業として産業医はもちろん選任していますが、常勤はしていません。一方で保健師をエリアごとに配置していつでも相談できるような体制を取っています。あとはがんを経験した社員の当事者の視点を前面に出して、がん経験者の社内コミュニティが参画して、発信をしたり両立支援のガイドブックを作ったりしています。

相談支援センターのあり方

村本

相談支援という話が出ましたが、やはり患者にとって医療機関の中では相談支援センターが非常に大きな役割を持っていると思うのです。実際、国立がん研究センターでやっている患者体験調査などを見ても、相談支援センターを使った人は、非常に役に立ったと回答する率が高いです。

ただ、残念なのは、直近2回の患者体験調査を見ても、相談支援センターの認知率や利用率があまり高いとは言えない。今、拠点病院の指定要件の中でも、相談支援センターに誰でも一度は必ず通う体制を整備するという要件がありますが、マストではなくて望ましい要件なので、これがマスト要件になれば変わってくるのかもしれません。

一方で、相談支援センターにいる皆さんも本当に忙しく、非常に大変な状況だというお話を聞いているので、そのあたりをどう両立させて、持続性のある体制を作っていくのか。このあたりが患者・家族にとって、持続性のある医療体制という部分で、お金に加え、人の面でも重要になってきている1つの側面かなと思っています。

秋山

今日も慶應病院の相談支援センターには大勢の人がいらしていた、とソーシャルワーカーの方に聞きました。

竹内

当院はがん専門の病院ではないので、ソーシャルワーカーはがんの患者さんだけの相談を受けているわけではないですし、本当に忙しいのが現状です。

がん拠点病院の要件の中に、誰もが相談支援センターに一度は、という文言が盛り込まれたのは、すごくいいことだと思う一方、内情を知っていると、それだけの相談を誰が受けるのだろうかと。緩和ケア医が足りないのと同様、相談員の数もまだまだです。

鈴木

そこはやはり、連携すること、つながることがキーワードになるのではないかと思います。がん相談支援センターも、慶應みたいに人がいっぱい来るところもあれば、全然来なくてどうしましょう、とマギーズに相談にくる人もいらっしゃる。

集中してしまうところと、十分に使われていないところがあるので、必要な人が必要なサポートにたどり着ける仕組みを網の目のように作っていけたらいいですね。病院の中も外も、支えたいと思っている人たちが力を合わせることで、大分改善できるのではないかなと思っています。

竹内

患者さんも、相談をしたい方と、今はそっとしておいてほしいというフェーズの方も恐らくいると思うので、一律で考えるのはすごく難しいのかなと思っています。

秋山

やはり情報アクセスの問題に戻ってくるところもありますね。

鈴木

何もわからない状態でがんになって、私も「あのとき知っていれば」と思ったことは多くありました。

秋山

地域にはがん患者サロンやNPOのような、患者さんが利用できる資源があります。近年「社会的処方」という言葉もありますが、病院の方がそうした資源を把握して、「こういう場もありますよ」とつなぐことができるといいですね。

私も鶴岡の公共図書館の一角で「からだ館」という場を運営しています。もともと、がんの情報探しを手伝う場として始めたのですが、悩みを抱える人がそこに来てスタッフと話をすることで気持ちが整理され、特に何か情報提供をしなくても、納得して帰っていかれる方がいらっしゃいます。医療機関以外にも、地域の中の資源をうまく活用できるといいと思います。

高額医療をどう考えるか

秋山

先ほど鈴木さんが分子標的薬で助かったとお話されてましたが、さらに最近は、免疫チェックポイント阻害薬のように、副作用が少ないのに、よく効くと言われる薬が出てきました。

ただ、非常に高額であることから、国民皆保険の日本の保険財政から考えるとなかなか悩ましいと議論が起きていますね。そのあたりについて古元さんいかがでしょうか。

古元

医療費が伸びている大きな要素は、高齢化というよりも、先進的な医療の進化・普及だと言われています。かつては、保険財政が厳しいので、そういった高額医療については民間保険を活用し、公的保険から外すという論調もありました。ただし、最近はそういった声はなりを潜めているようです。私自身も高度な医療こそ公的保険でカバーすべきであると考えています。

ただし、注意すべき点もあります。最近、ロボットを用いた手術や、粒子線治療といった先進的な医療が加速度的に普及していますが、あらゆる疾患に対してこうした治療技術が優れているわけではありません。患者さんが受けるメリットに応じて診療報酬上の評価を決めることが大切になります。

すなわち、ロボットを使ったほうが治療成績が良好で患者さんのメリットが大きい場合は高い診療報酬で評価をする。ただし、そうでなければ、仮にロボット使った場合でも診療報酬上は通常の手術と同じ評価にする。医療保険制度をこれからも維持していくためには、こうした科学的根拠に基づいた政策のチューニングが大切だと思います。

あと、医薬品の費用対効果評価という仕組みが導入されていますが、これも譲れない仕組みだと思います。

秋山

諸外国には年齢によって受けられる治療に線を引くような考え方もあるようですが、日本ではあまりなじまないでしょうか。

古元

なじまないと思います。ただし、これからの医療提供者には「病気」をみるのではなく、患者さんの「生活」をみるという視点がさらに大切になります。85歳以上の方の約6割が要介護状態であり、認知症高齢者や独居の高齢者も増加します。

「私は医療提供者」という固い鎧をいったん脱いで、治療の後にも続く「生活」にも思いを馳せながら、治療方針を決めていくことが大切です。

竹内

一律で年齢でということは、日本になじまないと思いますし、難しいと思いますが、医療費の問題だけでなく、治療の選択、差し控えというのは、どんな年齢の方であってもこれから考えていかないといけないのかなとは、思います。

ACP(アドバンス・ケア・プランニング)という考え方が普及してきています。私たち医者は医学教育で治すことを中心に習ってきているのですが、治すことだけを考えるのではなく、一人一人の価値観を大切にしていくことが大切かなと思います。

秋山

自分の価値観や生活の中で何を優先するのか、という患者さんの声を、もっと聞きながら決めるということですね。

竹内

例えばこの人はこれ以上は透析は望んでいないといっても、やれば延命できるとわかっている中で医療の差し控えをするのは、倫理的に我々もすごく苦しい部分です。法整備をするのがいいのかわかりませんが、日本全体でそういったことを普段から考えられるような社会になっていくといいなと思います。

早期からの緩和ケアを

鈴木

先ほど緩和ケアのお話を聞いていて、竹内さんのような先生にあの時出会えていればと思いました。私は当時、今日寝たら明日もうこの世に起きられないのではないかと思って眠れなくて、怖くて仕方がありませんでした。緩和ケアは人生の最終段階の痛みを取るためにあるというイメージがあり、早期にがんがわかった段階から受けられるものだという認知がまだまだ足りないと思います。

村本

緩和ケアを考えた時、2つほど、思うことがあります。1つは、もちろん終末期における緩和ケアは重要ですが、おっしゃったように、緩和ケアが終末期と結びつけられ過ぎることによって、本来は診断時からの緩和ケアと言っているはずなのが、なかなか定着しないという問題があるのかと思います。

「緩和ケアを受けたい」と言うと、「いやいや、まだそんな時期じゃないでしょう」みたいな会話が交わされていたりするような気がします。

鈴木

私も治療当時は緩和ケア=終末期のイメージを持っていました。

村本

診断を受けた時、身体的な痛みがある人もいれば、ない人もいますが、やはり精神的なショックは誰でも少なからずありますよね。だからやはり、診断時からの緩和ケアの重要性を明確に伝えてほしいというのが1つです。

一方で、終末期と言うと、もう何もできないと思われがちですが、終末期の定義を結果的に亡くなる半年ぐらい前からとするならば、その時期は普通に働いたりすることもできるのです。私の会社の先輩も結果的には亡くなる1カ月前ぐらいまで、元気に会社に来ていました。ですから、緩和ケアと共に、終末期であっても自分らしく生きられるということも、ぜひ多くの人に知ってもらいたいと思います。

竹内

何もできないのではなくて、症状を緩和する医療ができるということを、もっと知ってもらいたいですね。

古元

診断がついた時からの緩和ケアというのは、国は相当昔から言っているつもりではあるのですが、まだ現場は緩和ケアと言うと終末期というイメージが根強いのでしょうか。

竹内

医療者の中のスティグマみたいなものは、私が緩和ケアに足を踏み入れた時とはだいぶ違います。でも、ここまで来るのにはやはり時間がかかりました。「まだ治療しているんだから緩和ケアにかからなくていい」と言う先生もいました。

また、「すごく痛いから、専門の先生に診てもらいましょう」と主治医の先生から紹介があって病棟に会いに行くと、患者さんから「緩和ケアはまだ」と言われることがあります。丁寧に説明をして、「最期だから来たんじゃないですよ」とお話しするのですけれども、まだまだ、早期からの緩和ケアは難しい面もある。

また、早期からの緩和ケアは、緩和ケアを専門にやっている人だけがやるわけではありません。主治医とのやりとりの中で解決できることもあると思うので、そこの誤解というか、言葉が一人歩きしないといいなと思っています。

他者を受容し、共感する時間

秋山

あっという間に時間が過ぎてしまいました。最後に言い残したことがありましたらお願いします。

村本

サバイバーシップという言葉がありますが、がんと共に、あるいはがんを経験した後に、一人ひとりが自分らしく生きる、その生き方、あり方だと思うのですね。それを支えるのは、やはり一人ひとりに寄り添っていくということだと思います。

医療を見た場合、その一人ひとりへの寄り添いというのを、ハード面でやっているのが、例えばゲノム医療で、ソフト面で寄り添っていくのが、相談支援や緩和ケアだと思うのです。乱暴に言ってしまえば、前者はエビデンスベースドということになりますし、後者はやはりナラティブベースドも重要だと思うのですね。

このナラティブベースドというのは、考えてみれば、医療だけの話ではなく、私たちが生きている社会において人と接していく中では、絶対必要な姿勢だと思います。

私たちは忙しい日常で問題が起きたらいち早く情報を収集し、いち早く解決するという問題解決思考になっているので、その問題解決思考を一旦置いて、ちょっとの間でもいいから、いかに他者を受容し、共感する時間を取れるかということが大事だと思います。

この姿勢を医療者だけでなく、私たち一人ひとりが取れるか。がんに限らず、いろいろな事情を抱えている人がいる時代ですから、これからの社会のあり方はそんなことが大事になってくるのではないでしょうか。

秋山

そうですね。仕事柄どうしても問題解決思考になってしまいがちですが、お話を聞いて人との関係を丁寧に見つめ直したいと思いました。

竹内

やはり一医療者としてのプロの視点と、一人の人間として患者さんに向き合う姿勢を忘れないようにしたいです。医学は科学的な部分もあるので、エビデンスに沿って行うことも大事。でも、その人が必要としているものが何なのかいうところの価値観に添った医療を提供できるような医療者、病院でありたいと思います。

秋山

意思決定の共有、シェアード・ディシジョン・メイキングという言葉もありますが、それは対話の中から導き出されるものでしょうか。

竹内

そうですね。主人公は患者さんなので、そこを医療者がどうやって一緒にシェアしていくか、そういう概念を今、医学教育でも教えるようになってきました。それが当たり前になっていくといいと思っています。

がん対策の進化

秋山

では、古元さん、いかがですか。

古元

政策の立場から少しお話しすると、誤解を恐れずに言えば、がん対策というのは非常に恵まれた仕組みだと思っています。国のがん対策推進基本計画を見ても、とても健全に進化をしているのです。

第1期の計画では拠点病院などの医療提供サイドのウエイトが大きかったのですけれども、第2期から小児、希少がん、共生が、第3期からはAYA世代、高齢者対応やACPが追加、さらに最近策定した第4期では「包摂」、「誰一人取り残さない」というフレーズも取り入れられました。他には見当たらないぐらい、非常に健全な進化を遂げています。

こういった進化が実現しているのは、何よりも患者さんやメディアといった多くのステークホルダーが政策立案に参画しているからだと、私たちは思っています。皆が同じテーブルにつき、お互いを理解しあいながら進めてきたからこそ、ここまでの進化が実現しているのです。

こうしたがん対策をモデルケースに、例えば今、脳卒中や循環器疾患の対策も進みつつあります。他の疾患にもつなげていくことが非常に重要だと思っています。

秋山

考えてみると、疾患名がつく基本法は、がんが最初でしたよね。

古元

そうなのです。あと、がん対策推進基本計画のもう1つのいいところは、閣議決定だということです。つまり財務大臣もこれでいこうと判を押している。そうすると予算もつきやすい。このように、フレームがよくできている恵まれた仕組みだと思います。

秋山

がん対策基本法は、当時参議院議員だった故山本孝史議員が自ら患者であることを明かし、法案成立の重要性を訴え、全会一致で可決したという経緯もあります。そう考えると、最初から患者が参加して制度を作ってきたという面もありますね。

「自分だけではない」ということ

鈴木

私ががんになったのが2008年で、がん対策推進基本計画の第1期です。それからの十数年で、医薬品、医療機器に加えて、がんを取り巻く社会も政策も本当に進化していると、がんを経験した立場からも、サポートする立場からも感じています。

ですから、日本のがん対策は決して悪いわけではなくて、その時々の課題に対して、皆で議論をして、それぞれができることをやってきてここまで進化してきたと思うので、ここからさらに進化させていけば、本当に、がんになってもがんと共に、長く、自分らしく生きていける社会を作っていくことができると私は信じています。

この座談会はがんになった方が読んでくださるかもしれないので、最後にお伝えしたいことは、「決して一人ではなくて、仲間がいます」ということです。がんを経験した仲間もたくさんいるし、いろいろな立場から支えたいと動いてくださっている人が日本中に溢れています。私はそういう人たちにいっぱい出会ってきました。

私はがんになった時、「なぜ自分だけが……」という思いにすごく苦しめられました。でも、仲間はいますと、心からお伝えしたいのと、その仲間と共に連携して、これからも自分の立場でできることをやっていきたいとあらためて思います。

秋山

私も2008年にステージⅣBのがんに罹りました。当時はショックと混乱の中で無我夢中でしたが、がんになったからこそ視野が広がったというか、それまで気づかなかったことに気づくことができました。

たまたま運よく今こうして生きているのも、先人たちが良い制度を作ってくれたり、医療やケアを進化させてくれたおかげだと思います。がんを経験したサバイバーとして今を生きている自分は、次の世代のためにもできることをやっていきたいと思います。たくさんの仲間たち、医療者や政策立案者とも手を取り合って、やるべきことをやっていければと思っています。

この座談会が、がんと向きあう皆さんに希望を持っていただける、そんなきっかけになることを願っています。今日はお忙しい中、本当に有り難うございました。

(2025年6月6日、信濃町キャンパスにて収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。