慶應義塾

【特集:新・読書論】読書論の現在──教育の中の読書/山梨 あや

執筆者プロフィール

  • 山梨 あや(やまなし あや)

    文学部 教育学専攻教授

    山梨 あや(やまなし あや)

    文学部 教育学専攻教授

2020/05/11

「孤独」な読書経験

毎年、少しずつ内容を変更しながら読書(より幅広く「読むこと」、「書くこと」と設定しているが)と教育の関係を歴史的に検討する講義をしている。講義開始時には必ず、学生にこれまでの読書経験について書いてもらうことにしているが、よく目にするのが「中学生位までは読書好きだったけれど、大きくなってからは読書の機会、時間ともに減少しました。」というコメントである。成長とともに読書経験が乏しくなる背景にはどうやら「受験」があるらしいのだが、ここで問題としたいのは、学生は「何を」読書ととらえているか、である。学生の読書の目的を問うてみると、授業や卒論などの「課題」の一環として読むことが多く、趣味や娯楽、息抜きとして純粋に(・)読書しないことを過去の自分自身の読書経験と比較して問題視する傾向も顕著である。学生の「読書の機会、時間が少ない」という判断の背後には、「~しながら」という読書形態、純粋さ(・)を欠く読書の動機づけに対する一種の後ろめたさがあるようである。さすがに現代の学生が「…されば読書の際は此の注意力を妨ぐべき外界の状態に注意すべし、即ち場所の選択、書斎の整頓の如き其の主なるものなり*1。」のような読書観を持っているとは思わないが、スマートフォン、タブレットなど手軽で多様な媒体を利用できる環境で生まれ育っているにもかかわらず、学生が一種古典的ともいえる読書観を堅持し、時としてそれを実践できないことを恥じる様子を見せることは何とも興味深い。

一方、現代(それは自分も含めてだが)の学生に特徴的なのは、読書という営みが個人的、そして個別的な性質のものであるという考え方が徹底していることである。友人やゼミの仲間と、本の内容について(・)語り合うという共同的な読書を全くというほどしていない。学生は世代的に「朝の20分間読書運動」などを経験しているのだが、その内容を精査してみると、「朝の一定時間、クラスの中で1人1人が思い思いの本を読む」という、集団で時空間を共有しながらも個別的に読む形式が圧倒的である。この経験が、「読書とはいかなる環境下でも1人で(・)行うものだ」という読書観を強化させたのではないだろうか。

学校教育経験の中で、「朝の20分間読書運動」よりも長期間にわたり、学生を読書という営みに半ば強制的に結び付けてきたのが、夏休みの宿題の大御所・読書感想文だろう。共通の課題図書が指定される場合や個々人が自分で図書を選択する場合、いずれも個人の感想文を教員に提出して終了という「閉じた」形式が基本であり、周囲の友人たちと読書感想について(・)共有する機会はほとんどない。優秀な読書感想文がクラスやコンクールなどで発表されるケースもあるが、読書感想や解釈の深さなどの内容よりも作文の上手さがクローズアップされる傾向が強く、結果的に多様さを秘めた読書経験は個人的なものとして死蔵されることになるのである。読書感想文が読書離れを推進する、という皮肉な指摘もあるが、個別的な営みとしての読書観のみが強化され、孤独な読者ばかりを生み出し、読書に対するハードルを不必要に上げていることも問題であろう。

近世的な読書法と近代的学問の接合

いつから読書という営みは、孤独で閉じた営みでしかなくなってしまったのであろうか。読書と教育の関係を歴史的に紐解いて行くと、個人的/個別的な形態だけではなく、集団的、時には共同的な形態も重要な役割を担っていたことが明らかにされている。このような形態が選び取られた要因として、そもそも書物そのものが貴重であり、貸借も含めて他者と共有される財産であったこと、書物の内容を正確に読み取るためには「音読」による確認を必要としたこと(書物の書かれ方に問題がある場合と読者のリテラシーに問題がある場合とがある)などが挙げられる。集団的、共同的な読書形態が選びとられる要因は、必ずしも読み手のリテラシーの不足だけではなく、テキストの内容をより正確に、より深く読み取り、学習を深めていくための方法として、高度なリテラシーを有するアカデミックな集団でも活用されていた。

近世日本では、漢学の学習方法として「素読」が知られているが、これは学習の最も初歩的・基礎的な形態であり、次第に講釈(経書の一節一節を口頭で読解する)そして会読(素読を終了した同程度の学力を有する者同士が集い、所定のテキストの章句について議論する)へと進んでいく。このような読書形態に基づく学習方式は現代のゼミに通ずるものがあるが、興味深いのはこの「会読」が漢学のみならず、未知の、新しい学問分野を学ぶ際にも活用されていたという事実である。

たとえば、1872(明治5)年8月の「慶應義塾社中之約束」には以下のような言及がある。*2

第4類 以下 教授方ノ職務教授ノ規則

第1条  初学生徒ヘハ「リートル」等ヲ授業ス授読ハ素読スルノミナラス義理ヲ会得セシムルヲ主トス

第2条  23巻ノ「リートル」或ハ地理初歩等ヲ授業シ宵々文章ヲ解シ得ルニ及ンデ試業ノ上ニ上等級ニ入レ科業表ノ通リニ授業ス(以下略)

つまり、初学生徒に対する「リートル」の授業では「素読」という伝統的な学習方法に加え、「義理ヲ会得セシムル」ことに重きが置かれている。さらに1876(明治9)年4月に改正された「社中之約束」には本科の教則として以下の記述が見られる。

…爾後ハ科目ノ順序ニ拘スシテ博ク高尚ノ書ヲ読ムヲ専務トス其法ハ三五人宛仲間ヲ招テ対読スルヿナレドモ教場外ニテ私ニ読書スル者ハ其説法或ハ疎漏ニ流ルゝノ 弊アリ依リテ一週一度ハ会頭ヲ立テ会読ヲ催ス

ここでは学則で定められた「科目ノ順序」を終了し、より「高尚ノ書」の学習に進む際も「疎漏ニ流ルゝノ弊」を避けるべく、会頭をたてた会読を奨励している。これらのことから、慶應義塾では近代的な学問を学習する際に、素読や会読などの伝統的な学習方法を活用していたこと、同時に素読をもって初学者の学習とするのではなく、初歩の段階から「義理ヲ会得セシムル」、すなわち学習者の理解を重視する近代的な学習観に基づく教授の導入が始まっていたことがわかる。伝統的な学習方法は近代的な教授方法と接合しつつ、近代的な学問を受容していった。この過程で、「会読」にみられる共同的な読書形態も近世から近代に形を変えながら継承されていったと考えられる。

学校教育現場と「読書」

一方、アカデミックな世界以外でも共同的な読書を組織化しようとする動きがみられる。現在、筆者は明治後期以降に小学校が保護者に向けて発信するようになった「家庭通信」を分析している。家庭通信の発行は法的な拘束力も規定も存在せず、その形式、内容、発行頻度も多様だが、その発行(単独での発行ではなく、村報の一部を利用したものも見られる)は1930年代初頭(昭和初期)には一般的となり、多くの小学校教員がこの通信を介して日々の教育活動のねらいや家庭の役割などを保護者に丁寧に解説し、保護者の学校教育に対する理解と協力を得ようとしていた。家庭通信において教員は、小学校入学前の心得、夏休みや正月の過ごし方、卒業後の進路決定など微に入り細にうがったアドバイスを保護者に「教授」している。

ただ、ここで興味深いのは、教員側は保護者からの意見や疑問、各家庭での指導の実践報告を募り、家庭通信を双方向的に活用しようとしていたことである。また、家庭通信に掲載された「教育問題」について保護者(主に母親)が集い話し合う「母の会」を組織する動きもあった。実際、多くの(母)親は教員の理想と家庭での実践との齟齬について手紙で問い合わせたり、子どもの受験情報について体験談を報告したりしている。(母)親たちが家庭通信を一種のテキストとして隅々まで読んでいたことは、遺族から小学校に寄贈される家庭通信を紐解くと、赤鉛筆などでの書き込みが見られることからも明らかである。家庭通信は一見、学校から家庭への「お便り」に過ぎないが、教育情報が限られた戦前にあっては保護者に対する一種の「教材」としての役割を担い、読者である保護者同士を結び付けようとする動きに接続することもあったのである。

現在のように多様な教育機会、手段が豊富でなかったこともあり、第2次大戦後も「読書」をよすがとして新しい価値観や知識を理解しようとする動きは活発であった。特に戦前の教育で生まれ育ちながら、「新教育」方針に則して自身の子どもを育てなければならない母親にとって、最も身近な情報源は学校教員と教員の発行する通信類、さらには地域社会の教員や退職教員が自主的に発行した教育雑誌、これらを教材とした地域の集団的な活動であった。注目されるのは、教育者側はこれらの通信や教育雑誌を発行して満足するのではなく、ごく自然にこれらをテキストとした読書会の結成を呼びかけ、保護者(多くは母親)たちもこのような活動への参加を受け入れたという事実である。この背後には読書という営みそのものに対して、地理的、階層的、そして性別的制約があり、母親が単独で取り組みにくいという事情があったと考えられる。いずれにせよ当時の母親には共通のテキストを読むことによって個人的に理解を深めるだけではなく、同じような立場にある他の母親たちと共に学びたいという意識が明確にあったことに注意すべきだろう。1960年代半ばの女性にとって、読書という営みは必ずしも個人的/個別的な営みではなく、集団での取り組みを通して他者とつながる可能性のある、共同性を内包するものとしてとらえられていたのである。

読書という営みが孤独な他者(それは必ずしも現実的な時空間に存在するとは限らない)同士を時として結び付けていく可能性を孕んでいること、そしてその楽しさやスリリングな側面を伝えていくことも大学における1つの役割ではないかと考えている。

*1 駿台穏士『学生読書法』大学館、1902年、27頁。

*2 山梨あや「慶應義塾における「教育学」の創出過程─慶應義塾発足時から大学部設立1890(明治23)年まで─」三田哲学会『哲学』第123集、2010年、299~322頁。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。