慶應義塾

【特集:ポピュリズムをどう捉えるか】座談会:デモクラシーの変容をポピュリズムから読み解く

登場者プロフィール

  • 水島 治郎(みずしま じろう)

    千葉大学法政経学部教授

    1999年東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。2003年千葉大学法経学部助教授等を経て現職。専門はオランダ政治史、比較政治等。父は本塾工学部元教授、故水島三知氏。著書に『反転する福祉国家──オランダモデルの光と影』『ポピュリズムとは何か』等。

    水島 治郎(みずしま じろう)

    千葉大学法政経学部教授

    1999年東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。2003年千葉大学法経学部助教授等を経て現職。専門はオランダ政治史、比較政治等。父は本塾工学部元教授、故水島三知氏。著書に『反転する福祉国家──オランダモデルの光と影』『ポピュリズムとは何か』等。

  • 稗田 健志(ひえだ たけし)

    大阪市立大学大学院法学研究科教授

    2000年一橋大学社会学部卒業。10年欧州大学院大学政治社会学部博士課程修了(政治社会学博士)。株式会社NTTデータ、早稲田大学助教等を経て、16年より現職。専門は比較政治経済学、比較福祉国家論等。著書に『政治学の第一歩』(共著)等。

    稗田 健志(ひえだ たけし)

    大阪市立大学大学院法学研究科教授

    2000年一橋大学社会学部卒業。10年欧州大学院大学政治社会学部博士課程修了(政治社会学博士)。株式会社NTTデータ、早稲田大学助教等を経て、16年より現職。専門は比較政治経済学、比較福祉国家論等。著書に『政治学の第一歩』(共著)等。

  • 吉田 徹(よしだ とおる)

    その他 : 北海道大学大学院法学研究科教授法学部 卒業

    塾員(1997政)。2005年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学術博士。06年北海道大学大学院法学研究科助教授を経て15年より現職。専門は比較政治、ヨーロッパ政治。著書に『ポピュリズムを考える』『現代政治のリーダーシップ』(共編著)等。

    吉田 徹(よしだ とおる)

    その他 : 北海道大学大学院法学研究科教授法学部 卒業

    塾員(1997政)。2005年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学術博士。06年北海道大学大学院法学研究科助教授を経て15年より現職。専門は比較政治、ヨーロッパ政治。著書に『ポピュリズムを考える』『現代政治のリーダーシップ』(共編著)等。

  • 岡山 裕(司会)(おかやま ひろし)

    法学部 教授

    1995年東京大学法学部卒業。博士(法学)。専門はアメリカ政治・政治史。東京大学大学院総合文化研究科助教授を経て2007年慶應義塾大学法学部准教授。11年より現職。著書にJudicializing the Administrative State、『アメリカの政治』(共編著)等。

    岡山 裕(司会)(おかやま ひろし)

    法学部 教授

    1995年東京大学法学部卒業。博士(法学)。専門はアメリカ政治・政治史。東京大学大学院総合文化研究科助教授を経て2007年慶應義塾大学法学部准教授。11年より現職。著書にJudicializing the Administrative State、『アメリカの政治』(共編著)等。

2020/02/05

ポピュリズムという現象

岡山

今日は「ポピュリズム」をテーマに、専門的に研究されてきた皆様にお集まりいただきました。近年、トランプ大統領の登場ですとか、ヨーロッパではその前から実際にポピュリズム的な政党の躍進があったり、またブレグジットに影響を与えたり、と「ポピュリズム」という言葉がメディアなどで使われる場面も多いかと思います。私はポピュリズムの専門家ではないのですが、この「ポピュリズム」という語は、メディアなどでも様々な意味で使われてきたということもあり、どのように捉えたらよいか、なかなか難しい面があるかと思います。この座談会で少しでも読者の理解をお手伝いできればよいなと思っております。 皆さんの中では吉田さんが2011年に出された『ポピュリズムを考える』という本で取り上げられたのが初めでしょうか。

吉田

1990年代の学部生の時、政治学の教科書の中に、「ポピュリズム」という項目があり、そこには、ポピュラーとか、ポピュラリズムとは違うなど、意味不明な説明しかなかったんですね。それ以来、ポピュリズムという言葉にひっかかっていました。 私が専門のフランス政治では、サルコジが2007年に大統領になり、他国でもイタリアのベルルスコーニ第三次政権で、日本の小泉旋風がありました。それらが総じてポピュリストと呼ばれていました。そのタイミングで、あらためてポピュリズムとは何なのかを考えたのが、『ポピュリズムを考える』という本の執筆につながりました。

水島

私は専門がヨーロッパ政治で、中でもオランダを専門としているんですが、オランダは20世紀には安定的なデモクラシーで知られ、政治学でもいわゆる多極共存型デモクラシーの一種のモデルとされてきました。ところが、それが1990年代にだんだん変調を来してきたんです。 オランダの場合、大連合政権が常態で、比較的、異なる勢力が妥協と協調を繰り返して上手くマネジメントしていく、良き伝統があったのですが、次第にそれが無党派層から批判にさらされるようになってきた。そして2002年に、反移民と反既成政党を掲げるフォルタインという人物が率いる新党が、いきなり第二党に躍進したのです。それ以後、オランダは急速に反移民・反難民政策を取り入れ、政治も変容していきます。しかもそれが2000年代を通じて他国にも波及し、2010年代にはヨーロッパの大国にも波及していきました。 この現象を何と捉えるべきか。当初、私はポピュリズムという言葉にはそれほど馴染みがなかったのですが、この現象は右でもないし、左でもないし、既存のイデオロギーとも違う。そうすると、やはりポピュリズムという言葉が最も妥当するだろうと考え、ポピュリズムに関心を持ったわけです。 2014年のヨーロッパ議会選挙では、英仏でポピュリズム系の政党が第一党となった。これはヨーロッパ全体の現象ではないかと思ったところへ、中公新書の編集部からお勧めがあって、『ポピュリズムとは何か』を書いたんです。 当初、「リベラルの困難さ」というテーマでいかがでしょう、と言われたのですが、現代の欧州で起きているのはもう一段深い現象ではないかと思いました。その根にあるのはポピュリズムの台頭と、それに伴うデモクラシーの変容ではないか、と。

岡山

稗田さんの場合は、前のお二人と関わり方が少し違いますね。

稗田

2010年に博論を終えた頃、ヨーロッパの政党システムがこれまでの左右対立から多次元的な競争に変わってきたという話がずっとされていたんですね。再分配の規模をめぐって左と右の政党が競争する形から、移民や同性婚の問題とか、むしろ社会文化軸が中心になってきているのではないかと言われ始めていました。僕はもともと福祉国家論を専攻としているので、そのことがどう福祉政策に影響するのかという研究を始めたのです。 その中で、ポピュリスト急進右派政党というのは典型的な権威主義の立場の政党でしたので、どうしてこういう政党を支持するのか、どういう人が支持しているのかと、漠然とした疑問を持っていました。すると、たまたま2017年の日本政治学会の分科会で、ヨーロッパのポピュリスト政党支持層の分析について報告を頼まれ、研究を発表しました。 そして、これも偶然ですが、ちょうど2017年に「都民ファーストの会」が出てきてその分析をすることになりました。一緒に研究をやることになった善教将大さんはポピュリスト政党と言われてきた大阪維新の会の支持層の分析をしていたので、東京にもポピュリスト政党が現れてきそうだということで、それを支持するのはどういう人なのだろうかと分析してみたのです。

ポピュリズムをどう定義するか

岡山

ポピュリズムというのは、言葉としては皆知っている。しかし、いざ分析の概念として使おうとすると、何かもやもやしていて、かつ指示している対象も違う。これだけ人口に膾炙するようになった後でも、新聞などでは相変わらず「大衆迎合主義」と訳していたりする。そうすると、今の政治を考える時に、ポピュリズムというのはどういう概念として、何を指すものとして考えたらよいと思われますか。

水島

それこそ今日は良い機会なので、逆にここで定義をつくってしまったらと思うのです(笑)。ただ、欧米の文献でもカス・ミュデの定義でとりあえずいこう、ということで収斂している感じがしますね。カス・ミュデの定義を要約すると、「社会をエリートと人民(ピープル)に峻別した上で、エリートは邪悪であり、ピープルは正しい存在であり、現在の政治は邪悪なエリートによって支配されていて、このエリート支配をピープルのデモクラティックな働きによってひっくり返して、人民意思を実現させようという動きである」でしょうか。おそらく政治学では、この定義が一番有力なのではないかと思うのですが。

稗田

そうですね。確かに今はカス・ミュデのideational definition(理念的定義)が主流になってきつつあります。ただ、ラテンアメリカの経験からカート・ウェイランドなどは、ポピュリズムは政治戦略であると定義しています。政治家と有権者の結びつき方にはいくつかのタイプがあって、1つは政党による媒介、つまり、労働組合や財界、業界といった、社会の中の様々な集団が、自分たちにとって好ましい政策を提供する政党に対して支持を交換するという形で政治家と有権者が結びつくタイプ。また恩顧主義というのもあります。政治家がパトロンで支持者がクライアントとなり、公共事業などを直接有権者に提供する代わりに、クライアントはパトロンに支持を与える。しかし、それらとは違って、ポピュリズム型の結びつき方があります。カリスマ的なリーダーが人々を動員する戦略として、組織されていない有権者に直接、無媒介で結びつくことで権力を得て、それを維持しようとする結びつきです。これが政治戦略型のポピュリズムの定義です。この「動員をする政治戦略」としてのポピュリズム定義の場合、カリスマ的なリーダーが必要です。リーダーは、エリート対反エリートという二分法をつくることによって、直接有権者と結びついて動員するわけです。僕の研究でも2つの定義が競っていますが、必ずしもお互いの想定する具体的なポピュリズム像が重なり合わないところがあります。

岡山

リーダーには、カス・ミュデの定義は割と当てはまるけれど、有権者のほうは必ずしもそういう形で動員されているわけではない。どうやら定義を1つに絞るのは難しそうですね。

吉田

今あったように、ポピュリズムは実際には記述概念でもないし、分析概念でもありません。ポピュリストと呼ばれている政治家、あるいはpopulist attitude(ポピュリスト的態度)を持っている有権者もそうですが、「自分がポピュリストだ」と言うことは基本的にはないわけです。 言い換えれば、ポピュリズム、あるいはポピュリストという言葉が分かりにくいのは、それが政治における闘争用語、相手を貶めるための言葉だからです。ある領域のエリートが、自分が好ましくないと思うものをポピュリズムと呼称する。だから、何がポピュリズムとされるかは文脈やアクターに応じて変わってきてしまいます。 恐らく政治学におけるポピュリズム研究の最初の本である1969年のイオネスクとゲルナーの『ポピュリズム』には、アメリカ人民党もナロードニキ運動も入っているし、マッカーシズムも入っている。つまり、当時の政治、経済、文化的なエリートにとって、新規のもの、未知の政治勢力をポピュリズムと呼び慣わす傾向があり、それが今日でも続いている。 裏を返すと、ポピュリズムを内在的に理解するためには、何がポピュリズムとしてこれまで名指しされてきたのか、その目線がどういう共通項を持っているのかなど、言説分析的な手法が必要になります。 少し前にジドロンとボニコースキーというハーバード大学の若い政治学者二人が、ポピュリズム研究と称してきた研究の共通項は何かという研究をしています。ここでは、稗田さんがおっしゃったように、一つは、政治戦略として見るウェイランド的な形と、もう1つは特定の政治のスタイルを持った指導者個人、さらに政治理念としてみるアプローチがあるとされています。ポピュリズム研究はこの三つのパターンに分けられますが、いずれの対象でも共通しているのは、ピープル(人民)と呼ばれる一体的な対象を措定して、「エリートが道徳的に腐敗している」と攻撃をして、政治のニッチ市場を開拓するものであるとされています。この点は現在のポピュリズム政治でも共通して観察されるものですね。

ポピュリズムの二面性

岡山

水島さんの本にも「民主主義の敵か、改革の希望か」というサブタイトルが付いていますが、ポピュリズムは、民主主義の味方なのか敵なのか、という価値の問題がありますね。

水島

おっしゃったように、ポピュリストというのは、特に政治空間の中では、これまでは基本的に否定的に使われていたわけですが、最近は「左派ポピュリズム」ということを自ら掲げて、新自由主義のもとで進む政治経済権力の独占に抵抗しようという動きも出てきているわけです。 また、アメリカでは、ポピュリズムの中に一種の人民主義的な部分、つまりエリートではなくてピープルが政治の主人公だという形で、現状を批判する際に、ポピュリズムという言葉が一種のポジティブな意味合いを持って使い得るという動きも出ているので、その点はポピュリズムの二面性を表しているなという感じはしますね。

吉田

基本的にヨーロッパと日本ではポピュリズムというのはネガティブに捉えられるんですね。一方、アメリカ合衆国と南米は必ずしもそうではない。ここには政治体制の変動やファシスト期を経験したかどうかなどで、ポピュリズムという語のある種の含意、ニュアンスの違いがある。 カーター大統領がポピュリストと呼ばれた時期もあるし、オバマ自身も肯定的にポピュリズムという言葉を使っています。アメリカ大陸とヨーロッパで用いられる文脈の違いも考慮に入れないとなりません。

稗田

社会運動としてのポピュリズムをポピュリズムと呼ぶかどうかというところもありますね。政治戦略としてポピュリズムを定義した場合、リーダーが有権者を動員する戦略を指すので、例えばアメリカのティーパーティー運動をポピュリズムと呼ぶかどうか、定義によって変わってきます。

岡山

分析概念という話でいうと、稗田さんの研究は、ポピュリズムをなるべく実証的に分析しようという意識が強く表れたものですが、こうした概念的な論争を踏まえながら実証分析にもっていく際に困難はありますか。

稗田

やはり非常に難しいです。例えばカス・ミュデがポピュリズムを「実質に乏しいイデオロギー」と定義していますが、そこには3つの要素があるわけです。腐敗したエリート対善良な人民であるという「反エリート主義」、人民の意向こそが反映されるべきであるという「人民主権」論、しかもその主権を持っているとされる人民は同質的であるという「人民の同質性」の3つですね。 ウトゥケという人たちの研究では、これまでの研究はいま挙げた反エリート主義、人民主権、同質性の質問項目を全部ごっちゃにして、平均値を出してポピュリスト的態度が高いだの、低いだのと言っている、と批判しています。 でも、ミュデの言った定義の3つは必要条件であって、3つすべてが揃って初めてポピュリズムとなるので、それをごっちゃにして平均すると、反エリート主義だけ強くて、ほかの「人民の同質性」とかの値が低い人もポピュリストとして扱ってしまうことになりかねない。 実際にわれわれの研究でも、反エリート主義と人民主権論と人民の同質性を別々に想定すると、反エリート主義が強い人はこの政党を支持するが、だからといってその政党を支持する人は必ずしも人民の同質性を信じていないといった齟齬が起きる。そうすると、ではこの人たちをポピュリストと呼んでいいのか、この政党はポピュリストに支持されていると言っていいのか、という問題が生じるのですね。

ヨーロッパと南北アメリカの違い

岡山

地域によるポピュリズムの違いというところに話題を移していきたいと思いますがいかがでしょうか。

水島

先ほど触れたように、アメリカや中南米では、ポピュリズムというのは、ネガティブな面があるにしても、基本的に「正しい」ことだという概念があるように思うのです。一方、ヨーロッパでは、近年のポピュリズムには、左派も出てきていますが、そこにはどうしても排外主義的で、ナショナリスティックな部分が付きまとうわけです。この違いは、吉田さんがおっしゃったように、ファシズムの経験などもあるかもしれませんが、これは私の考えですが、ヨーロッパのポピュリズムとエリート批判というのは、かなり初期から出ていて、少なくとも80年代以降は反移民・反外国人とつながってきたわけです。 それはなぜかと言うと、基本的にヨーロッパ各国の指導層は、80年代以降、EU結成の動きともつながり、各国で左右を問わず政権を握り、かつ政治的にはリベラルで、移民や外国人に対して許容的だった。知識人、大学、そしてメディアによってリベラルエリートは支持を得て、再配分によって外国人や移民に対して一定の手当てをしているように見える福祉国家体制が出来上がっていったわけです。 それに対して南北アメリカは、ジニ係数を見れば明らかなように、ヨーロッパに比べると、再配分が進んでいない地域なのです。現実的に社会経済的な不平等がある場合、反リベラルエリートというよりは、政治権力を握り、経済的にも地主や鉱山主のような、まさに富を兼ね備えたエリートがいて、それに対抗するという面を持つので、ポピュリズムというのは一種の進歩的な傾向を持つとも言えると思います。 ヨーロッパの場合、福祉国家体制の下で配分を行う主体が政治経済エリートと一体化してしまうと、例えば福祉特権のように、「移民は職がなくても福祉のおこぼれにあずかってのうのうと暮らしている」というイメージと、それを許容するリベラルエリートを一体として批判するポピュリズムが90年代にはかなり強くなってきた。これはいわゆる福祉排外主義と呼ばれるものになっています。 南北アメリカのように、社会経済的不平等が明らかにある中での政治経済エリート批判と、一定程度、福祉国家体制の下で所得の平準化がなされた国におけるエリート批判は、出方として、結果的には右か左かに分かれてしまう面があると思います。

岡山

アメリカで二大政党が分極化していくのが1970年代ぐらいからなのですが、同じ頃ヨーロッパでは、官僚による政策決定やある程度の所得再配分が必要だとか、差別はいけないとか、いろいろな争点について落としどころが決まっていった。 この正反対の政治的展開はどこからきているのかと思うのですが、今のお話ですと、ヨーロッパでもいったん落としどころが定まったように見えた後、新たな挑戦がされてきた、ということですね。これは反移民・反外国人というのが一つの転機になったということでしょうか。皮肉なことに、今のアメリカのトランプのポピュリズムで言えば、それこそ反移民・反外国人が要素としてあるので、途中経過は違うけれども、そこは共通項としてあるとも言える。

ポピュリズムが生まれる背景

吉田

ポピュリストが掲げる争点としては移民問題、転じてイスラムが文明の敵という言説もあるし、反EUもある。ただ、いずれにしてもスケープゴートにする存在が必要なわけですよね。確かに移民の数は増えていますが、それが争点となる理由がある。その動態を踏まえない限り、ポピュリズムは理解できないでしょう。 仮説を交えて申し上げるのですが、歴史的にみてポピュリズムは、経済産業構造が大きく変わり、その下での利益媒介構造のあり方が揺らぐ時に起きる傾向があります。例えば、アメリカでピープルズパーティ(人民党)が台頭した19世紀末は農業が機械化され、さらに工業経済へと本格的に離陸する時です。その少し前にはナロードニキ運動がありますが、ともに農民が主体になっています。ポピュリズムの次の波は戦後のマッカシズムやフランスのプジャーディズムですが、これは都市化と大量消費社会という新しい社会が出来上がり、高学歴化が進み、高等教育に進む人たちが増えていく時期に当たります。現在の第3の波は、20世紀終わりから、ポスト工業社会が本格的に始動したことと無関係ではありません。金融資本とデジタル経済が成長をけん引する中で、旧来の鉄鋼・炭鉱、製造業に留まる旧中間層・労働者層がポピュリズム支持者となっている。分かりやすく言うと「ラストベルトの労働者」ということになりますが、似た構図はイギリスでもフランスにもあります。そういう人たちがポピュリズム政治の源泉となり、伸びしろをつくっているのだと思います。では、なぜそういう人たちが生まれてしまったのか。現代のポピュリズムは、トランプ型にせよ、ルペン型にせよ、経済的次元では保護主義的、文化社会的次元では権威主義的の組み合わせです。そこにニッチ市場があるからです。これも仮説を交えて言うと、アメリカ民主党も、フランス社会党も、あるいはイギリスの労働党も、ドイツのSPD(社会民主党)も、90年代に経済政策においてはリベラル化していきます。 クリントン民主党がNAFTA(北米自由貿易協定)を調印したのが93年、イギリスではニューレーバーが97年、ドイツではNeue Mitte(新中道)を謳ったシュレーダー政権が98年に誕生しますが、いずれもかつての社会民主党と異なって市場経済の原則を認めることになりました。フランスも、ジョスパン政権が大々的な、かつての保守政権以上の民営化をやるわけです。 こうして社民政党が、経済政策でリベラル化しますが、対する保守政党の側も、メルケル政権やキャメロン政権にみられたように、相対的に社会文化的次元でリベラル化していきます。 そうすると、ニッチ市場として生まれたのが、かつての社民党が占めていた経済軸での保護主義、もう1つはかつての保守政党が占めていた社会文化軸での権威主義ということになります。その空白を埋めるものとして出てきたのが今のポピュリズムではないかと理解しています。

岡山

アメリカでは、19世紀末のポピュリズムと今日の状況は、格差の大きさとか、いろいろな点でよく似ていると言われています。敵がGAFAに変わったみたいな点で、今の吉田仮説は納得のいくところがあります。

「剥奪感」を感じる人々

稗田

キッチェルトが1995年に出した本では、社会経済的な次元では新自由主義右派、社会文化的な次元では権威主義、これを組み合わせるのが急進右翼政党の「勝利の方程式」と言っていました。ところが、ちょうど本が出た頃から状況が変わって、おっしゃったように、ニッチなところは社会経済軸上は左派で、社会文化軸上は権威主義がブルーオーシャンになった。 私は過去5回分ほどの、ヨーロピアン・ソーシャル・サーベイ(欧州社会調査)の14カ国のデータを分析したのですが、8種類の職業階層に分けて、それぞれの社会経済軸上と社会文化軸上の立ち位置を見ると、例えばブルーカラー労働者はやや社会経済軸上の再分配を求める左派で、かつ権威主義である。この人たちのかなりの部分が右派ポピュリスト政党の支持層にはなっているわけです。実際、職業階層で見ると、下のほうの人たちが権威主義的かつ社会経済軸上は若干左派的な位置に立っている。 ただし分析してみると、そういった社会経済軸上のその人の立ち位置が、右派ポピュリスト政党の支持に影響しているかというとそうではない。影響しているのは社会文化軸、特に移民に対する態度です。 ただ、そうしたイデオロギー的な位置づけを除いて、所得階層で見てみると、もちろん上30%はポピュリスト政党を支持しませんが、下30%も支持しないのです。真ん中が支持する。とりわけ、主観的な経済状況が悪いと思っている人ほど右派ポピュリスト政党を支持している。 だから、ポピュリスト政党を支持する理由は、必ずしも移民が実際に経済的に労働市場で競争相手としてこうした層に被害を与えている、といった理由ではおそらくないのです。実際に競合するのは所得階層で言うと、下30%ですから。 つまり、実際に競合してはいないけれど、何か既存の生産構造、利益媒介構造が変化して取り残されるのではないか、これ以上自分の子供の暮らしはよくならないかもしれないという主観的な将来に対する経済的な不安が、反移民のようなイデオロギーに変換され、それがポピュリスト政党の支持につながっていくのではないか。

吉田

ヤン・アルガンという厚生経済学者が面白い有権者分析をしています。1つの軸は、他者を信頼しているかどうか。もう1つの軸は、自分の人生に満足しているかどうかを主観的に尋ねたものです。そうすると、「他人を信頼せず、かつ自分の人生に満足もしていない人たち」が右派ポピュリスト政党を支持している。逆に、「自分の人生には満足していないが他人を信頼している」という人たちが左派ポピュリスト政党を支持している。これはイギリス、アメリカ、フランスの有権者市場の特徴になっているとしています。私が共訳した『新たなマイノリティの誕生』(ジャスティン・ゲスト著)でも強調されていますが、これは絶対的な所得の問題ではなく、「剥奪感」の多寡で説明できます。剥奪感は相対的なもの、つまり他者との比較から感じられるものです。地域や家庭といった社会資本を喪失した勤労者がリベラルエリートに対して敵意を抱いたことがポピュリズム生成につながっています。従って「エリートがどう行動したか」を見ない限り、ポピュリズムは理解できないというのが僕の意見です。

岡山

トランプの重要な支持層に、中西部等のラストベルトの人たちがいます。いわゆる見捨てられた人たちなのですが、最下層ではないというところが注目されました。ミドルクラスではあるけれど、いつレイオフされるか分からないという人たちです。 ただ、彼ら、中産階級の白人男性が経済的なことだけでトランプを支持したかというと、それだけではない。レイシズムや排外主義と合わさることがトランプ支持の引き金になった。これは、先ほどの稗田さんのお話とほぼ重なる感じがします。 ヨーロッパとアメリカは違うと言いながら、共通の根っこがいろいろ出てくるのが面白いですね。

ポピュリズムと選挙制度

岡山

リーダーも見ないと分からないということですと、どういう形で権力を握るか、あるいは、どういう政治的手段で影響力を及ぼそうとするかという点では、選挙制度のあり方とか政党のつくられ方、あと国民投票のような制度も関係してきますね。

水島

今おっしゃったことは非常に重要で、ヨーロッパで、特に小国からポピュリストの動きが始まって、それが後に大国に波及していったという大まかな流れがあるのは、小国は比例代表制度を導入していることがかなり大きい。 オランダでは、最初は数パーセントの得票率でも議会で会派を作ることができる。そこで、例えばイスラムについて「ブルカを禁止せよ」とか、センセーショナルなイシューを出すことで、一気に支持が広がっていくということがあります。もともとヨーロッパの小国は、少数派保護という意味もあって比例代表制をとっているところが多いわけですが、その比例代表がポピュリストにとっては重要な足掛かりになってきたということがあったと思います。 イギリスは小選挙区制ですが、イギリス独立党(UKIP)が一定の力を持ち得たのは、ヨーロッパ議会選挙という比例代表のシステムがあって、そこで3割取ってしまうと注目度がぐっと上がるわけです。そのような各国の制度を実際に見ていくことは重要だと思います。

吉田

選挙制度の話で言うと、多数派型をとっているイギリスとアメリカとフランスのうち、イギリスとアメリカはポピュリストが実際に政権を取ってしまったわけですね。 アメリカとイギリスでは共通項があります。右の右がいて、そこに対してポピュリスト政党にどう対峙するかという、cordon sanitaire(防疫線)が封じ込めには必要です。ただ、それが可能にならないときにポピュリズムが保守政党の内側に入ってきて乗っ取られるという現象です。 トランプが共和党の予備選(プライマリー)に参加できなかったら90年代の「第三の男」だったロス・ペローのように「変なおっちゃん」で終わっていたでしょう。イギリスの場合は、UKIP党(現ブレグジット党)のプレゼンスがどんどん大きくなっていったところに、日和ったキャメロンが国民投票に打って出た結果、賭けに負けてしまった。 先ほどの「エリートを見ないとポピュリズムは分からない」ということとも関連しますが、とりわけ右派ポピュリズムの場合は、既成の保守政党がどう行動するかが大きい。ヒトラーを生んだワイマール議会の保守政党もそうだったわけですが、既成の政治家の側がポピュリズムを招き入れたという側面があります。 保守政党の側がポピュリスト政治家を懐柔しようとして防疫線を解除してしまうと、危ない状況になる。ブレグジットの場合もそうですが、既成政党の対立軸に馴染まないものを争点化すると、それが政党そのものを分断してしまう。そうなるとポピュリスト政治はもはや留まることがありません。

日本の動向

岡山

少しずつ、日本の状況にも触れていきたいと思います。稗田さんがこの前出された2017年の都議会選挙についての論文の特徴は、従来、主にヨーロッパの比例代表中心の地域が、特にポピュリストの受容側について研究されてきたのに対して、より多数決主義的な日本の地方選挙に着目したらどうなるかということですね。

稗田

結局、定義の違いに戻るんですね。例えば橋下徹に率いられた大阪維新の会、小池百合子に率いられた都民ファーストの会について、政治戦略的な定義で言うと、明らかにポピュリスト的な動員の仕方です。直接無媒介のつながりを有権者との間でつくって動員するわけですから。 果たしてそういった政治戦略的定義でいうポピュリストたちによって動員される有権者は、ヨーロッパでポピュリストと呼ばれる政党の支持層と同じなのか。政治戦略的アプローチは、カリスマ的なリーダーが現れたら、なぜか無条件に有権者は動員されるという暗黙の前提があるわけです。しかし、なぜ動員されるのかというのは全くのブラックボックスです。 そこで分析してみたのですが、結果としては、政治戦略的な定義ではポピュリストに当たる都民ファーストの会を支持する人たちは、全く平均的な有権者でした。若干、反エリート主義の傾向があるけれども有意ではない。人民主権論的ではないし、「人民の同質性」を信じてなどいない。 むしろカス・ミュデ的な理念的定義で言うと、反エリート主義だったり、人民主権論の傾向を持っている有権者は、この選挙の場合は共産党を支持していました。 つまり、政治戦略的なポピュリズムとイデオロギー的アプローチの定義上のポピュリズムはかなり違うものかもしれないという結果が出たのです。では、なぜ政治戦略的な定義上のポピュリストが大衆を動員し、支持を集めることができたのかということについては答えは出ていないという感じです。

岡山

そこはアメリカのことをやっていると、まあそうだろうな、という気がします。アメリカの2016年の大統領選挙で、共和党支持者は出口調査で見ると9割ぐらいはトランプに入れていますが、みんなが理念的なポピュリズムに感化されたかというと、全くそんなことはないわけですから。

稗田

アメリカの場合は、政党帰属意識がほとんどで、共和党支持者の9割は、誰であろうと共和党候補者に投票するわけです。その前の予備選挙の段階では、オリバーとラーンの研究にありますが、ポピュリスト的態度を持っている有権者は数ある候補者の中から明らかにトランプを支持していました。

吉田

日本では、ポピュリストと呼ばれるのは、小泉純一郎を除いて圧倒的に首長に多いという特徴があります。 実質的に比例代表的な日本の地方議会にはいろいろな既得権益の代表や職能団体の代表がいる。首長は反対に小選挙区ベースで、個別利益を攻撃するという動員戦略が合理的なやり方になります。そうして、都市部に多い無党派層やホワイトカラー層に狙いを定めて政策やメッセージを打っていく。そうすると改革志向型、ネオリベ志向型のポピュリストの首長が生まれるという構図なのではないかと思います。 Ideational(理念的)にポピュリズムと言ったとき、そのideaは時代によって変わります。「反エリート」というところだけにポピュリズムの本質があって、そこにカリスマ的なリーダーがくっつくという、その2つをセットにすればポピュリズムの定義としては事足りるのではないかと思います。ポピュリズムがどう表れるか、そこにどういうideaが内包されているのかは時代と文脈によって大きく変わるのだろうと思います。

三大都市圏でのポピュリズム的傾向

水島

東京都・名古屋市・大阪市という三大都市圏においては、首長も地方議会の最大勢力もいずれもポピュリスト的な勢力が握っていますが、それ以外の地域ではほとんど浸透がない。これは非常に面白い現象だと思います。 そもそも日本におけるポピュリズム的な動きが、ヨーロッパにおける強烈な反移民であるとか、あるいは左派ポピュリズムのように強烈な再分配に対する主張を持たないのはなぜかと考えてみると、日本は相対的にグローバリゼーションにさらされていない、まだガラパゴス的な国であるということが大きいと思います。 日本においては、財政にしても金融にしても国際的な制約が事実上無きに等しい。ヨーロッパであれば、社会保障支出を増やそうと思ったら、一瞬にしてEU・ユーロの課している枠にがっちりはめられて、全然増やせない。結局、そこから反緊縮運動、スペインのポデモスとか、ギリシャのSYRIZAのようなものも起こる。 日本の場合は、特に戦後、自民党政権が「国土の均衡ある発展」という方針のもと、地方への配分はそこそこ行われてきた。そのシステムは今に至るまで、「地方創生」とか、看板を掛け替えながら続いています。アメリカにおけるラストベルトとか、フランスの北東部のエナンボモンとか、イギリスのイングランド北東部あたりの旧炭鉱地帯のような、いわば見捨てられた地域は、日本で大規模に見出すことはできません。その背景にあるのは、戦後日本における地方への配分システムです。特に地方交付税は非常に強力な平準化システムです。となると、日本においては、地方の側で反既得権益的な、ラストベルト的な運動を起こすモチベーションはない。 他方、この地方への利益配分構造にあずからなかったのが、まさに三大都市圏です。大都市圏では、戦後の自民党政権の下で積極的に利益を得たと考えない有権者は多い。むしろ利益誘導、汚職やクライエンテリズムに結びつく自民党政治と距離を置き、既得権益批判を叫ぶ橋下徹とか、小池百合子のしがらみのない政治といったところに、自民党と比べて相対的に魅力を感じるのでしょう。 以上が日本におけるポピュリズム的な動きの特徴で、地方でポピュリスト的なものが出てこない歴史的背景ではないかと思います。

稗田

反エリートとか、反既得権益というのは出てくると思うのですが、「人民の意思こそが反映されるべきだ」とか、「人民は同質である」という要素が出てくるには強力な敵が必要ですよね。 ポピュリズムというのは、ラズウェル流に言うと、「人民が望むものを、人民が望むときに、人民が望むように得るべきだ」としか言っていない。そうすると、では誰が人民なのか。 そのときに、実際に見える形で移民などがいれば、「移民はわれわれではない」という形で「われわれ」が形づけられる。あるいは経済的に困窮したスペインのような状況にあれば、搾取する金融資本や、緊縮を押しつけてくるEUに対抗するものとして「われわれ」が定義されます。 ただ、都議会自民党ぐらいでは、都民ファーストと言っても、都民の一体感みたいなものはなかなか出にくいですし、大阪の場合も、「大阪人民は」みたいに思っている人は少ない。

「外国人人口」の違い

吉田

構造的にはお二方の指摘通りだと思いますが、状況的に見ると、90年代に入ってから日本では有権者の脱編成が進んだものの、有権者意識は中道で安定しています。さらに日本のエリートは、欧米のエリートと比べて決してリベラルではなく、むしろ保守的なエリートのほうが多い。そうすると、それに対するアンチテーゼとしてのポピュリズムの出方も変わってくることになります。 もう1つ状況的なことを言えば、今の安倍自民党政権は―僕は安倍首相がポピュリストとは定義しませんが―、少なくとも経済では保護主義的、社会文化的には権威主義という、欧米型のポピュリストが占めている位置にいるため、そこにアウトサイダーが参入する余地がありません。それがトランプ型、ルペン型のポピュリズムが日本に見られないことの1つの理由でしょう。

岡山

金成隆一さんの『トランプ王国』を読んでみると、アメリカの「いろいろなものを剥奪された」と感じている労働者というのは、日本で言う「マイルドヤンキー」の人たちとちょっとノリが似ている感じがするのです。地元が大好き、昔からの友達が大好きで、ずっと地元に留まって結婚して、地元のスポーツチームを応援する。しかし、彼らがトランプ支持者になるような精神性を持っているかというと、それはないような気がします。

吉田

精神科医の斎藤環さんが、安倍政治を支持しているのはマイルドヤンキーだ、と以前言っていましたね。

水島

日本の場合、外国人人口が総人口の2%程度で、ヨーロッパと比べたら全然違うわけですよ。日本は人においても、経済においてもバリアをしっかり張っていて、2019年からの改正入管法施行で単純技能労働者が30数万人入ってくることになったにもかかわらず、今もほとんど入ってきていないわけですよね。 実際に日本に入ってきている外国人の多くは、何らかの形で労働市場に組み入れられるか、あるいは勉強しているかで、いわゆる福祉ただ乗り的な、ヨーロッパにおける批判の対象になるような形の外国人がいるわけではないのです。その中では、外国人排除を訴えるポピュリズムというのは、少なくとも今の日本で根を下ろすことは当面ないと思います。

稗田

2017年の都議会選挙の時のサーベイでは、自民党の支持者は排外主義が平均よりも有意に高く出ました。だから彼らは反エリート主義ではないのです。エリートを信頼する。人民主権論を信じない。ただ、人々は同質だと思っている。それで排外主義なわけです。

岡山

都民ファースト支持者は外国人、移民の存在をあまり意識していないということですよね。

稗田

全く意識していない。排外主義的傾向はむしろ平均より低いですね。

日本のポピュリズムの芽

吉田

そうすると、日本は安泰という感じがするので、少し挑発的なことを言ってみましょう(笑)。社会学者の橋本健二さんの『新・日本の階級社会』という本の中で年収200万円以下の非正規で、マニュアルワーカー(単純作業労働者)の人たちを「アンダークラス」と呼称しています。彼らの意識を調査すると、3割ぐらいが排外主義的かつ再分配志向です。 そういう人たちが今後、もし増えていくのだとすれば、やはり欧米型のポピュリズムが日本でも生起する可能性はあるということになる。移民の数や、金融資本のグローバル化の度合いは、日本は低いけれども、先ほど言ったように剥奪感は相対的なもので、在特会みたいなものがある程度の訴求力を持つ可能性はあります。実際に、昨年には留学生の親が来て、彼らに医療を受けさせると健康保険が使えるという、欧州でいう「福祉ツーリズム」論が地方議会で問題視されました。福祉ただ乗りを政治争点化しようと思っている人たちがいるわけです。だから日本にもその芽がないかというと、そうでもないと思う。福祉排外主義がなぜ効くかというと、福祉の受給権こそが国民国家の肝だからです。だからナショナリズムと相性がいい。日本の「社会保障ただ乗り論」はまさにそこを狙った話でしょう。「われわれの税金が」という話ですね。

岡山

日本の場合、排外と言う時に一つ問題になり得るのは在日コリアンの人たちですね。彼らが特権を持っているかのように吹聴する人がいて、それに乗せられる人がある程度いる。

稗田

橋本健二さんの言われる「アンダークラス」の人たちというのは、現状では選挙に行かないわけです。圧倒的に棄権のはずで、われわれの調査でも、棄権者には、既存の政治家に対して信頼が低かったり、議会制民主主義に対して信頼が低かったり、排外主義が強いという特徴がみられる。この人たちは多元主義に対しても信頼は低いのですが、政治家ではない専門家が政治的決定をやってくれたほうがいいという傾向はみられる。ある意味、カリスマ的なリーダーが排外主義を煽ってくれたら乗るかもしれないというところがあります。

吉田

ポピュリスト支持者が棄権常習者というのはすごく大事な点です。ポピュリズムの定義にもう1つ付け加えるとしたら、普段はあまり政治的関心がない、あるいは選挙にそもそも参加しないような人たちを「政治的に覚醒化する」というものになるでしょう。そこがポピュリスト政治家の貯水池になる。政治的な無関心層、あるいは政治そのものが遠いものに感じられている人を原動力に、その伸びしろを上手に動員できた人たちをポピュリストと呼ぶべきかもしれません。

水島

まさに、2019年参議院選挙では、「れいわ新選組」も主要メディアがほとんど扱わなかったにもかかわらず、相当盛り上がりを見せて、それが既存の政治や経済に痛めつけられていると思っている人々の心を摑んだところがある。「N国」(NHKから国民を守る党)も、ある意味で「れいわ」の合わせ鏡みたいな存在です。N国の場合は、逆にNHKなるものを一種の既得権益として批判している。若い人に聞くと、N国は支持しないけれど言いたいことは分かります、みたいなことを言う人が多かった。おっしゃるように、日本の場合は全体としては少数であっても、様々な形での既存の秩序への異議申立てはあるし、それを支持する人はいると思いますね。

稗田

「れいわ」に支持が集まる、つまり左派ポピュリストの可能性のほうが日本ではあるかなと思います。というのも、共産党を支持している人たちは反エリート主義で、人民主権論的なんですよね。たぶん今回れいわに流れたのも、かつて立憲民主党に投票した人か、共産党に投票していた人の可能性がある。そういった既存エリートに対する不信を持っていて、人民の意思こそが反映されるべきであると考えている人たちが、何かのきっかけで着火すれば、大きな爆発力はあるかもしれないなという気がします。

ポピュリズムのゆくえ

岡山

ポピュリズムをめぐる状況は、今後どうなりそうでしょうか。

水島

ヨーロッパで右派ポピュリストの伸びが、各国でやや落ち着いているのは事実ですが、既成政党がかつてのような地位を占めるのは、かなり厳しいのではないかと思います。2019年の欧州議会選挙でも、欧州人民党と欧州社会民主主義グループの二大勢力が、この40年で、初めて2つ合わせて過半数を割った。かつてはその二大勢力で全体の3分の2ぐらいを占めていたのに、です。 一方では、左派の動向で言えば「緑の党」系の、どちらかと言うと若い人に支持された新しい運動も伸びています。また、マクロン系の中道の自由主義のグループも伸びてきている。かつての二大勢力が政治空間の大部分を握っていた体制から、今は、中道右派、中道左派、真ん中の自由主義、左のほうに「緑」や左派ポピュリスト、右のほうに右派ポピュリスト、という五極体制になっている。その意味では多元化が進んできたとは言えるのではないかと思います。

稗田

「緑の党」の伸長は興味深い現象ですね。ヨーロッパの政党競争空間の主要対立軸が社会経済的な左右軸から、社会文化的な権威主義─リバタリアンの軸に完全に移る中で、イシューオーナーシップを持っているのが「緑」と右派ポピュリスト政党だということですよね。だから支持が集まる。 既存のキリスト教民主党と社会民主党というのは、経済的なところで中道で競ってきたので、今さら移民や環境のことを言っても信じてもらえないわけです。

吉田

ピエール・マルタンというフランスの政治学者が、フランスを念頭に、今後、先進国の政党の議会勢力は3つに分けられていると指摘しています。1つは左の「緑の党」と社民のブロック、真ん中はグローバル主義と親EUのリベラル派、右にはナショナリズムと権威主義のブロックです。 これは、ロドリックの言ったトリレンマ(民主主義、グローバル化、国家主権)の内政化でもあります。問題は、いずれも安定多数は望めない。そうすると、おそらく安定的な政治は見込めないということになるでしょう。

岡山

アメリカの話をすると、昔、サミュエル・ハンティントンが『アメリカの政治』という本の中で、アメリカには「アメリカ的な信条」があって、それは自由とか、平等とかいろいろなものですが、建国のときに植えつけられた信条から現状があまりにも離れてしまったと認識されると、抵抗の動きが出てくると言っています。それはいろいろな形を取り得て、学園紛争かもしれないし、ポピュリズムかもしれない。今のアメリカファーストというのは、グローバル化の波にさらされ、大量に移民が入ってくるような恐れから、アメリカの古き良き小市民的な暮らしみたいなものを取り戻さなければいけないんだ、という情念に突き動かされて動いている人たちがいて、たまたま今、それがトランプさんに代表される形で出てきているのでしょう。

デモクラシーの抱える問題として

吉田

代議制民主主義である限りポピュリズムが政治から完全になくなることはないでしょう。代表する者と代表される者の間のズレは必然的に生まれる。そのズレが伸び縮みする中で、ある臨界点を超えると、ポピュリズムは必ず呼び込まれることになるからです。 もう1つ、中間層が目減りをし、将来展望が見えない状況がこれからも続くことです。アメリカの大統領選、フランスの大統領選で、有権者間で一番コントラストが出たのが将来展望です。 例えばクリントンに投票した8割の人たちは、自分の子供の世代は自分よりよくなると考えていて、トランプに投票した人はその真逆でした。マクロンとルペンが戦ったフランスでも同じ傾向が認められました。その意味では1つの国民国家内で真逆の将来を描いている人たちが併存している状況になっている。それは、戦後の豊かで、安定した同質的な社会構造が壊れていっていることの証左でしょう。 そうした状況にある限り、ポピュリズム政治というのは、具体的な勢力として政治空間の余地はこれからも拡大こそすれ、なくなることはないだろうと思います。

岡山

中間層の目減りは日本でもみられる現象ですね。

吉田

今のグローバル化の中で中間層の社会的な流動性がなくなってしまっています。あるとしたらダウンワード、つまり下降のモビリティしかなくなってしまっている。 社会のハイエンドには金融・IT業界を中心に高学歴の人たちがいて、ローエンドは移民に低賃金・対人サービスのところを奪われ、戦後初めて生まれた過半数の中間層が空中分解の憂き目にあっています。彼らが既成の保革政党の中での政治を担保していたのだとすれば、その余地がどんどん目減りしていっていると言ってもいいでしょう。その深刻さはデモクラシーの問題として考えなければいけないと思います。

岡山

再分配の話でも、実際にどういう形で表に出てくるかというと、宮本太郎さんが「引き下げデモクラシー」という秀逸な表現を使っていらっしゃいましたが、自分にもっとよこせというよりは、ほかの連中が得をするのが許せない、というメンタリティで動いているところがとても多い。

稗田

三大都市圏のポピュリズムの話で言えば、ポピュリストリーダーは改革することによって支出が節約できると言うわけです。 実際、大阪維新の会の場合、豊かな地域、北摂、つまり淀川の北のほうで支持が強かったりする。だから、生活に困っている人がそういった改革政党に動員されるのでなく、逆です。公的な支出に頼る人を、われわれには支える余裕はないので、改革する人たちに委ねたいということなのです。

岡山

「応分の負担」ですね。

吉田

N国党も反増税運動だと思えば分かりやすいでしょう。突き詰めればもはや負担をしたくないという意識が根底にあるわけで、全く同じ論点だと思います。

水島

そうやって中間層が弱体化して、中核部分がすり減ってくると、実はそこで頼られるのは「非民主的な正統性を持った存在」ではないかと思うのです。この間の新天皇に対する若者を含めた妙な支持の盛り上がりであるとか、ローマ教皇来日のときも、なぜか信者以外の人まで盛り上がっている。天皇と教皇は、いずれも民主主義と異なるところに正統性を持つ存在です。およそデモクラシーとはかけ離れた存在が、デモクラシーの国の中で喝采を浴びるというところに、現代のデモクラシーの直面する矛盾が端的に示されている、と言えないでしょうか。

吉田

実際、イタリアのコンテ政権の混迷の時も、今のベルギーもそうですが、議会が機能不全に陥って、多数派形成できない時に、議会政治の外部にあるアクターが重要な安定装置になる。そうやってデモクラシーが外部から支えられる局面は、おっしゃったように、象徴ではなく機能としても見られるようになりました。そういう時代なのかもしれませんね。

岡山

お話しを伺ってくると、それぞれのケースで、ポピュリズムの定義の当てはまり方も少しずつ違うという話もあったわけですが、他方で、移民にしても格差にしてもポピュリズムが力を得る理由には、共通の構造があるということが分かりました。 今日は有り難うございました。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。