執筆者プロフィール

梅田 聡(うめだ さとし)
文学部 心理学専攻教授
梅田 聡(うめだ さとし)
文学部 心理学専攻教授
2022/03/07
心の科学から脳の科学へ
心の機能を探る研究である心理学は、歴史を辿れば、哲学から派生した学問である。心理学が「サイエンス」としてのスタートを切ったのは、ヴントがライプツィヒに世界で初めて「心理学実験室」を設立した1879年とされる。それ以降、心を科学的に探る試みが発展し、心理学は複数の分野に細分化されていった。なかでも、「神経心理学」と呼ばれる学問領域は、脳に損傷をもつ症例を対象として、どの脳部位の損傷がどのような心の障害を引き起こすのかを調べる専門分野として、大きな発展を遂げた。有名な例を挙げると、側頭葉に位置する海馬に損傷を負った症例HMは、数秒程度の記憶の保持はできたが、数分間の記憶の保持には困難を示した。この症例報告がもととなり、「短期記憶」と「長期記憶」という概念ができたのである。
臨床研究である神経心理学の発展とは独立に、脳活動の測定技術も著しい発展を遂げてきた。人を対象とした研究に限定していえば、当初発展した測定技術は「脳波」である。脳波計は、脳の神経活動から発せられる微弱な信号を検出する装置であり、頭部に装着するセンサーを用いて、頭蓋骨よりも下の脳実質の神経活動から発せられる信号を検出する。脳波は、現在でも病院での検査や研究で広く用いられている技術である。脳波を用いて、心の状態を知ろうという試みも徐々に盛んになり、「生理心理学」という学問領域の発展につながった。
1990年代に入り、それまで神経心理学と生理心理学が中心であった「脳と心の研究」は、大きく様変わりした。その理由は、ファンクショナルMRI(磁気共鳴画像法)の技術革新にある。MRIは通常、脳を含む身体内部の「構造」を描出する技術である。神経心理学においても、脳の損傷部位を特定するためにMRIが使われる。一方、ファンクショナルMRIの技術は、構造ではなく、「機能」を描出する技術である。つまり、まさにこの文章を読んでいるときに脳のどの部位が活動しているのか、怒りや悲しみを感じているときに脳のどこがどのように活動しているのかなど、「心の状態」を「脳の状態」として見ることができる技術である。先に述べた脳波計は、脳の細かい部位の神経活動まで特定することは難しい一方、ミリ秒単位での活動を追うことができる。ファンクショナルMRIは、脳の細かい部位まで描出できる一方、秒単位での活動を追うことが精一杯である。脳波計とファンクショナルMRIで得られる成果と、脳損傷の影響を考慮する神経心理学の成果を統合して考えられるようになり、「心の脳科学」が急速に確立されるに至ったのである。現在は、動物を対象としたニューロサイエンスの分野とも融合され、「認知神経科学」という分野の確立に至っている。
この発展は、心理学自体にも大きな影響をもたらすこととなった。心理学は、基本的には人の行動を対象とする学問であり、数々の実験を通して、心がどのように構成されているかを考える学問である。そして、それを理論やモデルとして提案し、別の研究者がそのアイディアの妥当性を検証し、妥当なものが残っていく。認知神経科学の発展を受け、このプロセスは心理学の枠を超え、脳科学の視点からも心理学で提案された理論やモデルが検証に晒されることになったのである。現在は、ソフトウェアとしての心理学を学ぶ者にとっても、それを実現するハードウェアである脳に関する基礎知識を習得することが必須になっている。
感情が生じるメカニズムの解明
認知神経科学は「脳と心」の関係性に焦点を当てるのだが、感情や不安といった心の側面を理解するためには、これでは不十分である。足りない要素は「身体」である。以下では、筆者が専門領域とする感情の研究について取り上げ、なぜ心の脳科学に身体の科学が必要であるかについて述べたい。
感情には関連する概念がいくつかあるが、なかでも重要な概念は、emotion とfeeling の区分である。emotion とは、一般に、生体が外部から刺激を受け取り(例:クマを見る)、身体の内部に何らかの変化が生じ(例:どきどきする)、それが原因で生体に行動を起こさせる(例:逃げる)ような心的状態を意味する。emotion は、一般に「情動」と訳される場合が多い。外的刺激が消失すると、それに伴う心的状態は徐々に弱まるため、emotion は一過性の心的状態で、何らかの行動を誘発するものと定義できる。一方、feeling とは「主観的に感情を感じる」ことを意味する。この訳語には「感情」が当てられることが多く、「情動」という訳には違和感がある。
行動として表出される「情動」の脳内メカニズムに関する研究は、ファンクショナルMRIの導入に伴い、2010年頃までにその骨格が整った印象がある。しかしながら、「感情」は主観を対象とすることから、20世紀後半に至るまでサイエンスの対象から排除される傾向にあったため、研究の発展が大きく遅れていた。その遅れを一気に取り戻したのは、今世紀に入ってからのことである。そのきっかけになったのは、いったい何だったのか。それは、感情を感じる際に必ず観察される心拍や呼吸などの変化、すなわち自律神経活動の変化と、脳活動の変化を同時に測定したことにある。この方法により、身体に変化が生じたときに、脳内のどの部位にどのような変化が生じるかを明らかにすることができるようになった。このことがきっかけとなって、主観的な感情が生じる瞬間を捉えることに一気に注目が集まったのである。
内受容感覚と主観的感情
では、身体に変化が生じたときに活動する脳部位とは、いったいどこなのか。その中枢となる部位は「島皮質(とうひしつ)」と呼ばれる領域である。島皮質は、生理学の教科書などでは、長らく「痛みの中枢」として紹介されてきた。これは、島皮質を損傷した症例において、痛みの感覚が生じにくくなるという事実に基づいている。しかしながら、今から50年以上前の研究で、この部位を刺激しても痛みが生じないという結果も報告されている。では、島皮質はいったいどのような機能を担っているのか。ファンクショナルMRIを用いた研究から、この部位は痛みだけでなく、痒みを感じているとき、心臓の鼓動が速いとき、呼吸が苦しいときなどにも活動することがわかってきた。さらには、自分が痛いと感じるときだけでなく、親しい人が痛がっている場面を見ても、同じように島皮質が活動することも示された。つまり、「痛みの共感」によってもこの部位は反応するのである。
その後、さらに研究が進み、島皮質は、身体が安定状態(ホメオスタシス状態)にないときに活動が強まることが明らかになってきた。ここでいう身体とは、心臓・肺・胃腸のような内臓の状態に加え、体温・発汗・平衡感覚などの自律神経や前庭神経の状態も含む。つまり、「どきどきする」「きりきり痛む」「ほてる」「ふらつく」などの主観で表現される状態である。このような感覚を総称して、「内受容感覚」と呼ぶ。すなわち、島皮質は「内受容感覚」を生じさせていることがわかってきた。
この内受容感覚は、自らが主観的に感情を感じるときにも活動する。例えば、暗闇で大きな音がしたときに、我々が「怖い」と感じるのは、大きな音がして、身体の自律神経の交感神経活動が活発になり、心臓がどきどきし、呼吸が乱れ、手に汗をかくという身体状態の変化を自覚するからである。大きな音がしたとしても、自律神経の乱れがなかったり、乱れがあっても島皮質がそれを認識しない場合には、「怖い」という主観は生じにくい。
このようにして、感情の神経メカニズムの解明には、「脳─心─身体」の三者関係の理解が大切であることがわかってきた。内受容感覚は「不安」を感じることとも深い関係にある。筆者らの研究では、どきどきしたり、呼吸が苦しくなったりすることを自覚しやすい人は、不安を訴える傾向も高いことがわかった。さらに、もともと心の問題はなく、自律神経が過活動を示す病態になると、それに応じて不安も強くなる傾向にあることも確認された。「不安は心の問題」と考えられる傾向にあるが、その状態を引き起こすのは、実は身体の状態なのである。
心の脳機能を残す
これらの発見は、臨床場面において「感情の機能を残す」ことにも応用ができる。島皮質周辺にグリオーマと呼ばれる脳腫瘍が発見された場合、脳外科的処置として、腫瘍周辺部の摘出術が第一選択肢となる。腫瘍の浸潤の程度は、目で見て正確にわかるものではないため、予後を考え、実際の摘出範囲は少し広めになるケースが多い。島皮質周辺部位の摘出術後、患者の多くは、以前は普通に感じていた怒りや悲しみなどの感情が感じられなくなったと報告する。これは日常生活に大きな影響を及ぼすことにつながる。島皮質は脳内では決して狭い領域ではないため、もしも、感情の中枢となる部位が事前にわかれば、その部位を温存させることで、感情の機能を残すことができる。しかし、感情に関する部位がどこかは、術中に脳を見てすぐにわかるものではない。
そこで、我々は名古屋大学脳神経外科のチームと共同研究を行い、この部位を明らかにする研究を行った。具体的には、覚醒下手術と呼ばれる方法論を用いた。この方法では、術中に患者を覚醒させ、脳の部位を弱く刺激しながら、提示される顔表情の評定をさせる。もしも、感情とは関係のない部位を刺激した場合は、顔表情の評定に変化は生じないが、関係のある部位を刺激した場合には、怒り顔をみて悲しいと判断してしまうなど、顔表情の評定に変化が生じる。この方法論を用いれば、その人の感情の中枢をある程度正確に特定することができる。そしてその部位を避けて腫瘍を摘出する。こうすることで、「大半の腫瘍を摘出する」という目的と、「感情を残す」という目的の両者を満たすことができる。このコンセプトをもとに実際に研究を行い、島皮質の前部から中部にかけての領域が、感情の中枢であることが突き止められたのである。*1*2
「気づき」をもたらす内受容感覚
心臓の動きなどが通常と異なることを検知する島皮質の役割は、感情に限ったものではない。内受容感覚は、我々に「気づき」をもたらすことにも関係がある。我々の日常生活では、やらなければならないこと(To Do)を思い出すという場面が複数ある。「職場にいったら○○の書類を作成する」、「夕方に買い物に出かけ、○○を買う」、「食後には○○の薬を飲む」など、日常生活は予定の遂行に満ちあふれているといってもよい。歯磨きや玄関の扉の施錠など、十分にルーティーン化した行為であれば、自動的に思い出すことができるが、そうでない場合には、適切なタイミングで思い出せず、あとで「しまった」と思うことも少なくないだろう。
心理学の領域では、予定や約束のように未来に実行する行為の記憶を「展望記憶」と呼び、これまでにも多くの研究が実施されてきた。展望記憶には、「存在想起」と「内容想起」という2つの要素が含まれている。存在想起とは、何かやらなければならない予定があるということにタイミングよく気づく要素であり、この気づきには、前頭極と呼ばれる前頭葉の先端部が関与することが、筆者らの研究によって示されている*3。一方、内容想起とは、予定の具体的な内容を思い出す要素であり、こちらはいわば「記憶力」そのものであり、海馬や視床といった記憶の中枢メカニズムが関与している。
ここまでは、心理学と脳科学の統合的研究によって明らかにできる部分である。しかし、次に取り組まなくてはならないのは、「気づきはいったい何によって生み出されるのか」という問いである。例えば、ポストに投函しなければならない封筒を手に持って職場を出たとしよう。投函しようと思っていたポストの前を通りかかって、ポストが目に入っていたとしても、投函することに気づくとは限らない。しばらく歩いてから「しまった」と思い、次に駅前のポストに入れようと考えるが、駅前のポストの前でもまた思い出せず、改札口を通るときに手に持っている封筒に気づき、また「しまった」と思うかもしれない。なぜ、ポストが目に入っているのに、投函することを思い出せないのか。この問いは、専門的な視点でみれば、「なぜ適切なタイミングで、前頭極を活性化できなかったか」という問いに置き換えることができる。
ここで筆者が考えたのは、「気づきには内受容感覚が関わっている」という仮説である。つまり、ポストが目に入ることで、脳内では「気づき」を生じさせるプロセスが働き、その結果は、自律神経の交感神経活動を活性化させ、心拍が通常よりも若干速くなる。ここで内受容感覚が鋭敏な人は、自身の心拍の変化を感知し、「あっ、そうだ」という気づきを生じさせる。脳内のプロセスでいえば、島皮質から前頭極への神経伝達が起こるということになる。これを実証するための実験を行った結果、やらなければならない行為を適切なタイミングで思い出せる人は、内受容感覚も正確であることが明らかになった*4。無論、内受容感覚が敏感でない人であっても、投函しなければならないことに継続して注意を向けていれば、投函できる可能性は高まる。しかし、ポストに投函するまでの間、ずっとそのことを考えているというシーンは決して多くないはずだ。専門用語では「マインドワンダリング」と呼ばれるが、我々の心のなかではいろいろなことを思考している。歩きながら別のことを考えてしまっていたとしても、ポストが目に入ることにより、封筒の投函に気づける人と気づけない人の違いは何かといえば、それは内受容感覚の敏感さの違いである可能性が高いといえる。
以上述べてきたように、感情や記憶といった我々の心の側面には、潜在的な要素が多く関わっている。言語で説明できる範囲というのは、我々の意識のほんの一部でしかなく、大半の活動の背景にあるのは無意識的なプロセスである。心の側面を徹底的に理解しようとするならば、意識下における脳と身体の状態を切り離して考えることはできない。従来の学問領域に囚われず、必要な分野と融合することは、サイエンスのブレークスルーには必要不可欠であると実感する。
〈注〉
*1 Motomura, K., Terasawa, Y., Natsume, A., Iijima, K.,Chalise, L., Sugiura, J., Yamamoto, H., Koyama, K.,Wakabayashi, T., & Umeda, S. (2019) Anterior insular cortex stimulation and its effects on emotion recognition. Brain Structure and Function, 224, 2167-2181.
*2 Terasawa, Y., Motomura, K., Natsume, A., Iijima, K.,Chalise, L., Sugiura, J., Yamamoto, H., Koyama, K.,Wakabayashi, T., & Umeda, S. (2021) Effects of insularresection on interactions between cardiac interoception and emotion recognition. Cortex, 137, 271-281.
*3 Umeda, S., Kurosaki, Y., Terasawa, Y., Kato, M., & Miyahara, Y. (2011) Deficits in prospective memory following damage to the prefrontal cortex. Neuropsychologia, 49,2178-2184.
*4 Umeda, S., Tochizawa, S., Shibata, M., & Terasawa, Y.(2016) Prospective memory mediated by interoceptive accuracy: A psychophysiological approach. Philosophical Transactions of the Royal Society B: Biological Sciences, 371,20160005
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。