慶應義塾

【特集:日本の“働き方”再考】水野英樹:「転居のない転勤」という働き方──「あたらしい転勤(リモート転勤)」プロジェクトの試み

執筆者プロフィール

  • 水野 英樹(みずの ひでき)

    三菱地所プロパティマネジメント株式会社人事企画部ユニット長

    水野 英樹(みずの ひでき)

    三菱地所プロパティマネジメント株式会社人事企画部ユニット長

2023/02/07

1.転勤の常識を疑う──「あたらしい転勤」プロジェクト

「転勤=転居を伴うもの」という常識を疑う時代がきた。少子高齢化に伴い労働人口が減少している日本社会において、各企業は労働者に選ばれる企業になるため、今まで以上に社員の生き方に寄り添う必要がある。つまり企業は社員のワークライフバランスの向上に真摯に向き合い、各種人事制度を柔軟に運用していくことが求められる。転勤は、現在の働き方においてどのような形であるべきか。コロナ禍となりテレワークという新しい働き方が確立されつつある今、転勤の常識を再定義する必要がある。

当社は不動産のオーナーから委託を受け、建物の運営管理を代行する会社である。事業所は日本の主要都市(北は札幌から南は博多まで)に幅広く展開し、原則、不動産のある現地での業務遂行が求められる。事業運営上、各事業所にいる人員の定期異動は毎年発生し、就業規則上、転勤の発令を受けた社員は原則として拒むことができない。

転勤に対する社員の意識変化の高まりは、2014年に転勤無しのA社と転勤有りのB社の2社が合併した当社の成り立ちにある。転勤がないことに魅力を感じてA社に入社した社員は、合併により転勤有りの就業規則へ変更となった。合併によりできた新社では、A社の社員数が多く、転勤への抵抗感を持つ社員が多くいたため、合併後の人事面談では、転勤についての各種相談、会社制度への見直し要望が急増した。相談内容は育児・子供の進学・親の介護等多岐にわたる。一方、すでにB社で転勤中の社員からは、別の相談も増えていた。例えば転勤先の地域に居住している方と入籍し、配偶者が転勤先で働いているため転居できない等の理由で帰任を望まないというものである。

様々な社員からの要望への対応として、転勤中の社宅制度と帰任後の住宅手当等手厚い福利厚生制度、帰省旅費の補助回数を年16回(+4回)に増やす等、別居家族者の支援制度の充実を図った。しかし、社員が転勤に対して抱える不安には、待遇面の改善だけでは解決しない問題も多く存在した。

そのような現状に、風穴を開けたのが、「あたらしい転勤」だった。

きっかけは2019年度にエイジョカレッジ(企業で働く営業女性(エイジョ)が参加する異業種交流プロジェクト。会社や業界の「当たり前」を崩す働き方、営業モデルの創出に取り組み、課題解決策の実証実験を行う企画のこと)に当社社員が参加し、最優秀賞を受賞したことである。当社エイジョチーム(6人の女性営業社員で構成)は、前述した当社の背景から、従来の転勤が抱える課題に着目した。転居によるデメリットを、どうにか違う形でカバーできないか。そこでエイジョチームは、現地でなければ対応できない業務という不動産管理の当たり前を疑い、遠隔地から業務を遂行できるか否か検証することで、転勤せずに業務遂行ができるのではないか(=「あたらしい転勤」)と仮説を立てた。実際の実証実験では、支店から東京の物件の業務をどの程度行うことができるかを検証すべく、1~2カ月間各支店に一時的に居を移し、担当している物件から物理的に距離を置き、業務を遂行した。短期間の実験ではあるが、結果的に遠隔からの対応でも一定割合の業務ができることを証明した。この実験は、①営業の当たり前を破壊し創造するチャレンジングな内容であること、②業界を超える汎用性があること等の審査項目で高く評価された。

この「あたらしい転勤」の実験成果を当社人事制度に昇華させるため、「リモート転勤」プロジェクトの試みが始まった。エイジョの中心メンバー2名と人事部門がプロジェクトチームを組み、まずゴールを定めた。1つ目は、2021年度に「あたらしい転勤」を人事制度として当社に根付かせること。そして2つ目に、日本社会における「転勤=転居を伴うもの」という常識に一石を投じること。本プロジェクトは、社員のためであることはもちろん、オーナーや入居テナント等の顧客からも認知されなくてはならない。そうでなければ事業が成立しないからだ。

奇しくも情勢はコロナ禍となり、この目標達成には追い風が吹いた。コロナ前の実証実験の実績により、複数メディアに注目され、対外的な認知度も上げることができた。

社内のプロジェクトにおいては、制度化に向けて実証実験を継続した。エイジョの実証実験メンバーは、全員女性かつ転勤経験者が不在であったため、実際の転勤者から新制度に対する率直な意見が必要と考えた。

また当社には様々な職種の社員が在籍しているため、エイジョが検証した営業職の業務以外にも検証が必要となった。そのため、実証実験の参加者に、実際に地方支店に転勤中の男性社員を加え、また職種も営業職のみならず建築技術系職種や、ビルに常駐している設備職等に拡大し、合計9名による実証実験を重ねた。検証結果を踏まえ、制度利用の与件整理から制度利用パターンの見える化、そして利用者側のニーズを勘案し、2021年度より、優先度の高い一部利用パターンにおいて正式に人事制度として導入を決めた。(図1、社内説明会資料抜粋)。

図1:『リモート転勤制度』利用想定パターン

「リモート転勤」プロジェクトを、人事制度として導入するにあたり、「転居を伴わない転勤=リモート転勤」の定義を、「転勤発令を受けた社員又は転勤中の社員が、働き方の選択肢の1つとして遠隔地の業務を行う(リモート勤務)という働き方を選択できること」とした。

また、制度導入の目的も、社員と企業の両方の視点で再整理を行なった。社員目線では、主にワークライフバランスの実現とし、企業目線では離職率低減、転勤コスト削減だけでなく、業務効率化、顧客満足度向上も加えた。リモート転勤の企業側のメリットを追求することが、結果として制度利用者が肩身の狭い思いをしないで制度を使えるようになると考えたからだ。

この取り組みは、年1回、コーポレートブランド力向上に寄与した日常業務の中の様々な活動を表彰する三菱地所グループ全体の表彰制度において、2020年度のグランプリに輝いた。

2.「リモート転勤」制度の効果

「リモート転勤」制度導入後の効果として一番大きいのが、社員の退職を未然に防ぐことができるようになったことだ。介護や配偶者の転勤などリアル出社が難しい事情が発生した際、従来であれば退職を選択せざるを得なかった社員を引き留めることができるようになり、「リモート転勤」制度利用実績も6名に上っている。また、「リモート転勤」制度の認定に至らなかった場合でも、当制度の申請をきっかけに、退職を決意する前に他の解決策について人事部と本人で話し合うこともできるようになった。

また、「リモート転勤」制度は、トップダウンではなくボトムアップで社員の声を拾って制度化したものだが、このプロセス自体が、当社が社員のワークライフバランスに重きを置いているというメッセージ発信にも繋がってきている。実際に、社内で実施したエンゲージメント調査においても、他社と比較して働きやすい職場という観点での満足度が非常に高い結果となった。近年、中途入社の社員も増えているが、そういったメンバーからも、幸いにも当社の働き方改革の取り組み姿勢に魅力を感じて応募を決めたという声も聞くことが増えた。

3.今後の取り組みと転居を伴う転勤制度との関係

現在、実際の「リモート転勤」制度の利用期間は1年未満のケースが多い。期中で制度利用した社員は、毎年4月の定期異動で「リモート勤務」制度の利用を終了して、転居先の部署に異動して通常勤務に切り替えるためだ。リモートワークを1年以上の長期にわたり継続利用をするには、まだまだ課題が多く、4月の定期異動までの繋ぎの制度となっているのが実態である。

今後、「リモート転勤」制度を誰でも長期間利用できるようにするためには、紙書類への押印業務の電子化や帳票管理、社内外の会議のウェブ化(コロナ禍で増えたとは言え、リアルでの開催に戻りつつある現状を踏まえ)、そして安定的なシステムなどネットワーク環境のさらなる進化も必要である。また、平行して制度利用者の実績数を増やし、制度利用者だけでなく、それを支えている周囲の同僚や上司、顧客のみなさんの意見に耳を傾け適宜制度の運用見直しを行っていく必要がある。

転勤は仕事内容や職場の人間関係だけでなく社員の家族や個々人の地域活動にも影響をもたらす。そのため、社員の人生に与える影響は非常に大きい。ただ、転勤には周知のとおり、数多くのメリットも存在する。従来型の転居を伴う転勤により得られるキャリア構築上のメリットや、ライフにおいても新しい環境に身を置くことで人生が豊かになる経験を積むことができることがある。また、業務においても人と人がリアルに会い、コミュニケーションをとり ながら仕事することの重要性は、今も将来も恐らく変わらないだろう。

「リモート転勤」制度は、そういった従来型の転勤のメリットと併存する形であり、転勤を否定するものでは決してない。各個人が抱える様々な与件が増え、様々な働き形に寄り添いつつ、事業継続を実現していかなければならない企業にとって、社員に提供できる多様な働き方の選択肢の1つという位置づけである。

4.最後に──リモート転勤は何を可能にするか

「リモート転勤」制度は日本的雇用慣行であるメンバーシップ型雇用からの脱却の1つの施策である。

ワークライフバランスの質の向上に影響を与えるものとして「働く場所」と「業務内容」が挙げられる。「リモート転勤」制度は、この「働く場所」を企業が支援する制度である。従来、「働く場所」は企業主導で決めるものであったが、今後は社員が住む場所、働く場所を選べるようになる時代に変わっていく。その時代に対応した制度の1つが「リモート転勤」制度になると捉えている。

「働く場所」を選択できるようになるということは、社員側もまた自立した人間であること、リモートでも企業に雇われる力があることを試される。そのために必要な変革は、企業だけでなく社員にも当然求められる。「リモート転勤」制度利用を始め、様々な形でリモートワークを行う社員が増える中、円滑に業務を進めるために必要な「能力」を身につけておく必要がある。制度利用を権利と勘違いした社員が「リモート転勤」制度を利用すると、同僚や上司、顧客とトラブルが発生し、制度利用の継続ができなくなってしまう。ひいては自分で自分の首を絞めてしまうのだ。

制度利用をしなくとも、リモートワークを行う社員が、リモートワークをしていない社員とのコミュニケーションをケアしなければ、リモートワーク自体、実現しない。変革に順応するために必要な「能力」には、遠隔でも業務の質を落とさないように様々なビジネスツールを使いこなす力、周囲とのメンバーと協調しながら進める力、現地での勤務の量・質・周囲とのリレーションをカバーできるだけのコミュニケーション力等総合的な人間力が必要となってくることも意識しなければならない。

また今後、日本国内でも各企業においてジョブ型雇用へのシフトが加速し、社員が業務を選択する時代に変わっていく可能性がある。その場合においても社員側はジョブ型として雇われる能力を企業側に示す必要になる。

社員がライフの質を向上させるために希望する場所に住み続けられるようになること、そして社員自ら業務を選択できるようになることは、ウェルビーイングの概念である「肉体的にも、社会的にも、すべてが満たされた状態」に近づくことになる。ウェルビーイングの実現により、仕事においても高い成果をあげてくれれば、企業と社員双方にとって良い状態となる。ウェルビーイング実現は、人的資本経営に向けた、企業としての使命であり、企業や社会全体にもたらすメリットは計り知れない。

「リモート転勤」制度がその一助として、当社だけでなく、1つでも多くの日本企業が従来型の雇用慣行を再考するきっかけになって欲しいと願っている。

図2:『リモート転勤制度』メンバーシップ型との関係性

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。