慶應義塾

【特集:変わるメディアとジャーナリズム】被災地から見たジャーナリズム──データとネットワークの時代に

執筆者プロフィール

  • 中島 みゆき(なかじま みゆき)

    その他 : 毎日新聞記者その他 : 東京大学大学院学際情報学府博士後期課程

    塾員

    中島 みゆき(なかじま みゆき)

    その他 : 毎日新聞記者その他 : 東京大学大学院学際情報学府博士後期課程

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2018/06/26

画像:大川小学校校舎の扱いが議論された石巻市の「震災遺構に関する公聴会」で「非撮影エリア」に座る人の列(ステージ向かって右側後方、2016 年2月13日石巻市立飯野川中学校体育館で中島写す)

「メディア不信」の時代と言われる。「ポスト真実」「フェイク・ニュース」「マスゴミ」といった言葉が飛び交い、新聞やテレビの報道にも不信の目が向けられている。こうしたなかで一記者として何ができるのか。そんな思いを抱え私は現在、記者として毎日新聞社に在籍しながら大学院で復興のコミュニケーションについて研究している。新聞記者として20年以上働き、2002年以降は学芸部やデジタルメディア局でメディア取材やデジタルの発信に携わってきた。東日本大震災後は、宮城県石巻市大川地区での参与観察を続けながら復興にかかわるさまざまな主体の言動や関係性を時系列とともに記録・分析している。ここではデジタルと被災地、2つの現場での事例を通して、現時点で私が考えるジャーナリズムの課題と希望を記したい。

「メディア不信」の洗礼

2007年元旦、私は管理人を引き受けていたブログの炎上で、旅先から急遽帰京した。ブログはその日始まった新年企画「ネット君臨」取材班のもので、毎日新聞社の読者サイト「まいまいクラブ」内に設置されていた。その日一面に掲載された「難病児のための募金をネット掲示板が妨害した」という内容の記事に対して、昼ごろから否定的なコメントがつき始め、夕方には取材を受けたG氏から「話した内容を恣意的に使われた」というコメントが届いた。

「まいまいクラブ」は、一定の個人情報を登録して会員になれば書き込みができ、コメントは規定(①特定個人を誹謗中傷するもの、②長すぎるもの、③当該記事に関係のないものは不掲載)に沿って承認する仕組みをとっていた。G氏のコメントのほかにも「マスゴミ」「印象操作」といったコメントが押し寄せた。「マスコミ批判が新聞社のサイトに書ける」と驚くものもあったが、管理人としては、規定どおり対応することが読者との信頼を築く出発点ではないかと考えた。

1月24日までに1358件のコメントが書き込まれ、84%にあたる1146件を承認した。取材された当事者が「真意が伝わっていない」と訴えたこと、個人情報を登録した上で「新聞は真実を伝えていないのではないか」「記者は優越的地位にあるのに勉強不足」「ニュース選択や記事の展開が恣意的」と指摘する人が相当数あったことは、新聞社としてしっかり向き合っていくべき課題だと考えた。

データとネットワークの時代

「まいまいクラブ」は全国紙初の双方向サイトとして2005年に設立された。企画時に私がそのようなサイトにしたいと考えた背景には、1990年代の国際キャンペーン「ジュビリー2000」と、2001年の同時多発テロがある。

「ジュビリー2000」は、冷戦構造下で膨らみ実質返済不能となった重債務貧困国の援助債務を20世紀末に帳消しにしようという運動で、1999年のケルンサミットではインターネットで呼びかけ合った数万の人々が160カ国・1720万人による署名とともに議場を囲み、700億ドルの債務削減を実現させた。活動は翌年の九州・沖縄サミットを前に日本でも展開された。国際NGOの担当者が来日し、債務がアフリカ諸国の内発的発展を妨げている現状を、詳細なデータにより説明する資料を配った。経済部で通産省(現・経済産業省)を担当していた私は、霞が関から見るのとは違う世界観があることを知った。国際NGOには高い専門性をもったスタッフが世界各地で働き、現場から発信される情報を集計・分析し国際政治に働きかける仕組みがあると聞き、データとネットワークの時代の到来を直感した。

2001年、同時多発テロ後に音楽家の坂本龍一さんが中心となって出版した『非戦』の編集に参加した。米メディアの圧倒的な報道の中で「そうではない声」を世界中のサイトから探し、集めた。こうした活動を通して、民主主義を担保するには、多様な意見を誰もが発表できる公共空間が必要であり、メディアで働く一人として、その生成と維持にかかわりたいという思いを強く抱いた。多様なネットワークと連携し、当事者発信に耳を傾け、既存取材網がカバーしきれないデータや新たな視点を得ることができればと、2005年に「まいまいクラブ」を、2010年にツイッターと連動した読者参加型日刊紙「毎日RT」を企画し、創刊作業と初期のツイッターアカウント運用を担当した。

震災報道と現地ニーズ

2011年に東日本大震災が起こると、さまざまな言説が飛び交った。事実と異なる発信や「メディアは真実を伝えていない」との批判もあった。新聞は災害の実相を伝えているのか、被災者の役に立てているのか──そんなことを考えながら被災地を歩くと、複数の「事実」が絡み合い「真実」を見分けることが容易でない現実がそこにあった。不完全な情報が疑心暗鬼を招き事態をより複雑にしているケースも見受けられた。自分に何ができるかを考えた時、一つ一つの「事実」と向き合い、長期的に記録し伝えることではないかと考えた。その際独善に陥らないためにはさらに学ぶことが必要ではないかと、大学院に進学した。

研究対象に選んだ石巻市大川地区は石巻市北部、新北上川河口域の9集落で構成される地域で被災前人口は2489人、うち418人が震災で死亡・行方不明となった。河口に近い4集落はほぼ全域が災害危険区域(住めない場所)に指定され、約400世帯が15km内陸の造成地などに移転を余儀なくされた。河口から約4kmの地点にある石巻市立大川小学校では児童・教職員84人の命が失われ、遺族のうち23人が県や市を相手どり訴訟を起こしている。

この地域を私は2004年に連載取材で訪れていた。広葉樹林に囲まれた内水面・長面浦(ながつらうら)の美しさと、自然に根ざして暮らし地域の魅力を伝えようとしている人々の姿に共感を抱いていた。ここで壊滅的な被害を受けた人々が、どのように地域や支援者とのネットワークを培い復興をとげていくのか、プロセスに寄り添いたい思いもあった。

そうした視点から報道を振り返ると、復興の各段階において、生活再建のために十分な情報が提供されたとは言い難かった。2011年の新聞やテレビは、復興の大方針や政局の動きは伝えたものの、現地で求められる情報は、自宅の土地はどうなるのか、災害公営住宅入居と自力再建とどちらが得か、電気・水道はいつ復旧するのか……といった生活レベルに〝翻訳〟されたものだった。2012年以降は、「○○が完成」「○○計画に遅れ」と「復興」のスピードを問題とするような報道が増えた。一方現地では高さ8.4mの防潮堤計画が説明され、漁業や景観への影響を懸念する漁師らは計画変更の方策を探していた。求められていたのは、今後の生活や地域のあり方を考える時間と情報だった。

「報道の偏り」と声なき声

大川地区でメディア不信の声が高まったのが2014年から15年にかけて、津波で壊滅的被害を受けた大川小学校校舎の保存・解体をめぐる議論の中でのことである。

国が定めた復興期間中に予算を確保しようと市職員が、住民組織「大川地区復興協議会」に校舎保存方針を打診した。その際「校舎を解体しAR(拡張現実)により映像を見る」「一部施設を残す」「全施設を残す」という3つの選択肢を示した。この資料を見た遺族が「市は証拠隠滅のために校舎を解体しようとしている」「スマートフォンで画像を見るなんて遊園地みたいだ」と不快感を表明した。その言葉を週刊誌が「大川小学校テーマパーク化計画」と脚色を交えて報じ、地域に動揺をもたらした。

この時期に集落ごとに開かれた集会の議事録を見ると、「解体」「保存」の意見はほぼ拮抗している。被災前人口の4割近い住民を失った釜谷集落では「悲しい思いが残る校舎を見たくない」という意見も多くあった。校舎の扱いが議論されるなか、大川小学校卒業生の若者たちが「学校を残して」と声を上げ、新聞やテレビが大々的に報道した。

このころ私は「メディアは偏っている」という住民の指摘を受け、2015年末までに大川小遺族のコメントが入った各社記事を検索し、誰が何回報道されたかを集計した。456記事中、頻度の高い20人のコメントが採用されている記事が93%だった。家族単位では上位4家族で全記事の56%を占め、4家族が校舎保存派、3家族が訴訟原告だった。

2016年2月13日、石巻市が大川小校舎の扱いをめぐって開いた公聴会では、カメラを避けたい住民への配慮から体育館の右後方3列が撮影不可のエリアに指定された。訪れた半数以上の住民がこのエリアに集中し、市職員が補助椅子を出して対応した。多数のメディアが取材する一方、取材を希望しない人々の「声なき声」の取り扱いが課題として浮かび上がった。

模型とデジタルアーカイブ

こうしたなか2016年、1つの動きが起こった。「地域の記憶を残したい」という住民が集まり、被災集落をジオラマ模型に再現する「大川地区『記憶の街』模型復元プロジェクト」が始まった。神戸大学槻橋修研究室を中心とする建築を学ぶ学生たちのネットワークと連携し、2016年11月、2017年3月、8月の各1週間ずつ、被災前の地域を500分の1に再現した白い模型に彩色したり思い出を記したりするワークショップが行われ、4大学43人の学生の聴き取りにより39㎡の模型が完成し2700件の記憶証言が記録された。

このプロジェクトの特徴は、多数の住民や外部支援者、専門家のネットワークにより実現したことにある。実行委員会幹事の一般社団法人長面浦海人は、防潮堤問題をきっかけに地元漁師が浜の将来を話し合い2013年に地域再生を目指す非営利組織として設立した。背景には被災地まちづくり支援に取り組む建築家ネットワークの知見がある。住民の参加は「大川地区復興協議会」はじめ区長、寺の檀家総代、同級会幹事など地元ネットワークのハブとなる人々が呼び掛けた。「校舎を残したい」と活動した若者も合流し、ソーシャルメディアを使った広報などを担当した。

模型と同時に、証言データをデジタル地図上にプロットした「記憶の街アーカイブ」(記憶の街アーカイブ・石巻市大川地区)も、渡邉英徳・首都大学東京准教授(現・東京大学大学院教授)との協働により作成された。渡邉教授の先行プロジェクト「ヒロシマ・アーカイブ」では現地の高校生がインタビューを重ねてデータを集めており、大川地区でもこれにならって写真資料や記憶証言を収集・追加できないかという動きが起こりつつある。実現すれば、住民発の地域の記憶を伝えるメディアとして育っていく可能性がある。

「フェイク」混在の時代に

こうした事例を踏まえ、改めてデジタル時代のジャーナリズムについて考えると、「真実を伝える」「民主主義を支える多様な情報を伝える」といった基本は変わっていない。むしろ政治家の発言や公文書さえも真偽が疑われる状況下で、役割はさらに増しているという思いを強くしている。では新聞やテレビなどのメディアがその役割を十分果たしているかといえば、大川地区の事例は2つの反省を投げかけているように思う。

1つは大石裕・慶應義塾大学教授が「政局報道」と批判したように(2013「政局報道と政策報道─『3・11震災報道』を中心に」『メディア・コミュニケーション』No.63、慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所)、現地ニーズと関係なく報道機関内部の論理や慣習によって情報を送っていたのではないかという反省である。もう一つは、住民が「偏り」を指摘したように、自分たちの筋立てに合う「事実」を切り取って伝えていなかったかという反省である。

大川地区にはさまざまな「事実」がある。何より、学校管理下での74人の子どもの死という重い事実がある。同時に住民418人の命が失われた事実がある。行政の責任を明らかにしたい遺族がいるのも事実、震災の教訓や大好きな「ふるさと」の記憶を伝えたいと思う人々がいるのも事実である。震災報道の先行研究に「マスメディアによる〈被災者〉の報道には《試練》→《悲しみ/苦しみ》→《希望》→《再生/新たな旅立ち》といった物語構造がある」という指摘がある(遠藤英樹、1999「〈被災者〉というカテゴリーをめぐるマスメディアの『物語』構造」『阪神・淡路大震災の社会学』第一巻、 昭和堂)。大川地区の報道でも「物語」のある未成年者に取材が集中したり、「物語」にあてはまらない「事実」を捨象したりする事例が見られた。

一方、ソーシャルメディアが情報発信の敷居を低くし、デジタル技術がより多様な表現を可能にしている今だからこその課題と希望も見えてきたように思う。

ソーシャルメディアは個人と個人のつながりを容易にする。被災者が著名人との縁を得ることもある。安倍昭恵夫人が大川地区を頻繁に訪れるのもフェイスブックで遺族と交流が生まれたことによる。よい側面もあるが、ソーシャルメディアには一つの事実のみを拾い上げ拡散する機能がある。影響力の大きい人が特定の「事実」を発信し、同じ指向を持つ人の間で共有されていくうちに物事の一面だけが注目され、記号化する傾向がある。4月26日の仙台高裁判決後、一部政治家が問題を当時文科省幹部だった前川喜平前次官の責任とすり替えてツイートし、多数のリツイートがなされた。こうした「記号」の政治利用も起こりうる。

溢れる情報の中でメディアがすべきことは、改めて多様な事実と謙虚に向き合い、背景を丁寧に読み解く努力をすることではないだろうか。昨今、新聞社には経営上の理由から現場の記者を削減する動きがある。「雑感はツイッターに上がってくる」「現場で特ダネは書けない」と編集幹部が公の場で発言した事例も聞こえてくる。しかし、ソーシャルメディアで「声なき声」は拾えない。背景を見ず声の大きな「事実」を拾う一方で別の「事実」を排除してしまう危険は常にある。某社メディアイベントで東京電力幹部と対談した福島の活動家が、同時期に電力業界から多額の金銭を得ていたという報道があったことは記憶に新しい。

20年前、私はデータとネットワークの時代の到来に期待した。その気持ちは今も変わらない。既存取材網でカバーできない「事実」に、多様なネットワークとの連携によってアクセスできる可能性を信じている。模型プロジェクトに見るように、新たなメディア表現により当事者自らデータを紡ぎ社会につなぐことが可能となっている。質的・量的データをよりよく読む研究も、学術の世界で進められている。米国の「ポリティファクト」のように基準に基づき透明性をもって正確性を判定するファクトチェック団体が日本で育つ可能性も見えてきた。現場に立脚し、多様な主体と連携しながら丁寧に「事実」と向き合うことこそ、現在のジャーナリズムに求められていることだと考える。

※所属・職名等は当時のものです。