登場者プロフィール
西野 健介(にしの けんすけ)
その他 : UR都市機構都市再生部長法学部 卒業塾員(1990法)。1990年住宅・都市整備公団(旧日本住宅公団)入社。都市再生機構西日本支社都市再生業務部長などを経て、2022年より現職。都市再開発や地域の再生、まちづくりなどを手がける。
西野 健介(にしの けんすけ)
その他 : UR都市機構都市再生部長法学部 卒業塾員(1990法)。1990年住宅・都市整備公団(旧日本住宅公団)入社。都市再生機構西日本支社都市再生業務部長などを経て、2022年より現職。都市再開発や地域の再生、まちづくりなどを手がける。
渡邉 大輔(わたなべ だいすけ)
その他 : 成蹊大学文学部現代社会学科教授総合政策学部 卒業政策・メディア研究科 卒業塾員(2001総、2009政・メ博)。博士(政策・メディア)。成蹊大学文学部現代社会学科専任講師などを経て、2021年より現職。専門は社会学、社会老年学。著書に『総中流の始まり』(共著)等。
渡邉 大輔(わたなべ だいすけ)
その他 : 成蹊大学文学部現代社会学科教授総合政策学部 卒業政策・メディア研究科 卒業塾員(2001総、2009政・メ博)。博士(政策・メディア)。成蹊大学文学部現代社会学科専任講師などを経て、2021年より現職。専門は社会学、社会老年学。著書に『総中流の始まり』(共著)等。
鈴木 美央(すずき みお)
その他 : 建築家、O+Architecture 合同会社代表理工学部 卒業塾員(2016理工博)。博士(工学)。早稲田大学理工学部建築学科卒業後、英国FOA勤務。2016年慶應義塾大学大学院理工学研究科開放環境科学専攻博士課程単位取得退学。著書に『マーケットでまちを変える』。
鈴木 美央(すずき みお)
その他 : 建築家、O+Architecture 合同会社代表理工学部 卒業塾員(2016理工博)。博士(工学)。早稲田大学理工学部建築学科卒業後、英国FOA勤務。2016年慶應義塾大学大学院理工学研究科開放環境科学専攻博士課程単位取得退学。著書に『マーケットでまちを変える』。
大江 守之(おおえ もりゆき)
その他 : 名誉教授1975年東京大学理学部地学科地理学専攻卒業。77年工学部都市工学科卒業。博士(工学)。国立社会保障・人口問題研究所などを経て慶應義塾大学総合政策学部教授。専門は人口・家族変動論、都市・住宅政策論。
大江 守之(おおえ もりゆき)
その他 : 名誉教授1975年東京大学理学部地学科地理学専攻卒業。77年工学部都市工学科卒業。博士(工学)。国立社会保障・人口問題研究所などを経て慶應義塾大学総合政策学部教授。専門は人口・家族変動論、都市・住宅政策論。
宮垣 元(司会)(みやがき げん)
総合政策学部 教授塾員(1994環、2001政・メ博)。博士(政策・メディア)。第一生命経済研究所、甲南大学教授などを経て、2014年より現職。専門は経済社会学、非営利組織論。著書に『その後のボランティア元年』等多数。
宮垣 元(司会)(みやがき げん)
総合政策学部 教授塾員(1994環、2001政・メ博)。博士(政策・メディア)。第一生命経済研究所、甲南大学教授などを経て、2014年より現職。専門は経済社会学、非営利組織論。著書に『その後のボランティア元年』等多数。
2023/05/08
「コモンズ」としての団地
今日は「団地の未来」をテーマに議論したいと思います。戦後日本の団地は1955年に日本住宅公団がつくられ、60年代から70年代にかけて公共政策として都市郊外を中心に大量に建設が推進されました。
持ち家に憧れるサラリーマン層を中心とした近い年代の多くの人びとが、時代を先取りする、比較的似た設計思想の住宅に同時期に住むことを経験した、いわば同時代的な現象だったことは、団地を語る上で1つのポイントだろうと思います。比較的似通った層が、なじみがない所に集住し始めたことが、私たちの住宅観や家族観、ライフスタイルにも大きな影響を与えたのだろうと思います。
一方、同時代的な現象であることゆえ、時間が経ってから同じような問題が同時多発的に起きてきました。2000年前後には老朽化や高齢化の問題が顕在化し、具体的な施策の対象になっていきます。高度経済成長期に課された宿題を、今になって引き受けている面もあるように思います。そこには建築や都市計画、ライフスタイル、家族など、様々な側面の問題があり、供給側の視点もあれば、生活者側の視点もあります。こうした多様な切り口からこの問題にアプローチしていければと思います。
まずは長らくこの問題に携わってこられた大江さんに、団地と政策面での関わりについて伺いたいと思います。
建築は一般的に一建物一敷地が原則ですが、私たちがイメージする団地は5階建ての板状の集合住宅が複数棟建っているというもので、一建物一敷地ではない建て方でつくられています。つまり道路に面していない形で共同空間、コモンズみたいなものを抱えているところに特徴があると思うのです。それが団地の規模に応じて広がりや機能も違ってきて、とても多様です。
公的な賃貸住宅団地の経営主体は公営、公団(現UR都市機構)、地方住宅供給公社の3つがあり、公団・公社にはそれぞれが分譲した住宅団地もあります。これらは居住層や共同空間のマネジメント方法が異なります。私は横浜市戸塚区の大規模団地ドリームハイツとコミュニティ・カフェの運営を通じて長くお付き合いしていますが、ドリームハイツは市と県の住宅供給公社が分譲した住宅団地です。
公営団地に関しては現在、神奈川県住宅政策懇話会で県営住宅全体のストック活用・再生の議論をしています。また建て替える際のPFI事業(官民連携の1つ)の審査にも関わっています。実際に設計提案なども見ながら、どのように造っていけばよいかを考える場面があり、持続的な管理を含めて難しさを感じる機会が最近増えています。
団地の稼働率と新陳代謝
経営主体の話が出ましたので、続いて供給者側からの視点で西野さんに伺いたいと思います。
UR都市機構のルーツは日本住宅公団ですが、現在は様々な事業を手掛けており、中でも今「UR賃貸住宅」と呼んでいる賃貸部門はCMの効果もあって知名度が上がっています。
URの賃貸住宅は全国に71万戸ほどあります。UR都市機構という呼び名となった2004(平成16)年当時は77万戸でしたが、政府の施策によって少しずつ減っています。
建替えも進んでおり、昭和30年代の団地はほとんど建替え、または用途廃止が行われています。これまでに用途廃止となったのは、昭和30年代から40年代に建設された14万戸です。60年代以降新たに10万戸が供給されていますので、この間に4万戸減ったことになります。また、建替えだけでなく耐震改修も実施可能な範囲ではすべて終わっています。
一方、71万戸のうち、かなりのウエイトを占めるのが昭和40年代、50年代に大量供給された団地です。それらをどうするかは今後の課題ですが、私どもが扱っている賃貸住宅全体の稼働率は今も91%を超えています。建物が古くなり、お住まいの方も高齢化していると、空き家も多いのではないかと思われるかもしれませんが、今もそれなりにニーズがある。ただ、やはり高齢化率は上昇してきています。
他方、別のデータでは、世帯主の所得調査を見ると、直近の2020(令和2)年は5年前に比べて数値が上がっています。考えられる理由は、共働き世帯が増えたこと、前期高齢者の方の有職率が上昇していることなどではないかと思います。
これからの課題は、やはり単身化している高齢の居住者の存在です。長く豊かに暮らしていただくためにコミュニティを形成し、見守りサービスや共用部を使ったマルシェの開設など、公団時代では考えもしなかったような新しい試みにも取り組んでいます。
91%は驚きですね。世帯年収が上がっているというお話ですが、それは居住者が大きく入れ替わっていることもあるのでしょうか。
そうですね。コロナ禍が落ち着いたこともあり、直近の2023年では年間7万戸、つまり、全体の約1割が入れ替わっています。ちなみに団地の建替えの際には政策的に補充停止を行いますが、91%という稼働率はこうした空室を母数に含めた数字です。
団地イメージの変遷
続いてライフスタイルや家族と団地との関わりという点について、渡邉さん、いかがでしょうか。
私の団地との関わりは横浜市緑区の竹山団地をテーマに修論を書いたことからでした。そこは1970年代に山を切り拓いて造られた場所ですが、最初は賃貸住宅のみだったのが、80年代に分譲団地が造られました。修論を書いていた2000年前後はまさに高齢化が始まった時期です。そこで高齢者のサークル活動を調査しました。
竹山団地も70年代に一斉入居が始まりました。当時言われていた「住宅すごろく」では、皆、いずれは持ち家を持つと思われていたのですが、90年代前半にバブルが崩壊し、家を買うタイミングが失われてしまい、この団地に住み続けて高齢となった方がたくさんおられました。
「住宅すごろく」は、賃貸型の団地を一時的な仮住まいと想定しています。竹山団地の住民もそこが終の棲家になると思っていなかった人が多いのです。また、公団・公社よりもやや質が劣る公営団地の居住者の方にその意識は高かったのではないでしょうか。
2019年に『総中流の始まり――団地と生活時間の戦後史』(青弓社)という本を共著で執筆しました。1965年の6つの団地を取り上げた団地調査の調査票が、東大の社会科学研究所に数千枚残っていました。一番古い団地は1953年に建てられた川崎市営の引揚住宅、一番新しいものは61年に建った厚木の公団住宅のものでした。私たちは性格が大きく異なる6種類の団地の調査データを復元し、計量分析し直しました。
このデータからまさに団地ができ上がったころのライフスタイルが見えてきます。日本が高度経済成長期に入るとともに団地生活のイメージが広がっていきます。1960年に当時の皇太子、皇太子妃両殿下が公団ひばりが丘団地を訪問したのが話題となり、団地での生活が輝かしいものとして広まっていきました。
他方で70年代後半には、団地にネガティブなイメージが持たれるようにもなっていきます。管理社会に対する批判みたいなものから「団地族」や「鍵っ子」といった言葉が生まれましたが、私たちの本ではまだそのようなイメージが付く前の団地の姿と現代との連続性のようなものを分析しています。その記録にあるような生活をしていた方々がその後もずっと住み続けた結果、今の団地の姿になっているとも言えます。当初はそうなることを想定していなかったところに団地を語る難しさがある気がしています。
「団地最高!」
鈴木さんは、まさに現在、団地に住まわれているということですね。
はい、典型的な公団住宅ではないのですが、鹿島建設が40年前に開発した「志木ニュータウン」という民間分譲団地に住んでいます。実際住んでみた印象は「団地最高!」という感じです(笑)。私の場合、入居時期と子育てのスタートが重なるのですが、団地は本当に子育てしやすく、コミュニティもしっかりしていて、移り住んで良かったと感じています。
志木ニュータウンは全体で8街区あり、計3300戸で形成されています。実は昨年、引っ越したのですが、今住んでいる街区から出たくない、このコミュニティから出たくないと思い、同じ街区内に転居しました。
コロナ禍の中でも、子どもたちはこの街区の中で遊んでいました。それができたのもお互いの顔が大体わかっているからです。学校は閉鎖され公園の遊具も使えない、そんな時でも街区内の広場が子どもたちの遊び場になりました。名前は知らなくとも、お互い見知った関係なので、安心感があったのですね。
コミュニティの結束が強く、お互いのことが何となくわかっているということが大きいと思います。街区内の全員のことを把握できているわけではありませんが、共同体としての意識みたいなものは生まれていると思います。
豊かに暮らしたいというニーズとコミュニティがマッチしていて、私にとって団地はすごく熱いのです。団地の中で豊かに暮らしたいというニーズは根強いように思い、また団地には面白いところがいっぱいあります。そういう場面を写真に撮って「#団地にくらすよろこび」でインスタグラムに写真を投稿したりしています。
街区すら動きたくないというお話は興味深いです。今お住まいの街区と他の街区にははっきりとした違いがあるのでしょうか。
どの住棟も同じようにつくられているので、本来は同じようなコミュニティが生まれるはずですが、やはり40年経つと全然違う文化になります。例えば私が住んでいる街区にだけ、まだ子ども会が残っています。
それは子育て世代がいるからだと思いますが、若い世代が入ってくるのは、分譲の団地内で賃貸として貸すケースが増えているからなのですか。
その通りです。面白いことに私たちの世代は最初に賃貸の部屋に入り、その後分譲を買う世帯がとても多いのです。都心への通勤圏内で緑も多く、とりあえず住んでみるか、という感覚で入った人たちがそのまま買っていくのでしょうね。
この時代の団地の豊かさとは
鈴木さんがおっしゃる“豊かな暮らし”が何を指すのか、もう少し具体的に聞かせていただけますか。
団地を語る時にハード面とソフト面、あるいはコミュニティ面の2つがあると思います。ハード面の豊かさは、まず歩車分離であることが大きいです。私は10年ほど前まで都内に住んでいたのですが、マンションの前は歩道のない道路で、ヒヤヒヤしながら生活していました。しかし、団地なら子どもが勝手に棟を出ていってもそれほど心配ではありません。街区公園がいたるところにあり、公共施設、郵便局や派出所、病院、学校も近くて、徒歩圏で暮らせるメリットがあります。また、そういう環境で生活していると、顔見知りともよく出くわすんですね。すると立ち話が始まったりして、今度はソフト面の話につながります。
私が自分の住んでいる街区が好きなのは、街区の植栽を管理する植栽委員さんの活動が活発なところです。散歩をしていると切り花をもらったり菜の花を分けてもらったりします。そうしているうちに私も子どもも別の友だちに会うということが起こる。そういう関係の豊かさは集まって住むからこそだと感じます。
なるほど。URでも居住者が長く豊かに暮らしたいというニーズは高まっているのでしょうか。
今URの住宅を管理する部門のかなりの部分が、豊かさに関わる仕事になっています。これまでは住宅の維持管理や苦情の処理といったことが多かったのですが、最近は環境整備に力を入れてほしいという声が多く聞かれます。
例えば、子育ての話が出ましたが、団地の稼働率が高いといっても、団地内の施設は空き店舗が結構目立ちます。団地には高齢の方もたくさんお住まいなので、ビジネスとして子育て世代とをマッチングし、空いているスペースを上手く活用して、高齢者の方に子育てのお手伝いをしてもらってはどうかというアイデアも社内から出ています。
誰が共用空間を管理するか
歩車分離のような豊かな空間づくりがされていること、病院や店舗といった機能が街区の中にあること、ある種の自主マネジメント組織みたいなものが存在していること。これは60年代、70年代に団地が大量供給された頃にすでに考えられていたのでしょうか。それとも機能が移り変わった末に今の姿があるのでしょうか。
僕は志木ニュータウンに足を運んだことがないのでよく理解できているわけではありませんが、分譲団地を管理する単位は一概に同じではありませんよね。志木ニュータウンはおそらく8つの街区ごとに管理組合をつくり、それぞれの街区の中で土地の共有持分を持ってみんなで管理しているのではないかと思います。
そこに住む人たちに、ここは自分たちのものなんだという意識があり、共有空間をどう上手く使っていこうかと前向きに取り組む街区もあれば、そうではないところもあると思います。鈴木さんがお住まいの街区はもともと空間が豊かなところに、ちょうどいいやりとりの中で豊かに使える時期がきたという感じかなと思うんですね。
UR賃貸住宅はURが委託している日本総合住生活(JS)が管理を手掛けていますね。URもJSも、人々が参加をする仕組みをどうつくり、安定的に運営するかというところで、まだ経験が十分にない状況だと思うんです。でも、何か工夫すれば、今、鈴木さんが体験しているような豊かさをつくり出せるのではないかと思います。
まさにその通りです。私たちの街区はたまたまハードを上手く使いこなせていますが、それはかなり属人的な部分があります。実際、植栽委員をやっている年配の方がすごくいい人で、その人が周りを上手に巻き込んでいる。500戸くらいの街区ですが、1人の人の影響は大きい気がします。
逆に、気難しい自治会長さんの下では同じ団地内でもルールが厳しい街区になりますし、この間、とても素敵な町内会長さんが亡くなってしまったのですが、人に頼ってばかりいるとその後の管理が危ぶまれることもあり、自主マネジメント組織というものについて考えさせられました。
今までの団地はハードの管理が中心でした。でも、このハードをどう上手く使いこなし、豊かな暮らしをつくるのかというコミュニティづくりが専門のプロもそこにいてほしいと思います。管理費は毎月とても大きな金額ですから、そこからほんの数パーセントでも捻出してほしい。むしろ、そういうことのために管理費があるはずなんです。
一方で何事もお金で解決するようになると、うちの街区のような住民の自主的な行動もなくなってしまうおそれがあります。それはそれでよくない面もあるのかなとも思いました。
私は専門の1つがNPO論なのですが、今の話はNPOの難しさと似ていると思いました。皆、もともと自主的に集まっているのに、活動を維持継続するためにはそこで事業を行い、何らかの収入を得て常駐する人を雇用します。そういう中で上手くいく場合といかない場合があり、鈴木さんの言うとおり、“してくれる人”と“される側”の関係に固定化すると要求しか出てこなくなってしまう恐れがある。逆にコミュニティ性みたいなものが維持できれば、ある程度おたがいさまの関係でやっていける。その按配が難しいところです。
「豊かさ」の変化
豊かさをキーワードにもう少し掘り下げたいと思います。2023年の今「団地最高!」と言う人がいる一方、60年代、70年代にもやはりある種の豊かさの実現を目指して団地の供給が進んだ経緯があると思います。
当時の豊かさと、現代の豊かさは同じものなのか。あるいは、時代の変化とともに豊かさの内実も変わり、一周回って団地という空間が新しい形で定義し直されているのか。渡邉さん、いかがでしょうか。
豊かさに関しては、比較する対象がまったく違うと思います。1950年代、60年代の団地はまずステンレスのキッチンが大変な話題になりました。それまでの日本の住宅は土間が基本で、掃除や洗濯もすべて土間が中心でしたので、家事労働で腰が痛くなるとか、火回りが大変とか、水場が遠いといった難点がありました。
それが、水場が腐食しないピカピカのステンレスに代わり、水道、電気やガスといった生活の構造を支える部分がシステムとして供給されるようになります。家事労働の質を根本的に変える部分にこそ豊かさが見出されてきました。
また、今と昔では世帯構造が大きく違います。例えば、『総中流の始まり』で分析した1965年当時の6団地の居住者は、夫婦のみの世帯が11%ぐらいで9割近くが夫婦プラス子ども世帯です。ごく一部に3世代同居が見られますが、それは例外的です。
しかし、当時の日本全体を見ると3世代同居は世帯の3割以上であり、多くの人が経験していました。だから、大家族制から核家族になっていく1965年頃にあっては、団地は核家族を象徴する輝かしい豊かさを象徴するものであったと言えるかと思います。
さらにその核家族の男性の働き方が雇用労働へと変わっていった時代ということも大きかったと思います。会社勤め等で働くワークスタイルは、まだ農業人口が3、4割を占めていた1950年代頃では新しかったのです。つまり、われわれがイメージする核家族的なライフスタイルが確立される中で、団地生活が豊かに見えたのだろうと思います。
それに対して、鈴木さんの言う豊かさはどちらかというとコミュニケーションであったり、それによってもたらされる安寧であったり、ということでしょうか。
そうですね。鈴木さんが子育て中に感じたような、同じ街区内で声を掛けてくれる人への信頼や、子どもが見えないところに行っても心配にならないといったことが、東京都心のマンションなどでは得られないと感じるからこその豊かさがあると思うんです。
ステンレスのキッチンは土間との比較によって豊かに見えました。僕らが今ステンレスに豊かさを感じることはありませんが、子どもから目を離しても心配せずに済むということに豊かさを感じるわけですね。そこが、団地が持つ新しい可能性を示唆しているのかなと思います。
かつて1960年代には近所の人たちが声を掛け合ったり、よそのおじさんがよその子どもを叱ったりといった関係性が日本には確かにあったわけです。おそらくそれが変質し、なくなっていったのが70年代です。
それまでは近隣に対する信頼関係がベースにあり、おそらくはそういう関係性を持っていないと十分に生活が成立しなかった。しかし、そうした信頼関係は、もっと大きな社会のシステムに委ねた方が個人の自由が得られる、住民相互の信頼がなくても生活は十分できる、という形で衰退していったのだと思うんです。
しかし、今、具体的な生活の場面を考えると、鈴木さんのように、やはり近隣との信頼関係があったほうが暮らしやすく豊かだということがある。それは家の広さ、設備や資産価値といったことを超えてより必要なものと感じられるということでしょう。家族や離れて暮らす親との関係性といったものとも関連していると思いますが、近隣の他者との関係性の豊かさをもう一度発見し、再評価する機運が高まっているわけですね。
でもこうした信頼関係を取り戻そうという問題意識は社会に潜在的にあるとは思いますが、まだ十分に発揮されていないのではと感じます。一部の団地では目に見える形で、関係性や空間の使い方が変わってきているので、これをもう少し社会に広げていけないかと考えます。問題意識を持つ人が少しずつ増えている感じはしますね。
近隣との信頼関係を取り戻すには
近隣に対する信頼みたいなものを手放してシステムに委ねるという選択が日本の高度経済成長以降のライフスタイルだった。だけど、どこかの段階でそういうベクトルについていくのはしんどい、窮屈だといった価値観が生じ始めたのではないかと思います。そして、それがいつからかというのも大事なことのように思いますが、ある時期に一定数の人々が近隣との信頼関係が大事だと言い始めた。
近隣との信頼関係は大事な要素だとして、団地だからこそ、この信頼づくりは比較的容易に実現でき得るのでしょうか。もしそうならば、それはなぜなのでしょうか。鈴木さんには、団地だからこそ今のような関係性が築けたという実感がありますか。
ありますね。信頼をシステムに委ねるようになったという大江さんの話はその通りだと思うのですが、子育てをサービスで買えるようになったことは、実は苦しいことなんですね。
例えば、うちの子どもは今、8歳と10歳なので留守番ができるようになりましたけど、出かける時には一応、近所の知り合いに声を掛けておくんです。「家にいる?」と訊いて、「いる」と言ってもらえれば、子どもにも「何かあったらあの家に行ってね」と言っておきます。そういう関係性があれば、ベビーシッターを雇う必要もないんです。
そういうことがなぜ団地でできるかというと、やはり共有する公共空間があるからだと思います。外部に共有の空間があることで、そこで遊んだり、犬の散歩をしたり、立ち話をしたりすることで共有の場にいるという認識が生まれるのだと思います。“拡大した庭”と言ってもいいかもしれません。そこにいることで仲良くなることが自然な行為になるのかなと思います。
それは「〇〇の会」に入って、〇〇さんと知り合いになりましたといったこととも違い、散歩中によく出くわす人と最初は挨拶程度だったのが次第に立ち話をするようになったとか、広場で遊ぶうちにだんだん気が合ってきて、雨が降ってきたら「うち来る?」みたいな感じになるといったことです。これはやはり団地が外の空間を共有していることが大きいと思います。
植栽の可能性もとても大きくて、私の団地では植栽を通じたコミュニケーションがよく起きます。花がきれいだとか、この野草は食べられるよとか、共有空間がある団地ならではです。
西野さん、そうした共有の空間にコミットして世話をしたり、いろいろな活動が行われたりすることは多いのでしょうか。
URの賃貸住宅では、実際の植栽の管理は委託された会社が担っているので、そういうコミュニケーションは起きにくいかもしれません。ただ、日本人は芝生のある場所を好み、芝生を張ると皆、座るそうです。URの賃貸住宅では公共空間に芝生の面積を広くとっていますが、住棟の間隔が広いところに芝生を張ると誰かが座り、そこにまた誰かがやってくるというふうにコミュニケーションの種が蒔かれることもあるようです。芝生はクールスポットになるというデータもあり、環境的にも利点があります。
マーケットの可能性
芝生の公共空間はまさにコモンズの1つですね。鈴木さんが研究・実践なさっているマーケットもコモンズを形成する取組みですね。
団地のマーケットは、近所に「近隣公園」があるのでそこを借りて30店舗ぐらいで開催しています。小さなお店の集合体ですが、1つ1つの店舗が集まることでその場の空気や機能を変えることができます。人が物々交換するために集まった場所が都市の始まりと言われるくらい、マーケットは生活に欠かせないものなのです。
現在の日本の買い物はスーパーマーケットやインターネットといったシステムに委ねられてしまっています。でも、マーケットは地域で作られたものが地域で消費できるだけでなく、対面販売で人々が会話しながら、物を売り買いできるプリミティブな商いの良さもあります。
地域経済の側面から見ても、ロンドンではこのようなマーケットが1万3000人のフルタイム雇用を生んでいるそうです。日本では一時的なイベントと捉えられがちなのですが、都市戦略として位置づけられ、食料施策や低所得者層への食料供給として行われうるものなのです。私たちが団地でマーケットを開くのは誰の場所でもない場所をつくりたい、という思いもあります。
コミュニティというのは、「さあつくりましょう」と言ってつくれるものではない。でも、商いは誰でも理由なくかかわることができます。マーケットでは皆が買うパンと野菜のお店を必ず出すようにしているのですが、そうすれば商いを通じてコミュニティをつくれるという狙いがあります。
面白いですね。マーケットの光景が浮かぶようでワクワクします。
多文化共生という新たな課題
一方、巷間言われているように高齢化をはじめとして、今、団地が直面している課題について触れないわけにはいかないと思います。大江さん、いかがでしょうか。
住民の高齢化もそうですが、近年多くの外国人居住者の方が団地に住むケースが増えています。この新しい住民の方とのコミュニケーション不足の課題には触れておいたほうが良いと思います。
埼玉県の芝園団地は外国人居住者比率がとくに大きく、神奈川県大和市と横浜市の境にある公営のいちょう団地も外国人居住比率が高いことで知られています。
これらの団地には住民間でのコミュニケーション不足の問題がずっと指摘されています。よく多文化共生と言われますが、古くからの住民が次第にいなくなり、後から入居した人たちが増えた時、共生をどのように実現していくのか、その仕組みも変化していくと思います。
一方、団地が抱える課題には他にも高齢化や老朽化への対応、空き店舗の利活用といった課題もありますが、団地だけが深刻かというと、そういうわけでもありません。
団地というものは都市が拡大する中で、居住の場を受け止めるために郊外に計画的につくられたものです。その大規模なものがニュータウンと呼ばれるわけですが、団地やニュータウンには郊外全体の問題が投影されています。1都3県で3700万の人口のうち、23区に1千万人弱いますが2千万人以上はその外側にいるわけです。郊外の課題はその2千数百万人の誰もが関係するものです。郊外の課題が団地に集約的に見えるという見方が必要だと思うのです。
老朽化への対応
団地自体の老朽化は、建替えを行う際に様々な利害関係を調整し意思決定をするためのプロセスづくりの課題とも結びつくと思いますが、西野さん、いかがでしょう。
UR賃貸住宅はオーナーがUR単独ですので、分譲マンションのように法的に合意形成を図ることはないのですが、お住まいの方にはご理解を得て移転してもらわなければいけませんし、戻っていただくにしても、別のUR団地を斡旋するなりして、仮住まいしていただくことになります。
他の団地を斡旋する場合、100人が100人にご納得いただけることはなかなかありませんが、説明会を開いた後、2年かけてきちんと説明し、転居のご理解をいただいた上で建替えを具体的に始めるというルールを設けています。しっかりしたコミュニティが形成された団地の場合は、皆で移り住みたい、皆で戻ってきたいといったご要望もあるようです。
URから見て象徴的な課題や取組みはありますか。
私たちはあくまで貸家業なので、お住まいの方の安全安心にコストを掛けなければいけない。そのコストを家賃で回収することになるわけですが、それを両立させるのはなかなかハードルが高いことです。
また、これは社会的使命としてということですが、「地域医療福祉拠点化」といって建替えで生み出された土地を活用し、地域に開かれた医療福祉拠点を誘致したり、行政や地元NPOと組んで、見守りや地域のサポートをする業務が増えています。
団地は立地次第で建替え後の利活用を上手くできるところと、それが難しいところがあるように思うのです。古い団地を建て替えていく際の課題はどういうところでしょうか。
はい。稼働率91%と申しましたが、それを維持できているのはやはり家賃水準と需要とがバランスしているからです。しかし、そういった団地は私鉄の駅からバスで10分、15分といった郊外で、稼働率は上がるものの、家賃水準との兼ね合いで経営的にはなかなか苦しい面もあります。
現在71万戸と言いましたが、おそらく今後はもう少し減ることになると思います。建替えを行っても家賃で回収できない場合があるからです。そうなると、現在お住まいの方は、ご理解をいただいたうえで他の団地などに移っていただくことになりますが、お住まいの方の居住の安定を図りながらどうダウンサイジングしていくかというのが経営課題の1つです。
高齢化が進む公営住宅団地
団地の今日的課題ということについて渡邉さんはいかがでしょうか。
やはり高齢化と外国人居住比率の高いエリアでしょうか。とくに外国人居住は公営団地に顕著で、外国の方は日本で賃貸住宅を借りにくいので、どうしてもそこに集まらざるを得なくなります。例えば、芝園団地や西葛西団地、あるいは豊田市のような工業都市ですね。外国人の居住率が高まるがゆえに合意形成の問題も生じます。
日本の団地は管理スタイルが独特で管理組合があり、かつ自治会があるという二重構造があります。これらが良いガバナンスをつくる場合もあるのですが、事情がわからない人間からすると、仕組みがよくわからない。ただでさえ説明しにくい仕組みがあり、言語も違い、文化も違い、かつ年齢層や家族スタイルが違うような状況で、共生をしていくのは、なかなか難しい挑戦です。
高齢化ももちろん重要な課題ですが、この点が本格的に問題となるのは、やはり公営住宅です。なぜかと言うと長い間家賃が変わっていないからです。公営住宅は、入居世帯の収入によって家賃が決まる応能応益制度をとっているので、収入の低い高齢者は低廉な家賃で住み続けられます。
URでは現在、2年ごとに家賃の見直しを行うというルールになっています。
そうですね。かたや公営住宅は、家賃が変わらないことによって高齢者が出にくい状況をつくり出しているとも言えます。バリアフリーではまったくなく、必ずしも良好ではない生活環境であるにもかかわらず、同等の家賃水準で転居できる先が市場にはない。自治体の新たな住宅供給も、この人口減少の中で行われません。そうすると老朽化した公営住宅の居住者の6、7割が高齢者といった割合になる。こうした状況ではさすがに支え合いといった話も現実的ではなくなります。
団地の特徴は、長年住んでおられる方々はスタートラインが年齢層も収入も大体同じということです。入れ替わりがあるとある程度多様になっていくのですが、高齢の居住者が高い比重を占める団地は、それが多様にならなかった団地です。本当はそこに多様性をつくる仕掛けがどこかで必要だったのですが、これまでの住宅政策に取り入れられてこなかった。
とはいえ、固定化したものを壊すのは大変です。国立競技場建替えの際に霞ヶ丘団地の立ち退きが問題となりました。もちろん住んでいる方の思いはよくわかるのですが、あの立地で、あの家賃水準を認めざるを得なかったのは、政策に問題があったのではないかと思わざるを得ません。団地で起きているのは単なる高齢化というより、住民が動けなくなっていく状況での高齢化なのかと思います。
外国人居住の問題も本来は市場でもっと多様な形を探れるはずですが、難しい現実があります。そのある種の矛盾みたいなものが団地に集約され、狭い空間で様々な問題が起きています。
集まって住むことのメリット
一方で団地には集まって住むことでサービスをまとめて提供しやすいといったメリットがあります。例えば、いちょう団地では外国人の支援をするNPOがつくられました。高齢者の集住地という点も考えようによってはメリットになります。特定の居住者層を対象にサービスを組み立てることが可能ですから。
実は公営住宅でも、高齢者が入れ替わっている状況もあるのです。公営住宅は高齢者の応募が非常に多いのです。逆に言えば、民間の賃貸住宅は高齢者の入居に関して非常に厳しく、安心して住めるという点でも公営住宅の需要は高い。こうした状況を見ると、高齢者向けの公的サービス、あるいは民間サービスや非営利のサービスも組み立てやすくなるというプラス面があると思います。
そうですね。新宿の戸山団地はまさに高齢者が6割という団地ですが、1階には「まちかど保健室」というスペースがあり、看護師の方々が保健室のようなものを運営しています。こうしたサービスは問題先進地域だからこそリーチしやすい利点があると思います。
一方で、戸山団地はやはり大規模で、しかも場所のメリットがあるからこそ成立している面があります。2、3棟の郊外型市営団地では厳しい現実があります。こうした課題は状況ごとに考えるのが大事ですね。団地に未来がないとは思わないですけれど、問題もたくさんあるのは事実です。
システムに委ねてしまった近隣への信頼を取り返すというお話の文脈で、コミュニティ活動が生まれている状況と、もう一方にはそれだけでは手に負えない深刻な状況もあると思います。それを政策的な課題としてどう解決に導いていくのか。外国人居住者の契約の問題、要介助や独居の高齢者、低所得者の抱える課題など、私たちの社会が今抱えている矛盾のようなものを、全部団地という空間が引き受けている側面もあるようですね。
団地居住者として感じるのは、やはり管理組合や町内会の活動は誰もができればやりたくないと思っているところが問題かなと思います。そうすると、このまま高齢化が進むにつれ、じわじわと弱体化していくだけのような気がします。先ほど、子ども会が存続したと言いましたが、実は今年は私が会長をやるのでつぶさないでくださいと言ったのです。地域のお祭りも減りつつある中、どうやってやる気を保つかといった解決策はまだ全然見えていないと思っています。
一方で、空き店舗化した商店街に新しく喫茶店や地域の施設をつくる事例は結構あるので、そういうところから新しいコミュニティが生まれてくるようにも思います。
私はニュータウンの中の戸建て住宅で育ったのですが、そういう場所は誰も住まなくなり、関心を持たれなくなると切り捨てられかねません。しかし、団地は多くの人が集まり、互いに関心があり、思いもあります。課題はあるにせよ、問題が可視化されたときに誰か1人でも動ける「面白い人」がいると、状況がガラリと変わるのをこれまでにいくつも見てきました。
団地内の活動や人材を掘り起こす
鈴木さんの言う「面白い人」は自治会や管理組合といったコミュニティ組織のルートではなかなか出会えない人ですよね。そういう人にどうやって表に出てきてもらうかは、私が長年エリアマネジメントに関わった横浜の洋光台団地でも考えていたことです。
洋光台では2つの空き店舗を「CCラボ」というフリースペースとして開放しました。「ルネッサンスin洋光台」というプロジェクトを推進する中で家賃を無償化し、運営にもお金を出して、地域内の活動を掘り起こす試みをやったのです。洋光台は、隈研吾さんが設計した駅前空間や、佐藤可士和さんが手がけた北団地の屋外空間も素晴らしいのですが、同時にCCラボという場所をつくる試みに手ごたえを感じました。新しい人材、資源を掘り起こすことはとても重要です。
自治会や町内会というコミュニティも当然あっていいですが、それだけではできることは限られます。でも複数のレイヤーがあることで、いろいろな人がそこにアクセスできるようになる。これまでの郊外コミュニティはそういうレイヤーが少なかったと思います。
もちろんいろいろなNPOの活動があったと思いますが、その活動は得てして地域性を持たず、一方で地域はそこをがっちり固めている自治会や町内会が公益的な形でやっていました。そこに、もう少し地域に根差し、かつ自治会や町内会とは違った形で新しい人が出てくるような仕組みが掘り起こされたらいいと思います。
実際、洋光台では、自治会や町内会の人たちもCCラボを見て、こんなにいろいろな活動があるのかとびっくりしていました。それらに決して否定的ではなく、何か一緒にやろうという雰囲気ができたことは洋光台での実験で評価すべきことかなと思います。
洋光台の事例は団地の未来を考えるカギとなるお話ですね。西野さんの立場からはこの次を考える手がかりになることはありますでしょうか。
よく民間の事業者と話をすると、「団地は宝の山だ」と言われます。団地でいろいろなことをしてみたいと。それはある種の実験かもしれませんし、ビジネスかもしれませんが、いろいろな業態の方が団地で何かやってみたいと考えています。
URは賃貸住宅を管理する立場ですので、これまでこうした取組みとは距離をとっていましたが、最近は変わってきて、例えば団地の中で自動運転の試験走行をやってみたり、高齢者の見守りサービスをやってみたり、あるいはDX技術の試験を行ったりしています。
こうした民間の人たちの発想を上手く取り入れてビジネスに結びつけていくと、今まで足りなかったところに手が届くかもしれないと感じています。
コミュニティに回帰することはもちろんいいことなのですが、やはり上手く回らない部分をどう補うのかという時に、新しい技術が必要になる気がしています。団地は新しい技術を実装しやすい空間かもしれません。
大学が引き出す異世代交流
団地が未来を先取りするというとても重要なお話ですね。その切り口でいうと、大学や教育機関も関わっていけるような可能性を感じます。
私も支援を頂いてSFCの仲間と「みらいのまちをつくる・ラボ」という活動をやっていますが、面白いなと感じるのは、地域の課題に若い学生が絡むと、地域の関係性が少しだけ変わる。たとえば、子どもたちやお年寄りが学生と話す時間を楽しみに待っていて下さったり、ささやかな交流が起こるのを目の当たりにしています。
大学と団地の連携は地方都市でも見られます。愛知県豊明市の豊明団地は近くに藤田医科大学があります。豊明団地は古く、エレベーターのない5階建てです。そこで、4階、5階に住んでいた高齢者の人たちが1階、2階に移り、4階、5階を医大生に安く貸しています。そして、空き店舗に地域包括ケアに関わるようなデイサービスなどが入り、そこが藤田医科大の学生にとって、ある種インターンの場にもなっています。
学生にとっては安く住めてインターンの場にもなり、その他の住民がサービスの利用者になるというわけです。しかも、高齢者には若い世代との交流が一番の社会参加のリハビリになっているのです。
コロナ禍でも、近くに学生がいることによってZoomの使い方を教えてもらうようなことがあったようです。こういうことも集まって住んでいるメリットだと思います。課題があることで住民同士が関わるきっかけが生まれるのは団地ならではです。
学生との関わりだけでなく、鈴木さんのように子育てがきっかけとなる面もありますし、高齢者と異世代の交流が、本人たちのウェルビーイングにもつながる面白さがあると思います。
団地の中でどうやって多様性を設計するかという先ほどの話とも関わりますね。
学生は4年間でいなくなりますが、逆に、いなくなるからこそ交流のきっかけがつくりやすいとも思います。
団地の未来は郊外の未来
鈴木さんにとって団地の未来を考える上でカギとなるものは何でしょうか。
これまでの団地には管理社会の暗いイメージがあったように思います。米国の著名なジャーナリストのジェーン・ジェイコブズもかつて団地には多様性がないと批判していました。ただ、住んでいる人たちは自分の団地が好きだと言う人が多く、これは海外でもそうです。そういう両方の意見があることを知った上で、私は志木ニュータウンに住み始めたのですが、実際に住んでみるとすごく良かった。
もともと近代化の象徴として団地はあったと思うのですが、今はかつて失われた人間同士の関係やコミュニティ、地域の人たちとの交流というものを、もう一度コモンズとして取り戻す場になろうとしています。しかも問題を抱えているからこそ実験ができるという面があって、とてもポジティブになれますし、何かポジティブなことを起こそうと思っている人にとってもチャンスになる。今日のお話そのものが団地の未来を示唆しているなと感じました。
70代の僕が言うよりも、鈴木さんが言うほうがポジティブで楽しそうに聞こえますよね(笑)。僕は今行われているような実験やコモンズがもう少し周辺の市街地にも開かれるといいなと思います。周辺に住む人々も一緒に使えるものとして団地を捉えていくのも1つの見方でしょう。
一方でそこには課題もあります。今まで自分たちの管理費で管理したり、分譲団地であれば自分たちの所有物として管理したりしていたところに外から人が入ってくると、どう融和するか、コスト面をどう負担するかを考えることが必要になります。しかし、そういう課題を乗り越えて地域に開かれた団地というものを考えてみるのはとても大事なことなのではないかと思います。
団地はそれだけの資源を持っていると思います。実験もできるし、人材もいますから可能性は非常に大きい。そして、郊外全体の問題が集約的に表れているので、その解決策を郊外全体に広げていくことができます。団地からそういった大きなビジョンを描けるのではないかという気がします。
今日の皆さんのお話から感じたのは、団地に対する平板なイメージと実態が相当違うということでした。団地はとても多様で立体的、彩り豊かな存在ですし、われわれは団地の豊かさや可能性に改めて目を向けるべきだと思いました。これからの地域や郊外のあり方を考えることは、おそらくわれわれのライフスタイルのあり方を考えることにとても近い。それを考える上で団地は重要な示唆を与えてくれる空間なのでしょう。
本日は有り難うございました。
(2023年3月28日、三田キャンパスにて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。