常任理事
池田幸弘
[担当]人事・労務、ほか
コロナ禍に見舞われてからは移動の実質的な自由が困難となり、公私の旅行も制約がかけられていた。そんななか、久方ぶりに小さな旅をした。
今回の中津行きの目的は、新中津市学校で、小幡篤次郎についてのレクチャをすることである。私の中津訪問は2回目で、前回お邪魔したのは2007年の二月だった。これは福澤の法要に関連して、話をするようにというご下命をいただいたので、うかがった次第である。当日は寒く、中津は、北九州がそうであるように、冬は寒いということを思い知らされた記憶がある。もとより、福澤の命日は極寒期にあたっているというのは、どこでもそうなのだろう。
さて、今回の主人公である小幡である。福澤を知らない日本人は、塾内外を問わず少ないとおもわれるが、小幡については「どなたでしたっけ」という方々が少なくない。
小幡は塾にあって、もっぱら福澤の右腕として働いた人である。巨人である福澤の影に隠れ、代表作という著作をあげにくいこともあり、いままで重要視されてきたとは言い難い。今般、福澤諭吉協会と義塾の共同事業として、小幡の著作集が刊行されるのはその意味でも慶賀にたえない。(3)
小幡の役割は現代に生きるわれわれにわかりやすい表現でいえば、中間管理職である。福澤をまじえた卒業生との写真では、ほとんど常に一緒に写真におさまっている。集合写真を見ると、写っている方々の人間関係がわかる、というのはほんとうである。小幡の表情はかならずしも明るくはなく、年とともに刻まれる表情には私にはさまざまなご苦労がうかがえるのである。
今後の研究のスタンスなどについて、日本政治・経済思想史には素人である私などが安易にあれやこれや述べるのは適切ではない。しかし、洋学者、英学者として小幡が一つの論点になりうるだろう、という感じはずっとまえから抱いている。
これにはいくつかの証拠もある。まずは、小幡の教授を待つ学生の列は長かったという逸話。人気がある臨床教授だろうか。それほどまでに、小幡の教示は適切だったのだろうし、また親切な指導は学生にはよく知られていたと思われる。もっと直接的な証拠もある。小幡が一生の間に翻訳という営為にかけた時間はけっして少なくない。当時の経済学教科書である、フランシス・ウェーランドの全訳という偉業を達成したのは、小幡である。
大先輩には失礼ながら、この翻訳のごく一部をスクリーニング的にチェックしたことがあるが、原文の意味を変えない、その意味では原文に忠実だということと、日本語として意味が通った、できれば達意の日本語とする、という二つの困難な課題をいずれも果たしていることに、驚かされた。それほどまでに、優れた日本語訳である。
今回はやや趣向を変えて、別の書物『生産道案内』をとりあげ、論評の対象とした。本書の原典については今日では詳細な研究がなされていて、私としてはさらに追加していうべきものを持たない。いまは、リチャード・ウェートリーが、その重要な部分を形成することを言うにとどめる。
当日のレクチャについては、いずれ活字化するときがくるかもしれないが、現在時点では未定なので、以下、その一部を紹介して、読者と関心を共有したい。
福澤にせよ、小幡にせよ、さまざまな西欧の書物に関心を持ち、必要に応じて日本語訳を提供し、中身を教授しようと考えたのは、西欧の制度、学問、科学を日本人に理解させようとしたからにほかならない。これはよく知られている。
そのさいに、違った国の制度、進んだ国の制度を理解させるのは、著しい困難が伴うということが、すぐに了解されたに違いない。それは、猿にチョッキを着させる、できれば近い将来自分が着られるようになるように指導することに等しいからだ。
具体的には、新しい概念装置を教え込まなければならないが、これが難題である。新しい概念装置を教えるが、そのさい新しい概念装置は使えない。したがって、古い概念装置に依拠して、新しい概念装置を教えるということになる。
以下、小幡が訳出している財政論、租税論のパートからこのことを具体的に示したい。租税taxをどのように訳出されているのだろうか。これは「年貢運上」と訳されている。年貢はいうまでもなく、前近代的な制度で、明治になってからは廃止され、近代的な租税制度に移行する。しかし、前近代的な制度しか知らない日本人には、その枠組みのなかでの概念装置を用いて説明するしかないという困難があったのだ。
財政、租税の本質についてはつぎのように説明されている。
「海陸軍の諸雑費及び政府にて備へ置ける諸役所諸役人等の費をば、国民より払ふ筈のものなり。此類のものは下に利益となるものなれば、払て相当の事なり。年貢運上を払ふは即ちこのためなり。年貢運上は上より下を支配し、損害を蒙らざるよう保護あるに報ゆる給料なり。」(小幡著作集、一、187)
人々はお金を払って行政サービスを買っている。
「年貢運上も他の売買と異ならず。蒸餅店牛店は我に食を与るとて金銀を払ひ、縫工は我に衣服を給ふとし金銀を払ひ、又国王及び議事院は我を護て掠め殺され欺かるるの患なからしむるとて、金銀をはらふは皆同じ理合なり。」
(同、187)
このように本書は、租税原理としてはいわゆる応益原理、受益者負担の原則をとっていると考えられる。
私はこのようなウェートリー=小幡の考えが、いささかなりとも『学問のすヽめ』に反響を見出しうるのではないかとひそかに考えているが、レクチャの当日もご質問いただいたように、原著者であるウェートリーと小幡の考えが同じだというのは思い込みで、この仮説?を論証するのには、いくつものハードルがあることは事実である。
学祖である福澤と中津の関係についても若干述べたい。『福翁自伝』のなかでの、福澤の中津にたいするやや辛口の評価はよく知られていよう。その時点での彼の心情告白と考えることもできようが、福澤の書き手としての戦略の問題もあり、そのまま受け取ることはできない、というご注意もしばしばいただくところ。その後の、福澤の中津にたいする支援、暖かい配慮もまがこうことのない史実であり、全体としての福澤の中津観はアンビバレントなものであったと現在時点の私は考えている。天保義社への関与などは、やはり中津にたいする支援策であろう。同団体は、武士同士の互助組織、アソシエーションであるとともに、公益的な団体である中津市学校へのベンチャ・キャピタル!としての側面も有していて、研究対象としてはきわめて魅力的だ。機会があれば、もうすこし調べてみたい。
今回登壇させていただいたシリーズ、秋には平石直昭、川崎勝の諸氏が登壇される。文字通りの真打に相違ないお二人のレクチャに期待するところ、大である。小生の今回の登壇がそのための前座であれば、私としては大変光栄である。
今回の訪問にさいしては、奥塚正典中津市長を始めとして多くの方々にご助力いただいた。最後になったが、お礼申し上げる次第である。
注
(1) 福澤、小幡については尊称なしをご容赦されたい。話すときは、文脈に応じて、先生もまじるが、書物、論文においては首尾一貫して尊称なしで通している。
(2) 当日講演風景。中津市提供。
(3) すでに第1巻は公刊されている。本エッセイでの引用も同書から。福澤諭吉協会・慶應義塾『小幡篤次郎著作集』第1巻、2022年。
(4) 卒業生と福澤、そして小幡。中央にギャレット・ドロッパーズ。三田メディアセンター提供。