登場者プロフィール
八田 亮一(やだ りょういち)
日本経済新聞社編集局メディア戦略部長1990年早稲田大学商学部卒業、日本経済新聞社入社。産業部、シリコンバレー、ニューヨークで産業取材に従事。その後、日経電子版の創刊と運営を担当。16年より現職、日経編集局のデジタル化戦略を立案。
八田 亮一(やだ りょういち)
日本経済新聞社編集局メディア戦略部長1990年早稲田大学商学部卒業、日本経済新聞社入社。産業部、シリコンバレー、ニューヨークで産業取材に従事。その後、日経電子版の創刊と運営を担当。16年より現職、日経編集局のデジタル化戦略を立案。
荻上 チキ(おぎうえ ちき)
評論家、前「シノドス」編集長1981年生まれ。ニュースサイト「シノドス」を立ち上げ、2018年3月まで編集長。ラジオ「荻上チキ・Session-22」等多くの媒体で幅広く活躍。著書に『すべての新聞は「偏って」いる』等。
荻上 チキ(おぎうえ ちき)
評論家、前「シノドス」編集長1981年生まれ。ニュースサイト「シノドス」を立ち上げ、2018年3月まで編集長。ラジオ「荻上チキ・Session-22」等多くの媒体で幅広く活躍。著書に『すべての新聞は「偏って」いる』等。
津田 正太郎(つだ しょうたろう)
その他 : 法政大学社会学部教授法学部 卒業法学研究科 卒業塾員(平9政、13法博)。財団法人国際通信経済研究所を経て現職。専門はマスコミュニケーション論、政治社会学、情報化社会論。博士(法学)。著書に『ナショナリズムとマスメディア』等。
津田 正太郎(つだ しょうたろう)
その他 : 法政大学社会学部教授法学部 卒業法学研究科 卒業塾員(平9政、13法博)。財団法人国際通信経済研究所を経て現職。専門はマスコミュニケーション論、政治社会学、情報化社会論。博士(法学)。著書に『ナショナリズムとマスメディア』等。
籏智 広太(はたち こうた)
その他 : BuzzFeed Japan 記者環境情報学部 卒業塾員(平24環)。慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所修了。2012年朝日新聞社入社。京都総局、熊本総局勤務を経て退社し、2016年より現職。
籏智 広太(はたち こうた)
その他 : BuzzFeed Japan 記者環境情報学部 卒業塾員(平24環)。慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所修了。2012年朝日新聞社入社。京都総局、熊本総局勤務を経て退社し、2016年より現職。
山腰 修三(司会)(やまこし しゅうぞう)
研究所・センター メディア・コミュニケーション研究所准教授塾員(平13政、20法博)。昭和女子大学専任講師を経て現職。専門はジャーナリズム論、メディア論、政治社会学。博士(法学)。著書に『コミュニケーションの政治社会学』等。
山腰 修三(司会)(やまこし しゅうぞう)
研究所・センター メディア・コミュニケーション研究所准教授塾員(平13政、20法博)。昭和女子大学専任講師を経て現職。専門はジャーナリズム論、メディア論、政治社会学。博士(法学)。著書に『コミュニケーションの政治社会学』等。
2018/06/26
大手メディアのデジタル化戦略
デジタルメディアが発達してメディア環境が変化していくなか、ニュースの生産や消費の変化は、ソーシャルメディアの発達に伴うこの10年ぐらいで大きなものがあったと思います。
ニュースづくりの現場でいったいどういう変化が起きているのか。ニュースのつくり方や伝え方がどのように変化しているのか。そして個々のジャーナリスト、あるいはジャーナリズム組織は、この変化にどのように対応しているのか。また、ニュースやジャーナリズムの捉え方、考え方の何が変化して、あるいは何が変化していないのかを今日は皆さんと考えたいと思います。
さらに、ジャーナリズムやメディアと社会との関係、政治や民主主義との関係がデジタル化を一つのきっかけとしてどのように変化しているのかも重要な論点です。
最初に、ニュースのつくり方の変化ですが、デジタル化は、これまで日本のジャーナリズムを担ってきた組織、あるいはジャーナリスト個人にどのような影響を与えているのか。まずは組織レベルでの影響について、日本経済新聞の八田さんにお伺いしたいと思います。日経はデジタル化にいち早く対応して電子版を発行したのですね。
2000年代半ばにアメリカのメディア状況を取材していました。アメリカでは既にインターネットですべてのニュースを見るのが当たり前になりつつありました。
当時の日経は無料の「NIKKEI NET」を始めて10年ぐらいでしたが、紙の新聞に載っている記事の3割をインターネットで配信し、残りは紙でしか読めない状況でした。アメリカと同様に日本でもネットですべての新聞記事を読みたいという読者の要望が高まりつつありました。一方で、全部をネットに流した場合、それまでのように無料で流していいのかと議論になりました。
お客様のニーズ通りにすべてのニュースを全部無料でネットに開放したときに、無料、つまり広告収入に頼るだけでビジネスが本当に成立するのか。それともう一つ、こちらのほうが大事なのですが、私は新聞社に勤め、記者も20年近くやっていましたが、情報というのは、時間とコストを相当かけて取材した成果です。それに対するある程度の対価はご負担いただきたいということです。
そういう問題意識から、当時の意思決定としては、新聞の掲載する記事は全部ネットに流す。ただし、購読料という形で幾ばくかのご負担もいただきたい、という結論に至ったわけです。
今、特に全国紙レベルの有料の電子版という点では「日本経済新聞」が一番成功していると評価されていますが、今後の「日本経済新聞」の姿というのは紙媒体から徐々にすべてデジタルへと移行していくのでしょうか。
今の会社の経営の方針として、「テクノロジー・メディア」になりたいということをわれわれは掲げています。それは新しい技術をどんどん取り入れて、読者やお客様により役に立つものを実現していこうということです。
正直、紙媒体の部数をこれから伸ばすというのは難しいわけです。日本の人口も減っていきます。特に「日本経済新聞」というのは働いている方が大きな読者層で、その方々がリタイアした後も読み続けていただくにはどうしたらいいのか。一つの答えがデジタルです。例えばiPadで新聞を読めば活字も相当大きくできます。リッチなグラフィックや動画を使えば経済に馴染みが薄い大学生や新入社員でも理解しやすいのではないか。そういう努力を続けないと私たち自身も選んでもらえない、生き残れないという危機感があります。
紙からデジタルへと変わっていく中で、ニュースのつくり方に何か大きな変化はありますか。
その前に、変えてはいけないものもあると思います。紙だろうが、デジタルだろうが、メディアの役割は3つあると思います。情報を集めます、情報を整理します、情報を届けます。この3つの役割は、デジタル化されてもメディアとしてはたぶん1ミリも変わらないでしょう。その中でわれわれが一番大切にしたいのは、正確な事実を伝えることです。誠実さ、英語で言うintegrityです。つまり品質保証はしっかりやっていく。
一方で変えなければいけない部分も、当然あります。3つの役割はそのままですが、「やり方」は臨機応変に変えたいと思います。例えば今日トランプ大統領と安倍首相が会談していますが、新聞では「米トランプ大統領」と書く。紙の新聞では構わないと思いますが、ネットで流したときに、普通は「アメリカのトランプ大統領」と書きますよね。これは大きな違いです。グーグルの検索エンジンにも「米」では引っかからない。細かいようですが、そういうことが大事になってきます。
記事の長さも一例です。社内でもインターネットの世界はスペースが無限だから紙に載らない長い記事を載せたらいいと思っている人もいますが、ちょっと誤解もあります。「日本経済新聞」の閲読データを見ると、1日あたりの平均閲読時間は、電子版のほうが紙よりも3分くらい短いのです。ということは、読者はもっとコンパクトにたくさんの情報を知りたいと思っている。むしろデジタルのほうが短い記事にしたほうがいいという仮説が出てきます。
さらに視覚化です。写真やグラフィックスというものを多用しないといけない。特に今、読者の半分はスマートフォンで記事を読んでいます。だから、あの小さな画面の中でパッと分かるような工夫を凝らさないと、読者が満足してくれない。こういうことはすごく大きな変化ですね。
紙の記事は読まれない!?
デジタル技術の持っている特性と読者のニーズを重ね合わせながらニュースのつくり方を考える必要がある。ただ根幹的な部分は変わらないと。
次に、ジャーナリスト個人の変化について考えたいのですが、籏智さんは、「朝日新聞」から「BuzzFeed Japan」に移籍されました。それはどういった理由なのでしょうか。
僕は入社5年目のはじめに、朝日新聞社を退職し、「BuzzFeed」に移りました。その理由は2つあります。1つは記者として、自分の同年代の人に自分が書いた記事が届かなかったということ。比較的情報感度の高い友人も多いのに、丸4年で自分が書いた記事を「読んだよ」と言ってもらったことは一度もなかった。地方版をメインで書いていたのもあると思いますが、同世代に読まれないのでは意味がないと感じるようになり、そうした人たちが接するネットメディアに移ったほうがいいのかな、と思ったのです。
もう1つ、大手メディアの記者の働き方という側面もあります。過労死などの問題を受け、最近では記者の働き方やハラスメントに対する問題提起がなされていますが、いわゆる寝る間も惜しんで働く夜討ち朝駆けの取材スタイルなどに、働き手としても限界を感じていたのです。
デジタル専門のメディアに移り、取材方法、記事の書き方などは変化したのでしょうか。
基本的には一緒です。人に会い、話を聞いて取材をして、それを記事にするという動作は何も変わっていません。ただ、行政取材、警察や消防取材で記者クラブに加盟していないということはかなり壁になっていて、1次ソースに当たれないということも多いです。人員の問題もあり、1次ソースの新聞社が書いているものに頼って、引用した形でそれをさらにまとめて記事にするといったスタイルは確実に増えました。
「BuzzFeed Japan」の記者は何人ぐらいなのですか。
ニュース部門だとデスク兼務も含めて十数人です。
籏智さんが取材して記事をつくった後にデスクがチェックをするのですか?
そこも変わりません。ネットメディアでも会社によっては違うと思いますが、うちは基本的に、エディターと呼んでいるデスクを通す仕組みです。
ワークライフバランスは変わりましたか。
朝日の下っ端社員だったときは基本的に管外へ出るのが禁止なんです。土日出勤もかなり多い。地方総局はかなり人員が逼迫していましたが、転職して、休みも取れないという状況は劇的に改善されました。
自分のやりたい取材というのはいかがですか。
それもできるようになりました。基本的に指示を与えられることはありません。担当も決められているわけでもなく、自分で動いて書いていくというスタイルです。新聞社のように官庁ごとで担当が分かれてはいないので、身軽というか、比較的自由が利き、様々なテーマを横断することもできる。単にネットメディアだからという問題ではないと思いますが、とても取材をしやすい環境だと感じています。
ニーズに合わせてニュースを送る時代
荻上さんは放送と、それからオンライン上のデジタルメディアと双方の世界をよくご存じで、様々な著作でもメディアに関して論評されています。デジタル化によるジャーナリズム、あるいはニュースのつくり方の変化について、どのようにお考えですか。
僕は記者ではなくニュースをつくっているわけではないのですが、ニュースサイトと名乗るものを10年以上前に個人でやっていました。ブログ元年と言われた2003年です。当時はツイッターもフェイスブックもありませんでしたが、僕の問題意識としては、世の中にはいろいろと面白いコンテンツがあるのに上手なフローはない。そこでそうしたフローを生む一つのプラットフォームになろうと、個人でボランティアで運営していました。
しかし、そのうち、時間がたつとコンテンツはよりリッチに、また多くの人たちが簡単にアップロードできるようになり、ブログよりも平易なSNSも出てきた。一方でツイッターなどによってフローというものが過剰なほど日々生まれてくるようになった。また、例えばtogetterやNAVERのように、今あるものをとりあえず一定の形で編集するというエディター的な役割というのも果たせるようになると、ニュースサイトのような形で何かを紹介する必要はあまりなくなるわけです。
ですからこの十数年間だけを見ても、ネット社会自体も実は大きく変わっている。そうしたフローの速さや、あるいはかつてよりも大規模でデータの送受信ができるがゆえに、画像や動画などのリッチコンテンツがバズる(ネット上で話題になる)ことができたりする。 今は瞬間的な注目をネット上でどう集めるかということがネットメディアの課題になってきています。最近、ツイッター上にバイラルムービーを10秒間でも上げて、ノークリックで見ることができるようにする動きが各新聞社などで出てきている。 他方、特に若い世代はグーグルとかヤフーで検索せずに、ダイレクトで個別サイト、例えばpixivやYouTube、あるいはInstagramで検索する。そうすると、「そこにないものはない」ことになってしまうので、各社ともに、そこのバージョンのそれぞれのメディアを持たなければいけなくなっている。今、私はいろいろなメディアに対して、「まずはニュース専用のYouTubeチャンネルを持って、各局のユーチューバーを持たなければいけない」と言っています。
これからの情報社会はコンバージェンス(convergence、収束)とダイバージェンス(divergence、発散)の両方があると議論されますが、多様性に向かっていろいろなチャンネルを用意することと同時に、CNNもBBCも海外のニュースサイトも日本語版を持っていたり、翻訳することが技術的に簡単にできるようになることによって、世界の情報を集約的に見ることもできれば、それぞれのニーズに合わせてニュースの送り方も多様化しなければいけない。そういう両方の側面を用意しなければいけないと思うんです。
スローニュースという方法
そのようななかで「シノドス(SYNODOS)」を続けてこられた。
かつてあったフローのなさをカバーするというよりは、ストックのクオリティを向上させたいということから、「シノドス」(当時は「シノドスジャーナル」)を立ち上げました。
「シノドス」は、基本的に研究者の方に書いていただくスーパースローニュースみたいな扱いでやっています。アカデミックジャーナリズムと名乗っていますが、話題になったテーマで多くの人たちが関心を持ちそうなニュースにデイリーで応答するのではなく、もう少し長く月刊誌ぐらいのタイムスパンでしっかりと応答する。研究者はそのニュースを、10年、20年と研究してきて、100年とか、時には1000年といったタイムスパンでそのニュースを見ていたりするわけです。タイムリーなものに対して、あえて最もゆっくり読まれるメディアが必要だろうと、「シノドス」をつくりました。 より確からしい情報を届けるためには、やはり数千字、数万字ないと届けられない真実があるわけで、そうしたところをしっかりとグーグルで検索できるようにネット上に載せておくことが重要だという思いで続けてきました。
分かりやすく、手短かにすると疑似科学や偽歴史学のようなものがはびこってしまいます。そうではない確かな知に基づいたプラットフォームをつくり、そこから情報提供をしっかりして、ウェブ上の情報をベターなものにする一つの役割を担いたいという思いがあった。そのためにあえてフロー過剰の中で、1日1本だけストックを増やすという「シノドス」をつくったということになります。
非常におもしろい指摘だと思います。今までニュースのつくり方というのはある程度、制度化されてパターン化されていた部分があって、その中での時間の区切り方、あるいは多様性の広がり方があったと思うのです。デジタル化というのはそれを一度こわしてしまったがゆえに、これまでとは違った形でニュースをつくる、ジャーナリズムの実践をするという可能性が開かれている部分もあるわけですね。
そうですね。既存メディアの影響力はネットによってむしろ増していると思うんです。ウェブサイトとしてのPV数などを比べると、大手の新聞社などが運営しているサイトはやはりメガサイトです。しかし、そうした大手サイトならではの資本力と機動力というのを実はまだ生かせていないと感じているので、そこの余地を自分たちが補いたいと思ってきました。
一つ問題意識としてこの「シノドス」を立ち上げたときにあったのは、教育問題なり、犯罪なりがあると、記者さんが取材をして記事を書き、その中で専門家のコメントが載る。1時間ぐらい話して1、2行で、しかもその要約の仕方が専門知から見ると首を傾げるようなところも正直ある。
そうなったときに、その専門家にこのニュースに対してダイレクトに1時間分のインタビューをして原稿にする形で、知の流れというものが変わっていくのだったら、専門家が発信するのがよいのではないか。そうやって専門知が軽視されず、むしろピックアップされるような媒体をつくりたかったのです。
ニュースの受け手の変化
次に視点を変えて、ニュースの受け手のことについて考えてみたいと思います。デジタル化によってニュースのつくり手と受け手との関係はどのように変わってくるのでしょうか。
籏智さんは、新聞記者時代、自分の記事を友人が読んでくれなかったと言っていましたが、「BuzzFeed」に移ったことで自分のニュースの読み手が変わったという実感はありますか。
コメント欄もあり、反応が可視化されますよね。新聞社時代にネットに出た記事もありましたけれど、「BuzzFeed」だと、URLが自分の名前になっているので、自分の名前をURLに入れればネット上で僕が書いた記事も全部見られます。
計測ツールを用いて、シェアがどれぐらい伸びたかも数字で見ることができます。それだけではなく、どういう文言でシェアされたかということも見て、読み手側からのフィードバックを受けて次の記事につなげることもできる。
逆にすぐに炎上もすることがあるので、攻撃を受ける怖さももちろんあります。それでも、僕はコミュニケーションを取れるということ自体がすごくポジティブだな、と捉えています。
そうした読者の反応がきっかけで、次のテーマや取材に生かされるということはあるのですか。
ありますね。いわゆる情報提供に止まらず、こんな事例があるよと教えてくれる読者がいたり、こういう見方もしているという専門家の方がシェアしてくださったりして、さらに深掘り取材を進めていく、というケースは何度も経験しています。
八田さんは、紙媒体が中心であった頃と比べ、日経電子版の読者層の反応や読者層そのものに何か変化をお感じですか。
読者のプロフィールが大きく変わりましたね。電子版だけの話をすると、春先、新しく購読していただいている方の4人に1人は20代です。そして4人に1人は女性。そのぐらい、若く、そして女性というところにどんどんシフトしている。
40代から60代ぐらいの管理職、経営者は依然として大きな読者層ですが、そこだけでなく、将来のコア読者である若い方や女性の方々とも向き合いたいと思っています。読者のプロフィールが変わっているのだったら、その人たちに必要な情報を考えて、必要な書き方をしなければいけない。
また、荻上さんがおっしゃった通り、Instagramだろうが、ツイッターだろうが、フェイスブックだろうが、そういうところにとにかくニュースを置かないことにはお客さんは来てくれませんから、必ず僕らも置きます。
反応もやはり、日経というブランドに対して、不正確なものを書くんじゃないぞ、といった意見は入って来るので、あらためて期待されるものは大きいと感じています。
競合か相互補完か
一方、例えば「NewsPicks」とか経済専門のネット専門のニュースメディアについてはどう見ていますか。ライバルですか。それとも違う世界で展開しているメディアですか。
見せ方など参考にするところは参考にしています。さすがに上手いなと思います。その半面、僕らが持っている一つの大きな疑問は、彼ら自身が一次生産者としてニュースを生産しているのかということです。例えばわれわれが特ダネとして出したものをプッシュ通知すると5分後ぐらいに「News Picks」のプッシュ通知が、私たちが作った見出しで送られて来る。日経新聞のニュースだと書いてはありますが、「この人たちは自分ではニュースを作らずに、何なのだろう」と疑問に思うことが多々あります。
「NewsPicks」では、いろいろな人のコメント自身がコンテンツになっている。最近見ていると、あまりにも分散化していて、最初のニュースや解説は読まないでこのコメントだけを見ている人が結構いる。それで何が得られるのかが正直よく分からない。
ちなみに「現代ビジネス」や「東洋経済オンライン」はいかがですか。
見ていますよ、全部(笑)。競合だとか思われるかもしれませんが、一つのエコシステムでもあると思う。われわれメガサイトではできない部分をいろいろなところで補っている。「上手いな」というところは僕も真似したい。でも、そこと真っ向勝負しているという感じではないんです。読者の方から見れば相互補完の関係なのではないかと思います。
籏智さんは周りのネットメディアをどのように捉えていらっしゃいますか。
すべてのメディアはライバルだと思っています。記者の規模は、既存メディアに敵いませんが、より速く、より違う視点で、時には独自の特ダネを出したい、と思って常に動いています。僕が朝日時代にほかの新聞社やテレビ各社と競っていたのと、なんら変わりはありません。
どんなメディアであれ、先に記事がYahoo! Japanのトピックに取られたり、先にニュースアプリのプッシュが来たりしたほうが読まれる。ネットメディア、既存メディアに拘わらず、相互補完をしている一方で、そうした緊張関係を持っているのではないでしょうか。 ただ、速報ニュースのところでは、できるだけ速く、できるだけ違う切り口でということを常に考えながらやっていますが、全国に取材網を持つ既存のメディアにはなかなか敵いません。そこで、僕らは「1・5報」などと呼んでいますが、これから話題になるであろうテーマを先回りして取材をしたり、ほかの切り口を考えたりする。「ゲリラメディア」などと自称したりもしますけど、そんな戦い方をしています。
発信者と受け手のリテラシー
話をもう少し受け手の側に進めていきたいと思います。デジタル化によって、読者や視聴者など受け手のリテラシーはどのように変化してきたとお考えでしょうか。 荻上さんが最近出された『すべての新聞は「偏って」いる』の中で「横のリテラシー」という概念を提示されていておもしろいと思ったのですが。
90年代までのメディアリテラシー論というのは、市民運動とも結びついて、マスメディアにだまされないようにしよう、国家プロパガンダにだまされないようにしようといったように、市民の側が権力に対してコントロールされないようにしましょう、という発想だったと思います。
でも、人々がいろいろな感情、あるいは間違った情報を共有することによって、例えば関東大震災のときの朝鮮人虐殺のときのように、住民が口コミで広げていくような動きというものも当然あり、これは特にネットでは往々にしてあり得ます。
そうなると、やはり国家に対して気を付けろと身構えているだけだと、ある種の反知性主義に流れることによって別のポピュリズムを生むということが起きるわけです。つまり、今のインテリ、知性の独占状況を疑え、そしてこっちを信じろとウェブに流れる情報が間違っているということは多々あるわけで、功罪があるものです。
そうすると、そうした情報のフローに対して、単に縦のリテラシーだけではなく横側に対してもリテラシーを身に付けなければいけないのではないか。個人だけで自衛できるものではない。つまり友だちを信じるなとか、他分野に対して詳しくなれというのは無理です。例えばニセ科学の問題とか歴史修正主義の問題についてリテラシーを身に付けるには、相当の勉強をしなければいけない。でも人は忙しい。
しかし、有限の時間で語っていく議論の流れの向かった先が誤りだということは当然あり得るので、僕としてはカスケード、つまり議論の方向性を変えたい。人々が行きやすい方向に行くことは避けられないけど、そこにだけは行くなと堰を作ることはできるだろう。デマが流れるのはしょうがないけれど、それはデマだよと言ってそのデマを一つ一つ捨てることはできるのです。僕は応答ジャーナリズムと呼んでいるのですが、デマや誤ったオピニオン形成がされつつあるような状況に対して、いや、こうではないですかという形で横の関係で応答していく。これが「横のリテラシー」です。
最初のニュースを出すのはもちろんマスメディアや報道の人たちの仕事ですが、エディターとか、評論家、パーソナリティーの役割というのは、「皆とどう反応するかを考えようよ」と言うことが重要だと思うのです。
象徴的なのは、裁量労働制についての問題で法政大学の上西充子さんが厚労省のデータの問題点をツイッターで指摘し、複数の専門家の方が確かにそうだと確認をして問題が分かっていきました。あれは今まで官僚に当たって言質を取るというような報道スタイルとは違う、ある種の研究スタイルから見えてくるファクトなわけです。つまり、裁量労働制って非人道的だ、みたいな話をしていたときに、そもそも統計としてどうなのと、違った角度から切り口を持って行くと、議論の流れを変えることができる。
「横のリテラシー」というのは、受け手であると同時に、自分自身も発信者であるようなこの時代に、両面のリテラシーを意識しなくてはいけないということを問題提起しています。
議論の流れを変えていくような主体というのは、新聞社など組織ジャーナリズムの人たちもその役割を担い得るし、荻上さんのようないわゆる知識人が担う役割でもある。あるいはもっと広く、メディアリテラシー的なノウハウとして、政治文化に定着していくことが大事だと。
そうですね。メディアというのはムーブメントと結びついてその仲立ちになることもある。「#Me Too」なんかもそうですよね。ツイッター、それから大手メディアも含めてムーブメントが起きて「No」という声を上げやすくなっているのは確かです。例えば今「日経デジタル」で4人に1人が女性だということであれば、経済プラス人権という意識とかが尺度として付加されていくわけです。
大手メディアもSNSで何が起きているかを分析するだけではなく、むしろ積極的にどういったムーブメントのどの位置に自分たちが立っているのかを絶えず検証しながら情報を発信していくという両面が必要になってくると思います。そうすると、どこでも横のリテラシーは必要かと考えています。
フェイクニュースを流すサイトとか、どこでもいいから切り取って、とにかく党派的に誰かを叩くといったものはやはり民主主義に対してどうしても生まれる副産物ですが、それを乗り越えていくことをメディアは常に意識しなければいけないと思います。
ソーシャルメディアの影響力
出来事の意味づけや解釈の一定のパターンについて、メディア研究では、フレームという言葉をよく使います。ニュースの生産や消費の過程で、ある一定のパターンが生まれてくるわけです。しかし、そこから抜け落ちてくるものがあるので、それを上手く拾い上げていくような役割が、例えばソーシャルメディアにあるのだとすれば、それはフレームを多様化させていくという点で重要な役割です。
一方で、ソーシャルメディアというのは、こちらもこちらでフレームをつくるという部分があって、何かの運動と連動したフレームができて、ソーシャルメディア上ではある種の二項対立をつくったりしているわけです。
そう考えると、今の時代はどうしてもソーシャルメディアの影響力を考えておかなければいけない。津田さんは、ソーシャルメディアの台頭がジャーナリズム、あるいは民主主義に及ぼす影響をどうご覧になっていますか。
ネットでの議論に関して言うと、サイバーカスケードとかフィルターバブルという形で、自分の世界観に合致するような情報を優先的に摂取していく。すると、結果として政治的対話が非常に成り立ちづらくなるという状況があると思います。
例えば今回のモリカケ問題にしても、ツイッターのリアクションを見ていると、びっくりするぐらい違う解釈をしているわけです。その結果お互いに罵詈雑言をぶつけ合うのだけど、全く建設的な対話になっていない。そのように全く異なる世界観が並立し、不信感ばかりが増大していくと、社会の根底にある信頼感みたいなものがなかなか培われてこないのではないか。最初から、朝日はこうだ産経はこうだみたいな形でカテゴライズされているので、ファクトチェックの報道をやっても、ファクトチェック自体が信じられないという状況になりかねません。
ただ、日本はほかの国と比べれば、大手メディアの影響力が非常に強く、マスメディアの信頼度も高いので、そういう意味ではまだましではあるとは思います。今のところ、日本では大多数はわざわざネットで政治的な情報を逐一チェックして政治的な書き込みをするようなことはおそらくありません。先鋭的になっている人は右も左も割合としては多くないでしょう。
しかし、今後、それがどのように動いていくのか。最近、それこそ、現職自衛官幹部が国会議員に暴言を吐くような、以前だとなかなか信じがたいような状況が生まれてきているので、非常に心配な部分はあります。
その先鋭的なものを許容するというか、受け流してしまう空気が広がるのではないかということですね。
これは僕自身も迷うところで、何となく今は結構やばい状況なのではないかという感覚はあるものの、その一方で、いや、これはたまたま、今そういう事象が立て続けに起きているだけではないかという疑念もあります。いわゆる正常性バイアスかもしれませんが。ネットを見ていてもいろいろな情報が入ってきて、自分の感覚がすぐに相対化されてしまうところがあって、すごく判断をしづらい。だからつい距離を置いてしまうということが個人的な感覚としてちょっとあります。
フレームと行為を解体する
それがメタ化できるのは、ある種の知の特権みたいなところがある気がします。例えばツイッターの大多数は数十人とか数百人ぐらいのフォロワーがいたら多いという世界で、基本的にはプライベートな空間を生きている人たちが、結果として集合になるという意識です。ご指摘のように政治コミュニケーションを意図的、意識的に行っている人は少数だと思う。
しかし、レイシズムとかセクシズムについて今、ネットワーク分析をしているんですが、やはり一部のオピニオンリーダーの書き込みがリツイートされることによって、全体としての空気、意見が形成されていくわけです。ということは、ごく一部の人しか熱心にやっていなくても、その人の書き込みがリツイートされて閲覧されていくと、そうした意識が浸透していきます。
先ほどフレームの話を出していただきましたが、アーヴィング・ゴッフマンの議論でもそうですが、具体的なフレームというのは、僕は行為そのものに宿ってしまうと思うのです。例えば野党がそもそも反対しなければ議会制民主主義になりませんよ、ということが理解されずに、何だか野党は反対ばかりだというようなことがフレームとしてどんどん広がり、しかもそういったことを行為として言うことが政治的なリアクションとして正しいのだということが共有されてしまう。
しかもそれはむしろ政治的なコミュニケーションに関心がない人こそ、そうした行為をどこからか学んで、「そんなものでしょう」みたいな一言で済ませていく。こういう人たちこそ、むしろ感染度が高くて広がっていくということが起こっている。
だからそのフレームと行為を解体して別のフレームを提供するということが必要なのです。そのために専門知というものをウェブ上のより分かりやすいところに出していく。一方で、生データをなるべく出すことも同時にやる。この並行性が必要になってくると思うのです。 ヘイトスピーチやLGBT差別というものを何とかしなければという方向にアジェンダセッティングし直すことによって、「ポリコレ棍棒」と言われようが、これはならぬものはならぬのだ、ということを言い続けることは必要だと思うのです。
でも、ネットというのはある意味フラットな空間なので、常に相対化され、本来は並べられるべきではないものが、すぐに並べられてしまうというのが非常に難しいところだなと思っています。例えば「これは問題だよね」と誰かが提起したら、すぐに、「いや、あなたはそういうことを言いますけど、あなたが支持している側にもこういう問題がありますよ」というような形の反応がすぐに返ってくる。
でも考えてみれば、その問題とここで言われている問題というのは、比較されるべきものなのか。ダブルスタンダードを指摘し合うところに回収されてしまい、議論がすぐに堂々巡りになる。ネット上のコミュニケーションはフラットだからこそ、歴史修正主義的ないい加減なものと、研究者が何十年もやってきたものとがすぐに同列に並べられてしまう。
そうですね。そのときは2周目を防ぐということが一つのミッションになると思います。慰安婦問題については、「Fight for Justice」という歴史研究者の方々が立ち上げたウェブサイトなどもあります。例えばテーマが上がったときに、いちいち相手にせずそうしたものをリンクを張って、「まずこれを読め」で済む。そういう格好をつくっておくことが一つです。
それから本来であればディベートをしてはならないテーマがあるのです。例えばSTAP細胞などはアカデミックに丁寧に積み重ねていくもので、ディベートをするものではないんです。歴史修正主義についても同じです。
そこでこそ、しっかりと「その論点についてはこういった検証が既になされています」というある種のログを残すことで、そうした反復を抑止することもできる。そのログを見せることによって、これはもう繰り返さなくていいのではないかという「ポジティブなげんなり感」といったものをシェアし、議論をいったん止めて、別のフレームに変えましょうと言うこともあり得るのではないかと思います。
そういった形でいわばアカデミックな、これまで積み重ねられてきたものを提示するということは効果的ではあると思う一方で、アカデミックなものそれ自体を切り崩していくような流れが最近出てきていますね。
要は研究者といっても、結局、非常に党派的で狭いものの見方しかできない。だからそういった人たちが積み重ねてきたものは基本的に無効なのだと、学問の積み重ねを拒否していくような動きです。科研費に対して、いま国会議員などで問題視している人もいますが、アカデミックなものの土台というか信頼をどんどん切り崩していくような流れもあると思うんです。
フェイクニュースはなぜ生まれるのか
今回の「反日学者に科研費を渡すな」というような動きがあるということは、一つ、これから注意しなければいけないところですね。
でも、例えば、小西議員に対して自衛官が罵声を浴びせたという事件に対して、「BuzzFeed」さんが戦前、80年前に「黙れ事件」というのがあったんだと伝えた。あれは素晴らしいなと思いました。
あれは僕が書いたんです。今回のような事件に素早く反応していくということに、一つネットメディアの意義があると思っています。
あくまで「火消し」のような仕事だと言えばいいのでしょうか。僕は、今の時代に漂う「なんだか変な空気感」を左右両極端にいない多くの人たちに知ってもらいたい、という問題意識で普段から記事を書いているのですが、そうした問題が起きた直後に「初期消火」をすることで、間違った情報や考え方が広がっていくのを防ぐことは、すごく大事なことかな、と。
他方、依然としてフェイクニュースというのはあって、日本でも非常に問題になっているわけです。いろいろな対策があってもそれが上手く機能しないというのはどういった点に原因があるとお思いですか。
僕は一度、日本におけるフェイクニュースの生産者に取材をしたことがあります。「大韓民国民間報道」というサイトで、嫌韓デマニュースを掲載していました。ただ、やっている本人はヘイトの意識は全くない。そうした情報を好む人たちを対象に記事をばらまいて、広告収入を稼ごうとしたが、儲からなかった。だからやめた、というすごくシンプルな構造なんです。
今、ネット上に同様のまとめサイトなどが多数ありますが、そういうサイトが極端な見出しを立ててフェイクに近いニュースをばらまいているのは、やはり「大韓民国民間報道」と同じようにお金稼ぎという側面も大きいと思っています。
だとすると、そうしたサイトのマネタイズ(ネット上の無料サービスから収益をあげる)を断つということが、大事な作業になってくる。つまり、広告の問題です。漫画を違法に無料提供していた「漫画村」が注目されていますが、これも同じです。「漫画村」に広告を出していた側にだって、問題があるということです。
収入源を断てばそうしたサイトはなくなるでしょう。だからこそ、違法だったり、ヘイトやフェイクを載せたりするサイトに広告を出しているんだ、ということを広告主に知らせていくことは重要です。
変わるジャーナリストの意識
お金ということで言うと、気になっているのが、先ほど八田さんのお話にもありましたが、要は一次情報を取ってくる人たちの問題というのがやはりある。一般紙だとなかなかお金を払って電子版を契約しづらいと思うんです。そうなってきたときに、既存メディアの体力というのはどんどん弱っていく。それで地道に、それこそ警察とか役所に詰めて情報を取ってくるという記者がどんどん減っていくのではないかという危惧があります。
マスメディアの形態がネット中心になっていく中で足を使って地道に情報を拾ってくる人をどう維持していくのかということは、健全な民主主義を考える上でも非常に重要な論点ではないかと考えています。
全くそうですよね。今起きているデジタル化の動きというのは不可逆なわけです。環境が大きく変化している中で、新聞各社の個々の判断や意思決定で対応を考えていくのではないかと思います。変えなくても何とか持ちこたえられるだろうと言う人もいるかもしれません。でも、変わらない限りは、ご指摘の通り、自分のところの宝である情報を集めてくる現場の記者の雇用ができなくなってしまう恐れがある。
はっきり言うと変化は痛いです。私たちの会社の中にも、「俺の仕事は人の話を聞いて原稿を送るだけ。見出しを考えるのは別の人間だ」という人はいます。少し知恵を使って気の利いた見出しを考えてみようとか、気の利いた写真を付けてみようとか、前向きに取り組めば、読んでもらえる人も増えますよと呼びかけています。ジャーナリストの仕事はどんどん変わっています。これは不可逆ですからしょうがない。自分たちで変わらない限りは自分たちの土台を壊すだけですよ。それは、各社の経営者だけでなく1人1人のジャーナリストの意識でもあります。
籏智さんみたいに飛び出した方は、「朝日新聞」のときと比べると、いろいろな業務を1人でやっていらっしゃるのではないですか。
そうですね。記事に対する労力は増えました。見出しやサムネイルは記者個人がリアルタイムで数字の伸び方を確認しながら、付けていますね。
それが今の標準的なジャーナリストの仕事のやり方になってきているわけですよね。僕らみたいな全国紙の記者が今まで通りでいいかと言うと、いいわけはないです。
僕たちのようなネットメディアの記者が、情報源、ソースに当たれるかどうかという問題もあると思っています。やはり記者クラブ制度をはじめとして、既存メディアでないと取材できないという壁は、いまだに大きい。会見によっては「ネットメディアは質問禁止」ということもありますし、そもそも入れないというところもあります。そうした門戸をどう開いていくかについても、これからは課題になっていくと感じています。
必要となる人材育成の場
腕のいいフリーランスとか、あるいはウェブメディアに流れている人というのは、もともと大手出身の記者が辞めて行ったというもので、ゼロからウェブメディアで育ったという人はほぼいない。つまり日本だと、インディペンデントでなかなか育ちにくいというところがある。
そうした中で、これから組織としての記者の育成体力というのがもし落ちていくのだとするならば、例えば別のアカデミックなのか、それとも何かジャーナリズム専門学校みたいなところが役割を担うのかは分かりませんが、今までとは違う経路の育成システムが必要になります。正直、今は大手組織に頼るしかないというのが実状ですね。
ネットメディアが大手メディアのように新卒を40人とか100人採って、しっかりと研修をして育てるのは、現状では不可能です。だから、大手がネットメディア記者の育成場所みたいになってしまっている。
私自身もそうでしたが、これはあまりいいことではない。新聞社などの体力も落ちていて、志望する学生も減っているという現実もあり、何かの打開策が必要ではないでしょうか。例えば、慶應のメディアコムで無料塾をつくるとか。
新聞社がメガサイトばかりを目指す必要はないんです。例えば朝日だったら「アピタル」とか、読売だったら「ヨミドクター」みたいな形で、医療情報に特化したサイトのような、個別分野に特化した中で人材を育てていくというのはあると思います。ある種の雑誌モデルに近いところです。大手はバックに不動産運用とか、他のビジネスもあるからこそ、多少の赤字でも全体としては複数のサイトを持てる強みは相変わらずにあると思うんです。 マイクロビジネス的な形でしっかりと10人ぐらいのチーム報道みたいなものが個別のテーマごとに、会社のどこの部署がどこの分野をやっていくのかということがより問われてくる。例えば日本版の「ネイチャー」でもいいですし、ある種のハブのような役割を果たすことができるはずなのです。
若い記者はそれもやりたいという人はいるはずなのに、今の会社ではできないからということでよそに流れていると思う。でも今自社で「君に権限をあげるよ」と言われたら、喜んで残る記者は多いと思うんです。そうしたプラットフォームのつくり方を変えていくというフェーズに、今来ているのではないかと思います。
その通りですよね(笑)。
実は僕も教えていてつくづく思うのですが、ニュースをつくるというのはどれだけコストがかかって、どれだけ大事なことなのか、あまり社会の中に理解が深まってない部分があると思うんです。だからニュースというのはどうつくられるかという基本的なところを社会の中で共有していくことというのは、大学でももちろん、より広く社会の中で必要なのだと思います。ジャーナリズムというのはそれぞれの組織が担うというよりは、社会の中で育てていくという部分が必要だと皆さんのお話を聞いて感じました。
民主主義の中のジャーナリズム
一つ気がかりなことは、ネット界隈だけだと思っていたヘイトやフェイクの問題が昨年、マスに侵入してきたことです。「ニュース女子」の問題や「産経新聞」の米兵救助誤報の二つが特に印象的でした。多くの人たちがそうした情報を信じてしまうことで、傷ついた当事者もいた。これからも同じようなケースは出てくるでしょう。そのときに、小さな「火消し」だけでなく、もっと連帯をして体系的にそういうものに対峙していく組織なり、組織を超えた枠組みなりをつくるべきなのかなと感じます。
既存のメディア同士で、そういう点で、スクラムというか、協力し合うということは不可能ですか。
昨年にファクトチェック・イニシアチブ(FIJ)ができて、BuzzFeedはそれに協力しています。しかし、そこに大手メディアの方々が一緒に参加するということもないですし、ネットメディアも全てが参加するということもない。動きは出てきていても、まだ連帯にまでは至っていません。
ことさら意識したことがないですね。ファクトチェック・イニシアチブの話も聞いていますが、私たちは昔からファクトチェックが仕事の基本になっていますので、そこにコミットする理由が、正直見当たらなかった。
これまでは基本的にどこかのメディアがアジェンダを設定して、それに後追いするパターンがあったと思うのですが、この間、「毎日新聞」の方と話したときに、うちが調査報道で一生懸命出しても後追いしてくれなくなってきたという話がありました。これまではマスメディアが大きな役割を果たしてきたのだけれど、その力が相対的に落ちてきているのかなという感があります。
アジェンダ設定の主体も、どんどん拡散してきているような感じがあります。それこそ、「はてな」の「アノニマスダイアリー」に書いたブログが一気に飛び火していくようなこともあって、何が火種になるのか分からないという状況を見ると、メディアの役割がおのずと変わっていかざるを得ないということはあるのかなと思います。
フェイクやヘイトなどと対峙するということを、明確にメディア側が示すということのほうが必要なのではないでしょうか。そうでないと、昨年のようなフェイクニュースのマスへの侵入ということが続くことになるのではないか、と危惧しています。イメージとしては、皆で防波堤をつくるという感じでしょうか。
ジャーナリズムは民主主義の担い手です。その点に関するニュースメディアの意識、あるいは具体的な実践の方法という点も含めて、民主主義の中のジャーナリズムという問題は重要なテーマなのではないかと思います。
「BuzzFeed」も「ハフポスト」もそうですが、そもそもグローバルネットワークの中の日本版なので、国際情報をそのまま翻訳して載せて、それがとても優れた記事として知られるということもあります。かつてはNHKとか通信社しかできなかったようなことが、組織的なものとしてできるのです。あるいはパナマペーパーみたいな形で、各国のジャーナリスト組織が代表して参加するような試みもあります。
一方、毎日さんが例えばアジェンダを設定して他社に広がらなかったとしても、そういった調査報道は研究者が見ています。「毎日新聞のリサーチによればこのデータがある」と論文に引用します。社会運動をするNPOも使います。国会議員はそれを引用して質問します。 となると、メディアだけが世界ではないのです。そういったチェーンのような形で民主主義の中でムーブメントがつながっているということはあり得る。そういう意味では、「今こそスクラムを」みたいなものではない連帯の仕方はもう既に生まれているので、そこを育てましょう、という感じを僕は持っています。
今日は本当に貴重なお話を様々な角度から聞くことができました。デジタルメディアとジャーナリズムの現状と将来像を考えたときに、われわれ研究者はどうしてもネガティブなものばかり見てしまいますが、今日のお話を聞いて、ポジティブな側面でのこれからの可能性もよく分かりました。 お忙しいところ、有り難うございました。
(2018年4月18日収録、所属・職名等は当時のものです。)