慶應義塾

【特集:「移民社会」をどう捉えるか】座談会: 移民社会化から考える これからの日本

登場者プロフィール

  • 毛受 敏浩(めんじゅ としひろ)

    その他 : 公益財団法人日本国際交流センター執行理事法学部 卒業

    塾員(1979政)。米国エバーグリーン州立大学行政管理大学院修士課程修了。兵庫県庁を経て1988年より国際交流センター勤務。2012年より現職。著書に『限界国家──人口減少で日本が迫られる最終選択』等。

    毛受 敏浩(めんじゅ としひろ)

    その他 : 公益財団法人日本国際交流センター執行理事法学部 卒業

    塾員(1979政)。米国エバーグリーン州立大学行政管理大学院修士課程修了。兵庫県庁を経て1988年より国際交流センター勤務。2012年より現職。著書に『限界国家──人口減少で日本が迫られる最終選択』等。

  • 施 光恒(せ てるひさ)

    その他 : 九州大学大学院比較社会文化研究院准教授法学部 卒業法学研究科 卒業

    塾員(1993政、2001法博)。英国シェフィールド大学大学院政治学研究科哲学修士課程修了。博士(法学)。専門は政治哲学、政治理論。著書に『本当に日本人は流されやすいのか』等。

    施 光恒(せ てるひさ)

    その他 : 九州大学大学院比較社会文化研究院准教授法学部 卒業法学研究科 卒業

    塾員(1993政、2001法博)。英国シェフィールド大学大学院政治学研究科哲学修士課程修了。博士(法学)。専門は政治哲学、政治理論。著書に『本当に日本人は流されやすいのか』等。

  • 松元 雅和(まつもと まさかず)

    その他 : 日本大学法学部准教授法学部 卒業法学研究科 卒業

    塾員(2001政、2007法博)。島根大学教育学部准教授、関西大学政策創造学部准教授等を経て2018年より現職。専門は政治哲学、政治理論。著書に『平和主義とは何か──政治哲学で考える戦争と平和』等。

    松元 雅和(まつもと まさかず)

    その他 : 日本大学法学部准教授法学部 卒業法学研究科 卒業

    塾員(2001政、2007法博)。島根大学教育学部准教授、関西大学政策創造学部准教授等を経て2018年より現職。専門は政治哲学、政治理論。著書に『平和主義とは何か──政治哲学で考える戦争と平和』等。

  • 望月 優大(もちづき ひろき)

    その他 : ライターその他 : 「ニッポン複雑紀行」編集長法学部 卒業

    塾員(2008政)。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。日本の移民文化・移民事情を伝えるウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」編集長。著書に『ふたつの日本──「移民国家」の建前と現実』等。

    望月 優大(もちづき ひろき)

    その他 : ライターその他 : 「ニッポン複雑紀行」編集長法学部 卒業

    塾員(2008政)。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。日本の移民文化・移民事情を伝えるウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」編集長。著書に『ふたつの日本──「移民国家」の建前と現実』等。

  • 塩原 良和(司会)(しおばら よしかず)

    法学部 教授

    塾員(1996政、2003社博)。東京外国語大学外国語学部准教授等を経て現職。博士(社会学)。専門は社会学・社会変動論、多文化主義・移民研究等。著書に『分断と対話の社会学──グローバル社会を生きるための想像力』

    塩原 良和(司会)(しおばら よしかず)

    法学部 教授

    塾員(1996政、2003社博)。東京外国語大学外国語学部准教授等を経て現職。博士(社会学)。専門は社会学・社会変動論、多文化主義・移民研究等。著書に『分断と対話の社会学──グローバル社会を生きるための想像力』

2019/07/05

30年間の在留外国人の増加

塩原

昨年法案が国会で可決され、この4月より施行された改正入管法(出入国管理及び難民認定法)をきっかけに、外国人労働者のあり方について様々な議論がなされています。

実際には、日本にはすでに270万人を超える在留外国人が住んでいるわけですが、今日は、こういった現実を踏まえた上で、「移民社会」をどう捉えるか、というテーマで議論していきたいと思っています。

遅すぎるくらいですが、日本でも移民社会化の問題を真剣に考えていかなければならない。今日はマスメディアベースの短期的な政策論議ではなく、規範の問題も含め、中長期的に見て、日本社会はどのようなあり方を目指すのかという射程の長い議論を進められればと思うのです。

まず、現状からですが、望月さんのご近著(『ふたつの日本─「移民国家」の建前と現実』)は、まさに事実上の移民としての外国人住民の長期的な増加のトレンドに焦点を当てています。在留外国人の増加について、どのようなところに注目しておられるのでしょうか。

望月

この本は、政府が出している統計データや、一般に公開されている様々な研究をもとに、特に90年代以降の30年間に何が起きていたのかということをまとめた本です。

書いた動機としては、日本という国の中で、そもそも移民というテーマや問題自体が、ほとんど国内の問題として注目されてこなかったのではないかという感覚がありました。これまで「移民問題」という単語を見たときに想起されやすいのは、日本国内ではなく、フランスやアメリカなど国外の話でした。実は国内にも類似のテーマがあるのだという共通認識を作りたいと思ったことが1つの動機です。

実際に、政府が出している在留外国人統計では、たまたま平成の30年間と重なるように増加のペースが早まっていて、1980年代の終わりにはまだ90万人台だった在留外国人数が、2018年末には273万人へと3倍にまで増えている。この変化は非常に大きいと思いますが、このような形で継続的に増えてきたということを、私を含む一般の市民が正しく認識してきたかと考えると疑問です。

日本が継続的に在留外国人を増やしてきたという事実を、自分自身も含めてきちんと見てこなかったのではないか。一般の市民の立場として考えたときに、自分たちの国に対する認識が甘かったと感じています。

塩原

毛受さんは、この在留外国人の問題にいち早く注目されてこられましたね。

毛受

日本では国民も政府も、外国人を「一時的な滞在者」という立場に止めていたのだと思います。実態としてはどんどん数が増えていても、「定住者」だという認識がまったくなかったと思うんですね。ですから、実はそれを前提とした統計もなく、外国人の子どもの日本語教育も政府は全く手当てをしてこなかった。

私はこれを、「30年間の政策の空白」と言っているんです。この30年というのは一世代なんですね。日本で生まれた子どもたちが大きくなって、その人たちの子どもが生まれるくらいの時間が経っている。270万人という数は、広島県とか京都府の人口に匹敵する数です。その中には実際、社会から落ちこぼれている人たちがたくさんいるわけです。ですから、この認識の欠如は非常に問題です。

現在、新しい政策をとって、これから外国人が増えてくる、という話になっていますが、実際にはすでに270万人の人がいて、その人たちに、政府は何もしてこなかった、という現実をまず踏まえるべきだと思います。

塩原

しかし、実際には毛受さん自身が紹介されてきたように、自治体、市民社会ベースでは様々な共生の取り組みがされてきました。そのあたりについてはどうお考えでしょうか。

毛受

結局、基本的には政府が何もしなかったので、自治体やNPO、市民に丸投げされてきたのが実態だと思います。例えば外国人に対する日本語教育は文化庁がやっていますが、年間予算は、昨年度で2億円程度しかない。270万人もいるのに、ほぼゼロに等しい額です。

結局、外国の人たちが地域に定着するということを政府は想定してこなかったと言わざるを得ない。しかし、実際には定着していたわけで、政府の替わりに地方自治体、NPOが独自に外国人を受け入れ、多文化共生を進めてきたのです。このように、お金のない中、ボランティアベースで、あるいは自治体が自主的に進めてきた多文化共生という土壌はあると思います。

ただ、ボランティアの人たちも高齢化してきているし、善意に基づくような土台なので非常に危うい。一方で今、外国人の方はどんどん増えていますから、このようなやり方では到底もたないと思います。

塩原

望月さんは、難民支援協会と一緒に『ニッポン複雑紀行』というウェブマガジンを編集されています。リアルタイムに、今、生きている複雑な状況に置かれた人たちを取材されてきて、どのように思われますか。

望月

毛受さんもおっしゃる通り、政府は「短期間でぐるぐる入れ替わっていく低賃金労働者」という形を外国人受け入れの基本にしてきており、結果として生活面の支援が不十分な状況が続いています。しかし、実際には、彼らは工場の中で働く存在であるだけではなく、工場の外での生活があり、家族や子どもの問題もある。当たり前の話ですが、失業したり、年をとったり、病気になったり、学校に行かないといけない、といった様々なニーズが当然あるわけです。

その部分はこれまで自治体、NPO、学校などの様々な努力によって何とかやりくりしてきたんだろうと、1つ1つの現場を取材していて感じます。でも、「このままでいいのかな」と思うわけですよね。

日本語も母語も十分に発達しないままに成長していく子どもたちがいる。その子たちは労働市場にどういう形で入っていくのか。そういうことがあまりにも顧みられない一方で、政府は、労働者として出来上がっている人を入れて5年で戻せばいい、というような政策を今も続けている。

すでに日本にいる外国人労働者やその家族の中で、現在何らかの厳しい状況にいる方は少なくありません。そして、そのこと自体がまだまだ知られていないことにも問題を感じています。

社会全体として、今、どういうことが起き、どういう状態になっているのかを認識した上で政策を組み直さないと、長期的な影響が非常に多くの人に及んでしまう。そう考えるに十分な状況がすでに起きているのです。

グローバル化と移民問題

塩原

お二人から、日本社会の中で外国人の置かれた現状を詳しくお伺いすることができました。

少し視野を広げたいと思います。グローバルに、つまり世界的な動向の中で、移民問題を捉えることも必要になってきます。そういった観点から、施さんには現実はどのように見えていらっしゃいますか。

マクロな構図から言いますと、私の認識では、やはり、移民の問題というのは、この30年間、新自由主義的なグローバル化が進んできたことが一番大きいと思うんですね。

グローバル化の流れの中では、どうしてもグローバルな企業や投資家の声が非常に強くなる。なぜかというと、グローバル化すると資本の国際的な移動が規制緩和で自由になり、企業や投資家は、儲けやすく、ビジネスがしやすい環境でないと、ある国から出ていってしまうからです。海外の企業であればその国には投資しなくなる。そうやって、どんどんグローバルな企業や投資家の力が強くなってきたんですね。

何に比べて「強くなったか」といえば、それぞれの国の一般庶民に対してです。このような傾向は、イギリス、アメリカでは1980代のサッチャー、レーガンの頃からです。日本では1996年頃、橋本龍太郎政権で金融制度改革、金融ビッグバンが出てきた頃から本格化し、以降、グローバルな投資家や企業に有利な政策が数多くつくられるようになった。

日本は近年、消費税を上げて、法人税を下げる傾向にあります。また非正規雇用をどんどん増やして、人をより安く雇える政策をとりました。私は昨年の改正入管法も、この流れの中で捉えるべきで、これはやはり人件費を下げるための政策の一環だと思います。

日本は、デフレでずっと人件費が下がってきたんですが、2015年ぐらいに底を打ち、少し高くなる傾向にある。これが、バタバタと改正入管法の問題が出てきた一番大きな原因ではないか。つまり、「もっと安く人を雇いたい」ということではないか。

塩原

徹底してグローバル化の論理だというわけですね。

日本のこの20年間の経済問題というのはデフレの問題です。厚労省毎月勤労統計によると、実質賃金はここ20年ぐらいで15.6%ぐらい下がっている。つまり庶民がお金が使えないから経済が回らない。日本はGDPの半分以上は個人消費ですので、デフレを脱却するためには、個人消費を回復させないと経済の回復はあり得ない。

しかし、ここで単純労働に従事する外国人労働者をたくさん入れてしまったら、デフレ脱却は無理ですよ。人件費が下がりますから。実はそれが狙いなんですね。この政策はデフレを悪化させ、そして庶民の生活をどんどん苦しくするだけです。

『移民の政治経済学』(ジョージ・ボージャス著)という本にはこうあります。アメリカで移民を入れることによって、確かに年間でプラスが500億ドルぐらいはあると言われる。移民が安い労働力で働いてくれるので企業が儲けた部分です。ただ、それ以上に問題なのは、同時に5000億ドル程度、労働者から企業に財の移転が行われているというのです。

ですから移民を受け入れることで誰が儲けているかといったら、圧倒的に企業や投資家なのです。一般の労働者はその陰で、どんどん雇用が不安定になり、賃金が下がる。いわゆる社会的コスト、教育や様々な福祉についても政府が出さなければいけない。

ですから、私はこの改正入管法の問題を論じるときは、そういった背後の非常に不公正な問題を見ることが重要だと思います。この問題はもっと国民的な議論を積み重ねていかなければならないのです。

技能実習制度の問題点

塩原

とても重要なご指摘ですね。望月さんや毛受さんの議論にもあった平成の30年間というのは、ネオリベラリズム(新自由主義)と言われる動きが明確になり、その中で格差社会と言われる一連の現象が顕在化してきた時期でもあった。そこを忘れてはいけないということですね。

この30年間の「外国人労働者」の受け入れとは、サイドドアとか言われる、日系人、そして技能実習生、さらに留学生という形の受け入れです。これまで労働者を、「労働者ではない」形で補填してきたということと、コストをかけずに、安い外国人を企業の側が雇いたいという、施さんのご指摘が一致するように思えます。

毛受

おっしゃる通り、技能実習生や、最近では出稼ぎ留学生みたいな形は、企業にとって「安く使える」ということで日本に来たわけです。

技能実習制度というのは企業にとっては麻薬のようなもので、非常に企業の体質を危うくすると思います。技能実習生は、日本人3人に対して払う賃金で最大15人雇えてしまうので、使い始めると、とても日本人を雇えなくなってしまうのです。

四国では、今、在留資格で一番多いのは、4県とも技能実習生です。この5年ぐらいで急速に増えた。みかんも、うどんも、カツオも技能実習生がいないと回らない。うどんに至っては、技能実習生が作って、留学生が販売して、外国人観光客が買っている。

塩原

完結してしまっている(笑)。

毛受

問題は、技能実習生は企業に囲い込まれていて一般の人たちには見えない。だから、実際は外国人労働者がいないと四国の産業は回らないのに、一般の人たちの意識は遅れていて、外国人に対する偏見も強い。そのようにして安い労働力という安易な形で外国人労働者を使ってきたのです。

これから技能実習制度と特定技能資格を併用するようになるわけです。そうすると企業の側からするとオプションが2つあることになる。特定技能は人数制限いっぱいになっても、技能実習生は数に制限がない。つまり上にふたをしても底が抜けているような話になっている。

もう1つの問題は、技能実習も特定技能も学歴要件がないことです。ですから、実態として途上国で最貧層の人たちがかき集められて来ている。私は、ブルーカラーの分野でも、ある程度勉強をした人に来てもらって定着してもらうべきだと思うのです。

今のままだと使い捨て的な感覚が残ったままで、また同じような問題が起こり得る。そして日本は「外国人を使い捨てにする国だ」と思われて、いい人が来なくなると思います。

フローとしての移民と人口減少問題

松元

ここ2、30年の政治思想や政治哲学の理論的なトレンドを考えてみますと、90年代ぐらいから政治思想や政治理論において多文化主義論が活発になってきました。

そのときに念頭にあったのは、やはりカナダやオーストラリアという、いわゆる多民族国家において、どのように共存、共生していくかという話です。少数の民族をどう処遇していくか。シチズンシップ(市民権)の問題や政治代表の問題ということです。私も2007年に、多文化主義の本を書きましたが、そのときに日本の文脈で主に念頭にあったのは、アイヌ民族や琉球民族、あるいはオールドカマーと言われる在日の韓国、朝鮮人の方々でした。

一方、2010年あたりから移民研究がすごく盛んになってきました。これは多文化主義の問題とは似て非なる問題だと思うんですよね。移民というのは人口移動の問題で、望月さんの本にあった言葉を使えば、ストックではなくてフローの問題です。

その背景にあるのが、1つには施さんが言われたグローバリゼーションです。グローバリゼーションは生産要素(ヒト・モノ・カネ)の国際移動を促進させるので、当然フローは生じるわけです。

このフローの動きというのは、やはり人口減少の問題と切っても切り離せないと思うんですね。今回の入管法改正の様々な政策の背景にあるのも人口減少の問題だと思います。

移民問題を語る上では、やはりそういったグローバル化の問題、人口減少の問題がセットで生じていることなので、そこは合わせて考えていかないといけないのではないかと思います。

毛受

政府は、今回の政策は、人口減少対策ではなくて、「人手不足対策」と言っています。つまり「定住を前提とはしていない」というところが私は問題だと思っています。

人口減少は今はまだ序の口で、国立社会保障・人口問題研究所のデータでは、これから2020年代には620万人の人口が減るとしています。

しかし、すでに地方では深刻です。地方創生というのはこれまで日本人だけを考えていたんですが、結局、1兆円の予算を使っても、出生率もほぼ上がらなかったし、地方から東京への人の移動は逆に増えている。人口を維持するということは、全ての人が結婚して2人以上の子どもがいることが前提ですから、今の世の中ではどう考えても無理だと思います。

ですから先進国は移民政策をとって、どうやったらいい人材が入ってくるかを考えているわけですが、日本はこれまでそれをしてこなかった。つまり、日本人で回るだろうという想定をしてきて、それが駄目だったときの方策がなかったわけです。

やはり日本の人口減少について真剣に考えていかないといけない。そう考えると、外国人の受け入れは、もっと早くやるべきだったと思います。

塩原

結局それはフローとストックを分けて考えていたということでもありますね。もし人口減少への対応として、移民を考えるのであれば、実際に地方に住んでもらわなくてはいけないし、前からの住人となんらかの形で統合をしていくことが必要になる。つまり、移民を受け入れるということは、どうやって移民の人たちに社会の一員になってもらうかということと、セットで考えていかないといけない。

そこでストックについての議論である多文化主義について、もっと考えていかないといけないのではないか。日本の場合、多文化共生という言葉がそこに当てはまるとされていますが、多文化主義とはちょっと違うのではないかという議論がありますね。

松元

多文化主義の理論の中で、ウィル・キムリッカという人は、先住民と移民というような形で大きくカテゴリーを分けています。多文化主義において、移民の問題はある種副次的な問題で、メインの問題は独自の言語とか宗教やマナーを持った人々が、ある程度集住して暮らしているということが前提です。彼らの文化、生活慣習をどのように維持していくかということが、特にカナダやオーストラリアで発達してきた多文化主義政策の1つのあり方だったと思います。

だから、そこでは良くも悪くも、マジョリティ社会に対して、いかにマイノリティ社会の独自性を維持していくかというのが多文化主義の課題だったように思うんですね。

それに対して、近年の移民の問題は、マジョリティ社会の中に溶け込んで、どうやってその一員として暮らしていくかということです。自分で選んで来たという背景もあり、「どのように統合していってもらうか」ということですね。

それは同化とは違います。独自の生活とか物の考え方を維持しつつ、その上でホスト国の中に統合していってもらうことが新しい移民の課題だと思うんです。多文化共生という場合の共生には、そういう意味合いが含まれているのかと感じています。

少子化の経済的要因

移民推進派の方の大きな論拠は、やはり少子化だと思うんですね。しかし、私は少子化を自然現象として捉えてしまうと、新自由主義の罠にはまるのではないかと思うのです。

少し古いですが厚生労働白書(平成25年度)を見ると、若い男性が正規雇用か非正規雇用かで、「結婚しているか、していないか」に顕著な差があるんですね。正規雇用の労働者は、34歳までに59.3%が結婚している。ですが非正規雇用の人は28.5%しか結婚していない。

だから少子化問題は、経済的要因がかなり大きいと言えます。グローバル化の中で、日本も人件費を下げないと国際競争に負けてしまうからと規制改革を続け、90年代から非正規雇用をどんどん増やした結果、若い男性の生活が不安定になってしまった。日本では男性が非正規の場合、なかなか結婚しないんですね。当然子どもの数も少なくなる。ですから、やはり少子化というのはかなり新自由主義的施策の結果が大きいと思います。

本当に政府や産業界が少子化で日本はこれから回らなくなってしまって大変だと思うならば、まずは若い男性の雇用を安定化させることです。これをしないと少子化問題は解決しない。

もう1つ、東京一極集中をどうにかしなくてはいけない。これも政府はほとんど真面目に政策を打ってこなかったと私は思います。日本で出生率が一番低い都道府県は圧倒的に東京です。都市部ほど出生率が低い傾向があります。政府は、出生率の問題というと、保育所だ、待機児童だという話ばかりしますが、むしろ若い男性の雇用を安定化させることが大切なのです。真面目に少子化問題に対応しているとは思えません。

これは日本だけではなくて、ヨーロッパも同じです。まず現在の新自由主義的な政策のあり方を見直し、もう一度、「経世済民」の路線と言いますか、各国の一般庶民の生活を安定化する政策を第一に考えて政治をやっていかないといけません。

毛受

私は外国人を入れることは絶対に必要だと思うのですが、おっしゃるように日本の人口維持のために経済問題が大切だというのは同感です。

ただ、経済が安定したら、出生率が2以上になるかと言えば、これはなかなか難しい。現にお金はあるけれど、独身で生活する人たちは男女共に結構いるわけです。

もう1つ、年齢が若いほど人口が減っているのです。年齢別の人口統計で女性を見ると、20歳から39歳と、0歳から19歳を比べると、0歳から19歳のほうが22%も少ない。つまり母数が減ってきているので、出生率を上げても、子どもの数は増えていかない。このような状態では、子どもの数を増やすことはほぼ不可能だと思います。

それから、本国では子どもの数が多い外国の人たちでも、日本に住むと出生率が低くなるんです。なぜかと言えば、施さんがおっしゃったように経済的に不安定だからです。日本人も外国人も経済的に安定しないと、子どもの数は増えない。そういう意味ではおっしゃる通りですね。

問い直されるこの30年の政策

塩原

望月さんも、日本に住む外国人の苦境は、実は非正規雇用のような不安定な状況におかれた日本人が経験してきた苦境と通ずるものがあると書かれていましたね。

望月

移民問題を語るときにはいくつかの視点やテーマがあります。1つはやはり外国人に対する差別の問題など、文化や偏見に関わることです。

平成期のニューカマーの急増の理由の多くは、おっしゃる通り、グローバル化に伴う、「労働コストを下げたい」という資本の論理がメインにあるのは間違いない。その論理からすると、「外国人か日本人か」というのは、正直どちらでもいいのであって、要はどちらが使い勝手がいいか、くらいの差でしかないと思うんですよね。

仮に人口問題という文脈で移民のテーマを捉えた場合、今の形で受け入れるならば、外国人であっても子どもをつくることは難しいでしょう。日本人が家族をつくっていくことが難しい状況にあるのと同じです。これでは、いつまでたっても、人口が自然増する力学は生まれません。

また、「そもそもなぜ人口を維持するべきなのか」ということ自体の議論も必要だとは思います。人口を維持すること自体が目的化してしまい、その結果として、日本の中で生活が苦しい人だけがどんどん増えていくのであれば、何も良くはないじゃないですか。

ある程度の経済的な安定があって、生活の中に幸福があり、将来に対する希望がある人が増えていくことが重要なのであって、人口が多くないとGDPが下がるというだけの論理だと、大きく道を誤ると思っています。

日本全体のことを考えることも大事ですが、日本人であれ外国人であれ、個人の生活の視点に立って、どういう道を行けば一人一人が幸せになれるのか、ということを考えていかないとまずいのではないかと思います。

移民社会化が進んだこの30年、日本が下り坂で、貧しい外国人だけではなく、貧しい日本人も非常に増えてしまい、そこからの出口も見えないような状況に陥ってしまった。産業や国家の目線で政策を作ってきたのだ、と言う方もいるかもしれませんが、結果だけを見ると、一体何のための最適化をしてきたんだろうと思います。過去を冷静に振り返り、考え直さないといけない時期に来ていると思います。

移民政策も、そうした大きなフレームワークの中で、考えていくべきだと思います。日本人であれ外国人であれ、普通に暮らしていける賃金と、社会保障の仕組みをどうすれば実現できるか。そのことをベースに政策を考え直さないと、一般の庶民が幸せになれない国になってしまうと思っています。

反グローバリズムと多文化共生

塩原

その社会に住む人々のシチズンシップをしかるべく保障していくことが、ネオリベラリズムへの対抗になっていくという話ですね。そこに多様なバックグラウンドの人たちのシチズンシップが入ると、それは多文化主義の話になるわけです。

そうすると、「反グローバリズムと多文化共生は両立し得るものなのか」という問いが浮かんできます。これが両立し得るとしたら、それはいかなる方向性、規範があり得るのか。このことはすごく重要だと思うのです。

難しい問いですね。今後、どうなるのかという話だと思うのですが。新自由主義路線は、今、先進国では決別しようとする流れが強くなってきていると思うんですね。2016年のブレグジットも、トランプ大統領の登場もそうです。イタリアでポピュリスト勢力が政権を取ったことも、昨年の秋からのフランスの黄色いベスト運動もこの流れの表れです。

これらは皆、新自由主義路線、要するにグローバル化路線に対する庶民の反発と見ることができると私は思います。ここ30年間、どの国も中産階級が没落していき、格差がどんどん広がっていった。

97年から20年間の日本の大企業の売上高、給与、経常利益、配当金、設備投資の推移を「法人企業統計調査」でみると、株主への配当金が約5.7倍と大幅に増えている。経常利益は97年に比べて約3倍になっていますが、従業員給与は20年間でなんと下がっている。設備投資も大幅減少です。

この20年間、大企業は利益を株主への配当金に差し出し、従業員には還元していない。まさに日本は新自由主義の優等生なのかもしれません。

ところが、アメリカ、イギリス、イタリア、フランスのような先進諸国では、そういった新自由主義路線に庶民は「もう嫌だ、いい加減にしてくれ」と声を上げている。日本はそういう諸国と連携をして、国際協調のもと、資本の国際的移動に、ある程度歯止めをかけ、もう一度各国の庶民がきちんと豊かになれるような路線に転換しないといけないと思います。

グローバルな財界の要求するままに外国人単純労働者を入れ続けていくと、不満を言わずに耐えてきた日本人も、さすがに爆発するのではないかと危惧します。そして、反グローバリズムのポピュリスト運動が日本でも出てくるのではないか。そういう中、外国人労働者が大量に入ってきたら、あまりよろしくない結果になるのではないかと悲観的な見通しを持っています。

望月

僕もそのリスクはあると思っています。4月にフランスで黄色いベスト運動を見てきました。実際に一緒に1日歩いてみましたが、上か下か、という側面が強い運動の中に、右寄りから左寄りまで、本当に様々な主張が入り込んでいると言われています。

経済的なグローバリゼーションに対する抵抗感と、人が多様化していくことに対する抵抗感は混同されやすい。そういった部分を意図的に利用し、外国人排斥の主張を用いて政治的な支持を得ようとする動きは、ヨーロッパなど様々な場所で起きてきました。近しいことが日本でも起きることへの危惧はありますし、主にオールドカマーに対するヘイトの動きなどはすでに現実に起きています。

日本の一般の人たちの暮らしが悪くなってきている理由が、政治にあり、その背後にある経済や産業の論理にあることに気付いて、声を上げ始めたとき、それが外国人、移民の排斥と、セットにならないようにしないといけないと思っています。

外国人労働者の新規の受け入れの抑制や停止というのは政策として取り得るオプションだと思いますが、現在日本で何らかの形で暮らしている人たちを国外に追い出したり、あるいは、国内に残しながら二級市民として扱うようなことは絶対にやってはいけない。この区別は大事です。

普通の日本人の暮らしが豊かになるということと、外国人を含む社会統合を両立させるためにも、例えば「技能実習生の問題はベトナム人だけの話ではなく、日本人労働者の問題でもあるのだ」と、利害が共通する点について、地道に訴える必要があります。

なぜ自分が結婚したいのにできないのか、子どもが2人欲しいのになぜ難しいのかといった問題と、外国人労働者の受け入れのあり方は深くシンクロしています。「反グローバル」であることと「外国人への反発」を切り離しておくことはとても重要なことです。

毛受

私も、外国人が増えてくると、政治的にそれを利用するような動きが出てくる可能性はあると思いますが、ただ、ヨーロッパと日本は決定的に違うところがあります。

1つは外国人労働者の数がヨーロッパとは桁違いに違う。また、日本は先進国の中で唯一、人口減少が始まっている国で、これからさらに加速していく。だから外国人に職が奪われる恐れがあるヨーロッパの状況とは違うと思います。逆に外国人労働者の受け入れをしないと、人手不足で企業がつぶれていくというのが今の状況です。

それから、確かにヨーロッパではグローバル企業が移民政策で利益を得ていると思いますが、日本では技能実習生がいないと困るのは、先ほど紹介した四国の例のように地方の零細企業で、ここも違うと思うんですね。

日本はいままでずっと移民政策を採らずに、やせ我慢をしてここまできてしまった中で、いよいよ人口が減り、若い人も減って切羽詰まった中での外国人受け入れなのです。適切なやり方で受け入れていけば、ヨーロッパで起きたようなことは起こらないと私は思っています。

多文化共生とナショナリズム

塩原

いくつかの問題点が出てきたように思います。望月さんがおっしゃった通り、すでに日本に合法的に住んでいる人々を追い出すようなオプションは、日本が資本主義と民主主義を選択し続ける限りはない。これがまず1点目。

2点目は、ポピュリズムが戦っている相手はグローバル資本主義なのに、自分と同じような苦境に陥っている隣の外国人労働者を排除しようとする動きも出るかもしれない。これは戦う相手を間違えているが、そういう混同がポピュリズムの中で起きてくるかもしれないということ。

3点目に、毛受さんがおっしゃっていたように、閉鎖的だ、同化主義的だと言われていた日本といえども、地域社会、市民社会の人々、地方行政が頑張ってきた取り組みはあった。その可能性をどう評価するか。

4点目に、今の日本政府の受け入れ政策では、一方では、特定技能とか技能実習に象徴される半熟練労働者と言われる人々を受け入れていく動きと、いわゆる高度外国人材を受け入れていこうとする動きがある。どの先進国の移民政策にもこの両面があります。つまり、役に立つ移民を選別するという動きがある。

松元

移民を選別するという点については、やはり背景にあるのは、経済合理性ですよね。労働力、生産力として人材を見て、できるだけ福祉的な負担を避けるという、いわばグローバル化の論理の一環と見ることができます。

先ほどのお話に絡めて言うと、よく反グローバリゼーションと反移民というのがセットで語られがちだけど、実は、グローバリゼーションというのは、別に文化的な多様性を目標にしているわけではないと思うのです。そこで重要なのは経済的な合理性であって、多様性はその副産物でしかない。それが今、日本にいる外国人の方々の処遇につながっています。

それに対して反グローバリゼーションを掲げたときに、1つの対応は、外から入ってくる不純なものを排除して、われわれの純粋性を維持するような形です。その場合、矛先が向かいがちなのが、移民、外国人労働者だと思います。実際に今日のポピュリズム運動の中には、少なからず、われわれのアイデンティティを取り戻すんだ、という動きはあると思います。

それに対して、実際にもう国内にたくさんの外国人の方がいるのは事実なので、どのように多文化共生を考えていけばいいかということかと思います。

塩原

これは多文化主義なり多文化共生と、ナショナリズムをどう切り離せるか、あるいは、反グローバリズムとナショナリズムを切り離すことができるか、という問いでもありますね。

松元

そうですね。経済合理性を推し進めるのがグローバリゼーションだとして、それに対して、「いや違う、われわれの暮らしを守るんだ」というスタンスを取るなら、例えば結婚せずに生きる、あるいは同性愛や同性婚などの多様な生き方も、ある意味では経済合理性には反しているかもしれません。

しかし生き方は生き方です。だから多文化共生ということをもう少し広げて、多様な価値観、多様な生き方のあり方を認める方向で進むのであれば、必ずしも反グローバリゼーションの論理と、国内を純化してアイデンティティを復権するというあり方が一緒には進まないような気がします。

塩原

つまり在留外国人も含めた多様な多文化的シチズンシップを承認していくことによって、それを反グローバリズムへの起動力としていくような流れが可能なのではないかと。

望月

その文脈でこの30年間の移民政策を考えると、自民党政府が進めてきた外国人労働者の受け入れ政策というのは、労働者は入れるけれども定住はさせないということ、つまり長期的に国民化したり、シチズンシップを付与していくことを前提としていない政策になっています。

「移民政策ではない」という政府の言葉に典型的に表れていますが、外国人を受け入れるという「開いていく話」と、定住はさせないので日本の住民の多様化には帰結しないようにしますという、「閉ざす話」が常にセットになっている。日本が今後どうなっていくかを考えた際、「実際に多様化が進んでいるから大丈夫なんだ」と思えないのは、現実に進む多様化を見ないようにするような、規範としての純粋性、単一性を常にエクスキューズとして言っているからです。

事実としては定住する移民がどんどん増えていても、それを無化するような言葉が意図的に選ばれ、その言葉が保守層に信じてもらえるからこそ、短期の労働者の受け入れが可能になっている。こうした組み合わせに大きな問題があると思います。

グローバリゼーションに対して対抗軸をつくっていくときに、日本というネイションを前提にしつつ、同時に国内を多様にしていくという路線を選べるのか、どれぐらいの支持があるのか、不安です。

意識的にその必要性を語っていかないと、「単一性、純粋性が大事だ」という悪いナショナリズムか、とにかくグローバリゼーションのもとに短期の外国人労働者を受け入れていくか、というわかりやすい選択肢だけになってしまう。今はその2つが合わせ鏡のようになっていると思いますが、「その間の選択肢があり得る」と言うための言葉が足りていないのではないか。

そして松元さんもおっしゃったとおり、これは移民だけの話題ではなくて、いろいろな多様性の共存のために、新しい路線を打ち立てていくということが必要なのだろうと思います。

社会を維持するための方策

毛受

望月さんが的確におっしゃった通り、現実に起こっていることと、政府が「外国人が定住すべきでない」と考えてきた矛盾はどんどん大きくなっていると思います。

私自身の考えでは、このままいくと日本社会はサスティナブルでなくなりつつある。広島県の安芸高田市の市長は、移民政策が必要だということを以前からおっしゃっている稀有な方ですが、2035年の安芸高田市の人口予測では80歳以上の人口が一番多くなるそうです。

このままでは地域がもたない、外国人をとにかく増やしたいと言う。日本は自然災害も非常に多い国ですから、社会を維持するためには、外国人、日本人にかかわらず、若い人がいないと大変なことになる。高齢者ばかりではとても社会を維持できない。

もう1つ、労働者は働くだけではなくて消費者でもあるわけです。消費者の数がどんどん減っていくと、これは日本のGDPが、当然減っていくわけですから税収も減る。そうすると1千兆円の借金をどうやって返すのかという話になるわけです。

ですから、やはり一定程度の人口を維持するために外国人も入れ、ロボット、AIも活用して、それでなんとか回していくのが日本の将来にとってよいのではないか、というのが私の意見です。

少子化については毛受さんの話はちょっと悲観的すぎるように思います。先ほど申しましたように、少子化の問題というのは経済政策の失敗だということをまず認めるところから始めないと駄目だと思うんですね。

逆に外国人を受け入れるということに関しては、毛受さんのように私は楽観的にはなれないですね。

例えば東アジアは、まだ完全には冷戦が終わっていないと私は思っていて、安全保障の問題も真剣に考えていく必要があると思います。例えば中国は強制移住など人を動かすのに躊躇しない面があるといわれています。そういう国が近くにあるときに、地方に外国人を送り込めばいいというのは、あまりにも安全保障の問題を考えていなさすぎるように感じます。

また外国人地方参政権の問題がありますね。東京の青ヶ島村のように全人口が160人ぐらい、有権者が140人ぐらいの自治体に、例えば中国が政策的に人を動かして移民を入れてきた場合、乗っ取られてしまう恐れは否定しがたいのです。ですから、外国人を地方に入れればいいというのは、あまりにも安易な解決策だと思うのです。

塩原

それは施さんが邦訳されたキムリッカの著作でも指摘されている、移民問題の安全保障化というロジックですね。そのロジックを用いるのには、慎重でなければならないと思います。青ヶ島村に外国人が移住しようとしても、そもそも雇用がありません。

だが、そういう問題から目をそらすのも、またまずいのです。確かにあまり安易に安全保障問題化するのは問題がある。まさに私が最近訳したキムリッカの本にもその指摘がありました。ただ逆にそれを軽視しすぎるのも現実的でなく責任ある立場でもない。

また、私は、企業が設備投資をしないのと同時に、政府が財政上問題だと、公共投資を大きく減らしているのも問題だと思っているんですね。今、MMT理論(現代金融理論)という、政府の借金を増やしても国債が自国通貨建てである場合、財政破綻にはそうそう結びつかないという議論も出てきている。日本はやはり緊縮財政をし過ぎなのではないか。だから、公共投資をきちんと行うことによって、もう一度、国づくりの基本に立ち返るべきではないかと思うのです。

日本は、高度経済成長のときにどうやって人手不足を解消したかといえば、やはりきちんと設備投資をし、公共投資をした。それによって生産性を上げて日本国民を豊かにして経済を回していった。これが経済成長の王道です。

人手不足の解決にはまずは生産性の向上ですよ。若い人の雇用を安定化し、給料を増やし、経済を回していく。そういう政策がとにかく先です。

毛受

なぜ日本で生産性が上がっていないのかというと、社会が高齢化して、企業も守りに回っているからです。だから社会に若い人たちが新しく入ってきてかき混ぜてもらうぐらいのことをしないと、日本社会はこれから発展していかないと私は思います。

世界では人口は毎年約8000万人ずつ増えている。それなのに日本は国を閉ざして、われわれは外国人を受け入れず、高齢化してどんどん小さくなっていきますというのは、異様な姿だと思います。そうではなくて、海外の能力のある人はぜひ来てください、そういう人たちが頑張れるような土壌をつくっていきますと言い、それによって日本の若い人たちも刺激を受けて活性化されていくのが日本の目指すべき姿なのではないか。

そうしないと、能力のある外国人はどんどん来てくださいという国は周りにたくさんあるわけですから、そういうところに人を取られて、日本の若い人も最終的に移民していくという時代が来ないともいえないと思います。

「定住」をめぐって

私はもう1つ、今のリベラリズムの議論の大きな欠陥だと思うのは、なぜか「人が移動したほうがいい、移民を受け入れたほうが人道的だ」と無批判に考えている人が多いことです。だけど、それは違いますよ。人は定住するほうを望む人がほとんどです。

柄谷利恵子関西大学教授の著書にあったのですが、グローバル化といわれる現代でも、地球上の人の97%は定住しているそうです。だからまずは定住を基本として、各地域の人が、移動しないでも豊かになれる環境をつくるというのがまず先です。

今の外国人労働者や移民というのは、動きたくないけど、動かないと食っていけないとか、政治的に弾圧されてしまうという人がほとんどです。ですから、まずは家族や仲間と一緒に、自分たちの文化の中で暮らせる環境をつくることができる世界を目指すべきです。移民になんかなりたくない人が大多数なのです。ほとんどの人は家族や仲間と、自分たちの文化、言語の中で暮らしたいのだと思います。

政策も、人の移動を前提として話してしまうと、大きな落とし穴があると私は思っています。世界秩序のあり方を公正にしていくことが先の話で、その後で移動した人たちをどう処遇していくか、という話になるのではないか。

塩原さんがおっしゃるような多文化共生と反グローバリズムを両立させるためには、移民受け入れをすぐにするのではなくて、公正な世界秩序をつくることによって、移動しなくても豊かに暮らせる世界を目指すことが先だと思うんですね。日本は外国人単純労働者を受け入れるより先に、まずは生産性の向上や少子化対策を真面目にすべきでしょう。外国人労働者を受け入れることが、即、リベラルもしくは人道的だというわけではないのです。

塩原

冒頭で整理したように、日本国民、あるいは日本に住んでいる人々そのものが多様化している状況があります。自国の人々の安寧をまず優先すべきだといったときに、そこにすでに多文化共生の理念が入らざるを得なくなってきているのだと思います。

望月

施さんのおっしゃることは分かる部分と、そうではない部分があります。地球のどこに生まれても、その地で幸せに暮らせたほうがいいということには同意で、そうである社会が公正だと思います。しかし、実際にはグローバルな経済格差が存在し、その上で日本の側がドアを開けたからこそ、日本で暮らしている外国人たちがいます。

その上で重要なのは、祖国で食べていくより日本で5年稼いだほうがいい、という論理で来日を決めた外国人が、実際に何年か働いた後に、帰らない、あるいは帰れない状況になることはよくある、ということです。

最初は出稼ぎというマインドで来たとしても、いつの間にか結婚していたり、仕事に定着していたり、あるいは本国の治安が悪くなったりして、日本に残りたいという状況になっていることは何ら不思議なことではありません。そして、こうした定住化こそ、この30年の間に実際に起きてきたことです。

そのときに、先ほどおっしゃっていた「定住できることが大事」という言葉が、この人たちにどういう形で適用されるのかが気になります。生まれた国、地域で気持ちよく暮らせるようになるべきだ、というのは規範として正しいと思いますが、実際にそうではない中で、日本という国家の移民政策の結果として日本に来て、その後に「ここにいたい」となった人々をどう処遇していくのか、簡単ではない問題です。

塩原

そうですね。さらに、「移住をしていない」というのは、移住をどういう定義で捉えるかによって変わってきます。実は国際移住機関による「移民」の定義には、国内で移動した人々も含まれます。現に「地方移住」という日本語もあります。

僕は埼玉県生まれですが、今は横浜に移住している。埼玉県を嫌いではないですが、今いる横浜のことを第2の故郷だと思えるかどうかも大事です。つまり、定住といったときに、それはまさに移住先に定住することも含まれる。そのときに、その人たちにそこをホームと思ってもらえることが重要なのではないのか。

このことは、施さんが言われていることとあまり離れているとは思えないんですね。移動したとしても、その先でホームをつくる。もっと言えば、自分の故郷と移動先との間で2つの故郷をもつという状況は、可能なのではないか。

ですから、そういう世界の理想みたいなものを念頭に置いた上で、政策を考える必要があると思います。

社会統合への課題

塩原

特定技能外国人労働者の導入という今回の法改正は、政策の決定プロセスで、ほとんど議論が深まらずに決まってしまい、かなり拙速だったと思います。

これから、より慎重かつ思慮深い受け入れと社会統合政策が求められているのは間違いありません。きちんと社会統合を進めていけば、外国人も市民になっていくわけですから。今後の課題について最後に伺います。

望月

社会統合については文化や生活だけでなく、雇用のあり方も重要です。現在は低賃金の外国人労働者がどんどんキャリアを上げていくことを想定した仕組みになっていないことが大きな問題だと思っています。移民労働者でも、日本人と同じようにキャリア形成ができなければいけないはずです。給与が上がれば、家族を形成する可能性も高まっていくし、日本人と一緒に仕事をする可能性も高まっていきます。

今の外国人労働者政策、特に技能実習などとこの考え方は乖離があるので、考え直すべきだと思います。

毛受

今まで、技能実習という制度がずっと続いてきたので、外国人労働者イコール安い労働力と見なしている企業が非常に多い。この企業の意識を変えることが大きな課題だと思います。

韓国では、産業研修制度という技能実習制度のようなものから雇用許可制という制度に移りました。日本は現在、併存しているので、新しく労働者として雇う制度ができたのであれば、期間を定めて技能実習はやめてしまうことだと思います。

そして日本人並みの給料を出す。それができない企業は退場してください、ということにしないといけないと思います。

私は安定した政治秩序をつくる際に、慣習や文化というのは、ばかにできないところがあると思います。多くの国でそういう非法律的、非権力的なものが大きな役割を果たしている。そういうものを取っ払ってしまうと、非常に権威主義的、管理国家的な政策を取らざるを得なくなる可能性が高い。

例えば中国では今、キャッシュレス社会をつくろうとしていますが、これは「デジタル権威主義」の社会をつくろうとしているのではないかとよく言われる。つまり、キャッシュレスにすると金の移動が政府に見えるのでデジタルで管理主義国家をつくれるのです。

中国というのは、本来、多文化で、いろいろな人種、宗教があり、グローバル化をある意味、先取りした社会です。日本も、今後ますます移民を受け入れていくと、秩序をつくるのが大変になる。そのときに、デジタル権威主義という形が出てくる可能性もあるのではないかと思います。日本が移民国家化してデフレも進み、管理国家化も進んでいくことを懸念しています。

松元

外国人の子どもに、義務教育の就学義務がないという今の方針が、在留外国人の子どものドロップアウト、就学率の低さ、進学率の低さにつながっていると思います。やはり学校というのは重要な社会統合の機会ですし、望月さんが指摘したように、外国人にとってはキャリア形成の機会でもあります。

施さんがおっしゃった、文化やマナーを重視していくという点でも、やはり教育の機会は大変重要だと思います。われわれだって日本人として生まれるというよりも、教育を通じて日本人になっていくわけですから。

塩原

今日の議論を通して私が思ったことは、「われわれ」というものの範囲と中身をどのように考えていくのかということです。「われわれ」は今までも多様であったし、これからも多様にならざるを得ないということが前提なのか。いや、これ以上、多様にしていくということに対して躊躇を感じ、とどまるという立場なのか。

しかしながら、案外、皆さん、似たような現状認識を持っているというのが僕の正直な印象です。この問題は保守VSリベラルのような単純な構図で語れるものでは全くなく、保守と言われている人たちのなかにも異論があり、リベラル・左派と言われる人たちでも、無条件に移民受け入れに賛成する人はほとんどいない。従来の構図ではないやり方で、議論していくことが重要だと改めて思いました。

今日は長い間、有り難うございました。

(2019年5月28日収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。