慶應義塾

塾長室だより No. 5 「塾監局って何ですか?」

公開日:2022.02.07

塾監局長 高野 仁

みなさん、こんにちは。

今回、「塾長室だより」を担当させていただく高野仁と申します。

「あれっ?今まで、伊藤公平塾長が書いていたから楽しみにしていたのに、いったい何者だ?」と思われる方も多くいらっしゃるかもしれませんので、私が今回、本稿を書かせていただくことになった経緯を少し紹介したいと思います。

慶應義塾には、塾長と10名の常任理事がいて、学校法人の常務を執行しています。この11名のメンバーに加えて塾監局長という立場の私が常任理事会に出席しております。このたび、「塾長室だより」の執筆は塾長以外のメンバーも担当することにしようという提案があり、どういうわけか、私がその第一号として指名されたというのが、ことの次第です。

塾監局長というのは、皆さんも聞き慣れない職名かと思います。私も、様々な会合で自己紹介するときに困ります。詳しく説明するのも時間を取ってしまうので、「塾監局長というのは、他大学でいえば事務局長に相当するものとお考えください。」と紹介させていただいております。

画像
画像

せっかくの機会ですので、ここで「塾監局」について、少し説明をさせていただきたいと思います。「塾監局」は、現在、二つの意味を持っています。ひとつは「建物の名称」です。三田キャンパスの図書館と図書館旧館の間にある3階建ての建物を「塾監局」と称しています。(キャンパスマップ参照(12番の建物))「慶應義塾史事典」(以下、塾史事典と記す)によると、ゴシック風の建物、大正15年(1926年)9月の竣工、戦中から戦後の一時期には教室と事務室に併用されていたこともあった、とあります。

塾監局の正面入口は東門の側を向いています。竣工当時は、東門が正門でしたから、東門を入るとその正面に見える建物でありました。今では、塾長と常任理事の執務室にいくつかの事務部門や会議室がある建物として使われています。1階に入ると昔の事務室の窓口の名残を見ることができます。現在は、事務室内にオープンなカウンターを設けて諸対応をしていますが、当時は小さな窓口で事務の対応を行っていたのです。

上の写真から、その様子がわかるかと思います。

AEDの文字のところの小さなカウンターがありますが、この縦長の窓の一番下が開いて、そこで書類のやりとりなどをしていたわけです。

画像

私が慶應義塾に職員として入職した時には、塾監局の会議室に飾られている福澤先生の絵の一部に落書きの文字が刻まれていました。近くに寄って見なければ気づかない程度のものでしたが、紛れもなく落書きでした。昭和40年代の学園紛争の際、慶應義塾では塾監局が占拠され、その時に占拠した学生によって書かれたものと先輩職員から説明を受けました。次の写真のとおり、今では修復されていてその痕跡はわかりませんが、現在の塾監局という建物は、昭和においては戦争と学園紛争という慶應義塾の激動の歴史を経験してきた建物なのです。そして、時は昭和から平成、令和と移り変わり、慶應義塾の歴史を見続けているのです。

さて、「塾監局」のもう一つの意味は、事務組織の名称です。塾史事典の記述を引用しますと「三田移転当初は(中略)『義塾の事務をとるいくつかの部局の一つ』にすぎなかったが、その後時代を経るに従い塾監局という呼称は、事務機構全般を統括する意味で使われるようになり、今日に至っている。」とあります。

さきほど他大学の事務局長に相当するものと紹介させていただいた理由がおわかりいただけるものと思います。

「塾監局」の紹介だけで、多くの紙幅を割いてしまいましたが、この名称に歴史があることを感じていただけたならば、私もうれしく思いますし、私自身この「塾監局」という名称に愛着を持っています。

塾監局長は、「慶應義塾塾監局職制」において「塾長の命を受けて義塾全般の事務を統括する。」と規定されています。今までの「塾長室だより」でも、また、これからの「塾長室だより」でも、塾長、そして常任理事から様々な義塾の施策が語られることと思います。

その施策を実施する上での事務を統括するのが私の仕事ということになります。

以前、塾監局長のことを「慶應義塾の大番頭」と言った教授がいました。現代の視点では少々時代掛かった言い方ですが、その当時、私は「いい得て妙な表現だ」と感じました。

私が現在大番頭かどうかはわかりませんが、この「塾長室だより」が発信する内容の陰に「塾監局」という組織があることを覚えていただければ幸いに存じます。