執筆者プロフィール

大串 尚代(おおぐし ひさよ)
文学部 教授
大串 尚代(おおぐし ひさよ)
文学部 教授
2021/02/05
トランプ政権初日の大規模デモ
2017年1月21日、ドナルド・トランプが第45代大統領に就任した翌日、ワシントンD.C.はプッシーハットと言われる猫耳のついたピンク色の帽子を被った人々の群れに埋め尽くされた。ウィメンズ・マーチと呼ばれるこの大規模デモは、全米各地、そしてアメリカ国外にまで広まった。このデモに集まったのは、トランプ新大統領の数々の女性蔑視的態度に危機感を覚え、LGBTQ、人種、移民や信教の自由、医療保険制度など様々な問題を訴える人々だった。
このマーチは、2016年11月の大統領選で、ヒラリー・クリントン候補がトランプに敗れた後、元弁護士のテレサ・シュックがフェイスブックにワシントンでのデモを企画するイベントページを投稿したことがきっかけとなった。瞬く間にシェアが広がり、参加者が次々に加わり、最終的にはスピーカーとしてグロリア・スタイネム、スカーレット・ヨハンソン、マイケル・ムーア、そしてカマラ・ハリスらが名を連ねる歴史的な運動となった。このデモのウェブサイトに掲載された綱領には、こう記されている──「ワシントンのウィメンズ・マーチは、われわれの新政府に対し、その発足最初の日に、そして全世界にむけて、女性の権利は人権である(women’s rights are human rights)という明確なメッセージを送るのだ」。
ヒラリー・クリントンが1995年に北京で開催された国際女性会議で行ったスピーチで述べた「人権とは女性の権利であり、女性の権利とは人権なのです」という一節を想起させるこの綱領は、奇しくも大統領選後の彼女の敗北宣言にある「はるかに高く堅いガラスの天井を打ち破ることはいまだにかなっていない」という言葉とも響き合うそれはすなわち、女性に関する問題が解決されるには長い道のりがまだまだ続くであろうということである。ウィメンズ・マーチに集まった人々は、トランプ政権下で後戻りを強いられることを懸念していた。
「アクセス・ハリウッド」での失言
その懸念の根拠の1つは、2016年の大統領選が佳境に入った10月、まさにオクトーバー・サプライズとしてもたらされた1本の動画にあった。それは『ワシントン・ポスト』紙が公開したいわゆる「アクセス・ハリウッド・テープ」である。これは、2005年にトランプがアメリカの娯楽ニュース番組「アクセス・ハリウッド」に出演した際、トレーラーバスの車中で司会のビリー・ブッシュ(ジョージ・W・ブッシュ元大統領の従兄弟)らスタッフに対し、既婚女性に言い寄った話や、有名人であればなにをしても許される、女性器を掴んだりしてもいいのだ、といった内容の発言をしていることが明らかになったものだ。選挙戦当時からすると10年以上前のことではあるが、女性をモノのように扱うトランプの発言に異を唱えず、むしろ追従したブッシュも大きな批判を受け、朝のテレビ番組の司会を降板することとなった。
このテープの流出後に、トランプを糾弾する女性たちがつぎつぎとあらわれた(流出前からそうした主張をしていた女性たちもいた)。彼女たちは70年代以降トランプに何らかの性的加害行為をされたことを訴えているが、トランプは彼女たちの訴えは虚偽であるとの主張を貫いている。
トランプ支持の白人女性たち
こうしたミソジニー(女性蔑視)的な評判は、トランプに不利に働いたかに見えたものの、結果としてはトランプが2016年の大統領選を制した。彼の勝利を支えたのは、白人女性たちであったことを、たとえば『ガーディアン』紙は次のように報じている。「トランプを支持する人々は怒れる白人男性というイメージがあったが、彼を勝利へと押し上げたのは、白人女性たちだった」(2016年11月10日付)。同記事は、CNNの出口調査に基づき白人女性の53パーセントがトランプを支持したと報じている。ただし、後に『タイム』誌は、白人女性のうち47パーセントがトランプ支持、45パーセントがクリントン支 持だったという見解を報じているが(2018年10月18日付)、いずれにせよ白人女性の支持はトランプがリードしていたことがわかるだろう。
『タイム』誌によれば、女性全体で見れば、クリントンへの支持が54パーセントなのに対し、トランプ支持は39パーセントであるとされ、白人以外の有色人女性の票の多くはクリントンに向けられていたものであることがわかる。このことは、女性たちが一枚岩ではないことを示しているともいえるし、立場によって見ている世界が異なることを如実に物語っているともいえる。先の『ガーディアン』紙の記事によれば、とある白人女性は人種問題が大きな問題とは思えないと語り、またある白人女性はトランプの女性蔑視的な言動に賛同はしないものの、大統領としての仕事に影響はないと考えている。またヒスパニック系の女性の26パーセントがトランプに投票しており、トランプのビジネスマンとしての手腕を評価するという意見が紹介されている。
ジャーナリストのスーザン・チラは自身の論考において、トランプ支持の女性たちは「アクセス・ハリウッド」での発言は単なるロッカールームでの男同士の軽口だと理解していると指摘する。またチラは女性たち自身がどのように自分を定義するのか──女性、妻、人種、階級、政治的信条、信教など──によって様々な主張があり、それは19世紀後半の女性の参政権運動の時代から変わっていないと述べている。何に重きを置くかということは、もちろん、立場によって変わる。大切なことは、女性たちがそれぞれの声を上げていける環境を確立できるかだろう。
LGBTQの権利の行方
トランプ政権下において、性的少数者といわれるLGBTQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クイア)の権利は、オバマ政権時代よりも認められにくい傾向にあった。とくに、トランスジェンダーに対する締め付けともいえる政策が目立つ。たとえば、オバマ政権下の2016年には教育における性差別を禁じた教育修正法に基づき、トランスジェンダーの生徒が、自身の性自認に沿った名前で呼ばれ、自身の選択によりロッカールームやトイレを利用できるよう配慮を求めた。しかしトランプ就任後ただちに、その方針は撤回されてしまう。
さらにトランプ政権は、医療保険制度において、オバマ政権で禁止していたLGBTQ差別に関して、そこで言及される性差別の「性」からトランスジェンダーを排除する方針を打ち出した。そのため、出生時の性と異なる性自認を持つ人々が医療の対象から外されてしまった。トランプ政権はまた、出生時の性に基づき軍の任務につくことを求め、軍務からトランスジェンダーの人々を排除する方針を発表している。
しかし一方で、LGBTQを支援する共和党系団体ログキャビン・リパブリカンズのように、LGBTQのトランプ支持者もいる。NBCニュースは、アイデンティティ・ポリティクスを固着させようとする民主党ではなく、トランプを「100パーセント支持する」LGBTQの人々の声を報じている。こうした人々が評価しているのは、トランプ政権がHIV/AIDS治療に積極的であるということ、また男性同性愛者であることを公にし、トランプについて「アメリカ史上もっともゲイに寄り添った大統領」と評価しているリチャード・グレネルを国家情報長官代行に起用したことなどがあげられている。
トランプがもたらしたもの
トランプがアメリカにもたらしたものは、なんだったのだろうか。おおっぴらな女性蔑視的な態度なのか、あるいはトランスジェンダー差別か。実は、先述したチラの論考の題名は「フェミニズムへのトランプからの贈り物──抵抗」であった。その副題が示す通り、トランプが女性たちやLGBTQの人々に与えたのは、「抵抗」という姿勢であったことは、冒頭のウィメンズ・マーチにもあらわれている。のみならず、その抵抗の姿勢が実を結んだのが、2018年の中間選挙であったことをチラは指摘している。同様に、トランプの性的加害行為を糾弾する女性たちを取材したジャーナリスト、バリー・レヴィンとモニク・エル=フェジーは、『大統領のすべての女たち』(2019年)において、トランプ大統領誕生によって危機感を抱いた女性たちが立ち上がったことを記している。
それまで政治に関わることなど想像してこなかった女性たちが立候補を表明し、2018年の中間選挙の結果、第116議会における女性議員の数は127人、史上最多数となった。この中には、初のムスリム女性議員イルハン・オマル、初のネイティヴ・アメリカン女性議員デブ・ハーランド(バイデン新政権で内務長官に指名された)、シャリス・デイヴィッズ、そして29歳で女性議員最年少当選となったアレクサンドリア・オカシオ=コルテスが含まれる。2020年の選挙ではこの数はさらに増えている。2019年1月にはネバダ州で上下両院において女性が多数をしめる議会が誕生したことも記憶に新しい。
トランプがもたらしたものは、抵抗を示す姿勢の他に、自分以外の人々がどのような経験をしてきたかを知り、その多様性を考えることなのだろう。レヴィンとフェジーが述べる通り、「アメリカにおける白人女性と有色人女性たちはまったく分岐した経験を経てきたがために、トランプ政権を全然違うレンズを通して見ている」。そのレンズの違いを分断とみるのか、違いを知り多様性を認めるのか──そこにこれからのアメリカの行く道がかかっているように思われる。
先に述べたヒラリー・クリントンは、敗北宣言で、ガラスの天井を打ち破れなかったことを述べた後、こう続けている──「けれど、いつか誰かが──願わくばいまわたしたちが思っているよりも早く──打ち破ってくれるでしょう」。クリントンは「これを見ている小さな女の子たち」に向けて、自分の価値を信じ、夢を追いかけて欲しいと述べた。それに応えるかのように、その4年後、カマラ・ハリスは、副大統領としての勝利宣言で「ジェンダーを問わずアメリカの子供たち」に向けて、大きな夢を持つことを伝えている。バイデン新政権下でアメリカ社会がどう変わるのか。これからも注目していきたい。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。